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5月, 2018の投稿を表示しています

■琳派-俵屋宗達から田中一光へ-

■山種美術館,2018.5.12-7.8 ■琳派と言えば俵屋宗達・尾形光琳・酒井抱一そして鈴木其一や神坂雪佳の名が浮かぶが、影響を受けた画家として速水御舟・菱田春草・福田平八郎・加山又造なども展示され、それを田中一光にまで延ばしています。 影響は計り知れないと言うことですね。 館所蔵展なので時々出会う作品が多い。 でもその日の心身状態で気に入る絵が毎回違ってくる。 今回は酒井抱一のちょっと物足りない空間が心地好く感じました。 俵屋宗達「槙楓図」はどこが修復されたのか分かりませんが、ズッシリとした錆びた落ち着きがあります。 いいですね。 田中一光のポスターは近代美術館所蔵で6枚ほど展示されています。 琳派展示会の宣伝ポスターにみえる。 田中は言っています。 「・・(琳派は)危険な世界である。 誘惑を持って迫って来る」。 誰もが誘惑されそうです。 *館サイト、 http://www.yamatane-museum.jp/exh/2018/rimpa.html

■内藤正敏-異界出現-  ■イントゥ・ザ・ピクチャーズ-TOPコレクションたのしむ、まなぶ-

■東京都写真美術館,2018.5.12-7.16 ■内藤正敏-異界出現- ■早川書房SFシリーズ表紙が内藤正敏の作品だと初めて知ったの。 そしてSFから民俗学に興味が移ったのは即身仏との出会らしい。 宇宙人は即身仏だったということね。 「婆バクハツ!」の婆たちの顔に人間世界で生きていく為のどうしようもない女の表情が、「遠野物語」の墓や神棚、写っている物々すべてに霊魂が取り憑いているように見える。 女と霊の近くて遠い関係が面白いわね。 白黒が続いた後の「出羽三山」のカラーは素晴らしい。 仏の唇の赤は衝撃的と言ってもよい。 即身仏の赤い布もね。 内藤正敏の色はヌラッとしているけど歯ごたえが在る。 生き物が浄化したような色にみえる。  *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3052.html ■イントゥ・ザ・ピクチャーズ-TOPコレクションたのしむ,学ぶ- ■キャプションがないと自由になれる。 作品に集中できるからよ。 そして気さくに対話もできる。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3050.html

■人間・高山辰雄展ー森羅万象への道-  ■それぞれのふたり、小堀四郎と村井正誠  ■追悼-船越直木

■世田谷美術館,2018.4.14-6.17他 ■人間・高山辰雄展-森羅万象への道- ■「小学校先輩福田平八郎の影響もある・・」。 小学生時代から行くべき方向を感じていたのはさすがです。 ゴーギャンの影響も興味がでます。 なるほど「室内」(1952年)を含め数点にそれがみえる。 でも程無く作品からは消えていく。 たぶん画家より人間ゴーギャンへの関心が強かったのでしょう。 1章「若き研鑽の日々(1930年ー45年)」、2章「ゴーギャンとの出会い(45年ー60年)」は試行錯誤の中にも自由の喜び楽しさが感じられます。 でも3章「人間精神の探求(1970年から90年前)」に入ると何か物足りなくなってくる。 探求を始めたら自由が遠くなってしまった? 人物画は余白が多いのですがそれが<空洞>を呼び寄せる。 世界と繋がっていかない孤独を感じるからでしょう。 そのため人物画は一人より二人、人数が多いほど安心感が持てます。 写真でチラッと展示されていた高野山金剛峰寺の屏風図は本物をみたかった。 対して静物画は最初から落ち着いています。 初期の「胡錦鳥のいる静物」(1963年)を含め「牡丹(阿蘭陀壺に)」(1989年)、「椿」(赤と白1992年)などが気に入りました。 *館サイト、 https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00188 ■それぞれのふたり,小堀四郎と村井正誠 ■二人は世田谷にアトリエを構えていたらしい。 でも交流は無かった。 具象と抽象の違いの面白さがあります。 小堀四郎の初期はコローや印象派の影響があり、頬杖を突く存在ある人物像も多い。 次第に宗教を感じさせる山々や空や星を描いていくようになる。 小堀四郎は名前を知っていたが作品は記憶にない。 しかし村井正誠は名前は知らないが絵に見覚えがあります。 村井正誠は赤・青・黄などの崩れた方形に黒い線が印象的です。 *館サイト, https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection/detail.php?id=col00100 ■追悼-船越直木 ■船越という苗字には彫刻家が多いようです。 昨年亡くなった船越直木の作品4点を追悼展示。

■建築の日本展、その遺伝子のもたらすもの

■森美術館,2018.4.25-9.27 ■会場は7セクションから成る。 ジックリみるには最低半日が必要である。 それだけかけてもお釣りがくる内容だ。 会場は木組から入るので遺伝子が何ものか大凡検討がつく。 木材から木・森林・山へ広がり、紙や土へと深まっていく。 それは可逆の流れでもある。 そして住みつく人間生活にジワッと溶け込んでいく。 この遺伝子は掴みどころが無いことも確かだ。 解説文章が素晴らしい。 各セクションの内容を的確に要約し独特な表現にしている。 古典からの引用も目立つ。 文章に惚れたのでカタログを購入しようとしたが作成中らしい。 展示品は有名建築だけに一度は見たことがある。 遺伝子を感じながら別角度から見直すことができた。 例えば柱や屋根から、雨や風からである。 建築展に作品映像は不可欠だ。 対象が立体のため一発で理解できる。 記録映像「駒沢オリンピック体育館建築」の一昔前の職人作業風景が面白かった。 職人の動きを追うことで木や鉄やコンクリートが何者であるかが見えてくる。 出来上がっていく建築に生命が宿っていくのが分かる。 建築家は遺伝子を直接に語らない。 しかし最新作にもそれが組み込まれている。 例えば東京スカイツリーのように遺伝子は「地震」に対して新しい抗体を作り出している。 まるで免疫システムを持っているかのように。 *六本木ヒルズ・森美術館15週年記念展 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/japaninarchitecture/index.html ■MAMコレクション「見えない都市」 ■これは見過す。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamcollection007/index.html ■MAMスクリーン「近藤聡乃」 ■映像作品は3本、漫画3作品はスライドで。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamscreen008/index.html ■MAMプロジェクト「アピチァッポン・ウィーラセタクン+久門剛史」 ■新作映画「メモリア」の関連作品らしい。 *館サイト、 http://www.mori.art.mus

■ジョルジュ・ブラック展、絵画から立体への変容-メタモルフォーシス-

■パナソニック汐留ミュージアム,2018.4.28-6.24 ■ピカソより地味なブラックは実はよく知らなかった。 で、メタモルフォーシスと言われてもピンとこないわね。 1章のグワッシュをみてもその方向がみえない。 2章以降に入ってやっと装飾芸術への移行を指していることがわかるの。 それはジュエリーよ。 約30点のブローチ・指輪・ペンダント・ネツクレスが展示してある。 気に入ったのが十数点はある。 アンドレ・マルローが「ブラック芸術の最高峰」と言ったのは略正解ね。 そして陶器や彫刻を含めてブラックが言う立体とはレリーフを指しているのが分かる。 家業である室内装飾の影響かしら? 絵画世界でピカソの毒気にやられてしまったのよ、きっと。 それで装飾へ向かったのだとおもう。 再び少年時代へ。 作品を見た限りこの予想は結構正解かな? ブラックの新一面を知ったり想像したり楽しい展示会だった。 *館サイト、 https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/18/180428/

■PEEKABOO,五木田智央  ■日常生活、相笠昌義  ■平子雄一

■東京オペラシティアートギャラリー,2018.4.14-6.24 ■PEEKABOO,五木田智央 ■彼の作品から目を離すと、古い写真を見ていたような気がする。 それは白黒写真に古臭い人物像が写っていたような記憶だ。 古さは車のデザインや髪型、背広・スカート・ズボンなどの形や寸法からだと思う。 プロレスラーも職業上なぜか古さを持っている。 そのような写真を見ながら描いたようにもみえる。 人物の顔は普通の顔のように描かれている、一部の人の顔は描かれているが他は塗りこめられている、全員の顔が塗りこめられているの3種類がある。 塗り込められていると目鼻口が判別できない。 一部が塗り込められている作品に味がある。 不思議な比較を読み取れるからだろう。 異様であるが面白さもある。 忘れられない何かを持っている。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh208/ ■日常生活,相笠昌義 ■80点近い相笠昌義をまとめて観るのは初めてである。 やはりクリーム色が基調の人々が広場や公園に佇んでいる1970年代が花盛りだろう。 当時の実存主義の影や表面化してきた孤独感の中に生活の喜びもやんわりと感じられる。 エッチングにも良い作品があることを初めて知った。 「ダンス」(1974年)、「少女三人」(1976年)など十枚前後はある。 その源は1960年代のコラージュに遡ることができる。 しかし1990年代、2000年代と切れ味が鈍くなっていく。 人を多く描き過ぎて空間が死んでしまった。 人の顔も漫画である。 出口近くに「縞布の静物」(1952年)が飾られていたが画家を志す原点が感じられた。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh209.php ■平子雄一 ■植物や食べ物の描き方が賑やかだ。 ある時代の特徴を感じさせる。 ある時代とは上手く言えないがこのような描き方をした同年代画家が多いのは確かである。 そのままキャンバスから飛び出て来たようなミクストメディア作品も見ていて楽しい。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh210.php

■ロダン、カミーユとの永遠のアトリエ

■監督:ジャック・ドアイヨン,出演:ヴァンサン・ランドン,イジア・イジュラン ■(フランス,2017年作成) ■「地獄の門」の制作からこの映画は始まる。 ロダン40歳の頃です。 「像を本物にしたい」彼の真剣度が伝わってきます。 それにしても女性のヌードが美しすぎる。 ここから「裸のバルザック」のような衝撃像がナゼ創り出されるのか差があり過ぎます。 謎は解けない。 木々の接し方や雲の感想から触覚性を重視しているのもわかる。 これに合わせて映画は接吻場面が多い。 でもカミーユとのキスに触覚の喜びが感じられない。 逆にケネス・アンガーのような舐めるような触覚も伝わってこない。 ここから像との差の理由が分かった気がしました。 つまりロダンの触覚の昇華が上手く描かれていないからです。 伝記劇映画の限界ですね。 先日観た「 セザンヌ 」よりマシですが。 それは彫刻の優位性やミケランジェロとの違い等々を考えながら観ることができたからです。 俳優ヴァンサンの内に籠る控えめな発声が良かったからでしょう。 *天才彫刻家ロダン没後100年記念作品 *映画comサイト、 http://eiga.com/movie/86163/

■セザンヌと過ごした時間

■監督:ダニエル・トンプソン,出演:ギョーム・ガリエンヌ,ギョーム・カネ他 ■(フランス,2016年作品) ■画家ポール・セザンヌと小説家エミール・ゾラは中学生時代からのガチ友達だ!! 映画はこれしか語っていない。 でもこれで十分でしょう。 絵画論でも入れば面白くなったはずですが。 ゾラは繰り返し言う。 「セザンヌは天才だ」と。 なぜ天才なのか説明が一切ありません。 「でも開花しなかった」と続く。 展覧会で落選し続けたからでしょう。 悪友の台詞らしい。 やはりですがプロヴァンスはいいところですね。 行ったことはないが映像でもそれがわかる。 土が赤系とは驚きです。 蝉が鳴いていましたね。 蝉の種類と数で気温と湿度が大凡分かる。 乾燥した灰色のサント·ヴィクトワール山の輝きが印象的でした。 *近代絵画の父ポール・セザンヌ没後110周年記念制作 *映画comサイト、 http://eiga.com/movie/86000/