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■ゴッホ展、響きあう魂 ヘレーネとフィンセント

■東京都美術館,2021.9.18-12.1 ■クレラー=ミュラー美術館所蔵展らしい。 映画「 ゴッホとヘレーネの森 、クレラー・ミュラー美術館の至宝」を観ていたのでヘレーネの名も知っていた。 さっそく森は森だが上野の森へ向かう。 1・2章は美術館の宣伝だ。 以下、ゴッホが時代順に展示されている。 ゴッホの作品を均一にくまなく収集していることが分かる。 オランダ時代は初めてみる作品が多い。 素描画が力強い。 「麦わら帽子のある静物」の帽子や壺の白さが新鮮だ。 次からはフランス時代のパリ、アルル、サン=レミ、オーヴェル=シュル=オワーズとお決まりの区分で続いていく。 でも初めての絵が多くあって楽しく観ることができた。 ところで、2章まで付き添っていたヘレーネはいつのまに居なくなってしまった。 これは上記の映画も同じだった。 ヘレーネという人は逃げ足が速い。 彼女はドイツ表現主義とフォーヴィスムをコレクションから当初は外したようだが食べず嫌いが多いのか? しかも旅行中はゴッホのレプリカをいつも携えていたらしい。 作品から信仰に近い何かを感じていたのかもしれない。 よく分からない人物だ。 今回の所蔵展は美術館の断片しかみえない。 クレラー=ミュラー美術館に一度行ってみたいものだ。 彼女の謎が解けるかもしれない。 *美術館、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2021_vangogh.html

■リバーシブルな未来  ■イマドキの野生動物、宮崎学  ■山城千佳子、リフレーミング

■東京都写真美術館,2021.8.27-10.31 □リバーシブルな未来,日本・オーストラリアの現代写真 ■日本とオーストラリアの相異に驚き楽しもうという展示会のようです。 オーストラリアの作品は白塗りした先住民や縫いぐるみの人物、ジャグリングをしている人など物語が前面にでている。 背景の情報を私が持っていないから? 日本の作品はその逆です。 社会にへばり付いている。 畠山直哉「陸前高田」は現在から2011年3月まで遡っていくが、整然しすぎた写真群のため町の開発史をみているようです。 片山真理は装飾に包まれながらも、パラリンピック選手とは違う身体拡張を実践しています。 R・ラングの走り去る風景で始まり、P・パパペトロウ「私の心」の暗いモノクロで女性を写した心象風景で終わる展示でした。 「個人と社会を繋ぐ力」を表現したかったのでしょうか? 「私の心」がいちばん気に入ったのですが、両国の関係性を見つけるのは容易ではなかった。 *美術館、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4027.html □イマドキの野生動物,宮崎学 ■動物の写真は心が和みます。 しかし登場する動物たちは真剣ですね。 襲うか襲われるか毎日が勝負です。 被写体の動物は現代の人間と繋がっている。 「けもの道」は人の通り路でもある。 「死を食べる」では「死体に湧くウジの踊り食いをするツキノワグマ」など異様な作品が多い。 先日観た「 レンブラントの夜警 」のP・グリーナウェイ監督の「ZOO」を思い出してしまいました。 「新アニマルアイズ」になると都会に住む野生動物たちがうごめく。 イマドキが迫ってきます。 *美術館、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4025.html □リフレーミング,山城千佳子 ■映像作品が多くて戸惑いました。 作者本人が本格的なダンサーでありパフォーマーとして多くの作品に登場する。 身体はもちろん声も重視している。 沖縄がまったく違ってみえる。 しかもパフォーマー川口隆夫にここで出会えたのは驚きです。 「土の人」の3画面映像は大戦のアジアと沖縄が混沌となり現前してくる。 新作「リフレーミング」は都合で数分しか見ることができなかった。 それでも刺激的な作品が多く