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■岸田吟香・劉生・麗子、知られざる精神の系譜

■世田谷美術館,2014.2.8-4.6 ■ 吟香58歳に息子劉生が生まれ14歳の時に亡くなっている。 そのため父吟香と劉生の繋がりが見え難い展示だった。 むしろ銀座の地や14人の兄弟姉妹の関係が強く出ている。 そして劉生と麗子は所謂普通の父娘だったようにみえる。 吟香の時代を見据えた柔軟性は大したものである。 液体目薬の販売は成功したらしい。 健康食品や書籍・受験参考書なども現代を先取りしている。 文化人との付き合いも同様である。 劉生の絵は「あるということの不思議」と「個の表現」が見事に統合されている。 セザンヌとデューラを混ぜあわせた感じだ。 麗子像以外にも満足のいく静物や風景画が展示されていて嬉しい。 初めて知ったが、劉生30歳以降の活動には驚く。 帝劇・市村座・進富座への芝居三昧、長唄や三味線、芸術論の出版、そして日本画への接近。 この広がりこそが吟香から引き継いだDNAかもしれない。 麗子は絵画・演劇・文筆と劉生を引き継いでいる。 明治大正昭和の一味違った時代の切り口をみることができた。 *館サイト、 https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00169

■伊万里、ヨーロッパの宮殿を飾った日本磁器

■サントリー美術館,2014.1.25-3.16 ■ 伊万里の17世紀の輸出の始まりから、18世紀の衰退迄の100年が描かれているの。 初心者でも時代の流れがよくわかる。 景徳鎮窯の染付模倣から柿右衛門様式、そして金襴手様式と世界が相手だと作品も大きく揺れ動くわね。 用途もビールやジンの酒瓶、薬用瓶、スープ、花瓶、ティーセット、輸出観賞用大瓶と多彩で目が喜ぶ。 オランダ東インド会社の存在は抜群ね。 それと中国の政治動向の二つがあったおかげで伊万里は欧州に進出できた。 輸出衰退もこの逆ということね。 阿蘭陀が英国に敗れたのと、中国政治が再び安定し陶器の輸出が増えたことらしい。 ナルホド。 マイセン窯やデルフト窯との比較や景徳鎮窯の逆輸入の話も含め、200点の作品が世界での位置付を雄弁に語っていたわ。 *美術館、 https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2014_1/index.html

■あなたの肖像-工藤哲巳回顧展

■東京国立近代美術館、2014.2.4-3.30 ■ http://www.tetsumi-kudo-ex.com/ ■ 電子部品や原子力などの取り込みやイヨネスコへの反感は表面的です。 しかしこれを精神分裂手法で肉体に結びつけています。 予感が鋭いので的を外していません。 他に例を見ない気分になります。 観終わっても食事をする気にもなりません。 展示後半で母や妻との関係もわかり彼の心の内がみえます。 ペニスに執着するのもこの延長に何か結びつきがあるのでしょう。 若くしての癌での壮絶?な死、直前の芸大教授への就任。 彼はハイな状況で生きたのはないでしょうか? 数点の映像記録をみながら何故か三島由紀夫を思い出してしまいました。 彼と表裏の関係にみえます。 もちろん反芸術としての関係も成立します。

■世紀の日本画(前期)

■東京都美術館、2014.1.25-2.25 ■ http://www.nichibisai.jp/ ■ 初めて観る作品で、且つ海馬に残ったものは・・ ・ 「古陽」(福井爽人)・・仏の神秘的なニヤケがとてもいい。 反して犬の笑いに深みが無くて仏と合わない。 犬は笑うことができる。 ウチの犬も年1、2回笑うが、これを上手く表現できたら最高だろう。 ・「洛北修学院村」(速水御舟)、「浅間山」(田中青坪)・・前者は速水御舟が群青中毒にかかっているときの作品らしい。 植物の青で息苦しくなる。 その横に「浅間山」が掛かっているが高原の爽やかさが清々しい。 この二点の差異が面白い。 ・「婉膩水韻」(中村岳陵)・・少女漫画をみているようである。 展示の中では異色の一点である。 ・「神々とファラオ」(岩下英遠)・・今回は安田靫彦が5点もあり十分に堪能したが、岩下英遠は安田の弟子らしい。 なるほど親分に似るものだと感心した。  他にもあるが長くなるので止める。

■ラファエル前派展-テート美術館の至宝-

■ 森アーツセンターギャラリ,2014.1.25-4.6 ■ 写真やテレビでみるのとは大違いです。 「オフィーリア」もその一つでした。 周囲の草木、水の流れにもオフィーリアを感じます。 精緻に描かれているのは確かですが、それ以上の何ものかが草木や水に存在しているようにみえます。 シェイクスピアに題材を取った作品が多いのですが、演劇とはまた違う物語性を確かに持っています。 特にミレイは再発見と言ってもよいでしょう。 前派から唯美主義や象徴主義への歴史の流れもよくわかりました。 三菱美術館で開催している「唯美主義」はディテールを掻き回し過ぎているようにみえます。 ですから先にこの前派展を観るのが順序ですね。 *展示会サイト、 http://prb2014.jp/

■アンディ・ウォーホル展-永遠の15分-

■森美術館,2014.2.1-5.6 ■ 「人が死ぬなんて思えない。 ちょっとデパートに行くようなものだ」。 聖母マリア像や十字架で荘厳なウォーホルの自室写真とこの言葉の差異には戸惑ってしまいます。 ウォーホルは裏を持っている人ですね。 「チェルシー・ガールズ」の日常の倦怠と過激、ある種の恍惚が入り混じった作品でウォーホルの虜になってしまったのですが、やはり60年代がピークにみえます。 作家を消し去る作品から芸術と日常生活は同列だということをウォーホルから教えてもらいました。 1枚2万5千ドルの注文肖像画を1千点も受注したビジネスもこの延長線上の行為でしょう。 芸術至上主義からの独特な解放感があります。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/andy_warhol/