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■フェルメールからのラブレター展

■Bunkamura.ザミュージアム,2011.12.23-2012.3.14 ■「手紙を書く女と召使」の模造紙のような白い衣装、深みのあるテーブルクロス、床模様は素晴らしいわ。 修復前の「手紙を読む青衣の女」の青ではやっぱりだめよね。 でもフェルメールはどういうわけか感動したことがないの。 いい絵だけど。 手紙と厳格なプロテスタント市民の生活、商業国としての公証人や弁護士の活躍の三つがテーマ。 ほんとうにこのような手紙のやり取りをしていたのかしら? 諺や格言が混じっているようだし市民へのプロテスタントの影響力がわからないと読み誤るかも。 今回は3月の「地理学者」の展示と比較してダイナミックに欠けるわ。 手紙はプライバシーがあるから閉じられた世界になってしまうのも理由かも。 そしてシュテーデル美術館は別格だもんね。 でもこの師走にフェルメールに3点も出会えて幸せよ。  *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/11_loveletter/index.html

■2011年美術展ベスト10

・佐藤忠良 - ある造形家の足跡 - ・・・・ http://ngswty.blogspot.jp/2011/01/blog-post_8.html ・建築家白井晟一-精神と空間-・・ http://ngswty.blogspot.jp/2011/01/blog-post.html ・倉俣史朗とエットレ・ソットサス展・・・ http://ngswty.blogspot.jp/2011/02/blog-post_4.html ・平山郁夫と文化財保護展・・・・・・・・ http://ngswty.blogspot.jp/2011/03/blog-post_5.html ・フェルメール「地理学者」とフランドル絵画展・ http://ngswty.blogspot.jp/2011/03/blog-post_6.html ・ワシントンナショナル・ギャラリー展・ http://ngswty.blogspot.jp/2011/06/blog-post_11.html ・モーリス・ドニ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ http://ngswty.blogspot.jp/2011/09/blog-post_19.html ・川上音二郎・貞奴展・・・・・・・・・・・・ http://ngswty.blogspot.jp/2011/09/blog-post_27.html ・感じる服考える服-東京ファッション- http://ngswty.blogspot.jp/2011/10/blog-post_25.html ・歌川国芳展・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ http://ngswty.blogspot.jp/2011/12/blog-post_23.html *並びは開催日順。  選出範囲は当ブログに書かれた作品。

■ヴァレリオ・オルジャティ展

■東京国立近代美術館,2011.11.1-12.1.15 ■1/33の白い作品模型、画面で見る写真、影響した歴史建築写真の3点セットで展示されています。 ぶ厚い材料を使ったゴッツイ作品でなぜかおもしろさと懐かしさがあります。 日本的繊細さの反対にある建築物です。 作成にあたって影響した歴史建築の写真がとても効果的です。 これをみて建築家が何を考えていたのかを想像するのが楽しい会場です。 そして模型を見る。 実際の写真を見る。 この3点セットで作品が意味ある姿として再現できます。 「観客の感情に強い印象を与えるために展示では書き言葉は不要だ」と作者は言っていますがその通りです。 展示会でキャプションや解説で感動が薄れてしまう場合がよくあります。 知識は増えるが感動が減るような展示は面白くありません。 *館サイト、 http://archive.momat.go.jp/Honkan/Valerio_Olgiati.html

■歌川国芳展、没後150年

■森アーツセンターギャラリ,2011.12.17-2012.2.12 ■400点もの作品をジックリみることができて満足だわ。 天保の改革で美人や役者・遊女が禁止になり、子ども絵や動物画へ興味を広げたのはさすがね。 やはり危機に強くなきゃだめ。 気に入ったのは水滸伝や武者絵シリーズの若いころの作品よ。 洗練されてないけど細かい中に力強さがある。 美人画が健康的と言われるのは多分鼻筋が通っている涼しげな顔をしているからそのように見えるのね。  国芳の全貌と江戸末期の庶民の生活が見える素晴らしい展示会だった。 *インタネットミュージアム、 http://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input%5Bid%5D=76700

■ぬぐ絵画-日本のヌード1880-1945-

■東京国立近代美術館,2011.11.15-12.1.15 ■春画や混浴の文化があるのになぜヌード絵画は騒ぎ立てるのか? 展示は黒田清輝から萬鐵五郎へと続くがこのあたりまでは面白い。 ヨーロッパ思想としての人体とは何かがハッキリ説明されていて日本文化と比較できるからだ。 しかし次の裸を壊したり、恋したり、作りなおすとボヤけてくる。 普段あまり見ない古賀春江や熊谷守一を持って来られてもどうもピンとこない。 最後の小出楢重や安井曾太郎はもはや個別のおもしろさだ。 ここで出口になってしまう。 中途半端な終わり方にみえた。 最後のまとめでもあれば。が打てたのに。 でもヌードだから文句は言えない。  *作品サイト、 http://www.momat.go.jp/Honkan/Undressing_Paintings/highlight/index.html

■見えない世界のみつめ方

■東京都写真美術館,2011.12.13-12.1.19 ■世界を新しい方法で分節化すると新しい認識が可能になる3例、オーサグラフ、コーポラのスーパーアイ、VIT2.0が展示されている。 オーサグラフは新しい世界地図のようね。 日本を中心とした場合のアフリカや南アメリカの傾いた形は、地球が球だったことを思い出してしまう、大陸間の距離が真実い近づいているようにみえる、国間の関係が新しく見えてしまう等々、素晴らしい地図だわ。 スーパーアイは対象物の空間位置を記述し処理するシステムらしいけど、展示作品は数値がむき出しになっていて熟されていない感じね。 VIT2.0は対象物のある属性を抽出し拡大して認識する方法みたい。 でも作品はフリーズして動いていなかったの。 オーサグラフ以外は作品が中途半端。 もっと展示をわかりやすくしてね。 ICCはずっこけたし、コダックは倒産状態、富士フィルムは化粧品や薬に進出の時代だから、そろそろ写真美術館も衣替えが必要かな。 今回のようなテーマを充実してほしいわ。 *チラシ、 http://syabi.com/upload/3/1452/2011_013_a.pdf

■セガンティーニ

■損保ジャパン東郷青児美術館 ■冷えていて乾いた空気、肌を刺すような光。 「アルプスの真昼」は空間が響き渡るような明るい絵だ。 しかし凝縮した粘り気のある山々は清楚で静けさのある自然ではない。 高い山へどんなに逃げてもヨーロッパという意味ある重みがつきまとっている。 だから日本の風景画を見た時のような開放感は訪れない。 しかも晩年は象徴主義に向かうからなおさらだ。 アルプス三部作、生-自然-死、は写真展示だったがわかり易い絵だ。 背景に輪廻の思想があるからだろう。 場内のビデオで実際のアルプスが映し出されていたがやはり日本とは違う感じだ。 スイスへ行ってトレッキングでもしないと本当のアルプスの真昼はわからないのかもしれない。 *館サイト、   http://www.sjnk-museum.org/program/past/343.html

■写真の飛躍

■東京都写真美術館,2011.12.10-12.1.29 ■写真家5人の新作です。 写真の根源的手法を身体を通して再考するのがテーマのようです。 背景にあるのはIT技術を駆使した画像処理の格段の進歩です。 しかし原点を再考するというよりこの背景にあるものへの些細な戦いにみえました。 この館には珍しくビデオで西野壮平と北野謙の作成過程を上映していました。 「DIORAMA MAP」の劣化版は観光地図などでよく見たことがあります。 また「OUR FACE」の近い方法としては画像処理の普遍顔作成でお馴染みです。 このビデオではこれをハンドメイドとして強調していることです。 つまり手間隙かけて多くの人や多くの時間をかけて作成した作品だということをです。 これで微妙な表現や感性を提示しても未来への展望が開けるわけではありません。 春木麻衣子のように「想像」するほうがつかの間の明るさがあります。 写真の飛躍は可能なのでしょうか?  *チラシ、 http://syabi.com/upload/3/1450/2011_012_a.pdf

■島田章三展

■横須賀美術館,2011.11.19-12.25 ■安井賞受賞を含め欧州留学前後が一番生きている。 留学中のパリのデッサンも伸び伸びしている。 しかし留学後「キュビスムを日本人の言葉で翻訳する」のを課題にしてしまい自身を縛ってしまったようだ。 鳥を描くのもこれから「解放されたい」からである。 この中でコラージュが面白い。 本人も「画布に置いたら決定される・・、作品がとても早くできあがる・・」と言っているように、選択や判断の多いコラージュは生涯の課題を忘れることができたのだろう。 この美術館は三浦半島の端にあるからけっこう遠い。 島田章三展だから行く決心がついたが並の企画展なら諦めがつく遠さだ。 しかしここへ来て海を眺めると解放された気分になれるからいい。  *館サイト、 http://www.yokosuka-moa.jp/exhibit/past/past-40.html

■池袋モンパルナス

■板橋区立美術館,2011.11.19-12.1.9 ■入口に「不便でゴメンネ」の垂れ幕がかかっていたけど区立では一番不便よね。 市立も入れると府中市美術館と同じくらいかな? 近くの駅からバスに乗らなきゃいけない。 しかもバスは1時間に2・3本しか無いところがネ。 そしてタクシーを探すことになる。 1930年頃に画家たちが池袋周辺になぜ集まったのか? それはアトリエ付き賃貸住宅が造られたから。 靉光・麻生三郎・松本竣介・福沢一郎や初めて聞く画家たちがこの地区に出入りしていたなんて知らなかったわ。 展示作品は戦争が背景にあっても希望が感じられる。 日常生活まで入り込んだ彼らの団結力が希望を失わなかった理由だとおもう。 今ではこの地区を歩いても副都心外側の見馴れた住宅街の風景しか残っていない。 パリと違って 時間と空間の平坦が多い 東京は このような身近な歴史を積み重ねて街の姿・形を作っていくことは必要ね。 *館サイト、 http://www.itabashiartmuseum.jp/art-2013/schedule/e2011-06.html  

■ストリート・ライフ

■東京都写真美術館 ■ http://syabi.com/upload/3/1448/street_20life.pdf ■英3人・仏2人・独2人、計7名のヨーロッパ・ソーシャル・ドキュメンタリー展らしい。 見応えのあるのは英国3人の作品である。 初めて聞く写真家だが19世紀後半のロンドンとグラスゴーの産業革命下の底辺の人々、街並みが写しだされている。 背景にある救貧法や慈善事業などの社会福祉までも思い出してしまう近代資本主義社会総動員のリアルな作品ばかりだ。 まさに「見るもの以上のものが写っている」。 これに比して仏・独はお馴染みのアジェやブラッサイ、アウグスト・ザンダーで作品はより「芸術的」である(ハインリッヒ・ツィレは素人写真家のようにみえる)。 この差は写真家の個人的な資質や生活環境、撮影目的の違いも大きいのだろう。 独仏も英国のレベルにあわせていたら19世紀後半のヨーロッパはより深みを持ったはずである。 ソーシャルとは何かあらためて考えてしまった。 

■長谷川等伯と狩野派

■出光美術館,2011.10.29-12.18 ■対屋事件や探幽の陰謀など面白いコラムで煽っているようだが、互いに切磋琢磨するから競合他社の存在は貴重だ。 等伯の絵画への探究心、経営戦略への位置づけなどは展示話題以外でも多いように予想できる。 等伯は3作品が展示されているが、強敵永徳の「鷲捕兎図屏風」と比較しても動物の生き活きさ面白さはこれを上回る。 また長谷川派と狩野派の「波濤図屏風」や「藤棚図屏風、麦芥子図屏風」などを比較して観るのは楽しい。 長谷川派がやまと絵に傾倒していったのも今回知った。 「柳橋水車図屏風」はちょっと硬さがあるが、「宇治橋柴舟図屏風」などは自然物をもっと取り込めば曼荼羅に近づく面白さもでるはずだ。 作品は全24点、散歩ついでの規模で観やすかった。 *美術館、 http://idemitsu-museum.or.jp/exhibition/past/

■野見山暁治展

■ブリジストン美術館 ■ http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibitions/ ■初めて知った画家です。 心象風景画のようです。 残念ながらツマラナイ絵ばかりです。  「誰も知らない」「なにも言わない」「もう時間がない」「誰にも負けない」「黙っていよう」「いつかは会える」・・・など、題名をみても人生彷徨っている感じです。 1990年代までは「自然の本質を突きつめる」とありましたが多くの雑音を抱えてしまったのではないでしょうか? 2000年代は「構成や形態から解放された」とありました。 赤色系も多くなり明るさがでているようです。 少しほっとしました。 

■あゝ荒野

■ポスターハリスギャラリ,2011.11.17-30 ■今回戯曲本が出版され上演もされている。 その関連?の森山大道の写真展である。 展示会の原本も2005年に発売されているのを知った。 寺山修司の短歌とともに場内にその作品が並べられている。 会場はマンションの一室で作品をジックリみるには息苦しい。 森山の60年代の写真は寺山の世界によく似合う。 というより誰を持ってきても合いそうだ。 理由として森山の若き年齢が60年代と共に走れたから。 時代と走れることは滅多に来ない。    「公園まで嘔吐せしもの捨てに来てその洗面器しばらく見つむ」 公園の雰囲気、色、匂い、そして洗面器の重みまで筋肉に伝わってくる。 読者の肉体が総動員してしまう歌だ。 言葉が身体化するこの感覚と、森山の写真が持つ確かな存在感とが共鳴するのがコラボの面白さかもしれない。 汚かったからもう一句・・    「わが切りし二十の爪がしんしんとピースの罐に冷えてゆくなり」 *チラシ、 http://www.terayamaworld.com/museumnews/kouya_misawa_a4_11.2_02.jpg

■建築・アートがつくりだす新しい環境-これからの”感じ”-

■東京都現代美術館 ■ http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/129/1 ■建築家が30人近くも集まると作品は寄せ集めで方向はバラバラに見えてしまうわ。 これが「これからの感じ」なのかしら? ビデオも10本近くあり、しかも最初が原広司の40分ものの禅問答だけどこれでは鑑賞方法が最初から崩れてしまうわね。 SANAAの企画だから「ロレックス・ラーニングセンタ」の模型で始まり映像で終わっているの。 映像はW・ヴェンダースが手がけてるけど広告のような感じ。 「・・私の存在の形は継続的な現前・・」と肯定も否定もしていないところがこの建物の特徴ね。 気に入った作品は「エイト・スプルース・ストリート」。 この目眩は最高ね。 さすがゲーリー。 でも他作品との関係がわからない。 誰のための展示会か?がいつも頭を過ぎるわ。 来るべき「人間性」を求めるにはあらゆる冗長性が必要かもしれないけど、これでは一般客は美術館に来ないわね。

■ノスタルジックな道-ルート66-

■キャノンギャラリーS ■ http://cweb.canon.jp/gallery/archive/sakurai-route66/index.html ■あの格好いいルート66の道路標識がなければどこの道だかわからない。 中西部のどこにでもある風景だ。 いつもはジックリとディテールを舐めるのだが今回は作品に近寄る気になれない。 奥に何かあるような写真には見えないから。 ウェスタン・スピリットを感じるのは老カーボーイ達が酒場で世間話をしている何枚かの作品だ。 他は、ルートがより南に外れるが、ヴェンダースの「パリ、テキサス」の世界に近い。 無害な「イージーライダー」だけが走っている。 「怒りの葡萄」のマザー・ロードはもはや写真では撮れないほど洗い流されてしまったようだ。 ひょっとして昔からそんな道は無かったのかもしれない。 ともかく標識だけは格好いい。

■ゴヤ、光と影

■国立西洋美術館 ■ http://www.goya2011.com/ ■室内画の人物は性格まで読み取れるけど、室外の人物は愛や喜びや憎しみをそのまま当てはめた普遍的な顔しかしていない。「日傘」「洗濯女」などの山々や木々の風景は他画家の借り物にみえるわ。 これが人物に影響して人形のようになってしまったのかしら? ゴヤは自然や自然の中の人間に無関心なのよ、きっと。 「光と影」が副題だけど光は不安な重たさが有り影は具体すぎる感じね。 でも気に入った絵は「日傘」よ。 SF的な風や光や空気を感じるの。 人形のような顔はP・K・ディックの小説にでてくる人造人間ね。 もちろん「着衣のマハ」もいいけど。 素描・版画が多いと疲れる。 「法然と親鸞」を観たあとに寄ったから尚更ね。 どちらも優に2時間半はかかってしまった。 でも疲れの真の理由はこの展示会も宗教の影響が強いためよ。 キリスト教も法然のように簡潔明瞭にしてほしいわ。 14 :名無しさん@お宝いっぱい。:2011/11/05(土) 05:06:38.77 ID:5fm2mFRs0

■法然と親鸞

■東京国立博物館・平成館 ■ http://www.honen-shinran.com/ ■南無阿弥陀仏と声に出すことで極楽浄土へ行くことができる。 この単純明快さが生きとし生けるものには必要なのね。 生き物が持っている奥深い大切な場所へ卒直に届くように感じるわ。 それは死の恐怖を克服することもできる。 死は意味なのよ。 生まれてきたことも後から意味づけし、死も死ぬ前に意味づけている。 これを無化するのね。 なぜなら生き物は意味で生きているわけではないから。 法然って革命家だわ。 入口近くは混んでいたけど第二会場は空いていて作品も疎らだった。 第一会場作品を後方へ移せばもっと落ち着いて観られるはず。 会場出口の「早来迎」は誰をも忘れないという想いが表れている作品ね。 法然と親鸞を締め括るにはベストな絵よ。

■南蛮美術の光と影

■サントリー美術館 ■ http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol05/index.html ■美術的な感動は少なくむしろ歴史的な関心が主題の展示会です。 観客もキリストやその歴史に興味のある人が多そうでした。   16世紀からの南蛮船来航から17世紀の鎖国までの流れが一望できます。 キリシタンの火あぶりや斬首の絵は漫画のようですが当時の状況がよくわかります。 副題に「泰西王侯騎馬図屏風の謎」とありますが謎がなんなのかよくわかりません。 エックス線をあてて下描きの様子がわかっただけでは謎とは言えないとおもいます。 謎は驚きがなければいけません。 このような意味深なタイトルを出さないとキリストに興味がない一般客は来ないのでしょう。

■知られざる歌舞伎座の名画

■山種美術館,2011.9.17-11.6 ■(株)歌舞伎座や(株)松竹が所有している作品の展示会である。 劇場はもちろん会長室、貴賓室、楽屋などに飾られている絵、それに松竹大谷図書館の資料が展示されている。 芝居の切り口以外からも集めているのでテーマがバラけていて楽しい。 しかし楽しい理由は別にある。 画家は歌舞伎大好き、役者は絵が大好きという大好き同士の人間関係が表れているからだ。 だから会場は和やかで賑やかな雰囲気がある。 気に入った作品は鏑木清方の「さじき」。 この作品は芝居が好きになっていく途中の絵である。 画中の二人はまだ芝居の不思議さをどうしてよいのかわからない。 そして小林古径の「犬」はイヌ好きならひと目見てわかるはずだ。 速水御舟「花の傍」のイヌはオッパイが三つあるが古径のより劣る。 川合玉堂「早春漁村」の海の色は冷たくてブルッと来る。 歌舞伎ファンならいろいろ発見がある展示会だろう。 *美術館、 http://www.yamatane-museum.jp/exh/exh/doc/110917jp.pdf

■世紀末、美のかたち

■府中市美術館,2011.9.17-11.23 ■ガレやドーム兄弟のガラス世界に浸っていると急にルドン、ゴーギャンそしてドニまで登場するの。 ゴーギャンやドニは場違いにみえるわ。 横串はいくらでも刺せるからキリがないけど、世紀末に生きた人たちを強引に結びつけようとしている感じね。 ルドンとゴーギャンの宗教感の相違、ドニの家族愛の優位など差異のほうが目立つようだけどどうなのかしら? ガラスに戻るけど、草花や昆虫は人間からみて相容れない生き物に描いていて何回みても飽きが来ない。 北澤美術館はちょっと遠いいからこのように近くで頻繁に作品を見れるのはいいことよね。 ところでキャプションの文字が小さくて観客は読みづらいようだったけど大きくしてほしいわ。 小さいと緊張して文字を読むので心身が作品から一度離れてしまう。 これで感動が少なくなってしまうからよ。 *館サイト、 http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/seikimatsu.html

■感じる服考える服、東京ファッションの現在形

■東京オペラシティアートギャラリー ■ http://www.operacity.jp/ag/exh135/ ■ファッションの自由と制約がみえる展示ね。 思ってもみなかった形や色を提示された時の感動ってドキドキして素敵だわ。 次にそれを受け入れる時の葛藤、受け入れた時にやってくる世界の広がりがハッキリとみえるのがファッションの芸術かな。 囚人服をパジャマ化してカラフルにしたような「ミントデザインズ」はこの流れで気に入ったの。 「ソマルタ」はイッセイの光り輝くグレーを引継ぎ魑魅魍魎をした近未来の雰囲気があるわ。 でもイッセイの世界から逃れられない感じね。 「まとふ」の苔や枯木などの自然の無地は日本の美意識にハマり過ぎてるわ。 このような無地の美は裏で考え過ぎでいるから着ていて疲れるとおもうの。 「NAOTO」、「ケイスケカンダ」は世界を絞り込んで見直しをしているけど脱構築にはもう少しかかるわね。 会場は10台のヴィデオがあったけど面白いので全部見てしまった。 これを見ないと各デザイナーの全体像がよくわからないことも確かね。 展示会名と展示内容がピッタリ以上に合致していて気持ちがよかった。

■松岡映丘、やまと絵復興のトップランナー

■練馬区立美術館 ■絵中の人物は引目鉤鼻のため、観客がどのように解釈しても人物表情は絵中の物語に合わせてくれるようです。 でも限界があって人生の痛みや苦しみはみえてこない。 さっぱりしすぎてる。 「右大臣実朝」も解説がなければ現場状況を見逃しますね。 そして映丘の絵は近代漫画のルーツではないかと考えてしまいました。 作品の至る所でそれを感じます。 「鵯越」や「矢表」は昭和初中期の少年少女漫画には必ず載っているし、「千草の丘」や「伊香保の沼」の目の表情は現代漫画でもよく見かけます。 「さつきまつ浜村」はまるで南アジアの島々のようです。 松が椰子の木にみえます。 それでも懐かしさがあるのはやまと絵が持っている物語とそれに感情移入できる映丘の淡い絵のおかげかもしれない。 *館サイト、 http://www.neribun.or.jp/web/01_event/d_museum.cgi?id=10221

■大雅・蕪村・玉堂と仙厓  ■池大雅、中国へのあこがれ

■大雅・蕪村・玉堂と仙厓 ■出光美術館,2011.9.10-10.23 ■「笑いのこころ」が副題だけどこれは解放から来る笑いね。 桃山から続いているコッテリ美術は見たくもない、武士・町人の堅い生活は嫌、明清文化を好きなように解釈したい、酒は飲みたい、・・・。 墨画は酒好きを連想させるわ。 仙厓が多くて危うく飲み過ぎるところだったけど、ほか3人は程好い作品数で観た後はほろ酔い気分で会場を後にしたわ。 *美術館、 http://idemitsu-museum.or.jp/exhibition/past/ ■池大雅,中国へのあこがれ ■ニューオータニ美術館,2011.10.18-11.20 ■出光で気に入った「秋社之図」「十二ヶ月離合山水図」はどちらも六曲一双。 ニューオータニは詩書画三絶の作品が主ね。 おおらかさが出始める30代後半からの作品、特に「沈香看花図・楓林停車図屏風」は行書体とマッチしていて素敵よ。 そして「己行千里道 未読萬巻書」は蕪村や玉堂にも当てはまる言葉ね。 心身ともに人生を楽しんでいる彼らに出会えて嬉しいわ。 *ニューオータニ、 https://www.newotani.co.jp/tokyo/

■石踊達哉展

■日本橋三越本店ギャラリー ■ http://www.mitsukoshi.co.jp/store/1010/ishiodori/ ■妙法院障壁画の完成記念展である。 ・・多くの作品は弱々しく見える。 小さい草花が多く、蔦も神経質な絡み方をしているからだ。 「断雲四季草花図」の梅も痩せ細っている。 柳の葉も力が無い。 これでは玄関にある永徳?のデカ松に対抗できない。 しかし普賢菩薩騎象像の背を飾っている既存の「清浄蓮華」はとてもいい。 蓮の葉が大きいく像に負けていない。 逆に緑色と共に像を引き立てている。 この1枚で妙法院住職が石踊に再依頼したのも肯ける。 会場出口のヴィデオを見ると、展示作品は10畳前後の二間に置かれるという。 この空間なら絵の弱々しさが薄められ、細かさが生きてくる気がしてきた。 狩野派のように畳の上でノケゾルことも無い。

■ウィーン工房1903-1932

■汐留ミュージアム ■ http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/exhibition/11/111008/img/pamphlet.pdf ■家具や食器はとても使い難いデザインね。 サナトリウムの建物もシンプルというかスッカラカンな感じみたい。 創設者の3人は総合力を目指しながら空回りしているようだわ。 その結果の財政圧迫かな。 後半のモード部門は目が喜びそう。 リックスの壁紙は素敵ね。 緑地の「そらまめ」、そして「夏の平原」は最高。 結局は日本の文化と混ざり合った作品が一番ということかしら。 会場に敷かれていた絨毯は合格よ。 「ウィーン工房」は知っているようで何も知らなかった。 人と方針がころころ替わったことや、次に続くバウハウスに目がいってしまったことが理由かもしれない。 激動の時代、経営からみた工房をもっと前面に出したら面白い展示会になったかも。

■トゥールーズ・ロートレック展

■三菱一号館美術館,2011.10.13-12.25 ■ロートレック展は企画が難しいとおもうの。 リトグラフだけでは飽きてしまうから。 いつものモンマルトル生活を前面に出すしかない。 今回もこれに沿った展示で新鮮味が無いようにみえる。 だから作品の周辺まで視野を広げないといけないようね。 最初にユネスコ世界遺産に登録されたアルビから持ってきた作品でまとめているのがそれ。 これでアルビへ一度行ってみたい気持ちが出ればまずまずね。 次にモンマルトルの人物や文芸にどれだけ親しみがあるか。 例えば茅ヶ崎美術館「音二郎・貞奴展」で登場した「ロイ・フラー嬢」が2枚あったけど、ロートレック?フラー?音二郎の流れをいろいろ想像しちゃったわ。 ロートレック展はいつも頭の中がゴッタ煮ね。 *館サイト、 http://mimt.jp/lautrec2011/

■ダムタイプ「S/N」と90年代京都

■早稲田大学演劇博物館,2011.9.21-2012.2.4 ■博物館2階廊下でのヴィデオや資料だけの小さな展示構成。 なぜ京都にダムタイプのような特異なパフォーマンスグループが発生したのか?を論じているの。 会場は同時開催の市川團十郎展が混んでいたせいかいつもと違って落ち着けなかったわ。 ①大学に囲まれている河原町近辺の特異性②ゲイ文化の影響③90年代バブル崩壊のダメージが少なかった。 これらが混ざり合ってグループが発展したのが背景にあるようね。 多分東京でいうと60年代前半の神田周辺に近いイメージかも。 そして組織としての進め方に核心的秘密があるのかもしれない。 フラットな組織でのコミニュニケーションや意思決定方法にね。 ダムタイプに興味を持っている人はよいとしても、持っていない人には最悪の展示会よ。 *現代演劇シリーズ第38弾 *館サイト、 https://www.waseda.jp/enpaku/ex/1249/

■アジアを視野に、安藤忠雄建築展

■GAギャラリー,2011.9.17-11.6 ■北京でホテル、上海で大劇場と博物館、台湾と韓国で美術館。 以上の建築中5点の展示会よ。 でも安藤忠雄の作品は好きになれないわ。 打放コンクリートに方形鉄枠窓ガラスの禁欲的な建築ばかり。 こんな住宅には住みたくない! よく行くミッドタウン21_21デザインサイトの入口に立ちはだかるあのコンクリートの壁は全ての感情を閉じ込めてしまう。 中に入り階段を降りていく時の冷たさはいつも嫌な記憶として残るわ。 もっと建物に生物的な何者かを取り込む必要があるとおもうの。5点の建築中でいいのは北京のホテルだけ。 これは中国風意匠の低建築でリゾート機能を取り込んでるので柔らかさがあって落ち着けるわ。 あとの4点はダメね。 上海の大劇場は魔界性を取り込むと言ってるけど、今の安藤に魔界建築はできない! *館サイト、 http://www.ga-ada.co.jp/japanese/ga_gallery/2011/1109-1111_ando/gallery_2011ando.html

■モダン・アート、アメリカンー珠玉のフィリップス・コレクション-

■国立新美術館,2011.9.28-12.12 ■会場前半は自然、後半は都市の流れで構成されている。 アメリカ人は絵が本当に下手だ。 結局はオキーフとホッパーの二人に頼わざるを得ない。 チラシもこの二人の絵が大きく印刷してあるから誰もがそう思っているのだろう。 しかしフィリップス・コレクションはアメリカ人にとってのアメリカ史が凝縮しているはずである。 多くの物語や懐かしさが一杯詰まっているはずである。 だから絵画的にどうこうと言うだけでは不足なのかもしれない。 ところで前半の終わりに4枚のオキーフが飾ってあった。 「私の小屋」はのっぺりとした抽象画に見えるが草や土の匂いを感じる。 自然から多くを省いても本質を残すリアルな絵である。 オキーフのリアルさに初めて気付いたのも周り絵が下手糞だからだ。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2011/american/index.html

■ゼロ年代のベルリン

■東京都現代美術館,2011.9.23-12.1.9 ■10本の映像作品が主である。 その中で二つの物語を交互に組み合わせ、いつのまにか融合したように見せる「キャスティング」は粗さが目立ったが面白い。 この二話はアメリカ兵がドイツでデートをする話と、アフガンでイスラム教徒を誤殺する話である。ミン・ウォンの「明日、発ちます」は「テオレマ」を5画面に分割し再構成している作品である。 スキャンダラスだがヨーロッパの硬さを持つパゾリーニを換骨奪胎しアジア的な軽さに塗り替えている。 そして芸術の嫌らしさを付け加えているのも忘れていない。 その他は思いつきで作っている感じだ。 これに意味づけや社会批判を後から付与している。 その場限りの作品ばかりである。 そして物語が無いと映像はこんなにも弱くなるのか! たぶん20世紀後半のベルリンの歴史をまだ引き摺っているからである。 「バウフヘーレ・バウヘン」は工藤哲巳らしき物を持って漫画的行動をしながら東京を放浪するのだがいただけない。 古すぎてベルリンの傷がまた痛みだしているようだ。 展示会名は「ドイツ零年」をなぞり「ベルリン零年」にするのがいい。 会場の一部は暗すぎて歩けない、映像作品を観る場所が無い、ヘッドホンが3台しか置いてない、・・、など観客不在の構成になっている。 木場へ行くのは閑人かオタクばかりだから文句を言わないが、それにしても現代美術館らしい嬉しい応対である。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/128/

■ヴェネツィア展

■江戸東京博物館,2011.9.23-12.11 ■カナル・グランデの映像風景から始まります。 ちょっとガッカリです。 毎度の紹介レベルでは盛り上がりません。 以降も作品はノッペリした陳列でテーマもはっきりしません。  裕福な貴族の生活や仮装、博打の作品も多いのですからもっと対象を吟味・絞込みをすれば面白くなるはずです。 終章の絵画は少ない数でしたが満足しました。 「二人の貴婦人」が「ラグーナでの狩猟」の下半分だったとは驚きです。 ベリッーニの「聖母子」は清潔感があるし、官能的なヴィーナスやキューピットなどは楽しめました。 ともかく学校授業の延長のようで江戸東京博物館の性格がモロにでていた展示会でした。 *館サイト、 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/past/2011/

■川上音二郎・貞奴展

■茅ヶ崎美術館,2011.9.10-11.27 ■自由民権運動での逮捕歴が180回! そして音二郎の体当たりパフォーマンスを観て一目惚れした貞奴。 しかも二人は手漕きボートで4ヶ月をかけて東京から神戸まで出かけるなんて驚きだわ。 途中アシカの群れに襲われるとは想像を絶する光景ね。 でも欧州への上演前に事前視察をしていたんだから緻密な性格も持ち合わせている。 パリ万博を含め数回の海外日程が展示されていたけど有名な都市は全て回っている。 行動力の凄さには感激よ。 会場は歌川国貞や豊原国周の錦絵が舞台に彩りを添えてるし、伊藤博文や市川團十郎との付き合いや晩年の生き方など全体像が浮き出てくる展示でとても面白かったわ。 明治という時代のパワーを最大限に吸収して出し切った二人だった。 *館サイト、 http://www.chigasaki-museum.jp/exhi/2011-0910-2.html

■インヴィジブル・メモリーズ

■原美術館,2011.9.10-12.11 ■4人の作品が展示されているが小泉明郎のヴィデオアートの2作品が印象に残った。 「若き侍の肖像」は主人公が特攻隊員として出撃する話。 感情移入させようと監督が役者にイチャモンを付けるのだが次第に役者もその気になっていく・・  「ビジョンの崩壊」は沖縄の特攻隊員とその妻の会話である。 表裏別々の映像が流れている。 表画面では夫婦が食事中で顔のアップしか映らない。 「戦争が終わったら二人で温泉にでも行こう・・」・・ 裏の画面では卓袱台まで映される。 箸や茶碗の動作がぎこちないし、お酌もこぼしてしまう。 なんと夫婦は二人とも盲目であった! そして全速力で敵艦に向かう戦闘機内の夫の場面へと続いていく・・ どちらも10分程度の作品だが、国家観や天皇制の議論が抜けている。 だから醒めた感動があるのかもしれない。 もしこれを入れたら美術館で展示されたのか怪しい。 ヴィデオアートは底なしである。 *館サイト、 https://www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/336/

■帝のまなざし

■富士フィルムフォトサロン、2011.9.9-21 ■ http://fujifilmsquare.jp/detail/11090901.html ■京都御所の内部を撮影した展示会です。 たまたま寄ったら撮影者三好和義氏のギャラリートークの日でした。 今流行りのデジタルカメラで撮ったそうです。 交換レンズの種類は多種多様でさすがプロですね。 作品では襖の花鳥風月絵が鮮やかで目が釘付けになります。 デジタルカメラに合うプリント紙を使っているとのことです。 会場に、近々に発売される当写真集が置いてありましたがこの展示作品の方が素晴らしく比べものになりません。 天皇の行事の解説や、しかもライトを使用できない、カメラを近づけることができないなど撮影条件が厳しかった話もあり、一つ一つの対象物がより現実的に見えてきます。 写真展はよく行きますが、当撮影者の解説があるとこんなにも作品が違って見えるとは驚きでした。 やはり写真は機器やフィルム、現場の状況がわからないと面白さが半減しますね。

■モーリス・ドニ、いのちの輝き 子供のいる風景

■東郷青児美術館,2011.9.10-11.13 ■モーリスと聞いてユトリロのほうを思い出してしまいました。 去年ここで開催した「モーリス・ユトリロ展」のことです。 ユトリロがアル中と奴隷のような生活だと知った後は絵も違ったようにみえてしまったことです。 今回も作品だけを見せてはくれませんね。 弥が上にもドニの生活に入っていきます。 多くは二人の妻と9人の子供たちの絵です。 これにカトリック世界を背景に描くのですからいのちが輝きます。 光あたるところは乳白色ですから母親の肌の中に包み込まれる感じです。 感動するというよりは何かホットする気持ちになります。 これだけの数のドニを観ることが出来て幸せです。 それにしてもユトリロとは対照的ですね。 *館サイト、 https://www.sompo-museum.org/exhibitions/past/2011/

■皇帝の愛したガラス  ■あこがれのヴェネチアングラス

■東京都庭園美術館アム、2011.7.14-9.25 ■ http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/glass/index.html ■あこがれのヴェネチアングラス ■サントリー美術館、2011.8.10-10.10 ■ http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol04/index.html ■先に庭園美術館へ行ったのは間違えでした。 ヴェネチアングラス展をまずは観るべきです。 「クリスタッロ」誕生からエナメル彩・ダイヤモンド彫・レース・アイスの技術を知り、これが世界へ広がっていくのを確認するとグラスの全体像が見えて来ますから。しかし面白さは「皇帝・・」の方ですね。 会場では次に何が出てくるのかが楽しみでした。 この感じはソビエトの世界ですね。 ロシアになってもこれを引き継いでいます。 観客でいるかぎり面白い国です、ロシアは。 来週から「ヴェネツィア展」が開催されます。 この準備ということでサントリー美術館へ足を運んだのですが、予想以上の情報が得られて正解でした。 今から楽しみですね、ヴェネツィア展。

■メタボリズムの未来都市展

■森美術館,2011.9.17-12.1.15 ■丹下健三一家が総動員ね。 会場はメタボで一杯。 でも今の時期に50年を振り返ることはいいことね。 まず戦後の匂いがする1960年代メタボリズムに驚かなくちゃ。 次に「気がついたら、メタボと違ってしまっていた!」現代に驚かなくちゃ。 60年代は代謝に必要なミトコンドリアが多かったからエネルギーが出せてメタボを受け入れられたのよ。 メタボが物の豊かさを追求していることに異論はないけど、物が有っても無くても人の豊かさには無関係にするのがポストメタボかもしれない。 じっくりみると丸一日かかるわ。 若かりし頃の建築家たちのビデオは面白い。 当時は血管や細胞レベルの代謝を指したようね。 だから道路と公団住宅のような個室ばかりが目立つのよ。 宮殿のような大階段は誰が歩くのかしら? 「 家の外の都市の中の家 」の予想はアタリね。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/metabolism/index.html

■アーヴィング・ペンと三宅一生

■2121デザインサイト,2011.9.16-12.4.8 ■三宅一生は見たことがある作品ばかり。 だから焦点はアーヴィング・ペン。 でも会場は一生から見たペンね。 一生と出会う前の写真は数枚の展示しか無いし・・。 スケッチを描いてから写真に取るペンのある種の堅さが、一生がペンに近づいた理由かしら。 18分間ものプロジェクターで写真を追っていると、一生のデザインって「来ないであろう近未来」を描いているようにみえる。 それはアフリカとパリを漫画で融合していて現代からズレっぱなしの服だから。 でもいつの時代のSF映画にも合うようね。 見終わったあと物足りない感じがした。 ・・一生抜きのアーヴィング・ペンをもっとみたい! 写真美術館でアーヴィング・ペン展を開催して欲しい。 *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/visual_dialogue/

■日産自動車グローバル本社

■建築賞を受賞したので見に行ってきたの。 横浜駅から7分、2階から入るとそのまま新高島駅へ抜けることができて清々しいわ。 環境の配慮をうたっているけど外観を見てもそれがわかる。 隣の富士ゼロックスR&Dビルより真面目さが出ているわ。 1階はギャラリー。 ところで日産には商品全体の思想体系が無いのかしら? 勝手にバラバラ作っているようね。  インフィニティブランドもやっとグローバル思想を取り込んだようだけど、レクサスに20年は遅れているわ。 リーフを前面に押し出すのもいいけど全体での位置づけがイマイチね。 マーチも孤独に見える。 そう、ニッサンはみんな孤独なのよ。 ・・みなとみらい地区も日産が来てやっと一息ついたようね。 でもマンションアパートが多すぎる。 企業は周りに張り付いているだけだし・・。 今の日本の停滞をそのまま表している感じね。 ・・ギャラリーカフェのベランダに居ると汐の香りが素敵。 横浜ね。  *会社サイト、 http://www.nissan-global.com/JP/COMPANY/HQ/

■アラヴェナ展

■TOTOギャラリー間,2011.7.27-10.1 ■限られた予算で作成した集合住宅はとても広々としていて好感が持てるわ。 そして過密を避けて住居の価値を上げ財産にするという考えのアラヴェナはチリのような発展途上国では今必要な現実主義者ね。 でも学校や美術館は使い難い感じがするわ。 「何がプロジェクトのフォルムを決めるのか?」の答えが出揃っていないようね。 日常生活には強いが公共生活には馴染んでいない感じがする。 才能あるデッサン力だけで突っ走ってしまうのかもしれない。 でもチリや南アメリカの政治経済下でのアーキテクトって凄い! +行動主義者だからできることね。 ところで会場で売っていた椅子の機能を持つ1本の紐で出来ている「チェアレス」は面白い発想だわ。 地べたに座る習慣がある国では似合うかもね。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex110727/index.htm

■家の外の都市の中の家

■東京オペラシティアートギャラリ,2011.7.16-10.2 ■東京という都市をデータで見えるようにしてくれて安心するわ。 戸建住宅平均寿命はロンドン100年、東京26年。 レストラン件数パリ1万、東京10万。 この二つの値を知っただけでも東京のイメージが湧いてくるの。 東京は土地所有者数がなんと128万人。 少子化と相続税で、第一世代の80坪平屋が第二世代では40坪2階建、第三世代は25坪3階建の移行には驚きね。 主要道路の両側には中高層ビルが林立しているけどその内側はこのような兎小屋が一杯よ。 第四世代の住宅案としては家族以外のメンバーを取り込む、家の外で暮らす、隙間の再定義などを模索しているようだけど想像し難いわ。 ところで17日からはじまる森美術館の「メタボリズム」のチラシを今みているけど、今回の展示会で提出された細かい問題には答えないで再び大きな物語で解決したい企画のようね。 *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh132/

■青木繁展

■ブリジストン美術館、2011.7.9-9.4 ■ http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibitions/ ■「海の幸」は大画面だとおもってたの。 小さくて少しがっかり。 でも画中に福田たねの顔を描いた途端、絵画として神話として完成したのね。 久留米藩士の出だけあって弱いところは人に見せないのかしら。 最後の自画像を除いてこの性格が出ているわ。 父の事業の失敗で姉と弟を養うことや、友人にカネを借りることも蛋白にみえてしまうほどよ。 パレットと三脚をみると当時の生活が分かる気がする。 「それから」の代助にも気に入られるなんて、繁と代助は似たもの同士だと漱石も見ていたのね。 黒田清輝への反発と尊敬も面白かった。 「海の幸」しか知らなかった初心者を明治の画家の一人としてしっかりと印象付けた展示会だった。 チケット売り場が混んでいて並んだなんてこの館では初めてだったけど、これが物語っているわ。

■江成常夫写真展

■東京都写真美術館、2011.7.23-9.25 ■ http://syabi.com/upload/3/1382/2011_005_b_2.pdf ■撮影時期はもちろん色彩力も解像力も時代の今として展示されている。 1945年からいかに遠くに行けるか。 そして再び戻ったときに生じる時間のズレが目眩として観る者にそっと押し寄せてくる作品群だ。 澄み切った海に沈んでいるゼロ戦、静寂なジャングルの中の陸軍重爆撃機呑龍、日米白兵戦で血に染まったススペビーチの光り輝く海と紺碧の空。 古代の遺跡をみているような美しい光景だがしかし、あの目眩が微かにやってくる。 後半の「ヒロシマ」、「ナガサキ」はポートレイトが多い。 とても穏やかな顔顔だ。 65年の時間を別のなにかに変えてしまったようにおもえる。 だから観ていても目眩はおきない。 しかし別のなにかはよくわからないが、それを感じる。 風景の中には65年前の時間が凍り付いているが人物像では時間が溶け出してしまっていた。 生物が持っている定めである。

■イケムラケイコ、うつりゆくもの

■東京国立近代美術館、2011.8.23-10.23 ■ http://www.momat.go.jp/Honkan/Leiko_Ikemura/sideb/ ■絵画より彫刻が面白い。 最初の作品「きつねヘッド」がイケムラ世界への入り口である。 横たわる人物像の多くは頭が無かったり欠けている。 自身の手を目や口に突っ込んでいる像が少しばかり衝撃的だ。 そして会場出口の「白い眠り」で終わる。 作者の身体感覚の有り様をそのまま作品に投影しているようである。 血管や皮膚の存在をおもう静かな日常生活の延長にある。 生活と芸術が分離していない時代からやってきたような匂いもする。 だから作品は芸術としては弱い。 この中で「うさぎの柱」は唯一日常を昇華していて違った面白さがあった。 これは作者のトーテムポールだ。 ところで会場にはキャプションが1枚も無い。 無いと作品がベールを剥ぎとったようにみえる。 題名の言葉は観る者をがんじがらめにするらしい。

■GLOBAL NEW ART展

■損保ジャパン東郷青児美術館,2011.7.12--8.31 ■特別展らしいがセガンティーニ展の遅れをカバーするための繋ぎのようだ。 田口弘氏のコレクションだが有名画家ならなんでも受け入れるという感じだ。 ニューヨーク自宅の写真があったが絵が好きなようにはおもえない。 リキテンスタイン「二つのかたち」、ホックニー「ホテルの壁の眺め」の二点が気に入る。 リキとしてはとても知的な感じがするし、ホックは建物構造と眺めた角度がとてもいい。 他には韓国、ケニア、ブラジルの知らない画家に出会えたことが収穫かもしれない。 題名は誤っていなかった。 期待しないで行ったらやっぱり期待外れで納得できる展示会だ。 *美術館、 https://www.sompo-museum.org/exhibitions/past/2011/

■鬼海弘雄写真展

■東京都写真美術館、2011.8.13-10.2 ■ http://syabi.com/upload/3/1384/2011_006_b_1.pdf ■多くの人物像は演出家から指示された同じような表情をしている。 それは現代口語演劇からセリフを取ってしまった役者のようだ。 はたして、作品をみていると聞き取れないくらいのボソボソしたセリフが聞こえてくるようだ。 しばらくすると、ただ日常を淡々と生活している人間の存在感がじわりとやってくる。 5年後に会った労働者や2年後の清掃員のポートレイトがあるが、再び会えるなど不可能である。 鬼海は計算し尽くしている芝居の演出家のようだ。

■濱田庄司スタイル展、理想の暮らしを求めて

■汐留ミュージアム,2011.7.16-9.25 ■会場は黒や柿色の渋い色の作品が多くて暗い感じがするの。 しかし古い家具に置かれた器群はとてもマッチしている。 整えられた北欧デザインと違って全てがオジサンぽい感じね。 「落ち着きは良き生活の支えがなければ得られない・・」 と言っているように急須のゴッツイ形は生活にゆとりがある証拠かも。 自然に対するオジサンぽい感じはたぶんイギリス風かもしれない。 つまりジェントルマンということね。 このようなスタイルはめったに出会えない。 知らなかった理想の暮らしが感じ取れて嬉しいわ。 *館サイト、 https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/11/

■保田井智之、長円の夜

■東京オペラシティアートギャラリ、2011.7.16-10.2 ■ www.operacity.jp/ag/exh133.php ■ブロンズと木々の組み合わせの人物像が多い。 木や金属の錆のような汚れ、塗り残しの白色が彫刻の表面を複雑にしている。 この複雑さが絡みあって言葉が聞こえてくるの。 作品の人物が小声でセリフを喋っているように聞こえるのよ。 周囲の空気は微妙に振動している。 静寂さのある舞台を観ているような感覚に陥るの。 「仮の宿」「見つめる人」「ネガ・チャイルド」「アイム・フロム・ザ・クラッド」。 静かな役者たち。 このような役者の芝居を劇場でも観たいという気持ちが湧き出てくる作品群よ。

■鳳凰と獅子

■サントリー美術館,2011.6.8-7.24 ■鳳凰と獅子以外に思い当たるものがありません。 他には竜ぐらいでしょうか。 蛇や象、鯨なども現実と空想の融合ができていないようにみえます。 でも竜も入れると会場は溢れちゃいますね。  江戸以前の作品をみてもこの二つの位置づけは現代人とそんなに変わっていないようにみえます。 幕末にライオン図が到来してもライオンはライオンですから。 前回と違ってとてもわかり易い展示でした。 多分12章と細かく仕切られているためです。 若冲「花鳥図押絵貼屏風」は初めて見ましたが気に入りました。 他に狩野派の屏風もです。 ところでチケットを購入すると次回展示の無料チケットを配るのはいいですねえ。 これからもずっとこの制度を続けて欲しい。 暑い夏にはビール券付きで。 *館サイト、 http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol03/index.html

■ライフ・オブ・イミテーション

■原美術館,2011.6.25-8.28 ■ビデオ「ミスターウォンハンミン」「ミスターネオチョンテク」を観ていたら、シンガポールへ行った時の事を思い出してしまった。 ・・インド人街では葉の皿にカレーをのせて手で食べる。 レストランに入ると店員は俺の顔をみてスプーンを持ってきてくれた。 俺だけスプーンでカレーを食べた。 ・・。 ・・チャイナタウンに行くとドリアンを食べさせてくれる果物屋がある。 山積みのドリアンから一つを選びそれをナタで割ってくれる。 中の実を手で取り出して食べるのだが、なんとも言えない匂いとクリーミイな味で慣れると旨い。 毎日一度はここへ通って食べた。 ・・。 ・・しかしマレー人の記憶はあまり無い。 シンガポールの森村泰昌=ミンウォンが撮った6本のビデオから構成されている。 シンガポールの歴史・政治・人種の問題をテーマにしているようだが、今の日本からとても遠い国に感じた。 なにもかもが。 *館サイト、 http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html

■サハラ夢美術館

■インターネットで見つけて早速横浜へ行ってきたの。 王冠のような縄文土器のようなとても素敵な建物よ。 自宅兼美術館だからドアチャイムを押したらちょうど沙原さんが在宅中だったの。 館内では彼女に作品を説明してもらい創作方法なども教えてもらったわ。 シャガールやキリコに似てる作品もあってバラエテにも富んでいるし、心象風景をそのまま描く感じでとても落ち着く作品が多い。 絵を描くことがほんとうに好きなのが伝わってくるようね。 自分の美術館が持てるなんて夢のようだわ。 *館サイト、 http://www1.odn.ne.jp/sahara/

■フレデリック・バック展

■東京都現代美術館、2011.7.2-10.2 ■ http://www.ntv.co.jp/fredericback/index.html ■会場入口にある「木を植えた男」を初めて見ましたが、画面は砂嵐が吹いているようなに荒れていて、前半の荒野・廃墟・戦争をより悲劇的に、後半の木々が育ってくるとこの砂嵐の荒れた画面は花吹雪に替り自然への賛歌になります。 木々花々はピサロとシャガール、ボナールを掛けあわせたような質感を持っていて、物語も分かりやすく、さすが賞を取ったアニメと言えます。 一番気に入った作品は「シャンプラン」の下絵、メキシコ・キューバ旅行のスケッチです。 これは素晴らしいです。 1、000点の作品をみるのにたっぷり3時間はかかりました。 フランスでの戦争・カナダへの移住・そして結婚・旅行・テレビ局勤務、バックの一生が陳列してあるようなボリウムのある展示会でした。 観客はその一生を体験してきたような感覚を持てます。

■ムットーニワールド、からくりシアターⅡ

■八王子市夢美術館,2011.5.20-6.26 ■2011年「ウィングエレメントより」の最新5作が展示されている。 物語の色濃い作品が多かったがこれはとても清楚だ。 後ろに位置している「エンジェル」「フラミンゴ」は太陽色の星を背景に翼を持った人物が箱から登場するもの。 前方の「エッジオブリング」「ロスト」は囲いもない空間へ翼をもった女、男が浮遊する作品。 以上は青の光でアクセントを付けている。 中央の「ウィングズ」は太陽色だけの翼が静かに羽ばたく。 いままでの饒舌さを剃り落した感がする5作品である。 宗教と関係があるようだが、この翼がどのような意味を持っているのかよくわからない。 そして見る者を深く解放できる力が具わっていない。 物語との関係を含め、これからの課題のようだ。 *チラシ、 http://www.muttoni.net/img/flyer-syusei_A.pdf

■もてなす悦び展

■三菱一号館美術館、2011.6.14-8.21 ■ http://mimt.jp/omotenashi/ ■ミントン、ウースタ、ドルトン、ゴーハム・・、陶磁器会社の名前もたくさん覚えたし、日本製との差異を比べるのが面白かったわ。 でもジャポニズムが当時のヨーロッパの一般庶民にどれだけ受け入れられたのかよくみえないの。 お茶会も、もてなす悦びもね。この豪華な食器を並べたテーブルから何を想像すればよいのかしら? 「でも三菱らしい展示会ね」と言われるのは早過ぎる。 残念だけど19世紀の英国に住んでお茶を飲まないとわからない、ということは分かった。 館長のメッセージに「・・社会との緊張関係から生まれた美術に集点をあてる」と書いてあるから、もっと三菱らしくないところも出して欲しいわ。 さてえっと、そろそろセカンドフラッシュが発売される頃ね、・・楽しみだわ。

■手塚治虫のブッダ展

■東京国立博物館、2011.4.26-6.26 ■ http://www.budda-tezuka.com/ ■「まさかの共演」は饗宴まで届かなかったようです。 「漫画の良さがでていない」などと言うのは欲張りです。 まずは漫画を読んでから行くのがよいでしょう。 原画を眺めてその横の仏像を観るとまた違った面白さがあります。 漫画の場面が頭に入っているので仏像をみながら物語を反復してしまうのです。 だからいつもよりジックリと仏像を拝んでしまいました。 少し物足りません。 しかし観に来ていた中・高校生にはちょうど良い量・質だとおもいます。

■美しき日本の原風景

■山種美術館,2011.6.11-7.24 ■川合玉堂の絵は無防備に入っていける。 逆に東山魁夷は途中で構図などを考えてしまう。 これらの意識が邪魔をして面白くない。 奥田元宋は雑音が覆っている感じだ。 彼の脳味噌はシャキッとしていないようだ。 だからつまらない。 第三章の「富士を描く」は拾い物だ。 安田靫彦、小林古径、伊藤深水、奥村土牛の富士がいい。 横山大観はダメ。 彼のは当たり外れが多い。 今回は精神性を強調しすぎている。 日本の風景画は水分を多く含んでいるので、梅雨時の今観ると心も体も水にどっぷりつかっているような感じになる。 ずぶ濡れになるが、水の惑星の住人のような幸福感も訪れる。 *館サイト、 http://www.yamatane-museum.jp/exh/doc/110611jp.pdf

■世界報道写真展2011

■東京都写真美術館,2011.6.11-8.7 ■東日本大震災ですっかり忘れていた去年のハイチ地震は驚きの再現です。 死体をポンポン投げている写真がです。 31万人も亡くなった重さが直に伝わってきます。 パキスタンの豪雨で2000万人が避難した史上最大の大洪水も初めて知りました。 北朝鮮軍事パレードで金正恩を心配そうに見つめる金正日の1枚は彼の心の中までみえるようです。 西サハラ、イエメン、ソマリア・・の難民を見るとアフリカいや世界の終末は近いのではないかと真剣に考えてしまうほどです。 日本の報道とは違います。 それは死体や血だらけの肉体を隠さないところです。 これにより、もうひとつの現実に一歩近づいた気持ちになります。 * 「世界報道写真展2010」

■ワシントン・ナショナル・ギャラリー展、印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション

■国立新美術館,2011.6.8-9.5 ■初めてみる絵が多いから嬉しいね マネの「オペラ座の仮面舞踏会」の黒は異様だ ルノワール「ポン・ヌフ・パリ」の雲は印象に残る セザンヌの「りんごと桃のある静物」も見た記憶が無い これならもう一度行ってもいい、 一回目は好きな絵をみつけに、二度目はそれをジックリみにいく *美術館、 https://www.nact.jp/exhibition_special/2011/nga/

■時を超えてー静物と風景画展ー

■ホキ美術館,2011.5.28-11.13 ■開館7カ月目でやっと行ってきました。 画家同士を比較できるところがいいですね。 五味文彦のハッキリし過ぎた静物画。 レモンなどはプラスチックのようで且つ本物のようです。 原雅幸の幻想的なリアルさ。 青木敏郎は時間も止めて描いているようにみえます。 この3名の作品が気に入りました。 5月の日曜美術館で野田弘志を放映してましたが、会場で見ると写実としてはいまいちですね。 この番組で野田がダ・ヴィンチの「モナ・リザ」の手は皺も血管も描いていないのになぜリアルなのか? そして高橋睦郎が登場していつもの回答をブツブツつぶやいたのです。 この問答を見て野田は写実から離れていくと思いました。 「オロフレ峠」(2010年)などはもはや写実とはいえませんが、どうでしょうか・・  *ホキ美術館開館記念第2弾 *館サイト、 https://www.hoki-museum.jp/past/20110528/index.html

■ルドゥーテ「美花選」展

■BUNKAMURAザ・ミュージアム、2011.5.29-7.3 ■ http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/11_redoute/index.html ■精密な造花のような感じがしていたけど、その理由がわかったの。 それは銅版画だからよ。 「自然美と人工美のバランス」とあったけど少しばかり人工美に傾いているようね。 葉の細長いユリ科より葉が丸くて背の低い草花のほうが可愛げが出てるわ。 そして花弁は沢山より少ない方がが素的よ。 蝶の描かれている作品が数枚あったけど昆虫は下手ね。 そして苺・梨・林檎・李・白葡萄・・・果物は不味そうで食べられないわ。 ルドゥーテを観ながら、数年前の牧野富太郎展の時は何に感動したのか?を思いだそうとしたの・・。 多分それは、生物が持っているある種のリアルさから来る感動だったとおもう。 というのは残念ながら今日の展示会ではその感動がなかったから。 でもヨーロッパの花以外に「東洋への憧れ」「エキゾチックな植物」やキャプテン・クックに絡む「バンクス花譜集」なども展示されていて楽しかったわ。

■五十嵐淳展-状態の構築-

■TOTOギャラリー・間、2011.5.13-7.9 ■ http://www.toto.co.jp/gallerma/ex110408/index.htm ■北海道の住宅は風除室の採用や雪や凍土対策が必要です。 このため矩形にして木材を多用する。 半透明の合成樹脂の採用や入れ子設計で状態を制御する。 状態の構築とは光・温湿度・コストを意識して心地良い居場所を作ることだと受け取りました。 過酷な自然との距離がユックリと近づいて来るようで住む人の心が落ち着く作品です。 しかし「北海道」から離れると疑問です。 劇場コンペ案をみるとひらめきは良いのですが素材や特定の動きに目を囚われて深さと広がりが見られません。 カタログを見ると「家族四人のための・・」「母と娘のための・・」・・住宅が並びます。 ここまで家族構成を意識する理由がわかりません。 「一人になれる居場所・・」などは犬小屋を地面に埋めたような作品で理解できません。 個別・特殊過ぎます。 北海道の自然が厳し過ぎて「心地良い状態」が狭められてしまった感があります。 次回は個別から普遍をテーマに開催しましょう。

■表象とかたち-伊藤憙朔(きさく)と昭和の舞台美術-

■早稲田大学演劇博物館、2011.5.13-6.19 ■ http://www.waseda.jp/enpaku/special/2011/itou_kisaku_omote.jpg ■副題は「伊藤憙朔(きさく)と昭和の舞台美術」。 水彩画のように淡白で写実的な絵が多いわ。 浮世絵を崩してそこに西洋近代のリアリズムを盛り込んだ感じね。 まさしく「歌うな、語れ。 踊るな、動け」の舞台に都合の良い絵よ。 「夜明け前」(1934年)や「女の一生」(1954年)の原画を見ていると、役者の動きや物語の邪魔をしていないというのがわかるの。 そして観客は舞台美術を意識の背景、つまり無意識として鑑賞できる。 そんな絵ね。 その時もちろん意識は物語で一杯よ。 この舞台美術からどのような芝居かを想像できるけど、場内ビデオはイェイツの「鷹の井戸」しか上映していなかった。 想像が正解か否か幾つかの芝居のビデオを数分でいいから上映して欲しかった。 ところで溝口健二の大好きな「山椒大夫」の映画美術を担当していたとは知らなかったわ。 あのうるさい監督の下で働いていたとは憙朔は芸術家と言うより職人ね。

■プラハ1968

■東京都写真美術館、2011.5.14-7.18 ■ http://syabi.com/upload/3/1353/2011_05.pdf ■すべてから切り離された写真にみえました。 登場するプラハの市民、子供や老婆の顔もワルシャワ条約機構軍兵士も既に遠い歴史の一場面のようです。 1968年プラハの臨場感ある写真ですが何かが欠けています。 プラハ市民の冷静な行動が写真に影響しているから? ジョセフ・クーデルカの力量に問題があるから? それとも共産主義に失望して20世紀が終わったから? 会場出口に当時のポスターが数十枚貼ってありました。 「レーニンよ目を覚ませ」、「1945、1968」・・。 ポスターのほうが生き生きしていて歴史の連続性やプラハ市民の動きがみえました。 

■国宝燕子花図屏風

■根津美術館、2011.4.16-5.15 ■ http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/past2011_n03.html ■最初の10秒は、素晴らしい! 次の10秒は、金地との調和は最高! 次の10秒は、青と緑は言うこと無し 次の10秒は、・・・ 次の10秒は、青が濃過ぎる感じだ もっと明るい紫がいいんじゃないかな 次の10秒は、花が少し膨らみ過ぎる感じだ もっと角ばった切れのあるほうがいいんじゃないかな 次の10秒は、春だと言うのに重たい感じだな 次の10秒は、伊勢物語は関係無にみえるが・・・ 次の10秒は、光琳はあまり考えていないな 次の10秒は、まっ国宝だからな 次の10秒は、そろそろ飽きたな

■川端実展

■横須賀美術館、2011.4.23-7.3 ■ http://www.yokosuka-moa.jp/exhibit/kikaku/942.html ■マチスを角ばらせて厚塗りにしたような戦後の絵はとてもいいわ。 眼の動きの軌跡を描いたような「リズム」も悪くないけど・・、1970年代の作品は停滞気味ね。 20世紀後半の抽象画の潮流に翻弄されてたようにみえる。 でも1990年代に入ると再び落ち着きがでてきたようね。 いい作品があるわ。 日本画では80歳代の作品は見られたものではないけど、このような抽象画は歳を隠せることができるのかしら。 この美術館は芝生の庭が広いから海を両手で受け入れているような感じがするの。 川端実の絵は海と緑に囲まれた建物によく似合う。 中央正面入口にレストランがあるのも面白い。 川端実展特別メニユーを食べてきたわ。

■アンフォルメルとは何か?

■ブリジストン美術館、2011.4.29-7.6 ■ http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibitions/ ■アンフォルメルとは何か? アンフォルメルは主義・流派ではない、と解説にあったようにナイものを論ずるのは難しいですね。 大戦の傷跡が残っているパリにいた抽象画家の作品がこの対象だと勝手に解釈しながら観ました。 J・フォートリエの不安が漂っている中間色に題名の重たさがスーパポーズしている絵画、菅井汲や堂本尚郎の若い頃の作品が記憶に残りました。 テーマに「?」がつくと観た後もしっくりきません。 この時は、アンフォルメルをなぜ議論するのか?なぜ質問するのか?を美術館はまずはまとめておいてほしいところです。 「テーマ名+?」は大事な所がすべてが先延ばしになってしまうようにみえます。

■驚くべき学びの世界展

■ワタリウム美術館、2011.4.23-7・31 ■ http://www.watarium.co.jp/exhibition/index.html ■イタリアで生まれた乳幼児教育の実践方法がテーマらしい。 会場に入ると壁一面に模造紙が貼られていて高校の文化祭のようだ。 しかも途中で途切れていたり、紙がまるまっていて読む気にならない酷い展示だ。 全体を把握するには場内の数十本のビデオをすべて見ること、そして350頁のカタログを読むことが必要だと感じた。 この館はパスポート制チケットを採用しているて何度も入場できるからいいが大変な労力を伴う。 ところで教育には門外漢なので何故に「驚くべき学びの世界」なのかわからない。 「驚かない学び」の実例比較を掲げて欲しい。 このようなテーマを美術館でおこなうのは吝かではないが場内構成をもっとわかり易いようにしてくれ。

■百花繚乱  ■花鳥の美

■山種美術館、2011.4.27-6.5 ■ http://www.yamatane-museum.jp/doc/exh/110427jp.pdf ■散歩がてら覘くのにちょうどよい作品ばかりです。 小林古径と奥村土牛が交互に飾ってあります。 比較して観るのは初めてです。 古径の古伊万里があるとピーンと空気が張ります。 これで土牛のガーベラやチューリップのソフト感がとても生きていました。 しかし古径の「白華小禽」の泰山木は頂けません。 庭に泰山木があるので毎日見ているのですが、毎日何気なしにみることで植物の心がわかってくるようです。 作品に良し悪しがあるのは草木を日常生活として付き合っているか?時として感動してみることができるか?の二点だとおもいます。 今回は館自慢の速水御舟と酒井抱一が多いようでした。 収穫は趣が違う西田俊英の、初めてみたのですが「華鬘」です。 ■花鳥の美 ■出光美術館、2011.4.23-6.19 ■ http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/point.html ■山種美術館と同じ日比谷線のため寄り道しました。 こちらは重たいですね。 山崎と出光の違いですかね。 散歩のついでにとはいきませんでしたがしかし、中国陶磁器の花鳥をジックリ観てきました。 連休の中、どちらの館も全て所蔵作品展だから入場料はワンコインくらいにしてほしいですね。

■白洲正子

■世田谷美術館、2011.3.19-5.8 ■ http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html ■白洲正子は未知なので行く前にCD「白洲正子の世界」を図書館で借りる。 メリハリのある文章を書くようだ。 美術館は混んでいた。 絵画では曼荼羅が半数を占めている。 山や月を背景に川・家そして参道を歩く仰山の人々が描かれている。 決して美しいとは言えない。 これらは見るより読むものに近い。 正子の文章も掲示されているので余計に読むことに傾く。 曼荼羅を自然界に拡張した「日月山水図屏風」は日本四季の言語化である。 これが彼女の選んだ絵画の到達点だったのでは? 彫刻では丸みのある古面、多くの坐像や十数点もの十一面観音像の膨よかな体付き。 彼女が手元に置いた勾玉、楕円球の鈴や蓮弁もそうだ。 これら丸みのある形は日本文化の基本型かもしれないが選択に無理が無いようにみえる。 絵画は何かの義務感で、しかし彫刻は好みで入ったように感じる。 著名人に囲まれ育った環境も影響しているのだろう。 五十台半ばで巡礼に出たのもこれらを統合したかったのでは? 「歩くことが宗教」と言っているが何かに追いかけられているような人だ。

■森と芸術

■東京都庭園美術館,2011.4.16-7.3 ■平地にあっていつも緑で覆われていて光を通さない深い場所が森。 日本の平地には雑木林しかない、そして森の多くは山そのもの。 日本には森が無いことがわかるわ。 作品を眺めていて違和感がある原因はこれよ。 岡本太郎の登場には驚き。 巌谷國士のお友達? でも縄文土器は落葉広葉樹林の生まれで深緑の森とは異質にみえるわ。 そして「もののけ姫」は山の物語、「赤ずきん」や「眠れる森の美女」は森の物語ね。 主人公の足の強さにこの違いがでているわ。逆にエミール・ガレの「草花文花器」は日本的なものから少しズレているけど、これがヨーロッパ人からみた日本との森の差異かも。カール・ブロスフェルト「芸術の原形」のトリカブトの芽やシダの葉などを見ていると下手な作品より面白い。 森の原点ね。 巌谷國士お得意のテーマが並び過ぎてまとまりが無かったけど楽しかったわ。 ところでゴーギャンは少年期にペルーで過ごしたことを知ったけど彼の謎がまた少し解けたみたい。 瀧口修造が生涯一度しか欧州旅行へ行かなかったこともね、関係ないけど・・ *館サイト、 http://www.teien-art-museum.ne.jp/archive/exhib/2011/mori.html

■ホンマタカシ、ニュー・ドキュメンタリー

■東京オペラシティアートギャラリー,2011.4.9-6.26 ■携帯も入れてカメラを数台持ち、PCの中は写真データで一杯の現代人ばかりだ。 作品は我がアルバムから引き抜いてきたような写真が多い。 今の素人写真家は最初から「ニュー・ドキュメンンタリー」なのでは? むろん意識などしていないが。 解説の「写真の横に文章を貼りつければ見方が大きく作用する・・」、「写真が伝える現実がいかに曖昧か・・」は当たり前だと答えるしかないだろう。 S・ソンダグの「写真とは何よりも一つの見方であり、見ることそれ自体ではないのだ・・」も一つの見方におもへる。 会場は写真専攻の学生らしき観客で賑わっている。 「美術手帖」が特集も組んでいる。 もちろん買わなかったが・・。 ホンマの写真はホンマに良いが、この流行りの凄さとは何か?誰か教えてくれ。 えっ!「美術手帖」に答が出てるって? じゃあ買うか・・ *美術館、 http://www.operacity.jp/ag/exh129/index.html

■レンブラント、光の探求闇の誘惑

■国立西洋美術館,2011.3.12-6.12 ■版画は疲れますね。 混んでいると他観客にも気を遣うし、作る側の時間や労力もそのまま伝わってくるようです。 ステートや紙質の違いを強調する解説にはナルホドと納得しますが身心からの感動は湧き出てきません。 途中の絵画がオアシスになります。  レンブラントの肖像画はいつもながら作品に漂っている16世紀?独特の感情が邪魔をしていて純粋世界へ行けません。 しかし衣服の色合いや輝きは素晴らしいですね。 中でも「音楽を奏でる人々」が記憶に残りました。 ところでチラシに「光と影の真の意味を再検討する」とありました。 残念ながら真の意味などわかりませんでした。 今回は局所変化を微分的な方法で捉えて近ずこうとしているようですが、真の意味の検討結果をHPにそろそろ出して欲しいですね。 *日テレ、 http://www.ntv.co.jp/rembrandt/

■夢に挑むコレクションの軌跡

■サントリー美術館、2011.3.26-5.22 ■ http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol02/index.html ■この美術館は常設展ってあったんだっけ? 開館50周年記念だから美術館の宣伝のはず、だから企画展はやり過ぎっ。 気に入ったのは江戸時代のガラスと陶器「薩摩切子藍色被船形鉢」、「色絵五艘船文独楽形大鉢」、 エミール・ガレの栓付瓶「葡萄」、イワタ・ルリの「NO.981204」の4点。 常設展レベルだからサントリービールのサービスぐらいしてくれっ!

■牛島憲之展

■松濤美術館,2011.4.5-5.29 ■初期の作品を初めて観る。 「芝居」(1927年)、「山の駅」(1935年)で彼が芝居と旅が趣味だったのがわかる。 「赤坂見付」(1940年)でスタイルが確定したと自身が言っているが、戦争が終わった1940年代後半が彼の絶頂期だとおもう。 「残夏」(1946年)は府中美術館に行くと時々みることができるが、これと同じ「炎昼」(1946年)と共に夏が好きでなければ描けない絵だ。 まだ車が少なかった頃の日本の夏のエッセンスが詰まっている。 1950年代からはヨーロッパの知識に侵され始めたようだ。 円錐、立方体、直線・・、対象への眼は冷静・知的になるが40年代の感性はもはやそこには無い。 70年代以降の「並木」シリーズは若い頃に戻ろうとしている想い出の作品だ。 牛島作品を年代順に観ることができてとても満足である。 ところでこの美術館は白井晟一作だと聞いたのでじっくり建物もみてきた。 独特な重厚さを感じる。 ただし周りの建物が密集していて全体を見渡せないのが残念である。 *館サイト、 http://www.shoto-museum.jp/exhibitions/146ushijimanoriyuki/

■アーティスト・ファイル2011

■国立新美術館,2011.3.16-6.6 ■展示室に一歩踏み入れた時のいちばんの感動はクリスティン・ベイカーです。 躍動している立体感と色彩感が一瞬間停止しているような作品です。 「ペルセウスの筏」はまるで津波が押し寄せて来たような作品で迫力があります。 松江泰治の街の低空写真はジックリ見ていると面白さが膨らんでいきます。 東京のビルや家の俯瞰風景は決して外国に劣らないということを教えてくれます。 何が劣らないかというと増大するエントロピーの規則性です。 中井川由季の作品は女性陶芸家にしては珍しく大きく、物質量が黙って迫って来るところが気に入りました。 しかし全体をみると偶然の積み重ねから出てきたところで止まっている作品が多いですね。 それを作者のチカラと感性で必然に持っていけるかどうか!で、世界の今を表現できたか否かが決まるのではないでしょうか。 *美術館、 https://www.nact.jp/exhibition_special/2011/af2011/

■HEROINES、ベッティナ・ランス写真展

■銀座・シャネルネクサスホール,2011.3.26-4.24 ■背景は薄灰色の壁や大きな石で統一、そして衣装は抑えの効いた色。 乳房のまわりの大理石色の肌に青い血管。 被写体とランスがより観る者の身近に来たようね。 写美*1との差異が素敵よ。 でもそれは表層のみで物語の大味な感は拭えない。 ランスの限界も見えてくるわ。 エルメス、ルイ・ヴィトン*2、そしてこのシャネル。 やっと揃ったのかな。 森美*3とは違ったフレンチ・ウィンドウがこれからは楽しみね。 *1、 「ベッティナ・ランス写真展」(写真美術館,2011年) *2、 「グサヴィエ・ヴェイヤン展」(ルイ・ヴィトン,2011年) *3、 「フレンチ・ウィンドウ展」(森美術館,2011年) *館サイト、 http://chanelnexushall.jp/program/2011/br_2011/

■ボストン美術館浮世絵名作展

■山種美術館,2011.2.26-4.17 ■150枚も前にすると江戸時代にどっぷり浸かることができます。 しかし、もはや江戸は別の国です。 顔・髪型・衣装・行事どれを取っても一世代前のパリやローマの遠さと同じです。 今回は鮮やかな色彩が注目されているようですが、場内はしっとりとしておりこれが江戸の色なのか?と感心しました。 蛍光灯でもなくローソクでもなく電球色の明るさです。 清長はポーズを取っているのがありありで、着物も重い感じがして硬直さがあります。 大人絵よりも「子宝五節遊」などの子供がいいですね。 そして、やはり歌麿は安心感があります。 「難波屋おきた」のような作品を見ると元気もでます。 この二人は、上松松篁と母親松園の違いと比べてしまいました。 松篁の生物の硬さと松園の生き生きらしい柔らかさです。 もう一人の写楽は表情が渋くて且漫画的です。 前者二人のワサビのような位置づけですね。 他に鳥文斎の品川、両国と隅田川、調布の玉川なども散策でき、観終わった後は味わい深い外国、江戸へ旅行をしたようでした。 *館サイト、 http://www.yamatane-museum.jp/exh/archives/exh110226.html

■芸術写真の精華、日本のピクトリアリズム珠玉の名品展

■東京都写真美術館、2011.3.8-5.8 ■ http://syabi.com/upload/3/350/seikachirashi.pdf ■会場に入ると風景写真がずらっと並んでいる。 絵画に近づこうとしている想いが伝わって来る。 見る者はなにか中途半端な感覚に襲われる。 写真の人物や風景からいつもの歴史や物語、生活がよくみえない。 とくに物の実存にせまるような静物写真は静物画以上にある種の不思議感がある。 この感覚はどこからくるのか? 部分引き伸ばしの人物像もそうだ。 やはり現実に存在していた事物が持っている力のようだが? ヴェリト、ベス単、ゴム印画、雑巾がけ、そしてデフォルマシオンなどなど・・。 専門用語が並ぶが解説や作品からなんとか意味は理解できる。 想いは現代に飛ぶ。 写真と言わずハードやソフトで処理するため画像と言う人も多い。 先日「写真は死んでいくのか」という記事を新聞で読んだが、ある写真家が物語の深さを論じて写真の復権を説いていた。 このような単純回帰なら「写真は死んでいく」と答えたい。 もちろんこの世から無くならないが。 写真の未来を考えてしまう展示会だった。

■戦場カメラマン渡部陽一&紙の魔術師太田隆司展

■森アーツセンターギャラリー,2011.3.12-4.3 ■「絆の情景」がテーマです。 太田の作品は色紙を切り貼りして日常よく見る、たとえば恋人や家族のいる、結婚式や葬式の風景を作りだします。 車が好きらしく有名なスポーツカーが必ずみえます。 渡部の戦場の子供たちはとても明るい笑顔を振り撒いています。 イラクやアフガニスタンでこのような笑顔の写真は驚異です。 両作品を前にするととても楽観的な人間関係しかみえません。 二人は趣味と職業がピタリと一致したのではないでしょうか。 これほど人生で幸福な結合はありません。 この結合が楽観的な作品を作り出しているのです。 *美術館、 https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/2011/

■フレンチ・ウィンドウ展

■森美術館,2011.3.18-7.3 ■デュシャンからの窓がキーワードよ。 フランスの窓って夢があるわ。 でも現代美術の最前線の割にはなにか古臭い! いい意味でオットリしてるのね。 日本の現代美術のピリピリ感とは違うわ。 この感じは東京が一極集中から来ているためなの? それともパリがグローバル化してるから? ところでヴェイヤン*1は2作品を出品。 「四輪馬車」はヒルズの正面玄関に屋外展示。 大きな折り紙で作ったよう。 躍動感が有って何故か歴史や物語を感じさせるところがとてもいいわ。 ・・黒色はちょっとねぇ。コレクターのアパルトマンの実物大の部屋も展示されているの。 応接室、寝室、お風呂場にはコレクションが一杯。 でも人の温かさが感じられなくて住みたいとはおもわない。 どういうわけか台所がないの。 親しみさが無い原因はこれかも。 ところで場内にある解説文は難解だけど分かり易くてとても想像力のある文章なの。 これで作品を観る目が大きく変わってしまうみたい。 だから自身の感想を頭の中で一度まとめてから解説を読むようにしたけど・・。 でき過ぎも良し悪しね。 *1、 「グザヴィエ・ヴェイヤン展」(ルイ・ヴィトン東京,2011年) *館サイト、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/french_window/

■20世紀のポスター、タイポグラフィ

■東京都庭園美術館、2011.2.26-5.8 ■ http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/typograph/index.html ■20世紀前半はドイツ語、都市はチューリヒのポスターが多く出品されていたがここが中心だったのかな? 変化したのはコンピュータを利用した80年代だが、だからといってポスターの素晴らしさが向上したとは思えない。 複雑に無機質になっただけにみえる。 街中に貼ってあるポスターを足を止めて見るのが一番だ。 その時代ばかりか、身の回りの事までを強烈に関係づけてくれるから。 だから美術館で観る場合は貼ってある風景を想像する力が必要だ。 しかしUSSRの文字を前にしても、今や想像さえできない。ポスターは写真に近い。 でも今回は文字がテーマだ。 文字の美しさや技術を適用することは重要だが、文字は見る者を理性的にする。 それは作品を前にして考えてしまう。 文字だらけのポスターは考えるから想うに行けるかどうかで良し悪しが決まると思う。

■世界の深さのはかり方

■東京都現代美術館、2011.2.26-5.8 ■ http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/123 ■六人の作家展ですが、神経質か逆に無頓着かの両極端な作品ばかりです。 鉛筆やボールペンで細かな線を描く絵が多くありましたが情緒不安定で過敏にみえます。 細い糸で蜘蛛の巣のように形を作ってぶら下げているのもそうです。 折り紙を丸めてホッチキスで留めたものや壁一面に画鋲を止めた作品は単なる思いつきにしかみえません。 水の入ったグラスを置いただけの作品などは安易過ぎます。 なぜこのようになったか? それは作者たちの作品への「考え過ぎ」の結果だと思います。 世界の深さを「考えて」はかろうなどとするから委縮してしまい両極端に走ってしまったのです。 

■包む、日本の伝統パッケージ展

■目黒区美術館、2011.2.10-4.3 ■ http://mmat.jp/exhibition/media/tsutsumu_flyer_web20110201.pdf ■「勹」は人が身体を曲げている、「己」は腹の中に胎児をみごもりかかえているようす。 この二つが合わさって「包」になる。 自然を敵としなかった→語りあうことができた→作り人と作られ物が近い→木、竹、笹、土、藁、紙→包む→日本人の美意識とこころ ・・で誘導している。 しかし作品は商品の強さが前面に出ているためか人気の無い地方物産展会場にいる気分である。 対象のパッケージは四季あるモンスーン気候から生まれたのがわかる。 とくに笹や藁の利用は近頃みられないのでとても新鮮だ。 このコレクションは世界を巡回したらしい。 その時の各国の反応などが展示してあれば、この美意識やこころが日本人特有かどうかも判断できたろう。 そして物産展会場に潤いがもたらされるようにもう少し企画を練る必要があったのでは。

■ベッティナ・ランス写真展

■東京都写真美術館,2011.3.26-5.15 ■赤の口紅やマニュキアそして絨毯、青のカーテン・・、会場に入ったらリンチのブルーベルベットだわ。 でもすぐに別の世界へ、それはフェリーニやアントニオーニの女優の目ね。 寺島しのぶの表情も女優そのものよ。 カメラの前で彼女らは俳優としての職業を無意識に出しているせいか、観る者はここに結び付けてしまうの。 でも少しずつランスがみえてくるわ。 それは女性同士からくる心を許した感情が微かだけど作品に表れてくるところよ。 ここがランスの一番の価値ね。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-1306.html

■田窪恭治展

■東京都現代美術館,2011.2.26-5.8 ■「琴平山再生計画」と「林檎の礼拝堂再生プロジェクト」が主展示です。 「琴平山」は一杯の敷石が敷かれていて建物の一部も展示され、有田焼の椿絵磁器が飾られています。 地階に書院の椿の襖絵が描かれています。 しかし全体像が見えてきません。 階で分離してしまい締まりの無い展示になっています。 せっかくの建物や敷石も活かされていない感じです。 椿絵の襖は上部の空白をどう処理するかで好みが分かれるのではないでしょうか? 完成を期待したいですね。 「礼拝堂」はフランスの廃墟になっていた建物の再構築の話しです。 ビデオや多くの模型で全体を把握できました。 壁絵は何層も塗った後に削り取る手法を取っていて、白を背景に大柄の林檎絵は爽やかさがあります。 でも礼拝堂に合うのか心配です。 田窪は建築家ではなく画家のようです。 どちらでもよいのですが、「琴平山」は建築としての展示が成功しているとは言えません。  原因はプロジェクトの規模が大き過ぎるのではないでしょうか? 「礼拝堂」はプロジェクトとしてゴールが出来た展示にみえました。 *美術館、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/122/

■岡本太郎展

■東京国立近代美術館、2011.3.8-5.8 ■ http://taroten100.com/index.html ■キーワードは対決。 しかも場内説明文も攻撃的だから作品がいつもより一層切実に迫ってくる。 現代ではこのようなメリハリのある対決が表面化しないので余計にそう感じる。 「太郎美術館」「太郎記念館」、渋谷へ行けば「明日への神話」、そしてこの展示会。 ・・太郎だらけだ。 これだけ人気があり逆に対決しても太郎がブレていないのは思想の根幹に若いときのパリ遊学が、特にマルセル・モースに師事したことが効いてるとおもう。 このことは彼の感性の良さが前提だが、ピカソや縄文土器の発見もこの延長だし、べ平連から太陽の塔への時代変化にベースを替えずに乗り越えられる強さもこれだ。 緊張感があるためか観終った後はコンパクトに圧縮された展示会に感じた。

■グザヴィエ・ヴェイヤン展

■エスパス ルイ・ヴィトン東京,2011.1.15-5.8 ■1月に開館した表参道ルイ・ヴィトン7階アートギャラリのオープニング展ヴェイヤンに行ってきたわ。 銀座のメゾン・エルメス8階フォーラムに対抗したのかしら? 三方ガラス張りだから作品を選り好みするスペースのようね。 でも填まったら最高ね。 数点の展示だけど、「TOKYO STATUE、2011」はいいわ。 木?の素材を緑色に塗ってあるの。 下はビル、その上に人が立っている作品だけど、人物像がダイヤモンドのように切り取られた多面体でスカッとした新鮮さがあるの。 外の景色とピッタリよ。 会場にあったカタログを見たら類似の人物や動物などもあるようね。 まとめて観たくなったわ。 風速計を大きくしたような「REGULATOR」や他の作品はだめ。 でも余程のアート展でない限り買物をしないでわざわざ行く所ではないわ。 もちろんエルメスもね。 *館サイト、 http://www.espacelouisvuittontokyo.com/ja/past/freefall

■フェルメール「地理学者」とオランダ・フランドル絵画展

■Bunkamura.ザミュージアム,2011.3.3-5.22 ■シュテーデル美術館は「・・改築工事のため今回は最初で最後の貸し出しである」と言っています。 この自信はわかります。 なぜなら今回の「歴史画」「肖像画」「風俗・室内画」「静物画」「風景画」のどれを取っても素晴らしい内容ですから。 勤勉な人物、質素だが精神的豊かさが見える室内、精密でこだわりのある静物、整えられている森や林、建物。 17世紀ベネルクスの政治・経済・社会が見える展示会です。 それにしても大航海時代後期のオランダは強いですね。 どの絵にも強さがあります。 でも全体に暗いので静かさもあります。 フェルメールの「地理学者」のように静かな力強さです。 宗教改革の影響もあるのでしょう。花や果物の静物画は特に気に入りました。 熟したメロンや苺をみると涎が止まりません。 レモンの甘酸っぱさが広がります。 BUNKAMURAとしてはいつもより展示が一部屋分多いような気がしました。 最後の部屋は二流ものも多かったのですが、全体としてはとても充実している内容でした。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/old/museum/lineup/11_vermeer/index.html

■平山郁夫と文化財保護

■東京国立博物館・平成館,2011.1.18-3.6 ■絵だけの展示だと思って行ったら仏像が一杯でびっくり仰天。 平山郁夫の文化財保護活動は思っていた以上に広範囲で再び仰天。 仏像と絵を交互に観るのはリズミカルがあり気持ちがいい。 「楼蘭の遺跡」の前では井上靖の小説と重なり動けなくなった。 仏像はアフガンからインド・西安あたりまで、時代も千年もの間があり変化に富んでいて目が離せない。 最後に「大唐西域壁画」。 絵の前に立つとあの大陸の乾ききった風が全身を吹き抜けていく。 成層圏ブルーを背景にした「須弥山」が身体に迫って来る。ひさしぶりに日本の狭苦しさを忘れることができた展示会であった。 館を出た後、シルクロードに行ってきた気分を残しながら帰りの根津駅ヘ向かった。 *館サイト、 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=709

■シュルレアリスム展

■国立新美術館、2011.2.9-5.9 ■ http://www.sur2011.jp/ ■五つの時代に分けて、その中を小テーマでまとめた構成になっています。 テーマ名は「供犠」「偏執狂的=批判的」「アンフォルメルタシスム」?・・などなどです。 説明の多くはA・ブルトンの著作から抜き出した文章ですがとても難解です。 テーマを理解するには予習が必要でした。 主要な作家は出そろっている感じです。 アンドレ・マッソンの多さが目につきましたが、彼の絵はけっこう気に入りました。 生きる気合いがこもっていました。 ところで先日、夢中夢中夢の映画「インセプション」を見ましたが、この流れは今も続いるようです。 でも進歩が無いですね。 「アンダルシアの犬」「黄金時代」も上映していましたが、現代の映画以上にブニュエルには味と深みがあることを再確認しました。 しかし、テーマの一つルイ・アラゴンの「侮辱された絵画」で絵の将来は資料のようになる?と語っていましたがまさにその通りの展示会です。 1980年迄に観れば衝撃的だと思いますが、作品の多くは歴史資料をみる静かな感動が湧くのみです。 帰宅後、再度テーマを知りたくてHPを覗いたら「リサとガスパールのしゅるれありすむ入門」しか載っていません。 会場の説明文との落差が有り過ぎます。 テーマ名と説明文書くらいはHPに掲載して欲しい。 でもカタログが売れなくなるからしないでしょうね。

■ヴィジェ・ルブラン展

■三菱一号館美術館、2011.3.1-5.8 ■ http://mimt.jp/vigee/ ■前半は同世代の女性画家、後半からルブランが主の展示。 でも肖像画はその時代の描き方の基準があるようだからどれも似たり寄ったりね。 ガブリエル・カペの絵はレンピッカを思い出すわ。 静物画も数点あったけどだめね。 ルブランの1790年前後の作品は肌がつやつやしていてとても健康的な絵が多いわ。 目の回りの青い血管まで透き通って見えるのよ。 特に1791年と94年の自画像は素敵だわ。 マリー・アントワネットとの親しさ、サロン感覚、遠い権力・・。 バロックの中からロココがはっきりと浮き出てくるのが見える感じね。 時代に流されていく弱さも含めて、ロココのひとつをテーマにした今回の展示はとてもよかったわ。

■曽根裕展

■東京オペラシティアートギャラリ、2011.1.15-3.27 ■ http://www.operacity.jp/ag/exh126/j/introduction.html ■7作品のうち5点が大理石。 少ないから会場はスカスカよ。 それで?植木が一杯ね。 「リトル・マンハッタン」でブロードウェイを南下したけどワクワクしなかった。 ビル群に鋭さが無いからよ。 グリコのおまけのようなエンパイアビルだわ。 それよりハドソン川とイースト川に落ち込む絶壁が凄い。 そこが見どころね。 他では「木のあいだの光1、2」で光を大理石で表現しているところ。 ここは面白いわ。 大理石のため作成過程が凝縮していると思うと神妙になるけど、このような対象を石で作るのには違和感があるわ。 この感じがいいのかもしれないけど感動には至らないの。 なにかミスマッチなのよ。 ビデオも含めてつまらないの一言。 展示会のカタログを見たら、ビデオは依頼、大理石も職人へ依頼とあった。 現代では共同作業はあたりまえね。 先日「スパイダーマン」の衣装作成番組をテレビでみたけど出演の石岡瑛子はプロジェクトリーダーそのものだわ。 計画遂行力、組織統率力そして交渉力がないと共同作業はできない。 こうなると作品も商品に一層近づいていくし・・。 これからの芸術家は大変ね。

■文化庁メディア芸術祭、期待と興奮の12日間

■国立新美術館、2011.2.2-13 ■ http://plaza.bunka.go.jp/ ■仕事でいつもパソコンを覗きこんでいるから遊びの時くらいは画面を見たくない。 しかし作品の多くはこれだ。 受賞作は他人とはほんの少し違うアイデアで決まる。 ニッチ(すき間)を探せるかだ。 二千点の応募があるのも受賞が夢ではないから。 アート部門の「10番目の感傷」は模型電車に豆電球を乗せ影絵を楽しむレトロな感覚な時代錯誤のある作品だ。 「NIGHT LESS」はGOOGLEストリートヴィューだけを編集した映画。 まさしく21世紀のロードムービー(?)。 エンターテインメント部門はTWITTERやWEBを利用した作品が多い。 アニメ部門は「フミコの告白」と「THE WONDER HOSPITAL」を観たが面白いとは言えない。 マンガ部門は立ち読みができるようになっていたが手に取る力が残っていなかった。 受賞約100作品が展示されてあったが、ほんの一部を見るだけで丸一日かかってしまった。 電子技術の発達、ソフトウェアの複雑さだけではもはや驚かくなってしまった。 これらは芸術とは言わず、もはや日常生活の風景として必要時に取り込むことでよいとおもう。

■倉俣史朗とエットレ・ソットサス展、夢見る人が夢見たデザイン

■2121デザインサイト,2011.2.2-5.8 ■バラの造花をアクリル樹脂で包んだ椅子をパリで展示したい! 日本で展示しても目立たないわ。 その理由はとても日本的な作品だから。 白の大理石?に宝石を散りばめたような机、TOKYO,KYOTOは素敵滅法の一言ね。 でも素材が脆いので形が崩れていくような感じがするの。 そして重力を嫌う作品ばかり。 だから死の匂いがしないのよ。 A・タルコフスキーの映画を話題にしてるけどS・キューブリックの方がお似合いね。 倉俣に比べてソットサスは現実から出発しているようね。 オリベッティのバレンタインが彼のデザインだと知って嬉しいわ。 先日観た「 ハートビート展 」でのA・ギンズバーグと同人雑誌を出しているの。 人的ネットワークは凄いわ。 さすがメンフィス・グループね。 上手く言えないけど倉俣はプラトン的でソットサスはアリストテレス的よ。 でも視線は同じ方向のようね。 展示方法は素直だったから少し物足りなかったけど・・。 *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/krst/index.html#top

■ハートビート展、時代にキスして

■ワタリウム美術館,2011.1.22-4.17 ■過去にこの館で展示会を開いた芸術家の回顧展らしい。 でも多くの観客は直ぐに退場していたからつまらない展示みたい。 興味の無い人なら作品は塵と同じ。 だからボイス、パイク、ギンズバーグのビデオを見るしかない。 アレン・ギンズバーグの「ポエム リーディング」(1988年)は観世栄夫の笛をバックにビート詩人が吠えてるからとても面白く観れた。 ヨーゼフ・ボイス、ナムジュン・パイクのパフォーマンスもいいけど詩の朗読も面白い。 結局は14人の芸術家の入門展ね。 でも一人一人にすると寂しい展示になってしまう。 だから地下の本屋に関連本が置いてあり、これらを読んで下さいという手順なの。 ハートビート・・、時代にキスして・・。 少しばかり古臭さがあって1980年頃と素敵にマッチしてたのは題名だけね。 *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1101heartbeat/index.html

■三代徳田八十吉展、煌めく色彩の世界

■そごう美術館,2011.1.2-2.13 ■「古九谷は嫌いだ!」と若い時の三代目徳田八重吉の言葉がでていたが作品を見てもそれがわかる。 三代目は芸術的センスが無い。 彼は職人であり仕事師だ。 そして色に全力を投じた。 しかし形は無残だ。 彼は1980年代にロケットを手に入れて、1990年代にそれに乗り込み打ち上げた。 地球を回る人工衛星から地球を、宇宙を見た色がこれだ! 黄色は太陽の色、紺は宇宙の果ての色。 中間色は海、砂漠、熱帯雨林、オーロラ、雷、・・。 亡くなる5年前から形が決まってきた。 深厚耀彩十八稜壺(2004年)、十二稜壺(2006年)、碧明耀彩曲文壺(2006年)、多面壺(2008年)。 作品名に形が入ったこれらは三代目の到達作品である。 三代徳田八十吉の色は地球系色である。 そして太陽系色の中心はなんといってもインターナショナル・クライン・ブルーであろう。 残念ながら銀河系色はまだ見たことが無い。 展示会場を後にした時は素晴らしい宇宙を飛び回ってきたような感じだった。 *館サイト、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/11/0102_tokuda/

■建築家白井晟一、精神と空間

■パナソニック電工汐留ミュージアム,2011.1.8-3.27 ■松濤美術館や飯倉のノアビルが白井の作品だと知り驚き納得しました。 ノアビルは異様な姿です。 ですから隣のソビエト大使館の警備の物々しさと共に忘れられない建物になります。 広島へ旅行した時、資料館の無機質な建物に違和感を覚えた記憶があります。 今回展示の原爆堂計画を見て違った良さを想像できました。 善照寺は屋根のひさしが長いにもかかわらず一つの塊のようにみえて白井の傑作に依存はありません。 どれもどっしりした建物ですが何か微妙なズレがあります。 哲学や書にはまり込んだため建物に異質な言葉をそのまま挿入したためではないでしょうか。 作品の全てに正統を進みたいが進められない拘りがあり、その差異が窓、取っ手、敷石、備品など細部に微妙に現れているところが面白いとおもいます。 ところで松下電工の初期住宅もひさしが長かったのも白井と関係あったのですかね。 *館サイト、 https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/11/index.html

■いきるちから

■府中市美術館,2010.12.2-2011.3.6 ■木下晋、菱山裕子、大巻伸嗣の3人展。 テーマに沿っているのは木下の絵画。 老いと病を鉛筆で描いているの。 現代人の多くはこの両方から逃れられないわ。 欲望や希望から離れて今この世に生きていること、それだけで素晴らしいことだ!と、ちからを与えてくれる作品だった。 菱山は網戸用の網を切り貼りして人形を作っているけど、細かい表情が出せないのですべて同じ顔に見えてしまう。 これでは直ぐに飽きてしまうわ。 大巻も光を鏡に反射させ壁に投影した抽象的機械的な作品ね。 後者2人の作品は「いきるちから」と繋がっていないようにみえる。 人の活動はすべていきるちからに係わるから、今回は抽象的で安易な展示会名だとおもうわ。 しかし毛色の違ったこの3人を一つのテーマ名でまとめるのは至難の業かも。 *美術館、 https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/tenrankai/kikakuitiran/ikiru.html

■櫃田伸也、通り過ぎた風景

■損保ジャパン東郷青児美術館,2011.1.8-2.13 ■灰、黄土、焦茶、青と歳が加わるごとに主色が変化していきます。 ボヤっとした土や草木に金網のような直線が四方に張り巡らされていて緊張感を誘います。 これが観る者を理知的にさせます。 ところどころに小さな・・、白い花、燐寸の燃滓、煙草の吸殻がハッキリと描かれているのを発見して作品の再解釈をします。 このように作品を往ったり来たりした満足感が後味として残る絵です。 薄い塗りも影響してそれは抑制のある感動を伴います。 絵画からの直接な感動はありません。 黄土系が多い中、洪水シリーズの青色系の映えが素晴らしかったです。 作品名の多くが「通り過ぎた風景」と「不確かな風景」です。 たぶん名前付けが面倒くさくなってしまったのでしょう。 *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/past/329.html

■テキサス2バーガー

■マクドナルド、2011.1.7-1.末 ■初代テキサスバーガのソースは味・香りに抑制が有りながら非日本的で遠くに古き良きアメリカをイメージできた。 この時ビックアメリカとして数種類を逐時発売したがこのテキサス以外は残念ながらアメリカの匂いはなかった。 先日、駅前のマックでテキサスの文字を見たのでこれを思い出し二代目テキサスを買った。 一口噛んだらなんと!重層的で複雑だが、しかし一つ一つはありきたりな味でとても失望してしまった。 上層にミートソース味しかもタコス入り、下層はカレーソース味になっていたのだ!?  日本ではスパゲティとカレーにはこだわりの歴史があるのに、それを易々とハンバーガに取り込むとは、マクドナルドはなにか勘違いをしているようだ。 これではビックアメリカではなくビックリジャパンだ。 王道から外れ過ぎている。  口に入れた時に、遥かなるロッキー山脈が、常夏のマイアミビーチが、喧噪のエパイヤーステートビルが現前するようなハンバーガを作ってもらいたい。 マクドナルドは大いに反省をしてほしい。

■佐藤忠良、ある造形家の足跡

■世田谷美術館、2010.12.23-2011.3.6 ■ http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html ■80点ものブロンズ彫刻をまとめて観たのは初めてです。 頭像や女性像を前にするとモデルになった人物の人間としての全てが伝わってきます。 素材が金属でも違和感なくそれを感じます。 「写実は単なる自然描写ではない。 作者が対象に持った共感が起きたときの衝動である」と佐藤は言っています。 共感こそ生物が持っている感情の源です。 こうして作者はモデルの全人格をブロンズに封じ込めます。 作品を前にするとき、この共感とともにモデルのすべてが現前するのです。 作品ごとに現れる人格が違うためどの作品も飽きがきません。 そして「作品にしゃべらせない」とも言っています。 喋らせないことにより自由に時間の中を行き来でき一層リアルに現前できるのです。 共感のリズムの中で、ひさしぶりに至福の時を持てました。

■朝香宮のグランドツアー

■東京都庭園美術館,2010.12.11-2011.1.16 ■旅行好きパリ好きなら目黒に足が向いてしまいますね。 グランドツアーとは皇族や貴族の学業の総まとめとして数カ月から数年の海外研修を指すようです。 われわれの旅行とは比較できませんが・・。 展示内容は美術館の宣伝になっています。 朝香宮のフランスでの交通事故遭遇と夫妻の長期滞在、家庭教師ブランショの紹介でラパン、ラリックとの出会い、1925年のアール・デコ博覧会、そして邸の建築へと進みます。 パリ迄の往復航路、現地での生活とそこを起点にした欧州旅行の3年間は朝香宮の人生を大きく塗り替えた様子がわかります。 同じように南のスエズ運河経由の船路か北のシベリア鉄道モスクワ経由でパリ入場をしたいですね。 このルート、欧州旅行好きだったら一番の願いではないでしょうか。 *IM、 https://www.museum.or.jp/event/70502

■池田龍雄、アヴァンギャルドの軌跡

■川崎市岡本太郎美術館,2010.10.9-11.1.10 ■「内灘シリーズ」や「反原爆シリーズ」の社会や政治を題材とした作品は生き生きとしてるわ。 ルポルタージュ絵画もね。 でも50年代からの抽象油彩は固さや冷たさがあり取っ付き難いし、最新の「場の位相シリーズ」も場が何か見えない感じよ。 「BRAHMANシリーズ」も面喰うわ。 社会・政治と宇宙・場の二つの世界が交互に作品に登場するけど連携していないから見る者は戸惑うことになるの。 また有名芸術家の名前が溢れるほど登場するけどグループの結成・解散も多い。 これで繋がりがよく見えない。 20世紀後半の資本主義の勝利で活動と成果がバラバラになり今となってはその場限りのパフォーマンスにしか見えなくなってしまったということかしら。 以上池田絵画の二面性と他芸術家の関係の二点がぼやけていたけど、戦後テーマは十分な質と量で構成されていて重たい展示会になっていた。 *館サイト、 http://www.taromuseum.jp/archive2010.html

■鉄を叩く、多和圭三展

■目黒区美術館,2010.11.13-11.1.9 ■作品を見ながらこれが鉄の塊だと思い起こすだけで、その圧倒的な重力に絡め取られて身動きができなくなる。 大理石からダビデ像がでてくるのとは違う。 ハンマーで叩いても表面に傷がつくだけだ。 なにか諦めの気持ちを持ってしまう。 がしかし、20世紀に生まれた人間として重さや諦めから解放されていたことを思い出してしまった。 それは鉄道のレールだ。 レールこそ今世紀最大の鉄塊の芸術作品だ。 地平線のその先まで伸び、駅では樹木のように広がり、輝きは毎時変化し、列車が走るとリズムを奏でる。 多和圭三が手を血豆だらけにしてハンマーを叩いても、レールの持つ速さ軽さ鋭さは越えられない。 *館サイト、 http://mmat.jp/exhibition/archives/ex011113