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■高山辰雄・奥田元宋-文展から日展へ-

■山種美術館,2012.12.1-13.1.27 ■ 高山と奥田は同年齢らしい。 「文展から日展へ」として同時代画家も展示されている。 そして日展画家と山崎種二の関係が続いている。 常設展に毛が生えたような内容だが、倉庫を少しでも空にしたい為の年末大掃除企画展のようだ。 このように特定人物に焦点をあてられると真面目に観てしまう。 奥田元宋はこの館でよく出会う一人だが、赤系が観る者の脳を麻痺させている。 「松島暮色」はいいとおもうが。 山崎種ニの話が面白い。 散歩のついでの展示内容である。 *生誕100年展 *館サイト、 http://www.yamatane-museum.jp/exh/2012/100.html

■いつか見た風景・北井一夫  ■第13回上野彦馬賞

■東京都写真美術館、2012.11.24-13.1.27 ■ http://syabi.com/upload/3/1714/kazuo_kitai.pdf ■日大芸術学部の中の散乱した靴やハンガーやトイレットペーパを撮っています。 若さからがむしゃらにシャッターを押しているのがわかります。 「いつか見た風景」でやっと余裕ができたようですね。 この頃が一番です。 しかし「村へ」はなにか漠然としています。 風景は平凡で人物構成も不安定です。 でも「境川の人々」は再び生き返りました。 理由は外部依頼のテーマだからです。 北井は強い目的を持たないと駄目になるタイプですね。 素人の匂いがする写真家です。 ■第13回上野彦馬賞、2012.11.24-12.2 ■ http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1789.html ■序にみました。 プロ・アマ問わず中学生から39歳迄の作品です。 写真展では1枚勝負ですが、この賞は全て5枚単位。 これが新鮮です。 1枚だけをジックリみるのと5枚をまとめて見るのは違います。 前者は観る者自身が物語を組み立てるのですが、後者は5枚の写真が物語を作り上げます。 ですからより客観的になります。 これで写真自体の感動は分散してしまい残るのは物語だけです。 みた記憶は薄くなります。 しかし面白い展示方法でした。

■維新の洋画家・河村清雄

■江戸東京博物館,2012.10.18-12.2 ■洋画家より油絵師がぴったりの画家だわ。 彼は努力家なのよ。 納期無視も職人気質から。 欧州留学前後の作品が一番素敵。 その若さも結局は日本に雁字搦めにされちゃったの。 個展を開いても人気がでないのは分かる気がする。 彼の生い立ちや周辺の人々との関係のほうが面白かったわ。 河村清雄をキーワードとして明治時代を新しい切り口でみることができたの。 面白かったら目黒美術館にも行こうかとしていたけど・・迷うわね。 *館サイト、 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/past/2012/

■会田誠展・天才でごめんなさい

■森美術館、2012.11.17-2013.3.31 ■ http://www.mori.art.museum/contents/aidamakoto_main/index.html ■ 外国語ができないことを作品に取り込んで、しかもとても気にしているところが面白い。 「判断力批判」や「存在と無」も同じだ。  このノリで政治や歴史も作品にしてしまった。 これこそ彼が日本社会の縮図と言われている由縁である。 作品は二の次である。 というよりこのような作品は今の日本にどこにでも散らばっているから。 しかし絵画はなかなかである。 「ジューサミキサー」や「灰色の山」などが展示されていた部屋の作品群は面白い。 この部屋があったから個展が成り立っているといってよい。

■森と湖の国フィンランドデザイン

■サントリー 美術館,2012.11.21-2013.1.20 ■ 展示会名に縛られてしまいますね。 森や湖やフィンランドにです。 もちろん氷や高山、冬鳥などイメージが合致しているのもありますが、まとまりがありません。 しかも良し悪しに差があります。 気に入ったのは数点しかありません。 模倣からスタートした歴史から抜け出ていないのかもしれません。 でも一番の原因は作品を作っている組織が急変する現代の経済動向についていけないのしょう。 個々のデザイナーだけが出しゃばっているような感じもしました。 *美術館、 https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2012_06/index.html

■琳派芸術2

■ 出光美術館,2012.10.27-12.16 ■ どうしても酒井抱一と尾形光琳を比較したいようね。 だったらこれでどうかしら? 「風神雷神図屏風」・・・・酒井抱一の勝ち 「八ツ橋図屏風」・・・・・・尾形光琳の勝ち 光琳の風神は鬼が縮こまっていて躍動感がない。 抱一は雲までも飛び散る動きが有り面白さも抜群よ。 八橋図の抱一は橋に余剰感がある。 花より橋を描いたみたい。 花の数が少ないのも理由の一つかもね。 「十二ヶ月花鳥図貼付屏風」は自然を切り取って意識的に半自然状態にした不安定さがあるわ。 観ていても落ち着かない。 何かが余分か何かが欠けているか、から来るの。 この感じが抱一の面白さかもね。 *館サイト、 http://idemitsu-museum.or.jp/exhibition/past/

■柴田是真の漆工・漆絵・絵画

■ 根津美術館、2012.11.1-12.16 ■ http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html ■ 単眼鏡が離せません。 蒔絵は言葉の無い俳句のようですね。 印籠は職人的造りの上に明治の小金持ち商人が好むような味のある作品です。 唸る程でもありませんが、今なら手が届きそうなヴィトンやカルティエですかね。 漆絵は明るい茶色系で特異な空間が表れています。 ですから描かれた貝殻はシュールそのものです。 凝縮された蒔絵や赤黒の多い漆絵の後の「瀑布図屏風」がいいですね。 飲んだ時のお茶漬けです。 清々しい風や音に触れることができました。

■竹内栖鳳展

■ 山種美術館,2012.9.29-11.25 ■ 「百騒一睡」の雀のふっくらとした羽毛や「虎獅子図」の虎の針があるけど暖かみのある毛感は栖鳳の生き生きとした生物の捉え方なのね。 でも彼は歳を取るほど皮膚はノッペラボウになっていくの。 昆虫は多くなるし「雄風」の虎の毛並はみえない。 多くの画家は60歳を過ぎると感性が格段に劣ってくるから作品がつまらなくなるわね。 でも栖鳳は毛感を逐次変えていった。 生き物を描く戦略があってこれを乗り越えたの。 この戦略で京都画壇を牽引できたし弟子を沢山作れたではないのかしら? それにしても美人画はイマイチね。 弟子の上村松園を前に描きづらかったのよ、きっと。 *館サイト、 https://www.yamatane-museum.jp/exh/2012/70.html

■美術にぶるっ

■ 東京国立近代美術館、2012.10.16-2013.1.14 ■ http://buru60.jp/ticket.html ■ 第一部は館所蔵の作品が多いので常設展と勘違いしてしまった。 でもいつもより豪華なのでジックリと観てきた。 初めての関根正二「三星」が気に入る。 絵の三人は正に星だ。 狩野芳崖「仁王捉鬼図」は現代アートのようだ。 面白いが感動はゼロ。 第二部は第一部とは別世界! 原爆と基地問題で明け暮れ、展示内容も混乱している。 会場に置いてある5枚のチラシもプロパガンダ的レイアウトに近い。 ぶるっとしたが読む気がしない。 まるで1952年の開館時の混乱を再現しているようである。

■荒木飛呂彦原画展・ジョジョ展

■ 森アーツセンターギャラリー,2012.10.6-11.4 ■ 焦茶色の肌に唇が厚いポリネシア系人物に、マッチョな体型、イタリア的な服装や装身具で着飾っている登場人物はどこかで見たような見ないような懐かしさがあるわね。 たぶん25年の長さが熟成しているのね。 「ジョジョメノン」を購入した感想は・・ C・イーストウッドとの対面、グッチのクルーズコレクションの取材は素敵よ。 メトロポリタン美術館「クロイスターズ」や都市型演劇「スリープノーモア」、回転木馬「ジェンズカルーゼル」は飛呂彦が自身で選んだのかしら? だったら凄い! 短編漫画「岸辺露伴グッチへ行く」はグッチが貨幣交換以上に等価交換の優位性を持っているなんて!? でも漫画は毎週リアルタイムで読んでいないと駄目ね。 来週の発売が待ち遠しい!と思わなきゃ。 このような原画展もたまにはいいけどね。 *美術館、 https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/2012/

■始発電車を待ちながら

■ 東京ステーションギャラリ,2012.10.1-2013.2.24 ■ 東京駅復元工事完成記念展である。 ギャラリ入口がわからない。 駅員に聞くと北ドームに移動とのこと。 2,3階が会場の為チケット購入後3階へエレベータで昇る。 旧会場と同じくレンガが剥き出しである。 広くなった感じだ。 ヤマガミユキヒロの「PLATFORM NO1 / NO2」が面白い。 東京駅ホームからの風景と線路を描いて、その上から映像で電車を行き来させる作品である。 電車や信号の光が幻想的で不思議な感じがする。 他はどこかで観たような作品ばかりだ。 観終わって、出口へ向かう2階通路はなんと北ドームの周囲を歩くようになっている! 1階の行き来する人々が下に見える。 とても贅沢に感じる。 そしてミュージアムショップを通らないと出られない。 複雑な構造のギャラリになってしまった。 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/pdf/121025.pdf

■巨匠たちの英国水彩画展

■BUNKAMURA.ザミュージアム,2012.10.20-12.9 ■ 水分を含んだ空気や光、そして海や川のしっとりとした透明感は水彩画ならです。 水彩画は今の写真機の代わりだったんですね。 携帯に便利でグランドツアー(英国田舎貴族の放蕩修学旅行)先でも容易に描けるからです。 前半のキーワードである水彩画・ピクチャレスク・グランドツアーの三点は同時に進められたような展示に構成されています。 そしてナポレオン登場前はパリ・ローマ・ナポリ・スイスへ。 登場後はスペイン・アフリカそしてアジアへと作品は広がっていきます。 後半はW・ブレイクを経てラファエル前派を含めたヴィクトリア時代を扱っています。 グワッシュにボディカラーが登場しますから より油絵に近づいた作品が多いですね。 水彩画は英国近代の美術史そのままの感じがします。 まさに「国民的美術」です。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_manchester/index.html

■リヒテンシュタイン・華麗なる侯爵家の秘宝

■国立新美術館,2012.10.3-12.23 ■この館の 無機質立方体の室でのバロック・サロンは似合いません。 しかし天井画をみると展示にチカラが入っているのが分かる。 この努力でリヒテンシュタイン家の目からバロック世界を豊かに想像できる内容になっています。 ルーベンスは10点。 「キリストの哀悼」「果物籠を持つサテュロスと召使の娘」「占いの結果を問うデキウス・ムス」の三点が気に入りました。 キリストの灰色の顔と唇。 もはや復活は無理ではないのか? サテュロスと娘の不気味な微笑みはなんなんだ!  デキウス・ムスの頭の中が真っ白け! どれも劇的です。 他にダイク「マリア・デ・タシスの肖像」は人間味が、レンブラント「キューピッドとしゃぼん玉」は愛の微妙さが表れています。 「ようこそ、わが宮殿へ」。 招待された気分で観てきました。 *展示会サイト、 http://www.asahi.com/event/liechtenstein2012-13/

■山下保博Xアトリエ・天工人展

■ギャリラー間,2012.10.13-12.22 ■ 天工人は建築事務所名でテクトと読む。 現在迄の活動状況が展示されている。 作品はモノを7分類、コトを7分類し二次元表を作り位置づけている。 モノはチャレンジの方向性を、コトは組織活動の方法を論じているらしい。 とくに化学を手段の一つにしているのが特色だ。 特殊コンクリート、特殊コーティング、特殊ガラス、特殊・・・。 とても変わった建築物が結果として提出されている。 デザインが奇抜すぎるのは少し不安だが。 日本の敷地は狭いから需要があるとおもう。 作品は住みやすいのか?は見ただけではわからない。 周囲の人と環境を巻き込みながら進めているのが頼もしい。 冒険しながら今も走り続けているというのが感想である。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex121013/index.htm

■操上和美展  ■機械の眼・カメラとレンズ  ■日本写真作家協会(JPA)会員展・地球はいま

■東京都写真美術館、2012.9.29-12.2 ■ http://syabi.com/upload/3/1653/kurigami.pdf ■ 粗粒子や傷を含んだまま現像されているモノクロ写真は<時>を意識するのは必然の流れだわ。 被写体も時に埋没していて抜け殻のようにみえる。 だからシリーズ「NORTHERN」はあまりにも退屈、「陽と骨」よりもね。 「被写体は愛の対象物だ」と言ってるけど愛も時の中に消えていくしかない。 これは映画「ゼラチンシルバーLOVE」にもいえることね。 それはゆで卵だけにリアルさが残ってしまったからよ。 ■ 機械の眼・カメラとレンズ、2012.9.22-11.18 ■ http://syabi.com/upload/3/1649/120816_the_eye%20of_the_machine.pdf ■ やっとカメラに到着。 「光の造形」(*1) で操作技法、「自然の鉛筆」(*2) でフィルム、そして今回がシリーズ最後。 フォーカスが少しわかったわ。 焦点距離との関係がね。 大判カメラや35mmカメラの歴史的存在意義もね。 どう?凄いでしょう? ■ 日本写真作家協会(JP A )会員展・地球はいま、2012.10.6-10.21 ■ http://syabi.com/upload/3/1718/jpa.pdf ■ 入選した会員の200作品が展示されているの。 多くの作品は一発勝負だとわかる。 だから1枚1枚みていくのに飽きが来ない。 ・・写真家のプロとアマの違いは何か?を考えちゃった 。 1.写真に対して高度な挫折経験があること。 2.企画力を持っていること。  または写真向きの良い地頭を持っていること。 この二つがプロの必要条件ね。 写真という文字を除けば世間の会社員と同じような条件になってしまったの。 これが今の写真芸術の姿かもしれないわね。 *1、 http://ngswty.blogspot.jp/2012/05/blog-post_25.html *2、 http://ngswty.blogspot.jp/2012/08/blog-post_18.html

■田中一光とデザインの前後左右

■2121デザインサイト,2012.9.21-2013.1.20 ■ 田中一光の全体像がコンパクトにまとめられている。 1室は装幀本を、2室は10の机に作品を分類配置し壁にはポスターが一面に貼ってある。 グラフックデザインらしい秩序あるスタティックな構成である。 5机の「パフォーミングアーツと演劇」をみると、若い時に演劇にのめり込んだらしい。 既にグラフックから飛び出ている。 彼のデザインは最初から文化の設計を目指していたようにみえる。 セゾン文化を作り上げた一人としてその成果がある。 作品の文字は生き生きしている。 対象物をリアルに捉えているからだ。 グラフックデザイナーは裏方である。 裏方は亡くなってからよくみえるようになる。 広範囲な活動だったから展示会名は「前後左右」より「四方八方」が適しているだろう。 *館サイト、 http://www.2121designsight.jp/program/ikko_tanaka/

■メトロポリタン美術館展

■東京都美術館,2012.10.6-13.1.4 ■広地域にもかかわらず洗練されている作品が多いですね。 しかし4000年は広がり過ぎですね。 メット17の学芸部門のうち12部門も参加したからでしょう。 まっ、小粒なのはしょうがない? 入場して即、古典的風景が来るのはいつものことですがヨーロッパの深さを感じます。 この種の感慨は日本画には無いことです。 でもあとがよくありません。 自然を7章にわけて展示していますが分類がメタメタです。 メトロではなくメタロポリタンです。 展示の流れに素直さがありません。 ところで普段見ないアメリカの画家が随所に登場してくるのが新鮮でした。 ティファニー創設者の長男ルイス・コンフォート・ティファニーのステンドグラスはいいですね。 東洋は少なかったのですが、その中で杉本博司が一点。 さすがです。 会場出口に展示会記事の載っている新聞が置いてありました。 なんと、記事の解説者は彼でした。 アハ!  *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/h24_metropolitan.html

■ジェームズ・アンソール 写実と幻想の系譜

■ 損保ジャパン東郷青児美術館,2012.9.8-11.11 ■ 「牡蠣を食べる女」は明るく暖かみがある。 彼は自信を持ってこれを出品したが、女性の食事場面を描くことに非難が出たらしい。 このような文化的非難が起こることは彼も事前にわかっていたはずだが? このような彼の情報の偏りは、父と母の格差から来る家族のいざこざが原因だろう。 画家に似合わない服装の自画像を描くのもそうだ。 格差を引き継いだ彼の時代把握の偏りがグロテスクへ向かった。 この結果としての展示会目玉である「陰謀」はなるほどいい絵だ。 疑心暗鬼からくる希望や不安のブラックな笑顔で一杯だ。 *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/past/353.html

■篠山紀信 写真力

■東京オペラシティ・アートギャラリ,2012.10.3-12.24 ■ 昨日行ったら100人ほど並んでいたわよ。 このギャラリーでこんなに混むのは初めてかも。 篠山は芸能人が対象だからね。 作品の多くは縦横数メートルもあるものばかり。 だから混んでいても苦にならない。 宮沢りえのオッパイとお尻は最高だわ。 でも篠山の作品は結局はプロマイドね。 しかも高級プロマイド。 三島由紀夫では細江英公の深遠なるマゾヒズムを思い浮かべるけど、篠山だとこれがキッチュになるの。 これで三島も貴乃花や長嶋茂雄と同列ね。 この数十年間、彼の作品は進歩もなければ退歩もないようにみえる。 押し入れにしまってあったスタープロマイドを久しぶりに取り出してみたような展示会だったわ。 *展示会サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh145/

■棚田康司「たちのぼる。」展

■練馬区立美術館,2012.9.16-11.25 ■ 作品の前に立って話しかけても見向きもしてくれません。 目は明後日の方向に向いています。 少年少女だから心が揺れ動いているのでしょう。 まさに「天空へ昇っていく少年」です。 彼らが昇って行った後に、幾つかの作品が地上の残っていました。 それは「W ATCHING THE WHEEL 」、「 ONE OF THEM] 、「FISH」、「 CHILD 」、「 FLOWER 」、「内的凶暴性」、「支配と従属」などです。 つまり天空へ昇る作品と地上に留まる作品の二種類を棚田は創ったのです。 舟越桂を思い出してしまいました。 舟越の作品とは対話ができます。 深い話を、です。 舟越に対抗できるのは天空に昇る少年少女ではありません。 それは後者の地上に留まっている作品です。 何故ならほんとうの話ができますから。 *館サイト、 http://www.neribun.or.jp/web/01_event/d_museum.cgi?id=10229

■シャルダン展ー静寂の巨匠-

■三菱一号館美術館,2012.9.8-13.1.6 ■ シャルダンの果物をみてディドロが「旨そうで思わず手が出そうになる」と言ったようです。 でもこの旨さは現代とは違う味にみえる。 リアルさの追求より光や空気や当時の雰囲気を重視しているので、これは18世紀のウマ味ですね。 むしろ17世紀フランドル静物画の果物のほうが現代的なおいしさが迫ってきます。 人物画は表面に光沢がないので物語にすんなりと入り込める。 高級な童話画をみているようですね。 セザンヌは彼を「只者ではない」と言っています。 それは色使いを褒めたのであって、セザンヌの静物画や人物画に漂う<存在の謎>は感じられません。 シャルダンは18世紀のウマサであり、世紀を越えられません。  ですから現代人にとって安心して観ていられる画家の一人です。 *館資料, http://mimt.jp/exhibition/pdf/outline_chardin.pdf

■対話する時間

■ 世田谷美術館、2012.9.15-11.11 ■ http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html ■ 館の改修工事をしたようだが以前との違いがわからない。 室内の壁が白くなった?高級感の床になった?。 かっこいいタイトル「対話する時間」をつけて作品は8章に分類して展示されている。 しかし作家は69人もいて130点数。 一人約二点。 バラバラで焦点が当てられず対話が続かない。 しかも分類は逆に観客を縛ってしまう恐れがある。 改修工事で半年間も休館していたから学芸員も調子がでないようだ。

■ポール・デルヴォー夢をめぐる旅

■ 府中市美術館、2012.9.12-11.11 ■ http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/delvaux/index.html ■ デルヴォーその人に焦点をあてた展示会のようね。 入口で彼の略年譜を配っていたし、彼の生活の事を多く解説していたからよ。 彼がシュルレアリスムに近づいたのは自由になれると思ったから。 シュールの思想なんて関係ない。 両親に雁字搦めにされていたからよ。 美術の勉強もタムとの結婚も反対されるし<自由>がなかった。 目の大きい裸婦や汽車もギリシャ神話も、彼の若い時の心の傷や思い出が一杯詰まっているの。 夢と言うより現実に彼の過去が溶け入ったのよ。 ところで高校の授業のオデュッセイアに彼は感動したとあったけど、ベルギーの高校の歴史や国語は他国であるギリシャをどのように扱っているのかしら? デルヴォーの絵にギリシアをみる時、ヨーロッパというものが身体的に理解できないところだわ。 作品は小粒が多かったけど、初期作品もありデルヴォーの全体像が浮かび上がる面白い展示会だった。

■スタジオ・アッズーロ展  ■日活創立100年記念資料展  ■濱谷浩写真展  ■中村正義の<顔>展

■川崎市市民ミュージアム、2012.9.22-11.4 ■ http://www.kawasaki-museum.jp/azzurro/index.html ■ 人とのインターフェースを持った映像作品が数点展示されています。 映像進歩が激しい中、残念ながら古く感じる作品ばかりです。 解説も最小限にして実際に触ってくれという企画のようです。 できれば上海万博など最新の作品が観たかったですね。 でもこれ以上突っ込むと費用等で問題がでるのでしょう。 ICCや写美館などからみると落ちますがしょうがないですね。 ■ 日活創立100年記念資料展、2012.8.4-11.4 ■ http://www.kawasaki-museum.jp/display/exhibition/exhibition_de.php?id=232 ■ 予告編をまとめて上映していたビデオが面白かったです。 1950年末から70年にかけての映画の予告編です。 「紅の翼」や「嵐を呼ぶ友情」、「アラブの嵐」・・から「あばれ丁半」「女の警察」「殴り込み」・・まで正月封切り映画が中心です。 当時のスターは石原裕次郎と浅丘ルリ子がダントツですね。 他に二谷英明や吉永小百合などです。 以前「日活向島と新派映画の時代展」(*1) を観ましたが、この資料展をみると日活の大衆路線、特に任侠物へ変遷したのがよくわかります。 ■ 濱谷浩写真展、2012.8.4-11.4 ■ 「こども風土記」「地の貌」「アメリカン アメリカ」の3シリーズの作品がブッキラボウに展示されています。 作品の多くは時代の風景をそのまま静かに切り取ったような感じがします。 風景や人物も何故か音がしないのが特徴ですね。 300枚近くもあるので濱谷の世界にどっぷり浸かれます。 ■ 中村正義の<顔>展 ■ http://www.kawasaki-museum.jp/display/exhibition/exhibition_de.php?id=233 ■ 中村正義を初めて知りました。 しかしどこかでみたような絵も数枚あります。 代表作の顔シリーズの展示です。 この川崎に彼の住居を改築した美術館があるそうです。 雑誌「20世紀」の表紙を飾った福田赳夫・大平正芳・三島由紀夫・戸川昌子・杉村春子はその人らし

■お伽草子

■サントリー美術館、2012.9.19-11.4 ■ http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2012_05/?fromid=topmv ■ 400もあるうち知っている物語は「浦島太郎」など数本である。 しかし物語同士はどこか繋がっている。 絵巻を見るのはいいがこれから物語を想像するのは現代では容易ではない。 お伽草子の決定版ビデオなどは作成されているのかな? 「日本昔ばなし」のようなビデオでもよい。 サントリーのようなお固いところは嫌がるかもしれないが、あれば立体的になり、子供たちにも身近な展示会になるはずだが。

■日本ファッションの未来性

■ 東京都現代美術館、2012.7.28-10.8 ■ http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/136.html ■ 平面性をテーマの一つにしているのは分かるけど、全体の展示も平面的になってしまい印象が弱いわね。 ビデオは三宅一生、川久保玲、山本耀司に焦点を当てていてちょっと古臭いし、「日常にひそむ物語」も未来性が感じられない。 テーマからみて内容がついていかなかったということ。 会場が広いからもっとデパートのバーゲンセールのように現物をたくさん投入したらどう? 特に若手の作品をね。 これで「日常にひそむ物語」をあからさまにできるから未来の物語が見えてくるわ。 三宅一生はデザインサイトでよく会うから近況がわかるけど他の古株は良く見えない。 展示会で若手が生き生きとしていたのは一年前の「感じる服考える服」(*1) かな。 今回の展示会はこの一番大事な新鮮さが無かったのよ。 *1、 http://ngswty.blogspot.jp/2011/10/blog-post_25.html

■館長庵野秀明特撮博物館

■ 東京都現代美術館、2012.7.10-10.8 ■ http://www.ntv.co.jp/tokusatsu/ ■ これは凄いですね。 モノの威力が会場に漂っています。 今回は音声ガイドを利用しましたが解説件数が70件、時間が60分といつもの3倍のボリウムがありました。 質も申し分ありません。 館長庵野秀明の意気込みが伝わってきます。 短編映画「巨神兵東京に現る」の裏話は一つも見逃さず見てきました。 巨神兵はもちろん建物から原始雲までほぼ全てが手作りです。 でも裏話を知らなければCGと区別できたのか? この分野に興味を持っていないと難しいかもしれません。 展示会全体を見渡してもウルトラマンは特別な存在ですね。 あの銀色に光るヌメッとした感じのシンプルなカラダはどこから生まれてきたのか? 成田亨は「真実と正義と美の化身」と言っていますがやはり謎です。 「特殊美術係倉庫」はこの展示会に深みを与えています。 ミニチュアと言っても本物が歴史を語っているのですから。 モスラから始まって観客が歩ける特撮ステージの終わり迄よく練られた中身の濃い内容でした。

■記憶のドラマ依田洋一朗展

■三鷹市美術ギャラリー,2012.8.25-10.21 ■エンパイア劇場、リヴァティ劇場、ロウズ・ジャージ劇場、ジークフェルド劇場、コロナ・プラザ劇場、タイムズ・スクウェア劇場、セルウィン劇場、ロウズ・プラザ劇場・・。 ニューヨークの匂いが一杯。 しかも劇場の椅子をたくさん描いているのが珍しい。 彼はよく行って座ったのよ。 そしてその時の触覚として記憶されているの。 リリアン、ロイドやチャプリンそしてマーロウやハメットから彼の映画遍歴も見えてくるわ。 でも楽屋など裏ばかり描いていて上演舞台が描かれていない。 「シティ・オブ・エンジェル」は芝居もあったのかしら? たぶん彼は芝居をあまり観ないのね。 でも劇場は大好き。 そしてホテルもね。 この二つは記憶の建物としては一番だから。 ビデオ作品「ホテルペンシルベニア終焉の日々」は改装前のパンフレット、領収書、レストランのメニュー・・などホテルの風景と共に写真に撮っているの。 誰もが旅の思い出として同じ事をするはずよ。 20世紀のニューヨークにどっぷり浸れる展示会ね。 *館サイト、 http://mitaka.jpn.org/ticket/120825g/flyer.jpg

■ホームアゲイン  ■三菱商事アート・ゲート・プログラム

□ホームアゲイン ■ 原美術館,2012.8.28-11.18 ■ 10人のアーティストが5年間日本に滞在したときの作品らしい。 ・・無難な動物や植物が多いのはどうしてか? 多くの絵には何故か暗さがある。 ハチ公や銀座、日比谷の作品もあったが興味がでない。 彼らにとって日本は創造し難い場所かもしれない 。 ところで「アートのほうき、かえりな垣」という作品があった。 これは良くできていると作者をみたら杉本博司だった。 ナント!! *館サイト、 https://www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/328/ □ 三菱商事アート.ゲート.プログラム ■EYE OF GYRE ■ 表参道へ行ったついでに立ち寄る。 若手アーティストの支援プログラムである。 10人の奨学生の65作品が展示してある。 原美術館と同じ感じである。 しかし観客が喜ぶ作品が並んでいる。 オークションで販売されるだけのことはある。 絵を売るという目的があるから一生懸命に描くのだろう。 この目的の差異がそのままが原美術館の作品との差異が出ているのかもしれない。 *館サイト、 http://www.mcagp.com/

■船田玉樹展―異端にして正統、孤高の画人生-

■練馬区立美術館,2012.7.15-9.9 ■玉樹と共に彼の師や影響のあった人の絵が展示されています。 彼は日本画から前衛まで守備範囲が広く焦点が定まりません。 このため御舟や古径、靫彦と丸木位里や岩橋英遠の違いなど、玉樹との比較内容が人ごとに違うので混乱しました。 結果、他者からの影響力がどの程度なのか計り兼ねます。 つまり玉樹は何を考えているかわからないのです。 70年後半の河童連作は彼の心情が表れています。 自身を河童に見立てているところをみると、充実して描いているとは到底みえません。 チラシ表紙を飾っている「花の夕」は灰色の桜の幹がとてもリアルに感じました。 56年の作品「臥龍梅」や79年の「老梅」も幹が異様です。 45年頃の「ひばり」や「麦」は素朴で気に入りました。 ともかく最後まで混乱している画家にみえました。 *館サイト、 https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=m10228

■マリー・ローランサンとその時代展

■ニューオータニ美術館,2012.7.14-9.30 ■三つの建物を串刺ししているホテルニューオータニは館内が迷路になっているの。 気分は古い温泉旅館の中を探検しているのと同じね。 驚きと目眩があってとても素敵よ。 暑い中でのローランサンの人形のような人物は涼しさがあって落ち着くわね。 同時代のフランスと日本の画家が残りの1/ 3づつで均衡が取れた展示だった。 荻須高徳のパリ風景がこんなにも静かさがあるとは初めて気が付いたわ。 バレエ関係の資料は中途半端よ。 古家新の観劇の話もあったようだけど。 どうせならローランサンを含めてもう少しまとめて欲しい。 でもあまり考えたくない夕涼みにはちょうどよい展示ね。 *館サイト、 http://marielaurencin.jp/history/

■スタジオ・ムンバイ

■ギャラリー間,2012.7.12-9.22 ■木材や土壁の破片、壁には写真がぎっしり飾ってあり足の踏み場も無い。 黒ずんだ焦茶色が会場を包み込んでいてまるでインドにいるようだ。 作品の多くはコルビュジエを想起する。 そして木材の組み合わせは校倉造りに似ている。 高温高湿なら校倉造りは合うかもしれない。 豪雨の写真が1枚あったが、しかしこのような湿気だと木が腐るのは速そうである。 土壁やレンガの比重を増やしたほうが長持ちするかもしれない。 この館の2階に本屋がある。 はたして参考本の一つに「コルビュジエのインド」が置いてあった。 立ち読みすると彼は64歳になってから23回もインドに行っている。 スタジオ・ムンバイへの影響も大きいはずである。 会場にあった10台前後のビデオのすべてが建物の周辺や住民を撮影している。 このような環境や文化の重視とコルビュジエ+校倉造りの関係がよく見えない。 スタジオの作品が住民の支持を得ているのか?は不明である。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex120712/index.htm

■アール・デコ光のエレガンス

■汐留ミュージアム,2012.7.7-9.23 ■暑い今の時期はガラス作品がいい。 それもアール・デコが一番。 ヌーボーだと感情が昂ぶって逆に汗がでてしまう。 会場の最後を飾ったのはカッサンドルのポスター、「ノルマンディー号」と「北極星号」。 これも旅行時期としては最高。 特にノルマンディー号はニューヨーク迄の航海が4日間、短すぎず長すぎないベストな日程だ。 アール・デコ様式満載の「洋上の宮殿」に住めるなんて夢のようだ。 リニューアル企画展はもちろん「アール・デコ、ノルマンディー号」だね!庭園美術館さん? *美術館、 https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/12/120707/index.html

■鋤田正義展  ■自然の鉛筆

■東京都写真美術館,2012.8.11-9.30 ■「YMO」をみて頭がキーンとしたから即恵比寿へ直行よ。 テーマごとに個室を作って展示してあったけど、でも作品の多くは切れ味が良くないの。 商業写真は力があるのはわかるけど、時代に助けられた面もあるわね。 その中で広間に飾ってあったバナー作品はよかったわ。 「デヴィット・ボウイ」とともにね。 *館サイト、 http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-1651.html ■自然の鉛筆 ■写真の世界では鉛筆はカメラに、紙はフィルムに相当するんじゃないかしら? でもこの展示は紙=フィルムの話ばかりね。 素人にとってカメラは気にするけどフィルムは写ればいいというレベル。 だからつまらない授業のようでアクビがでるのよ。 タルボットの写真集から採ったからしょうがないけど誤解する題名だわ。 でも写真はフィルムの歴史だと言いたいのがわかった。 カメラじゃないのよ。 ダゲレオタイプ、鶏卵紙、ゼラチン・シルバー、タイプC・・全部覚えた! *館サイト、 http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-1595.html

■与えられた形象-辰野登恵子/柴田敏雄 -

■国立新美術館,2012.8.28-10.22 ■辰野登恵子と柴田敏雄の二人展です。 前者は知りません。 後者は3年前写美館で企画展があったので覚えていました。 主催者はこの二人の共通点を強調したいようでが、絵画と写真では作品を前にして湧き出る意識の流れが違うので水と油です。 柴田敏雄ですが白黒作品をB0版近くの大きさまで引き伸ばして展示されています。 カラーならともかくコンナモノをみても面白くありません。 テーマを強調したいのでしょう。 後半は写真集と同じくらいのサイズになり観る喜びのリズムが戻りました。 最後に彼の新作がありましたがいいですね。 色が薄くなって軽やかです。 会場出口でダムの25枚写真を1枚のポスターにした「DMS」を予約販売していましたが最高です。 柴田の写真は白黒に関しては集中できるサイズでないとボヤケてしまいます。 ところで辰野ですが、1984年のマティスの壁柄に似た作品はみずみずしくて詩的です。 その後も悪くはありませんが・・、しかし新作は救いようがありません。 形象は与えられたものなのか? 描く動機も不明です。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2012/given_forms/index.html

■藤田嗣治と愛書都市パリ

■松濤美術館,2012.7.31-9.9 ■昨日観た「 ちひろ 」の色とイメージに対して藤田の線のまた違う素晴らしさを再認識してしまった。 具体的に対象を描けるので世界がリアルに現前できる。 文章の文字や意味をぶれないで受け止めることができる。 また違った本の記憶が子供時代に残るはずである。 藤田の場合は詩や小説が多く子供の絵本は少ない。 文学者との協調態度や本に対する考え方も違うので比較はできないが、ちひろ展でのモヤモヤが解消された。 挿絵本には当時のフランス画家も総動員だが藤田のこの分野の活動は素晴らしい。 でもパリ滞在中での日本紹介の絵は少しおかしい。 いつものことだが海外にいると日本文化をしっかり観察していなかったことを思いやられる。 *館サイト、 http://www.shoto-museum.jp/exhibitions/153fujitatsuguharu/

■ちひろと世界の絵本画家たち

■損保ジャパン東郷青児美術館,2012.7.7-8.26 ■絵本の絵はディテールを写実的に描いたほうが子供の記憶の深い部分に残るのでは? 誰にも子供時代があったのだが思い返せばこう感じてしまう。 いわさきちひろは水彩画の良さを発揮しているのだが、むしろ大人好みの絵にみえてしまう。 物語の複雑な面白さをこの絵は受け止められるのか? 会場には世界の絵本画家52名の作品も展示されている。 実際の絵本も手にとれるようになっていた。 10冊くらいジックリ読んでみないとわからないが、もはや子供時代の心に戻ってみることができない。 *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/past/351.html

■歴史の天使

■ワタリウム美術館,2012.8.4-11.11 ■どれもどこかでみた写真ばかり。 ギンズバーグのビデオも去年の「 ハートビート展 」と同じもの。 なんと図録をみたら以前にも同じ企画展をおこなっているようね。 何人かの作家は入れ替えているようだけど。 多木浩二の言葉は素敵だったけど他は新鮮味ゼロだわ。 好きな作品は何度観ても飽きないけど、前回の「 ひっくりかえる展 」の作品を再び展示するのは早すぎる。 これなら常設展並の料金にすべきよ。 しかも館のHPも最新展示会名が更新されていないわよ! いっそうのこと夏休みにしちゃたらどう? *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/under.html

■レーピン展

■BUNKAMURA.ザミュージアム,2012.8.4-10.8 ■習作だが「コサック」が新鮮で一番気に入った。 トルストイは「コサック」や「船曵き」より「夕べの宴」が良いと言っているがこれは非暴力主義者としての感想だろう。 「思いがけなく」や「皇女ソフィア」もより演劇的である。 演劇的が時代を呼び込む。 これらは革命から戦争そしてソビエト崩壊迄の20世紀ロシアの起源に戻って出会ったような作品である。 映画スターウォーズの全作品の後に「新たなる希望」を再び観た時のようなロシア、ソビエト、そして再びロシアの時間的円環で結ばれる感動がある。 しかしこのような絵はすぐに凍りついてしまう。 もはやギリシアやローマ時代と同じだ。 一年もすれば見たことも忘れてしまうだろう。 だから多くの人がレーピンの名前など知らないのはあたりまえである。 トレチャコフ美術館はモスクワに行くたびに立ち寄ったがいつも閉館していた、、昔のことだが。 今のモスクワは興味が失せたから行く気がしない。 でもトレチャコフ美術館は一度入ってみたいものだ。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_repin/index.html

■夢の光

■東京都写真美術館、2012.7.21-9.23 ■ http://syabi.com/upload/3/1591/tamura.pdf ■飛行機好きに出会えて嬉しいですね。 田村彰英の1960年代作品「BASE」はこの結果として政治的にはなりません。 最新映像2012年作品「NAF ATSUGI  F/A18・・」をみても彼は変わっていないのがわかります。 羽田空港第一ターミナル屋上からA滑走路の離陸機を、城南島海浜公園で着陸機を一日中飽きずにみている人って結構いるじゃないですか。 この感じが漂っています。 でも機体が金切り声をあげているような作品にして欲しいですね。 金属を舐めるような感じもです。 だから「湾岸」はともかく「家・HOUSE道ROAD」や「名もなき風景のために」のような作品は冴えないのです。 チラシの戦闘機は最高ですね。 これを含め納得できる作品が数点ありますがやはり飛行機好きだけが出過ぎているようです。

■ドビュッシー、音楽と美術ー印象派と象徴派のあいだで

■ブリジストン美術館,2012.7.14-10.14 ■分野の違う人や事をテーマにするとなんでも有りって感じね。 会場をみて先日のバーン・ジョーンンズ展と同じ感想を持ってしまったわ。 ジョーンズがみたギリシア・ローマ・英国の文学がドビュッシーがみた19世紀末の美術に移行したようなものよ。 ドビュッシーの初期のピアノ作品なら印象的だし管弦楽だと象徴的に受け取ってしまいそう。 会場のどこかに書いてあったけど影響を受けた画家は結局はターナーかもね。 コレクション室もほぼ同時代の作品だから量的にも満足できたわ。 このような企画は素材が沢山転がっているから学芸員は楽かもしれない。 観る方も範囲が広がり新しい発見があるからいいけどこれが流行になったら混乱する感じね。 今回も女性関係に1章を割いたら別のドヴュッシーが現れたはずよ。 *美術館、 https://www.artizon.museum/exhibition/past/detail/291

■バーン=ジョーンズ展

■三菱一号館美術館、2012.6.23-8.19 ■ http://mimt.jp/bj/ ■どんよりとした灰色の空、やはり灰色がかった木々や草花、青白い肌、美人だけど微かに猜疑心のある目・・。 まさしく物語を呼んでいる絵だわ。 それも昔出会った静寂の世界に沈んでいる物語をね。 英国はとても特殊にみえる。 それは中学時代からの英語学習のせいよ、きっと。 無意識的に言葉の国としてみてしまうの。 作品をみていると子供時代に読んだ童話も思い出してしまったわ。 アメリカやフランスの作品もごちゃまぜだけどね。 物語はどの国のどの時代でも構造が同じなのよ。 だからいろいろな物語を招き寄せてしまうのね。 忘れていた世界を思い出させてくれたわ。

■奈良美智:君や僕にちょっと似ている

■横浜美術館、2012.7.14-9.23 ■ http://www.nara2012-13.org/ ■奈良美智は漫画家じゃなかったのか? 世間では画家で通っているようだ。 じゃりん子チエを中産階級の家庭で育てて目を大きく潤ませれば作品の女の子になる。 じゃりん子チエ二世である。 やはりこれは漫画にしかみえない。 会場に入るとこの女の子ブロンズ像が並んでいる。 像のほうが柔らかさがあるが、わざわざブロンズ像を作成した理由がみえない。 奈良美智は何を考えているのやら? しかし「ちょっと意地悪」はどうみても意地悪をしている顔だし、「YOUNG MATHER」はどうみても若い母親である。 周囲にはこのようにちょっと似ている人が必ずいる。 だからどうしろって言うほどのことでもないが・・

■大英博物館古代エジプト展

■森アーツセンターギャラリ,2012.2.7-9.17 ■NHK「知られざる大英博物館古代エジプト」、TBS「ピラミッド新たな真実」を先日みました。 前者はエジプト民が思っていたより豊かであったこと、後者は第二の「太陽の船」の発掘から古王国エジプト宗教の一端が明らかになったことです。 この二つの知識を持って六本木へ向かいました。 目玉は第三中間期の「死者の書」です。 会場は冥土への旅に持っていく200もの呪文・護符・人形などで一杯です。 そしてオシリス神の死者への審判。 日本なら閻魔大王の裁きです。 審判では42項目がチェックされます。 盗みをしなかったか? 不貞をしなかったか? 暴力をふるわなかったか? ・・・これをしていたら地獄行きです。 現代と同じですね。 これだけ過剰な儀式があった古代エジプトはやはり豊かだったのでしょう。 この展示会と先のテレビ番組で古代エジプト宗教がバッチリわかりました。 これで8月開催の上野の森美術館「ツタンカーメン展」へ行ったらパーフェクトですね。 *美術館、 https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/2012/

■村山知義の宇宙

■世田谷美術館、2012.7.14-9.2 ■ http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html ■神奈美の葉山での開催は見逃してしまった。 だから早速世田美へ急行したが<つまらない>展示会だ。 多種ジャンルを扱っているのでゴミを寄せ集めたような構成である。 しかも資料がやたら並べてあるのみ。 これが意識的構成主義の並びか? もっと意識的にメリハリをつけて立体感のある展示にできないかな? 高校の文化祭のような会場だ。 これでは目録を買って家でゆっくりみたほうがよい。 もちろん買わなかったが。 気に入ったのは童画。 童画は知義が好きで描いているのがわかる。 他の分野も時代と共に走っている面白さはあるが独自性が無い。 でも狂騒と狂乱の1920年代に彼は走りはじめたんだから本望だろう。 やなぎみわが芝居をやるようだが観たいなぁあ。 ところでもう一つ見逃したのは須賀美の「国吉康雄展」。 2004年の近美以来だったからみたかった。 こちらは都内への巡回はないだろう。 葉山や横須賀は遠いからなぁあ。

■マウリッツハイス美術館展

■東京都美術館,2012.6.30-9.17 ■とてもリッチな作品ばかりね。 この豊かな雰囲気は17世紀オランダの大航海や宗教改革の成果かも。 「風景画」の空の広さや雲の形は市民の安心感がみえる。 それは静物画や肖像画も同じ。 だから観ていると精神も引き締まり充実するの。 ところでこの美術館は改修が終わったようね。 少しカラフルになった感じ。 レストランも増えたし。 でも混み具合は相変わらずだわ。 安チケットをばら撒き過ぎてるんじゃないのかしら? 今回はフェルメール目当てもあるからしょうがないかな。 9月中旬まで開催しているからフェルメール抜きでもう一度行ってもいいくらいね。 *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/h24_mauritshuis.html

■目黒と雅叙園の魅力展

■目黒雅叙園、2012.6.1-8.19 ■ http://www.megurogajoen.co.jp/event/gajoenten/ ■雅叙園は1931年に料亭として開業しています。 園内に有名な百段階段があります。 ここを歩きながら7つの座敷を見てまわる展示会です。 座敷は荒木十畝の間、菊池華秋と尾竹竹玻の間、礒部草丘の間、池上秀畝と小山大月と橋下静水の間、板倉星光の間、鏑木清方の間、松岡映丘の間の7部屋。  昭和初期の雰囲気が漂っています。 なぜか懐かしさもありますね。 これは天井、床柱、、欄間、襖に障子など座敷が持っている総合力の賜物でしょう。 そしてガラス障子からみる外の景色は格別です。 たまたま数日前に「千と千尋の神隠し」をテレビで放映していましたが、湯婆婆の部屋を含めここの座敷を参考にしたとのことです。 座敷を歩き回っていると油屋に居るようです。 千尋のように別世界へ行ってきた感じですね。

■具体

■国立新美術館、2012.7.4-9.10 ■ http://www.nact.jp/exhibition_special/2012/gutai/index.html ■「具体」は「抽象」の逆だと考えながら行ったら違っちゃった。 しかも固有名詞なの。 二度ビックリね。 「黒地に赤い円」(1965年)を観てこの人がリーダーだったんだ!とまたビックリ。 1970年の大坂万博がグタイグループの総括イベントだと解説にあったけどその通りね。 万博ビデオをみると地域市町村の夏祭りと同じノリなの。 もちろん凝ってはいるけど。 でも夏祭りの楽しさってよくわかるわ。 ミシェル・タピエを登場させたけどアンフォルメルを深く議論しなかったのは正解。 今回、東京での展示会が初めてというのも戦後日本の祭りの一つだったからわざわざ回顧する必要が無かったのかもね。

■世界報道写真展2012  ■デヴィッド・リンチ展  ■安世鴻写真展

■東京都写真美術館,2012.6.9-8.5 ■世界をみると東日本大震災はあったが衝撃的なニュースはいつもより少ない。 このため社会・日常部門の作品が記憶に残る。 アルゼンチンのアルツハイマの世話やウクライナの娼婦、アフガニスタンの新人警官や児童結婚などなど。 作品の隅々までじっとみていると世界の日常生活が日本と直結しているのが迫ってくる。 地球があまりにも狭すぎるという恐ろしさがある。 * 「世界報道写真展2011」 ■デヴィッド・リンチ展 ■ヒカリエ・8/アートギャラリ,2012.6.27-7.23 ■恵比寿からの帰り、気になったので渋谷に立ち寄る。 映画監督の絵と言えば黒澤明の絵コンテくらいしか知らない。 リンチは黒の水彩画が多いようだがサッサッと軽く描くところが映画監督の特徴のようだ。 挨拶のビデオがあったがこれが一番おもしろかった。 数十秒の長さだが「インランド・エンパイア」を思い出してしまった。 ということで次なる作品を早く作ってくれ! *館サイト、 http://www.hikarie8.com/artgallery/2012/04/post-1.shtml ■安世鴻写真展 ■ニコンサロン,2012.6.26-7.9 ■渋谷から新宿に向かう。 ニュース報道があった為か場内はとても混雑している。 タイトルは「中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち」である。 写真は80枚くらい。 多くは90歳に近いお婆さん達で表情は穏やかである。 しかし解説が一つもない。 報道写真展と同じように十分な解説がほしい。 政治的作品は右でも左でもどんどん開催してくれ。 観たい奴は観に行けばよい。 嫌なら行かなければよいのだ。 今回のニコンは見苦しい対応だった。  *館サイト、 http://www.nikon-image.com/activity/salon/schedule/back/201206.html

■トーマス・デマンド展

■東京都現代美術館,2012.5.19-7.8 ■会場は紙の模型で一杯だとおもいながら行ったらなんと写真展だった! 実物そっくりの模型を作りそれを写真に撮って展示しているの。 夢のなかで眠っていてそこで又夢をみている、SF小説や映画によくある構造よ。 芝居でいうと劇中劇ね。 この構造は二つのことを反省的に考えてしまう。 一つはリアルとは何か、もう一つは物語とは何かをね。 だからデマンドもこの答えを作品に取り込む為に腐心しているわ。 ひとつは高感度特殊カメラを使うこと。 実物そっくりの模型を撮る時は、これを使わないとリアルに到達できない。 もう一つは物理学を正確に導入すること。 コンピュータ等を駆使して模型の質量や位置や速度を把握しないとリアルにならないの。 <リアル>を獲得した時、そこに<物語>が生まれる。 美術の世界でリアルを獲得すると違和感不思議感と同時に物が有機的に変化し物語が成長していくの。 物語の故郷はリアルでリアルの故郷は観客の身体だから。 *館サイト、 https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/134/

■田渕俊夫展ーいのちの煌めきー

■松濤美術館,2012.6.5-7.22 ■ナイジェリアへの旅ではゴーギャンを思い出すような作品ですね。 しかし70年代に入って描かれた植物の間からは幽霊が登場しそうな雰囲気です。 チラシに書いてある「生命のたくましさ」は感じられません。 雑草類の絡み合いは神秘性が漂っていますがこれも徐々に作品から失われていきます。 そして名古屋やベトナムの都市風景へ行き着くのですがしかし面白い作品とはおもえません。 ところで機内からみた地上の風景画は、いつも羽田空港が見えなくなるまで見続ける<絶対窓側席でなければ嫌!>の人には嬉しい作品ですね。 今の時期、日本上空は水分たっぷりの白雲と真っ青な夏空。 窓側席派には居ても立っても居られません。 会場最後の室の水墨画は一度初心に戻って生命を描き直す作業にみえました。 「緑溢れる頃」は薄桃色の夕焼、「爛漫」の桜は満開です。 自然が戻ってきたようです。 *館サイト、 http://www.shoto-museum.jp/exhibitions/152tabuchitoshio/

■アラブ・エクスプレス展

■森美術館、2012.6.16-10.28 ■ http://www.mori.art.museum/contents/arab_express/index.html ■アラブ世界と言えば砂漠、石油、宗教、戦争が頭に浮かぶはずよ。 これは日本のフジヤマ、ゲイシャと同じだとこの展示会は言っているの。 でも「神の御名において止めよ」では汝の敵を隣人を愛せと言っているのにデモや戦車の映像ばかり。 ムニーラは「ラワーンの歌」の中でわざわざ戦争の話はしないと言っているのは日常が戦争状態なのよ。 もちろんアラブには十数ヶ国もあるから一緒くたにはできないけど。 そして美術の位置づけがまったく見えないから美術展というよりアラブ生活展ね。 四つん這いになって街の中を歩き、これを見た市民が抗議をしている映像作品があったけどやはり宗教?の影響は想像以上よ。 他作品をアラブの人々はどうみているかもっと知りたいわ。 会場をあとにしても結局は砂漠、石油、宗教、戦争しか残らなかった。 というよりこれらがごちゃまぜになっちゃったの。 どうしましょう?

■吉川霊華展

■東京国立近代美術館、2012.6.12-7.29 ■ http://www.momat.go.jp/Honkan/kikkawa_reika/index.html ■スケッチ集をみると漫画家の下絵のようである。 漫画は線だから吉川は手塚治虫の先駆者といってもよいかもしれない。 線の滑らかさはみていても気持ちがいい。 女性の描き方も美人というより自然の美しさがある。 だが人物を除き、樹木などの植物はぎこちなさが所々みうけられる。 自分の眼で自然をあまり観察しなかったのだろう。 物語は描いたが背景に描くものがなくなり余白ができてしまった。 そこで書で背景を埋めるという方法を取った、という感じだ。 20年代後半の線に滑らかさがなくなったのも書を優先させようとした為では? 気に入ったのは素直さが一杯詰まっている「稚児文殊」など00年代の初期作品。 

■琳派・若冲と雅の世界

■そごう美術館,2012.5.26-7.16 ■「 都の遊び・王朝の美 」の続きで雰囲気も同じです。 タイトルの琳派と若冲に焦点をあてています。 其一の子守一を初めて見ました。 下手ですね。 やはり子供です。 若冲の子若演は上手いですね。 つまり作品から判断すると若演は子にはみえません。 若演は赤の他人です。 ところで有名画家の割には渋い絵の多いのがこの細見美術館の特徴ようです。 蔵の中に入ってみているようです。 *京都細見美術館所蔵Part2 *美術館、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/12/0526_hosomipart2/

■ベルリン国立美術館展

■国立西洋美術館,2012.6.13-9.17 ■15世紀以降のイタリアと北方美術を比較できるようになっているようね。 副題「学べるヨーロッパ美術の400年」のとおり会場は勉強を強いられる雰囲気が一杯。 それは作者と作品が散らばっていて集中すべきところがわからないから。 絵画と彫刻は混ざり合っているし、彫刻は木、石膏、大理石、ブロンズと多彩、そしてトドメは素描。 エントロピーは増大しっぱなしね。 15世紀前後の木製の聖母とそれを囲む人々の像が多かったけど当時の北方庶民の好みがわかるわ。 ジックリみると味があるけど頭が疲れる展示会ね。 でもベルリンはいつもこうなの。 ボーデ博物館の前で疲れてしまい運河の深緑の水を眺めていた暑い夏のベルリン旅行を思い出してしまったの。 *美術館、 https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/past/2012_233.html

■紅型

■サントリー美術館,2012.6.13-7.22 ■紅型を初めてまじまじと眺めた。 「黄色地鳳凰蝙蝠宝尽くし・・」は鮮やかな黄色が、花の蜜を吸っている蝙蝠のつぼめた口元が面白い。 柄と柄の間が離れすぎているところに南の海や空を思い出させてくれる。 それにしても蛇はみなかったな。 青系統の地は想像以上に濁っている。 色落ちしてしまったようだ。 残念。 子ども着も何点か出品されていた。 子供時代に鮮やかな色と形に囲まれていると感性が豊かになるだろう。  しかし紅型は王族貴族階層の衣装らしい。 ビデオ「紅型の作り方」を観たが膨大なテマヒマをかけてできている。 多くの人にとっては今も昔も観賞だけのものである。  *美術館、 https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2012_03/index.html

■マックス・エルンストーフィギアxスケープ-

■横浜美術館,2012.4.7-6.24 ■作品を前にするとマックス・エルンストだとわかるけど、観終わったら忘れてしまう画家だった。 でも今回はジックリ観たの。 フロッタージュ、グラッタージュ、デカルコマニーは新しく覚えたけど今までの記憶にあるエルンストはこれだったのよ。  でも新しい発見はコラージュ・ロマンよ。 「百頭女」、「カルメル修道会・・」、「慈善週間・・」や「完全な歌」などとても演劇的ね。 ひさしぶりに作品の前で想像力が羽ばたいた。 コラージュ自体が現代演劇に深く関与しているからよ。  またL・ブニュエルの「黄金時代」に出演していたとは驚きだわ。 そして「彫刻は両手を使う。 愛撫のときと同じように・・」と言っているけど思った以上にエルンストは身体重視なの。 ところで展示会の副題が「フィギュアxスケープ」だったけど意味不明ね。  *館サイト、 http://yokohama.art.museum/special/2012/ernst/index.html

■ルーヴル美術館の秘密

■監督:ニコラ・フィ リベール ■(フランス,1990年作) ■ルーヴル美術館で働く人々を撮っています。 職員は1200名。 消防士や看護婦もいるようです。 彼らの一番の仕事は資料管理です。 作品数は30万点ですから。  資料の取り扱いは雑にみえます。 職員もオットリしていますね。 これでも組織の階層と指示系統が明確化されているので職務が回るのでしょう。 日本の事務効率の悪さの原因が逆に浮かび上がります。   日常の裏側を見ることができてルーヴルが少しですが近くなりました。 ところでタイトルに秘密を付けるのは大げさです。 *映画com、 https://eiga.com/movie/52060/

■中世人の花会と茶会

■根津美術館、2012.06.2-7.16 ■ http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html ■こんなの観に行くより茶会に出席しなきゃ! ところで「無一物」は軽さが有り赤黄土の色が音として響いてくるような作品。 形や寸法は女性ならちょっと大きいわね。 

■福田平八郎と日本画モダン

■山種美術館、2012.05.26-7.22 ■ http://www.yamatane-museum.jp/exh/current.html ■会場入口の「筍」をみて福田繁雄を思い出してしまいました。 形からくるユーモアがあるからです。 「漣」は川面を長時間眺めていると暗示にかけられたように自然に溶け込んでいく時の感じですね。 気に入った作品は1930年中頃の「游鮎」や「花菖蒲」。 この時期の作品が一番です。 彼は色を優先しているようです。 しかも「マッチ棒を6本上からばら撒いたのが鮎の位置である」と言っているように偶然や自然に囚われすぎています。 一部作品で空間の捉え方にぎこちなさがあるのはこの為です。 前半は福田の22作品、後半は日本画モダンと称して他画家46作品が展示されています。 山口逢春の戦後の3点が印象に残りました。 「とう上の花」「夏の印象」「卓上」です。 青系統のすっきりした構図で初夏に相応しい作品でした。

■鬼に訊け

■監督:山崎祐次,出演:西岡常一ほか ■東京都写真美術館,2012.5.26-6.8 ■宮大工西岡常一の記録映画である。 宮大工棟梁の知らない世界を観るのはウキウキする。 「用材は木を買わずに山を買え」、「木は生育の方位のまま使え」、「堂塔の木組みは、寸法で組まず木の癖で組め」、・・、法隆寺宮大工口伝である。 木の建物としての法隆寺が一千年経ってもなぜ残っているのか少しずつ分かってくる。 西岡の鉄との対決、コンクリートとの対決は凄まじい。 前者では法隆寺棟梁を辞し、後者は薬師寺で辛苦を舐めた。 しかし今や法隆寺や薬師寺を建てる人・物・情報の多くを失ってしまった。 彼が持っているすべてを残そうとしているが限度がある。 この映画を「西岡常一の遺言」とチラシに書いてあったが、たとえ遺言があっても将来への不安感が漂う内容であった。 *映画com、 https://eiga.com/movie/57520/

■ゴヤの<<青い服の子供>>

■ルーヴルDNP,2012.4.27-10.28 ■展示作品は1枚だけ。 だから観に行くのか行かないかハッキリするわね。 今回はゴヤの「青い服の子供」。 背景は青系統でしかもかわいい子供だから副交感神経が高まり満足感は+よ。 ここは事前予約をしないとだめなの。 行く人は忘れないでね。 *館サイト、 http://museumlab.jp/exhibition/09/index.html

■川内倫子展  ■光の造形

■東京都写真美術館,2012.5.12-7.16 ■観客が良質な暇(ヒマ)を持っていないと受入れてくれない作品です。 作品は若さが感じられます。 日本風土の色と香りも感じます。 これらを基に想像力を広げるのに時間がかかるからです。 得られる感動も小さい。 ビデオは3本ありましたが途中で席を立ちました。 最後まで見たい力を作品は持っていません。 良質なヒマを持っていない観客は欲張りですね。 同時開催の「光の造形」がどぎつく感じました。 「JPS展」がでしゃばり過ぎていると感じました。 これも「川内倫子展」の影響です。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-1593.html

■現代日本画の精華

■郷さくら美術館東京 ■ http://www.satosakura.jp/tokyo/ ■3月に開館した新しい美術館である。 郡山市にある姉妹館でオーナーは企業家とのこと。 コンパクトな三階建である。 多くは聞いたことのない画家であるが総て日本画が嬉しい。 1階は桜、2階は動物、3階は花木が特集で全90点。 屏風並も数点あり迫力は十分である。 作家数や画題数の多さに気を配っているようである。 しかも昭和生まれに絞っている。 このためか駄作も少なからずあるが全体にレベルが高い。 気に入ったのも数点あった。 4冊の図録をみると相当数持っているようである。 三ヶ月ごとに入れ替えをするらしい。 目黒駅から近いので行きやすい。 楽しみの館が一つ増えた。

■テマヒマ展

■2121デザインサイト,2012.4.27-8.26 ■最初にビデオを見て次に整然と並べてある作品に対面する。 ここの展示方法です。 ビデオ予習のためか作品に親しみがでます。  しかも整然とですからリズミカルに心身に入ってきます。 ここは商品の展示が多いからこの構成が効果的です。 きりたんぽやちまき(笹巻)の作り込みにはガス炊飯器や米挽機などの機械も使います。 しかし価格からみて投入した人の手と時が大きいことがテマとヒマの条件のようです。 できあがった物は旨い美い巧いのはいうまでもありません。 60種類の商品が持っているテマヒマから東北の一つの全体像が見えてくる展示会です。 東南アジアなどに行った時に現地の人や物、風景に出会った時に感じるあの感覚も同じだとおもいます。 懐かしさもあります。 ところでビデオで上映していた「味噌黒米餅」を見てとらやに寄ったのですが売り切れでした。 一日15個限定販売とのことです。 *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/temahima/

■インカ帝国展

■国立科学博物館、2012.3.10-6.24 ■ http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2011/inka/index.html ■インカ帝国って14世紀に栄えたの。 知らなかったわ。 インカ帝国は文字を持たなかったことも。 展示会場はとても緩やかな感じがするの。 観客は文字に縛られないことでインカ帝国を自由に想像できる。 これは場内で感じたことよ。 文字が無いことでミイラを作る死生観もできたようね。 ミイラになって現実世界で生活できるのは話し言葉だけの世界では可能なのよ。 話し言葉は今しか存在しないから。 過去の話しも今のことになるからよ。 でも文字と鉄を持たなくて4000Kmの範囲を支配するのは無理があるわ。 スペインに簡単に敗れた理由はこれね。 帝国内では争いが耐えなかった。 そしてスペイン側についた地域もたくさんあったはずよ。 じゃが芋や唐辛子、トマトが帝国からやってきたのも嬉しいわね。 スープストックトウキョーで「豚肉とじゃが芋のインカ風スープ」を販売していると聞いたから早速食べに行こうかな。 でも豚肉ではなくてアルパカにしてね。 

■市川亀治郎大博覧会

■ヒカリエホール、2012.4.28-5.9 ■ http://www.kamehaku.jp/ ■俳優の顔と名前は覚えたことがない。 しかし亀治郎と萬斎の二人は名前で芝居を、現代劇が多いが、観に行くことがよくある。 なぜならこの二人の舞台は身体というものをいつも新しく感じ考えさせてくれるから。 6月に猿之助を襲名するようである。 これで歌舞伎が忙しくなると他ジャンルへの出演が少なくなるかな? 「前例がなければ、つくればいい」をこれ以上の銘として新しい分野を切り開いていって欲しいな。 大博覧会はヒカリエの見学のついでに寄ったのだが、このヒカリエで大人の渋谷を取り戻したいということらしい。 地下3階から9階まで隈なく歩いたが30代をターゲットにしているようだ。 しかし劇場やレストランを増やしただけでは大人は集まらない。 東横文化に始まり、セゾン文化、次に東急文化、そして若者文化の渋谷だが、一つの思想を持った広がりが地域として定着しなければ新しい渋谷文化になれない。 ヒカリエだけではまだ何も見えない。

■三鷹天命反転住宅

■三鷹天命反転住宅 ■住宅の見学会へ行ってきたわ。 見学会は入門編からプロ級の5種類があるの。 一番驚いたのは床がコンクリートで凹凸があること。 凹凸はなんとかなるが、コンクリートが住む気ちを起こさせない。 木で出来ているなら分かるけど。 あと、日本文化が安易に取り入れられているところがだめ。 障子と畳の回りに敷かれている石が最悪。 取り入れない方がいいわ。 この二点が改善できるなら住んでもいいかもね。 靴を脱ぐ行為を中途半端にしたことが一番の失敗ね。 荒川修作はもはや米国人なの。 これは鮫が住む住宅だわ。 鮫は生きている間は動き続けなければいけない。 動き続けていれば見返りがある家ね。 カラフルな色は受け入れることができるし、床や天上の傾きもいい。 荒川修作+マドリン・ギンズの二人は興味があるけど、この住宅は西洋的な思い入れが強すぎるようね。 養老天命反転地はどう感じるのか訪れてみたいわ。 *住宅サイト、 http://www.rdloftsmitaka.com/events

■BEAT TAKESHI KITANO 絵描き小僧展

■東京オペラシティアートギャラリー,2012.4.13-9.2 ■ビート・タケシの映画は一目置くが絵は上手いとはいえない。 やはりペンキ屋のせがれである。 今回はパリで開催した展示会の再現らしい。 彼好みの方法で日本を紹介をしている作品が多い。 だからこの日本で開催すると少しズレている感じだ。 1994年のバイク事故のリハビリとして絵を描くようになったとタケシは言っている。 これだから絵より魚の模型だとかビデオの方が面白い。 しかしコメディアンにもかかわらず色々な肩書きを持っていて凄い人だとあらためて納得する。 ここはいつも二階で収蔵品展を同時に開催している。 今回は「船越保武展」が開かれていたが30点近いブロンズ像に感動してしまった。 カトリック女教徒が多いが信仰の関心と無関心の両方が表現されていてなんともいえない感情が沸き起こってくる。 船越保武とビート・タケシは水と油だが離れすぎると逆に違和感が無くなるから面白い。 *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh141/

■レオナルド・ダ・ヴィンチ展inシアタ-

■制作総指揮:フィル・グラブスキ ■Bunkamura・ルシネマ,2012.4.21-5.18 ■美術展「 レオナルド・ダ・ヴィンチ、美の理想 」の付録映画です。 なんと9点もの絵が揃ったロンドン・ナショナル・ギャラリの展示会風景を映画にまとめたものです。 ルーヴルの「岩窟の聖母」や初公開の「救世主キリスト」も入っています。 ロンドンではチケットが即完売したようです。 司会者が絵の前で著名人、例えば写真家、音楽家、舞台監督や主教にインタヴューしていきます。 彼らが勝手気ままなことを喋るのがこの映画の面白いところです。 「救世主キリスト」を女優フィナオ・ショウは「家のドアに誰か訪問客が来たような感じの絵」だと言っています。 ドアの周辺は期待と静寂が覆っています。 ドアを開けた時、闇の中から彼が現れます。 顔はボヤけていますが不思議な現実感があります。 ロンドン版「岩窟の聖母」の額縁を新しく作るところも面白かったですね。 一部分に16世紀の材料をそのまま使い、それに合わせて新しく付け加えたそうです。 絵は古いニスを取り除いて掃除しました。 ロンドンへ直ぐにでも飛んで行きたいくらいです。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/12_leonardo.html

■大エルミタージュ美術館展、世紀の顔・西欧絵画の400年

■国立新美術館,2012.4.25-7.16 ■エルミタージュ展は3年に一度は開催されていますね。 ロシアにもいい収入源になっているはずです。 でも400年の期間を集めたのはひさしぶりですか?  ルーベンスの2枚が気に入りました。 「虹のある風景」と「ローマの慈愛」です。 他にもダイク、ランクレ、ドラクロアなど数枚です。 目玉の「赤い部屋」はあまり良くないですね。 なんというかペンキ絵のようで。 平面的のため尚更です。 多くは小粒でしたがバラけていたので車窓から移り変わる景色を見ているようでした。 絵画の流れから湧き起こるリズムに乗れて楽しかったです。 *展示会サイト、 http://www.ntv.co.jp/hermitage2012/

■東洋絵画の精華

■静嘉堂文庫美術館,2012.4.14-5.20 ■「平治物語絵巻信西巻」が最初に展示されている。 しかし第二段はじめの信西自害のところで以降は次回のお楽しみになっている! 週刊連載マンガの続きと同じだ。 しかも仏画が多くて部屋全体が暗いせいもあり調子が狂ってしまった。 後半になって抱一の楽しい「絵手鑑」や「四条河原遊楽図屏風」の踊っている老若男女をみてやっと元気が出てきた。 作品の質は十分だが量の少ない展示であった。 ここは陸の孤島で来るのに大変だから次回のお楽しみではなく一度に展示してくれ。 *館サイト、 http://www.seikado.or.jp/publication/leaflet.html#leaflet_01

■三都画家くらべ

■府中市美術館,2012.3.17-5.6 ■江戸の画家(作品)かどうか? 生まれも育ちも東京のワタシが見てもわからないわ。 大坂と京都はなおさらね。 もし江戸時代に江戸に住んでいればわかるかもしれない。 それは人・物・情報の流れに意味を見いだせる余裕があるはずだから。 たとえば<笑い>の章で大坂は人を笑わせる、京都は深みある和み、江戸は明確・理屈の笑いとあったけど、これに沿って作品が展示されているから納得してしまうの。 でも仮定に合わせた作品のみを集めているかもしれないという疑問が付きまとうわね。面白いけれど答えはいくらでも変えられる企画ね。 後期展示の「人物画くらべ」だったけど気に入った作品は十点くらい。 なかでも応挙の「楚蓮香図」、月岡雪鼎「見立牡丹花肖柏図」の女性が素敵ね。 *館サイト、 https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/goriyo/H23Nenkan_schedule.html

■バルビエxラブルール展

■練馬区立美術館,2012.4.8-6.3 ■どこかで見た作品があります。 でも名前を声に出すのは初めての二人です。 どちらも挿絵画家ですから本と同じ大きさの作品が多いですね。 前半の展示では単眼鏡も欲しいところです。 バルビエは1909年にロシアバレエ団を観たのが人生での決定的体験と言っています。 彼の作品にある豊かさは、G・クリムトの影響もチラッと感じますが、舞台が持っている総合芸術への指向性を含んでいるからでしょう。 ラブルールの線はスッキリしていて嫌味がなくていいですね。 動植物などは日本美術を思い起こさせてくれます。 でも観終わった時にはやはりヨーロッパを感じます。 二人の作品は静かな自宅で挿絵の入った本を捲りながら当時のフランスを自由に思い巡らすのが一番いい鑑賞方法です。 と、鹿島茂もそう言っているように聞こえます。 倉庫のような練馬美術館でウロウロしながら観るのは合いませんね。 *館サイト、 https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=m10225

■シャルロット・ペリアンと日本

■目黒区美術館,2012.4.14-6.10 ■ペリアンはコルビュジエに出会う前からコルビュジエ風だったのよ。 子供時代にガランとした室内が気に入っていたことからもわかる。 コルビュジエはスッキリが一番だから。 でもペリアンは女の眼を通してリビングやキッチンを見てしまったの。 だからコルビュジエよりバウハウスに近づいてしまった。 物を無くするより物を沢山持ってそれを隠そうとしたのよ。 それは当時の社会から支持されたはず。 ペリアンと日本で関わった人々の話や写真はとても面白かったわ。 グローバル化以前の暖かさがみえる。 当時は人を通して物と情報が繋がっていたからよ。 この展示会は神奈川近美からの巡回だけど、解説や作品の陳列方法をみると大学生の卒業研究のような会場ね。 だから時間をかけて観る必要がある。 このような展示会には閑人しか来ないから救われるけど、悪いのは神奈川近美ね。 *館サイト、 http://mmat.jp/exhibition/archives/ex120414

■毛利家の至宝

■サントリー美術館,2012.4.14-5.27 ■毛利には無関心だったので、元就や秀吉、家康の対策書・起請文・注進状などの事務文書が最初に展示されていて嬉しい。 しかも現代語訳も付いている。 これで毛利たちの性格や人間関係が見えてくる。 史記や古今和歌集などもあり元就は経営能力ばかりか歌や画・茶・能などを嗜んでいて武士の鏡のようだ。 毛利博物館の存在も初めて知った。 戦国大名の総合力が表れている展示構成である。 しかしちょっと持ち上げ過ぎではないのか? 目玉は「山水長巻」である。 出足の春はいいが、しかし冬に近づくと建物の壁ばかりが目立ち単調になる。 雪舟も途中で飽きてしまったようだ。 宗達や探幽、応挙、芳崖も一点だけなので記憶に残る。 このように広く浅い展示もたまにはよい。 この赤坂の外れに長州藩毛利家屋敷があったそうだが当時は二千名も常駐していたとは驚きである。 帰りに檜町公園を歩いたが防衛庁のため近づかなかったせいかこの一帯は都心部でも記憶の少ない場所の一つである。 *館サイト、 http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2012_02/

■アンリ・ル・シダネル展

■損保ジャパンン東郷青児美術館,2012.4.14-7.1 ■初めて聞く画家です。 「悪くはないが・・」という感じです。 こんな感じですから多分知らない人が多いはずです。 点描画を崩したようなタッチも見うけられます。 水分が多く湿って重たい感じがします。 穏やかな人生を過ごしたらしく思想を前面に打ち出しません。 エタプル時代に受けた象徴主義も影響しているようです。 アンティミスムです。 ですから印象派への拘りや描かれた多くの窓明かりも「光の帝国」のような緊張感はありません。 晩年に描いた一連の不在の食卓が一番です。 人のいないテーブル上のポットやカップは人の気配を感じさせます。 運河や建物の風景とテーブルや椅子と見えない人との関係が微かに漂っています。 「悪くはないじゃん・・」。 *美術館、 https://www.sompo-museum.org/exhibitions/past/2012/  

■KATAGAMISTYLE

■三菱一号館美術館、2012.4.6-5.27 ■ http://katagami.exhn.jp/ ■ビデオ「江戸小紋記録」を見て型紙の作り方が分かったわ。 道具や作業は言葉で表現し難いからよ。 現代商品への適用はもっと詳しくしりたかった。 ルイ・ヴィトンなどのデザインとの関係やコンピュータシステムとの繋がりもね。 展示は国別に章が分かれていて目新しかったけど隅々まで日本の型紙の浸透が強調しすぎていてしつこい感じがしたわ。 「世界が恋した」とはズレた雰囲気を感じるわよ。 ところで日本の型紙史から見て生活用品にもっと素敵なデザインがたくさんあってもよさそうにみえるけど何故少ないのかしら? ヨーロッパのブランド・デザインなど容易に越えられそうだけど。 結局はマーケティングなどの経営全般に差があるのかしら? 

■ONEPIECE展

■森アーツセンターギャラリー、2012.3.20-6.17 ■ http://onepiece-ten.com/ ■小学生高学年が読者だとおもっていた。 しかし会場は大学生前後が多い。 冒険と仲間がテーマだから読者層が広いようだ。展示は原画が大部分だ。 色付きは素晴らしい。 茶色系が多く暖かみがある。 近年の画は背景に沢山の物が描かれているので長くみていても飽きない。 最初のシアタービデオは白黒だが立体感もあり冒険の楽しさが表現されていて一番面白かった。 これ以外はたいしたことはない。 静かさのある会場である。 原画の展示が多すぎるからだ。 物足りない客も多いはずだ。 しかし物語にどっぷりと浸かっている愛読者なら脳味噌はシンバルが鳴りっぱなしかもしれない。 好みが分かれる展示構成である。

■ボストン美術館・日本美術の至宝

■東京国立博物館・平成館,2012.3.20-6.10 ■浮世絵が出品されていないのは「浮世絵名作展」を去年開催したからでしょうか? 2年前の森アーツセンター「西洋絵画の巨匠」展は素晴らしかった記憶があります。 質と量の伴う展示が多いボストンに、圧倒され通しです。 絵画以外特に着物を多く出品できるのも底力が有る証拠です。 そして今回、「蕭白といえばボストン」の言葉を初めて理解できました。  「雲龍図」の口の周りの髭だとか爪の回りの毛の描き方は漫画のルーツに出会ったようです。 「吉備大臣入唐絵巻」は空間と時間の空白が生かされていて面白いですね。 これも漫画です。 ぎっしり詰まった「平治物語絵巻」よりホンワカした気持ち良さがあります。 気に入ったのは土佐光起の「王昭君図」。 親しみさが有り顔も最高です。 そして快慶の「弥勒菩薩立像」。 どこか人間の思いを持っている顔です。 光琳の「松島図屏風」は期待していたのですがイマイチでした。 光琳には大事な何かが不足しています。 若冲を含め漫画的要素の濃い作品が多いですね。 フェノロサやビゲローは漫画を楽しむノリで作品を収集したのかもしれません。 二人が戦後の日本漫画をみれば平安時代からの日本文化の痕跡がちりばめられていると言うでしょう。  *東京国立博物館140周年展 *館サイト、 https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1416

■ハダカから被服へ

■原美術館,2012.3.31-7.1 ■桜吹雪の中を御殿山に登る。 最初の部屋には鏑木清方風の「千人針」、ダゴティの「女性背筋図」などがロラン・バルト並の解説とともに飾ってある。 展示会名も文学的である。 これは期待できそうだ! ・・しかしその後が続かなかった。 原始人や歴史人物の解説が月並で作品を錆びつかせている。 現代ファッションも同じである。 この文学的テーマをまったく消化できていない。 今回は具体的言語的すぎた感がある。 バルト好きの杉本博司でも息切れのようだ。 またこの館は私邸だったため展示が難しい。 廊下も狭いし部屋も狭い。 朝香宮邸に漂っている部屋のリズムも無い。 解決するためにレストランを無くすのも一案だが。 作品数の制約から毛色の違うアルミニウムや能装束を省くと分かりやすくなったろう。 *館サイト、 https://www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/332/

■はじまりの記憶

■監督:中村祐子,出演:杉本博司 ■イメージフォーラム,2012.3.31-6.22(2011年作) ■「劇場」の杉本博司の姿を初めて映像で見る。 彼の要をわかりやすく丁寧に紹介している素晴らしいドキュメンタリだ。 杉本博司は芸術家にはみえない。 事物への思いや接近方法が周囲によく居るオジサンと同じだからである。 時を忘れて顕微鏡で生物を望遠鏡で天体をみる時のワクワク感を持ちながら緻密な計画を立て感性を研ぎ澄ませて対象に向かう仕事人である。 思いは無機物から有機物が発生する過去へ遡る。 作品はすべてこれに集約していく。 神は無機物から有機物に転換する<気配がある>時に現れる。 剥製が生き物に変わる「ジオラマ」や「肖像」も、そして「海景」や「放電」もこの気配を持っている。 彼の作品に感動する理由がここにある。  この気配に感動するのだ。  生物は40億年前の無機物から生まれた始まりの記憶を持っている。 そして人はこの微かな記憶に思いを寄せる。 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/57734/

■ロベール・ドアノー

■東京都写真美術館,2012.3.24-5.13 ■「牛乳を買いに行く子供たち」でブレッソンの「ムフタール街」を思い出してしまったの。 戦争という特異点の中では差別化ができないのよ。 だから同じにみえてしまう。 レジスタンス時代の偽造パスポートを作品としてズラっと並べるしかないわね。 内気な性格の為か初期作品には対象との間に微妙に震える空間が漂っている。 これが戦争終結前後の作品を生き生きとさせているのね。 特に二人が収まっているポートレートは面白いわ。 でも撮影場所を友人が探してくるのも写真家としてどうなのかしら? 55年後半以降の作品はツマラナイ。 「パリ祭」も祝祭の異空間が見えなくなっている。 80年代のパリ地区を撮影したのも公務員の仕事だとして責任を転化しているのは情けないわね。 *美術館、 http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-1545.html

■新しき土

■監督・脚本:アーノルド・ファンク,伊丹万作,出演:原節子,小林勇,早川雪洲ほか ■東京都写真美術館,2012.4.7-30 ■日本の荒々しい自然が画面から流れ出てくるようだわ。 それが物語の中にもこれでもか!と入ってくるからキツイ。 でも火山撮影の凄さを見ると世界中でヒットしたのもわかる気がする。 原節子は若い。 16歳という年齢以外でもね。 チラシが原節子オンリーだったから恵比寿まで出向いたんだけど。 これからという感じね。 それと当時の風景がたくさん撮影されていて面白い。 鉄工所や繊維工場、繁華街・帝国ホテル・飲み屋・国技館、そして全国の有名観光地・・。 商品名が書かれているネオンや提灯もね。  新しき土とは何かが終幕にわかったの。 それは満州よ。 作品が作られた1937年は日中戦争の幕開け、しかも監督はナチスから逃げられない。 戦後の原節子しか知らなかったけど初めて戦時の作品に出会えたのが収穫ね。 *作品サイト、 http://www.hara-eiga.com/

■ひっくりかえる展

■ワタリウム美術館,2012.4.1-7.8 ■ヴィデオが11台くらいあったかしら。 チン↑ポムが半分を占めているわ。 なぜ「ひっくりかえる」かわかったの。 それは「スーパーラット」のネズミ狩の場面でエリイがネズミを見てキャーキャー叫んでいるの。 精神的には完全にひっくり返っていたからよ。 「BLACK OF DEATH」はカラスの声を拡声させて車で走るんだけど国会議事堂周辺にいる沢山のカラスが車に集まってくるの。 ヒッチコクの「鳥」のようね。 この鼠と烏の作品が一番面白かったわ。 都会でも狩ができるなんて考えてもみなかったからよ。 でも過激なVOINAや写真のJR、そして福島原発の作品も衝撃力は無いわ。 同じようなパフォーマンスを見せられると観客も慣れてしまうのかもしれない。 鼠や烏は遺伝子を共有する同士ではなくて種が違う理解不能な他者だから面白いのよ。 *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1204hikkuri/index2.html

■レオナルド・ダ・ヴィンチ-美の理想-

■監修:アレッサンドロ・ヴェッツオージ ■Bunkamura・ザミュージアム,2012.3.31-6.10 ■「ほつれ髪の女」はいいですね。 髪の先にまで異様な生命が宿っているようです。 ダ・ヴィンチ好みの顔です。 しかし展示目玉が他に無いせいか宣伝のし過ぎにみえます。 同じ系譜の「岩窟の聖母」「レダと白鳥」が展示されていました。 ついでですからこの顔をテーマにしてもっと突っ込んでも面白かったかもしれません。 ところで「レダと白鳥」に会えて幸せです。 足のまわりの花や虫、鳥もジックリみてきました。 ダ・ヴィンチの入門書をそのまま会場に広げたような展示会でした。 たくさんの「モナ・リザ」は春休み用ですね。 この6階で映画「 レオナルド・ダ・ヴィンチ展inシアタ 」も上映しています。 館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_davinci/index.html

■セザンヌ-パリとプロヴァンス-

■国立新美術館,2012.3.28-6.11 ■初めて見知ることばかりだ。 セザンヌの故郷がプロヴァンスだったこと、父親が裕福だったこと、彼と自然の有機的な結びつきがとても濃いこと、初期作品を初めて観ること、などなど。 「四季」がセザンヌの作品だとは信じられない。 人物画と静物画の部屋ではみる喜びが押し寄せてくる。 「赤い肘掛け椅子のセザンヌ婦人」は素晴らしい。 これは人物画と静物画が融合しているようだ。 服や椅子はもはや静物画である。 スカートの襞を見ていると目眩がおそってくる。 ところで「サン・ヴィクトワール山」はいいとは思えない。 その理由がわかった。 山の多くは晩年の作品だからだ。 晩年の絵は感動が少ない。 これはすべての画家にいえる。 ともかく6月まで開催しているからあと数回は行ってもよい。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2012/cezanne2012/

■ユベール・ロベール-時間の庭-

■国立西洋美術館,2012.3.6-5.20 ■若かった頃のイタリアが一杯詰まっている人生なのね、ロベールは。 歳をとってからイタリアを思い出す時、そこに彼の青春がピッタリと張り付いているから結局は彼は歳を取れないのよ。 だからいつまでもイタリアから戻った時のままなの。  廃墟や洞窟が暗く重く迫ってくるのかと胸をドキドキさせて上野へ向かったけど明るさと軽さが思っていた以上ね。 それは茶色のサンギーヌの為よ。 ピラネージやサン=ノンのエッチングの黒とは逆だし、そして油絵も水彩画のような質感のある薄味だから。 時の市民生活も描かれていて今でいう近未来絵画にもみえてしまう。 出口近くの「アポロンの水浴の木立」は現実と空想がごちゃまぜね。 でも革命へ向かう時代に彼のアルカディアが当時の人々の共感を得たのもわかる気がする。 *美術館、 https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/past/2012_231.html

■フェリーチェ・ベアトの東洋

■東京都写真美術館 ■建物の壁の文様に目が釘付けになります。 写されている細かな部分まで当時の時間を持ったまま止まっているようです。 二昔前の1860年代のインドや中国は微かな懐かしさもあります。 20世紀後半に日本人がインドや中国へ旅行した時、そこでみたのは19世紀の建物でした。 残念ですがソビエト崩壊前後にその19世紀の風景は取り壊されてしまい今は見ることができません。 香港や江戸のパノラマ写真はやはり圧巻です。 視野の広さ=量が質に転化するからでしょう。 そして朝鮮とビルマへ彼は足を延ばしています。 これでアジアの全てを俯瞰できたはずです。 今のマンダレー王宮などはハリボテの建物しか残っていません。 ベアトの写真をまとめて観たのは今回が初めてです。 やはり量が質に転化するだけの作品量を観る必要があると確信した展示会でした。 *館サイト、 http://syabi.com/upload/3/1538/beato.pdf

■幻のモダニスト堀野正雄の世界

■東京都写真美術館 ■初めて聞く写真家です。 入場した途端イエーツやチェーホフ、石井漠や崔承喜でこれはいけると感じました。 実験写真は船や橋などの鉄を対象にしています。 ロシア構成主義の躍動感はありませんが、工業生産物への関心度や存在表現は十分です。 雑誌「犯罪科学」に掲載された写真群は生活の奥へ直進していきます。 「玉川ベリ」は多摩川を散歩する人々→河原の砂利採取で働く人々→人々は内地人(日本人)だが多くは鮮人→1日30銭の日雇い→河原のバラックで生活している様子。釘付けです。 しかし1930年中頃から体制側へ与していきます。 アサヒグラフの表紙を飾った「姑娘の鉄道警務手」「盛装の蒙古婦人」は社会の面白い断片を掬い上げています。 30年代の風景を他写真家と違う分節化をした堀野の作品は印象的でした。 *館チラシ、 http://syabi.com/upload/3/1540/horino.pdf

■フェルメール光の王国展

■フェルメール・センター銀座 ■入場した途端違和感が襲った。 どれも赤みがかった絵にみえたから。 表面は版画のようだ。 多くは本物を見ていないのでなんともいえないが。 慣れてくるといつものフェルメールのようにみえてきた。 気に入った作品は「デルフト眺望」「フルートを持つ女」「ヴァージナルの前に立つ女」の3点。 桃色の雲と輝きのある屋根がいい。 平面から立体へ動く小作品がいい。 窓と人物と壁絵の下手な距離感が現代的でいい。 しかし37作品もみるとゲップが出る。 「RE-CREATE」は複製でもなければ模倣でもない。 画家が描いた時点を再現するのが目的のようだ。 つまり350年前の絵を現前させることにある。 これを再創作と言っている。 これが商売になる時代に入ったことのほうが興味がでる。 フロアガイドになんと館長福岡伸一の部屋がある! 彼とフェルメールの関係がよくわからない。 フェルメールに関しての本も書いているようだ、読む気はしないが。 それより「動的平衡」の次作が置いてあった。 こちらは早く読みたいものだ。 *館サイト、 http://www.vermeer-center-ginza.com/

■ピーター・ブルックとシェイクスピア  ■つかこうへいの70年代展  ■日活向島と新派映画の時代展

■早稲田大学演劇博物館,2011.11.3-12.3.25 ■企画展と聞いて行ったのですがガッカリです。 シェイクスピア常設展に数十枚の写真とパンフレットそして過去の新聞評を飾っただけですから。 3月に埼玉で上演する「魔笛」の一部をビデオ上映していました。 いつもながらのシンプルな舞台です。 「つかこうへいの70年代展」「日活向島と新派映画の時代展」も同時開催です。 つかこうへいは「蒲田行進曲」しか観ていないのでどうも興味がわきません。 大掛かりな企画展と言えるのは日活だけです。 この展示で日活の知識がだいぶ増えました。 松竹より8年も早く1912年(大正元年)に創立して新派の俳優で映画を撮ったのは驚きです。 新派や新劇との関係が深いのでこの館での開催になったようです。 きょうはピーター・ブルックが日活映画に替わってしまいました。 *館サイト、 http://www.waseda.jp/enpaku/ex/1206/ 、 http://www.waseda.jp/enpaku/ex/1167/ 、 http://www.waseda.jp/enpaku/ex/1285/

■重森三玲展-北斗七星の庭-

■ワタリウム美術館,2011.12.4-12.3.25 ■東福寺方丈庭園の原寸大?模型が二点あったがとても窮屈な展示だ。 この狭い館では諦めるしかない。 インタビュや約20の庭園紹介を7,8台のビデオで上映している。 三玲は職人のような顔つき、体格である。 ミケランジェロのようだ。 石を扱うとこのような身体になるのか? 「石を自然から切り離せ」、「古典を再現してはいけない」、「力強くなければ面白くない」と彼は言っている。 作品はこれらの困難をクリアしているからさすがである。 襖や天袋・地袋、掛軸なども作っているが石のノリである。 こちらは好みが分かれるだろう。 庭園ビデオを観ているとズッシリと疲れる。 これも石のせいだ。 イサム・ノグチも登場していたが、彼くらいのデカイ体格でないと並の観客は石の重さに耐え切れないだろう。 *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1111shigemori/index2.html

■ジャクソン・ポロック展

■東京国立近代美術館 ■酒の飲み過ぎで面倒くさくなった。 これでポーリング技法を始めたようにみえるわ。 ドリッピングもスパタリングもその延長ね。 頭を使うオールオーヴァだけはなんとか維持していた。 これが機能していたから作品として成り立っていたのよ。 しかしブラック・ポーリングに向かった時に何故かオールオーヴァを捨ててしまった。 だから後は転げ落ちるだけね。 1945年にクラスナーと結婚してイースト・ハンプトンに農家を買った頃が彼の一番幸せな時だわ。 そして飲酒運転での44歳の事故死は既に決められていたような悲劇だった。 彼は一瞬の間、時代と共に走った。 自身ではどうすることが出来無くても時代が引っ張ってくれる時ってあるのよね。 *館サイト、 http://www.momat.go.jp/Honkan/jackson_pollock_2012/index.html

■都の遊び・王朝の美

■そごう美術館,2012.2.4-3.20 ■パート2が5月から開催されるようです。 これで?会場の大きさから比して作品はスカスカでした。 細見美術館を初めて知りました。 有名画家も多いのですが作品は小物です。 源順、本阿弥光悦、俵屋宗達、鈴木其一、酒井抱一、伊藤若冲など々。 京都の文化・風俗絵が多くていいですね。 京都に根付いた美術館にみえましたが(?)。 京都住民なら散歩がてらにちょっと立ち寄って、しかも何回も通って、観るのに適した作品群です。 風俗屏風があるので人物を見るには単眼鏡が必要です。 次回のパート2と合わせて一つの展示会にしようと考えているようです。 パート2の方が素晴らしい作品が多いのでは?という期待を持たせる構成になっています。 物理的に可能ならば一回で終わらせても良いはずですが、多々理由もあるのでしょう。 *京都細見美術館所蔵Part1 *美術館、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/12/0204_hosomipart1/

■北京故宮博物院200選

■東京国立博物館・平成館 ■「清明上河図」を諦めても混んでる。 音声ガイドを利用した24作品はしっかりと観てきた。 これ以外も盛りだくさんのため13時に入場したが結局は閉館時刻まで居てしまった。 第一部の「故宮博物院の至宝」は文句の付けようがないが、第二部の「清朝宮廷文化の精粋」も面白かった。 出品されていた辞典を見て満州語の翻訳に数集類の言語が載っているのをみるとあらためて多民族国家だと再確認できる。 音声ガイドやキャプションではチベット仏教を含め「多文化の共生」「周辺国との交流」など友好の言葉で溢れていた。 現代政治と絡めたくない中国政府からの要請も強くあったのだろう。 これを除いても故宮博作品の広さと深さには満足である。 *展示会サイト、 http://www.kokyu200.jp/

■イ・ブル展

■森美術館,2012.2.4-5.27 ■描画の線はとても力強くて確信に満ちてるの。 手塚治虫の線ね。 だからグローバル化にも対応できるのかもしれない。 でもこれは沢山の試行錯誤の結果から出てきていることがマーケットプロセスでわかったの。 「嘔吐する犬」の試行版が十数体も置いてあるのをみると犬と嘔吐の関係の凄さが伝わってくるし、白い山と黒い天池の「百頭山」は南北分断の歴史が疼いてくるの。 彼女は努力家で、天才肌ではない。 だから試行錯誤の重みが作品からみえる。 でも綺麗すぎるのが欠点ね。 嘔吐として捨てられたものをいかに作品に戻すかでイ・ブルの未来が見えてくるわ。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/leebul/index.html

■今和次郎採集講義展-時代のスケッチ、人のコレクション-

■汐留ミュージアム,2012.1.14-3.25 ■「自身を見つめ直し豊かな生活をつくりだす為の真の創造をおこなうことが芸術である」。 住居・衣服を中心テーマにして総合的な生活学を構築した今和次郎は言っています。 関東大震災で倒壊後のバラックを対象に「バラック装飾社」を創設したり、「考現学」と称しての風俗調査はアッと驚き!です。 「井の頭公園自殺者地図」、「学生食堂の茶碗の割れ具合」、「オシメの文様採集」・・など々。 また19世紀末のロンドン、ニューヨークで登場したセツルメント運動であるソーシャルワークにも建築を通して接近していて活動の広さも桁違いです。 40年間をジャンパーで通したそうですが金正日の姿を思い出してしまいました。 今は 石子順造 の大先輩にみえます。 今は生活の表側、石子は生活の裏側を歩いた違いがありそうです。 両者が合わさって日常生活に真の深みとコクの芸術性が出るのではないかとおもいます。  *美術館、 https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/12/120114/index.html

■石子順造的世界-美術発・漫画経由・キッチュ行-

■府中市立美術館,2011.12.10-12.2.26 ■彼の仲間というか同志の作品が展示されています。 赤瀬川原平が展示会タイトルを書いていますから顔ぶれが想像できます。 池田龍雄、中村宏、横尾忠則、中西夏之、高松次郎・・。 白土三平、水木しげる、林静一・・。  つげ義春の「ねじ式」全原画が展示されていたので久しぶりにジックリと再読しました。 昔のマッチ箱を並べて見ると日常生活の美が表現されていて納得します。 銭湯の富士山のペンキ絵も生活の中の壮大な風景ですね。  「毒にも薬にもならないものが価値や意味を持つわけがない」。 「絵をみるという約束事から解放したい」。 過激な言葉が次々登場しますが、美術→漫画→キッチュへと感心が移動したのは美術も漫画も体制に組み込まれていってしまったからでしょうか?  評論家の展示会でしたが現代との繋がりがよく見えませんでした。 既に50年経つのですから総括の章があってもよかったはずです。 どちらにしろ絵を前にしての約束事から解放しようとするパワーは沢山貰って来ました。  *館サイト、 https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/ishiko.html

■DOMANI・明日展

■国立新美術館,2012.1.14-2.12 ■未来を担う美術家たち8人の作品展である。 塩谷亮の写実絵画の何枚かが気に入る。 「朝の情景」は位置関係から来るのか観ていて目眩がする作品である。 津田睦美は19世紀末からのニューカレドニアへのニッケル採掘の日系移民をテーマにしているが初めて知った。 スライドショー「ニューカレドニアの日本人」(9分)が上映されていたが、写真の持っている情報量の質と量に納得。 当時の風景が蘇ってくる。 阿部護の工事現場から持ってきたような鉄のドラム缶やコイル巻は置いてあるだけだが計算され尽くしているように見える作品である。 児嶋サコのネズミは人間と同じ哺乳類を意識した絵だ。 ・・・。 感動するような作品は無かったが、未来を担ってくれるとは心強い。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2011/domani2011/

■野田裕示展ー絵画のかたち/絵画の姿ー

■国立新美術館,2012.1.18-4.2 ■色・形・塗などが物質的・触覚的それが有機的にまとまっていて調和ある詩のようだ。 灰・紫・赤そして鶯、どれも落ち着いた色で静かな感動が押し寄せてくる。 作成中のビデオを見ると塗りとグラインダーで削る繰り返しでこの色を出しているのがわかった。 評論家の解説もところどころに掲示してある。 この道で飯を食っている人たちはカンバスの凹凸がとても気にかかるようだ。 この展の為に作成した「WORK1766 」について綿布の厚さを意識しての遠近表現を作者も話していた。 しかし並みの観客にはこの程度のカンバスの凹凸を論じるのはつまらない。 そしてこのような些細なところでループをしてしまい作品に停滞感も出てきている。 次への一歩を進める時だ。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2011/noda/index.html

■長谷川豪展ースタディとリアルー

■TOTOギャラリー間,2012.1.14-3.24 ■会場屋上に石巻市幼稚園に寄贈する建築作品が展示されているの。 大部分の展示物は終わったら壊してしまう。 これはもったいない。 だから出展作=本物だと作者も観客も本気が出るということね。 でも幼児はこの建物で遊ぶかしら? 自分の幼児時代を一生懸命思い出したけど疑問符がつきそう。 階段のある垂直より穴蔵のような水平のものが良くない? ともかく園児の行動が楽しみだわ。 個々の住宅は壁・窓・階段どれもすっきりズレていて気持ちがいいわ。 このような建物に住んでみたいものね。 想定外の体感が得られるとおもうの。 楽しそうだけど住む家族の関係を言葉で解決しようとしているようにもみえてしまう。 肉体が持っているドロドロしたところを発散できない建物のようだけど・・。 考えぬかれていてしかもシンプルだけど見れば見るほど難しい建物だわ。 ともかく一度住んでみないと分からないのが今回の結論ね。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex120114/index.htm

■三代山田常山ー人間国宝、その陶芸と心ー

■出光美術館,2012.1.17-2.19 ■急須はどの家にもあるから親しみが湧く。 展示の急須はしかしどれも小さい。 材料が紫泥でできているのはミルクチョコレート、烏泥はブラックチョコレートで出来ているようにみえる。 だから茶を入れた後、急須も茶碗も食べてしまいたいようだ。 朱泥の急須は竹の取っ手が似合う。 蓋と本体が別材料の蓋黒は現代的だ。 注ぎ口・把手の付け根が指で押した後の急須は面白い。 南瓜型はずんぐりしていて暖かみがある。 常滑自然釉の鎌倉形は武士のようだ。 ところで初代、二代の作品はひとつも出品されていない。 三代と比較をしたかった。 急須で人間国宝になれるとは茶の文化もたいしたものだ。 *館サイト、  http://idemitsu-museum.or.jp/exhibition/past/

■ルドンとその周辺-夢見る世紀末ー

■三菱一号館美術館,2012.1.17-3.4 ■岐阜県美術館はルドンをこんなにも所蔵していたんですね。 「ルドンの黒」の多くはどこかで観た記憶がありますが、1860年代の作品は初めてです。 この頃の木々や馬・人物の肩が広く角ばった線は青年時代の頼もしさを持っていますね。 「色彩のルドン」の最初の頃はさっぱりした孤独感がありますね。 「騎馬兵の戦い」など何枚かの明るい茶と水色もそうです。 次にはルドンと影響し合った画家が展示されています。 モローはわかりますがゴーギャンも関係しているとは知りませんでした。 この中でマックス・リンガーの「手袋」は面白かったです。 ローラースケートをしている絵は特にです。 目玉の「グラン・ブーケ」ですが大きくてビックリです。 しかしこの展示でルドンの多くを知ってしまい神秘性がなくなったのは悲しいですね。 *館資料、 http://mimt.jp/exhibition/pdf/outline_redon2012.pdf

■日本赤十字社所蔵アート展ー東日本大震災チャリティー企画ー

■損保ジャパン東郷青児美術館,2012.1.7-2.19 ■展示は赤十字の歴史、戦前の所蔵品、寄贈された所蔵品で構成されている。 今回は全所蔵100点のうち50点が対象である はじめに赤十字社の歴史と関連作品が簡素にまとめられている。 ソルフェリーノのアンリー・デュナンが日本では西南戦争の博愛社に該当していることが述べられている。 戰前の所蔵品では藤田嗣治の「佛印メコンの廣野」がいい。 所蔵の大部分は寄贈によるものらしい。 有名画家も多い。 多くが小粒の作品であるがどれも落ち着きがある。 気に入ったのは鈴木信太郎「椅子にのる人形」、荻須高徳「僧院の回廊」、結城天童「爛漫」、常磐大空「長安の女」などなど。 初めての絵なので楽しく観られた。  *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/past/345.html

■ジャン=ミシェル・オトニエル:マイウェイ

■原美術館,2012.1.7-3.11 ■オトニエルのガラス玉って、日常風景に黒光りする「黒は美しい」さえも、違和感なく親しみを持って溶けこむのね。 勾玉や濃いオレンジや緑色の作品は少しドギツイけど温かみのある硬さを持っている。 まるで赤道直下の植物ね。  でも硫黄や樹脂・鉛を素材とした作品はガラスとは違う。 「ルアー」の黄色い手も手に持つ物も苦悩がみえる異様さだわ。 90年前半の硫黄や蜜蝋のオドロオドロしい作品から、90年後半からのガラスの澄み切った世界への作者の変身は興味を持ってしまう。 それは硫黄もガラスも素材に込められた作者の人生への思いが伝わってくるようだから。 パリ・ポンピドーの回顧展が盛況だったのも肯けるわね。  *館サイト、 http://www.art-it.asia/u/HaraMuseum/D8nwcuiqgZWMBTAmsvEx/

■後藤純男展

■そごう美術館,2012.1.2-1.25 ■雪は水分を含んでいてとても重たい。 桜や紅葉も、明るい色はみな重たさがある。 気持ちも重たくなる感じだ。 脂が乗ってくる直前1970年代の黒緑に金色の「万鐘宝生」や「残照」は締まりのあるいい絵である。 これが一皮剥けて金色がより映える「旭光禁止城」や「鹿苑寺庭園」の鮮やかな緑に変化する頃までは作者の脳味噌も冴えわたっている感じだ。 遡るが60年代の北海道の岩山や滝、木々はしっかりと組み立てた抽象画をみているようである。 雪を描いたデレッとした締まりのない後半の絵からみると想像できない。 晩年の夕日が充満している中国農村の建物は楽しく描いているのがわかる。 起伏のある画家にみえるが画業60年だと揺れはあたりまえかもしれない。 * 後藤純男美術館開館15周年記念 *館サイト、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/12/0102_goto/index.html

■松井冬子展ー世界中の子と友達になれるー

■横浜美術館,2011.12.17-3.18 ■キャプションの説明は凝り過ぎていて作品より作者の補足のようである。 作者は精神疾患の世界に深入りしているのか? 「世界中の子と友達になれる」を信じたことにより現実世界へ進めなかったのがこの世界だ。 「体の捨て場所」から後半は肉体が善悪の根源だと遠回しに言っているようにみえる。 しかも子宮を持つ者の強さを絡めているのでより複雑だ。 「九相図」は鎌倉時代から、そして「無傷の標本」は1億年前から続いている生き物の定めである。 気に入った作品は上記の3点だが、「世界中の子と友達になれる」は会場入口にあった2004年版のほうが衝撃があった。 しかし作品に漂う言葉や意味を探らなければならない観方を強いるのは疲れる。 さらに解説が輪を掛けていたから余計だ。 *展示会サイト、 https://yokohama.art.museum/special/2011/matsuifuyuko/outline.html