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■黄金のファラオと大ピラミッド展、国立カイロ博物館所蔵

■森アーツセンターギャラリ,2015.10.16-2016.1.3 ■場内解説が分かり易いので全てを読みながら進みました。 中高生向きですが大人も楽しめます。 何故に古王国時代に短期間で文明を築けたのか? それは国民が死を恐れなかったからです。 ピラミッド建設も国民自身が汗を流した。 これでファラオと共に死の世界で再び生きていくことができると彼らは信じていたからです。 人間にとって「再生できる」ほど心強い言葉はありません。 そして特筆に値しますが当時奴隷はいなかった。 日常生活はパンやビールもありナイル川の恩恵が行き届いていた。 また外では男、ウチでは女が権力を握っている男女平等が徹底されていた。 このようなことが展示品を通して具体的に体感できるのが素晴らしい。 監修者吉村作治のエンターテインメントある上手さが出ているのでしょう。  大晦日午前中に「五百羅漢図」、昼食を取り午後にこの「ファラオとピラミッド」で今年の見納めです。 *主催者サイト、 http://www.tbs.co.jp/pharaoh-egypt/

■村上隆の五百羅漢図展

■森美術館,2015.10.31-2016.3.6 ■村上隆の作品は海外の見慣れた風景を一変させます。 その場所が異化するとでも言うのでしょうか? 場の中心を混沌化させる力がある。 ヴェルサイユ宮殿やグランド・セントラル駅、ルイ・ヴィトンでの展示は素晴らしい。 この会場に外国人客が多いのも頷けます。 しかし日本ではそうはいかない。 周りに同類が多いからです。 物語の希薄さも欠点になりそうです。 手塚治虫、宮崎駿、水木しげるは画と一緒に流れている物語力が強い。 狩野一信も2枚展示されていましたがまだ物語を絞り出せる力がある。 村上五百羅漢図はその力に迫れない。 時間を貯められる漫画的感動と一瞬の絵画的感動は違ってきます。 その為か漫画に近づく連作より1枚ものに見応えがありました。 映像「村上隆の言葉」は作品を補足していますね。 「アートはカネがかかる。 貧=正義=芸術から抜け出せ」、「芸術は世界のルールに従う。 だから唯一の自分を見つけ世界を相対化しろ」、「今の日常は100年たてば非日常化される。 現代美術などは直ぐに無くなる」。 村上の言葉はそのまま現代芸術の悩みに突き当たります。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/tm500/

■2015年美術展ベスト10

・ パスキン展 -生誕130年、エコール・ド・パリの貴公子- ・ ワシントン・ナショナル・ギャラリ展 -私の印象派- ・ 幻想絶佳 -アール・デコと古典主義- ・ 他人の時間 ・ ユトリロとヴァラドン、母と子の物語 -スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年- ・ 戦後日本住宅伝説 -挑発する家・内省する家- ・ 蔡國強展 、帰去来 ・ ディン・Q・レ展 -明日への記憶- ・ 建築家フランク・ゲーリー展  ( フランク・ゲーリー/パリ、フォンダシオン、ルイ・ヴィトン建築展 を含む) ・ ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち展 *並びは開催日順。 選出範囲は当ブログから。 映画は除く。 * 「2014年美術展ベスト10」

■英国の夢、ラファエル前派展  ■Tiles、一枚の奥ゆき幾千の煌めき

■英国の夢,ラファエル前派展 ■Bunkamura・ミュージアム,2015.12.22-2016.3.6 ■百貨店系美術館は年末が空いて正月が混むから買い物ついでに寄り道してきたの。 リバプール美術館とは三つの美術館の総称らしい。 どの館も企業家が作ったようね。 前派結成者の一人であるミレイが最初に並んでいるから直ぐに英国の夢の中に入っていける。 芝居の場面をみているようだわ。 二人目のロッセティは二枚だけど余裕ね。 三人目のハントは記憶にない。 しかも「イタリア人の子ども」1枚だけよ。 他に気に入った画家はタデマかな。 4枚の油彩は緻密で目が止まってしまった。 それとバーン=ジョーンズの「フラジオレットを吹く天使」「レバノンの花嫁」はどちらも水彩画だけど素敵ね。 「自然に忠実」はわかるけど生気の宿っていない植物をみれば象徴主義などに傾いていったのはわかる。 でも前派の物語と色に十二分に浸れたのは今年最後の展示会として最高だったわ。 * 2014年「ラファエル前派展」 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_raffaello/ ■Tiles,一枚の奥ゆき幾千の煌めき ■Bunkamura・ギャラリ,2015.12.26-2016.1.6 ■タイルというとオリエントやナポリを思い出してしまう。 タイルのある家は落ち着くし生活の豊かさがある。 でも近頃は見かけない。 今やタイルは美術品に近いのかもしれない。 この展示はLIXILの企画で実際に古いタイルを再現しているところがいい。 やはりタイルは物質感が大切なの。 触覚でみるものだとおもう。 ジオ・ポンティの紹介は図書を含めて楽しかったわ。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/151226tiles.html

■リナ・ボ・バルディ展-ブラジルが最も愛した建築家-

■ワタリウム美術館,2015.12.4-2016.3.27 ■先日のオスカ・ニーマイヤ*1がブラジルの表の顔ならリナ・ボ・バルディは裏の顔でしょう。 初期の「ガラスの家」は弱々しく見えるが以降の作品はゴッツイですね。 「うまく建てることではなくて、人々がどんな暮らしをしているのかを知る・・」「建築を守ることではなく、この街の人々の魂を守ること・・」。 「サンパウロ美術館」「SESCポンペイア文化センタ」をみてもこの言葉の具現化に努力しているのがわかります。 「サンタ・マリア・ドス・アンジョス教会」を含めブラジルの赤い大地から力が湧き出てくるようです。 家具なども展示されていたがミラノ時代のドローイングは素晴らしい。 でもブラジル時代の家具はやはりゴッツイ。 インタビューで「・・スターリン主義者である」と言っていましたが戦争でイタリアを離れブラジルを愛した経緯をみてもこの言葉の意味を単純に想像できないものがあります。 劇場や舞台設備も多く手掛けていますが一言も述べられていません。 彼女の内側はブラジルのように遠い。 *1. 「オスカー・ニーマイヤー展」(2015年) *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1512_lina/index.html

■FOUJITA

■監督:小栗康平,出演:オダギリジョ-,中谷美紀 ■新宿武蔵野館,2015.11.14- ■藤田嗣治が主役のドラマ映画である。 前半はモンパルナスが舞台だが藤田は既に「乳白色の肌」で名声を博している。 「パリに来て10年」と言っていたから1923年頃か? だが藤田は名を売ることに奔走する以外は何をしたいのかよくわからないシーンが続く。 モディリアーニやスーチンも登場するがパリの街はどこか閑散としている。 1939年からの後半は日本が舞台になる。 ここで藤田は将官である陸軍美術協会理事長として登場する。 表面上は戦争協力をしているが厭戦気分が漂っている。 そして敗戦が近づいて来ると何んとなしに終わってしまった・・。 小栗康平の作品は久しぶりだ。 「埋もれ木」以外は観ているが時が開き過ぎてしまい何と言ってよいのかわからない。 どこかギクシャクしている。 繋ぎが不連続の為かもしれない。 これが独特なリズムを作っている。 日本の風景はパリと同じで夢の中に居るようだ。 君代役の中谷美紀はそこに溶け込んでいて好演であった。 でも狐のアニメはいただけない。 既に漂っていた狐の徴が壊れてしまった。 終幕のクレジットタイトル背景では晩年に描いたフジタ礼拝堂の作品が映しだされていた。 この作品群はあまり好きではなかったのだが今日の映画の最後に観ると藤田の心の在り方が分かる気がした。 *作品サイト、 http://foujita.info/

■TOKYO、見えない都市を見せる  ■オノ・ヨーコ、私の窓から  ■MOTコレクション

■TOKYO,見えない都市を見せる ■東京都現代美術館,2015.11.17-2016.2.14 ■80年代からの東京をキューレーションした前半と、未来へ向けて東京を浮かび上がらせる後半に分かれています。 選ばれたキュレータの個性が強いのかもしれません。 前半と後半の境界が見えなかった。 世紀末か新時代か? 「YMO+宮沢章夫」が境界を消してしまったこと、後半は岡田利規の細部への迫り過ぎや「目(ワームホールとしての東京)」が過去に戻り過ぎていたからです。 東京のディティールは見えましたが全体像が見えない展示でした。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/TAM6-tokyo.html ■オノ・ヨーコ,私の窓から ■クセのある作品が並びます。 フルクサスで活動しJ・レノンと結婚した強さでしょう。 さすがと言うしかありません。 彼女の比較的新しい作品を見ることができたが60年代と少しも変わらないですね。 あの時代の精神を持ち続けていると言うことです。 でも「私の窓から」(2002年作)でレノンの姿が暗くなっていくのは20世紀の姿に重なります。 *館サイト、 h ttp://www.mot-art-museum.jp/exhibition/yoko-ono-from-my-window.html ■MOTコレクション ■第一部「戦後美術クローズアップ」では中西夏之、池田龍雄、桂ゆき、中村宏、菊畑茂久馬、工藤哲己が並んでいます。 菊畑茂久馬は初めて聞きましたが「奴隷系図」は見た記憶があります。 この作品には迫ってくる何かが有るからだと思います。 第二部は「フランシス・アリスと4つの部屋」(*1)です。 「理解を越えて生まれるエモーションを再現する」と言っているC・ボルタンスキの作品にはヨーロッパ大戦の記憶が滲み出ています。 そしてF・アリスのジブラルタル海峡を渡る「川に着く前に橋を渡るな」は素晴らしい映像ですね。 海水浴での喉の塩辛さ、押し寄せてくる波しぶきと水中の圧迫感、青空と太陽の眩しさが甦ります。  *1.「 フランシス・アリス展 」 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/mot-collection-2015.html

■物語をえがく-王朝文学からお伽草子まで-

■根津美術館,2015.11.14-12.23 ■村上華岳を観に行こうと根津美術館へ向かったがチケット売り場で気が付く。 山種美術館と間違えてしまった。 根津、山種、出光の3館は勘違いし易い。 まっ、こういう場合はそのまま入館する。 伊勢物語、源氏物語、曽我物語、西行物語、平家物語、お伽草子では賢覚草紙、蛙草紙、酒吞童氏、玉藻前草紙・・。  気に入ったのは「曽我物語図屏風」。 人物や動物は小さいのだが良く見ていると狩りの楽しさが伝わって来る。 このように猪や鹿や兎を追いまわすことができたら気分爽快だろう。  物語を絵にすると現代では漫画に近づく。 王朝漫画は歌を吹き出しにするとピッタリと似合うではないか? お伽草子はSFやホラー漫画というところか。 昔の漫画に入り浸った感じだ。 *館サイト、 http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/past2015_n07.html

■ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち展

■汐留ミュージアム,2015.10.29-12.20 ■現実と想像・主観と客観・感覚と理論、これらが統合された「総合主義」に焦点をあてています。 会場出口にゴーギャンの辿った世界地図が掲げられていました。 幼少期にペルーで生活していたことがブルターニュの自然に根差した精神性を前向きに受け入れられたのではないか? そして進むべき道が見えたのだと思います。 まさに印象派のゴーギャンから<ゴーギャン>になったその時が語られている展示会です。 気に入った作品は「ブルターニュの眺め」「タヒチの風景」です。 「玉ねぎと日本の版画のある静物」はセザンヌも疑問を呈していますね。 ゴーギャンはモノの存在より精神統合の追及が似合っています。 「二人の子供」はタヒチの先取りのように見えます。 エミール・ベルナールの立ち位置やクロワゾニスム(区分主義)も初めて知りました。 ゴーギャンの謎がまた一つ解けた感じですね。 *美術館、 https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/15/151029/index.html

■Fumihiko Maki、Maki and Associates 2015-時・姿・空間、場所の構築を目指して-

■代官山ヒルサイドテラス,2015.10.17-29 ■建築家槇文彦の事務所創立50周年展。 槇のこのような大きな展示会は初めてかも。 彼の作品の一つ代官山ヒルサイドテラス内の3個所で開催しているの。 ざっと観るだけでも2時間は必要ね。 よく見る作品はこの会場の代官山とスパイラルホールとテレビ朝日、あと映像だけどEテレ「スーパープレゼン・・」の冒頭に映しだされるMITメディアラボくらいかな? 海外など広範囲で活躍しているから作品を見ることはあまりない。  彼の作品は機能が複雑になるとデザインが継ぎ足しのようになる。 名を捨て実を取っているようにみえる。 たとえばこの代官山も緊張感が解れてとても歩きやすい。 下町の裏道を意識するだけではなく若さも感じられる。 副題の通り広い範囲の場所の構築を目指している。 やはり1棟勝負だと作る方も利用する方も疲れるもんネ。 *主催者サイト、 http://www.maki-and-associates.co.jp/news/index_j.html?nw=16

■プラド美術館展-スペイン宮廷 美の情熱-

■三菱一号館美術館,2015.10.10-2016.1.31 ■エル・グレコでも見て劇的感動に浸ろうと行ったが、なんと作品がみな小っちゃい! 章タイトル名も芸術史から抜き出したように難しい。 スペイン本国の展示会を再構築したものらしい。 その為か日本の美術館が企画したとは思えない作品範囲・選択・順序である。 日本で企画した日本近世美術展をマドリードで開催したときのスペイン人の混乱と同じ感じだろう。 しかしこのように翻訳をしない展示会は観客を強くする。 どんどん増やして欲しい。 ところで「キャビネット・ペインティング」はこの美術館の為に用意された言葉に聞こえてしまった。 *三菱一号館美術館開館5周年記念展 *館サイト、 https://mimt.jp/exhibition/pdf/outline_prado.pdf

■アルフレッド・シスレー展-印象派、空と水辺の風景画家-

■練馬区立美術館,2015.9.20-11.15 ■シスレーは素人からみて親しみが持てる画家ですね。 これなら自分でも描けるのではないか? 友達になれそう、と思ってしまうからです。 面白かったのは印象派の「新しい水面」を河川工学から論じている章です。 つまり固定堰、ペルテュイ(可動堰?)、閘門の設置です。 水深を調整して洪水を防ぎ上り下りの船を走らせる為です。 これによりセーヌ川の流れが緩やかになり印象派好みの陽光の煌めきある水面が現れた。 ちょうど画家たちの生まれた頃から河川工事が始まったらしい。 彼らが筆を取る時期には新しい水面が見られたと言うことです。 付録として「東京の河川風景」が展示されていました。 なんと荒川とセーヌ川を比べている。 今の隅田川が昔の荒川の流れで、現在の荒川は新しく造った荒川放水路だったことを思い出しました。 実は小学校で習ったはず? 荒川・隅田川周辺と神田川・渋谷川・目黒川の河川に沿って低地になっている地図などもあり自然災害への対応を改めて確認しました。 今回はシスレ→新しい水面→セーヌ川工事→洪水防止→荒川工事という思いもよらない展開でした。 会場を後にしながら誰の展示会だったか一瞬思い出せませんでした。 *館サイト、 https://neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=m10066

■氷の花火、山口小夜子

■監督:松本貴子,出演:天児牛大,高田賢三,山本寛斎ほか ■イメージフォーラム,2015.10.31- ■出来の良いドキュメンタリー作品である。 山口小夜子の閉じられていた遺品を学校の後輩が開封するのでストーリーに膨らみが出ている。 遺品の中では人形と、愛読書に寺山修司・安部公房の多かったことが印象に残る。 上映後、監督の挨拶があったが本当に挨拶だけだった。 ・・。 ランウェイを歩くのはダンスと同じである。 表情、身のこなし、歩き方・・、身体と衣装の一体となる瞬間が現れる。 ファッションモデルから舞踏、ダンス、演劇に向かったのは彼女が鮫のように泳ぎ続けるタイプだからだろう。 しかし彼女の動きはどこかぎこちなく見える。 精神的にいつも何かに追いかけられている感じだ。 「美しいことは、苦しいこと」には偽りのない本心が聞こえる。 多くの関係者が声を高くして彼女を称賛しているが何かを隠しているようにもみえる。 「・・謎めいた実像に迫る」とチラシにあったが、謎のままでいるほうがよいのではないかと観終っておもった。 *作品サイト、 http://yamaguchisayoko.com/

■フランク・ゲーリー/パリ、フォンダシオン、ルイ・ヴィトン建築展

■エスパス・ルイヴィトン,2015.10.17-2016.1.31 ■デザインサイトで開催している「 フランク・ゲーリー展 」の続きですね。 もちろんパリのルイ・ヴィトン財団オープニング記録展です。 ゲーリー得意の模型で特に敷地との融合、アイスバーグ、ガラスの帆などが歴史的に語られています。 ビデオ5台で建築現場進捗写真と施設公演での音楽・美術紹介が映写されている。 写真は基礎工事から見せてくれるので建物の構造がある程度分かります。 ブローニュの森に位置する財団建物と遠くにエッフェル塔が見える航空写真の展示会チラシが素晴らしい。 今これを書いている時にもこの写真を眺めています。 *館サイト、 http://www.fondationlouisvuitton.fr/ja/la-fondation.html

■久隅守景-親しきものへのまなざし-

■サントリー美術館,2015.10.10-11.29 ■初めて聞く画家である。 狩野探幽の弟子だからここまでの展示会ができるのかもしれない。 さすが風景から人物・動植物なんでもある。 墨画はスッキリしている。 無駄な線が無い。 でも馬は上手いとは思えない。 大きな動物は苦手なのでは? 「鷹狩図屏風」を見ていたら鴨鍋を食べたくなってしまった。 娘雪信の作品もあったが父より劣る。 風景より人物の方が巧い。 息子彦十郎も悪くはない。 狩野派の裾野から江戸の農村風景を眺めたような気分である。 安定し始めた時代の雰囲気が漂っている。 *館サイト、 http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_5/?fromid=topmv

■建築家フランク・ゲーリー展

■ディレクター:田根剛 ■21_21DESIGN SIGHT,2015.10.16-2016.2.7 ■ゲーリーのオフィスをみてわかりました。 彼は身体すべてを使って建築を考える。 その身体の化身が模型です。 「人がそこに居たい建築を作りたい」は身体が喜ぶことです。 その模型を具現する手段としてコンピュータを使った。 この一連の流れが時代と同期したのだとおもいます。 しかしあのトタンを重ね合わせたような、グニャと潰れたような建築が呆れるほどの試行錯誤と最先端の技術でできているとは知らなかった。 エントロピーが大きくみえるものほど膨大な知識と情報が必要ということですね。 しかも彼のコンピュータ技術は手段としてだけではなく目的にも使い建築家の存在意義を大きく変えたことでしょう。 会場は小学生が作ったような紙細工ばかりでしたが当に「I Have an Idea」を体感しました。 *館サイト、 htt p://www.2121designsight.jp/program/frank_gehry/

■アジアの日常から-変容する世界での可能性を求めて-

■ギャラリー間、2015.10.17-12.12 ■ http://www.toto.co.jp/gallerma/ex151017/index.htm ■1階は中国、シンガポール、ベトナム、2階に行ってタイ、日本の5組の若手建築家の展示です。 日常社会や自然環境の違いがありますが、現実問題からスタートしているのでどれも同じにみえます。 この中でタイは屋台の上に安玩具や煙草など並べ、その入れ物の間に繁華街の通りを作っているという面白い展示方法を取っています。 アジアの繁華街は特別ですね。 しかしベトナムが自転車からバイクそして自動車へと進む中、各国の差異はみえなくなっています。 アジアの日常とは何か? カラダではわかるのですがこれからの建築との関りはよくわかりませんでした。 関係者のシンポジウムや連続講演会があるようです。 出席しないと展示会が完結しないのかもしれません。 F・ゲーリー展の帰りに立ち寄ったのですが、地下で開催していた手塚展にも足を運びました。

■手塚貴晴+手塚由比の建築106作展

■セラトレーディング東京ショールーム,2015.10.20-12.22 ■「建築カタログ3」発刊記念企画展です。 風呂、シャワー、洗面器等々のTOTOショールームに手塚作品の模型が展示されています。 カタログ1,2,3が置いてあったのでざっとですが全て見てきました。 手塚作品は見覚えがあります。 庇が目立つコルビュジエ風で南側壁を取り払って一枚ガラス窓にした住宅です。 このようなガラス窓の大きい家に住んでみたい気もします。 でも精神的に強くないと潰されそうですね。 企業建築はミース風になります。 トヨタショールームなど鉄と硝子で機能的ですね。 そして幼稚園の屋根が運動場になっている作品は面白い。 狭い土地には持って来いです。 屋根から地上に滑り台が降りているのは子供も喜ぶでしょう。 ついでにバスタブも見学してきました。 風呂好きを満足させてくれます。 *館サイト、 http://www.cera.co.jp/news/36

■アルマーニ

■監督:ジュリアン・オーザンヌ ■アルマーニ帝国の頂に立つジョルジオ・アルマーニの素顔を追うドキュメンタリーなの。 無彩色のピュアでシンプルなコレクションを思い浮かべるけど、繊細で内省的な面もあるのよね。 作品がそのままアルマーニ自身の内側を語っている。 彼はシャイな性格なのよ。 紳士服というのは普遍化を目指すでしょ。 完璧主義者アルマーニはこの目指す方向がブレナイ。 映画界に近づいたことが彼の成功だったようね。 A・シュワルツェネッガ、J・レノ、S・ローレンの顔も見えたけど映画スターが着れば文句なし。 休みを取らず働き過ぎのようだけど、島の別荘に毎年1ヶ月間引き籠るのが再生の秘密だったのね。 よくわかる。 でも将来の帝国をどうするのか?悩んでいる。 彼は孤独なの。 近頃はホテル経営まで乗り出しているようだけどだいじょうぶかしら? この映画をみて森美術館のアルマーニ展(*1)が素晴らしかったのを思い出したわ。 2000年作品。 *1、2005年 「アルマーニ展」 *写真、 http://ecx.images-amazon.com/images/I/41bTEIRWnSL.jpg

■鈴木信太郎展-親密家アンティミストのまなざし-

■そごう美術館,2015.10.10-11.15 ■素人が観ても肩が張らないので親密家というのかもしれない。 「冬の山川」(1946年)、「桐の花」(1964年)が並べてあったがどちらも力強い。 波があるようにみえる。 志向性のある作品が周期的に登場している。 そして梅原龍三郎やセザンヌやボナールが所々顔を出している。 違うのは「緑の構図」、「青い庭」(1936-7年)からくるモンスーンの濃い緑だろう。 人物は苦手のようだ。 人形に向かったのも分かる気がする。 「素材の中から喜びを発見して自分らしい表現を生かし育てる・・」と彼は言っている。 この喜びが観る者にも伝わってくる。 *館サイト、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/15/suzuki_shintaro/index.html

■ミース・ファン・デル・ローエ

■監督:ジョセフ・ヒレル ■ミースの鉄骨とガラスのビルはやはり美しい。 材料間の比率や面積、形や色など隅々まで熟慮されているからです。 洗練されていて職人気質の美学がみえます。  付近の住民にとってガソリンスタンドは存在感をなくす方がよい。 そのため利用する人に最低限の目立つ方法を取ります。 広告塔を地面近くに設置し、屋根を低くして暗色にします。 引算建築技法の一つですね。 当時のシーグラム・ビルは画期的な建物だったのでしょう。 このビルは周囲に開かれているのが特長です。 これはガラスの開放性にもよるがミースの考え抜いた関係性の美学の成果だとおもいます。 でもミースのような建物ばかりだと都市の猥雑さがなくなり面白くないでしょうね。 「2001年宇宙の旅」のモノリスに囲まれてしまった船長デビット・ボーマンの心境に近づいてしまいます。 2004年作品。

■LAVYRINTH OF UNDERCOVER  ■笑いとユーモア  ■鈴木星亜展

■LABYRINTH OF UNDERCOVER ■東京オペラシティアートギャラリ,2015.10.10-12.23 ■UNDERCOVERの25周年展示会です。 1995年頃からを網羅していますが内容はビデオと迷路になっています。 ビデオは年代・シーズンごとの45本で合計15時間くらいですか。 気に入っているシーズンを選べばよいのですが迷ってしまう場合は次の迷路を一周すればほぼ全体像が見えてくる。 シーズンごとのテーマでデザインが違っているので、この差異が物語を引き寄せラビリンスを彷徨うことが出来るのです。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh181/ ■笑いとユーモア-寺田コレクションより- ■常設展ですが毎回違う作品に出会えるのがいいですね。 過去に出会った作家が展示されていると懐かしさがある。 落合洋子や河内良介の作品がこれにあたります。 天野裕夫のブロンズ群は初めてみましたがオモシロイ。 相笠昌義を沢山みることができたのは予想外でした。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh182.php ■鈴木星亜展 ■波の描き方が独特ですね。 メロンやワッフルの表面にもみえる。 作者は食いしん坊ですね。 水の表面は感慨深い形だと思います。 これを美しく具体的に描き出しているのは素晴らしい。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh183.php

■Who Dance ? 付のアクチュアリティ  ■映画女優京マチ子展

■Who Dance ? 振付のアクチュアリティ ■早稲田大学演劇博物館,2015.10.1-2016.1.31 ■誰が・どこで・どのように踊るのか? 新人・玄人振付家の作品をビデオ30本くらいで紹介しているの。 コレオグラフィとは何かを考えるんだけど、ビデオを見て自分で考えなさいという構成にみえる。 初めて聞く振付家も多い。 例えばアオキ裕キ、ポリス・シャルマッツ、レミ・エリティエ、ロジェ・ベルナット・・。 気に入ったのボリス・シャルマッツの「子供」かな。 知っている室伏鴻、近藤良平、伊藤キム、田中泯、フォーサイス、ローザス・・は除いてだけど。  でも川村美紀子の「へびの心臓」が一番良かった。 時系列からみても序破急が整っていて新人賞受賞作品だけはある。 先日観た「 まぼろしの夜明け 」だけでは彼女の一面しか見えなかったけどまた少し近づけたわね。 *館サイト、 http://www.waseda.jp/enpaku/ex/3628/ ■映画女優京マチ子展 ■京マチ子の「日本人離れした豊満な肉体・・」には誰もが参るわね。 でも彼女の映画はすっかりご無沙汰している。 「羅生門」「源氏物語」「雨月物語」「地獄門」・・は観た覚えがあるけど、その中でも「赤線地帯」と「あにいもうと」が一番かな。 でも「浮草」はだめ。 彼女は小津安二郎とは合わない。 *館サイト、 http://www.waseda.jp/enpaku/ex/3718/

■オットークンツリ展

■東京都庭園美術館,2015.10.10-12.27 ■クンツリのジュエリーはゴッツイわね!? 日本人が付けるとブラサゲテイルように見える。 でもクンツリが赤いハートを胸にしているチラシをみると似合っている。 ギリギリで彼女の身体に納まっている。 精神的・社会的な関係までジュエリーが求めるからだとおもう。 この延長で考えさせられた作品があるの。 それはブローチやペンダントを付けた掛け軸。 とても新鮮にみえたわ。 そして本物のアメリカ国旗を少しだけ見せる作品、「おはようアメリカ」。 タイトルもいいわね。 アボリジニの顔写真が首飾りの平ビーズに貼られている「オーストラリア日記」。 一つ一つ違う顔を日記帖を捲るように見ていくの。 でも多くの作品は古臭い感じがする。 今回は作品が小さいので美術館内の細かいところに目が届いたわ。 書庫は初めて入ったし各部屋の窓枠や取っ手もジックリ見ることができた。 中庭に四角いプールのような池があるでしょ? そこに鷺が来ていて鯉を狙っているの。 ウーン、飛んでいっちゃった! ここは自然教育園の中だから鳥や虫が沢山いるのよ。 でも新館は教育園の自然を無視している。 ここから見る庭も芝生ばかりで最悪の景色ね。 避難場所かもしれないけれど、もっと良いデザインに出来たはずよ。 *館サイト、 http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/151010-1227_kunzli.html

■ニキ・ド・サンファル展

■国立新美術館,2015.9.18-12.14 ■ナナは見たことがあったが作者には関心がなかった。 おおらかで色彩豊かな解り易い作品のためか深い興味が湧かなかったからである。 今回初めてニキの全体像を知った。 娘が父の解体を進めるのは、父が母を捨て他の女へ行ってしまうか、その逆に父が家族にへばり付き厳格になるかの二つである。 ニキは後者を心の傷としてしまったのか? アルジェ戦争や「射撃絵画」を越えて父の総括をするのが「大聖堂」だろう。 ここから<女性>にも関心が広がる。 ボーヴォワールの影響も解説にあったが心にも余裕が出てきたのかもしれない。 ポスターや陶器・貴金属類もなかなか楽しい。 後半はヒンズー教・仏教そして占へと接近していく。 これも女性精神の特徴と捉えて芸術に昇華しているのは素晴らしい。 全てを観終って、彼女の作品は男性への深層葛藤を解決するための箱庭療法から生まれ出たものだと理解した。 *展示会サイト、 https://www.nact.jp/exhibition_special/2015/niki2015/

■イサム・ノグチ-紙と石-

■監督:ヒロ・ナリタ(日本,2005年作品) ■「彫刻より空間そのものに興味がある」。 ノグチの言葉から提灯や庭の作成を手掛けたのは納得できます。 M・グラハムの舞台装置も同じでしょう。 そしてC・ブランクーシとの出会いが方向を決めた。 「自然から抽象の手順を踏まない時代が来た」とノグチに言います。 戦後、彼は硬さのある自由を選んだのだとおもいます。 この硬さが庭師や建築家、山口淑子と軋轢を生じたのでしょう。 これは父との関係もあるのではないか? 晩年、堅い石を材料に選んだのもこの延長です。 「ノグチは旅人だ」と武満徹は言っていましたが、当に彼は「空間の旅人」でした。 *GEOサイト、 https://rental.geo-online.co.jp/detail-325794.html

■メイプルソープとコレクター

■監督:J・クランプ,出演:R・メイプルソープ,S・ワグスタッフ,P・スミス ■ロバート・メイプルソープではなくてサム・ワグスタッフが主人公のドキュメンタリでした。 ワグスタッフは写真コレクタでありキュレータとして活躍した。 彼は歳を取るとともに知性を否定し直観と感動を信じた人らしい。 キュレータとしての彼の才能はコレクタから得たのかもしれません。 ヒト・モノ・カネを見抜ける力がなければ務まらないからです。 ここで毛色の違う「 ヘンリー・ゲルツァーラ 」と比較してしまった。 芸術と人生を同等にみていた彼は性と死も同じであると考え行動していたはずです。 それでも当時のエイズは二人にとって衝撃的来訪者だったことでしょう。 2007年作品。 *解説、 http://www.cinemarise.com/theater/archives/films/2009004.html

■オスカー・ニーマイヤー展-ブラジルの世界遺産をつくった男-

■東京都現代美術館,2015.7.18-10.12 ■「ニテロイ現代美術館」が円盤になり空を飛んでいるのを見て人形劇サンダーバードを思い出してしまいました。 「ブラジリア大聖堂」はロケット発射台、「アシス教会」はロケット格納庫、そしてトレーシー一家が住んでいそうな「カノアス邸宅」、ブラジリアは近未来都市の舞台セットにぴったりです。 ニーマイヤーの建築物は20世紀の青春がそのままレトロ化されて現前しているようです。  ル・コルヴュジエが見え隠れするが気にならない。 カラっとしたダイナミックの中に人間の懐かしい匂いがあります。 行ったことのない大陸ラテンアメリカを意識します。 ■20世紀最後の巨匠オスカー・ニーマイヤー ■監督:M=A・ウォンバーグ ■展示室で上映していたドキュメンタリーです。 ついつい引き込まれて1時間すべてを見てしまいました。 彼の建築を忘れていた理由が分かった。 20年の軍事政権が続いた為、それと乾燥の奥地ブラジリアの地球距離の遠さです。 1967年の皇太子訪問ニュースを見て、50年前まで十数万人の日本人がブラジルへ移住していたことが信じられない。 日伯外交樹立120周年記念にニーマイヤー展を特集したのは正解でしょう。 但し副題に「世界遺産」の言葉を入れたのは官僚的場違いです。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/oscar-niemeyer.html

■アンリ・カルティエ=ブレッソン-瞬間の記憶-

■監督:H・ビューラ,出演:H・C=ブレッソン,I・ユベール,A・ミラー ■(スイス・フランス合作,2003年作) ■ブレッソン本人が写真を手に取って言葉を付け足していくドキュメンタリーである。 「瞬間の芸術である」「配列と構図が重要である」「方針も規則も無い」。 作品の核心を突く言葉が続く。 そして彼は絵画にも接近する。 「写真は短刀の一刺し、絵画は瞑想である」。 彼を知る写真家たちが時々コメントする。 イザベル・ユベールも顔を出すが写真を見る感性は素晴らしい。 「シャッターを本能的に押している。 そして見事な構図である」「言葉を語り終えた瞬間である」。 女優らしさが出ている。 アーサー・ミラーがマリリン・モンローの表情を深読みするシーンは面白い。 又ブレッソンが撮った華やかさの裏側にあるアメリカの暗さが、レーガン時代では直視できなくなるほど悲惨になってしまったことを語る場面は作家の面目を保っている。 最後にブレッソンは言う。 「写真は死なない」。 *映画com、 https://eiga.com/movie/52991/

■この世の名残り夜も名残り-杉本博司が挑む「曾根崎心中」オリジナル-

■感想は、 http://twsgny.blogspot.jp/2015/09/blog-post_28.html

■あえかなる部屋-内藤礼と、光たち-

■監督:中村佑子(*1),出演:内藤礼 ■イメージフォーラム,2015.9.19- ■内藤礼の作品の中に入り、生まれ繋がり死んでいくことを語りあう映画なの。 作品は豊島美術館「母型」。 写真では見ていたけど水が湧き水滴になって池に注いでいるとは知らなかった。 緊張と弛緩があり作者の緻密な美学がみえる。 内藤礼は画面に登場しない。 監督との遣り取りは文字だけなの。 量子力学における観測問題と同じで彼が登場すると作品に影響を与えてしまうからよ。 ほんとうは恥ずかしがり屋なのかもしれない。 ということで監督は困ってしまい(?)市井の女性たちを登場させる。 彼女たちは他者を感じること、寄り添うこと、離れていくことを語り始める。 湧き水が池に向かっていく水滴のような人たちだった。 どこか宗教をも感じさせる。 出来上がったこの映画の感想を内藤礼に聞くと、「大事なものが無くなってしまうから10年後に語ろう・・」。 2015年作品。 *1、「 はじまりの記憶」(2012年) *作品サイト、 http://aekanaru-movie.com/

■フランク・ロイド・ライト

■監督:K・バーンズ,出演:フランク・ロイド・ライト ■(アメリカ,1997年作品) ■ライトの建築物は空と土があれば砂漠でもジャングルでも似合うと思います。 横に伸びる力強さが水平線を受け入れ、重さのある素材が垂直線を受け止めて自然と一体化できるからです。 論じられる作品は「タリアセン」「ミッドウエ・ガーデン」「帝国ホテル」「カウフマン邸落水荘」「ジョンソン・ワックス社」「グッケンハイム美術館」。 個人住宅は住んでみないと何とも言えませんね。 強さで潰されてしまいそうな感じもします。 会社や美術館は個人住宅とは違った独創性が溢れている。 そこで活動する人々にインスピレーションを与えてくれそうです。 「ジョンソン・ワックス社事務棟」は気に入りました。 不倫事件や放火事件で低迷が続いていたが70歳で返り咲くとは凄い。 インタビュでP・ジョンソンが彼を「造形芸術の最高峰である」「天才である。 いつも嫉妬していた・・」などなど称賛していましたが、近代建築家では公私とも異色にみえます。 *Filmarksサイト、 https://filmarks.com/movies/30926

■サルバドール・ダリ、世界が愛した芸術家ダリの超現実的な人生  ■ダリ、科学を追い求めた生涯

■サルバドール・ダリ,世界が愛した芸術家ダリの超現実的な人生 ■監督:A・ロウ ■美術学校でのG・ロルカとL・ブニュエルの出会いがダリにとっては最初のインパクトだったでしょう。 パリでのシュールレアリスム活動中にA・ブルトンと仲違いするが、この時のレーニン批判などたいしたことではない。 これは時代の趨勢ですかね。 そしてダリにとって決定的パートナーでありミューズとなるガラとの出会い。 この二つが彼の人生の分岐点です。 ダリは王政主義かつ無政府主義者で神の存在は認めるが信仰心はない。 カトリック教徒だがミサには行かない、でも死の恐怖は人一倍ある・・。 人生後半は成金趣味のような行動を取りますが彼自身は極めて真面目です。 彼の真摯な思想解釈が物質的で深淵のある、そして郷愁を漂わせる風景として作品群に現れています。 1987年作品。 ■ダリ,科学を追い求めた生涯 ■監督:S・マイケル ■ダリは科学と芸術の融合を考えていたらしい。 初めて知りました。 物理系のアインシュタインやシュレディンガから精神系のフロイトに移ったのも偏執狂的批判的方法を展開させる為でしょう。 数学者R・トム、生物学者J・ワトソンへの接近も始原と形態の興味から来たものです。 疑似科学と言えばそれまでですが、これを乗り越える超現実的才能を彼は持っていた。 2004年作品。

■風景画の誕生-ウィーン美術史美術館所蔵-

■Bnkamura・ザミュージアム,2015.9.9-12.7 ■温泉に入った気分と同じね。 「ああーいい湯だ!」の湯が風景に変わるだけ。 これが「風景画」なの。 頭を空っぽにしてね。 意味を求めない。 聖書・神話・月歴画は風景というより背景だわ。 山々の雪や木々の実、牛や羊の姿形、人々の表情や服装を次々と分節化してしまう。 カトリックからプロテスタントに替わった時に風景画が新たな段階に入ったと書いてあったけど、キリスト教徒は17世紀オランダ画家が描いた「風景画」をどのように見ているのかしら? ところでL・バッサーノの月歴画「1月」と「11月」に描かれている猫は同じ猫よね。 うふふ。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_wien/index.html ■万華鏡展-無限に変幻する光の夢想空間- ■そこのあなた! くるくる回していると切りがないわよ。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/150917mangekyo.html ■秋山秀馬展-漂流- ■なぜかインディアンを思い出してしまった。 このような印を見たことがある。 でもどこか違う感じもする。 一言多いのね。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/box_150917akiyama.html

■鈴木理策写真展-意識の流れ-

■オペラシティアートギャラリ,2015.7.18-9.23 ■「海と山のあいだ」。 波を見ているとあの潮光と潮風と共に太古へ遡ることができます。 「カメラは身体の外に知覚を成立させる驚くべき装置」が納得できました。 「水鏡」。 床ヴィデオはまるで小さな池を覗き込んでいるようです。 知覚を成立させることから熟成させる装置に進化しているようにみえました。 「White」。 焦点が移動していくヴィデオ作品をみて「白い印画紙、白の雪のイメージ、その境界線は私たちの側にある」ことに再び頷いてしまいました。 ところで雪の色を出すのは難しいのですか? 「SAKURA」。 桜はいつも焦点が揺れ動きます。 花びらが小さくて沢山あるからでしょう。 「人は写されたイメージに意味を見出そうとする。 だが意味は生まれる以前の状態で見ることを示したい」。 意味を見出すのは作者の存在を意識した時が多いですね。 *チラシ、 https://www.operacity.jp/ag/exh178/ ■水につながる-寺田コレクション水彩画- *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh179.php ■西村有 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh180.php

■最後の印象派1900-20’sParis、もうひとつの輝き

■損保ジャパン日本興亜美術館,2015.9.5-11.8 ■ソシエテ・ヌーヴェルのメンバー約20名の、名前は聞いたことが有るようで無いような、作品も見たことが有るようで無いようなという展示会である。 野獣・立体・表現・未来・構成・ダダの中でどっこい生きていたという感じかな。 でも20世紀初頭の一般美術愛好家には支持されていたのがわかる。 それは多くの作品が豊かな静けさを持っているからである。 特に第1章「エコール・デ・ボザールの仲間たち」の3人はそれが強い。 副題の「もうひとつの輝き」とはこの豊かさを指しているのだろう。 *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/current/3214.html

■ヘンリー・ゲルツァーラ、ポップ・アートに愛された男

■監督:P・ローゼン(アメリカ,2006年作品) ■50年代の抽象表現主義から60年代ポップ・アートの時代変化にヘンリーは上手に乗れましたね。 多くの画家と深い付き合いをしていたからでしょう。 現代美術が認知されない時期ですから彼は辛抱強い努力家と言えます。 しかも自分の世界に閉じこもりがちのアーティストが相手ですから尚更ですね。 ニューヨークでのオープニングはほとんど出席していたようです。 ヘンリーはポップ・アート系の鋭い目を持っていました。 その作品は心に響くかどうか? ウォホールがキーマンだと見抜いたのもこの目の良さでしょう。 メトロポリタン美術館で開催した「ヘンリーの展覧会」は独自の平等主義が貫かれています。 彼はキュレータという職業ですが博物館からの解放を行動力によって成し遂げた人に見えました。 ところでマーク・ロスコが登場するシス・カンパニー「レッド」のチケットが満席で取れなかったのは残念です。 *Filmarksサイト、 https://filmarks.com/movies/57431

■イン&アウト・オブ・ファッション

■監督:W・クライン ■(フランス,1993年作) ■ウィリアム・クラインは「ベトナムから遠く離れて」しか見ていません。 今回の作品はクラインの自伝映画と言えるものです。 前作の「ポリー・マグーお前は誰だ」「ミスターフリーダム」「モデルカップル」「モード・イン・フランス」や写真集,CMフィルムの一部を取り込んで構成されています。 内容は1960年から80年代の巴里フッション界を政治や社会動向に絡め描いている。 1993年の作品ですが、コラージュ技法や派手な色彩で70年代のゴダールをソフトにしたような出来栄えになっています。 *Filmarksサイト、 https://filmarks.com/movies/32622

■ノーマン・ロックウェル-アメリカの肖像-

■監督:M・セトロウ ■ロックウェルは作品の素材や人物を集めて構成・演出しそれをキャンバスに描きとめる。 1937年頃からは写真も使ったそうです。 画家というよりイラストレーターでしょう。 1894年生まれの彼は「金ぴか時代」を引きずった人にみえます。 米国人が言う「幼少期を思い出させてくれる画家」の一人ですね。 1987年作品。 * 2010年「ノーマン・ロックウェル展」

■明治有田、超絶の美-万国博覧会の時代-

■そごう美術館,2015.9.15-10.4 ■明治時代に有田焼が息を吹きかえした一因は万国博覧会があったからよ。 ウィーン(1873年)、フィラデルフィア(76年)、パリ(78年)、バルセロナ(88年)、パリ(89年)、シカゴ(93年)、パリ(1900年)、セントルイス(04年)と30年で8回も万博が開催されているの。 大きいけれど精緻な作品が多い。 万博の好評と輸出の好調で「・・陶工たちの興奮状態から生まれた」と書いてある。 やはりハイな状態で作るとどこか異様な感じもするわね。 絵柄や意匠も多彩だし万国博客の混乱の中に喜んだ顔が見えるようだわ。 花瓶などの装飾品から食器など日常品への変化や、陶磁会社の経営失敗から20世紀初頭は既に下り坂。 藩や皇室への提供も含め普通に戻った感じがする。 200点もの作品と「香蘭社」「青磁会社」「深川青磁」の人と組織を絡めての世紀末日本陶磁史を鮮やかに切り取った展示だった。 *館サイト、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/15/arita/index.html

■エドヴァルド・ムンク-生命のダンス-

■監督:セルヴィ・A・リンドセット(ノルウェー,1997年作品) ■好き嫌いや上手い下手で見たことがない。 それがムンクの絵です。 女性週刊誌の記事を昇華させ絵にしたように思えるからです。 絵を見るというより覗くようにです。 人間を覗くのです。 ムンクの履歴書を映像にした作品です。 両親・兄弟・親戚・恋人・友人らが写真で登場しますが同時に彼の日記が読まれ関連する絵が解説されます。 この三つを重ね合わせるとムンクが生き返える・・。  彼は3人目の恋人を前に「絵か結婚か」で悩んでいます。 選択の人生を苦痛に感じた人だったのですね。 晩年はこれから逃げてしまった。 両親との距離の取り方に失敗したこともあるのでしょう。 死後に寄贈した絵画が1、100点、版画18、000点も結構な数です。 *YouTubeサイト、 https://www.youtube.com/watch?v=i5lrnTmXe3w

■フィールドオフィス・アーキテクツ展

■ギャラリー間,2015.7.10-9.12 ■題名は黄聲遠(ホァン・シェン・ユェン)らが中心となっているアトリエ名なの。 作品は宜蘭(イーラン)という直径15kmの台湾地方都市に点在している。 というよりその地域全体を作品として考えているようね。 地域とその生活の中に建築を見出していく。 「建築は完成して終わるものではない、使用されはじめた後も設計行為は続く・・」。 20年も続いている理由だわ。 彼は作品主義に疑問をもっているのよ。 会場の小さなビデオテレビを見ると子供たちの活き活きしている映像が多い。 遊び場が多い。 そして泳げる場所が多いことは水との関係が上手くいっているのね。 「公共スペースは多様さ・複雑さをそのまま包みこむ・・」。 雨の多い台湾だから天蓋(キャノピー)も考えて作られている。 「公共建築は人を見下すようなものではいけない。 環境に対し余計な負担をかけない・・」。 このように素人にも分かりやすい思想で展開しているのは珍しい。 ゆっくりと時間がすすむ場所は余裕が生まれるからよ。 そしてこの集団の覚え書きの始めの言葉は、「ユーモアを忘れない」。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex150710/index.htm

■モディリアーニ-真実の愛-

■監督:M.デイヴィス,出演:A.ガルシア,E.ジルベルスタイン ■20世紀初頭のアメリカ映画をみているようだ。 派手な銃撃戦もある。 ピカソがアル・カポネでモディリアーニがFBIエリオット・ネスと言ったところか。 パリの匂いがしない。 副題はモディリアーニの恋人ジャンヌ・エビュテルヌの科白に出てくる。 彼女はモディリアーニ35歳の死の二日後に自殺している。 ジャンヌとの同棲は貧困と彼の結核・飲酒・麻薬で乱れている。 彼は他人に対してピエロであり自身に対してニヒリストにみえる。 しかし当時の画家が勢揃いするのは気持ちが良い。 ルノワール、ピカソ、キスリング、スーチン、ドラン、ユトリロそしてJ・コクト、M・ジャコブ・・。 そして彼らの着物パーティやモディリアーニが幻想としてみるパレードの場面は美しい。 2005年作品。 *作品サイト、 http://www.albatros-film.com/movie/modi-movie/

■画鬼暁斎-幕末明治のスター絵師と弟子コンドル-

■三菱一号館美術館,2015.6.27-9.6 ■暁斎の凄さがズズズッと押し寄せてくる展示構成になっている。 一日に200枚も描いていたようだ。 墨のキザキザの動きはもはや文字とみてよい。 小説家になった気分で、文章を書く気分で彼は描いていたのではないだろうか? 小説家が一日200枚書くようなものである。 10点近くのメトロポリタン美術館蔵の作品も楽しむことができた。 それにしてもこんなに太った鯉は見たことがない。 コンドルもそれを真似ているから笑ってしまう。  暁斎は近代に生まれた現代日本マンガ界の先駆者だというのが観終わっての印象である。 *館資料、 http://mimt.jp/exhibition/pdf/outline_kyosai.pdf

■東京オリンピック「エンブレム」と「新国立競技場」

■エンブレム採用中止ニュース(9月1日付)を聞いてホッとしました。 というのはこの作品はいただけません。 五輪背後にいる国家に雁字搦めにされてしまった貧弱なデザインです。 これを撥ねつける芸術的パワーもみえません。 「 ザハ・ハディド 」案の新国立競技場と似ているところがあります。 両者とも生き物としての人間の匂いが想像できない。 オリンピックなのに心身に躍動感がやって来ません。 競技場原案は未来に進むスピード感が救いでしたが修正案は酷すぎる。 お祭りですから特にエンブレムはウキウキするようなデザインにして欲しいですね。 *エンブレムイメージ、 http://www.art-annual.jp/wp/wp-content/uploads/2015/07/110.jpg

■アンディ・ウォーホール-生と死-

■監督:J=M・ヴェチエ、出演:K・ラガーフェルド、J・メカスほか ■ウォーホルが作ったスタジオ=ファクトリーを中心に話が進む。 彼はここで仕事中毒のように働く。 歩くアートでありセールスである。 しかし組織のアート・ワーカーに対しては寛容だったらしい。 この寛容さはどこから来るのだろう。 母親から受け継いだのか? それとも宗教からくる信仰心なのか? そして組織の秩序と混沌の混乱にも悩んでいたはずである。 この混乱を乗り越える処方としてアートへの多様性の容認である。 彼は今でいうダイバーシティ・マネージメントを実践していた。 彼は多くの人に愛され多くの人から嫌われていたからである。 2005年作品。 *「アンディ・ウォーホル展」は、 http://ngswty.blogspot.jp/2014/02/blog-post_8.html

■アルベルト・ジャコメッティ-本質を見つめる芸術家-

■監督:H・バトラ,出演:H・C=ブレッソン,バルテュスほか ■(スイス,2005年作品) ■ジャコメッティが上着で頭を隠して雨の中を歩いているブレッソンの写真で幕が開き、この写真で幕が閉じる。 親族や友人・同僚などのインタビューと彼の著書「エクリ」(?)の朗読で構成されている。 彼は言う、「生者と死者の違いは視線があるかないかだけである」「目をやってしまえばあとはなんとかなる」。 バルテュスやジャン・ジュネがジャコメッティを語る、「彼はどこでもデッサンをしていた」「彼は紙が無くても指が机の上を動いていた」。 アンドレ・ブルトンは言う、「頭部が何であるか知っている」。 ジャコメティはこの言葉を聞いてブルトンと絶交しシュルレアリズムから離れていったようだ。 彼はよく笑いユーモアが有り情熱と好奇心の塊のような人であったらしい。 *FILMARKSサイト、 https://filmarks.com/movies/61825 *動画サイト、 https://www.youtube.com/watch?v=-N9zTu5NqGY

■マティスとピカソ-二人の芸術家の対話-

■監督:F・コーリ,出演:F・ジロー,クロード・ピカソ他 ■フランソワーズ・ジローやクロード・ピカソがインタヴィューに応じている。 マティスとピカソを比較しながら進めていく内容である。  マティス⇔ピカソ で列記すると・・ 旅をする⇔旅はしない、モデルを使う⇔モデルは使わない、オブジェは存在する⇔オブジェは存在しない、消してから描く⇔塗り重ねる、戦争中でも明るい作品を⇔戦争中は暗い作品に、太陽の光を⇔ロウソクの光でも、宗教へ⇔共産党へ、女性はパートナー的存在⇔女性は結婚対称、大人から子供へ⇔子供から大人へ・・・。 このような比較だったとおもう。 映像を重ねることによって違いが肉付けされていく。 二人は互恵関係として長く付き合っていたことがわかる。 2002年作品。

■ターナー、光に愛を求めて

■監督:M・リー,出演:T・スポール ■川崎アートセンター,2015.8.22-9.11(2014年作品) ■主人公が画家だと制約が多くて大変ですね。 冒険もできない。 音楽家なら主人公の作品を時間軸に展開でき映画との相性も良い。  と言うことでターナーの人間関係を描くだけになってしまった。 絵画論はJ・ラスキンが吠えてはいますが嚙み付くまでには至らない。 王室や劇場での酷評、色彩実験やマスト縛りも風景に溶け込んでしまいストーリーを動かせません。  彼の生きた時代の雰囲気を掴めれば良しとする作品です。 ところで家政婦との関係を未決のまま終わらせてしまいましたね。 これは史実に沿ったと言いたいのでしょうか? ターナー役はティモシ・スポール。 裏を見せないロボットのような感じがします。 グローバル時代の演技らしい、どの国へ作品を持って行っても批判を受け難いターナー像を演じています。 これでカンヌ最優秀男優賞を受賞できたのでしょう。 *作品サイト、 http://www.cetera.co.jp/turner/

■ヒエロニムス・ボスとコンゴ、ボスを讃えて

■ルイ・ヴィトン東京,2015.7.9-9.23 ■ヤン・ファーブルの展示されている14作品はなんと玉虫の鞘羽をギッシリと敷き詰めてあるの。 緑色に光輝く玉虫絨毯のようだわ。 日本なら螺鈿の貝殻のような位置づけかしら。 もちろん貝殻のサッパリ感は無い。 言葉に詰まり息が詰まるドギツサのある美しさね。 20世紀前半、アフリカのコンゴはベルギーの植民地だった。 この玉虫作品は植民地政策の批判が込められているらしい。 会場で「ヘヴン・オブ・ディライト」を上映していたけど40分もあって見なかったの。 この映像に批判の説明が入っていたのかもしれない。 「ファーブル博士があなたを癒します」を先日観たけど、主演のファーブルは昆虫人間になって登場する映画なの。 カフカの「変身」にカラフルな色彩を与えたような作品だったわ。 たぶん彼の昆虫感は貴金属と同じ位置づけなのよ。 これなら植民地とも容易に繋がるでしょ? *館サイト、 http://www.espacelouisvuittontokyo.com/ja/past/tribute/detail

■ディン・Q・レ展-明日への記憶-

■森美術館,2015.7.25-10.12 ■ハノイの飛行場でタクシーの老運転手にサイゴンを観光してきたと言ったら酷く怒られたことを思い出してしまった。 「サイゴンではなくホーチミンシティだ!」と。 昔のことですが。 第二次世界大戦後のベトナムの記憶をアートで再現したような会場です。 インスタレーションの粗い作品が多い。 あの戦争を描かざるを得ないからでしょう。 「インドシナ戦争」「ベトナム戦争」「カンボジア・中越戦争」。 もちろん作者の記憶にある「ベトナム戦争」に収れんしていきます。 その中で「フォト・ウィービング」は歴史が滲むように堆積しているのを感じます。 彼の唯一のアートらしい作品群です。 そしてヘリコプターはベトナム戦争の象徴ですね。 映像作品「農民とヘリコプター」の老婆の話を聞いて、グェン・ホン・セン監督「無人の野」が過ってしまった。 「南シナ海ピシュクン」は何回か見ていますがヘリコプターが海に落ちる驚きの意味を今回初めて知りました。 アメリカ人とベトナム人の犠牲者を比較する「戦争のポスター」ではイラク戦争帰還自衛隊員の自殺が異常に多い記事を思い出してしまった。 いつの時代でも自国の犠牲者しか頭にない。 アジアで初めての展示会のようです。 ひさしぶりにベトナム戦争を考えてしまいました。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/dinh_q_le/index.html

■消えたフェルメールを探して-絵画探偵ハロルド・スミス-

■監督:R.ドレイファス ■(アメリカ,2005年作品) ■25年を経た今も「合奏」は見つかっていないらしい。 しかしオモシロイ映画だ。 絵画探偵ハロルド・スミスが案内役だが皮膚がんで顔がボロボロである。 ホラー映画をみているようだ。 「・・喋っていたら鼻がポロリと落ちてしまった」など笑いながら話しているところが凄い。 それとイザベラ・ガードナーと美術史家ベレンソンとの美術品購入時の手紙の遣り取りを背景で朗読するのだが、これがとても効いている。 ガードナー美術館の生い立ちが見えてくる。 事件は政治色を帯びていくのだが、有名絵画を盗むメリットは少なく且つ特殊である。 「合奏」が出てくるとしたら利害関係者の多くが亡くなってからだろう。 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/53832/

■ドローイング・ザ・ライン

■監督:E・オーバート,出演:K・ヘリング,D・ホッパ ■キース・ヘリングの紹介映画である。 彼の作品をみると書道を思い出してしまう。 言語的だからである。 ユーモアのある太い線の単純な構図は一度見ると忘れない。 彼がSVAで記号論をかじったのも影響しているのだろう。 60年後半のアウトサイダーを80年代に繋げた一人にみえる。 美術館には向かわない。 しかも彼の作品は異社会に溶け込める力を持っている。 上演時間が30分だったが楽しめた。 *Filmarks、 https://filmarks.com/movies/55769

■陸軍登戸研究所

■監督:楠山忠之 ■ユーロスペース,2015.8.8-14 ■関係者のインタビューで構成されているの。 登場者の多くは工員や女学生のように周辺にいた人達だから3時間もの長さになってしまった。 でも、この冗長ある話を積み重ねていくと戦争の核心に迫っていける。 主に風船爆弾と偽札を話題にした内容よ。 前者の和紙や蒟蒻糊を材料として女学生が製造し千葉の海岸で米国本土へ飛ばす話が聞けたのは貴重だわ。 そして何故偽札を作るのか? 敵国の経済攪乱が目的だけど、日本軍の特長は前線兵士への物資供給ルートを持っていないの。 つまり兵士が戦地で必要物資や食料を購入するための偽札だったのね。 そして南方、中国での「杉工作」や「松機関」、「南京1644部隊」や「中野学校」の話はゾクゾクする。 敗戦が濃くなると水浄化装置を作り皇室や軍隊上層部だけをかくまって米軍を細菌兵器で迎え撃つ計画もあったようね。 米軍もろとも日本国民も犠牲にして国家を存続させるのが戦争末期の実態だった。 5年前に「 資料館 」へ行ったけど、今回やっと時代との位置付けが見えてきた。 2014年作品。 *作品サイト、 http://www.rikugun-noborito.com/

■百日紅-Miss HOKUSAI-

■原作:杉浦日向子,監督:原恵一 ■シネリーブル池袋,2015.7.25- ■葛飾北斎の娘お栄が主人公である。 杉浦日向子は読んだことがない。 この作品は科白の面白さにある。 親子の核心を突いた淡泊な台詞が江戸の町並みに響いている。 お栄の人生を江戸末期の風景として描いた作品である。 その空は百日紅の色に染められていて美しい。  心=脳で見たことも真であると言っている親子である。 目で見たことと心で見たことの一致を描くのが絵画であり、近代以前の豊かさの根源もそこにある。 しかも絵師の裏世界にいる盲目の妹猶を登場させ音の世界を同列にして物語を完結させている。 橋は五感世界が交差する場所でもある。 お栄の人生に悲壮感が無いのは彼女の性格も一因だが、近世世界の豊かさを彼女が享受していたからだろう。 なかなか面白かった。 2014年作品。 *作品サイト、 http://sarusuberi-movie.com/index.html

■隣の部屋-アーティスト・ファイル2015、日本と韓国の作家たち-

■国立新美術館,2015.7.29-10.12 ■イム・フンスン「済州島の祈り人」「次の人生」は四・三事件を取り上げていて目が釘付けになりました。 映像技術・技能の進歩も取り込んでいて安定感があります。 小林耕平の言語系との関係を論じた作品は夏休み向けで楽しかった。 他に気に入ったのは横溝静の映像、イ・ソンミのガラス陶器。 作家12名の展示会です。 生まれた年は平均すると1976年でした。 そろそろ脂が乗ってくる歳ですかね。 このためか作品も美術系の周辺を狙ってタダでは起きないものばかりです。 意味を問うのが多いように感じました。 これはチョット・・というのも何点かありましたが。 でも日本と韓国の関連が見えません。 イ・ウォノ「浮不動産」はホームレスからダンボールを買う作品ですがハングル語と日本語の差しかない。 ホームレスも先進国を覆い尽くしています。 衣装や意匠や言語では見分けられますが関係性まで繋がらない。 キ・スルギの写真処理も日本の作家と同じ方向を目指しています。 作家達は日本と韓国の関係など関心が無いとおもいます。 彼らはその先を見据えているはずです。 その先で出会えればよいのですから。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2015/af2015/index.html

■フリーダ・カーロの遺品-石内都、織るように-

■監督:小谷忠典,出演:石内都 ■イメージフォーラム,2015.8.8-(2015年作品) ■石内都がフリーダ・カーロの遺品を写真に撮っているのを小谷忠典が映画に撮る一種の劇中劇なの。 最初、石内は彼女に興味がなかったけど少しずつでてきた。 彼女の作品には女の血肉が滲み出ているからよ。 それと身に着けているものにメキシコへの深い匂いがあるからだとおもう。 この二つが混じり合ってあのフリーダ・カーロが出現するのね。 石内は「ひろしま」の続編として捉えていたのかしら? 「ひろしま」の学生服やモンペや水筒などはすべて「知っているモノ」だった。 だから石内も観客も「ひろしま」に近づけたの。 でも今回はだめ。 彼女の衣装は石内を寄せ付けない。 遠回りするしかない。 刺繍家が何人も登場する理由ね。 結局メキシコ文化の紹介のような場面が多くなってしまった。 でもこれで余裕ができたみたい。 祭りもあって「人生万歳」に近づけた感じね。 石内は途中で「衣装の全体像を撮りたい」と言いだす始末なの。 「ひろしま」と違って対象の部分撮影だけではフリーダの心に辿りつけないからよ。 でもパリ展示会の観客たちは称賛していたから上手くいったみたい。 日本では開催されたのかしら? みてみたいわ。 * 「フリーダ」(2015.6.4ブログ) *作品サイト、 http://legacy-frida.info/

■異端の作曲家、エリック・サティとその時代展

■Bnkamura・ザミュージアム,2015.7.8-8.30 ■ http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_satie/ ■サティは、音楽院入学→軍隊入隊除隊→キャバレ常連客→影絵芝居伴奏者→薔薇十字会聖歌隊長→キャバレ歌手作曲家→音楽学校再入学卒業をしている。 ここまでのサティと直接関係ある展示作品で知っている作者はユトリロ(*1)ただ一人である。  やっと1910年代になってからピカソ、コクトー、ブラック、ブランクーシ、ピカビア、レイ、ドランなどダダ系芸術家と接している。 しかも第一次世界大戦と重なるので彼の最後の数年間がタイトルの「その時代」なのだろう。 彼はベルエポックの成果物を持っていたから「この時代」に出会えたと思う。 サティのCDは何枚か持っている。 読書やパソコン操作時にかけているが飽きがこない。 教会旋法と現代調性を分解し再び混ぜ合わせたようで肉体を離れたパラパラ感があり耳の通過に負荷がかからないからである。 映像「パラード」のアクロバット再演は抜粋だったが初めて観たような気がする。 展示と映像の「スポーツと気晴らし」ではあの独特な楽譜が楽しい。 これからもサティは身近に居る一人だろう。 *1. http://ngswty.blogspot.jp/2015/04/blog-post_23.html

■セバスチャン・サルガド-地球へのラブレタ-

■監督:W・ヴェンダース,J・R・サルガド ■Bunkamura・ルシネマ,2015.8.1- ■ http://salgado-movie.com/ ■何といっても「セラ・ペラダ金鉱」(1986年)で幕を開けなければ話にならない。 この作品を初めて見た時の衝撃は忘れない。 世界で一番の物質は<金>だということをまざまざと教えてくれる。 そして経済が「金鉱」を含め全ての作品に通底していたことを今回知った。 彼は経済学を齧り、その目でファインダを覗いていたのだ。 ヴェンダースのいつもと違うリズムがこの作品にはある。 サルガドが家族を中心に人生観世界観を絡め饒舌に語る為かもしれない。 妻レリアの存在も大きい。 「ジェネシス」(2013年)を終幕に持ってきたことで作品に安堵と輝きをもたらしている。 人間の欲望や憎しみ悲しみの目を多く撮って来たからだ。 地球へのオマージュである。 2014年作品。

■金山康喜のパリ-1950年代の日本人画家-

■世田谷美術館、2015.7.18-9.6 ■ http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html ■金山康喜が33才で急逝したことは会場で知りました。 すべてが途中で終わってしまったことが場内に漂っています。 線も色も繊細ですね。 1954年前後は色の濁っている作品が多い。 作品は体調のバロメータのようにみえます。 青が多いのは新鮮な空気を求めた結果でしょうか? 「静物N、コーヒミルと手袋のある静物」、「静物J、ヒラメと天秤のある静物」の青は「魔の山」のサナトリウムの空を思い出させます。 1950年代のパリ日本人画家の一覧表が貼ってありました。 リアルタイムな展示会や本に接することができた画家や評論家がいるので身近に感じます。 後半はこの11名の作品が展示されています。 もはやパリが一番から落ちていくのが見て取れます。 というのは彼らの悩みがパリでは解決できないようにみえるからです。 「パリの日本人画家」と言われるのも1950年代が最後だったのですね。

■蔡國強展、帰去来

■横浜美術館、2015.7.11-10.18 ■ http://yokohama.art.museum/special/2015/caiguoqiang/ ■火薬を使うと偶然性以上のものが迫ってくる。 必然から生まれたのではなく、すべてを御破算にしてやってくるようだ。 「人生四季・春」の花札の新鮮さもそこから来ている。 纏わりついた意味を無色にしてくれる。 火薬はグローバルとは何かを問うた時の一つの答えだろう。 一瞬で垣根を取り払うからである。 ところで彼を知ったのは火薬ではなく縫いぐるみだ。 でも「壁撞き」のこれだけの数の狼は初めてである。 ビデオ「巻戻」では彼が生まれた1960年頃の泉州の1枚の写真が印象に残る。 遠くの塔や家並みだけの写真だが中国のその時代を想像できた。 この風景が彼の心にしまってある宝物にみえた。 大型作品8点とビデオ5点は蒸し暑さを感じさせない。 夏に相応しい展示である。 蔡國強もモヒカン刈りで涼しそうだった。 コレクション展2015年第2期として下記3展も開催中。 ■戦後70年記念特別展示、戦争と美術 ■岡倉天心と日本美術院の作家たち ■ポール・ジャクレーと新版画 ■ http://yokohama.art.museum/exhibition/index/20150711-455.html

■村野藤吾の建築-模型が語る豊饒な世界-

■目黒区美術館、2015.7.11-9.13 ■ http://mmat.jp/exhibition/archives/ex150711 ■模型で一杯ね。 80点はあるかしら? それも精巧で良く出来ている。 村野藤吾の作品は良く知らないの。 「日生劇場」くらいね。 会場をみて理由がわかった。 関西地区に集中しているからよ。 彼の作品は町で見かけてもわからないとおもう。 際立った特徴がないから。 窓枠くらいかな? その場所に溶け込む感じね。 臨機応変というのかしら。 でも美術館は規模が小さいけれど個性的な作品が多い。 「小山敬三美術館」「原村歴史民俗資料館」「谷村美術館」。 あと大学では「日本ルーテル神学大学」。 心が休まる感じよ。 多分彼の作品は建物の中を歩いてみないとわからないかもしれない。 でも模型だからそこがわからないのよ。 特に住宅はね。 写真も少なかったし。 もう一歩が踏み込めない感じね。 副題の通りの展示会だったわ。

■着想のマエストロ乾山見参!

■サントリー美術館、2015.5.27-7.20 ■ http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_3/ ■乾山が光琳の弟だとは知りませんでした。 どちらも隠者のようですが、弟は今で言えば金持ニートの文化オタクですかね? ある意味最強です。 作品を見ても当時のハイレベルな中国文化の匂いや生活の質の良さは感じられます。 しかし決定的な何かを持っていません。 彼は現実との接点がわからない人だとおもいます。 これで芸術的感動がやって来ない。 蓋物の外と内を変えただけで凄いとは思いません。 異世界が出現するかどうかはベツモノです。 彼の懐石具は料理を迷わせてしまうでしょう。 しかし「着想のマエストロ」に誤りはありません。 彼はある意味最強ですから。

■世界報道写真展2015-見える現実、知られざる真実-

■東京芸術劇場・ギャラリ-1,2015.6.27-8.9 ■劇場の5階にギャラリーがあることを初めて知った。 客が少ないのは皆知らないからだろう。 この写真展は持っていた情報をご破算にして新鮮な目で事件を再度考えさせてくれる。 ウクライナやシエラレオネは今や新聞にほとんど載らない。 ちょうど1年前の7月17日に発生したマレーシア航空17便撃墜時に空から降って来た乗客の死体をみていると何も解明されていないことを知る。 そしてエボラ出血熱で気が狂った感染者の姿に現地の混乱が迫ってくる。 すべてが解決しないで地層のように堆積していくだけだ。 それが名前を変え溶岩のように再び地表に現れたものを毎年この写真展でみることになる。 先日、地球上6回目の生物大量絶滅期に突入したというニュースを見た。 人間に育てられた犀に触れる若者の作品があったが、ケニアの人々は野生動物を見たことがないらしい。 これは驚きだ。 生物大量絶滅期が来てしまったことを感じさせる展示会でもあった。 * 「世界報道写真展2014」 *館サイト、 https://www.geigeki.jp/performance/event100/

■動きのカガク展-菱川勢一ディレクション-

■2121デザインサイト,2015.6.19-9.27 ■作品構想の多くは過去にどこかでみています。 しかも構造が見え完成の形にまで整っていない。 「図工室に遊びにきた感覚」とチラシにあったので多分この為でしょう。 「自分にもできそう、自分もやってみよう」とディレクターも言っていますね。 ただしそこへ行くまでの過程をどうすればよいのかわからないのが現実でしょう。 画面上から情報を得て満足するのとは違った道を探して歩いていけるか? 作成過程を撮影したドキュメント映画を上演していました。 これを観ると多くは大学研究室などの組織や人との繋がりがキーとなりそうです。 現実世界で動きのある作品を作るには、まずは自分の肉体をいつもと違った動かし方をしていく必要がありそうです。*美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/motion_science/

■ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム展

■国立新美術館,2015.6.24-8.31 ■1989年以降の作品展というより作品タイトル展と言ったほうがよいかもしれません。  ゲームは体験できるのもあります。 全130作品中知っているのは25品(約20%)しかありませんでした。 でも働いている世代としては良いほうでしょう。 25年の期間はありますが、人生のある時期あるきっかけでのめり込むのがマンガ、アニメ、ゲームです。 もちろんマニアやその周辺人は違いますが。 会場は第8章に分類されていましたが、もっと突っ込んだ何かが欲しい。 体験してきた作品も納得する位置づけが出来ませんでした。 会場を出たらスッキリと全てを忘れてしまった。 作品群の目次と索引に目を通した感じですかね。 ところで1989年は手塚治虫が亡くなった年です。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2015/magj/index.html

■ボルドー展-美と陶酔の都へ-

■国立西洋美術館,2015.6.23-9.23 ■展示名を聞いた時は、そんな画家がいただろうか? チラシをみた時はワインの展示会か! 行ってみたらボルドー地方の歴史展のような内容だった。 2万5千年前から始まるから驚く。 ラスコー洞窟壁画やクロマニョン人の発見されたヴェゼール渓谷がボルドー地方だということを忘れていた。 古代はローマ領になり、中世では英国領そして百年戦争へと続く。 近世はモンテーニュくらいか。 ボルドーが繁栄を極めたのは18世紀、最後にナポレオンとフランス革命を経て19世紀になる。 ボルドーと言ってもヨーロッパの歴史を広げているようだ。 しかし何といっても植民地との中継港として繁栄した月の港ボルドーだろう。 家具や食器類も素晴らしい。 画家ではボルドーに亡命したゴヤ、どういうわけかドラクロア、ボルドー生まれのルドン、ルドンの版画師匠R・ブレダンの作品が記憶に残る。 ボルドーに貢献した人々の肖像画も多い。 終章では有名ワインのエチケットが陳列されていたが、5大シャトーの味を確かめないでボルドー展に行ってきたとは言い難いところもある。 *主催者サイト、 http://www.tbs.co.jp/bordeaux2015/tokyo/

■ヘレン・シャルフベック、魂のまなざし

■東京芸術大学大学美術館,2015.6.2-7.2 ■ヘレン・シャルフベックの伝記を読んだような観後感がある。 ページを捲るように作品を観てしまった。 子供時代の事故や中年での失恋、生涯独身のような人生経験は特別とは言えないが、現代人が持っている心身の生きる不安を先取りしている。 その諦念を持ちながら生きる喜びもみえる。 これらを率直に作品に表現していて清々しさがある。 年老いてからの自画像は圧巻である。 なぜこのように彼女は歩めたのか? 彼女の喜怒哀楽には宗教性が感じられないからだ。 多分一つ一つの人生経験を手作業で噛みしめることができる良き時代を生きたからである。 *館サイト、 http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2015/helen/helen_ja.htm

■レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展-日本初公開「ダヴォラ・ドーリア」の謎-

■東京富士美術館,2015.5.26-8.9 ■「ダヴォラ・ドーリア」は一つの出発点です。 そこから「アンギアーリの戦い」の周辺作品や資料へと広がり充実した展示になっています。 「タヴォラ・ドーリア」の立体復元彫刻は不可解だった構造を納得させてくれました。 4頭の馬の動きや尻尾に渦巻き構造が見られるのも驚きです。 迫真の源が理解できました。 でもシニョリーア宮殿に飾られる「アンギアーリの戦い」の全体像が語られていなかったのは残念です(見過ごした?)。 レオナルドの数枚の素描を張り合わせたものがあるだけでした。 ミケランジェロの「カッシナの戦い」も同じです。 アリストーティレ・ダ・サンガッロの模写絵がそのまま全体図だったのでしょうか? 「アンギアーリの戦い」での実際の戦死者は落馬した一人だけだったようです。 しかしレオナルドは経験したすべての戦い場面の総決算として描こうとしたのですね。 彼の謎を十分堪能した展示会でした。 * 「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」(東京都美術館,2013年) *館サイト、 http://www.fujibi.or.jp/anghiari.html

■戦後日本住宅伝説-挑発する家・内省する家-

■八王子市夢美術館,2015.6.14-7.20 ■ http://www.yumebi.com/acv66.html ■建築家16人の個人住宅16作品を展示しています。 どれも建築分野では影響力があったものです。 これなら生活できるだろうと思える家は「私の家」(清家清)、「コアのあるH氏の住まい」(増沢洵)、「水無瀬の町家」(坂本一成)、「松川ボックス」(宮脇檀)の4点です。 他12作品はIF住んだとしたら生活が狂うと直観しました。 住めば都ですから実際住んでみないとわからないのですが・・。 「食う・寝る・排便することができればそれでよい」から「新しい思想を取りこむ」まで建築家たちも多様です。 観客から見ても好みが分かれると思います。 会場は写真・資料・図面・模型・ビデオで作品の全体像を組み立てています。 1作品10分の合計2時間半で1950年から70年の個人住宅史の概要を知ることができました。

■小林裕児-1967~2015変化する様式、変わらない人間へのまなざし-

■多摩美術大学美術館,2015.5.30-6.21 ■どこかで見ている作品だが小林裕児の名前は思い出せない。 1982年からテンペラを取り入れている。 先日観た川口起美雄の混合技法とは違うようだ。 素材質量の追及は無く乾いた感じである。 物語の断片として登場する人物も精神構造だけの描き方をしている。 会場は4室あるが別の作者のように画風が変わっていく。 副題の通りである。 変化できたのは良い意味での戦後から続くダラリとした時代の賜物であろう。 90年後半から演劇に興味を持ち始めたと書いてあった。 作品に欠けていた<身体>を発見したのかもしれない。 このためかスケルトンのような肉体は変わらないが、近作の人物像は生気が感じられる。 装丁も陳列されていたが肉付けをしない彼の作風は本の表紙に似合う。 *館サイト、 http://www.tamabi.ac.jp/museum/exhibition/150530.htm

■マスク展-フランス国立ケ・ブランリ美術館所蔵-

■東京都庭園美術館,2015.4.25-6.30 ■仮面とじっくり向かい合うことができました。 この館の狭い部屋は仮面の展示に合います。 なぜアジアの仮面は対話することができるのか? たぶん日常生活での微かな繋がりが見えるからでしょう。 しかしアフリカの仮面は直ぐにはできない。 抽象化も進んでいるからです。 神話と歴史、宗教や人類学などを動員する必要がある。 素直に見て楽しめる作品もありますがマスク展というのは難易度が高いと感じました。 ケ・ブランリ美術館は一度行ったことがあります。 衝撃的な館内は鮮やかに記憶しています。 実はこの雰囲気も一緒に持ってきているのでは? ワクワクしながら目黒に行ったのですが・・。 残念!、朝香宮邸の雰囲気からは逃げられない。 *館サイト、 http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/150425-0630_mask.html

■川口起美雄-絵画の錬金術師- ■美人画の100年-京都市美術館名品展-

■川口起美雄-絵画の錬金術師- ■平塚市美術館,2015.4.18-6.14 ■透明ある光沢がそのまま存在に繋がっている。 この何とも言えないマチエールがテンペラと油彩の混合技法なのか? 静寂なようで騒めいている。 人や動物を描いている作品はどうも落ち着かない。 何かが不足しているような感じも受ける。 紹介ビデオを見てこの理由がわかった。 塗りながら像が浮かんでくるのを待っているのだ。 「はじめに緑があった・・」。 模様から徐々に形にしていく。 「故郷を喪失したものたち」は模様である。 均一のためか感動も分散されてしまうようだ。 では動物や建物を描いた作品はどうか? 模様が成長した感じである。 縞馬や犀はそこに居るのだが、深い意味が立現れて来ない。 感動したいが、させてくれない。 *館サイト、 http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/20152001.htm ■美人画の100年-京都市美術館名品展- ■京都らしさがでていたのは4章「装いと表現のモダニズム」かな。 1930年代初め頃の作品だが女性たちが溌剌としている。 来るべき戦争を楽観していた時期にも重なる。 約50名の画家のうち土田麦僊、上村松園、前田青邨、橋本明治ぐらいしか名前を知らない。 ということで音声ガイドがとても役に立った。 塾も多く広がりと深さが有り、さすが京都だと感心した。 *館サイト、 http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/20152002.htm

■フリーダ

■監督:J・テイモア,出演:S・ハエック,Aモリーナ(2002年作品) ■2003年の文化村展示会「 フリーダ・カーロとその時代、メキシコの女性シュルレアリストたち 」で上映した作品らしい。 役者たちは美女美男、髪型や衣装も最高、家の壁紙や家具のグッとくる色や形、そして料理の盛付にいたるまで素晴らしい映像です。 それにしても肉体が壊れていく恐ろしさが見えない。 フリーダは鉄のコルセット姿で生と死の境界を行き来できる強さを持っています。 彼女らしい「メキシコ万歳」ですね。 でも眉毛の寄りはイモトアヤコを思い出してしまいました。 この連想は頂けません。 トロツキーを青い家に招いたこと、両性愛者だったことも初めて知りました。 精神も鋼鉄ですね。 *映画COMサイト、 http://eiga.com/movie/1064/

■シンプルなかたち展-美はどこからくるのか-  ■ふたつのアジア地図、小沢剛+下道基行  ■1960年代のアートとアジテーション、日本・韓国・台湾  ■ビル・ヴィオラ初期映像短編集

■シンプルなかたち展-美はどこからくるのか- ■森美術館,2015.4.25-7.5 ■ http://www.mori.art.museum/contents/simple_forms/index.html ■アニッシュ・カプーア「私が妊娠している時」(1992年作)が一番良かったかな。 球体の一部が壁から飛び出ているだけだが、異次元からやってきたようだ。 見ていると眩暈もしてくる。 次がマルク・クチュリエの「半月」(1990年作)。 円弧を利用した棚に光と影のコントラスが素晴らしい。 作家としてはジャン・アルプの自然のようで人工のような中途半端な彫刻群が気に入る。 以上がベスト3。 他にも良いのがあったが見たことのある作品は外した。 会場は空間が余っているせいかガランとしている。 作品もみすぼらしく感じてしまう。 リニューアルしたらしいが会場外の変更が多い。 52階にロッカーが増えたのは助かる。 ■ふたつのアジア地図,小沢剛+下道基行 ■ http://www.mori.art.museum/contents/mamproject/mamcollection/index.html ■アジアに散らばっている鳥居は太平洋戦争の遺物だが石でできているから残ったのかもしれない。 今になれば現代彫刻をみているような感じである。 しかし歴史を紐解けばズルズルとイロイロと出てくるのは確かである。 ■1960年代のアートとアジテーション,日本・韓国・台湾 ■ http://www.mori.art.museum/contents/mamproject/mamresearch/index.html ■これは面白い。 小野洋子(オノ・ヨーコ)の「カットピース」は初めてみる。 台湾の「劇場」「解放」も初めて知る。 多くの美術館は「ハイレッドセンター」くらいまでは展示するが「ゼロ次元」は外してしまう。 さすが森美術館。 日本・韓国・台湾を時間軸で並べ政治を芸術に取り込む陳列である。 これが時代を意識させ作品を躍動感あるものにしている。 ■ビル・ヴィオラ初期映像短編集 ■ http://www.mori.art.museum/contents/mamproject/mamscreen/index.html ■ビル・ビィオラを上映していたとは知らなかった

■だれも知らない建築のはなし-建築家に未来はあるか?-

■監督:石山友美,出演:磯崎新,安藤忠雄,伊藤豊雄,P・アイゼマン,C・ジェンクス,R・コールハース,中村敏男,二川由夫 ■イメージフォーラム,2015.5.23-(2015年作品) ■丹下健三が退場し磯崎新が活躍しだした70年代後半に始まり、ポストモダンとコミッショナープロジェクトを中心に論じ、バブルが弾けた90年代から現在迄をカバーしている建築家批評のドキュメンタリー作品よ。 「建築家に未来はあるか?」を中庸に考えているのは伊藤豊雄かな? 磯崎新は歳だし、安藤忠雄は現実と理想に差を感じるの。 それは新国立競技場問題をみてもわかる。 外国建築家はハッキリしてるわ。 「磯崎はリーダーだったが安藤や伊藤はそうとは言えない」(アイゼマン)。 「日本人建築家はコミュニケーション、ヴィジョンを持っていない」(ジェンクス、コールハース)。 磯崎はコミッショナーとしての評価が高かったようね。 中堅家たちは小住宅から始めて公共建築の下積みが無かったのでこう言われるのかしら? 「その建物は注意を引かない主張しない、ただ正しい時間に正しい光が差し込む美しさがある」(コールハース)。 でもこれこそリーダ不在、つまりアーキテクト不在の建築風景よ。 コンピュータの影響も大きいはず。 「建築家は将来テクノクラート、エンジニア、アーティストのどれかになるしかない」(磯崎)。 P・グリーナウェイ「建築家の腹」(1987年作)を思い出したの。 登場する建築家が署名の下に「アーキテクト」と書くんだけど、監督はこの文字を殊更強調するの。 当時は法定資格名を越えて「アーキテクト」という言葉には大きな力が宿っていたのね。 *作品サイト、 http://ia-document.com/

■ピカソと20世紀美術、富山県立近代美術館コレクションから

■東京ステーションギャラリ,2015.3.21-5.17 ■最終日にどうにか間に合った。 章ごとの解説と作品キャプションが上手く連係している。 現代美術史を復習している感じだ。 考えてみればキュビズムやダダなど用語を深く理解したことはなかった。 いい加減な鑑賞しかしてこなかった反省を促されているようだ。 ところでルオーの「ミセレーレ」(一部分)が目に留まった。 この作品は観たことがあるが白黒のルオーはなかなかいい。 実はルオーは苦手である。 こんかい彼の師匠がギュスターヴ・モローだと知って少し作品に近づけたような気がした。 モロー経由の宗教をルオーに見たからである。 北陸新幹線開業記念展らしい。 ・・北陸新幹線で富山まで行きたくなった。 しかし鑑賞のついでにちょっと行くにはやはり遠い。 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201503_PICASSO_and_20.html

■ルノワール-陽だまりの裸婦-

■監督:G・ブルドス,撮影:M・L・ピンビン,出演:M・ブーケ,C・テレ,V・ロティエ ■作品全体がルノワール絵画風に撮られています。 「 カラヴァジョ 」と同じです。 ルノワールの最晩年を描いているので場所はコート・ダジュールでしょう。 いいところですね。 撮影担当も張り切っているのがわかります。 モデルのアンドレと息子ジャンが主人公のようです。 アンドレのオッパイは素晴らしい。 父ルノワールも褒めていましたね。 途中アンドレがジャンに映画を作ろうと言います。 ここでジャンの映画を思い出してしまった。 彼の映画は何本か観ています。 「大いなる幻影」(1937年作)には衝撃を受けた記憶がある。 この作品は2回みました。 2度目に観た時これは最高の反戦映画だと確信したのを覚えています。 ということで父ルノワールが霞んでしまいましたね。 父役のM・ブーケはA・レネ監督「夜と霧」(1955年作)のナレータも務めています。 2012年作品。

■石田尚志、渦まく光  ■エロール・ル・カインの魔術展

■石田尚志,渦まく光 ■横浜美術館,2015.3.28-5.31 ■ http://yokohama.art.museum/special/2014/ishidatakashi/ ■石田尚志は音楽、身体、物質を絵画映像に取り込んでいく「越境のアーティスト」なのね? 漫画の手法を取り入れた「絵巻」を基本にして、音楽を重ねたり、彼自身のパフォーマンスや、椅子や机なども対象にしていく・・。 映像作品が30くらいあったかしら? 上演時間の多くは5分前後。 時間と労力をかけている手作りの面白さはある。 でもこの短い上演時間でも飽きてしまうの。 バッハの音楽を絵巻に重ねるのは20世紀前半の実験映画を見ているようだし、パフォーマンスもポロックを思い出しちゃった。 そして椅子や窓を使った室内作品は3D映像やプロジェクションマッピングをね。 「海の壁」(2007年作)が入口に展示されてあったけどこの時代は越境できていた。 その後は「海」を越えるモノを探せなかった。 身体やオブジェも試行中で映像との新しい関係は未決にみえる。 越境できていないから「再現」に留まり観ていても飽きてしまうのね。 映像=コンピュータの完全等号も迫る今、これからどうする? ■エロール・ル・カインの魔術展 ■そごう美術館,2015.4.25-5.17 ■ https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/15/errole/index.html ■帰りは横浜駅で寄り道。 1941年生まれのカインは15歳で映像作家になり27歳で絵本作家の肩書も得たらしい。 早熟ね。 会場は絵本や映像の原画が一杯。 童話数は50はあった。 物語ごとに粗筋と原画に数行の説明が付いているの。 数枚の絵をみて物語の流れを想像しなければいけない仕組みよ。 これが結構面白い。 多くは知らない童話だけど全作品を読んでしまったわ。

■ヴァン・ゴッホ-最期の70日-

■監督:M・ピアラ,出演:J・デュドロン ■(フランス,1991年作品) ■画家を主人公にした映画はつまらない。 当たり前ですが、画家とその作品を結び付けることはできない。 昨日観た「 カラヴァッジョ 」と同じです。 しかもヌーベルヴァーグ時代の駄作をみている感じです。 ゴッホに監督が縛られてしまったのかもしれません。 1890年、オヴェール時代のゴッホを描いています。 他画家ではセザンヌの言及が多い。 「オーヴェルの首吊りの家」は二度も話題に上ります。 それと水の描き方です。 「セザンヌの水は厚紙のようだ」と言っています。 ゴッホも水を描くのは好きではなかったのですね。 彼は精神を病んでいたと聞いていましたがよく分かりません。 むしろ当時のオヴェールやパリの人間関係や生活風景がわかります。 上演時間160分は長すぎます。 *作品サイト、 http://www.zaziefilms.com/pialat/films_introduction.html

■カラヴァッジョ-天才画家の光と影-

■監督:A・ロンゴーニ,撮影:V・ストラーロ,出演:A・ボーニ ■カラヴァッジョの絵は一度見ると忘れられません。 バロックは分かりますが、身体がどこかゴシック的だからです。 ゴシックと言ってもケン・ラッセル的ですが。 光もそれを助長している。  「忘れられない」ということは何かがあるということです。 しかし映画はそれを教えてくれない。 生身のモデルを重視したこと、そして鏡を利用したことぐらいですか? カラヴァッジョ役のボーニも真面目過ぎます。 でも監督ロンゴーニはこの作品自体をカラヴァッジョ風に仕立て上げた。 多分これは撮影担当ストラーロの力だとおもいます。 イタリア語の響きも心地よい。 そしてナポリからマルタ、シチリアへの最後の逃避行は、まるでランボーのアデンへの放浪に見えてしまった。 時代も背景も違いますが何かが似ています。 2007年作品。 *作品サイト、 http://caravaggio.eiga.com/

■高橋コレクション展、ミラー・ニューロン  ■3O+A  ■高田直樹展

■東京オペラシティアートギャラリー,2015.4.18-6.28 □高橋コレクション展,ミラー・ニューロン ■52作家の作品140点が展示されています。 知っている作家は何人いるか?数えてみました。 名前を知らなくても作品を見た記憶がある人も含めたら32人です。 60%は知っていた。 対象が現代美術ですからこんなもんですか? 美術館よりギャラリー回りをしないと%値は上がらないでしょう。 西欧芸術ミラーと千年伝統ミラーを掛け合わせてミラー・ニューロンにしているとは、さすが医者ですね。 現代美術の収集は度胸がいります。 どの時点で購入意思決定をするのでしょうかね? *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh175/ □3O+A,有元容子・小川待子・岡田伊登子・奥山民枝 ■4人の展示会ですが初めての作家は岡田伊登子です。 「大地」がテーマだから選ばれたのでしょう。 他3人もこの館で知りました。 3人とも気に入っています。 今日またこんなにも観ることができて嬉しい。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh176.php □高田直樹展 ■この作家も過去にみている記憶が甦りました。 特に証明写真のように並べた「NO JOB」は面白い。 厚塗りで現実の揺らぎが伝わってきます。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh177.php

■ユトリロとヴァラドン、母と子の物語-スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年-

■損保ジャパン日本興亜美術館,2015.4.18-6.28 ■過去のユトリロ展では彼のアルコール依存症やユッテルの存在などを小出しにしてきた。 そして今回、ユトリロの謎が解け全貌が見えた。 ユトリロの母ヴァラドンである。 やはり母と子の関係だったのか!と妙に納得してしまう。 ロートレック、ルノワール、シャヴァンヌそして音楽家サティなど、彼女の恋人にも吃驚である。 しかもユッテルを夫にするとは! 友人としてのユトリロに逃げ場は無い。 ヴァラドンの作品はゴーギャンやセザンヌを模倣しながら厚化粧を施した感じだ。 肖像画・風景画・静物画なんでもある。 対人間も対自然も健康的にみえる。 ユトリロは絵葉書から描いていたと解説にあった。 風景が脳内世界に見えていた理由もわかった。 最後まで母から逃れられなかった彼の絵には関係の寂しさが漂っている。 道を歩いている人々はもはや人形である。 *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/current/2978.html

■ポロック、二人だけのアトリエ

■監督:E・ハリス,出演:E・ハリス,M・G・ハーデン ■(アメリカ,2000年作品) ■15年前の映画だけどやっと観ることができた。 2012年の「 ジャクソン・ポロック展 」でも見損なってしまったの。 この映画が面白いのはポロックが大酒飲みだから、そしてツマラナイのも大酒飲みだから。 たとえドラマでも酒が入ると観客も判断がつかなくなるからよ。 監督は頑張っているのがわかる。 ポロック自身を演じているんだから凄い。 顔も似ている! でもポロック絵画の肝心なところは何も語られていない。 ドロッピングを<発見>する場面も俗すぎる。 画家の周辺を知るにはよいかもね。 *映画comサイト、 http://eiga.com/movie/52034/

■藤本壮介展-未来の未来-

■ギャラリー・間,2015.4.17-6.13 ■第一会場は歩く隙間もないくらい模型が陳列されています。 それも100円ショップで売っているような、小学生が図工で作ったような、駄菓子のおまけのような模型です。 つまり身近な材料の横に小さな人形を置けば建築が出現する。 観客は小人や巨人になってその作品を見詰めます。 第二会場に入ると実作品が写真ですが貼ってあります。 身体が興味を示します。 想像でその建築の中を歩き回りたくなる。 例えば「L’ARBRE BLANC」は予期しない感覚が押し寄せてきます。 視線や匂いや声の方向や広がりが不透明だからでしょう。 身体が拡散する不安も湧き起る。 「未来の種をまく」と言ってますが、彼自身が新種の建築家ですね。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex150417/index.htm

■椿会展2015-初心-

■資生堂ギャラリ、2015.4.4-5.24 ■ https://www.shiseidogroup.jp/gallery/exhibition/ ■銀座へ行ったついでに寄ったの。 赤瀬川原平が去年亡くなったことを思い出した。 下町のオジサンという感じだった。 会場の絵日記を読んできたわ。 「埋め草」とは雑誌の余白を埋めるたに、「人さまの原稿の空いた場所に原稿より面白い「埋め草」を仕込んでしまう」こと。 チラシに書いてあった。 日記のためかリラックスして楽しめたわよ。 それと島地保武のダンスビデオ。 10分くらい見たけどとてもいい。 過去に舞台は観ているはず。 でも名前が一致しないの。 次は大丈夫。 舞台で会いましょう。 他に内藤礼、畠山直哉、伊藤存、青木陵子の作品あり。

■マグリット展-20世紀美術の巨匠、13年ぶりの大回顧展-

■国立新美術館,2015.3.25-6.29 ■1920年から67年迄の130作品が展示されている。 1950年以降の「回帰」の章はトンネルから抜け出たようだ。 作品に落ち着きと透明さが感じ取れる。 堆積した意味を御破算にさせたからである。 以前迄の作品は時代の要請で思想が先走っている所がみえた。 遡って「ルノワールの時代」がナチスへのアンチテーゼというのも初めて知った。 「雌牛の時代」は意味を飾り過ぎている。 「マグリットが撮影したホームムービー」の上映を見て、女性像の多くは妻ジョルジェットであることを知った。 きつさのある、端整な顔つきである。 彼女がエロティズムだが厳格さが漂う作品にしていたのだ。 マグリットの全体像を知ることができて楽しかった。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2015/magritte2015/index.html

■若冲と蕪村-生誕三百年同い年の天才絵師-

■サントリー美術展,2015.3.18-5.10 ■若冲と蕪村、二人を並べるとプロとアマみたい。 若冲はすぐわかるけど、蕪村は名前を隠したら誰が描いたか分からないような作品が有るからよ。 若冲は真似ができないけど蕪村の絵なら同じように描けそうね。 やはり蕪村は俳人かな? 気に入った作品は若冲の「四季花鳥押絵貼屏風」(六曲一双、1760年)。 影響を与えた鶴亭と比較しても植物の躍動感は素晴らしい。 動物はそれ以上にお見事。 形としての生命とは何か?をちゃんと捉えているからだとおもう。 若冲と蕪村を交互に並べられても良いリズムが訪れない。 蕪村は風景の中に言葉を探したから例え自然を描いても人工世界になってしまう。 若冲はその逆だった。 「言葉としての自然つまり人工」と「形としての自然つまり生命」の違いがリズムを非同期にしてしまうの。 *館サイト、 http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_2/?fromid=topmv

■山口小夜子-未来を着る人-  ■ガブリエル・オロスコ展  ■他人の時間

■山口小夜子-未来を着る人- ■東京都現代美術館,2015.4.11-6.28 ■山口小夜子が亡くなったことを忘れていました。 今もどこかで活躍しているのでは・・! モデルやダンスや朗読の映像、衣装を見るとどれも素晴らしい。 でも彼女が何をしたかったのかよく見えない。 ノラのように時代を飛び出し時代を超えた<人形>を彼女は目指していたのではないでしょうか? 彼女は人形をとことん追及していた。 寺山修司や勅使川原三郎、結城座に接近したのも人形の動きや存在感を探求したかったのだと思います。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/sayokoyamaguchi.html ■ガブリエル・オロスコ展-内なる複数のサイクル- ■写真は面白い。 作者の目が対象を優しく包んでいるようなウッフフ感があります。 「寝ている犬」「犬の輪」「コモンドリーム」・・。 そして芸術家としてはここに立ち止っていてはマズイと考えたのでしょう。 車やスポーツを再構築しだした。 中にはマグレの作品もあります。 例えば「変型シトロエン」。 でもメキシコの面白さを棄ててしまったようにみえます。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/gabrielorozco.html ■他人の時間-TIME OF OTHERS- ■他人の時間は経験できない。 見た途端に自分の時間に入り込んでしまうからです。 この関係が宙づりになった面白い作品を見つけました。 キリ・ダレナ「消されたスローガン」です。 もう一つヴォ・アン・カンのベトコン・ゲリラ写真です。 本物のベトナム戦争ですが芝居を見ているようです。 演劇的写真も宙づり状態になります。 どちらも他人の時間でもなければ自分の時間でもない。 映像は写真作品と何かが違うように感じます。 でも違いを上手く言えません。  MAMORU「協奏のためのポリフォニー」、ミヤギ・フトシ「オーシャン・ビュ・リゾート」、ホ・ツーニェン「名のない人」、ヴァンディ・ラッタナ「独白」(?)の4本の映像作品を見ました。 「協奏のためのポリフォニ」は夕張炭田を発見したB・S・ライマンとその足跡を追う作者の紀行を文字と音だけで再現する作品です。 ライマンと作者の時間を強く

■ディオールと私  ■イヴ・サンローラン(2010年作、2014年作)

■ディオールと私 ■監督:F・チェン,出演:R・シモンズ ■Bunkamura・ルシネマ,2015.3.14- ■「 ディオールの世界 」が面白かったのでこれも観ることにした。 新しく就任したラフ・シモンズとお針子たち職人のオートクチュールを作りこんでいくドキュメンタリである。 パリ・アトリエが登場するので組織としての活動がみえて面白い。 ディオールの映像と言葉が所々に挿入されている。 緊張感が走るのは「仕事=納期」が画面から伝わるからだ。 シモンズはミニマリズムのジル・サンダーで活躍していた。 話はそれるが技術と価格勝負のユニクロはJ・サンダーのようなミニマリストは似合うと思う。 ディオールとしてのシモンズはどうか? 同じミニマリストだから応用は利くはずだ。 でもこの映画からはなんとも言えない。 例えば抽象画家の作品を素材に選んでいたが良いとはいえない。 新しい形を創造できるか!だとおもう。 2014年作品。 *映画com、 https://eiga.com/movie/81442/ ■イヴ・サンローラン(2010年作品) ■監督:P・トレトン,出演:P・ベルジェ,Y・サン=ローラン *映画com、 https://eiga.com/movie/55742/ ■イヴ・サンローラン(2014年作品) ■監督:J・レスペール,出演:P・ニネ ■ディオールとシモンズは離れすぎている。 この間を繋ぐものはないかと探したらこの二本が出てきた。 イヴ・サン=ローランである。 前者はドキュメンタリ、後者はドラマ作品だ。 どちらもディオールを去ったところから話が進む。 前者は面白い。 イヴのパートナーであったピエール・ベルジェの回想録になっている。 二人で収集した美術品を競売にかける話が背後で流れている。 その美術品がなんとも素晴らしい。 「 青い服の子供 」、「 ピエロの失望 」*1もあった。 彼らが住んでいたアパートや別荘もじっくり見せてくれて楽しい。 後の作品はイヴにそっくりの役者が登場する。 人間関係を中心とした内容である。 二本を観てサンローランの全体像がみえてきた。 彼はこの仕事で精神が参ってしまったようだ。 シモンズはこれに耐えられるか? しかも成果は出し続けなければいけない。 いまシモンズの立場は信じられないくらい厳しい。

■ヴァチカン美術館-天国への入口-

■監修:アントニオ・パオルッチ,監督:M・ピアニジャーニ ■シネスイッチ銀座,2015.2.28- ■3Dだから絵画より彫刻が合っているのでは? しかしシスティーナ礼拝堂の天井画や壁画に感動してしまいました。 なんと二次元の絵画でも三次元に見えるのです。  違和感はあります。 絵画芸術と言うより映像芸術ですね。 彫刻の「ラオコーン」や「ピエタ」の映りは保守的にみえました。 現代美術の紹介もありましたがインパクトはありません。 役者が時々登場しますが作品を台無しにしています。 シラケてしまいました。 館内通路を這うようにして撮影している場面は実際に歩いている感じがします。 渦巻き階段も面白いですね。 館内の陳列風景をもっと見たかった。 3D技術を使用した時の目的や効果を研究すべきでしょう。 2013年作成。 *作品サイト、 http://www.vatican4k3d.com/

■グエルチーノ展-よみがえるバロックの画家-

■国立西洋美術館,2015.3.3-5.31 ■初期は明暗が強いけど精神的な霞みがかかっている感じね。 中期は何かが吹っ切れて霞みが消え晴れてきたみたい。 青い空が綺麗! そして「聖母被昇天」(1622年)は素敵な色! やはりローマと出会ったから? 「放蕩息子の帰還」(1627年)も落ち着いた構成と色ね。 1620年代つまり30歳代が絶頂期とみたけど? グエルチーノは奇をてらわない画風にみえる。 一歩手前で留まっているの。 対抗宗教改革を意識しているようにもみえない。 こういう作品は普通の人から支持されるのよ。 グイド・レーニと比較している章は楽しかったわ。 両者を並べてみるとレーニの作品は弱い。 リアルでないからよ。 今回はグエルチーノの勝ち! ところで「イタリア紀行」は好きな本だけど彼を論じていたなんて覚えてないわ。 早速その前後を読みかえしてもいいかもね。 ゲーテとグエルチーノは似合う感じがする。 音声ガイドは作品を上手に補足していてお得だった。 *主催者サイト、 http://www.tbs.co.jp/guercino2015/

■ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-

■Bunkamura・ザミュージアム,2015.3.21-6.28 ■会場に入るとフィオリーノ金貨が並べてあります。 少し削り取る、他金属を混ぜて重くする、歯型を残す・・。 金貨というのは安定感ある光と微妙な重みが迫って来ますね。 副題にもあるように富と美を結び付けたい企画のようです。 為替で発生する差益は利息か? この宗教議論は両替商を有利にしたのですね。 ロレンツォ時代つまりフィレンツェ最盛期にメディチ銀行は破綻寸前と聞きました。 「メディチ銀行発行為替手形」をマジマジと見つめてしまいました。 やはり浪費しないと美に結び付かないのでしょうか? これだけのボッティチェリに会えるなんて素晴らしい。 作品には彼特有のリズムがあります。 女性の顔が長めのせいか時間も伸びているように感じます。 感動というより充実した過去を経験した後味が残ります。 *展示会サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_botticelli/

■単位展-あれくらい、それくらい、どれくらい?-

■2121デザインサイト,2015.2.20-5.31 ■「単位とは禅宗寺院で修行僧1人に与えられる畳の大きさ・・」とWIKIにあります。 単位が仏教用語とは知りませんでした。 古典物理学を履修すると「次元解析」を習います。 いわゆる次元としての単位です。 単位とは何か? 次元を知ってこの答えが腑に落ちたことを覚えています。 会場では物理単位以外も多く扱っているのが楽しいですね。 対象物と単位の間に人間身体を見えるように仲介させているので理解し易い。 春休みに中・高校生に見せたい展示会の一つに掲げてもよいでしょう。 *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/measuring/

■丹下健三が見た丹下健三1949-1959

■ギャラリー・間、2015.1.23-3.28 ■ http://www.toto.co.jp/gallerma/ex150123/index.htm ■丹下健三は写真を撮るのが好きだったんだ! 写真集も出版しているようね。 会場にはコンタクトプリントがづらりと並んでいるの。 だから顔を近づけないと見えない。 広島平和会館工事現場の何もない周辺が印象的ね。 それと今はない東京都庁舎、・・あとイタリア旅行もね。 写真の中の彼の蝶ネクタイ姿をみると何故か岡本太郎を思い出しちゃうの。 知へ接近する行動様式が似ている感じがする。 「美しきもののみ、機能的である」は太郎と表裏の関係かしら? でもファインダーに映っている像はどれも平凡だわ。 プラス事務的な記録も含めようとしたのね、きっと。

■ルーヴル美術館展-日常を描く、風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄-

■国立新美術館,2015.2.21-6.1 ■このようにテーマを絞り込んでもらえると有り難い、特にルーヴルの場合には。 あらためて日本と比較するとそのリアルさに驚く。 15世紀の「物乞いの少年」なら当時の日本ではゴロゴロといたであろう。 貧乏と貧乏人の違いかもれない。 ヨーロッパの風俗画は貧乏人を描いた。 カネを数える作品も多く展示されていたが誰が数えているのかが問題のようだ。 両替商か商売人か召使か乞食か?・・。 16世紀から19世紀のヨーロッパ日常を描くというのは、まさにピケティの「資本収益率r>経済成長率g」を描くことである。 絵画への道徳的・教訓的な意味付けはr側住民の戦略である。 日本の特異性は20世紀まで続く。 戦後日本は貧乏だったが貧乏人は見えなかった。 しかし21世紀は岐路に立つ。 作品は日本の未来を表しているのかもしれない。 ということで流行のピケティの色眼鏡を掛けて会場を観て回った。 *主催者サイト、 http://www.ntv.co.jp/louvre2015/

■幻想絶佳-アール・デコと古典主義-

■東京都庭園美術館,2015.1.17-4.7 ■この館に行くのは3年半ぶりだ。 目黒駅からの桜田通りは建築工事がやたら目に付く。 館入口周辺もスッキリした。 庭園もジメッとしたところが無くなってしまった。 「もののけ姫」のシシ神なきあとのようだ。 しかし展示はリニューアルの意気込みを感じた。 アール・デコと古典主義との関連をテーマにしている。 もちろんアール・デコを得意とする館だが、いつもの展示とは一味違うようだ。 知らない作家も多い。 ジャン・グージョン、アンドレ・メール、ジャン・デュバ、ロベール・プゲオン、ジャン・デピュジョルそしてアンリ・ラパン・・。 解説を一読しても頭に入らない。 まるでパリ市民を基準にした内容にみえる。 しかし何故か刺激的である。 もらったチラシには「両大戦間期のパリの建築とモニュメント選」が載っている。 展示を振り返りながらこの地図をみればやっぱパリに行きたくなってしまう。 パリ市街を、大戦間古典主義で分節化する楽しさを再発見できるからである。 *館サイト、 http://www.teien-art-museum.ne.jp/special/highlight/?id=content03

■パスキン展-生誕130年、エコール・ド・パリの貴公子-

■汐留ミュージアム,2015.1.17-3.29 ■「人間45才を過ぎてはならない。 芸術家であればなおのことだ」と言って自死したパスキン。 アルコール依存で肝臓を悪くし梅毒で鬱病でリュシとの不倫がうまくいかない状況では普通なら説得力がありません。 しかしそこは芸術家、劇的です。 彼の作品の素晴らしさは素描力にあるようです。 これをベースにもやもやとした輪郭線と真珠母色ではたまりません。 これだけのパスキンを一堂に観たのは記憶にありません。 しかしモヤモヤしているせいか枚数があると煙の中にいるようで感動が薄れます。 また硬さのある初期作品や寒いニューヨークを避けたキューバ旅行の作品など彼の全体像を初めて知りました。 モンパルナスの貴公子と呼ばれていたようですが、このような芸術家はいつの時代でも興奮させられますね。 *館サイト、 https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/15/150117/index.html

■クインテットⅡ-五つ星の作家たち-

■損保ジャパン日本興亜美術館,2015.1.10-2.15 ■展示された作品全体を組曲のように感じ取る展示会のようね。 「風景」が共有する旋律素材みたい。 澄み切った作品が多い。 春がそこまで来ているような会場で気持ちが良かったわ。 印象深かったのは自然の中に女の子の瞼が描かれている岩尾恵都子の作品群。 配色も面白い。 でも会場は全体として力強さに欠けているようにみえる。 何か物足りない。 脱皮前の幼虫のようね。 そろそろ蝶になる時期が来たんじゃない? *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/current/2788.html

■ワシントン・ナショナル・ギャラリ展-私の印象派-

■三菱一号館美術館,2015.2.27-5.24 ■娘エイルサ・メロンが収集した作品らしい。 背景色の清々しい絵が多い。 ルノワール「髪を編む若い女性」の紺、「猫を抱く女性」の黄緑、ルドン「ブルターニュの村」や「海岸沿いの村」の空色などどれも目が喜ぶ。 これはエイルサの感性なのか? そしてサイズが小さいので奥行の無いこの美術館に合っている。 ブータンの浜辺風景は小サイズのほうがしっくりする。 理由はよくわからないが海の潮風が画面から届くように感じられた。 ルノワールで気に入ったのは「ブドウの収穫」。 まるで細かい絨毯のような草原である。 彼が描く女性像を自然に適用したようだ。 ヴァイヤールはヴァトロンの逆を行く画家である。 裏側の視線ではなく表側の視線というところか。 ボナールと組んだ親密派の5章はサプライズだった。 国新美の「 ワシントン・ナショナル・ギャラリ展 」とは違った面白さがあった。 前回が公の顔なら今回は副題通り私的な顔だろう。 *美術館、 https://mimt.jp/exhibition/#washington

■DOMANI・明日展

■国立新美術館、2014.12.12-2015.1.24 ■新進作家12名の約150作品が展示されている。 気に入った作家を3人選んでみた(陳列順)。 ・北野謙 ここでは珍しい写真である。 シリーズ「DAY LIGHT」と「WATCHING THE MOON」を交互に並べている。 両者共に補完され味が増している感じだ。 過去の作品「OUR FACE」もあるので時系列から作者の動機や方向性が読み取れる。 展示方法の上手さが、カルフォルニア留学の成果を目立たせている。 ・岩崎貴宏 なんと雑巾に墨汁を塗って作った工業地帯の模型である。 恐れ入った。 タオルの膨らみも丘にしている。 俯瞰の楽しさが出ている。 墨汁が濁った工業地帯を巧く表現している。 素材の意外性に感心した。  ・梶浦聖子 ブロンズや真鍮を使った鋳物工芸である。 心が和む作品が多い。 留学先のインドネシアは正解だった。 「あれは舞台だったんだ」は当に演劇の本質を言い当てている。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2014/17thdomani/

■ナショナル・ギャラリ-英国の至宝-

■監督:F・ワイズマン ■Bunkamura・ルシネマ,2015.1.17-(2014年作品) ■絵画の静止ショット、観客の鑑賞や模写、学芸員や美術史家の解説、職員達の会議、絵画の修復作業。 ギャラリーでのこれら行動を繰り返し撮影している作品です。 この中で学芸員解説と修復作業場面は面白いですね。 絵画を歴史・宗教・科学などを通して職員たちの情熱ある言葉で表現しているからです。 対象作品はホルバイン、ベリーニ、ティツィアーノ、ダヴィンチ、レンブラント、カラヴァッジョ、ターナー、スタッヴズ、ルーベンス、ゴッホ、フェルメールです。 この館の立ち上げに保険会社が絡んでいたことも興味を持ってくれと言っていましたね。 ギャラリー企画も数展映っていました。 あの2011年「 ダヴィンチ展 」もです。  それにしても3時間は長い。 絵の好きな人なら飽きませんが切りが無いでしょう。 30分くらい短くしてもよいとおもいます。 ワイズマンはこのような淡々としている流れの作品が合う監督ですね。 *作品サイト、 http://www.cetera.co.jp/treasure/

■スイスデザイン展  ■木を彫る  ■河合真理展

■東京オペラシティアートギャラリ,2015.1.17-3.29 ■スイスデザイン展 ■スイス国旗はそのままブランドマークになるところがいいわね。 企業名は聞いたことがあるけど知識は殆ど無い。 陳列されている製品の多くは日常生活から微妙にズレている感じだわ。 SIGG、BALLY、USM、FREITAG、NAEF、SWATCH、VICTORINOX・・。 日本企業と諸に衝突しているから? 日本の文化と重なる部分があるから? NESTLEのインスタントコーヒもご無沙汰だし、時計も興味がないし・・、例えばナイフなど普段は使わないもんね。 でも紙幣にホドラー、ジャコメッティ、コルビュジエが印刷してあるのはさすが。 世界的有名人だと紙幣の価値も上がりそうね。 そして後半はマックス・ビルとル・コルビュジエの展示よ。 作品全体の雰囲気がバウハウスを継承・発展させている感じなの。 でもそこから抜け出せないようにもみえる。 20世紀で止まっているようだわ。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh172/ ■木を彫る ■木版画展かな? 彫刻も少しある。 粗さがあってさすが自然体ね。 小口木版は小さい作品だけどよーく見るとスラーリとした力強い線が彫られていて凄い。 木版リトグラフも素敵ね。 作者25人で展示100点は絶妙な数だわ。 木版画の世界は森の中を歩いてきた気分がする。 充実した時間だった。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh173.php ■河合真理展 ■会場はペイントの匂いがするの。 得たいの知れない存在感ある作品が多い。 ヌラーリした厚みのある筆感を持って、対象物をのっぺらぼうに描いているからよ。 気に入ったわ。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh174.php

■ホイッスラー展  ■バロックからバルビゾンまで

■ホイッスラ展-究極の美を求めて、ジャポニスムの巨匠、待望の大回顧展- ■横浜美術館、2014.12.6-2015.3.1 ■ http://www.jm-whistler.jp/ ■測地局でのエッチング技法習得が後々迄影響しているのを知った。 「テムズ川風景エッチング集」は当時のロンドンを想像することができる。 それと「オールド・ウェストミンスタ・ブリッジの最後」の川の流れ、「バルパライソ」の海の表情が素晴らしい。 音楽用語を題名に付けているが音楽とは無関係である。 今ならNO.1、2・・と付ければよい。 この種の展示会は日本美術、特に浮世絵の影響をいつも言うがこれでは鑑賞が硬くなる。 参考の浮世絵を横に誘導陳列するのもやり過ぎの感がある。 ■バロックからバルビゾンまで-山寺後藤美術館コレクション展- ■そごう美術館、2015.1.1-1.25 ■ https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/14/yamaderagoto/index.html ■横美へ行った序でに立ち寄る。 10数点は以前に観た記憶が甦る。 帰ってからDBを調べたら1年半前の文化村展示会で出会ったようだ(*1)。 ここの館は天井が低いから作品を見下ろすようにして鑑賞する。 これが新鮮である。 しかも狭いので作品と対話せざるを得ない。 お互い粗がでてしまい気まずい感じもする。 好みの作品は少ないが結構楽しめた。 帰りにバーゲンセールの日常品を買う。 新年早々デパート美術館の戦術に嵌ってしまった。 *1、 http://ngswty.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html

■ティム・バートンの世界  ■ミシェル・ゴンドリの世界一周展

■ティム・バートンの世界 ■森アーツセンターギャラリ、2014.11.1-2015.1.4 ■ http://www.tim-burton.jp/ ■彼の映画に興味を持っていないと面白くありません。 「ブルーガール」や「グリーンマン」など数十点くらい良いのがありましたが量が多いのでゆっくりできません。  ところで映画は「スウィーニ・トッド」と「アリス・イン・ワンダーランド」が気に入っています。 「猿の惑星」や「バットマン」はつまらない。 人により評価も分かれるはずです。 彼は問題児ですから大化けも有るということでしょう。 もちろんこれからも大化けを期待しています。 ■ミシェル・ゴンドリーの世界一周展 ■東京都現代美術館、2014.9.27-2015.1.4 ■ http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/michelgondry.html#tabs=tabs-1 ■「ホーム・ムービ・ファクトリ」つまり映画製作ワークショップが中心のようです。 会場はミュージックビデオ、「ムード・インディゴ」の関連作品が展示されています。 こちらも映画に興味がないとつまらないでしょう。 T・バートンが米ならゴンドリは仏の映画監督ですが二人の違いは面白いですね。 「ムード・インディゴ」はフランス人の心の過去と未来が混ざっているような世界が描かれていていいですね。 ゴンドリの存在はフランス映画全体を豊かにしています。 今回の二つは映画を再認識するための展示会とみました。