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■BODY/PLAY/POLITICS-カラダが語り出す、世界の隠された物語-

■横浜美術館,2016.10.1-12.14 ■映像作品と聞いていたので余裕を持って行きました。 でも作品数が少なかったので館内滞在は2時間くらいでしたね。 これならそごう美術館も回れる。 作家6人が登場します。 インカ・ショニバレ「さようなら、過ぎ去った日々よ」は椿姫の一場面を歌いますがアフリカとヨーロッパの関係を歌唱・衣装・建築に求めているようです。 植民地時代を想像させますが椿姫との関連がよくわからない。 イー・イラン「曇り空でも私の心は晴れ模様」はマレーシアの伝統幽霊ポンティアナックに扮した女性7人が日常生活を語り社会を批判します。 アピチャッポン・ウィラセタクンは火を使った作品で昔からのタイ国政治変動の激しさを表現しているようです。 ウダム・チャン・グエンはホーチミン市内でバイクを走らせてのパフォーマンス映像ですが一番面白かった。 黒山のようなバイクが走るホーチミン市ならではの作品です。 活気が伝わってきます。 石川竜一のポートレイトもなかなかいいですね。 人々はカメラを意識していますがそれを越えた素直な人生が表れています。 田村友一郎の「裏切りの海」はビリヤードテーブル3台とボディビルを連想する彫刻、安っぽいレストランテーブルや本棚そして旧式ラジオが置いてある室構成です。 1960年頃の薄暗いビリヤードホールの雰囲気がでていてその時代空間に浸ることができます。 「世界の隠された物語」を身体に感じます。 民話や芸能など語り伝えられた言葉が体を包み現在=政治と静かに向かい合っている。 観終わって展示会名が良く出来ていると思いました。 *館サイト、 http://yokohama.art.museum/special/2016/bodyplaypolitics/index.html ■横浜コレクション展、2016年度第2期 ■序でに観ました。 横浜の20世紀が一望できます。 「横浜の秘密はハマにあり」を今年5月NHK「ブラタモリ」で見たのですが港の地形変貌をこの番組で初めて知りました。 以後、横浜の写真や絵画を地理的に理解できるようになった。 さすがブラブラ歩きのタモリですね。  *館サイト、 http://yokohama.art.museum/exhibition/index/20161001-473.html

■西田俊英展、忘るるなゆめ

■そごう美術館,2016.10.18-11.13 ■「華鬘」(1983年)を目にしたとき山種美術館で出会ったことを思い出しました。 この作品は記憶に残っていた。 似た作品も2点ありましたが凝縮されていてどれも見応えがある。 存在より物の色と形のハーモニーを追求しています。 卒業制作の「回転木馬」(1977年)もいいですね。 緊張感があります。  しかし歳を追うごとに平凡さに覆われてきます。 それは人や動物が日常で覚える倦怠感と同じものです。 でも宗教の柔らかさを持っている。 時々生き返る作品もある。 彼も認めています。 それはキャプションに年齢が入っているからです。 彼は年齢に拘っている。 過去に目が向いているのでしょう。 *館サイト、 http://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/16/nishidashunei/index.html

■朝井閑右衛門展、空想の饗宴

■練馬区立美術館,2016.9.18-11.13 ■1901年生まれの朝井は20世紀人間である。 1983年に亡くなっている。 1930年前後の風景画や「東京十二景」(1935年)の頃は描く素直さが出ている。 「丘の上」前後から他者を意識し始める。 「ロリルの踊り」を含め道化をみれば分かる。 次に「画家像」を印象派、「ギタリスト」にピカソを取り込むしかない。 戦中の「蘇州風景」(1941年)は再び素直さが戻る。 このとき野人画家を進もうと決めたのだろう。 戦後、「電線風景」から厚塗りになっていく。 「電線風景」は謎である。 精神的揺らぎがあったのか? 1950年代、周囲にいる文学者の影響が強くなり又子供時代の記憶も甦ってきたようだ。 日本回帰に繋がる。 終章のアトリエは人生の形を整えようとしている風景である。 初期や戦中の素直な作品が気に入った。 *館サイト、 https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=m10327

■カリエール展、セピア色の想い

■損保ジャパン日本興亜美術館,2016.9.10-11.20 ■カリエールは聞いたことがあるようなないような、作品もみたようなみないような・・。 夢の中の人物や風景のようで覚えていないのかもしれない。 フランスでも忘れられた画家と言われたらしい。 2006年の西洋美術館「 ロダンとカリエール展 」は見逃している。 褐色の朧気な作品の前で想像着色しながら見ているとなかなかいい。 文学も強く影響しているのか? 人物画をみているとそう感じるときがある。 サロンへの出展、画塾の創設、美術団体の設立など結構精力的にこなしたようだ。 50代での病死は早すぎる。 *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/current/4196.html

■ダリ展

■国立新美術館,2016.9.14-12.12 ■ふだん見ることのない初期と晩年の作品が会場を厚く熱くさせているわね。 入口近くに並んでいた作品「巻髪の少女」「少女の後ろ姿」はダリの核心が描かれていると直感したの。 あの青い空、女髪の匂い、・・後ろ姿。 男の意識は22歳前後に固定してその後は一生変わらないって言うじゃない。 彼はこの2枚から逃げられない。  「デスティーノ」は初めてだけどディズニー作品の真面目さがでている。 目が飛び出ている自画像はナイフで切られる「アンダルシアの犬」に繋がる。 それにしても晩年はゴチャマゼね。 これは彼が完璧と格闘していた証拠かもしれない。 ダリは海老とチーズが好きだったらしい。 作品によく登場していた目玉焼もきっとそう。 ダリ・エビ・チーズ・メダマヤキ。 うん、シュールな組み合わせだわ。 * 「世界が愛した芸術家ダリの超現実的な人生」「ダリ,科学を追い求めた生涯」(2015年) *展示会サイト、 http://salvador-dali.jp/

■ゴッホとゴーギャン展

■東京都美術館,2016.10.8-12.18 ■ゴーギャンよりゴッホが記憶に残る展示会です。 ゴッホは33歳の1886年にパリに移る。 「人生は30才からだ・・」。 彼に与えたパリの衝撃力が感じ取れる内容です。 それから4年後に亡くなる。 作品に時間の密度を感じます。 急いだ人生だったのですね。 時間の速さも感じます。 ゴーギャンとの共同生活は何故破綻したのでしょうか? ゴッホの精神異常が原因でしょうか? 共同成果はその後の作品にも表れていますが体系的な影響度がよくわからない。 二人をいっしょにするとややこしくなる。 相乗効果が薄いように感じます。 作品をみていろいろ想像してくれというような展示でしたが、初めての作品も多く満足度は十二分に有りました。 *「 ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち展 」(汐留ミュージアム,2015年) *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/h28_goghandgauguin.html

■デトロイト美術館展、大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち

■上野の森美術館,2016.10.7-2017.1.21 ■印象派と20世紀独仏絵画に絞っている。 日本人好みの展示会です。 画家30人が登場しますが知らない名前は5人だけでした。 都美術館で先ほど観てきたゴッホとゴーギャンも見応えのある3枚が展示されています。 20世紀ドイツ絵画は力強いので会場が引き締まりますね。 ところでリコーのインクジェットプリンタで描いたゴッホの「オワーズ川の岸辺」を販売していました。 絵具の盛り上がりまで再現されていて成るほど凄い。 分野が違いますが、これをみたらソニーの仮想現実プレステVRの体験会ヘ行きたくなってしまった。 *館サイト、 http://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=166