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7月, 2015の投稿を表示しています

■金山康喜のパリ-1950年代の日本人画家-

■世田谷美術館、2015.7.18-9.6 ■ http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html ■金山康喜が33才で急逝したことは会場で知りました。 すべてが途中で終わってしまったことが場内に漂っています。 線も色も繊細ですね。 1954年前後は色の濁っている作品が多い。 作品は体調のバロメータのようにみえます。 青が多いのは新鮮な空気を求めた結果でしょうか? 「静物N、コーヒミルと手袋のある静物」、「静物J、ヒラメと天秤のある静物」の青は「魔の山」のサナトリウムの空を思い出させます。 1950年代のパリ日本人画家の一覧表が貼ってありました。 リアルタイムな展示会や本に接することができた画家や評論家がいるので身近に感じます。 後半はこの11名の作品が展示されています。 もはやパリが一番から落ちていくのが見て取れます。 というのは彼らの悩みがパリでは解決できないようにみえるからです。 「パリの日本人画家」と言われるのも1950年代が最後だったのですね。

■蔡國強展、帰去来

■横浜美術館、2015.7.11-10.18 ■ http://yokohama.art.museum/special/2015/caiguoqiang/ ■火薬を使うと偶然性以上のものが迫ってくる。 必然から生まれたのではなく、すべてを御破算にしてやってくるようだ。 「人生四季・春」の花札の新鮮さもそこから来ている。 纏わりついた意味を無色にしてくれる。 火薬はグローバルとは何かを問うた時の一つの答えだろう。 一瞬で垣根を取り払うからである。 ところで彼を知ったのは火薬ではなく縫いぐるみだ。 でも「壁撞き」のこれだけの数の狼は初めてである。 ビデオ「巻戻」では彼が生まれた1960年頃の泉州の1枚の写真が印象に残る。 遠くの塔や家並みだけの写真だが中国のその時代を想像できた。 この風景が彼の心にしまってある宝物にみえた。 大型作品8点とビデオ5点は蒸し暑さを感じさせない。 夏に相応しい展示である。 蔡國強もモヒカン刈りで涼しそうだった。 コレクション展2015年第2期として下記3展も開催中。 ■戦後70年記念特別展示、戦争と美術 ■岡倉天心と日本美術院の作家たち ■ポール・ジャクレーと新版画 ■ http://yokohama.art.museum/exhibition/index/20150711-455.html

■村野藤吾の建築-模型が語る豊饒な世界-

■目黒区美術館、2015.7.11-9.13 ■ http://mmat.jp/exhibition/archives/ex150711 ■模型で一杯ね。 80点はあるかしら? それも精巧で良く出来ている。 村野藤吾の作品は良く知らないの。 「日生劇場」くらいね。 会場をみて理由がわかった。 関西地区に集中しているからよ。 彼の作品は町で見かけてもわからないとおもう。 際立った特徴がないから。 窓枠くらいかな? その場所に溶け込む感じね。 臨機応変というのかしら。 でも美術館は規模が小さいけれど個性的な作品が多い。 「小山敬三美術館」「原村歴史民俗資料館」「谷村美術館」。 あと大学では「日本ルーテル神学大学」。 心が休まる感じよ。 多分彼の作品は建物の中を歩いてみないとわからないかもしれない。 でも模型だからそこがわからないのよ。 特に住宅はね。 写真も少なかったし。 もう一歩が踏み込めない感じね。 副題の通りの展示会だったわ。

■着想のマエストロ乾山見参!

■サントリー美術館、2015.5.27-7.20 ■ http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_3/ ■乾山が光琳の弟だとは知りませんでした。 どちらも隠者のようですが、弟は今で言えば金持ニートの文化オタクですかね? ある意味最強です。 作品を見ても当時のハイレベルな中国文化の匂いや生活の質の良さは感じられます。 しかし決定的な何かを持っていません。 彼は現実との接点がわからない人だとおもいます。 これで芸術的感動がやって来ない。 蓋物の外と内を変えただけで凄いとは思いません。 異世界が出現するかどうかはベツモノです。 彼の懐石具は料理を迷わせてしまうでしょう。 しかし「着想のマエストロ」に誤りはありません。 彼はある意味最強ですから。

■世界報道写真展2015-見える現実、知られざる真実-

■東京芸術劇場・ギャラリ-1,2015.6.27-8.9 ■劇場の5階にギャラリーがあることを初めて知った。 客が少ないのは皆知らないからだろう。 この写真展は持っていた情報をご破算にして新鮮な目で事件を再度考えさせてくれる。 ウクライナやシエラレオネは今や新聞にほとんど載らない。 ちょうど1年前の7月17日に発生したマレーシア航空17便撃墜時に空から降って来た乗客の死体をみていると何も解明されていないことを知る。 そしてエボラ出血熱で気が狂った感染者の姿に現地の混乱が迫ってくる。 すべてが解決しないで地層のように堆積していくだけだ。 それが名前を変え溶岩のように再び地表に現れたものを毎年この写真展でみることになる。 先日、地球上6回目の生物大量絶滅期に突入したというニュースを見た。 人間に育てられた犀に触れる若者の作品があったが、ケニアの人々は野生動物を見たことがないらしい。 これは驚きだ。 生物大量絶滅期が来てしまったことを感じさせる展示会でもあった。 * 「世界報道写真展2014」 *館サイト、 https://www.geigeki.jp/performance/event100/

■動きのカガク展-菱川勢一ディレクション-

■2121デザインサイト,2015.6.19-9.27 ■作品構想の多くは過去にどこかでみています。 しかも構造が見え完成の形にまで整っていない。 「図工室に遊びにきた感覚」とチラシにあったので多分この為でしょう。 「自分にもできそう、自分もやってみよう」とディレクターも言っていますね。 ただしそこへ行くまでの過程をどうすればよいのかわからないのが現実でしょう。 画面上から情報を得て満足するのとは違った道を探して歩いていけるか? 作成過程を撮影したドキュメント映画を上演していました。 これを観ると多くは大学研究室などの組織や人との繋がりがキーとなりそうです。 現実世界で動きのある作品を作るには、まずは自分の肉体をいつもと違った動かし方をしていく必要がありそうです。*美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/motion_science/

■ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム展

■国立新美術館,2015.6.24-8.31 ■1989年以降の作品展というより作品タイトル展と言ったほうがよいかもしれません。  ゲームは体験できるのもあります。 全130作品中知っているのは25品(約20%)しかありませんでした。 でも働いている世代としては良いほうでしょう。 25年の期間はありますが、人生のある時期あるきっかけでのめり込むのがマンガ、アニメ、ゲームです。 もちろんマニアやその周辺人は違いますが。 会場は第8章に分類されていましたが、もっと突っ込んだ何かが欲しい。 体験してきた作品も納得する位置づけが出来ませんでした。 会場を出たらスッキリと全てを忘れてしまった。 作品群の目次と索引に目を通した感じですかね。 ところで1989年は手塚治虫が亡くなった年です。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2015/magj/index.html