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8月, 2016の投稿を表示しています

■しりあがり寿の現代美術、回・転・展

■練馬区美術館,2016.7.3-9.4 ■しりあがり寿の名前は新聞連載「地球防衛家のヒトビト」を読んでいたから知っているの。 今回初めて本人の写真をみたけど鼻がトーサンに似ている。 あと「真夜中の弥次さん喜多さん」もね。 これ以外の漫画は10コマ程度の断片しか展示していなかったけど面白さが伝わってくる。 ここに新聞連載のできる理由が隠れている。 でも会場は漫画がテーマではないみたい。 ムム、やかんが回転している! 歴史も、達磨も、道場もすべてが回っている。 うーん、わからない。 でも、たのしい。 この展示をみて回転寿司が一番凄いことを再認識したわ。 *展示会サイト、 http://www.saruhage.com/kaiten/

■アルバレス・ブラボ写真展-メキシコ、静かなる光と時-  ■神話の森

■世田谷美術館,2016.7.2-8.28 ■「日々の生活と手持ちの素材をシンプルに活かす」とブラボは言っている。 しかし捨てたピクトリアリスムは最後まで引きずっている。 この二つが噛み合っていない。 彼は政治にも距離を取っているようだ。 「時代の肖像」ではシイケロス、カーロ、タマヨ、エイゼンシュテイン、トロツキ、ブルトンなど錚々たる顔ぶれが登場するがブラボとの関係が読めない。 時代の激動には興味が持てなかった。 結果として「メキシコ、静かなる光と時」に落ち着いてしまったのかもしれない。  ところでスマホを持ってから写真を撮る機会が増えた。 今では写真日記の位置付けである。 クラウドに自動アップロードされるから何もしない。 今日撮った中で不要なものを削除し気に入ったものに評価等を記入しておくだけである。 編集ソフトも良く出来ているし必要なら動画も撮る。 1年間に千枚以上は貯まるだろう。 スマホとPCは意味記憶からエピソード記憶の道具になり、写真に芸術の意味を求めることはもはや少ない。 このプログも写真を言葉化したようなものである。 *館サイト、 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html ■神話の森、美と神々の世界 ■世田谷美術館,2016.7.22-10.23 *館サイト、 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection.html

■スミルハン・ラディック展、BESTIARY寓話集

■ギャラリー・間,2016.7.8-9.10 ■展示最初の模型、黄と赤のテント「パフォーミング・アーツ・ホール」と中世風の建物「チリ・プレコロンビア芸術博物館」をみて、あっこれはイタリアだと直感しました。 後に続く10点近くの作品はレオナルド・ダ・ヴィンチを連想します。 建築と美術が絡み合って混沌としていますがしかっかりとした思想も感じます。 新しい何かが有るようですがよく分からない。 ビデオ「オレンジ・ノイズ」と「寓話集」を同時に観たが美術や演劇の話題も多い。 T・カントール「死の教室」も論じているが翻訳された日本語が理解できない。 困ったものです。 「よく描けた挿絵や模型には・・、対象物の記憶が充満している」。 そのように感じられる作品群でした。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex160708/index.htm

■東京ガーデンテラス紀尾井町

■建築主:西武プロパティーズ,設計:日建設計,施工:紀尾井タワ-は鹿島建設ほか,紀尾井レジデンスは西武建設ほか ■以前はメトロで赤坂に行くときは見附駅で乗り降りするしかなかった。 赤坂駅はまだ無かった。 見附からの赤坂プリンスホテルは見上げるように建っていた。 この赤プリ跡地に複合施設が7月に開業したということで散歩がてらに見学してきた。 新しい紀尾井タワーは外見だけでも使い易い建物にみえる。 赤プリは、都庁もそうだが丹下健三の高層建築は使い勝手が悪いらしい。 デザインに拘るからだろう。 特徴の無い新タワーは赤坂のランドマークにはならない。 正面はオフィス玄関が広く取られている。 5階から28階迄がオフィス、30階から36階がホテルである。 ヤフー本社が引っ越して既に入居しているようだ。 商業エリアであるテラスは弁慶堀に沿って並んでいるが店舗・通路どれも面白みはない。 堀に面する使い方も良くない。 土地が三角形でゆとりが無い為かもしれない。 裏に旧李王家東京邸が移設改修されクラッシク・ハウスとして建っている。 ここは庭を含め広々としている。 近くの議事堂や裁判所の影響が感じられ閑散としている。 この数年に建てられた複合施設(オフィス+ホテル+住居+店舗)に奇抜さは少なくなった。 セキュリティも厳しくなっている。 もはや日常風景に取り込まれてしまったと言ってよい。 ところで道向かいにあるニューオータニのコートからタワー、メインに連なるアーケードを時々歩くが旅館としての祝祭性がまだ残っているので嬉しくなる。 *ガーテンテラスサイト、 http://www.tgt-kioicho.jp/

■宇宙と芸術展

■森美術館,2016.7.30-2017.1.9 ■会場に入るといきなり曼荼羅である。 次第にエントロピーが増大していく。 作家や作品に統一感が無い為だ。 チームラボの「追われるカラス・・」も新鮮味が無い。 竹取物語の時代ならともかく芸術と宇宙が乖離しているのではないか? その宇宙も火星緑化計画や宇宙エレベータ、月面住居や宇宙服など目新しさが無い。 宇宙船内の実験映像をみていても何が目的なのか直ちに理解できない。 美術館と科学博物館の板挟みに悩んでいるようだ。 出口近くに7作品全60分の映像作品があったので上演まで待っていたが、最初の作品「FACING THE UNKNOWN」が始まると数分で9割の観客が席を立ってしまった(夕刻時間で観客は若者が多い)。 ブラックホールの話だが子供向けで面白くないからだろう。 会場入口は曼荼羅を並べているのに出口ではこのような映画から始めている。 上映順序をもっと考えてもよい。 夏休み企画だからしょうがないと言えばそれまでだが、観客の年齢や興味・行動などが考慮されていない展示にみえた。  *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/universe_art/

■レンブラント、リ・クリエイト展-時代を超えてよみがえる光と影-

■そごう美術館,2016.7.30-9.4 ■リ・クリエイトって生物学者福岡伸一が銀座で騒いでいた光の王国のことでしょ?*1 これとレンブラント・リサーチ・ブロジェクト(RRP)が結びついた経緯は知らない。 でも面白い出会いだわ。 200点もの複製画を観るとレンブラントが身体に染み付いてしまうわね。 途中疲れも出て来るし、早く出口に辿り着きたい! でもこの感覚は絵画の見方を変えるのかもしれない。 一人の画家を量で観ると何かが吹っ切れたようになる。 偽物だから近くに寄って嘗め回せるから余計そうなの。 観た後は身体が分かっているから言葉で論じなくなる。 一人の映画監督の作品のほぼ全てを観た時の吹っ切れ感と似ているわね。 *1、 「フェルメール光の王国展」(2012年) *館サイト、 http://www.re-create.gallery/rembrandt2016sogomuseum/

■メアリー・カサット展、印象派を代表する女性画家

■横浜美術館,2016.6.25-9.11 ■名前と数枚の作品は知っていたけど詳しくはない。 日本では35年ぶりの回顧展らしい。 この期間が日本での位置付けを物語るようね。 ドガの「踊りの稽古場」を目にした時カサットが彼に憧れた理由がわかる。 バレリーナの目標を持つ姿が構図と色に感じられるからよ。 1890年代が一番かな。 「夏の日」「果実をとろうとする子供」「家族」「母の愛撫」の頃よ。 この時期のドライポイントもいいわね。 それとアメリカの光と風のある作品に時々出会えるのが楽しい。 精神の強さもある。 「私は自立している、一人で生きていくことができる、仕事を愛しているから」。 1900年代になると優しさもみえてくる。 女性としてここまで活動できたのは自身の努力や家庭の裕福さもあるけど、やはりアメリカの黄金時代を背景に感じるわね。 *館サイト、 http://cassatt2016.jp/index.html

■ミケランジェロ展、ルネサンス建築の至宝

■汐留ミュージアム,2016.6.25-8.28 ■ミケランジェロは建築家だった。 副題の通りです。 この展示会を見る前までは彫刻家だと思っていました。 彼自身も言っています。 「画家ではない」と。 宿敵レオナルド絵画が持っている人間宗教世界を超えた生命宇宙観とは土俵が違うと考えていたのでは? 絵は仕事と割り切っていたのでは? 「システィーナ礼拝堂天井画を描いている自画像」で身体を酷使している文章は釘づけになります。 読み返してしまいました。 そして彫刻は墓を通して建築へと昇華していく。 重厚な中に切れ味のある、飽きのこない形や装飾の門や階段、天井には唸ってしまいます。 そこに彫刻が置かれると一心同体になります。 手紙などの筆跡や言葉でミケランジョロに近づけるのですが作品との関係は非連続です。 やはり素描や図面から感じ取るしかありません。 彼は彫刻を内包した建築家です。 *館サイト、 http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/16/160625/index.html