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■福沢一郎絵画研究所

■板橋区立美術館,2010.11.20-11.1.10 ■以前、福沢の同志である瀧口修造の「瀧口修造夢の漂流物」展を観た時は作品そのものに感動したけど、今回は歴史的な位置づけや影響から見てどうなの?を強調する展示のようね。 彼の絵画研究所で学んだ画家たちの絵では戦中・戦後より戦前の絵が生き生きとしていて一番だわ。 そしてこの影響が後の紙芝居「黄金バット」や学校美術教育まで広がっていることがわかるの。 その一人高山良策の東宝怪獣映画に係わったビデオを上映していたけどウルトラマンにまで影響を与えていたのは凄い! 当時の若者はこのシュルレアリスムの反自然主義的視点で戦争に対抗・解放するしかなかったのね。 今回は作品としてはあまり感動しなかったけど、板橋美術館の得意とする昭和初期の絵画を別の角度から観れて満足よ。 *館サイト、 http://www.itabashiartmuseum.jp/art-2013/schedule/e2010-06.html

■2010年美術展ベスト3(その1)

・ルノアール伝統と革新(国立新美術館)・・パリでルノアールを観るのと互角以上の内容。 ・ボストン美術館展西洋絵画の巨匠たち(森アーツセンターギャラリー)・・静物画以外はとてもよかった。 ・ポスト・フォッシル展(東京ミッドタウン21_21デザインサイト)・・毛色が違う展示会を一つ。 忘れていた古代の記憶が戻って来るようだ。

■2010年美術展ベスト3(その2)

・「愛のヴィクトリアン・ジュエリー展」(Bunkamuraザ・ミュージアム)・・いろいろと想像できる演出がよかったわ。 ・「ルーシ・リー展」(国立新美術館)・・日本の陶器とはまったく違うところがいいわ。 日本では女性の陶芸家は少ないしね。 ・「美しき挑発レンピッカ展」(Bunkamura)・・レンピッカと上記のリーは生まれた時代もほぼ同じでウィーンとワルシャワの良家出、そしてロンドンとパリからニューヨークへの亡命。 二人の比較は興味が尽きないわ。

■2010年美術展ベスト3(その3)

・内井昭蔵の思想と建築(世田谷美術館)・・一人の建築家を深く広く掘り下げる展示会はとても面白い。 ・生誕120年小野竹橋展(東京国立近代美術館)・・竹橋の全体像を初めて知った。 ・オルセー美術館展2010ポスト印象派(国立新美術館)・・本場オルセー美術館に劣らない内容 但しゴーギャンとボナールは少し劣っていたけど。 (開催順)

■かがやきの瞬間

■東京都立写真美術館,2010.12.11-11.2.6 ■この館は常設展がない。 今回もスナップショットで2展が開催されているが一つは常設展のようなものだ。 そのひとつに当たる収蔵品展ではマーティン・ムンカッチの心地良い風が観る者にも感じさせる写真が素晴らしい。 臼井薫の1950年代の子供達の屈託のない風景、ポール・フスコのケネディの遺体をNYからワシントンへ列車で移動させる時の車窓からみえる人々の写真。 この2点は心に残る。 深瀬昌久のNY・ケネディ空港をみると、見知らぬ国への一人旅で空港に到着した時のあの不安が甦ってしまった。 もう一つの新進作家展では中村ハルコの「光の音」が一番である。 作品内の人々と心を通じ合えたような気持ちになれる不思議な力がある。 そして色と光の感性の良さは抜群だ。 年末の忙しい時期だったが以上の写真家に会えて満足である。 *美術館、 http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-348.html

■高瀬省三・石橋聖肖展

■平塚市美術館,2010.11.9-12.23 ■高瀬省三展は病魔に侵され亡くなる年の作品のみで構成されています。 それは作者自身の記憶や意味や人生を移行した分身のようです。 荒さが目立つのは体力の衰えからでしょう。 素材は流木などの自然の形です。 この形と鬩ぎ合いながら最後には自然と調和した姿にしています。  ランニングシャツ姿の「少年の夏」や「遠い思い出」の蝉をみると子供時代こそが人生の宝だったと言っているようです。 観る者の思い出も甦る内容でした。 石橋聖肖展はヨットや桟橋・灯台など海をテーマにした銅が主の彫金です。 そこに広がる海や空はとても静かです。 感情が昂っていても時間のかかる金属が相手ですから完成する時には心静かな作品になってしまうのでしょうか。 両者の作品はいっしょに陳列してありましたが違和感がなく、どちらも心に深く静かに響いた展示会でした。 *館サイト 、 http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/exhibit2.htm

■DOMANI・明日展

■国立新美術館,2010.12.11-11.1.23 ■文化庁主催在外研修制度の成果発表で12名の作品が紹介されている。 既に遊学した人は900名を越えているらしい。 良い制度だとおもう。 しかし会場内をみると向こうからやって来るのを待っているかのような消極的な感じの作品が多い。 縮こまっている現代日本を象徴しているような内容だ。  遊学から年数がたっても展示会で紹介すると書いてあったが、これは成果発表の意味から外れてしまうのではないか?  このような「遡及」は役人が好むところだが、社会では「決算」で動くことを忘れないでほしい。  期間内で成果があった人だけを厳しく選別して展示してもらいたい。 これも芸術家への愛のムチである。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2010/domani2010/

■羽田空港・国際線旅客ターミナル

■ http://www.haneda-airport.jp/inter/ ■今年10月21日にオープンした国際線ターミナルを見学してきました。 ターミナルは明るく軽い感じのする空間です。 4階は江戸小路・江戸前横町・歌舞伎小屋・江戸舞台などで構成され江戸時代の街並を歩いているようです。 レストランや店屋もこの景観に溶け込んでいます。 5階はポップタウンで玩具店やゲーム、プラネタリウムがあり現代東京の一端を覘かせます。 無駄なくコンパクトにできていて1時間で東京見物をした気分になります。 しかし江戸時代しか見せるものがない東京は本当に歴史の無い田舎ですね。 仕事でソウルや北京出身の外国人と話しをする機会がありますが、彼らの東京見物の一番は「ゆりかもめ」に乗ることだそうです。 港としての東京を見たいようです。 今回ひさしぶりに浜松町からモノレールで羽田へ行きましたが、車窓から見える幾つもの運河と建物が混ざり合った景色は「ゆりかもめ」とは少し違うので、彼らにモノレールも薦めようかとおもいます。

■モネとジヴェルニーの画家たち

■Bunkamura・ザミュージアム,2010.12.7-11.2.17 ■当時のジヴェルニーにアメリカの画家が7割も占めていたとは驚きね。 でもモネを真似た日曜画家に毛が生えたような作品ばかり・・。 アメリカ印象派という言葉が聞かれない理由も分かる気がしたわ。 おおらかさは有るとおもうの。 そこはアメリカかも。 後半の装飾的印象主義になるとやっと眼が喜んで来た。 フリージキーの「庭での朝食」「庭の婦人」「百合の咲く庭」がそれよ。 ボナールの絵から肉を削ぎ落したような若くて青々しい感じのする絵ね。 出展されていたボナール「にぎやかな風景」と比較すると深みやコクのある面白さに欠けるけど・・。 アメリカ人画家とモネよりもボナールとの関係を知ったことが今回の収穫だったわ。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/old/museum/lineup/10_monet/index.html

■小谷元彦-幽体の知覚-

■森美術館,2010.11.27-11.2.27 ■木の上に座っている少女が飛んでる蝿を長舌で取って食べる場面があるヴィデオ「ロンバース」を数年前に観た記憶が残っていたのですが、これが小谷作品だと知ってうれしくなりました。 生物の食・排泄・性・死・骨・血など、なるべく見ないようにしてきたものが作品に取り入れています。 ですから作品の前に立つと身体が痒くなるような気持ちになります。 シリーズ作品群「ニューボーン」「ザ・スペクター」「ホロウ」は作者の鋭い直感力や感性が出ていますがしかし、どこまで行っても表層だけをなぞっているような感じです。 中心に行けないもどかしさのある展覧会でした。 まさかこれが幽体の知覚だとは思いませんが・・ *館サイト、 https://www.mori.art.museum/contents/phantom_limb/info/index.html

■REALITY LAB 再生・再創造

■東京ミッドタウン・2121デザインサイト,2010.11.16-12.26 ■入場して25分のビデオを見ないとタイトルの意味がわからない。 展示の順序は、再生ポリエステル素材から布を作成→平面立体構造研究→一枚の布から衣服を作成、と進む。 1枚の紙から複雑な三次元構造が生まれる三谷純の立体折り紙はすばらしい。 これを適用した三宅一生の作品132_5.は有限な地球資源から生まれた21世紀の匂いがしている服だ。 服を触ってみたが残念ながら素材はゴワゴワしている。 これでも当初から比べると格段に良くなっているらしい。 しかし複雑な服が二次元にたたまれていく姿には感心した。 総合力とは必要な人・物を総動員してこの世界に新しい何物かを実現させる力を言うが、展示会で三宅一生たちはこの「総合力」を誇示していた。 そしてこの力のない芸術家は21世紀を生きるのが大変だと言っているようにみえた。 *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/reallab/index.html

■カンディンスキーと青騎士

■三菱一号館美術館、2010.11.23-2011.2.6 ■ http://mimt.jp/aokishi/index.html ■カンディンスキの1908年以降の作品はそれ迄とは画風が大きく違っているわ。 ムルナウに移り住んだこともあるけど、ペインティングナイフから離れ絵筆の広がりを得たのも理由の一つのようね。 抽象前夜の1908年からの2年の作品が10点ほど飾ってある3階大広間は、色と構成の饗宴で素晴らしの一言ね。 「塔のある風景」「私の食堂」「虹の見える風景」「ムルナウ近郊の鉄道」「まっすぐな道」・・は長く観てても飽きないわ。 1910年からの抽象画は「秋のための習作」「冬のための習作」「コンポジションⅦのための習作」の3点が最高。 脳が観る喜びで一杯になるわ。  すべて習作だけどね。 でも1913年迄の作品で展示はおしまい。 後期作品が無くて中途半端だったけど、しかし満足感は十分よ。

■手塚雄二

■横浜・そごう美術館、2010.10.23-11.28 ■ http://www2.sogo-gogo.com/common/museum/archives/10/1023_tezuka/index.html ■会場に入ったとたん手塚雄二は描くことが好きではない、と直感しました。 努力して好きになろうとしている結果の絵です。 近寄って木の葉や岩の塗りをみると唸らせるものがありますが、作品は観る者に残るものを何も与えません。 そして「覇徒」の鳩や小作品の蜘蛛や蟷螂は生きている生物には見えません。 これらは画家の戦略なのでしょうか? 凡庸な対象を積極的に選んでいるのですから何かあるとは思いますが・・。 後期作品「風宴」「千の滝」「晩夏」は気に入りました。

■ファンタスマ

■東京大学総合研究博物館・小石川分館、2010.11.6-12.5 ■ http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2010FANTASMA.html ■人体模型、生物の剥製、鉱物などの標本の間にケイト・ロードの作品が飾ってある。 鉱物に似た作品は素人がチョット見ただけでは標本と区別がつかないのもある。 しかしケイトの作品は中学生が作った模型のようだから多くは見ればわかる。 錆びた顕微鏡や動物の骨や古くなった貝殻が学術的に重要だなんてわからないのでゲテモノの間にゲテモノが飾ってあるようにしか見えない。 変な意味でつり合いがとれているようだ。 しかしこのような展示会を観ると脳味噌はカオス状態になるしかない。 テラスから小石川植物園内の紅葉と池で泳ぎ回っている鴨を眺めてすっきりしてから帰宅の途についた。

■セーヌの流れに沿って

■京橋・ブリヂストン美術館、2010.10.30-12.23 ■ http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibit/index.php?id=81 ■パリ周辺からセーヌ湾までの地域ごとの作品が並んでいる。 モネが一番多いようだ。 出品している日本人画家は40人はいるだろう。 このうち半分以上は初めて知る名前だ。 知らなかった画家の絵をみるのはとても楽しい。 土田麦僊が「日本人の訪問客が多過ぎてうるさい」とあったが当時の状況が見えるようだ。 最後に2枚ほど戦後の絵が飾ってあった。 高畠達四郎と香月泰男。 香月は若い時にパリへは行かなかったのか? 亡くなった1974年作の「エトルタ」が展示されていたが、頭の中はシベリアでいっぱいになってしまった。

■トランスフォーメーション

■東京都現代美術館、2010.10.29-2011.1.30 ■ http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/118/1 ■午前中には見終わる予定が丸一日かかってしまった。 ヴィデオ作品が多かったこともある。 人間の境界が不確定な無意識世界の、特に人間から動物、動物から人間への変身作品が多い。 しかし無意識の世界は今も闇のままだ。 分子生物学や情報科学により今後数百年で人間の意識や肉体は大きく変容するはずだ。 人類の「幼年期の終り」は思ったより早く来ると思う。 その時、このままでは無意識は叛乱するだろう。 残念ながら芸術や人類学には無意識の展望が見出せないことをこの展示会は物語っている。 それにしても西洋人は変身するのが下手だな。 マッシュ・バーニの作品を見ればそれが分かる。 東洋の作品がつまらないのは動物へそして動物からの変容が日常的だからだ。

■ドミニク・ペロー展

■東京オペラシティアートギャラリー、2010.10.23-12.26 ■ http://www.operacity.jp/ag/exh123/index.html ■傾いたり、太くなっていく建物は微妙な目眩を感じますがそれは心地良さを伴っています。 地面を削って側面を建物にした梨花女子大学は印象的です。 ランドスケープという言葉の具体が表現されているとおもいます。 しかし地震や湿度の高い日本での自然の見方とは少し違う気がします。 そして自然や景観のマクロを意識するあまりマリンスキー劇場や十日町能舞台は演劇の精神性が削がれているのではないでしょうか。 チラシに「・・ミニマルな力強さのポストモダンに幕を引き新しい風を起こした・・」と書いてありますがこの意味がわかりません。 ミニマルとは「モダン」または「ポストモダン以降」の用語ではないでしょうか? ペロー作品フランス国立図書館はミニマルにみえますが? ・・二つの?が残りました。

■アンドリュー・ワイエス展

■埼玉県立近代美術館、2010.09.25-12.12 ■ http://www.momas.jp/3.htm   ■250点の多くは素描・習作水彩画で少しガッカリ、その分ジックリとみてきました。 バケツや風になびくカーテンさえもリアルに感じられ、これほどまでに引き付けられるのかが不思議です。 牛を見てると納屋内の空気さえも見えるようです。 その空気は日差しのある温度と乾いた湿度が感じられます。 近づくと大胆な筆使いのようですが離れると牛の生き生きさが現れます。 掲示されていたワイエスの古新聞の切り抜きを読むと朝8時から夕方5時まで土日も休まず毎日体力の限界迄描き続けたそうです。 膨大な時間量が作品に凝縮されているのですね。 どこに時間をかけているのか知りたいところです。 ベルイマン監督の映画、特に「野いちご」が好きなことも書いてありました。 オルソン・ハウスの物語を知って「野いちご」の先生と人生観に通ずる所が有ると想像できます。

■ラヴズ・ボディ展

■東京都写真美術館、2010.10.02-12.05 ■ http://syabi.com/contents/exhibition/index-340.html ■チラシのバッファローの岩から転げ落ちる写真をみて行ってみたら、思いも寄らないエイズ関連の企画展でした。 日本のエイズ罹患者が増加しているのにメディアは静かです。 それはエイズが普通の疾病なった、つまり同性者間感染比率が低くなったからでしょう。 今回の展示は90年以降のエイズに向き合った写真家の作品を集めています。 写真を前にするとエイズ感染者への偏見との格闘が少なからず発生します。 このような時は思考が狭まってしまい居心地が悪くなります。 やはり常日頃この問題を意識していくことが格闘から逃れる方法のようです。 作品より写真家がどういう問題背景で撮ったのか考えてしまう展示会でした。 同時開催の「二十世紀肖像」展にも入りましたが今年度の企画展に出した写真を再度寄せ集めただけで最悪でした。

■北原照久の「超驚愕現代アート展」

■森アーツセンターギャラリー ■ http://www.roppongihills.com/art/macg/events/2010/10/macg_kitaharateruhisa.html ■テレビの「なんでも鑑定団」でウスウス気付いていたがヤッパただ者ではなかった。 会場を入ると木下雅雄の「BUNNY」。 そして山下信一の数十体の「雲母きらら」。 アッと言う間に別世界にはいれる。 さらなる驚きは横尾忠則を収集していることだ。 主にポスターだが本人から譲り受けた「ナタリーの海」が展示されていた。 荒木博志の「アトム」など、多くは玩具だがすべてに懐かしさがある。 会場出口近くには武藤政彦「ムットーニ」が30作品ほど並べてある。 彼の初期の作品を見るのは初めてだ。 やはり機械的SFから出発していたことが分かる。 残念ながら一つも電気が入っていない。 これで動いていれば最高だったろう。 北原照久ような人がいると知っただけでも生きるパワーが湧いてくる。

■ゴッホ展、こうして私はゴッホになった

■国立新美術館,2010.10.1-12.20 ■ゴッホの農民へのおもい、素描の訓練、パースペクティヴフレームや色彩理論書の展示から彼の研究意欲が伝わってきます。 「アイリス」の色落ち問題なども解説されていたので色を補ってこの作品を鑑賞しました。 比較の為でしょうか?他画家の作品が交互に並んでします。 副題「こうして私はゴッホになった」に沿う展示です。 ゴッホへの知識は増えますが、これは左脳で観る展示会です。 そして「アルルの寝室」の部屋まで再現してあります。 これはいくらなんでもやりすぎでしょう。 もはや絵画を無心で右脳で観る環境ではありません。 学芸員の善かれとした事が、度が過ぎて自己満足に陥ってしまったような展示会でした。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2010/gogh/index.html

■掘文子展と礒江毅展

■平塚市美術館 ■二人の作品を同時に観れるのはうれしい。 掘文子は20歳代、礒江毅は40歳代の絵が冴えている。 掘は画風がコロコロ変わり過ぎている画家だ。 若いときの作品は生物を純心に捉えている。 以降は地球に似た天体の植物や生物を描いているようだ。 今は海中の微小生物に心が移っているようだがこれも似た天体の延長だ。 90歳を過ぎても絵に衰えが見えないのはすごい。 礒江の1996年頃からの数年の静物画は存在感が増している。 対象物に時間を凝縮したなにものかが籠められているようだ。 53歳で急逝したのはほんとうに惜しい。 ここの美術館は日本人画家をひとりひとり紹介する展示が多いがこれからも続けてほしい。 *館サイト、 http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/index.htm

■「バルビゾンからの贈りもの」展

■府中市美術館,2010.9.17-11.23 ■作品の回りに解説や画家の履歴がベタベタ貼ってあるので落ち着かないし、夕景は寂しさが漂っているし、本多錦吉郎の「府中欅並木」を見てこの100年で武蔵野の姿は消滅してしまったし・・、風景画をゆっくりみて至福の時をすごそうかと行ったがそれに浸れない気分だ。 いつも常設展「牛島憲之」を覘いて帰ることにしている。 本日は好きな作品「残夏」が展示されていた。 例え企画展に満足できなくても牛島憲之で生き返ることができる美術館だ。 *館サイト、 https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/index.html

■「リチャード・ゴーマンⅡ」展

■三鷹市美術ギャラリ,2010.9.11-10.24 ■日本人には受けが良い画家らしい。 見てナルホドとおもった。 抽象画だが色使いは浮世絵の延長にあるようだし、形はおむすびで親しみがある。 数枚ケバケバ色があったが、これはダメ美大生が描くような感じだ。 これと他作品を比較すると色と形が微妙な均衡の上に成り立っていることが分かる。 でしゃばらない絵だ。 解説を読むと12年前の展示会と比較をしている。 前回作品の写真くらい掲示してくれればよいのにそれも無い。 観客にとってこのような解説は無意味だ。 *館サイト、 http://mitaka.jpn.org/ticket/100911g/

■「第三エロチカの時代」解散記念展

■早稲田大学演劇博物館,2010.9.13-11.2.5 ■第三エロチカが見えなくなって久しい。 何故にいなくなったのか展示会を見てわかりました。 90年代以降、川村毅は右往左往していたのです。 あの過激で過剰な芝居から離れていたのです。 会場は写真のベタと1台のビデオが寂しく動いているだけです。 酷い展示会です。 まさしく第三エロチカの葬儀場と言ってよいでしょう。 10月から「新宿八犬伝-第5巻犬街の夜-」が上演されます。 最後はよりラジカルにそしてよりアナーキーな舞台にして欲しい。 それだけです。 *館サイト、 http://www.waseda.jp/enpaku/ex/1427/

■桑久保徹 海の話し画家の話し

■トーキョーワンダーサイト渋谷、2010.08.07-09.26 ■ http://www.tokyo-ws.org/shibuya/index.html ■桑久保徹を知ったのはこの3月、国立新美術館アーティストファイル2010です。 その時ビビッときたので名前を記憶しておきました。 公園通りへ行く用がなく最終日の今日やっと観てきました。 点描画を長くしたように絵具を厚く激しく塗り重ねています。 波が押し寄せてくる広い海岸に祭りのあとを描いたような内容です。 祭りとは婚宴、料理、アトリエでの作業などです。 空は複雑な色でかきまわしたようです。 日常生活で疲れきってもうどうでもいいや!と思う時がありますが、そのような放心状態に陥った時の脳味噌の中身を描いたような絵です。 会場を一巡したあと心配になりました。 このような絵をこれからも描き続けることが可能なのか? 期限のある絵だとおもいます。 桑久保は近々に次なる飛躍が必要だと感じました。

■「99歳あっぱれ太郎」展

■岡本太郎美術館、2010.07.08-09.26 ■ http://www.taromuseum.jp/exhibition/collection.html ■渋谷駅の「明日の神話」はいつも歩きながらチラッと眺めていますが、岡本太郎の作品はジックリ見たことがありません。 今回イベント「TAROと踊ろう」に行ったついでに常設展にも入りました。 太郎の絵は抽象的ですが量感がありみる者に迫ってきます。そして意味のありそうな深みはパリでの人類学などから得た表現なのでしょうか。 館内も迷路のようになっていて次に何が出るかドキドキします。 ジックリみれて満足です。 「・・踊ろう」は太郎の彫刻が20作品も置いてある企画室でのダンスです。 上田遥と広崎うらん振付の2作品でしたが前者はダンサーが金色衣装、照明も原色で彫刻と融合して見応えがありました。 どちらも大道芸を意識した作品ですので太郎にピッタリでした。 美術館は川崎市緑地公園にあり館の回りにはたくさんのメタセコイアが高く聳えています。

■バウハウス・テイスト、バウハウス・キッチン展

■汐留ミュージアム,2010.9.18-12.12 ■女学生から掃除婦までが織物工房や金属工房に総動員されています。 バウハウスを支えていた人の広がりがわかります。  実物大キッチンが展示されていました。 みると火廻り・水廻り・食卓が3壁構造になっています。 水廻りは真ん中の部屋で外部ドアもあり食材の初期調理と後かたずけがし易い構造です。 材料を家に運び入れるところから食後のかたずけ迄での全体を考えていてバウハウスの具体の一面がよく見えました。 ゴミ捨についてはなかったですが・・。 環境問題はまだ関心が低かったのでしょう。 食器類はもちろんベジタリアン料理の写真まで展示されていてタイトルのテイストのひとつの意味がわかりました。 やはり実物大作品には巻き込まれますね。 そして同じビル内に最新のキッチンショールームがあるので現代との比較も可能です。 主催者はこれも狙っているのでしょう。 *美術館、 https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/10/index.html

■ドガ展

■横浜美術館,2010.9.18-12.31 ■ドガが裕福な家庭の出身、法律から絵画への転向、アングルへの信奉、眼の悪化など・・今回の展示会で知りました。  特に室内でのパステル画や写真は眼病と無関係ではありません。 しかしこのような知識をたくさん持ったからといって絵を見るのが楽しくなるとは限りません。 「落馬した騎手」の馬は固い筋肉が跳ねるような感じで観ても心が躍動します。 「湯浴みする女」「スポンジで背中・・」「浴語の朝食」などのパステル画は時空を巻き込んだデッサン力のある人物を描いていてさすがだとおもいます。 写真を見て描いたという絵は残念ながら写真のほうがすばらしいです。 しかしバレエ画が良いとは思いません。 特に手の動きに踊りの魂が入っていません。 ドガは1週間もあれこれ考えてしまう画家ではありません。「あっ!ドガだ・・。」という画家です。 *館サイト、 https://yokohama.art.museum/exhibition/archive/2010/20100918-89.html

■崔在銀展-アショカの森-

■原美術館、2010.09.11-12.26 ■大木の根っこをゆっくりと写すビデオ「フォエバ・ァンド・ァ・デイ」や逆に激しい動きの「森はいつからそこにあったのか?」を見ても何かを感じとろうとする気持ちが湧きあがりません。 写真「幻想の裏面」を見ると尚更滅入ってしまいました。 アショカ王の知識を増やしたところで作品への興味は進まないでしょう。 会場をひとまわりした後、早速場内ショップで数年前に出たカタログをめくると・・・。 1970年代前半から草月会館で活動したようです。 そこでの生け花はすばらしい。 彫刻・映画と活動を広げている韓国の芸術家だと初めて知りました。 隣にあった中村佳子対談集でもゲノムの話をしている・・。 深く知れば結構面白い芸術家のようです。 しかし今回の展示はつまらないの一言に尽きます。

■ウフィツィ美術館自画像コレクション

■損保ジャパン東郷青児美術館,2010.9.11-11.14 ■「ヴァザーリの回廊と自画像コレクション」がウフィツィからのタイトルです。 回廊に自画像が埋め尽くされている写真が展示されており目が釘付けになります。 美術館が現在も精力的に自画像を収集していたとは知りませんでした。 展示は期待以上でした。 鼻しか描いていない作品やイニシャル文字だけの作品など画家の性格が出ていて飽きません。 印象派画家が少ないのがまた清々していていいですね。 エリザベート・シャプラン「緑の傘を手にした自画像」の光を色彩に変換している作品に感心しました。 新たに美術館に保管される日本人画家、草間彌生・横尾忠則・杉本博司の自画像も展示されています。 この中で本物のメガネのフレームを回りに配置して眼鏡の光で目が見難くなっている無色彩の杉本博司の自画像はサプライズです。 ウフィツィ美術館がまた少し近づいてきた展示会でした。 *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/past/325.html

■陰影礼讃

■国立新美術館、2010.09.08-10.18 ■写真展だと思いきや絵画・版画・ビデオなどあらゆる作品が展示されていました。 タイトルを意識して観はじめたのですが直ぐに忘れてしまいます。 普通に陰影は存在するものですから。 会場は4章にまとめられていますがテーマと作品を強引に結び付けようとしている感じもします。 速水御舟の「秋茄子・・」は初めて見たのですが記憶に残りました。 ユージン・スミス「楽園への歩み」は子供時代のワクワクした感じと未知への不安があるすばらしい写真です。 ヴォディチコのビデオ「もし不審なものをみかけたら・・」は曇りガラスの後ろに実人物が居て会話をしているようで面白い作品です。 全体をふり返ると陰影は陰に隠れてしまい作品だけを鍋の中でごった煮にしたような展示会にみえました。

■フランダースの光-ベルギーの美しき村を描いて-

■BUNKAMURAザ・ミュージアム、2010.09.04-10.24 ■会場で出迎えてくれたアベールの絵を見た途端深遠な感覚に襲われてしまいました。 風景画でこのような体感は初めてです。 これが象徴主義だ、と説明にありました。 次のサードレールもアベールほどではありませんが何かひきつけられます。 しかし長く見ていると飽きます。 人物の描かれていない象徴主義絵画の限界でしょうか。 印象主義画家ではエミール・クラウスの草木の光輝く黄金色が会場を圧倒しています。 コクのあるビールを飲んでいるようです。 児島虎次郎がこのような絵を描いている理由が今わかりました。 当時彼はベルギーへ行っていたのです。  表現主義らしき絵もありましたがたいしたことはありません。 アベール、サードレール、クラウスの3人の絵に出会えただけで満足です。

■三菱が夢見た美術館

■三菱一号館美術館、2010.08.24-11.03 ■タイトルにも付けているが、それでも三菱の宣伝広告が強く出過ぎている展示会だ。 明治時代の日本画から静嘉堂、東洋文庫、三菱ポスター、西洋近代画と展示されている。 日本画、西洋画は初めて見る作品多くて飽きない。 そして静嘉堂や東洋文庫の作品・位置づけがわかり知識が増えた感じだ。 しかし日本郵船と麒麟麦酒のポスターで1章を割くなど三菱の広告を見ているようだ。 今になって何故三菱はここまでグループを宣伝するのか理解ができない。 東京庭園美術館ほどではないが展示部屋が小さくて作品を遠くから眺めることができないのもつらい。 行った日は猛暑だったが冷房も効き過ぎていた。 寒いと言っている観客も多くいたので職員は確認すべきだ。

■藤本壮介展-山のような建築、雲のような建築、森のような建築-

■ワタリウム美術館 ■ http://www.watarium.co.jp/exhibition/1008fujimoto/index.html ■山・雲・森を建築に適用することの難しさを意識させてくれたわァー→  山雲森と洞窟の関係が見えないわァー→  2階会場に貼ってある解説は字が小さすぎるわァー→ かき氷の500円は高いわァー→  地下の本屋は配置替えしたので歩きやすくなったわァー→  1階のカフェの椅子が展示用なので立寄って座りたくなるわァー→ 雲のような建築ってすてきよネエーー→→☆←←  でも会場2階の透明なプラスチックの切れ端の作品は雲に見えないわァアー↑↑  4階の東京の縮小模型もよくわかないわァアー↑↑  洞窟がテーマのようだけど模型からは見えにくいのよォオー→→ 3階は床から針金を伸ばし先端に小作品を張り付け所狭しに展示していて、一番面白かったわよォオー↑↑  玄関・応接室・台所・書斎・寝室を渦巻きに沿って配置する作品はすてきねェエー↑↑  他にもナルホド作品がいくつかあったわよォー→→ 建物の中に木々を配置して外部と内部をハッキリさせない作品が多いわねェエー→→  ハッキリさせないと蚊や蟻が入ってくるじゃないィイー←←  私邸はハッキリさせて外部と内部をもっと近づけなさいよォー→→ 壮介サンは公共施設から逃げたいのネェー?→?→?  このため混乱が見えるわァアー↓↓  だから支援としてワークショップで、あたしの大作「大東京計画」を描いて提出しておいたわァアーー↑↑  壮介サーン↑↑見ておいてねエーン↑↑☆→ ☆→

■私を見て!

■東京都写真美術館 ■ http://syabi.com/contents/exhibition/index-16.html ■写真家一人ひとりの枚数は少ないけど50人のヌード写真展よ。 60年代までの作品がいちばんセクシーに感じるわ。 加工してないからよ。 年代が遡ると無機質にみえてくるわ。 撮る人も見る人も知識や解釈を持て余し過ぎね。 家族の章が面白かったわ。 大竹省二の「母子像」や沢渡朔「ナディア」がいいわ。 有田泰而や立木義浩も重量感が出ている。この美術館は歴史が好きなのよ。 歴史をいつも意識させられるの。 少し飽きてるけど・・、でも今回はヌード入門としてこれで俯瞰するのにはもってこいね。 「オノデラユキ写真の迷宮へ」も覘いてみたけどつまらなかったわ、・・この展示は夏痩せね。 そこのエロイお兄さん・・、ヌード写真をみたら純粋に感動してね。

■ザ・コレクション・ヴィンタトゥール

■世田谷美術館,2010.8.7-10.11 ■ピナ・バウシュの舞踊団ヴッパータールに似ているのでドイツかと思いきやスイスの美術館でした。 ゴッホの郵便配達人が目玉です。 ゴッホの黄色は世界が静かに燃えていくようです。 青色の激しく氷っていくのと違って暑い夏にとてもマッチします。 スイス人印象派のリーバーマンやコリントは下手糞です。 ナビ派のヴァロットンも同様です。 スイス人は絵の才能がありません。 以降ドイツ表現主義、キュビスムそして素朴派と20世紀前半までの有名画家を広く展示しています。 作品の多くは小粒です。 この為カネをかけない近代絵画世界一周旅行をしたような気分になりました。 この気分を持つことがヴィンタトゥールの狙いのようです。 *副題は「スイス発,知られざるヨーロピアン・モダンの殿堂」 *館サイト、 https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00153

■アントワープ王立美術館展

■オペラシティ・アートギャラリ ■ http://www.operacity.jp/ag/exh120/index.html ■どうしてベルギーがこんなに繁盛するのォォー??  損保や文化やオペラで1年半に5展も開催よォオー↑↑ 場内は知らない画家ばかりだわアー↓→↓→  残りカスを集めたのねエー←← 多くが初公開ということは、よほど自信がなかったのねエー。  それは見てもわかるわアー←← ベルギーは寒過ぎるのよオー。 19世紀絵画は、やっぱ温かいところで生活してなくちゃだめねエー→→ ワウテルスの薄塗りなど好きになれる絵が何枚かあるわアー。 せめてもの救いねエー↓↓ デルヴォの豊饒な毛はいつ見ても身震いするわァアー↑↑  でも、あたしの方がゴージャスよォオー↑↑ ☆↑ ☆↑↑ ☆↑↑↑

■鴨居玲展

■そごう美術館,2010.7.17-8.31 ■何枚かの絵はみたことがあったのですが名前と初めて一致させることができました。 「静止した刻」は動作だけを瞬時に止めた感じでとても演劇的です。 画中人物の脳は激しく活動しているようです。 「酔っぱらい」や「自画像」も同じように芝居のひとコマを見ているようです。  暗褐色が多いなか深青色の3枚の絵は異次元の世界のようで新鮮でした。 裸婦はとても艶めかしさがあり上手いとおもいました。 「目を描くと表情が定まってしまう」と彼は言っています。 先日見た有元利夫は手足を描かない。 ハッキリ描くと不利な時代なのでしょうか? 展示構成が彼の死にかたを強調し過ぎています。 全ての絵が自死へつながっていくように見えます。 とても感動しましたが同時に暗い気持ちで館をあとにしました。 *館サイト、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/10/0717_kamoi/index.html

■借りぐらしのアリエッティ

■東京都現代美術館 ■ http://www.mot-art-museum.jp/ ■スタジオジブリだから絶対行かなくちゃ! 会場はアリエッティになりきって歩くことができるの。 鉛筆は1mもあるし、向日葵の種や虫たちも30cmの大きさよ。 いつも見ている雑草が背丈以上に拡大されてその中を歩くと目眩がしてくるの。 家の中に入ると30cmの角砂糖や服のボタンが置いてありアリエッティの生活が現実に見えるわ。 押井守「イノセンス」の背景がとても印象に残っていたけど今納得したの。 この背景のデザインが種田陽平だったのよ。 今回の展示も彼が監督よ。 種田陽平という新しい味方をまた発見したわ。 美術館はこうでなくちゃ。

■遊びのなかの色と形展

■目黒区美術館 ■ http://www.mmat.jp/flyer.html ■クルト・ネフとアントニオ・ヴィターリの玩具展よ。 作品素材はどちらも木片。 ネフの初期作品はおもちゃそのものね。 色は原色で美しいわ。 途中ペア・クラーセンに出会いネフ社の玩具は無駄を削ぎ落とし美しさを増したの。 芸術作品への変身ね。 ヴィターリの玩具は曲線よ。 色は塗らないの。 玩具より置物かな。 子供への反応が良いのか知りたいところね。 遊べるコーナーでネフ社のいろいろな玩具を触ってみたの。 楓?を使っているからおもったより軽い。 スイスの子供たちはネフで遊ぶのかしら? 日本では高価だし玩具店より美術館ショップで売るような作品に見えるし・・・。

■ブリューゲル版画の世界

■Bunkamura・ザミュージアム,2010.7.17-8.29 ■ブリューゲルの版画は疲れるわアー。 ブリューゲルの版画は細部を舐めるようにして見ちゃうのヨオー だから混んでる時に行ったら大変だわア。 間違って隣の人を舐めちゃいそうだわア→→ オランダやドイツ人はやっぱイタリア旅行が大事なのねエー。 この展示も意識してるわヨー→→ 多くの帆船画がブリューゲルにあったなんで初めて知ったわアー。 さすが海運国ねエ→→ 同時代人の版画もあったけど比較すると劣るのがわかるのヨー。 ブリューゲル見なおしちゃったわアー↑↑ でも、これだけ見るとブリューゲルの版画って疲れるわァァ。 この疲れは☆熱☆中☆症☆だわア←← *ベルギー王立図書館所蔵作品 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/old/museum/lineup/10_brueghel/index.html

■中村宏 タブロオ・マシン展

■練馬区立美術館,2010.7.25-9.5 ■中村宏は練馬在住のようだ。 地元なので本人も美術館も力が入っていた。 主要な絵の展示はなかったが画家とその時代の全体像がみえて面白い内容だった。 中村宏はセーラ服と機関車のシュールな絵しか知らない。 「癒しの絵は描かない」と画家の言葉があった。 列車が走っているときの汽笛や線路音のリズム、飛行機の爆音を声に出しながら描いているような絵だ。 子供が声を出して列車や飛行機の絵を描いている時のように。 描いている時こそ本人が癒されているのでは・・・。 月刊総合誌の表紙・演劇誌のイラスト・大岡昇平の小説挿絵など当時の状況を知ることができ興味深い。 分野が多義にわたっているがテーマが社会の苦悩であれ描く時は自身が癒されないと「絵画を絵画で語ろうとする絵画」は描けないとおもう。 *館サイト、 https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=m10210

■ネイチャー・センス展

■森美術館 , 2014.7.14-11.7 ■世界との関係を大きく変えることができたの。 吉岡徳仁は気の抜けた作品で面白くないわね。 どうみても夏バテね。 篠田太郎は作品が複雑で言葉に置き換えるのが面倒なの。 で省略する。 栗林隆の作品はピッタリきたわ。 所々に開いている天井穴から顔を出すと森の地面から木々を見上げる仕掛けになってるの。 その時野ネズミやモグラになった気持ちになるのよ。 以前ミュージカルを観に行った劇場で、場内が「蟻の巣の中だ!」という体感を持ったことを思い出したの。 蟻になってしまった感覚よ。 上の作品で野ネズミになったのと同じね。 この体感を再び経験できたのは驚きかつとても嬉しいわ。 *美術館、 https://www.mori.art.museum/contents/sensing_nature/exhibition/index.html

■デイヴィッド・アジャイ展

■ギャラリー間 ■ http://www.toto.co.jp/gallerma/ ■タンザニア生まれでロンドンとアフリカで活躍している建築家である。 光を重視する人だ。 ガラスを古典的に利用しようとしている。 色で外光を制御したり建物の存在をガラスで表現している。 すべてガラスで覆われている今様の日本の高層建築と似て非なる方法だ。 建築中のモスクワ経営大学はこれを含め景観全体の古臭さ内部の教室の不規則な位置構造など傍から見ていてもとても心配になってしまう建物だ。 しかしこのような建築も諾という世界は広く深い。

■能面の心・装束の華

■根津美術館 ■ http://www.nezu-muse.or.jp/index.html ■世阿弥って蒸し暑さの中でも素敵だわアー←← 演目ストーリと能面・装束が順に展示してある展示方法で舞台が甦ってくるわアー↑↑ 展示の最初は敦盛よオー↑↑  ストーリを読んだだけで涙が出てくるわアー↑↑   舞台では草刈男の緑色装束の鮮やかしか覚えていなかったの↓↓ 敦盛の浅葱色の草花模様ってすばらしいわアー↑↑ 敦盛の化身だわアー↑↑ そして杜若、葵上のところでは涙と汗と涎で衣服はビショビショよオー↑↑ サントリー美術館「能の雅」でもこのような展示方法とってくれればいいのにイイー→→ アハー頭の中で舞台がくるくる回って狂わアー↑↑  あたしって目眩に弱いのよォォォオーー→→→  →→

■カポディモンテ美術館展

■国立西洋美術館 ■ http://www.tbs.co.jp/capo2010/index-j.html ■ナポリを見ても死ねないわアー→→ キリスト教は謎だわァアー↑↑ ヴァザーリの「キリストの復活」はマラソンしてるように見えるわアー↑↑ キリストってアスリートだったのネエー→→ パルミジャニーノの「貴婦人の肖像」は艶めかしさがすこしも無いのよオー↑↑ あたしの色気を分けてあげたいわアー↑↑ グレコの「燃え木でローソク」はグレコらしくないわアー↑↑ いつものようにもっと劇的にあたしに迫ってきて欲しいのォオー←← レーニの「アタとヒッポ」はコンテンポラリダンスを踊ってるようだワー→→  大理石のような肉体は乾ききって猛暑を忘れるわアー↑↑ ・・・→→ でも、作品名に<聖>が付き過ぎよォオー↑↑ <性>と違って身体がついていかないのよオー→→  キリスト絵画は生活実感がわかないわアー↑↑ 聖アントニウス・聖セバステイアヌス・聖エウスタキウス・聖母子・聖エリザベッタ・聖ペテロ・聖マリア・聖マルガリタ・聖ヨハネ・聖アガタ・聖カエキリア・聖ニコラウスゥゥゥゥゥゥ↓↓ キリスト教って謎ねェエー↑↑ ナポリの人は<わかってる>のかしらァアー?? 色イタ男のジローラモに聞いてみたいわアー↑↑ ・・・→←

■マン・レイ展、知られざる創作の秘密

■国立新美術館,2010.7.14-9.13 ■レイの写真のどこが面白いんだろう。 被写体の人物は生き生きしていないし、社会から孤立しているかのようだ。 レイが意識してこのように撮ったとは思えない。 「・・・彼は無関心ではなくて無頓着だ」と解説にあったようだが、レイを言い当てている。 彼は多忙だつた。 戦略のない多くの興味を持った忙しさだ。 その結果が素人レベルの多作だ。 しかし20世紀が彼の興味を救った。 時代は裏切らなかった。 ・・若いニューヨーク時代の作品は楽しめた。 *美術館、 https://www.nact.jp/exhibition_special/2010/manray/

■有元利夫展、天空の音楽

■東京都庭園美術館 , 2010.7.3-9.5 ■目黒駅から急いだので見はじめは落ち着かない。 2階からやっと集中できる。 有元の絵は他の事を考えながら鑑賞することはない。 作品の季節や内に響くクラヴィーアに合わせて見るだけだ。 そして心は静かになり豊かな気分が訪れる。 手足をハッキリ描かなかった理由が書かれていた。 描くと心静かに鑑賞できないと言っている。 初めて卒業作品を見た。 ベン・シャーン風の擦れた青と赤の色遣いだ。 社会的題材のポスターや挿絵への関心そしてシャーンの死が当時のデザイン科学生有元の志に一致したのだとおもう。 調べると前回は3年前のそごう美術館でみている。 年に一度はみたい画家の一人だ。 *有元利夫没後25年展 *Internet Museum、 https://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input%5Bid%5D=67901

■ポーラ美術館コレクション展、印象派とエコール・ド・パリ

■横浜美術館,2010.7.2-9.4 ■ポーラ美術館には何度か足を運んでるの。 好きな美術館の一つよ。 シスレーの「ロワン河畔」を見てると心が澄んでくる・・、 ルノワールの「ムール貝採り」は子供時代を思い出すの。 ピサロの「エラニーの梨の木」の緑と橙の点描の混ざり合いは絶妙で、 セザンヌの「ラム酒瓶の静物」は30分見てても飽きない。 至福の時を過ごせたわよ。 *美術館、 https://yokohama.art.museum/exhibition/archive/2010/20100702-91.html

■シャガール展

■東京芸術大学美術館 ■ http://www.geidai.ac.jp/ ■「ロシア芸術家たちと一堂に展示して欲しい」とシャガールは言ってるが本心だろうか? 彼の作品を見てもそう思えない。 彼の故郷に芸術など無い。 幼少時代から結婚時代の人生の思い出だけで頭は一杯なのだ。  マレーヴィチとの確執で二度と故郷へ戻らなかったことからもそれはわかる。 そして孤立の画家だが時代がそうさせなかっただけだ。 否応なしに20世紀前期潮流に溺れた。 そして20世紀後期は潮流から外れ過ぎ長生きし過ぎたので目立ってしまっただけだ。 それだからこそパリ・オペラ座天井画、メトロポリタンの魔笛は輝いているのかもしれない。

■ハンス・コパー展

■汐留ミュージアム ■ http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/10/ ■展示場出口近くのルーシー・リーの作品と比較した時、コパーは芸術的感動とは違う何かを作品に付与したかった・・・、 それがわかったの。 コパーの作品は弥生時代の土器を未来に蘇らせた感じがする。 形は幾何学的でも生物の匂いがして温かみがあるわ。 将来、有機ロボットができたらその部品はコパーの土器のようだとおもう。 コパーの顔もどこかロボットに似てるしネ。

■落合多武展

■ワタリウム美術館,2010.5.22-8.8 ■猫の写真は猫派としては物足りないし、シュレーディンガの猫は作品が無いし、両端が混ざり合う感覚からは逃れたいし、アトランテイックシティの海の波や南北極点の絵の解説はつまらないし・・、 しかし建物のドローイングはビビッと来るものがあった。 だが言葉や物語の膨らまし過ぎだ。観る者は作者と作品の関係に疲れてしまう。 ところでスパイは任務に失敗してもそれを明かさないのがスパイのはずだが? シュレメチボ空港のKGBが精鋭だったのは意見が一致したようだ。 えっ?一致してない? そりゃ膨らまし過ぎだよ。 *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1005tamu/index.html

■旧陸軍登戸研究所資料館

■日中・太平洋戦争時代に陸軍の防諜・諜報・謀略・宣伝を担った研究所らしい。 偽札・毒ガス・風船爆弾などのスパイ用品や化学兵器を作っていたの。 戦争が長引いたので研究が拡大していき、建物100棟に1000名の研究員・職員が働いていた。 終戦に軍が密廃棄したため展示物はきわめて少ないようにみえる。 風船爆弾も模型よ。 展示方法は文章中心だけど高校生にも分かり易い。 でもこれ以上テーマを突き詰めるには高い情報収集と組織力が必要ね。 跡地は明治大学理工学部のためキャンパス見学も兼ねてきたわ。 *館サイト、 http://www.meiji.ac.jp/noborito/about/index.html

■トリック・アートの世界展

■東郷青児美術館、2010.07.10-08.29 ■トリックというとエッシャーの絵を思い出すわ。 でも会場にはちゃんとした絵が多かったの。 スーパーリアリズムはトリックではない。 福田美蘭の絵画中の人物から見た絵もね。 上田薫の玉子や佐藤正明の絵などは描くこと自体が好きでないと描けない作品だと思う。 三尾公三と中川直人の絵が気にいったけど、・・あとはだめね。 でも夏休みの子供たちにはトリックとは違った絵画としての面白さがあっていいかもね。

■世界報道写真展2010

■東京都写真美術館 ■喉チンコが身震いするわァアー↓↓ ジンバブエの人々って象を食べるのが速いわネェ!? あっという間に象が骨だけになっちゃうの!? でも写真では我先へと走って食べに来るわけでも無いし、ガッツイた顔もしてないの!?そこが不気味なのよォオー!?ジンバブエってわからないわァア↑↑ イスラムの石打ちの刑ってスゴイワアー!?地面からでている生埋めの受刑者に向かって皆で石をなげるのよォオ!?そして石を投げ終わったあとまっ赤赤になった受刑者を土から出してオエオエホー!?イスラムってわからないわァアー↑↑ イラク戦争で脳の40%を失った米軍兵士の写真もゥオゥオー!?既に米兵死亡は4千人以上だし、精神障害兵士ばっかりなのよオオ!?オバマってわからないわァアー↑↑ ガザ地区の瓦礫の中に子供の首が転がってるのは仰天だわァアー!?白リン弾の威力って怖いわァアー!?話題のシュロモ・サンドの本では「ユダヤ」は民族とは無関係だがシオニストはそれを「民族」にすり替えたと言ってるし・・・、イスラエルってわからないわァアー↑↑ 血肉飛び散る写真なんて見たくないけど無意識に激視してしまうのよォォオー、あたしってマゾねェエー↑↑

■古屋誠一メモワール、愛の復讐、共に離れて

■東京都写真美術館,2010.5.15-7.19 ■家族の肖像の背後にある20世紀ヨーロッパを思い出させてくれた。 亡きドイツ人妻の写真に日本の戒名を張り付けた作品がまず目に入る。 そして数十枚の妻や子供の写真がそれに続く。 絵画なら1枚で済むものを写真だとこうも必要なのか。 そして作者の意思とは無関係に観る者は作品を勝手に深読みしていく。 東ベルリン1985年の風景は静寂そのものだ。 ソビエト崩壊が来るまで1945年のままで止まっている。 写ってはいない戦争の残匂が感じ取れる。 古屋はシベリア経由でヨーロッパに行ったとパンフレットに書いている。 日本人がヨーロッパへ行く経路はとても重要だ、と言ってるように思える。 飛行機で表玄関のパリや裏玄関のモスクワしか数択できない者には羨ましい限りだが。 *館サイト、 http://syabi.com/contents/exhibition/index-18.html

■ノーマン・ロックウェル-オールディーズ、その愛しき素顔たち-

■府中美術館,2010.5.19-7.11 ■アメリカは映画でしか知らないの。 「シェーン」はロックウェルの作品に描かれている人たちの祖先に見える。 そして時代は下り「俺たちに明日はない」、「怒りの葡萄」、「イージーライダー」。 この映画の主人公を撃つ側がロックウェルの描いた人々なの。 でも「少女が子牛を買う」(1948年)の動物との語らい、「チケット売場」(1937年)に描かれているオリエント旅行や航空券を見ると、自然の豊かさ資本の豊かさのアメリカに嫉妬するわね。 *館サイト、 https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/Rockwell.html

■ウィリアム・エグルストン写真展、パリ-京都

■原美術館 ■なに?コレー? ただ色や形がきれいだからといって、目に入った風景をパカパカシャッター押してるだけじゃない!! そして写真の横に添えられたミミズが這っているような絵は何なの!?コレエー? 被写体の人物は異常な要求を突き付けられているようでモドカシイーという感じネエー 京都の写真も最悪だわー トイレの窓・病院の掲示板・玄関の犬の置物・制服の女子高校生・・・、呆れ過ぎてオナラも出ない。 失意とどん底の状態でむし暑い御殿山を駆け降り大崎駅でハイチドライカレーを食べたらハイチに行った気分になってしまい、ハイチコーヒーを飲むとなんとブードゥー教の儀礼音楽を口ずさんでしまったのー→→ そしてエグルストンなどすっかり忘れゾンビの格好をしながらなんでアタシはこうも真面目なんだと思って上野へ戻ったワァー・・・

■オルセー美術館展2010、ポスト印象派

■国立新美術館,2010.5.26-8.16 ■ポスト印象派って、やっぱ前期印象派と比べて最初に脳味噌で見てしまうわァアー↑↑  そして最後に肉体にフイードバックするのよォオー↑↑ あたしの豊饒な肉体の出番が少ないわァアー↑↑ でもそのほうが知的だわァアー↑↑ 本場オルセーからみてゴーギャンが劣るわねェエー↑↑ ゴッホはまあまあ、セザンヌは本場以上よォオー↑↑  ドニが多過ぎたわァアー↑↑ ボナールは全て二流品ねェエー↑↑  4章のロートレックと9章のルソーは付け足しに見えたわァアー↑↑ でも分かり易い10章でしたわよォオー↑↑  そして全体を見ればオルセーを超えてるわァアー↑↑  絵ハガキは1枚、セザンヌの篭のある静物を買いましたわァアー↑↑  久しぶりに満マン足ゾクしましたわァアー↑↑ *館サイト、 https://www.nact.jp/exhibition_special/2010/orsay/

■第33回コレクション展-ジオメトリック・イメージズ-  ■いのくまさん

■東京オペラシティアートギャラリー ■同館の常設展にあたるコレクション展を先日見てきた。 その中で野田裕示の幾枚かの作品に痛く感動してしまった。 知らなかった画家だが絵の不思議さを考えさせられる。 作品を見ていると形・色・塗などが物質的・触覚的そして有機的にまとまりそれが存在の謎に迫って、あのセザンヌを見た時と同じ感覚がおしよせてくるのだ。 画家奥山民枝を知ったのも去年10月のコレクション展だった。 いつも、知らないそしてすばらしい画家を教えてくれる貴重な展示会である。 ■いのくまさん ■「絵を描くには勇気がいる」とは勇気がいる言葉だ。 上信越・東北・北海道出身の年配者が上野駅の壁画をチラッと見て「上野駅」が瞬時に意識にのぼればよいのだ。 三越の包装紙をチラッと見て「三越」が少しだけ頭を横切ればいいのだ。 いのくまさんの絵はチラッと見てよくわからないがなにか志向性のある意識が立ちあがればそれでいいのだ。

■語りかける風景

■東京文化村ミュージアム ■初めてみる絵が多い事はすてきだわアー↑↑ おフランスは、台風・地震・大雨の日本とはゼンゼン違うのねエー↑↑ 洪水の絵がありましたけど静かな湖に家が建っているみたいでしょオー↑↑  しかし初めて見る絵が多いとワクワクするわねエー↑↑  乳首がピクピク震えるわアァァー↑↑ この1年間、ミュージアムの内容はとても良くなったと思うわアー↑↑  文化村もやっと芸術がわかってきたのねエー↑↑  ついでのギャラリーで牧野宗則木版画展の原色の風景を見て頭が混乱してしまったわアー↑↑  あたしをそんなに虐めないでエェェェー↑←↓→

■フェリックス・ティオリェ写真展

■世田谷美術館 ■写真はディテールを舐めるようにして見てしまうことだ。 なぜならそこにリアルな形跡があるから。 そこから作品の物語を読み、最後は自分の物語まで行きつくのだ。 ここが絵画と違うところだと思う。 しかしフェリックスの作品を見ても物語を上手く構築できない。 彼は写真家としては素人だからだ。 これはと思うのが数枚あるがたまたま上手く取れただけのことだ。 砧公園の新緑の中を歩いたことをプラスすれば、しかし最高の散歩だった。

■フセイン・チャラヤン展

■東京現代美術館 ■チャラヤンのファッションってダサいと思う。 理由は二つあるわ。 科学技術・遺伝子・建築と領域を広げ過ぎてるのよ。 このため彼のデザインは漫画チックなの。 二つめは彼自身の物語から逃げられないのよ。 キプロスやトルコが彼の足を引っ張るの。 これらが混ざり合ってキッチュな作品になっちゃってるの。 自分では真面目だと思ってるのところが可愛いわ。 そして行動力でなんとか作品を消化させている所が涙ぐましいわ。

■建築はどこにあるの?  ■フランク・ブラングィン展

■建築はどこにあるの? ■東京国立近代美術館,2010.4.29-8.8 ■こんな作品たちを展示して恥ずかしいとは思わないのか? 想像力がまったく無い。 伊藤豊雄に至っては紙1枚の説明書がところどころに貼ってあるだけで笑っちゃったね。 踊る大捜査線でも言ってるだろ「建築は美術館にはない、現場にあるんだ」と。 ところで何故アバターがつまらないか? ベトナム反戦をベースにしたハリボテ映画だ。 髭で生き物と交流するところはナウシカを、空中の島や巨大な木はラピュタを、遠隔肉体操作はマトリックスを思い出させる。 これらは監督が公言しているからまだいいが、問題はスクリーン一面にかかる雲であり霧だ。 視界が遮られてしまい新しい3Dの魅力がでていない。 遠くまで見えるクリアな画面をもっと押し出すべきだ。 この欠点をキャメロンは知っていた。 それなのにこの問題を問題として無視し問題のまま問題にしなかったのが問題なのだとおもう。 *館サイト、 http://archive.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/index.html ■フランク・ブラングィン展 ■国立西洋美術館 ■作品を見たが感動が湧かない。 芸術への率直さが無い。 芸術に接した時の喜びがまったく無い。 フランクは芸術を知らず松方幸次郎は金の使い方を知らない、そして西洋美術館は真面目さが足りない。 こんなことばかりしてるから事業仕訳が必要になるのだ。

■ポスト・フォッシル展

■東京ミッドタウン・212デザインサイト ■作品を見ていると何かを思い出してしまった。 まだ生まれていない大昔の記憶だ。 それがチラッチラッと出てくるのだ。 未開部族を真似た音楽作品が一つあったが、それが展示会場のどこにいてもかすかに聞こえてくるのが効果を倍増している。 鑑賞者にこのような感覚を与えられる企画を作れるのは凄いと思う。 今回のディレクターはエデルコートと言うオランダ人で「タイム」誌で世界でもっとも影響力のある25人にも選出されているようだ。 このような人がいると知っただけでもお釣りがくる。 フォッシル=FOSSILとは化石のこと。

■モーリス・ユトリロ展-パリを愛した孤独な画家-

■損保ジャパン東郷青児美術館,2010.4.17-7.4 ■42階の窓からの東京を一望し会場に徐に入った。 なんだかいつもと違った心持だ。 どうも変だ。 すべて初公開ということだが見るに耐えない絵ばかりが並んでいる。 人物・木々・道・・・どれも雑に描いている。 ユトリロ的なあの建物の白い壁さえも輝きが失せているのだ。 ユトリロのアル中そして奴隷のような生活がこの結果だったのか? ・・・。 言葉が続かない。 *美術館、 https://www.sompo-museum.org/exhibitions/past/2010/

■ボストン美術館展

■森アーツセンターギャラリー ■人物画、宗教画の展示順序にボストンの厚みがでてましたわアー↑ モネに一部屋割いているし、風景画の部屋に来た時には感動の泪と発汗のため顔はクッシャクシャ、パンティはビッショビショになりましたのよオー↑ しかし最後の静物画の部屋へ行ったら・・・なっ、ナッ、なんと4枚しか展示されていなかったわよオー!↑ 一度に奈落の底に突き落とされ失神してしまいそうになりましたわアー↑ 静物画は20枚は展示してほしいわアー↑ 友だちに支えてもらいながらギャラリーを離れましたが、終わりよければ全てよしは忘れないでねエー↑↑↓

■ロトチェンコとステパーノワ

■東京都庭園美術館 ■ 展示を見ながらメイエルホリドが、ニジンスキーが、チェーホフが、カンディンスキーが・・・・どんどん広がっていくような展示方法がロシア構成主義の場合は必要である。 エイゼンシュティンの戦艦ポチョムキンやメキシコ万歳のシーンが頭の中に溢れ出でこないといけない。 このような広がりを持てたであろうか?  ルノアールやゴッホの鑑賞とは違い豊かな知識と想像力が必要な展示会だ。 庭園美術館内は小さな個室に分かれているのでどうも大きな流れを見る展示会には弱いのではないのか?   感動が沸き起こらないまま館を後にした。

■アーティスト・ファイル2010 ■クリストとジャンヌ=クロード展 ■芸術は可能か?

■アーティスト・ファイル2010 ■国立新美術館 ■別世界へ連れて行ってくれるのが良い作品だと思います。  7人の作家が出品していましたが絵画の森久保徹はこのチカラがありました。 福田尚代の本を加工した作品も面白かったです。 石田尚志は他展にも出店しているせいか疲れ気味でしたね。  そして残念ですが多くの作品は別世界への入口があるようには思えませんでした。 これが時代のリアリティーというものでしょうか? *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2010/af2010/ ■クリストとジャンヌ=クロード展 ■東京ミッドタウン21_21デザインサイト ■公共施設や広域自然地区が対象だと行政との調整・多大な事務処理・制約あるスケジュールなどをこなすので大変だと思います。  良質な初期作品は認めるが、後期作品特に自然を対象とする作品はそこまでやる必要があるのか!疑問におもいました。 *館サイト、 http://www.2121designsight.jp/program/candj/ ■芸術は可能か? ■森美術館 ■この美術館はガランとしていて個々の作品が孤立している。 ひとつひとつの作品は元気があるが思想的深みが見えないので空回りしている感じで目が回り出口がまったくみつからない。 やっと会場の出口をみつけた時はもはや芸術が理解できなくなってしまっていた。 題名の理解も不可能だということがよくわかった。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2010/index.html

■ジャンルー・シーフ写真展

■東京都写真美術館 ■シーフの写真って何も語っていないのね。 しかし写真を見ると語っているように見えるの。 そこがシーフの凄いところよ。 そして語っていないことを彼自身は知らなかった。 ワインの飲み過ぎね。 しかしこの写真展は拾いもの。 彼と出会えてよかったわ。

■ポンペイ展  ■ルートヴィヒ美術館展

□ポンペイ展 ■横浜美術館,2010.3.20-6.13 ■当時の暮らしぶりは少ない出品数ながらなんとかみえる。 説明文も分かりやすい。 言及していないがポンペイの奴隷はどのような生活をしていたのだろうか? 何度かポンペイ展を観ているが、2000年2月に品川インターシティーで開催された展示を超えるものは未だでていない。 しかしイタリアの明黄土色、ポンペイの明赤茶色はいつ見ても感動する色だ。 それに鳥が描かれている草木が揃うとポンペイの豊かさが沁み渡ってくるのが分かる。 *美術館、 https://yokohama.art.museum/exhibition/archive/2010/20100320-90.html □ルートヴィヒ美術館展 ■横浜そごう美術館 ■小粒な作品が多いがこの会場の大きさからいって妥当かつ入館者がすくないのでゆっくりと鑑賞できた。  ただし説明書が分かり易く書いてあったのでついつい読んでしまい鑑賞のじゃまになってしまった。 まったく腹立たしい。  1995年8月にもこの会場で同美術館展をおこなっていたのだが記憶にない。 今回も1年も経てば忘れてしまう内容だろう。 *美術館、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/10/0408_picasso/

■過去の感想は・・

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