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■カラヴァッジョ-天才画家の光と影-

■監督:A・ロンゴーニ,撮影:V・ストラーロ,出演:A・ボーニ ■カラヴァッジョの絵は一度見ると忘れられません。 バロックは分かりますが、身体がどこかゴシック的だからです。 ゴシックと言ってもケン・ラッセル的ですが。 光もそれを助長している。  「忘れられない」ということは何かがあるということです。 しかし映画はそれを教えてくれない。 生身のモデルを重視したこと、そして鏡を利用したことぐらいですか? カラヴァッジョ役のボーニも真面目過ぎます。 でも監督ロンゴーニはこの作品自体をカラヴァッジョ風に仕立て上げた。 多分これは撮影担当ストラーロの力だとおもいます。 イタリア語の響きも心地よい。 そしてナポリからマルタ、シチリアへの最後の逃避行は、まるでランボーのアデンへの放浪に見えてしまった。 時代も背景も違いますが何かが似ています。 2007年作品。 *作品サイト、 http://caravaggio.eiga.com/

■高橋コレクション展、ミラー・ニューロン  ■3O+A  ■高田直樹展

■東京オペラシティアートギャラリー,2015.4.18-6.28 □高橋コレクション展,ミラー・ニューロン ■52作家の作品140点が展示されています。 知っている作家は何人いるか?数えてみました。 名前を知らなくても作品を見た記憶がある人も含めたら32人です。 60%は知っていた。 対象が現代美術ですからこんなもんですか? 美術館よりギャラリー回りをしないと%値は上がらないでしょう。 西欧芸術ミラーと千年伝統ミラーを掛け合わせてミラー・ニューロンにしているとは、さすが医者ですね。 現代美術の収集は度胸がいります。 どの時点で購入意思決定をするのでしょうかね? *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh175/ □3O+A,有元容子・小川待子・岡田伊登子・奥山民枝 ■4人の展示会ですが初めての作家は岡田伊登子です。 「大地」がテーマだから選ばれたのでしょう。 他3人もこの館で知りました。 3人とも気に入っています。 今日またこんなにも観ることができて嬉しい。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh176.php □高田直樹展 ■この作家も過去にみている記憶が甦りました。 特に証明写真のように並べた「NO JOB」は面白い。 厚塗りで現実の揺らぎが伝わってきます。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh177.php

■ユトリロとヴァラドン、母と子の物語-スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年-

■損保ジャパン日本興亜美術館,2015.4.18-6.28 ■過去のユトリロ展では彼のアルコール依存症やユッテルの存在などを小出しにしてきた。 そして今回、ユトリロの謎が解け全貌が見えた。 ユトリロの母ヴァラドンである。 やはり母と子の関係だったのか!と妙に納得してしまう。 ロートレック、ルノワール、シャヴァンヌそして音楽家サティなど、彼女の恋人にも吃驚である。 しかもユッテルを夫にするとは! 友人としてのユトリロに逃げ場は無い。 ヴァラドンの作品はゴーギャンやセザンヌを模倣しながら厚化粧を施した感じだ。 肖像画・風景画・静物画なんでもある。 対人間も対自然も健康的にみえる。 ユトリロは絵葉書から描いていたと解説にあった。 風景が脳内世界に見えていた理由もわかった。 最後まで母から逃れられなかった彼の絵には関係の寂しさが漂っている。 道を歩いている人々はもはや人形である。 *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/current/2978.html

■ポロック、二人だけのアトリエ

■監督:E・ハリス,出演:E・ハリス,M・G・ハーデン ■(アメリカ,2000年作品) ■15年前の映画だけどやっと観ることができた。 2012年の「 ジャクソン・ポロック展 」でも見損なってしまったの。 この映画が面白いのはポロックが大酒飲みだから、そしてツマラナイのも大酒飲みだから。 たとえドラマでも酒が入ると観客も判断がつかなくなるからよ。 監督は頑張っているのがわかる。 ポロック自身を演じているんだから凄い。 顔も似ている! でもポロック絵画の肝心なところは何も語られていない。 ドロッピングを<発見>する場面も俗すぎる。 画家の周辺を知るにはよいかもね。 *映画comサイト、 http://eiga.com/movie/52034/

■藤本壮介展-未来の未来-

■ギャラリー・間,2015.4.17-6.13 ■第一会場は歩く隙間もないくらい模型が陳列されています。 それも100円ショップで売っているような、小学生が図工で作ったような、駄菓子のおまけのような模型です。 つまり身近な材料の横に小さな人形を置けば建築が出現する。 観客は小人や巨人になってその作品を見詰めます。 第二会場に入ると実作品が写真ですが貼ってあります。 身体が興味を示します。 想像でその建築の中を歩き回りたくなる。 例えば「L’ARBRE BLANC」は予期しない感覚が押し寄せてきます。 視線や匂いや声の方向や広がりが不透明だからでしょう。 身体が拡散する不安も湧き起る。 「未来の種をまく」と言ってますが、彼自身が新種の建築家ですね。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex150417/index.htm

■椿会展2015-初心-

■資生堂ギャラリ、2015.4.4-5.24 ■ https://www.shiseidogroup.jp/gallery/exhibition/ ■銀座へ行ったついでに寄ったの。 赤瀬川原平が去年亡くなったことを思い出した。 下町のオジサンという感じだった。 会場の絵日記を読んできたわ。 「埋め草」とは雑誌の余白を埋めるたに、「人さまの原稿の空いた場所に原稿より面白い「埋め草」を仕込んでしまう」こと。 チラシに書いてあった。 日記のためかリラックスして楽しめたわよ。 それと島地保武のダンスビデオ。 10分くらい見たけどとてもいい。 過去に舞台は観ているはず。 でも名前が一致しないの。 次は大丈夫。 舞台で会いましょう。 他に内藤礼、畠山直哉、伊藤存、青木陵子の作品あり。

■マグリット展-20世紀美術の巨匠、13年ぶりの大回顧展-

■国立新美術館,2015.3.25-6.29 ■1920年から67年迄の130作品が展示されている。 1950年以降の「回帰」の章はトンネルから抜け出たようだ。 作品に落ち着きと透明さが感じ取れる。 堆積した意味を御破算にさせたからである。 以前迄の作品は時代の要請で思想が先走っている所がみえた。 遡って「ルノワールの時代」がナチスへのアンチテーゼというのも初めて知った。 「雌牛の時代」は意味を飾り過ぎている。 「マグリットが撮影したホームムービー」の上映を見て、女性像の多くは妻ジョルジェットであることを知った。 きつさのある、端整な顔つきである。 彼女がエロティズムだが厳格さが漂う作品にしていたのだ。 マグリットの全体像を知ることができて楽しかった。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2015/magritte2015/index.html

■若冲と蕪村-生誕三百年同い年の天才絵師-

■サントリー美術展,2015.3.18-5.10 ■若冲と蕪村、二人を並べるとプロとアマみたい。 若冲はすぐわかるけど、蕪村は名前を隠したら誰が描いたか分からないような作品が有るからよ。 若冲は真似ができないけど蕪村の絵なら同じように描けそうね。 やはり蕪村は俳人かな? 気に入った作品は若冲の「四季花鳥押絵貼屏風」(六曲一双、1760年)。 影響を与えた鶴亭と比較しても植物の躍動感は素晴らしい。 動物はそれ以上にお見事。 形としての生命とは何か?をちゃんと捉えているからだとおもう。 若冲と蕪村を交互に並べられても良いリズムが訪れない。 蕪村は風景の中に言葉を探したから例え自然を描いても人工世界になってしまう。 若冲はその逆だった。 「言葉としての自然つまり人工」と「形としての自然つまり生命」の違いがリズムを非同期にしてしまうの。 *館サイト、 http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_2/?fromid=topmv

■山口小夜子-未来を着る人-  ■ガブリエル・オロスコ展  ■他人の時間

■山口小夜子-未来を着る人- ■東京都現代美術館,2015.4.11-6.28 ■山口小夜子が亡くなったことを忘れていました。 今もどこかで活躍しているのでは・・! モデルやダンスや朗読の映像、衣装を見るとどれも素晴らしい。 でも彼女が何をしたかったのかよく見えない。 ノラのように時代を飛び出し時代を超えた<人形>を彼女は目指していたのではないでしょうか? 彼女は人形をとことん追及していた。 寺山修司や勅使川原三郎、結城座に接近したのも人形の動きや存在感を探求したかったのだと思います。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/sayokoyamaguchi.html ■ガブリエル・オロスコ展-内なる複数のサイクル- ■写真は面白い。 作者の目が対象を優しく包んでいるようなウッフフ感があります。 「寝ている犬」「犬の輪」「コモンドリーム」・・。 そして芸術家としてはここに立ち止っていてはマズイと考えたのでしょう。 車やスポーツを再構築しだした。 中にはマグレの作品もあります。 例えば「変型シトロエン」。 でもメキシコの面白さを棄ててしまったようにみえます。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/gabrielorozco.html ■他人の時間-TIME OF OTHERS- ■他人の時間は経験できない。 見た途端に自分の時間に入り込んでしまうからです。 この関係が宙づりになった面白い作品を見つけました。 キリ・ダレナ「消されたスローガン」です。 もう一つヴォ・アン・カンのベトコン・ゲリラ写真です。 本物のベトナム戦争ですが芝居を見ているようです。 演劇的写真も宙づり状態になります。 どちらも他人の時間でもなければ自分の時間でもない。 映像は写真作品と何かが違うように感じます。 でも違いを上手く言えません。  MAMORU「協奏のためのポリフォニー」、ミヤギ・フトシ「オーシャン・ビュ・リゾート」、ホ・ツーニェン「名のない人」、ヴァンディ・ラッタナ「独白」(?)の4本の映像作品を見ました。 「協奏のためのポリフォニ」は夕張炭田を発見したB・S・ライマンとその足跡を追う作者の紀行を文字と音だけで再現する作品です。 ライマンと作者の時間を強く

■ディオールと私  ■イヴ・サンローラン(2010年作、2014年作)

■ディオールと私 ■監督:F・チェン,出演:R・シモンズ ■Bunkamura・ルシネマ,2015.3.14- ■「 ディオールの世界 」が面白かったのでこれも観ることにした。 新しく就任したラフ・シモンズとお針子たち職人のオートクチュールを作りこんでいくドキュメンタリである。 パリ・アトリエが登場するので組織としての活動がみえて面白い。 ディオールの映像と言葉が所々に挿入されている。 緊張感が走るのは「仕事=納期」が画面から伝わるからだ。 シモンズはミニマリズムのジル・サンダーで活躍していた。 話はそれるが技術と価格勝負のユニクロはJ・サンダーのようなミニマリストは似合うと思う。 ディオールとしてのシモンズはどうか? 同じミニマリストだから応用は利くはずだ。 でもこの映画からはなんとも言えない。 例えば抽象画家の作品を素材に選んでいたが良いとはいえない。 新しい形を創造できるか!だとおもう。 2014年作品。 *映画com、 https://eiga.com/movie/81442/ ■イヴ・サンローラン(2010年作品) ■監督:P・トレトン,出演:P・ベルジェ,Y・サン=ローラン *映画com、 https://eiga.com/movie/55742/ ■イヴ・サンローラン(2014年作品) ■監督:J・レスペール,出演:P・ニネ ■ディオールとシモンズは離れすぎている。 この間を繋ぐものはないかと探したらこの二本が出てきた。 イヴ・サン=ローランである。 前者はドキュメンタリ、後者はドラマ作品だ。 どちらもディオールを去ったところから話が進む。 前者は面白い。 イヴのパートナーであったピエール・ベルジェの回想録になっている。 二人で収集した美術品を競売にかける話が背後で流れている。 その美術品がなんとも素晴らしい。 「 青い服の子供 」、「 ピエロの失望 」*1もあった。 彼らが住んでいたアパートや別荘もじっくり見せてくれて楽しい。 後の作品はイヴにそっくりの役者が登場する。 人間関係を中心とした内容である。 二本を観てサンローランの全体像がみえてきた。 彼はこの仕事で精神が参ってしまったようだ。 シモンズはこれに耐えられるか? しかも成果は出し続けなければいけない。 いまシモンズの立場は信じられないくらい厳しい。

■ヴァチカン美術館-天国への入口-

■監修:アントニオ・パオルッチ,監督:M・ピアニジャーニ ■シネスイッチ銀座,2015.2.28- ■3Dだから絵画より彫刻が合っているのでは? しかしシスティーナ礼拝堂の天井画や壁画に感動してしまいました。 なんと二次元の絵画でも三次元に見えるのです。  違和感はあります。 絵画芸術と言うより映像芸術ですね。 彫刻の「ラオコーン」や「ピエタ」の映りは保守的にみえました。 現代美術の紹介もありましたがインパクトはありません。 役者が時々登場しますが作品を台無しにしています。 シラケてしまいました。 館内通路を這うようにして撮影している場面は実際に歩いている感じがします。 渦巻き階段も面白いですね。 館内の陳列風景をもっと見たかった。 3D技術を使用した時の目的や効果を研究すべきでしょう。 2013年作成。 *作品サイト、 http://www.vatican4k3d.com/

■グエルチーノ展-よみがえるバロックの画家-

■国立西洋美術館,2015.3.3-5.31 ■初期は明暗が強いけど精神的な霞みがかかっている感じね。 中期は何かが吹っ切れて霞みが消え晴れてきたみたい。 青い空が綺麗! そして「聖母被昇天」(1622年)は素敵な色! やはりローマと出会ったから? 「放蕩息子の帰還」(1627年)も落ち着いた構成と色ね。 1620年代つまり30歳代が絶頂期とみたけど? グエルチーノは奇をてらわない画風にみえる。 一歩手前で留まっているの。 対抗宗教改革を意識しているようにもみえない。 こういう作品は普通の人から支持されるのよ。 グイド・レーニと比較している章は楽しかったわ。 両者を並べてみるとレーニの作品は弱い。 リアルでないからよ。 今回はグエルチーノの勝ち! ところで「イタリア紀行」は好きな本だけど彼を論じていたなんて覚えてないわ。 早速その前後を読みかえしてもいいかもね。 ゲーテとグエルチーノは似合う感じがする。 音声ガイドは作品を上手に補足していてお得だった。 *主催者サイト、 http://www.tbs.co.jp/guercino2015/

■ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-

■Bunkamura・ザミュージアム,2015.3.21-6.28 ■会場に入るとフィオリーノ金貨が並べてあります。 少し削り取る、他金属を混ぜて重くする、歯型を残す・・。 金貨というのは安定感ある光と微妙な重みが迫って来ますね。 副題にもあるように富と美を結び付けたい企画のようです。 為替で発生する差益は利息か? この宗教議論は両替商を有利にしたのですね。 ロレンツォ時代つまりフィレンツェ最盛期にメディチ銀行は破綻寸前と聞きました。 「メディチ銀行発行為替手形」をマジマジと見つめてしまいました。 やはり浪費しないと美に結び付かないのでしょうか? これだけのボッティチェリに会えるなんて素晴らしい。 作品には彼特有のリズムがあります。 女性の顔が長めのせいか時間も伸びているように感じます。 感動というより充実した過去を経験した後味が残ります。 *展示会サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_botticelli/