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■バスキア展

■キュレーター:ディーター.ブッフハート,アソシエイト.キュレーター:アナ.カリーナ.ホフバウワー,小野田裕子,監修:宮下規久朗 ■森アーツセンターギャラリー,2019.9.21-11.17 ■やっと、バスキアをまとめて観ることができましたね。 でも生涯が短かったせいか作品に巾がない。 途中で終了したような会場構成でした。 彼がブラック・ピカソと言われた理由が分かります。 ピカソに接線を引くように近づいて遠ざかって(死んで)行った。 バスキアはピカソを微分した!? 彼の日本旅行を強調している作品が目に付く。 副題「MAID IN JAPAN」に沿っている。 旅行は彼に影響を与えたようです。 全てをYENでまとめている。 当時の日本はカネを通して見るしかなかったのでしょう。 パゴダは日本の寺院として描いたのかな? 入場時に持物検査がありました。 「写真の起源、英国」(写真美術館)以来です。 「音声ガイドが全員無料!」とあったが期待外れでした。 この美術館は濃密なガイドが多いのですが今回は淡泊です。 作品以外の事をもっと知りたいところですが、今年初めに彼の映画を3本まとめて観ておいたので入り易かった*1。 「・・社員たちもバスキアに魅了され虜になっていた」。 ZOZOの前澤友作が言っています。 彼が123億円で購入した作品はバスキアの心境が詰まっている。 「バスキアの叫び」ですか。 ブックショップでバスキア言葉集を買い忘れてしまった。 W・バロウズの影響はあったのでしょうか? *1、 「バスキア」「バスキアのすべて」「バスキア10代最後のとき」   *館サイト、 https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/basquiat/index.html

■藤本能道、生命を描いた陶芸家

■菊池寛実記念智美術館,2019.8.3-12.1 ■藤本能道は大学で工芸図案を専攻したがどうしても「自分の手で作りたい!」。 それで陶芸へ進んだらしい。 初期作品には富本憲吉の影響がみえる。 戦後は富本の紹介で京都に住み走泥社にも参加している。 1970年代から草花や鳥など白磁に描くようになる。 それは自然豊かな青梅市に居を構えたことにもよる。 水彩画のようなサッパリした質感で極めて写実的だ。 後半になると暈しのような複雑な色合いを出してくる。 釉描加彩と言う。 彼はこれで抽象画へ進めると喜んだらしい。 抽象と言ってもそれは幻想的な作品だ。 絵画でいう抽象は陶器にとっては違う意味を持つ。 どこか近藤弘明の幻想画を思い出させてくれる。 80年代以降は梅白釉(梅灰)、雪白釉、霜白釉(バリウム?)など淡くより微妙になる。 1976年の「幻の食器」が展示されていた。 この時の食器はまだ草木が主だからよいが昆虫などが描かれていると料理の味が違ってしまうと思う。 話がそれるが両生類の写実絵皿を以前に見たことがあるがこれは頂けない。 写実陶器は使い難い。 やはり絵画と同じ位置づけで観たいところだ。 *藤本能道生誕100年 *館サイト、 https://www.musee-tomo.or.jp/exhibition/past_exhibition.html

■アーキテクテン・デ・ヴィルダー・ヴィンク・タユー展

■建築家:ヤン.デ.ビルヴィルダー,インゲ.ヴィンク,ヨー.タユー ■TOTOギャラリー間,2019.9.13-11.24 ■ベルギーを拠点にした建築家3人のユニット展。 彼らの頭文字を取ってADVVTと呼んでいる。 先ずは映像を片っ端から見る。 小規模建築の改修工事が多いらしい。 レンガ材に合う鉄・アルミ・ガラスを組み合わせて質素にまとめ、特に鉄階段はチープで野暮ですが、飽きの来ないデザインにしています。 そこに木目の見える木材柱を天井に這わせてシンプルでも豊かさのある内装に仕立て上げている。 映像だけでは彼らの設計思想はよく分かりません。 ヴァリエテ・アーキテクチャー・ディザイアとあるように建築の多様性や振る舞いを考えているようです。 今回は日本の学生に、ADVVTの建築物の模型を作らせスタディをして、日本の建築物に置き換え両者の違いを探求した結果が展示されている。 会場は互いの模型や設計図・資料が並んでいます。 学生たちの力が伸びますね。 ベルギーと日本の歴史や文化・日常生活の違い等々あらゆる差異を探し出し意味を探り、違いの納得を積み重ねて作品を完成させるのですから。 コンピュータに頼り過ぎず工学的かつ身体的な建築教育でしょう。 *館サイト、 https://jp.toto.com/gallerma/ex190913/index.htm

■蘇生するものたち、今道子  ■ニューボーンフォト「母になる記憶」「#胎内記憶」

■富士フイルムスクエア,2019.9- □蘇生するものたち,今道子 ■フジフイルムスクエアは時々寄るのだが今回は面白い展示をやっていた。 一つは今道子の「蘇生するものたち」。 生の魚?を編んで衣装や帽子、靴等に組み合わせて作品にしている。 生魚を着るのだ! 気持ち悪さは頂けない。 鮨に使う「こはだ」で編んだブラジャー・・! 光っている! 蛸の足や鰯の頭を使った作品もある。 いや、これは鮨文化を生んだ国だけに出来る。 しかも鮨なみの芸術性がある。 <蘇生>とはこの生の光を指しているのだろう。 赤ジャケットは表面がアメリカザリガニで一杯だ。 しかし今日は魚を食べる気がしなくなった。 *館サイト、 http://fujifilmsquare.jp/detail/19090104.html □ニューボーンフォト「母になる記憶」(藤田努.麻希)「#胎内記憶」(飯田聡子) ■これも面白い展示だった。 「ニューボーンフォト」、初めて聞く写真だ。 生まれたての赤ん坊を撮ることを言う。 赤ん坊は母親胎内の環境を覚えている。 そして38億年前からの生物の記憶も覚えている(と思う)。 些細な動作、姿勢、表情等々に生物の時空の広がりがみえる。 母親からみたら毎度のことかもしれないが。 *館サイト、 http://fujifilmsquare.jp/photosalon/tokyo/minigallery/19091303.html 以下の展示会も序でにみる。 ■河本禎写真展「愛し「大台ケ原」」 *館サイト、 http://fujifilmsquare.jp/photosalon/tokyo/s1/19091301.html ■井上冬彦写真展「MAISHA-サバンナ光と闇の物語-」 *館サイト、 http://fujifilmsquare.jp/photosalon/tokyo/s2/19091302.html

■話しているのは誰? 現代美術に潜む文学

■作者:北島敬三,小林エリカ,ミヤギフトシ,田村友一郎,豊嶋康子,山城知佳子 ■国立新美術館,2019.8.8-11.11 ■6人の作品展です。 □田村友一郎「Sky Eyes」 ハンバーガー店の模型、液晶モニターの空箱やナンバープレートが別室に置いてある。 映像ディスプレイ周辺には船を漕ぐ櫂が並べられ、壁にコーヒーカップの写真が2枚。 これらモノ同士の形や発音からくる類似性・関係性を映像の声は強調します。 でも作品全体を上手くまとめられません。 最初から迷路ですね。 □ミヤギフトシ「物語るには明るい部屋が必要です」 沖縄で撮った?写真と映像が30枚弱、でも映像は動かないので写真に近い。 スピーカから声が聞こえる。 セクシュアリティを話題にしているようだが長く集中しないと話が繋がらない。 館内放送のような音源では目と耳の志向が別々になってしまうのでしょう。 □小林エリカ「ドル」「私のトーチ」「私の手の中のプロメテウスの火」「彼女たち」 彫刻・写真・映像・素描の4作品を繋げて、ウランの発見からベルリンオリンピック、中止した東京オリンピック、広島長崎原爆投下までを物語ります。 薄暗い会場と作品が効果的です。 □豊嶋康子「パネル」「棚」「グラフ」 キャンバスの裏に角材を張り付けたような作品です。 他も似たような作品が並ぶ。 深読が必要かもしれない。   □山城知佳子「チンビン・ウエスタン<家族の象徴>」 基地施設で働くと同時に自然が失われていく沖縄の現状を、二つの家族を通して描いている。 家族の日常風景、マカロニではなくウドンのオペラ、風変わりな女流画家の登場、劇中劇「天船」もあり賑やかです。 楽しい映画でした。  □北島敬三「EASTERN EUROPE 1983-1984」「USSR1991」「UNTITLED RECORDS」 3作品70枚程のポートレイト写真で構成されています。 ベルリンやソビエト連邦の体制崩壊前後の写真は饒舌ですね。 人々の表情、服装や胸の勲章、履いている靴、背景のモノや風景、隅々までその時代を物語っています。 あらゆる表現方法を取り込んだインスタレーションは物語るのに便利です。 作品の中に入っていける面白さがありました。 気に入ったのは小林エリカの作品群です。 でも言葉での解説が多いため文学

■松方コレクション展  ■モダン・ウーマン、フィンランド美術を彩った女性芸術家たち

■国立西洋美術館,2019.6.11-9.23 ■コートールドの帰りに松方幸次郎のコレクションも観ることにしたの。 国内外に散逸した作品も出品されているから。 二人は1876年と66年生まれで同時代を生きている。 でも収集の意図が違う。 松方は「日本国民が等しく美術作品を楽しめるように・・」と。 このためか会場に入った途端カオス状態よ。 作品が壁一杯に展示されているから。 しかも購入過程順に並んでいるの? これもカオスを呼び寄せる。 コートールドより混雑しているのも驚きね。 当時の画廊を回って購入しているので印象派とその周辺が強い。 モネを中心に再び観ることができ今日は最高ね。 ゴーガンも「扇のある静物」で今夜はグッスリ。 「モダン・ウーマン」は常設会場を使っての展示。 松方コレクション展で場所が空いた為ね。 「・・ロシアからの独立運動、そして1917年に誕生した新しい国家」フィンランドで「最初の美術学校は男女平等の教育を奨励・・」から生まれた7人の画家を紹介。 最初のマリア・ヴィークが気に入る。 質感が素晴らしい。 次のヘレン・シャルフベックもいいわね。 あとエルガ・セーセマン。 ・・素描・版画の部屋に続く。 しかしフィンランドは遠い。 知っているのはムーミンのトーベ・ヤンソンくらいかな。 建築ではアルヴァ・アールト、映画のアキ・カウリスマキ。 カウリスマキはジム・ジャームシュや小津安二郎の影響を受けている。 この監督3人の作品はとても好きなの。 ・・話が寄り道に、御免ネ。 再び常設展へ。 ロダンの彫刻は企画展へ出張中でガラガラね。 常設会場の残った絵画をみると戦後の購入作品が分かって面白い。 *国立西洋美術館開館60周年記念 *館サイト、 https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019matsukata.html *日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念 *館サイト、 https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019modernwoman.html

■コートールド美術館展、魅惑の印象派

■東京都美術館,2019.9.10-12.15 ■「コートールド」が付いた美術展は絶対外せない。 早々に行って来たわよ。 3章ある「収集家の眼」はコートールドの筋の良さを証明している。 「その瞬間、私は魔術を感じ・・。 多くの作品を購入した」。 セザンヌを先頭に持ってくるのは彼しかできない。 「キューピッド石膏像」に出会えたのは嬉しい。 この絵は眩暈を連れてくるの。 床の傾斜と捩じれているキューピッドを上方から見るからだと思う。 静物画はもう1枚欲しい。 でも普段は見ることのできない風景画が多かったので万歳セザンヌ!かな。 今回の目玉、マネの「フォリー=ベルジェールのバー」の隣に19世紀末ベルジェールの建物写真とポスター数枚が展示されている。 ポスター内容も作品を理解するのに最適だわ。 舞台品目から建物の内部が想像できる。 ところで画面左上に空中ブランコをしている芸人の足が写っているとは知らなかった。 ルノワール「桟敷席」も同時に観ることができて幸せね。 会場終わりはロダンの彫刻だけどその前にはゴーガン。 ここで「ネヴァーモア」に再会。 彼の暗みのある作品では一番だとおもう。 でも、ゴーガンは欲張ってもう二枚ほしいところかな。 あと数枚プラスするだけで今夜はグッスリ眠れるのに。 この展示会は魅惑の印象派たちをセザンヌとゴーガンで挟んだサンドイッチ構造になっている。 印象派の一つの展示形かもね。 光が飛び散らないように・・。 *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_courtauld.html

■原三渓の美術、伝説の大コレクション

■横浜美術館,2019.7.13-9.1 ■生糸貿易で財を成した実業家原富太郎、号は三渓。 全コレクションは大が付く5000点。 松方コレクションと聞けば何点も思い浮かべるが、原三渓は実は1点もない。 展示会は彼を「コレクター」「茶人」「アーティスト」「パトロン」に分けて200点弱の作品で紹介している。 その中心は茶人のようだ。 若い頃からのコレクションはベースとしてあるが社会的には茶人として活動を広げたらしい。 「アーティスト」としての彼の作品も茶の香りがする。 碗に注いだ湯の状態を描いているような色合いだ。 そして「パトロン」と繋がる茶会は極めて重要だったはず。 キャプションは日本史日本美術の教科書の断片を読んでいる感じだ。 日本美術に徹している。 江戸時代の作品は面白いが全体が爺臭い。 5章「パトロン三渓」は彼と同世代の画家たちのため親しみ易くなっている。 三渓園は行ったことが無い。 展示作品をより身体化できる場所に違いない。 涼しくなったら行ってみよう。  *生誕150年・没後80年記念展 *横浜美術館開館30周年記念展 *館サイト、 https://yokohama.art.museum/exhibition/archive/2019/20190713-538.html

■伊庭靖子展、まなざしのあわい

■東京都美術館.ギャラリー,2019.7.20-10.9 ■作品名に作成年が付いているから作家の思考過程が分かります。 例えば、「Untitled2004-01」から始まる。 クッションの柄を見ていると、何とも言えない心地よさを感じます。 対象が平面に近いほどそれを感じる。 ベッドのような立体部分にはそれが現れない。 つまり平面が膨らんでいく過程が心地よいのです。 青い陶磁器に移ると心地よさは見えなくなる。 陳列順序を器シリーズから始めたほうが入り易かった? 途中、花瓶を描いた作品があったようですが気に入りました。 そして物の光や影を投射しているような風景画に移っていく。 解説チラシを読むと透明なアクリルボックスを利用しているらしい。 「Untitled2016-03」からです。 変な言い方ですが、風景空間が活き活きしています。 次の点描風景画は物足りない感じがします。 何か仕掛けでもあるのかもしれない? ・・目の距離調整を試したが何もなかった。  戻りますが、アクリルボックスの「Untitled2018-xx」に入るとカーテンを取り込んで空間を複雑にしている。 これも物足りない。 活き活きしていた風景がなくなってしまった。 作者はフォトリアリズムを否定していますが、それを意識してリアリズムの面白さを避けてしまったのではないでしょうか? *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_yasukoiba.html

■岸田劉生展、この世の宝なるものを目指し

■東京ステーションギャラリー,2019.8.31-10.20 ■岸田劉生の大規模展は「 岸田吟香・劉生・麗子 」(2014年)以来である。 ・・思っていた以上の作品数が嬉しい。 この為か、作品間の距離が狭いので独特のリズムでみていくことになる。 しかも時系列に沿っているから素直に入って行ける。 キリスト教入信時代の絵は初めてかな? やはり白樺派の影響は絶大だ。 首狩り劉生が前面に出ていて痛快! 「色で画くから画けない、捨てれば画ける」風景画はイマイチかな。 1920年前後は言うことなし。 しかし東洋美の何に目覚めたのか? 終章「新しい余の道へ」は観たことのない作品が並ぶ。 「冬瓜図」(1926年)は魂が抜け、風景画も印象派風に戻ってしまった。 絵画への探求心が弱っているようだ。 「この世の宝なるものを目指し」たが、やはり遊び過ぎだろう? 父吟香から遊びの程度を習う時期がなかった。 劉生の人生は横に置いても、150点以上の作品を観ることができて満足。 *没後90年記念 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201908_kishida.html

■写真の時間  ■嶋田忠、野生の瞬間  ■しなやかな闘い、ポーランド女性作家と映像

■東京都写真美術館,2019.7.23-11.4 □写真の時間-TOPコレクション,イメージを読む- ■今年のテーマは「イメージを読む」。 とは言っても収蔵作品展よ。 「制作の時間」「イメージの時間」「鑑賞の時間」の3章から成り立っているの。 7割は観たことのある作品だわ。 でも記憶に無いのが奈良原一行「消滅した時間」からの十数枚。 アメリカ中西部の風景画だけど、トム・ジョード一家やワイアットとビリーが通った跡が微かに残っている。 2章の「イメージの時間」とは作者と観客の思い込みがぶつかる時間ということね。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3439.html □嶋田忠,野生の瞬間-華麗なる鳥の世界- ■鳥の名前を覚えるのには最適ね。 モズがこんなに明るい色をしていたとは! もっとくすんだ色をしていたんじゃない? 火の鳥アカショウビンは初めて見る。 5章熱帯雨林ニューギニアは鳥のような仮想をした現地人が面白かった。 現地人と鳥との関係で1章を割いてもいいわね。 作家が聞いたら落胆しそう。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3412.html □しなやかな闘い,ポーランド女性作家と映像-1970年代から現在へ- ■ポーランド女性作家20人強の映像作品を紹介しているの。 社会主義解体前と後、2010年代、そして現代の4章仕立て。 21世紀を二つに分けるのは納得できる。 それだけ時代の進み方が速い。 作品全てを観るには3時間は必要。 女性から発信する映像は興味も出る。 粗いけど社会問題をテーマにしている作品が多い。 それはしなやかな闘い! 遠い国ポーランドがずっと近くなる、と同時に世界もね。 *日本・ポーランド国交樹立100周年記念 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3443.html

■円山応挙から近代京都画壇へ

■東京芸術大学大学美術館,2019.8.3-9.29 ■「写生図鑑」をみていると草花への親しみが感じられます。 精緻ではないが素朴な自然の匂いがする。 「形を写し、気を写すべし」が聞こえてきます。 「鵜飼図」の暗闇にかがり火で照らし出される空間は一昔前のものですね。 明かりも写生に徹していたことが分かります。 川合玉堂の「鵜飼」と比較できる。 光の写生例ですが。 ところで子犬は遊びたいだけです。 その時の応挙もです。 大作になると写実と写意が自然のごとく溶解していく。 「松に孔雀図」「保津川図」は写生が昇華されて見えない。 竹内栖鳳「保津川図」は自然の匂いが微かにします。 「遊君図」と上村松園「楚蓮香之図」の違いも面白い。 松園の美は現代に近づいている。 弟子たちと比較、近代画壇と比較、・・タイトルの如く円山応挙を堪能し比較しながら繋がりを観ていく展示会でした。 *館サイト、 https://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2019/maruyama-shijo/maruyama-shijo_ja.htm