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11月, 2017の投稿を表示しています

■レアンドロ・エルリッヒ展-見ることのリアル-

■森美術館,2017.11.18-18.4.1 ■力強いモノで出来た作品群です。 それは真面目さに繋がる。 20世紀が未だ続いているような感じですね。 これこそ肉体を使って「体験することで世界が違ってみえてくる」基盤かもしれない。 あの金沢21世紀美術館の「スイミング・プール」もエルリッヒの作品だと今知りました。 それにしても仕掛けが古い。 鏡を使った「試着室」(2008年)や「建物」(2009年)、窓からみる「失われた庭」(2009年)、他人の家を覗き込む「眺め」(1997年)。 まるで映画監督A・ヒッチコックの撮影現場のようです。 会場を歩いていると50年の落差が感じられる。 この時間差から来る何かこそがエルリッヒがリアルと言っているものかもしれない。 リアルは空間的な言葉だと思っていましたがそこに時間を意識したことは初めてです。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/LeandroErlich2017/index.html

■野生展、飼いならされない感覚と思考

■ディレクター:中沢新一 ■2121デザインサイト,2017.10.20-18.2.4 ■「野生の領域に触れることができなければ、どんな分野でも新しい発見や創造は不可能だ」とディレクター中沢新一が野性の狼のように吠えている。 でも会場は野性的とは裏腹に細かすぎるわね。 南方熊楠の小さい文字が充満しているせいかしら? よくみる土器や人形は集中力や想像力がないと野性の発見が難しい。 キティやケロコロの「かわいい」をその一つに入れたのは初めてかも。 抽象的可愛らしさは「自然と文化の中間つまりどのカテゴリーにも属さない魅力がある」のは確かだけど広げ過ぎにもみえる。 中沢新一の感度が良すぎるんじゃない? 巫女のようにならないと展示されているモノが踊り出さない。 唯一「丸石」を見たとき想像力が働きだしたことは確か。 球体のパワーだわ。 1階ショップに関係図書があったけど、この中で「カイエ・ソバージュ」(全5冊)の面白かった記憶が今でも強く残っている。  この記憶が展示会に伝わっていかない。 *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/wild/ ■ロエベ「インターナショナルクラフトプライズ」 ■ギャラリー3,2017.11.17-30 *ロエベサイト、 http://www.loewe.com/jap/ja/home

■八木一夫と清水九兵衛、陶芸と彫刻のあいだで

■菊池寛実記念智美術館,2017.9.16-12.3 ■館周辺は坂が多い。 坂が多いと木々も目に入り易い。 ホテルオークラの工事が終われば再び緑豊かになるのかな? ホテルは建て替えるほど無機質になるから心配である。 先ずは八木一夫「ザムザ氏の散歩」から入る。 題名も作品も面白い。 彼は時代をまともに受け止めてその思想動向を形にしたいと四苦八苦している。 十数点をみてそのように思えた。 「教養としての古典を基盤に、↑したい」と彼は言う。 ザムザや走泥社の名前はその表れにみえる。 思想を咀嚼した成果を積み重ねていくような作品群である。 後半は清水九兵衛だ。 最初の作品を見てホッとしてしまった。 八木とはあたりの雰囲気から違う。 解説文に清潔、端正、新鮮、フォルムという語彙を見つけたがそれが漂う。 彼は鋳金から入ったらしい。 途中陶芸もしたが再び彫刻に戻っている。 陶食器が展示してあったが微妙に薄いのは金属感から来るのだろう。 食器作品は自身がそれを手にとり唇にあてた触感を想像をしながら眺める。 そこから微妙に薄いと感じ取ったのだが。 1990年以降のアルミやガラス、紙の作品は魂を1960、70年に置いてきてしまったようだ。 二人はやはり20世紀真っ只中の人である。 *館サイト、 http://www.musee-tomo.or.jp/exhibition.html

■ゴッホ展、巡りゆく日本の夢

■東京都美術館,2017.10.24-2018.1.8 ■西洋美術館「北斎」から都美術館「ゴッホ」へ行く。 会場構成がどちらも似ていますね。 ゴッホの日本びいきは並みでないことが分かる。 浮世絵がズラリと並んでいますがサラッと流してゴッホをジックリと観て回りました。 初めて見る作品も何枚かあり充実しています。 そして5章の「日本人のファン・ゴッホ巡礼」は面白い。 副題の意味もここへ来て理解できました。 書簡や書籍、映像でまとめてあり当時の日本人のゴッホ墓参の様子が分かる。 この章はサブライズだと思います。 北斎から続く一方的な日本礼賛を一先ず脇に置いて「交差」させたからです。 交流の楽しさが伝わってきます。 副題の通り、両者の巡り合う接点を作ることが企画を面白くする方法のようです。 *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2017_goghandjapan.html

■北斎とジャポニスム-HOKUSAIが西洋に与えた衝撃-

■国立西洋美術館,2017.10.21-18.1.28 ■雑誌ライフの「この1000年で重要な功績を残した世界100人」に選ばれている北斎ですが、もし雑誌記者が日本人なら彼を選んだでしょうか? この展示会を見ればライフが北斎を選んだ理由を見つけられるかもしれない。 19世紀後半のヨーロッパ美術界に浸透した北斎漫画や北斎浮世絵はやはり勢いがありますね。 描かれた自然や生物が生き生きしている。 ゴーギャン、ボナール、ピサロ、ルドン、ドガ、・・。  影響を受けた作家と北斎の作品が並べられています。 ガレ、ドーム兄弟、・・。 陶器・ガラスはより直接的な影響が窺える。 それは作成工程初期で想像力が固定してしまうからでしょう。 そして富士山とセザンヌのサント・ヴィクトワール山の比較で会場が終わっています。 でも比較しながらの鑑賞は論理思考が働いてしまいみる喜びが湧き起こらない。 両者の違いに関心がいってしまうからです。 ところで衝撃を与えた背景には自然・動物・植物そして人体の見方が西洋と違うからだと場内解説は言っています。 北斎はその違いを巧く表現できていた。 当時の日本は科学・技術を西欧から無条件で取り入れています。 科学技術は日本に同じ土俵が無かったので比較できなかったからだと思います。 でも美術界は土俵を持っていた。 この比較できる土俵を持っていたことが雑誌ライフにも選ばれた理由でしょう。 *館サイト 、 http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2017hokusai.html