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■ノスタルジックな道-ルート66-

■キャノンギャラリーS ■ http://cweb.canon.jp/gallery/archive/sakurai-route66/index.html ■あの格好いいルート66の道路標識がなければどこの道だかわからない。 中西部のどこにでもある風景だ。 いつもはジックリとディテールを舐めるのだが今回は作品に近寄る気になれない。 奥に何かあるような写真には見えないから。 ウェスタン・スピリットを感じるのは老カーボーイ達が酒場で世間話をしている何枚かの作品だ。 他は、ルートがより南に外れるが、ヴェンダースの「パリ、テキサス」の世界に近い。 無害な「イージーライダー」だけが走っている。 「怒りの葡萄」のマザー・ロードはもはや写真では撮れないほど洗い流されてしまったようだ。 ひょっとして昔からそんな道は無かったのかもしれない。 ともかく標識だけは格好いい。

■ゴヤ、光と影

■国立西洋美術館 ■ http://www.goya2011.com/ ■室内画の人物は性格まで読み取れるけど、室外の人物は愛や喜びや憎しみをそのまま当てはめた普遍的な顔しかしていない。「日傘」「洗濯女」などの山々や木々の風景は他画家の借り物にみえるわ。 これが人物に影響して人形のようになってしまったのかしら? ゴヤは自然や自然の中の人間に無関心なのよ、きっと。 「光と影」が副題だけど光は不安な重たさが有り影は具体すぎる感じね。 でも気に入った絵は「日傘」よ。 SF的な風や光や空気を感じるの。 人形のような顔はP・K・ディックの小説にでてくる人造人間ね。 もちろん「着衣のマハ」もいいけど。 素描・版画が多いと疲れる。 「法然と親鸞」を観たあとに寄ったから尚更ね。 どちらも優に2時間半はかかってしまった。 でも疲れの真の理由はこの展示会も宗教の影響が強いためよ。 キリスト教も法然のように簡潔明瞭にしてほしいわ。 14 :名無しさん@お宝いっぱい。:2011/11/05(土) 05:06:38.77 ID:5fm2mFRs0

■法然と親鸞

■東京国立博物館・平成館 ■ http://www.honen-shinran.com/ ■南無阿弥陀仏と声に出すことで極楽浄土へ行くことができる。 この単純明快さが生きとし生けるものには必要なのね。 生き物が持っている奥深い大切な場所へ卒直に届くように感じるわ。 それは死の恐怖を克服することもできる。 死は意味なのよ。 生まれてきたことも後から意味づけし、死も死ぬ前に意味づけている。 これを無化するのね。 なぜなら生き物は意味で生きているわけではないから。 法然って革命家だわ。 入口近くは混んでいたけど第二会場は空いていて作品も疎らだった。 第一会場作品を後方へ移せばもっと落ち着いて観られるはず。 会場出口の「早来迎」は誰をも忘れないという想いが表れている作品ね。 法然と親鸞を締め括るにはベストな絵よ。

■南蛮美術の光と影

■サントリー美術館 ■ http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol05/index.html ■美術的な感動は少なくむしろ歴史的な関心が主題の展示会です。 観客もキリストやその歴史に興味のある人が多そうでした。   16世紀からの南蛮船来航から17世紀の鎖国までの流れが一望できます。 キリシタンの火あぶりや斬首の絵は漫画のようですが当時の状況がよくわかります。 副題に「泰西王侯騎馬図屏風の謎」とありますが謎がなんなのかよくわかりません。 エックス線をあてて下描きの様子がわかっただけでは謎とは言えないとおもいます。 謎は驚きがなければいけません。 このような意味深なタイトルを出さないとキリストに興味がない一般客は来ないのでしょう。