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■磯崎新・都市ソラリス

■ ICC、2013.12.14-2014.3.2 ■ http://www.ntticc.or.jp/index_j.html ■ 1960年代からの年表を貼り付けているだけです。 鄭州市鄭東新区都市計画で絞り込んだ方が面白かったかもしれない。 プレゼンテーションやトークセッションが沢山有るのでこれを見ないとなんとも言えないですが。 多分チケット1枚で何度も入場できるようになっているからトークセッションが中心のようです。 前回の「海市」が素晴らしかったので今回の展示会場には大いにがっかりさせられました。

■DOMANI・明日展

■国立新美術館,2013.12.14- 14.1.26 ■ 今年は建築家44名がバザールでゴザール! この人数の多さが建築をより強くさせている。 彼らは「主体のゆらぎ」や「リアリティの疑問」の周りでウロウロしていない。 肉体をもった人間が生活する現実が建築に要求されるからである。 だから強い。 そのため建築以外の作品が霞んでしまった。 それでも彫刻や陶芸もシブトイ。 それは建築と対抗できる何物かを持っているからだろう。  徳丸鏡子の陶芸、川上りえの針金彫刻、吉本直子の古着の固まりは記憶に残った。 建築では藤井由理の「セリー建築」、伊藤廉の「コルクの家」が気にいる。 迫慶一郎の「東北スカイビレッジ」は夢物語である。 ほかにも気に入った作品が多くあったがバザ(以降文章破損) *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2013/16thdomani/

■古径と土牛

■山種美術館,2013.10.22-12.23 ■ 二人を並べるのは近頃の流行ですか? 古径と土牛の出会いを初めて意識しながら観ました。 大部分はこの館でよくみる作品です。 土牛が若い時代に悩んだことやセザンヌに傾倒したことなどが作品から感じられます。 雅号がそのまま作品に反映していますね。 特に土牛の動物画はいいですね。 それに「浄心」と「舞妓」もです。 花や静物は古径に気に入ったのが多い。 二人の違いというのも付きず離れずと言う差ですかね。 *館サイト、 http://www.yamatane-museum.jp/exh/2013/130.html

■植田正治とジァック・アンリ・ラルティーグ  ■高谷史郎-明るい部屋-  ■路上から世界を変えていく-日本の新進作家VOL.20-

■ 東京都写真美術館,2013.11.23-14.1.26 ■植田正治とジァ ック・アンリ・ラルティ-グ  ■ 二人の写真家を同時にみるとついつい比較してしまう。 ラルティーグは裕福な人生肯定を素直にファインダに集めていて清々しい。   植田正治はガチガチのアマチュア写真家である。 しかしなぞるようにみていると日本的な人生の楽しみが見つけられる。 対照的な表情なので交互に観ていると上手く中和されてほどよい気分になれる。 植田の「音のない記憶」は緊張感が出ていて展示一番である。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2015.html ■ 高谷史郎-明るい部屋-*1 ■ ロラン・バルトに繋がる展示である。 このようなバルトへの接近方法はわかるようでわからない。 しかし写真好きなら一度は「明るい部屋」を読むはずだ。 存在や記憶について考え、そして静かに唸ってしまう。 バルトへの接近は各自各様である。 *1、 「明るい部屋」(新国立劇場,2012年) *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2023.html ■ 路上から世界を変えていく-日本の新進作家VOL.20- ■ 写真を撮るには、アメリカン・クラッカをぶら下げたり極端な接写や空中に浮かんだり並外れた興味を持つことが必要である。 近未来への方向感覚の良さも必須のようだ。 どの作家も条件を持っていて面白い。 「60倍の惑星」「路上ネイチャ」が気にいる。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2017.html

■天上の舞・飛天の美-平等院鳳凰堂平成修理完成記念-

■サントリー美術館,2013.11.23-14.1.13 ■ 平等院全体の模型図があったら想像力がもっと広がったはずよ。 空中に浮かぶような建築はまさに展示会名を具現化したものだから。 でも堂内の立体イメージを広げる素材は全て展示されていて楽しかったわ。 光背飛天は6体のみだけど今迄本気で見てこなかったの。 定朝工房の傑作だと認識できて嬉しい。 顔も体も奈良時代の懐かしさが表現されている。 雲中供養菩薩像よりインパクトがあったわね。 でも九品往生図は傷みが激しいんじゃない? 最後に雲中供養菩薩像を彩色したCGがあったけど感動しちゃった! 当時の内部は脳味噌がビンビンするほどの色彩世界だった。 これから大鏡の言う「極楽浄土のこのよにあらはれけるとみえたり」の具体的景色がみえてくるわ。 *館サイト、 http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2013_5/?fromid=topmv

■宝箱-齋藤陽道写真展

■ワタリウム美術館、2013.11.30-2014.3.16 ■ http://www.watarium.co.jp/exhibition/1311saitou/index.html ■ 齋藤陽道の名を初めて知りました。 しかし2階の初期作品は平凡すぎますね。 光が眩しすぎるからです。 でも3階は違います。 「MY NAME IS MINE」はこれを克服して光を響かせています。 プロレス団体所属とのことから、身体そして触覚の鋭さが作品の深くに反映しているのかもしれません。 作者は 「音楽は永遠の片思い・・」のようです。 4階の作品は社会へ目が移ります。 「・・思いのままみることを、こども師匠から学ぶ」と言っていますが、やはり視野を広げれば雑音が増えるのは当たり前です。 ・・さあ、これからどこへ行くのか?

■「犬のための建築」展

■ギャラリー間、2013.10.25-12.21 ■ http://architecturefordogs.com/ja/ ■ 犬ファンなら見逃せませんね。 シーソー付犬小屋や階段付椅子やベッド等々が展示されています。 犬からみれば建築ですが人間からみれば家具ですね。 しかし犬は喜ばないと直感しました。 ほとんどが猫用だと再び直感しました。 以前ビーグル雑種を飼っていたことがあります。 好奇心と遊び大好きな活動、選り好みしない旺盛な食事、緊張と弛緩の休息と睡眠、この三つが犬の生活の全てでしょう。 犬は建築などどうでもよいのです。 ともかく動き回りたい。 これだけです。 展示は家の中で飼う事を想定しているのかもしれません。 チワワやビションフリーゼ、パピヨンは飼ったことが無いのでよくわかりません。 しかし中型犬以上には犬小屋以外の<建築>は存在しません。 でも、イヌ好きにはどうしようもありませんね。

■ジョゼフ・クーデルカ展  ■現代のプロダクトデザイン

■東京国立近代美術館、2013.11.6-2014.1.13 ■ http://www.momat.go.jp/Honkan/koudelka2013/index.html ■ 初期作品をみるとどこにでもいる「芸術大好き!」な若者にみえる。 しかし「門の向こう」や「欄干の上」での「劇場」は酷い。 彼は芝居が好きではなかったのでは? 「エグザイル」の風景もつまらない。 「侵攻」はたまたま歴史に遭遇してしまった感じだ。 転機は多分「ジプシーズ」だろう。 人物の目が生きている。 ロマは「劇場」の俳優より役者だ。 この作品集が一番である。 彼は歳をとってもどこにでもいる「写真大好き!」人間だったのでは? ■ 現代のプロダクトデザイン、2013.11.1-2014.1.13 ■ http://www.momat.go.jp/Honkan/productdesign2013/index.html

■五線譜に描いた夢-日本近代音楽の150年-

■ 東京オペラシティアートギャラリ、2013.10.11 -12.23 ■ http://www.operacity.jp/ag/exh157/index.html ■ 副題の150年をわかり易く展示しています。 章ごとの映像コーナーを全て見ると新書を一冊読んだ気分になります。 米国軍楽隊のヤンキードゥードルをそして讃美歌を聞いた時の幕末時代の驚きが目に浮かびます。 日本人が初めて出会った西洋音楽は軍楽と讃美歌とのこと。 「むすんでひらいて」「オタマジャクシはかえるのこ」が讃美歌とは知りませんでした。 「幕末から明治」の西洋音楽の取り込み方や「大正モダニズム」「戦争と音楽」の時代との関係が面白いですね。 「戦後から21世紀」は同時代のためかまとまっていません。 絵画を観るのとは違って資料等を見聞きするので最低でも二時間は必要です。 でも費やした時間に比例して充実感が増していく展示会です。

■植田正治のつくりかた

■ 東京ステーションギャラリ、2013.10.12-2014.1.5 ■ http://www.ejrcf.or.jp/gallery/ ■ 「当時はみんなアマチュアだった・・」と解説にありましたが、彼の作品はいつまで経ってもアマチュアの匂いがあります。 芸術写真から新興写真を受け入れ、そして演出写真への方向性は時代の流れに一致していたはずです。 でも単色の面白い初期作品をカラーにすると芸術性が飛散してしまったり、「砂丘モード」の商品写真も演出に進歩がありません 。 そして写真俳句や90年以降のカラー作品「花を視る」「不公平の法則」で画題に凝るところなどはアマチュアそのものです。 今でも砂丘でウロウロしているのが目にみえます。 古き良きアマチュアの時代が漂っていた展示会です。

■カイユボット展

■ブリジストン美術館、2013.10.10-12.29 ■ http://www.bridgestone-museum.gr.jp/ ■ カイユボットの絵は趣味を越えなかった。 ここの館所蔵の印象派作品と比較しても差は見え見えね。 写真を利用したと書いてあったけど彼はそんなに意識していなかったはずよ。 もちろん浮世絵も同じね。 描かれている家族の風景は内向的裕福層そのものにみえる。 展示会は遠のいたけどドガとの意見の相違も人生に変化はない。 後期に明るい風景画を描いているのが証拠よ。 ボートや菜園と同じ位置づけなの。  弟の写真を中心に展示したほうが面白かったんじゃないのかしら? 

■日本のデザインミュージアム実現にむけて

■ 日本のデザインミュージアム 実現にむけて ■2121デザインサイト,2013.10.25-14.2.9 ■ 日本にデザイン・ミュージアムを造ろう! しかし過去の展示会の要約だけでした。 もっと突っ込んで造る為の具体的方法等が展示されているのかと思っていました。 デザインとは何か? 工学・技術の「設計」に裏打ちされた全体像だと認識しています。 しかも芸術性を追求していることも条件です。  三宅一生の畳める服やデザインサイトの建物です。  写真で展示してあったトヨタ博物館もこの方向でしょう。 設計をデザインと言い換えると範囲も変わるのでしょうか?  広義のデザインをどのようにまとめるかも知りたいところです。 デザイン・ミュージアム、できれば素晴らしいですね。 *美術館、 https://www.2121designsight.jp/documents/2013/10/DMJ-open.html

■凪の片、須田一政  ■コスモス-写された自然の形象  ■写真新世紀

■東京都写真美術館、2013.9.28-12.1 ■ http://syabi.com/upload/3/1933/suda_issei.pdf ■ 「現実の裂け目から異空間を覗き見するような・・」とある。 その前に彼の作品からは驚きの現実を見つめることができる。 そこから異空間を覗くとなると、驚きの現実が作為的にみえてしまう。 ■ コスモス-写された自然の形象、2013.9.21-11.17 ■ http://syabi.com/upload/3/1931/cosmos.pdf ■ 29,000点の作品から抽出し、木・火・土・金・水の章に分解・結合している展示構成のようだ。 しかし各章は分節化の意味を成していない。 多くの写真家多くの作品が並ぶ会場はコスモスよりカオスである。 自然は強い。 ■ 写真新世紀、2013.10.26-11.17 ■ http://syabi.com/upload/3/2019/1026.pdf ■ 新人写真家の発掘育成支援を目的とした展示会である。 キャノンもニコンも株が下がっている。 カメラが売れないからである。 カメラ技術にも無関心になってしまった。 もはやプロもアマもいない時代が来たのである。

■バルビゾンへの道

■BUNKAMURAザ・ミュージアム、2013.10.20-11.18 ■ http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/13_yamadera/index.html ■ 後藤美術館を初めて知った。 80点近い作品、画家のほとんどは知らない。 会場は人物画や静物画と風景画が調和していて心地よい。 だから「バルビゾン」に固執する必要もない。 客も少ないからキャプションの画家歴もじっくり読んでしまった。 歴史画家に自殺が多いのに気が付いたが。 そして今更ながらコローの構成力を再発見してしまった。 周囲の作品と比較できたからである。 このような誘導を企画したようにもみえる。 気に入ったのはスタナードの静物画。 空腹だったので果物がとても旨くみえた。 そしてユエの「羊飼い姿のビーナス」。 犬の顔や目つきが野良犬の系統だからである。 ビーナスとの差、そして感情の遣り取りが面白い。 知らない美術館や画家だと余裕が湧き出てくる感じである。 知っている画家や有名作品だと、どうしても後先を急いでしまう。

■吉岡徳仁-クリスタライズ  ■うさぎスマッシュ展-世界に触れる方法-

■ 東京都現代美術館,2013.10.3-2014.1.19 □吉岡徳仁-クリスタライズ ■ 残念ですが、5年前のデザインサイトで観た時のような衝撃は無かったですね。 プリズムも薔薇も凡庸すぎます。 展示方法も下手です。 ストローはトルネードになりませんでした。 50分のビデオも過去の紹介だけでつまらないですね。 「カルティエクリエイション」や「ネイチャーセンス」などの内容を思い出しましたが。 「スヴァロフスキ」との関係が記憶に残ったくらいです。 *美術館、 https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/147/ □ うさぎスマッシュ展-世界に触れる方法- ■ 世界とは何か? 世界は情報だけで把握するしかない! データ処理でみる世界と自分自身が触る世界との差異をどうすればよいのか悩みます。 この悩みを作品にしたのが「 アウト・オブ・ダウト 」の <疑念>である満艦飾でしょ。 しかしこの展示では方法を論じているので表面的には疑念を持つような作品は見当たりません。 情報処理を駆使していますが、結局は不思議な国のアリスということですか。 「固定観念に一打を与える」というのは情報を持っている側のセリフです。 現代美術館というのは面白い立場にいますね。 森美術館との違いも考えてしまいました。 ICCも近頃はご無沙汰しています。 写真美術館も期待したのですが動かない。 このようなテーマはこれからも続けて欲しいですね。 *美術館、 https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/148/

■ターナー展  ■京都

■ 東京都美術館,2013.10.8-12.18 ■ 油彩画は「崇高」さが弱まるわね。 表面がゴツゴツしていて伸びやかさがないから率直に崇高に辿りつけない。 逆に彼の黄土と空色をたっぷり味わうことができるの。 まさにカレーマニア! ターナーの出世欲や英国海軍と愛国心、色彩実験、そしてイタリア特に三度のヴェネツィア旅行など彼の人生の歩みを初めて知ることができたわ。 ターナーの隠れていた一面も見られて充実感は100%よ。 感動は60%ね。 *館サイト、 http://www.tobikan.jp/exhibition/h25_turner.html ■ 京都 ■ 東京国立博物館,2013.10.8-12.1 ■ 「京都」だけ? 漠然としてるけど、でも裏切らなかったわよ。 「 興福寺 」 の時もそう。 寄り道でもさすが上野ね。 「洛中洛外図屏風」「京都御所障壁画」「龍安寺襖絵」「二条城黒書院の松桜・大広間の松鷹」。 絞り込んでいるから集中できるの。 「洛中洛外図」の詳細は本などでみるのが一番ね。 7点の中では2728人も描いている船木本かな? でも今回は狩野派の総力が場内を圧倒しているわ。 特に気に入ったのが二条城。 「京都でもみることができない京都」は嘘じゃなかった。 ところで龍安寺の石庭の4K映像はたいしたこと無かった。 それは対象がいつもどこでも目にするす自然だから。 前回のミケランジェロのようでなくちゃだめね。 *展示会サイト、 http://www.ntv.co.jp/kyoto2013/

■アウト・オブ・ダウト展-六本木クロッシング-

■森美術館,2013.9.23-14.1.13 ■ 赤瀬川原平や中村宏の作品をみて混乱しました。 アキラカに過去に戻り過ぎです。 そして赤旗のナンセンスで再び混乱しました。 マルクスに限らず個人の写真を掲げると北朝鮮やカルト宗教団体になってしまうのが現代のオチです。 「社会通念や制度にむけられた疑念=ダウト」を表現するにはパフォーマンスしかないと言っているようです。 そして多くの作品は満艦飾です。 どちらも情報過多で処理オーバーが原因ではないでしょうか? 海外在中を含め初めて知るアーティストたちの活動を知るのは楽しかったですね。 柳幸典の「精錬所」も海馬に再記憶しました。 *館サイト、 https://www.mori.art.museum/contents/roppongix2013/about/

■印象派を超えて、点描の画家たち

■ 国立新美術館,2013.10.4-12.23 ■ スーラの技法が欧州の画家たちに伝わっていく様子がハッキリみえる展示会だわ。 スーラは感情表現追求途中で逝ってしまったけど、シニャックはこの追求を引き継がなかったのね。 ドランとヴラマンクの2枚をみただけでシニャックの幅のある点描がフォーヴィズム誕生に手を貸したのがわかるの。 そしてゴッホがスーラに従わない理由も面白いわね。 戻るけど、感情表現追求は象徴主義画家は成功したのかしら? 結果として分割主義は合わなかったのよ。 しかも終章は驚きの結末ね。 モンドリアンとは!! プリッカーの「花嫁」で初めて線の問題が浮上してきたの。 スーラは感情表現を線で逃げようとしたのかしら? 面はわかるけど線はみえないわ。 つまり延長上にモンドリアンのいる理由がわからない。 ヤン・トーロップとの付き合いだけじゃないの? そして「点描キャンディ」にはマイッタ! 抹茶・黒糖・ミルク・レモン・苺等で補色にして瓶に入れショップで売っているの。 商魂たくましいわね。 *館サイト、 https://www.nact.jp/exhibition_special/2013/km2013/

■横山大観展ー良き師、良き友ー

■横浜美術館,2013.10.5-11.24 ■ 良き友紫紅、未醒、芋銭、渓仙の作品も多く展示されている。 しかもこの4人は大観に負けていない。 例えば大観「汐見坂」と紫紅「潮見坂」が並べてあるが、脳味噌にビビッとくるのは紫紅の方である。 漱石が「間の抜けた・・、無頓着な・・」と大観の作品を評している。 大観は観察のあと自身の中で熟成発酵を待ちそして作品にしている。 途中の待つあいだに雑念が入ってしまい間の抜けた作品になってしまうのではないだろうか? この描き方なら写実より「老子」「月下逍遥」などのキュビズム的な作品を描くのがよい。 なぜならデフォルメ化なら雑念を隠すことができるし事実傑作も多い。 ともかく大観と良き友4人が見事に一丸となっていたので興味深くそして愉快に鑑賞できた。 *館サイト、 http://yokohama.art.museum/exhibition/archive/2013/20131005-78.html

■竹内栖鳳展

■ 東京国立近代美術館,2013.9.3-10.14 ■ 終了日が迫ってくると混雑しますね。 日曜美術館で紹介されていた「羅馬之図」を見たくて行ってきました。 しかしなんとこの作品は9月末迄の展示!?、アハッ!。 それでも気に入った作品が何点か有りました。 鴨と蓮の「秋興」(1927年)、有名な「驟雨一過」。 どちらも後期の暈しが効いています。 水の色と薄い土色、後者は空気の水分まで感じられ、モンスーン気候の乾季と雨季の素晴らしい風景です。 歳をとっても作品が崩れないのは写生の威力でしょう。 「・・形があれば線など不要である」。 この言葉も写生に生きた栖鳳の核心を語っています。 会場には猫派が多いようでしたが、女性のヌードもどんどん描けば新しいファンも広がったはずです。 でも「絵になる最初」をみてもこの時代ではまだ無理でしょうね。 *館サイト、 http://archive.momat.go.jp/Honkan/takeuchi_seiho/index.html

■アートがあればⅡ  ■色について  ■池平徹兵展

■東京オペラシティアートギャラリ、2013.7.13-9.23 ■ http://www.operacity.jp/ag/exh154/ ■ 9人の個人コレクション展です。 ・・もちろんカネが先ですが、作品を持つ前に管理を考えてしまいます。 自宅が広く倉庫も借りる必要があります。 結局美術館が自分の居間だと負け惜しみの考えに落ち着いてしまいます。 ・・コレクターは偉い! 思ったより突飛な作品は少ないですね。 こんな絵画、置物が自宅にあったらいいなーというのが大部分です。 中にはどうしようもないのもありますが。 写真も多いですね。 やはり管理が楽だからでしょう。 この中でアジェ、ブラッサイ、ブレッソン、ドアノー、ケルテス、レイのコレクションがありました。 しかもこれら写真家の中でも一番気にしていた作品だったので驚きです。 こういうこともあるのですね。 コレクターへのインタヴューは無回答になっていました。 ■ 色について、2013.7.13-9.23 ■ http://www.operacity.jp/ag/exh155.php ■ 常設の寺田コレクション展です。 気に入っている加納光於、落田洋子、奥山民枝、大野俊明が今回は展示してあり満足でした。 内間安星の虹のような作品もなかなかのものです。 企画展より充実感がありました。 ■ 池平徹兵展、2013.7.12-9.23 ■ http://www.operacity.jp/ag/exh156.php

■ミケランジェロ-天才の軌跡-  ■ル・コルビュジエと20世紀美術  ■国宝興福寺仏頭展

■ 国立西洋美術館 ■ミケランジェロ-天才の軌跡-2013.9.7-11.17 ■ 「システィーナ4K」の礼拝堂天井画を観て感動の涙が止まらなかった。 「人間の肉体こそが神の最高の創造物」。 これがミケランジェロのすべてよ。 だから「最後の審判」の後から描いた腰布がどれだけ惨めかあらためて落胆したの。  「真実を語るものは裸体」。 ミケランジェロォォォオオオ・・ *館サイト、 http://www.tbs.co.jp/michelangelo2013/ ■ル・コルビュジエ と20世紀美術,2013.8.6-11.4 ■コルビュジエが こんなにも沢山の絵を描いていたとは!知らなかった。 キュビスム系画家としてはイマイチだけど時代の流れを正確に走っているのは凄い。 でも建築と絵画の関連性はわからなかったわ。 建築を前提として観に行ったのがいけなかったのかもね。 *館サイト、 http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2013lecorbusier.html ■東京芸術大学美術館 ■ 国宝興福寺仏頭展 ,2013.9.3-11.24 ■ 西洋美術館のついでに寄ったけどこれは儲け物よ。 唯識学派法相宗の本山が興福寺だったことを会場で知ったの。 「この世に存在するものは己の心が外に現れたものにすぎない・・」。  この唯識論は現代脳科学でも通用するとおもわない? この考えが二千年前に何故にできたのか? それは人間が持っている直感だとおもう。 生まれながらにして「世界が何であるか知っている」のが人間なの。 あとから経典などが作られたのよ、多分ね。 そして板彫十二神将像、銅造仏頭と木造十二神立像。 立像は頭に干支の動物を乗せているから笑っちゃった。 なかでも毘羯羅 (子)、招杜羅(丑) 、真達羅(寅)立像の表情は素晴らしい。 見応えのある面白い展示で奈良へ行きたくなってしまった。 *館サイト、 http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2013/kouhukuji/kouhukuji_ja.htm

■トスカーナと近代絵画

■ 損保ジャパン東郷青児美術館、2013.9.7-11.10 ■ http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index.html ■ 「マッキアイオーリ」には斑点という意味を持っているらしい。 水分の少ない空間を光がまっすぐに射しこんで来るような絵が目に付く。 湿度の低い晩夏の風景にもみえる。 これがマッキーの明暗なのか? しかしトスカーナは新時代を捉えられなかった。 パリやミラノの影響が強くてマッキーは蒸発してしまったようだ。 そして首都はローマになりトスカーナは古い貴族と貧しい農民だけが残った。 近代は中産階級がいないところでは芸術も伸びない。 トスカーナの近代絵画史を辿った展示会である。

■幽霊・妖怪画大全集、福岡市博物館所蔵

■ そごう美術館,2013.7.27-9.11 ■ お盆までに観る予定が今になってしまいました。 しかも三井と横須賀も「妖怪」でしたが残念ながら行けたのはここだけです。 展示は福岡市博物館吉川観方コレクションのようです。 解説もわかり易く涼みながらの鑑賞は最高でした。 幽霊には円山応挙とその一派の存在が強かったことを初めて知りました。 そして浮世絵師豊原国周は住まいと妻を替えるのが癖だということもです。 引っ越しは100回近く、再婚は40回もしたそうです。 凄い! 江戸中期から昭和中期迄の日本の幽霊の全体像が楽しめました。 結構混んでいました。 夏休みの妖怪はデパートでは最高の企画ですね。 *館サイト、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/13/0727_yureiyokai/

■日本の絵・三瀬夏之介展

■平塚市美術館、2013.7.13-9.16 ■ http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/2013204.htm ■ 会場に入って、この画家の絵は時々見ていることを思い出した。 もちろん個展は初めてであるが、他画家の中でみるほうが衝撃力がある。 まとめてみるとこれが薄まる。 全体を俯瞰するような構成で小さく田畑や民家そしてビルも確認できる。 花火か星雲か? 十字架の星?が散りばめられている。 モヤモヤした神秘性もある。 題名の「神」が多いのも頷ける。 日本画らしいが、そのようにもみえる。 このモヤモヤモクモクムラムラした中から何かが出現するような感じだ。 これからもこの画家はモヤモヤモクモクムラムラを描いていくのかな? モヤモヤモクモクムラムラして何も見えなくなってしまうかもしれない 。

■大野麦風展-「大日本魚類画集」と博物画にみる魚たち-

■東京ステーションギャラリ、2013.7.27-9.23 ■ http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201307_Bakufu_Ohno.html ■ 「真鯉」「ヒゴイ」の鯉2点は博物画ではなく日本画ですね。 見慣れている魚は日本画、他は博物画にみえます。 博物画というのは生物と無生物の中間を感じさせるのがよいのではないでしょうか。 杉浦千里の「エビ」は現代的博物画です。 それにしても大野麦風の絵は素人的です。 このため博物画を志したのは正解です。 上田尚と田中茂穂の二人が解説文を書いていますが、上田尚のは素晴らしい。 魚を生き生きと蘇らせる文章です。 釣る、料理する、食べる工程が有る。 これが日本的本草学です。 魚類画集で知らない魚をみるとまずどんな味か想像します。  

■米田知子-暗なきところで逢えれば-  ■写真作品のつくりかた  ■ネコライオン-岩合光昭写真展-

■東京写真美術館,2013.7.20-9.23 □米田知子-暗なきところで逢えば- ■ プラットフォームや道の写真・・。 入口でもらった作品リストをみてわかる。 伊藤博文暗殺現場であり、サイパン島玉砕場所である。 リストを見なければ背景がわからない。 「SCENE」はリストを見たが以降は見ないで会場をまわる。 映像作品「暗なきところで逢えば」はとてもいい。 緑色のオーロラ、公園に設置してある戦車、雪の道路。 そして鉄が響くような音楽。 作者は映像作家が合うと直感的におもった。 映像は説明書が不要だから。 作品リストは見ないで捨ててしまったので「SCENE」以外は記憶にない。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-1864.html ■写真のエステ- 写真作品のつくりかた ■ アングル・焦点・光・暗室の構成要素ごとに展示されている。 半分以上はどこかで何回もみている作品である。 だから要素と作品の結びつきがよくわかる。 「写真のエステ」シリーズの中では直截的でわかりやすい。 というよりシリーズを欠かさずみているので力がついたのかな? *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-1866.html ■ネコライオン- 岩合光昭写真展- ■ ネコとライオンの横顔の写真が入口に飾ってあったがこれがすべてを言い表しているようだ。 どちらも穏やかな顔である。 他は習性や日常の行動を写している。 ネコとライオンは食べること・寝ること・遊ぶこと・生殖のこと以外は考えていないのではないか? 雌は子育てが追加される。 これらは他者とのコミュニケーションが必須である。 しかし地球環境をみればこれで十分である。 人間は羽目を外してしまった。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-1935.html

■アメリカン・ポップ・アート展-ジョン&キミコ・パワーズ・コレクション-

■ 国立新美術館、2013.8.7-10.21 ■ http://www.tbs.co.jp/american-pop-art2013/ ■ ファインバーグ夫妻、プライス夫妻そしてパワーズ夫妻。 後者二人は日本女性。 この展示会は自宅に飾られていた作品というから驚きの連続です。 画家一人に対して作品数が多いので深みが出ています。 最初はR・ラウシェンバーグから、次はJ・ジョーンズ・・。 軍配はJ・ジョーンズですか。 彼には戦略があります。 A・ウォーホルは見慣れた作品ですが、真面目に作品の前に立つと圧倒されます。 パワーズ夫妻と画家との関係も解説やビデオにあり作品を面白くしています。 やはりXX夫妻というのは二人分ですからパワーがあります。 この展示会もパワーが有りました。 今回はパワーズですか?

■寺山修司展「ノック」

■ワタリウム美術館,2013.7.6-10.27 ■入口で「ノック」上演の市街図をもらうの。 住民票は不要。 館の入場料は必要よ。 初めて「ノック」の概要を知ったわ。 写真とビデオだけどね。 「青猫化粧館」「便所のマリア」「銭湯における男事件」は戦後日本生活風景の極端化。 「ヒューマンボクシング」や「闇の東京遊覧バス」は観客が出演者よ。 そして「家族中継」や「ノックする招待状」は一般市民にまで拡張していく。 「書簡演劇」はビデオだけだと分かり難い。 学生運動も終息した1975年は時代の転換点ね。 ここまではノックが身近な時代だった。 この後はノックのない時代に入っていく。 でも寺山は人々の心の扉をノックし続けながら駆け抜けていく・・。 展示内容は寺山修司の経歴、実験映画、演劇実験室の三部構成だけど詰め込み過ぎだわ。 気に入った歌は「列車にて遠く見ている向日葵は少年の振る帽子のごとし」(1957年)。 「ノック」とは違う世界にみえる。 *美術館、 http://watarium.co.jp/exhibition/1307terayama/index.html

■<遊ぶ>シュルレアリスム

■損保ジャパン東郷青児美術館、2013.7.9-8.25 ■ http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index_shuru.html ■ 会場のあっちこっちに「あなたもシュルレアリスト」がある。 夏休みの子供向けワークショップである。 「リレー」「オブジェ」「コラージュ」「デカルコマニー」「フロッタージュ」。 これだけ作れば立派なシュルレアリストになれる。 出品作品は200点。 多くは国内美術館から集めたものである。 ダリの2枚の油絵は初めてだ。 岡上淑子の7作品は気に入った。 意味と無意味の境界線を漂っている感じだ。 しかも明確で強さがある。 意識を解放してくれる強さである。

■福田美蘭展  ■ルーヴル美術館展-地中海四千年のものがたり-

■ 東京都美術館、2013.7.23-9.29 ■ http://www.tobikan.jp/museum/2013/2013_fukudamiran.html ■ パロディでしょうか? 作品全体が古ぼけているようにみえます。 現実世界を作品に取り込む時に、その時代の生き生きしているところを掴み損ねてしまった感があります。 作品化してもすぐに古くなってしまっているのではないでしょうか。 創作理由がキャプションに書いてあります。 そして絵をみますが文章と作品の関係も真面目すぎます。 面白そうだけどやっぱりツマラナイという絵ばかりです。 でも気に入った作品もありました。 「眠れる森の美女」。 カルペ・ディエムのように時代と無関係なテーマには強い作家だとおもいます。 つまらない記者が書いたニュースのような絵を描き続けるのか理解できませんでした。 ■ ルーヴル美術館展-地中海四千年のものがたり-、2013.7.20-9.23 ■ http://louvre2013.jp/ ■ このような展覧会はいつも疲れるばかりです。 しかし今回は疲れなかった。 リズムがあったからです。 キャプションも読み易い。 映像も目に優しい。 目玉の「ギャビーのディアナ」は素晴らしい。 その横にある「ランズダウンのパリス」も最高です。 四千年ですから全体の把握はできません。 しかしそれを無視してもかまわない展示思想があるように感じました。 やはりそれはリズムにあるとおもいます。 作品の数と質、配置、経路、解説、映像などから出ているリズムを巧くまとめるのが大事です。

■鳳が翔く-榮久庵憲司とGKの世界-

■ 世田谷美術館、2013.7.6-9.1 ■ http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/images/sp00164_ad.pdf ■ 展名や庵から日本美術かとおもったけど、なんとインダストリアル・デザイン展! キッコーマン醤油の卓上瓶が入口に展示されているの。 いつも見てる瓶だけど、1:1.618の黄金比率できていて<初めて知った驚き>があるわ。 毎日乗っているJR山手線の車両や成田エクスプレスN’EXも彼のグループが関わっている。 新宿西口新宿警察署交差点のサインリングもよ。 いままで見えなかったけど、あらゆるところにデザイン集団GKがあったのね。 秋葉原UDXのデザインもね。 展示数の多いヤマハバイクもとても素敵だわ。 最新のVMAXもいいけど、ヤマハXSV1サクラ(2007年)は醤油瓶と同じ日本的な形で最高ね。 でもなぜ日本的と感じるのかとても不思議。 三章の「道を求めて」、四章「美の彼岸へ」は再びの驚き。 儒教と仏教が融合したような内容なの。 「道具は道に具わりたるもの、道の具わりたるもの・・」。 デザインと東洋思想の融合でここまで入り込むのは凄いけどよくわからない。 道具とはなにか? デザインとは何か? これらは現世で使うものだから彼岸で展示会を終わらせるのは納得できない。 融合のまとめが五章に必要かも。 でも観客自身が現世の未来は切り開け、ということね。

■クリスチャン・ケレツ展

■ギャラリー 間,2013.7.19-9.28 ■ 「ルール」と「模型」のことがチラシに書いてある。 会場へ行ったが模型は見えたがルールは見えない。 あたりまえだが。 模型に立ち現れるリアリティと具象化については彼の言い分がよくわかる。 ルールを探したがそれは還元又はミニマルのようだ。 しかし作品はいただけない。 「鄭州高層ビル1,2案」「ロイチェンバッハ学校」は無機質感が漂う。 これをみて伊藤豊雄作品の有機感と比較してしまった。 「パライゾポリスの公営住宅」を俯瞰するとやはり同じである。 生活の豊かさは疑問である。 骨があって肉がないような考え方だと本人も言っているが、その向こうにあるものを見せて欲しい。 会場が狭いから骨だけで我慢するしかないのか。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex130719/index.htm

■谷文晁展

■サントリー美術館、2013.7.3-8.25 ■ http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2013_3/index.html ■ イキイキとした江戸後期の世界が文晁を通してみえる展示会です。 文晁は芸術家というより職人絵師で教養人という感じですね。 やはり若い時に玄対に師事し南蘋画等中国文化に触れたこと、松平定信の仕官になったことが大きいですね。 今なら米国へ留学して官僚になったようなもんです。 しかも文化人との交流や弟子の育成が巧い。 弟子への絵画教育も①古画模写②実物写生③個性確立と現実的社会的な段取りを踏んでいます。 芸術家肌ではないので感動して唸る作品はありませんが、安心納得するものばかりです。 「ファン・ロイエン筆花鳥図模写」は模写以上の何かがあります。 後期の「八仙人図」は教養プロ絵師の作品そのものです。 「石山寺縁起絵巻」の補作や六・七巻は素晴らしい色ですね。 カネをかけているのがわかります。 これも安心納得します。 谷文晁を連れ立って江戸時代を周遊してきたようです。

■フランシス・アリス展-ジブラルタル海峡編-

■東京都 現代美術館,2013.6.29-9.8 ■「 メキシコ編 」 の続きよ。 でも夏バテのようね。 作品が少ないから。 メキシコ編に入れたらパンクしたかな? 夏休み向けの企画として取っておいたのね。 海の色や波の大きさ、風の匂いが会場一杯で子供たちと一緒にジブラルタルで泳いでいるようだったわ 。 海辺の砂遊びや水切りもね。 子供の頃には20以上切ったこともあるし・・。 海へ遊びに行ってきた感じの展示会だった。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/141.html

■プーシキン美術館展-フランス絵画300年-

■ 横浜美術館,2013.7.6-9.16 ■仏300年間の長さは量が質を呼びます。 古典→ロココ→新古典→ロマン→自然→印象→ポスト印象→フォーヴ→キュビズム→エコール・ド・パリ。 ロシア皇帝・富豪コレクターの成果です。 有名画家では作品の1割くらい見た記憶がありますが全集だか展示会だか定かではありません。 気に入った作品はブーシェ、ドニ「緑の浜辺」、マチィス「カラーアイリスミモザ」。 ゴーギャンの2枚です。 横浜までもう一度足を運んでもいいですね。 *館サイト、 http://yokohama.art.museum/exhibition/archive/2013/20130706-79.html

■LOVE展

■森美術館、2013.4.26-9.1 ■ http://www.mori.art.museum/contents/love/index.html ■ これは面白い! <愛>について一癖ある作品群で構成されているからよ。 でも量と質があって消化不良になりそうね。 70名ものアーティストが出展しているから。 たとえば荒木経惟「センチメンタルな旅」はいろいろな美術館で観てきたけど、妻の裸体写真だけはいつも外して展示されているの。 でも今回はこれも入っていて充実感がある。 このように些細だけど決定的作品に漏れの無いことが展示を面白くしているようね。 会田誠展の性暴力抗議では多くの議論があったけど、結果として森美術館は信頼できるのではないかという気がしたの。 美術館は何か隠しているのではないか? 観客が作品の出展経緯を疑うようになれば最悪だもんね。

■江戸絵画の奇跡-ファインバーグ・コレクション展-

■江戸東京博物館、2013.5.21-7.15 ■ http://edo-kiseki.jp/ ■14日に行ってきた。 会期ギリギリで間に合った。 ところでファインバーグ夫妻のメッセージを読んでいたらプライス夫妻を思い出してしまった。 2006年7月に国立博物館で開催された「若冲と江戸絵」展 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=382 である。 さらに検索したらこのプライス・コレクションが東日本大震災復興支援として仙台市博物館・岩手県立美術館・福島県立美術館を巡回しているらしい http://jakuchu.exhn.jp/ 。 これは驚きだ。 プライスはファインバーグより20年早く若冲から入ったが収集品はどちらも似ている。 例えば今回「群鶴図屏風」(鈴木其一)が出展されているが、なんとプライスの「群鶴図屏風」も来日しているようだ。 両コレクションを日本で観られるのは嬉しい限りだ。

■川合玉堂

■ 山種美術館,2013.6.8-8.4 ■ 並べてみると55歳前後の作品が一番キリッとしてしていますね。 脳味噌が最高潮です。 その後は脳活動の衰えと経験の豊かさの二つが混ざり合ってより親しみやすさが増していきます。 これで何度見ても飽きがこないのでしょう。 玉堂の一番の色は水です。 「春風春水」の川の色です。 よく描かれる鵜飼は篝火と煙で水に色がありません。 この流れの速い水色が山々や木々に湿感を与えて日本の風景を決定づけています。 途中展示替えをして所蔵全点を紹介するようです。 *館サイト、 http://www.yamatane-museum.jp/exh/2013/140.html

■カラーハンティング展

■2121デザインサイト,2013.6.21-10.6 ■ 思ってもみない企画展である。 アフリカならまずはライオン狩から始めるのがよい。 次の古文書狩は面白い。 色から読み広げると見落としていた古い世界が現前するようだ。 メガネ狩や天気狩、唇狩など見える世界は全て狩れることを発見させてくれる。 しかしなんでも狩れることから驚きがどんどん少なくなっていく。 企画効果が長続きしない。 このような切り口の企画展を連発してくれ! 連日の暑さだから毎日行ってもよい。 *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/color_hunting/

■JR展・世界はアートで変わっていく

■ワタリウム 美術館,2013.2.10-6.2 ■ JRは去年の「 ひっくりかえる展 」 で知ったけどこれは続きのようね。 入場者のポートレイトを大型プリンタで作成してくれるの。 インサイドアウト計画の一環みたい。 世界で展開している彼の成功活動は日本ではちょっと違う感じ。 それは日本は街中に広告が溢れているからよ。 顔写真もゴミのように埋もれてしまう。 もう一つ、彼の<目>の拘りが日本のあらゆる狭さの鬱陶しさを余計意識させてしまうわ。 作品としてはパレスチナ人とイスラエル人の「向き合って」が一番面白かった。 彼の作品の面白さは<身軽さ>だとおもう。 実際塀や屋根をピョンピョン動きまわっているしね。 *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1302JR/index_e.html

■世界報道写真展2013

■ 東京都写真美術館,2013.6.8-8.4 ■ 今年の作品は静かさがある。 肉片が飛び散り叫び声のする作品は少ない。 大賞が子供たちの葬儀のせいもある。 自制でも入ったのかな? この展示会はいつも世界の見落としや偏見、言葉の優位、想像の欠如を是正してくれる。 スーダン軍の武力衝突、ベトナムの同性愛者たち、サウスダコタ州のオグララ・ラコタ族、オハイオ州のホームレス、ローマ近郊の売春婦、リオデジャネイロのスラム街、エルサルバドルのギャング間闘争などが記憶に残った。 スポーツではドニ・ルーヴルの日本の相撲。 たった2枚の写真だが新鮮であった。 はじめて相撲の歴史や力士を見た思いである。 見慣れているテレビ相撲番組や新聞の写真はブヨブヨでどうしようもない。 * 「世界報道写真展2012」

■アンドレアス・グルスキー展

■国立新美術館、2013.7.3-9.16 ■ http://gursky.jp/ ■ 以前「サン・パウロ・セー駅」をみて凄い建物だと感激したことを思い出しました。 でも加工をしていたとは・・、この展覧会で知りました。 彼の作品は不要なモノを削除し必要な対象物を繰り返し並べています。 この繰り返しのリズムが宇宙的広さと静寂を招きます。 なにかこの世界に自分一人しかいない感覚に襲われます。 しかしどうも古臭い感じもします。 古き良きユッタリ感もあるということです。 20世紀の空気が漂っているのです。 過去にみたのは先の駅以外に数枚ありました。 でも名前を真面目に確認したのはこの展示会が初めてです。 写真史の授業に出席したような観後感がありました。

■イザベラ・バード旅の世界写真展

■東京大学駒場博物館、2013.3.16-6.30 ■ http://museum.c.u-tokyo.ac.jp/exihibition.html#Bird ■ 「ツインタイムトラベル」とはバードの写真と地理学者金坂清則の写真を対比させ時空を立体的にすることらしい。 しかし海外旅行というのは麻薬と同じだ。 着陸した機内から出た時の初めての国の匂いと過る不安。 ・・。 成田へ戻る便の席に座った時の脱力感と充実感。 そして離陸直後から次の旅のスケジュールを考える楽しさ・・。 平凡社の東洋文庫は大書店に行かないと置いていない。 この棚の前に経つといつも旅を考えてしまう。 旅行記・遊覧記・随行記・見聞録・漂流記・巡礼記・探検記・航海記・踏査行・巡察記・風土記・遍歴記・名所記・・・。 未知の旅で一杯だ。 バードの翻訳本の多くがこの文庫に収まっているのに納得。

■坂本一成・住宅めぐり

■八王子夢美術館,2013.5.17-6.30 ■ 住宅建築は興味が尽きないわね。 衣食住の一つだから。 坂本は「建築を自由にする」と言っているの。 この例として「・・nLDKを使わない。 代わりに関係性を繋げられる主室・間室・外室を使う・・」。 なるほど。 でも言葉の違いだけでよくわからないわ。 ただ解放的になることは確かね。 土地の狭い日本での一戸建てはこの解放が曲者かもね。 むしろ思想を外に集中する集合住宅のほうが安心して住めそう。 ところでキャプションの文章がまた曲者なの。 多分学生に書かせたのね。 「・・用途の分節に対応しながら各層の平面形状の違いや外部空間との関係から、場所ごとの異なる質の空間を都市へと連続させ開放させる・・」。 文章の意味はわかるけど。 写真や図面の建築物を前にすると混乱するわ。 コトバとモノが一致した建物は心休まるけど、自由な建築は休ませてくれないようね。 *館サイト、 http://www.yumebi.com/acv53.html

■近代洋画にみる夢・河野保雄コレクションの全貌

■ 府中市美術館、2013.5.25-6.30 ■ http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/kindaiyouganimiruyume/index.html ■ コレクター河野保雄の名前を初めて知りました。 無名の長谷川利行を収集したのは日常の生活や世間の関心から出発したのでしょうか? しかし関心は広がりを持っているようです。 実業家ということで時代に敏感だったのかもしれません。 明治後期から昭和中期までの約250点が展示されています。 これといった作品はありませんが画家たちの周辺を浮かび上がらせるような内容です。 そして多くが両親や祖父母の時代のためか観客の過去を振り返ることができる展示です。

■中村好文展・小屋においでよ

■ギャラリー間、2013.4.17-6.22 ■ http://www.toto.co.jp/gallerma/ex130417/index.htm ■ 「森の生活」の引用「死ぬときになって自分が生きていなかったことを発見するようなはめに陥りたくない・・」。 納得いく小屋を作ってそこに住むこと。 この引用から逃げる一つの答えである。 会場入口ではもちろん大先輩鴨長明が出迎えてくれる。 堀江謙一のヨットの内部は漆のように赤みがかっている。 精神的肉体的に落ち着いて<ハイ>になれる色だとおもう。 実物のHANEM HUTが中庭に建てられている。 線と管の無い家(=電気・水道・ガス・通信が無い)である。 台所・トイレ・シャワはある。 部屋の本棚をみると、映画関係は小津安二郎と A ・ヒッチコック、伊丹十三・・。 小屋的にみえないが。 人間大の小さな建物をみていると必要なモノは何かが明確に見えてくる。 そして自然の中で小動物のように生活する楽しさを想像できる。

■「暮らしと美術と高島屋」展

■ 世田谷美術館,2013.4.20-6.23 ■ 「染織家と親密な関係を築き、美術的な商品を世に問い続ける・・」ことが百貨店美術のスタートらしい。 日本橋高島屋は納得する展示会が多い方ね。 日本橋三越、新宿小田急も味があったかな。 小田急は今は開催しているのかしら? 百貨店美術館では西武が一番。 伊勢丹は平凡すぎた。 今の文化村は良くも悪くもリッチな感じが漂っている。 横浜そごうを含め保守的過ぎるの。 もはや流れを変えられない。 西武で終わってしまったようね。 高島屋鈴木弘治とセゾン辻井喬の対談をビデオで観たけど文化戦略が描き切れていない。 辻井は既に高齢よ。 高島屋の東南アジア進出も二匹目の泥鰌になるかもね。 アジアの生活や文化が日本と同じような道を辿るならいいけど・・。 *館サイト、 https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00165

■牧野邦夫・写実の精髄

■練馬区立美術館,2013.4.14-6.2 ■ いやー参りました。 自画像ばかりで。 なぜこんなにも自画像を描くのか? しかも武装してまでも。 三人もの姉に囲まれていた影響もあるはずです。 きつい顔をみれば癌で亡くなるのも頷けます。 レンブラントへの憧れはよくわかりません。 でも岸田劉生の匂いはします。 褐色肌は昭和前半のリアルな色です。 裸婦は日本人独特のセクシーさがあります。 人物以上に静物も同様です。 たとえば食卓の食器や果物も枯れた美を持っています。 後半は風景のあらゆる箇所に亡霊のような顔が描かれています。 服の柄や雲の形にもです。 これが逆に衝撃力を失わせています。 もっと写実に徹することで戦略としての面白さが出たはずです。 *美術館、 https://neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=m10233

■空想の建築、ピラネージから野又穫へ

■町田市国際版画美術館,2013.4.13-6.16 ■ 展示構成はうろ覚えだが。 ・・エジプト誌、ピラネージの古代ローマからロゾイック等の摩天楼まで、コイズミアヤの建物模型、阿部浩のリトグラフだったと思う。 古代遺跡や劇場跡・摩天楼は過去なのか未来なのかわからない。 時間が建物に溶け込んでいるからである。 コイズミアヤの作品は突っ込み不足である。 版画と違って模型は時間を戻したり進めたりすることができない。 阿部浩の石版画には鋭さがある。 これは題材として選択したピラミッドのお陰である。 でも抽象すぎて他章から外れてしまっている。 <空想の建築>は混沌としている時間を内包できる現実の建築が必要らしい。 抽象建築物だけでは混沌を受け止められない。 ■ELEMENTS・野又穫 ドローイング展 ■ 上記企画展の続きにみえるが・・。 「交差点で待つ間に」(2013年)は忠犬ハチ公付近の風景だが、ピラネージの「古代ローマのアッピア街道とアルデアティーナ街道の交差点」のオマージュのようである。 ・・漫画に近いが。 それにしても彼の作品にはピラネージにあるような時間の凝縮度が無い。 それは陰影や暗闇が少ないからである。 光や影は時間の存在を意識させてくれる。 渋谷を描いた「波の光」(2013年)はもはや別物である。 *美術館、 http://hanga-museum.jp/exhibition/index/2013-181

■フランシス・アリス展ーメキシコ編-  ■桂ゆき、ある寓話

■フランシス・アリス展-メキシコ編- ■東京都現代美術館,2013.4.6-6.9 ■ どの作品も嫌味が無くてサラッとした感じね。 とてもいいわ。 質の良いロードムービのスケルトンをみているようね。 だからメキシコシティを遊歩している感じがあるの。 記憶に残った作品は「実践のパラドクス1」「再演」「愛国者たちの物語」。 「貧困地域での芸術活動は必ず搾取になる・・」。 厳しい言葉ね。 「野良犬のようだ」と評論家が言っていたけど、厳しい言葉の実践かもね。 第二期「ジブラルタル海峡」も待ち遠しいわ。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/141.html ■ 桂ゆき, ある寓話 ■ 枯れ草色は子供時代の近所の風景の色かな? 100年前は都心でも落葉樹林にかこまれていたからね。 戦争を挟んでも彼女はとても自由にみえる。 描いた新聞紙が多いけどなぜ本物を使わなかったのかしら? コルクや布は使ったのに。 もし使っていたら社会との距離が違ったはずよ。 自由なようで日本社会の慣習から飛び出るあと一歩のところで留まっていたのかしら? *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/143.html

■レオナルド・ダ・ヴィンチ展

■東京都美術館,2013.4.23-6.30 ■ 「アトランティコ手稿」は小さいのでゆっくりみることができない。 「もしダヴィンチが微分積分学を知っていたら・・」。 どこかの本で読んだ記憶がある。 手稿をみるとなるほどそうかもしれない。 しかしレオナルドは建築や機械、幾何学は決定的ではないと言っているようにみえる。 ミケランジェロをみて急に騎馬像をつくろうとした、と場内の解説にもある。 絵画以外は子供の熱中時代をそのまま大人まで引きずっている感じだ。 というか全てが絵画に集約していくようにみえる。 手稿をみてレオナルドはやはり画家だと納得した。 * 「レオナルド・ダ・ヴィンチ,美の理想」(Bunkamura,2012年) *展示会サイト、 http://www.tbs.co.jp/leonardo2013/

■マリオ・ジャコメッリ写真展  ■写真のエステ  ■日本写真の1968

■東京都写真美術館、2013.3.23-5.12 ■ http://syabi.com/upload/3/1807/giacomelli.pdf ■ ふつうは原色が想像できるけど、彼の写真はそれを許さない。 黒と白にすべてが凝縮しているからよ。 この集中が自ずと構成に対しても敏感になっている。 だから神学生たちは演技かもしれない。 それにしても老人たちの肉体と表情には唸ってしまう。 「善き大地」でやっと色が想像できるようになったわ。 後期作品は衰えがみえる。 というか黒白が強烈すぎて前に進めないのよ。 ■ 写真のエステ、2013.5.11-7.7 ■ http://syabi.com/upload/3/1868/Aesthetica.pdf ■ 去年のコレクション展はテーマと内容がはっきりしていた。 今年のエステはわかりにくいわね。 エステの意味は美学より感性が合っているんじゃない? それは絵画ではなく写真だから。 光・反映・表層・喪失感・参照。 言葉から出発しているからどうにでもなる内容かもね。 引用も多いし。 でも作品を別の角度から論じるので新しい発見もあるとおもうの。 期待したいわ。 ■ 日本写真の1968、2013.5.11-7.15 ■ http://syabi.com/upload/3/1870/1968.pdf ■ 会場は混乱しているんじゃない? 館にある68年前後の写真をすべてを展示しているような感じね。 いままでの企画展の断片があちこちにみえる。 企画展のコラージュだわ。 もっと作品を絞ってちょうだい!

■貴婦人と一角獣展

■国立新美術館、2013.4.24-7.15 ■ http://www.lady-unicorn.jp/ ■ 入場した途端マチスの「赤い部屋」を思い出してしまった。 千花文様を眺めているとどの時代、地域のものでも植物への興味に違いが無いのがわかる。 しかし犬や兔・狐の描き方はどうしようもない。 真面目な六コマ漫画をみているようだ。 タピスリーだからしょうがないのかな? 衣装や髪形はなかなかいけるが。 会場内に高精細デジタルシアター、出口前に映像コーナーがあった。 この2本でやっと全体像がわかった。 金曜日は20時迄開館していたが、ゆっくりしすぎ途中で時間切れになってしまった。 再度行く気はもちろん無い。 

■オディロン・ルドン 夢の起源

■ 損保ジャパン東郷青児美術館、2013.4.20-6.23 ■ ルドンが故郷ボルドーや師である水彩画家ゴラン銅版画家ブレスダン植物学者クラヴォからどのような影響を受けたの? という展示会よ。 故郷や師の影響はともかく・・、 初期の人や馬は姿勢が良く演劇的な動きがあって素敵だわ。 それと蜜柑茶色と青空斑色の独特な神秘性の色彩画には人生の和らぎと肯定がみられる。 この理由が今回わかったの。 それは結婚し子供が生まれてから色彩画の多くを描き出したからよ。 昨年は一号館の「ルドンとその周辺」だったかしら。 今回も8つの石版画集が展示されていたけど、岐阜県美術館の作品を東京で毎年でみることができて嬉しいわね。 でも一度は岐阜県美術館に行かないと悪いかな? *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/past/361.html

■アントニオ・ロペス

■ BUNKAMURAザ・ミユージアム、2013.4.27-6.16 ■ http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/13_lopez/index.html ■ 場内に入り「ギリシアの頭像と青いドレス」をみてギクリ、「花嫁と花婿」をみてムムム、「夕食」をみてサスガ、・・脳みそが痒くなりました。 絵画を前にして脳が痒くなる時は良い作品と決まっています。 特に「夕食」は異様さがあります。 テーブルの広さと皿が不均衡です。 なんとよーくみるとコラージュです。 ロペス自身の異様さも気に入りました。 しかし「グラン・ビア」などは別にして風景画や室内画は少し裏切られました。 そして彫刻で再び脳みそが痒くなりました。 「男と女」「横たわる男」などは過去に見たようで見ていない、未来で見るようで見られないような人体です。 これこそ<普遍>です。 一つの作品に数十年をかける彼の考えがわかったようでわかりませんでした。

■梅佳代展  ■難波田龍起の具象  ■秋山幸展

■ 東京オペラシティアートギャラリ、2013.4.13-6.23 ■ http://www.operacity.jp/ag/exh151/ ■ 子供が写真を意識すると白目やベロを出したりお化けの真似をしたりしておどけます。 このような男子小学生の行動はよくわかります。 しかし女子中学生のバナナを男性性器のようにしたりパンティを頭からかぶる時の心の中はよくわかりません。 しかし梅佳代が子供から大人まであらゆる人の心に入り込んでいるのは作品をみればわかります。 犬も同じです。 これが写真を生き生きとさせている理由でしょう。 誰でも同じような写真はとれますが、このような性格というか特技を持っていないとだめです。   下記2展も同時開催。 ■ 難波田龍起の具象 ■ 秋山幸展

■ミュシャ展、パリの夢・モラヴィアの祈り

■森アーツセンターギャラリ,2013.3.9-5.19 ■ ミュシャは長くみていても飽きが来ないわ。 草花や生物は日本画とは違う意匠だし、女性の身体も少女雑誌に登場する匂いがするからよ。 「生活の質を良くしたい」とミシャは言っているけどこれも日本美術に似ている 。 そして彼がこんなにもスラブ世界に思い入れをしていることを初めて知ったの。 この世界観が底流していたから作品に深みがあったのね。 ミュシャの全てに出会えたと言える展示会だったわ。 *展示会サイト、 http://www.ntv.co.jp/mucha/

■カリフォルニアデザイン1930-1965

■ 国立新美術館,2013.3.20-6.3 ■ 会場は仕切りが少なくスッキリと広々としています。 <カルフォルニアらしさ>があります。 それは「軍需産業の縛り」や「ナチズムからの逃避」の終結、「復員兵に対する高等教育」と「急増する中産階級」、そして遠い東海岸、メキシコや太平洋の近さ・・。 これら 時代変換と地理位置が解放感を持ち込んでいるのでしょう。 しかし多くは100円ショップで売られているようなキッチュな感じの作品ばかりです。 時代が一回りしてしまったのですね。 でも解放感は今でも失っていません。 この感覚は日本では生まれないでしょう。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2013/california/index.html

■ルーベンス、これぞバロック

■Bunkamura・ザミュージアム,2013.3.9-4.21 ■ ルーベンスは組織で活躍する人だったのね。 工房作品の質と量を維持するため彼は殺されそうにもなったらしい。 組織の厳格さが分かる。 そして政治世界への接近も射程に入れている。 絵画も含めまさに彼のすべての行動がバロック、つまりカトリックとしての反撃なの。 これがチラシにあった「バロックの神髄」の意味なのね。 彼の描いた女性や子供の肌はモッチリ感があって素敵だわ。 カルヴァン派でもまいってしまうはずよ。 昔ルノアールに出会った時、ルーベンスの生まれかわりにみえたの。 筆さばきは違うけど体型やモッチリ感が似ているからよ。 そう思わない? *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/13_rubens/index.html

■フランシス・ベーコン展

■ 東京国立近代美術館,2013.3.8-5.26 ■ 金縁の額と反射するガラス張りを通して観るのがベーコンへの礼儀だと初めて知った。 額縁の写っていない画集でみるのとは俄然違う。 真剣に額縁やガラスも感じてしまうからである。 そして金縁とガラスの中にどうしようもない肉体が蠢いている。 「意識が飛び立つ瞬間へ!」「チャンスの到来を待つ!」。 彼の言葉が当てはまるのは60年代迄である。 例えば「教皇」たち。 しかし後半は変わる。 ひねくれた人物象の目が肉体から離れて関係性を饒舌に語るようになる。 でもその身体は沈黙する。 影響された舞踊家の舞台はベーコンとは似て非なるものにみえる。 「疱瘡譚」の土方巽もW・フォーサイスもベーコンから離れてしまっている。 生身とは時間の連続性が違うのかもしれない。 映画監督D ・リンチはいい線をいっているが・・。 80年代後半になると静かでツマラナイ絵になってしまう。 同性愛の緊張も、もはや見えない。 ところでマリリン・モンローの写真を見て「素晴らしい姿勢だ!」と彼が語っていたが同感。 *館サイト、 http://archive.momat.go.jp/Honkan/bacon2013.html

■アーウィン・ブルーメンフェルド美の秘密  ■夜明け前・知られざる日本写真開拓史・北海道東北編  ■APAアワード2013  ■第四回全国学校図工写真美術公募展

■ 東京都写真美術館 □アーウィン・ブルーメンフェルフルド美の秘密,2013.3.5-5.6 ■ んーン、久しぶりに職業写真家に出会ったようね。 人物がマネキンになる二歩手前で止まっていて、身に付けている口紅もマニュキュアもそしてイヤリングも衣装も、人物と同じ密度で撮られているの。 個々の意味さえも平均化されてしまい、写真の隅々まで均一だけど、みていると震えがやってくる。 <幸福であろう>近未来からやってきた人物像にみえる。 エドワード・スタイケン は過去からやって来たけどね*1。 ブルーメンフェルドに出会えて嬉しいわ。 *1、「 エドワード.スタイケン写真展 」(世田谷美術館,2013年) *館サイト、 http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-1803.html □ 夜明け前・知られざる日本写真開拓史・北海道東北編,2013.3.5-5.6 ■ ここの館は「夜明け前」が好きらしいわね。 写真の技術や器機は外国からの輸入品。 日本にとっては出来合いのソフトウェアみたいなもの。 しかし明治政府や写真家は体系的に写真を活用していたとはみえない。 だから夜明け前なのかなあ? *館サイト、 http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-1801.html □APAアワード2013,2013.3.2-17 ■ 広告写真の公募展。 今年の経済・文部大臣賞は感情だけが高揚していて中身の薄い作品にみえる。 優秀賞のトヨタ自動車「REBORN」のドラエモンもイマイチね。 ユニクロはUNIQLOらしい作品ね。 経済が停滞していると広告も単純化するのね。 でも全体をみるとさすが企業広告だけあって人・物・金がそれなりに行きとどいている感じがするわ。 *館サイト、 http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-1805.html □第四回全国学校図工写真美術公募展 ■ 小学校の図工に写真を取り入れていたなんて知らなかった。 生徒が作った猫や犬などのフィギュアを写真に撮っているの。 そのフィギュアがとても生き生きしている。 視覚的なコミュニケーション・プレゼンテーションを養うの

■あっぱれ北斎!光の王国展  ■川村麻純展  ■「パラの模型/ぼくらの空中楼閣」パラモデル展

■フェルメールセンター 銀座,2013.1.1-3.31 □あっぱれ北斎!光の王国展 ■ 初刷の状態に戻すのは前回の「フェルメール」と同じようだ。 印刷技術でしかも190%迄に拡大してあるから顔の表情や細かい文字などがはっきりわかる。 机上でじっくりみている気分になる。 このジックリみるところに北斎の楽しさがある。 これで「諸国瀧廻り」の水の流れと音に溶け込んでしまった。 「富嶽三十六景」でも北斎の気合が入っている作品といない作品があからさまに表れてしまう。 高価なベロ藍を多用しているところは気合が入っているようだ。 隅々まで見たという実感が残った。 *館サイト、 http://www.vermeer-center-ginza.com/ □ 川村麻純展 ■ 資生堂ギャラリ,2013.3.5-28 ■ 「母と娘」「姉と妹」の関係をインタビュウした映像作品が2点。 幼少の頃、娘から母をみた感想が語られる。 「授業参観日に化粧をした母をみるのが嬉しかった」「父に接するとき母に女をみた」 ・・。 同じ構成の後者は妹から姉をみた感想である。 「姉が彼氏と居る時は私に優しかった」「姉の顔と足が小さかったので憧れていた」・・。  このような作品は初めてなので新鮮だ。 何か秘密の話を聞いてしまったから新鮮に感じるのか? 息子からみた母、男兄弟の話はこれほど面白くはならないとおもう。 より外部に意識が向いてしまうのが男だからである。 *館サイト、 http://www.shiseidogroup.jp/gallery/exhibition/past/past2013_01.html □「パラ の模型/ぼくらの空中楼閣」パラモデル展 ■メゾン・エルメスフォーラム,2013.2.16-5.6 ■ プラモデルとパラモデルの違いがわからない。 どうも林泰彦と中野祐介の作ったグループ名であり且つコンセプト名らしい。 東京ステーションギャラリ で展示されていたのを思い出す*1。 面白くなかったが。 子供の頃に沢山の線路図を描いたり、サイボーグの構造を詳細に書いたりしたが、これの延長ではないのか? B・タウトの「都市の冠」は読んでいない。 しかし建築からは離れている作品とみたが。 以上、銀座で立ち寄った3館のメモ書き。 *

■ラファエロ

■ 国立西洋美術館,2013.3.2-6.2 ■ ラファエロの凄さとは何か? それはフィレンツェに行った時、ウフィッツィ美術館以上にピッティ宮殿に感動することです。 宮殿のラファエロにです。 しかし今回、その感動の到来はありませんでした。 今の世界がそして今の日本が騒がしい為だとおもいます。 新聞評にはラファエロの魅力は「中庸」であるとありました。 的を得ています。 観客も中庸でなければラファエロに共鳴できないからでしょう。 今の時代はエル・グレコ が似合っています*1。 *1、「 エル・グレコ展 」(都美,2013年) *館サイト、 http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/raffaello2013.html

■小林猶治郎展・超然孤独の風流遊戯  ■富田有紀子展

■練馬区立美術館,2013.2.17-4.7 □小林猶次郎展 ■ 関東ローム層の茶色や落葉広葉樹林の錆びた緑色が強い光の中で匂いを放っています。 この日本の色や匂いはほんの数十年前までは生活に溶け込んでいたはずです。 この色・匂いから湧き出る副題の「超然孤立の風流遊戯」は少し大げさです。 1930年頃から絵が変わったようです。 物がスッキリ見えるようになっています。 しかし匂いが薄くなりました。 結婚し子供が生まれて結核を忘れることができたからでしょう。 少し懐かしい日本の色や匂いに出会えて豊かな時を過ごせました。 *館サイト、 https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=m10231 □ 富田有紀子展 ■ 猶治郎の孫娘のようです。 花や果実の連作が数十枚の正方形キャンバスに描かれています。 この展示方法は写真を意識しています。 ガチ写真ですね。 新作の花の蕾を観ていると、<写真>を乗り越えなければならない時期にきているようです。 *館サイト、 https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=m10232

■都美セレクション・新鋭美術家

■ 東京都美術館、2013.2.19-3.7 ■ http://www.tobikan.jp/museum/2013/sineibijyutuka.html ■ 新鋭画家6名で約50点の展示会である。 都美リニューアルオープンでの新事業の一つらしい。 今林明子と嶋崎達哉以外はどこかで観ていることに気がつく。 多くは非現実のような現実を描いている。 作家の言葉が掲げてあった、 「10代から感じている日常の不安や虚無感が・・」「中学時代の浮遊感や違和感が・・」「中学時代の教師の影響が・・」。 どれも10代の頃の意識の有り様が原点にあるようだ。 作品ともども内向志向が強い。 世界への関わりをもっと貪欲に取り込んでくれ。

■琳派から日本画へ-和歌のこころ・絵のこころ-

■ 山種美術館 、2013.2.19-3.7 ■ http://www.yamatane-museum.jp/exh/current.html ■ 琳派だけではアウェーになってしまう。 副題の「和歌のこころ」が付いてホーム・アンド・アウェーになるのね。 所蔵品が多いといくらでも企画を拡張できるから楽ね。 でも安易すぎるかも。 和歌が入ると日本美術全体に広がってしまうから。 前半は「石山切」「戊辰切」の8点がいいわね。 宗達、光琳、抱一は軽さの有る作品が多いし、後半もホーム寄りの画家が散らばっているから散歩の途中に寄るには最適ね。 「深江葦舟」が後期展示で見られなかったのは残念だわ。

■飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡-

■東京国立博物館・本館、2013.1.12-4.7 ■ http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1556 ■ 先日の展示会「白隠」(*1) を思い出してしまいました。 彫刻と書画の違いはありますが、円空は白隠と同じ考え方・生き方をしたのでしょう。 両者の膨大な作品数(白隠1万点、円空10万体)をみてもわかります。 まさに庶民信仰の為にです。 いつの時代でも老病死は無くなりませんから。 代表作「両面宿儺坐像」はやはりいいですね。 どっしりとした安定感と切れ味が光っています。 *1、 http://ngswty.blogspot.jp/2014/01/blog-post_17.html

■絶対風景  ■日本の美・伊勢神宮

■富士フィルムスクエア、2013.2.22-3.13 ■ http://fujifilmsquare.jp/detail/1302220123.html ■ 絶対風景の略が絶景ではないようだが、しかし絶景かなである。 日本の森林率は70%で先進国ではノルウェイ、スエーデンに次いで三番目、海岸長は世界6位とあった。 この数値からも絶景が生まれる確率は高いはずだ。 絶景は写真家の心情があまり入らないから素直に見ることができる。 彼らが努力したことは分かるが運良く撮れたような作品が多い。 しかし星野佑佳は少し違う。 美ヶ原、魚沼、川上町、彼女の思いが風景に滲んでいるようだ。 まさに日本の絶景といえる。 ■ 日本の美、伊勢神宮、2012.12.1-2013.2.28 ■ http://fujifilmsquare.jp/detail/12120104.html ■ 渡辺義雄の作品が約10点。 まるで建築資料だ。

■歌舞伎、江戸の芝居小屋

■サントリー美術館、2013.2.6-3.31 ■ http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2013_1/index.html ■歌舞伎座新開場の記念展です。 1章の歴史はとても分かり易い。 女歌舞伎や若衆歌舞伎の舞台風景、江戸・明治の木挽町や猿楽町・新富町の地図など興味がでます。 2章は名優たちです。 初代からの市川團十郎や松本幸四郎などの俳優と演目が並んでいます。 しかし歌舞伎に惚れ込んでいないと面白くないですね。 3章の芝居を支える人々も同じです。 「贔屓と連中」の違いなどわかりましたが・・。 エピローグに歌舞伎座の建物模型が飾ってありました。 最初期の外観は西洋風だとは知りませんでした。 ともかく4月からの新しい歌舞伎座へ行ってみないと話にならないということです。

■奇跡のクラーク・コレクション

■三菱一号館美術館、2013.2.9-5.26 ■ http://mimt.jp/clark/index.html ■ 観たことのない作品が多いからドキドキするわ。 この館は部屋が分かれていて流れが見えないから余計そうね。 気に入った作品が多いのはピサロとシスレかな。 ルノワールや彼らの静物画も見る機会が少ないから嬉しい。 ルノワールの人物画の素敵なところは衣装やアクセサリ、髪型も生き生きしているところ。 たぶん父が仕立屋、母がお針子だったことも理由の一つかも。 そしてこれだけのルノワールに出会えるのはとても幸せね。