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■エドワード・スタイケン写真展  ■高橋秀の世界・版画1959-2010

■世田谷美術館,2013.1.26-4.7 ■ 作品の多くは雑誌「ヴォーグ」と「ヴァニティ・フェア」から。 だからとても華やかね。 俳優などの有名人がずらりと並んで壮観だけど、20世紀初頭の欧米の俳優は知らない人ばかりだわ。 でもキャプションが充実していて人間関係がよくわかるの。 俳優だと作品名や演出・監督名まで書いてある。 映画監督だとC・B・デミル、E・ルビッチ、D・W・グリフィス、G・W・パプスト、J・V・スタンバーグ、C・S・チャップリン、B・キートン・・。 この名前だけでも彼が仕事をしていた頃の素晴らしい時代が見える。 舞台や映画好きな人には記憶と想像力が全開かもね。 もし淀川長治が観たら涙を流して喜んだはずよ。 *館サイト、 https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00164 ■ 高橋秀の世界,2013.1.25-4.21 ■ 副題が「版画1959-2010」。 形と色がとても綺麗。 安井賞の呪縛から逃げられたのね。 エロ爺としても素敵ね。

■アートと音楽  ■風が吹けば桶屋が儲かる

■ 東京現代美術館,2012.10.27-13.2.3 ■ 池の中に茶碗を浮かべてそのぶつかり音を聞く作品だったので驚いてしまった。 輪切りの木をレコードに見立てるのもそうだが、ゴジラとの対話や植物の伝達物質を音にするのもいただけない。 まるで数十年前の展示会場にいるようだ。 あのカンディンスキーの感動からなにも進歩していない。 理由はカンディンスキーの音の存在や、セザンヌの物の存在の「視覚から聴覚・触覚」ではなくて、「聴覚・触覚から視覚へ」の作品だからである。 しかも「科学からアート」の流れも持っている。 この流れはあまりにも平凡である。 時代の流れは把握しているが挑戦が止まってしまっているような展示会であった。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/music/ ■ 風が吹けば桶屋が儲かる ■ これはという作品がないので書くことがみつからない。 この中でスポーツニッポン紙第一面の「ジョン・レノン暗殺」だけは別だ。 これはしゃがんでジックリと読んでしまったから。 1枚の新聞記事が風となって全てを吹き飛ばす。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/140.html

■新井淳一の布・伝統と創生  ■収蔵品展自然の表現わが山河  ■阿部美奈子展

■構成:田根剛 ■ 東京オペラシティアートギャラリ,2013.1.12-3.24 ■ 化学工学から生まれたまさしく20世紀の布だ。 綿・ウールはもとよりポリエステル・ナイロンを基本にアルミニウムや銀などの金属やプラスチックを合体させて未来をも現前させてくれる。 1970年代には三宅一生・川久保玲などと共同作業もしている。 ファッションデザイナーを通して彼が作った布はいつもどこかで見てきたはずである。 門外漢のためスリッットヤーン・メルトオフ・真空熱転写などの技術ビデオを観ても布を作成しているようにはみえない。 しかし展示されている布の衣服を着たいとはおもわない。 やはり肌触りはイマイチだし落ち着かないだろう。 衣服とは何かを考えさせられる展示会である。 *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh148/ ■ 収蔵品展自然の表現わが山河 *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh149.php ■ 阿部美奈子展 ■ 阿部の油絵は風景画が多いが、木々や田圃が水や雲の流れのように描かれているのだ。 しかもペンキのような塗り方のため切り紙を貼ったようにも見える。 明るい緑系は見ていても心が明るくなる。 でも部屋に飾るには飽きが早く来そうな絵である 。 *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh150.php

■DOMANI・明日展  ■アーティスト・ファイル

■ 国立新美術館,2013.1.12-2.3 ■DOMANI・明日展 ■ 若手注目作家12名の展示会。 観たことがあるのは曽根裕・池田学・小尾修の三人だけ。 あとは初めてでとても新鮮だったわ。 橋爪彩の透き通った空気の向こうに五感が凍りついたような人物は印象深く、青野千穂のセラミックは日本的なにかを感じるし、澤田知子の双子姿の写真と沢山のコミュニケーションができて、米正万也のビデオは忘れていた大事な楽しさを思い出させてくれた。 * 館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2012/domani2013/ ■アーティスト・ファイル ■ DOMANIをちょっと大きくちょっと深くしたような展示会のようね。 記憶に残ったのはヂョン・ヨンドゥのビデオ作品群。 韓国の人々が日常考えていることが裸でみえるからよ。 継続している朝鮮戦争や徴兵義務が生活に影をおとしているため、日本人とは違った物事や他人への見方に驚きがあるの。 他に中澤英明のテンペラ40枚の「子供の顔」。 タイトルがとてもいいの。 熟柿やチョッキ、弥勒など子供の顔にピッタリ付き添っているからよ。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2012/af2013/

■「記録は可能か。」展

■ 東京都写真美術館、2012.12.11-13.1.27 ■ http://syabi.com/upload/3/1722/quest_for_vision.pdf ■ 15本もある映像作品の中で、ニナ・フィッシャ&マロアン・エル・ザニの3作品のみ選択しました。 「スペリング・ディストピア」(2009年作)、「成田フィールドトリップ」(2010年作)、「彼らが目を閉じると」(2012年作)です。 すべては見切れません。 一つ目は長崎軍艦島。 高校生が「バトルロワイヤル」を語りながら島史に近づいていく内容です。 二つ目は成田闘争史を知らない若いカップルが闘争敷地の農園を訪れます。 闘争に係わっている住民も若い人には普通の生活者として接します。 三つ目は東日本大震災の映像。 3画面を使って現在の生活者や関係者を淡々と撮影していきます。 前2作品と違うのは、年代の違う人間関係を通して差異が見えてくる方法は取りません。 それは震災が今だからです 。 年代差から来る人生や歴史の違いを見えるように炙り出してそれを「記録」するのが作者達の方法のようです。 <年代の差分>が記録になるというのは面白いとおもいます。

■この世界とわたしのどこか

■ 東京都写真美術館、2012.12.8-13.1.27 ■ http://syabi.com/upload/3/1716/contemporary_photography.pdf ■ 5人の新進作家展です。 初めに作者の一言が掲示されています。 どの作家の言葉も作品の的を得ていてとても感心しました。 その中で蔵真墨の作品が気に入りました。 ちょっと目を止めた風景をちゃんと外さないで撮っています。 「ちょっと目を止める」という行為は、一瞬興味が湧いたからです。 この一瞬の興味が作品に留まっています。

■新政府展・坂口恭平

■ワタリウム美術館,2012.11.17-13.2.3 ■ 総理大臣坂口恭平の展示会です。 「学習机の家」(1989年作)は誰もが小学生時代に「隠れ家」を作ったことを思い出させます。 人生一番お金がかかることは<土地と家>を持つことです。 彼は不動産が不要な「モバイルハウス」を制作しています。 そして建築から生存権への死守へと進むのは必然です。 「いのちの電話」を開設し、都市計画から新貨幣・新政府へと拡張していきます。 己が動け、己を変えろ。 政治は語るな、つくれ。 芸術は語るな、つくれ! 行動力全開ですね。 *美術館、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1211sakaguchi/index.html

■MU<無>-ペドロ・コスタ&ルイ・シャフェス

■ 原美術館、2012.12.7-13.3.10 ■ http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html ■ 初めて知るポルトガルの彫刻と映画の二人である。 最初の部屋に入って椅子に座ろうと思ったがどうも高すぎる。 なんとシャフェスの作品だった! 多くの部屋は映像のため暗くしている。 だから彫刻がどこに置いてあるのかわからない。 その中で「虚無より軽く」は厚みのある鉄の素材でなかなかの出来だ。 コンクリートやレンガの建物にピッタリである。 題名も似合っている。 しかし鉄を黒く塗った彫刻は暗い部屋には合わない。 美術館の真意がみえない。 コスタの作品も初めてである。 人物をずっと撮影している作品が多い。 しかもその人物は動かずにいる。 時々喋る作品もある。 映像の中に重みを感じない。 存在よりも内面の動きを感じる作品である。 上映時間も記載されていないので、どの作品も数分で退場してしまった。 早速、宅配レンタルで「ヴェンダの部屋」と「何も変えてはならない」をリクエストした。 映像に対してはもはや美術館は目次の役目しかしていない。 今までのような心地良い完結を期待できなくなってしまった。

■白隠展

■ BUNKAMURAザミュージアム、2012.12.22-13.2.24 ■ http://www.bunkamura.co.jp/magazine/books/93/index.html ■ 漫画のような作品をみると画家というより教育者だったのでしょう。 実際チラシに「・・禅画にメッセージを込め、・・生涯を民衆教化に捧げ・・」とあります。 僧侶弟子たちや民衆への説明資料に使ったのでしょうか? 今ならパワーポイントですかね。 漫画以下の絵や余白の無い書など作品にムラが有り過ぎです。 描く目的が明確なので本人は気にしないのでしょう。 60歳から本格的に描き始めたこと、一万点もの作品を残したところをみると強い決意が表れています。 しかし現代人にこのメッセージが伝わるでしょうか? 白隠の目を通して、当時の民衆がどういう生活倫理や死生観を持っていたかを知るには面白い展示です。

■スタークルーズ・プラネタリウム

■ 森アーツセンターギャラリ、2012.11.23-13.2.11 ■ http://www.roppongihills.com/art/macg/events/2012/11/macg_starcruise.html ■ 光速ロケットで土星まで行き、そこから宇宙の果に出発、果から引き返し地球に帰還すると既に太陽や現地球は滅び、新しい地球ができていた。 ・・。 映像が単調で質も良くないからどうしようもないわね。 これでは対象の小中学生にも飽きられるわ。 このような大規模ギャラリーでおこなう意義は何かしら? プラネタリウムの敵は映画館よ。 3Dも進歩が速いし丸天井で無くてもよくなったから。 美術館の存在意義も大きく変わっているからこのような企画もいいけど、今回は失敗ね。

■大坂弘道展・正倉院から蘇った珠玉の木工芸

■ 練馬区立美術館、2012.11.29-13.2.11 ■ http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/tenrankai/oosaka12.html ■ 40歳代で正倉院宝物の調査・復元作業に入ると解説にあった。 それでどの作品もオリエントの匂いがするのか? 形・色は簡素で生真面目らしさが感じられる。 50代の作品は見応えがある。 形や文様はリズミカルを持ち色はコクを伴っている。 「唐草文嵌筆箱」(1994年作)は船底をひっくり返したような形で建築ドームか宇宙船のようだ。 不思議で面白いデザインである。 60代に入り宗教性を帯びてくる。 文様は細かくなり錫の灰色がより重たく感じる。 複雑さがでてきているが昇華できていない。 王朝工芸のため見ていても現実感覚が無い。 だから宇宙船や空飛ぶ円盤などを想像してしまう。 「黒柿蘇芳染唐草文嵌装飾箱」(2003年作)はまさにノアの箱舟である。

■輝ける皇妃・エリザベート展

■そごう美術館、2013.1.12-23 ■ http://www2.sogo-gogo.com/common/museum/archives/13/0102_elisabeth/index.html ■ エリザベートにはどこまでが実伝なのかいつも曖昧さが漂っている。 所蔵品や資料、写真でこれを振り払うようにしている展示会ね。 しかも自身の持つ長所や美しさを戦略にまで高めた方法論に作品が集約されているの。 このテーマに添っての流れに澱みがないからとても面白い。 家や家具、装飾品の設計、部屋に吊り輪や平行棒を置いての肉体鍛錬、140頭の愛馬を持っての乗馬、一日2時間の髪の手入れ。 彼女の実像がはっきりしてくる。 でも歴史的にはハンガリーへの親近感から来るオーストリア=ハンガリー帝国の成立に寄与したぐらいかしら? 好きな旅行の途中に暗殺されたけど19世紀末の波乱の人生を送ったのね。 坐骨神経痛持ちのウエスト50cmでは大変だったはずよ。