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■2017年美術展ベスト10

□ デヴィッド・ボウイ・イズ   天王洲・寺田倉庫 □ ティツィアーノとヴェネツィア派展   東京都美術館 □ サンシャワー、東南アジアの現代美術展   国立新美術館+森美術館 □ 荒木経惟センチメンタルな旅1971-2017-   東京都写真美術館 □ 静かなひとびと   東京オペラシティアートギャラリー □ 日本の家-1945年以降の建築と暮らし-   東京国立近代美術館 □ 狩野元信-天下を治めた絵師-   サントリー美術館 □ 運慶   東京国立博物館・平成館 □ オットー・ネーベル展、知られざるスイスの画家   Bunkamura・ザミュージアム □ ユージン・スミス写真展   東京都写真美術館 *並びは開催日順。 選出範囲は当ブログに書かれた作品。 映画は除く。 * 「2016年美術展ベスト10 」

■謎の天才画家ヒエロニムス・ボス

■監督:ホセ・ルイス・ロペス=リナレス ■イメージフォーラム,2018.12.16-(スペイン・フランス,2016年作品) ■2017年はボスで締めくくります。 ボスと言えば缶コーヒーではなく、今年なら「 バベルの塔 」になりますか? この映画は三連祭壇画「快楽の園」のみに集中させている。 そして祭壇画を前にして20名前後の有名人が勝手に喋りまくる。 有名人といっても知っている人は蔡國強とルネ・フレミングだけでした。 経歴を読めば思い出してもう少しいるかもしれない。 「快楽の園」の本物はみたことがありません。 絵の前に立てばかぶりつきになるでしょう。 何度もみたくなる理由の一つに、登場人物の多くが素っ裸で肌の色が白く滑らかな為だと思います。 有名人の一人が「エロチックだが温度が低い」と語っていましたが飽きが来ない所以でしょう。 他の一人は内容が「キリスト教教義に則っている」とも言っている。 キリスト教批判を絵中に入れているにもかかわらず長く親しまれている理由かもしれない。 さすが悪魔のクリエーターでありキリスト教友愛団「聖母マリア兄弟会」所属名士だけあります。 *作品サイト、 http://bosch-movie.com/

■フランス宮廷の磁器セーヴル、創造の300年

■サントリー美術館,2017.11.22-2018.1.28 ■セーヴルの名前は聞いてはいたが中身は知らない。 1740年ルイ15世のもとで磁器製作所として誕生したようだ。 「東洋へのあこがれ」から芸術そして日常へと浸透していく流れは西欧どこも同じである。 18世紀は国王の画家たとえばロココのプーシェや生活色のある英国庭園の絵柄などを採用した親しみやすい作品が多い。 しかし19世紀になると趣味の世界から脱して本格的に変化したのを感じる。 これは製作所所長ブロンニャールの力らしい。 有名画家も採用し続けているので質が保たれている。 20世紀も芸術部長サンディエなどが頑張っているようだが世界動向に巻き込まれてしまった。 ダンサーのロイ・フラーの利用やアール・デコの採用はその現れだろう。 しかし沼田一雅など外部からの受け入れが衰えていないところは大したものだ。 現代になると製作所の考えは全く見えなくなってしまう。 世界作家とのコラボだけが前面に出ている。 国王から所長そして芸術部長で遣り繰りしてきたが今や作家だけがが残ってしまった。 硬くて重いモノとしての陶磁器は時代変化に弱いから母屋の維持は大変なのだろう。 セーヴルを例にした陶磁器盛衰史の展示会にもみえた。 *六本木開館10周年記念展 *館サイト、 https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2017_6/index.html

■デンマーク・デザイン

■損保ジャパン日本興亜美術館,2017.11.23-12.27 ■デンマークの最高地は173メートルしかない。 この値には驚きです。 北欧諸国の一つなら千メートル以上はあると考えてしまう。 作品をみても自然にどっぷり浸かって木や革を使うのとは違う。 福祉国家いわゆるノルデックシステムから来ているようです。 具体的には人間生活の基本としての快適な住まいからです。 そこで使われる家具や食器、玩具も同列に扱われている。  しかし会場は政治・経済との関係を深くは論じていない。 デザイナーの紹介を読んでも福祉国家との繋がりは分からない。 影響は複雑なようです。 さり気なく無駄を排除している作品は九州ほどの国土や人口570万人から来ているデザインにみえます。 少し誤ればニトリやシマムラと同じになってしまうところもある。 会場にあった座れる椅子は全てを試したがなかなか良い。 座った時に感じたのは<余裕>というようなものでした。 これこそが福祉国家と小さな国土・自然と歴史・文化が融合したデザイン結果かもしれない(?)。 日本のモノやコトからは<余裕>を感じたことがないことを思い出させてくれました。 ・・日本の余裕の無さは一体どこから来るのか? *日本・デンマーク国交樹立150周年記念 *館サイト、 https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2017/danmark-design/

■アジェのインスピレーション  ■無垢と経験の写真  ■ユージン・スミス写真展

■東京都写真美術館,2017.11.25-2018.1.28 ■アジェのインスピレーション-ひきつがれる精神- ■アジェが撮ったパリの街並みをみていると、そのまま止まっている当時の時間を感じることができる。 壁や窓やドアからできている一つの建物はアジェ独特な存在感を持っている。 それは幾何学的な美しさがあるの。 人は疎らで小さく撮られているから気配だけが建物に溶け込んでいく。 無機質が優位でもそこに暖かさが感じられる。 アメリカ、特にMOMAを中心とした展示のようね。 副題を広げアジェに影響を受けた日本作家の作品も並んでいる。 「アジェは別格!」。 清野賀子の言うとおりだわ。 荒木経惟は「手本はアジェ、その後継者はウォーカー・エヴァンズ・・」。 被写体の対象は違うけど後継者は分かる気がする。 アジェの作品に触れると精神が清められる。 *館サイト、 http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2878.html ■無垢と経験の写真-日本の新進作家vol.14- ■5人の新進作家の展示会よ。 好みが分かれるわね。 片山真理は周りにある玩具や衣装、寝具と一体になり独特な世界が現れている。 彼女の心の在り様も分かるから恐ろしい。 鈴木のぞみの木枠やサッシの窓に風景を印画した作品は異様な雰囲気がある。 手鏡ではリングの貞子を思い出してしまった。 金山貴宏は張り詰めた目や顔の家族や親類の記録。 そして武田慎平は放射線感光のフォトグラム作品でよく分からない。 緊張感ある会場だった。 吉野英理香の湿り気と濃さを持った木々草花や物々を背景にした作品が唯一現実に戻る道筋を持っていたわね。 *館サイト、 http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2876.html ■生誕100年ユージン・スミス写真展 ■12章の構成だけど「太平洋戦争」「スペインの村」「水俣」は何回もみた記憶がある。 他はまとめて観たことがないので貴重な展示会よ。 彼がライフ編集部と対立したのは大ニュースより人々の日常生活の限界に目を移していたからだとおもう。 「カントリー・ドクター」や「助産婦」「アルベルト・シュバァイツァー」の医者と患者の姿。 「化学の君臨」「日立」や「季節農業労働者」「ピッツバー

■ゴッホ、最後の手紙

■監督:ドロタ・コビエラ,出演:ダグラス・ブース,ジェローム・フリン,ロベルト・グラチーク ■新宿シネマカリテ,2017.12-(イギリス+ポーランド,2017年作品) ■アニメだと聞いていたが100%アニメだった。 実写は一場面も無い。 しかもゴッホの描いた絵が動いているのだ! ゴッホ史を開いた時に画家になる迄の職業遍歴に驚いた記憶がある。 この映画はタンギー爺、郵便夫ローラン、ラブー旅館の女将、ガシュの娘マグリットなどにゴッホの姿を簡素に語らせている。 主要関係者を知っていた方がすっきり入れる作品だ。 手紙付の郵便配夫(の息子アルマン)を主人公にしたのが成功した理由だとおもう。 でないと関係者の口を開かせることができない。 当時の郵便配達人は人間関係を繋ぎ合わせてくれる。 それにしても途中まで何が言いたいのか分からない映画だった。 絵については殆ど触れられない。 ゴッホは自殺か他殺か? 自殺ならその原因は何なのか、他殺なら犯人は誰なのか? そして彼は本当に鬱病だったのか、性病との関係は? ・・。 「絵画によって彼自身を語らせる」とチラシにあったがこの映像の努力は認める。 100名以上の絵師を投じて作成した6万枚の下絵の面白さを前面に押し出している作品である。 しかしゴッホを本当に知っているのだろうか? ゴッホとは絵の前に立った時にしか出会えない。 そして今となってはそれで十分かもしれない。 *作品サイト、 http://www.gogh-movie.jp/

■単色のリズム、韓国の抽象  ■懐顧・難波田龍起  ■三瓶玲奈

■東京オペラシティギャラリー,2017.10.14-12.24 ■単色のリズム,韓国の抽象 ■韓国単色画は目立たないので今まで素通りしていました。 ところで初めてのアジア旅行は韓国でした。 上空から眺めた真冬の半島を目にした時これが大陸の色と形か!と感心したのを覚えています。 その時の記憶が甦りました。 乾燥したような動きの少ない形と色はまさに大陸的にみえます。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh202/ ■懐顧・難波田龍起 ■そのまま2階の会場へ入ったのですが大陸から日本海を渡った後の色と形だと直観しました。 湿度が違います。 水彩画が多いせいかもしれない。 ミニマルやアンフォルメルとは生まれが違う為もあるのでしょう。 題名は具体的ですが作品の中にもその跡を見て取れるところが面白い。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh203.php ■三瓶玲奈 ■続けて観たのですが東京へ戻った色と形ですね。 冬の東京の鈍い輝きを持っています。 今回は韓国・日本・東京の日照の違いや湿度・温度の流れを感じさせる3展示会でした。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh204.php

■残像

■監督:アンジェイ・ワイダ,出演:ボグスワフ・リンダ,ゾフィア・ヴィフワチ ■(ポーランド,2016年作品) ■長くて発音し難い名前ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキを初めて知った。 画家でありポーランドのウッチ造形美術大学で教える彼の1948年から52年までの4年間を描いた物語である。 師や友人がマレーヴィッチ、シャガール、ロトチェンコと聞けば彼の立ち位置は大凡検討がつく。 そして大学構内の装飾はモンドリアンを思い出させる。 映像内の建物や道路、そこに行きかう人々の衣服は清潔でスキが無い。 部屋はゴミ一つなく塗装の質感も落ち着いた軽やかさがある。 1950年頃のポーランドには見えないが完璧なカメラワークがそれらに有無を言わせない。 つまり監督ワイダは国家と芸術家の関係を描きたかったようだ。 彼の視覚理論やゴッホ批評は断片的に語られるだけである。 ストゥシェミンスキの芸術理論は社会主義リアリズムに合わない。 スターリン主義に傾いていく国家権力は「どちらを選ぶのか?」と彼に迫る。 従わない彼は生活がひっ迫していく。 全体主義者の問答はただ一つ「敵か味方か」「こちら側かあちら側か」しかない。 友人である詩人ユリアンは言う、「我々はあいまいだから」と。 国家は曖昧な人間を嫌がる。 芸術家はあいまいを貫き通せ!と監督は言っているようにみえた。 曖昧の自由は表現の自由を導く。 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/85818/