投稿

5月, 2017の投稿を表示しています

■東京スカイツリー

■建築主:東武タワースカイツリー,設計:日建設計,施工:大林組,照明:戸恒浩人 ■行こう行こうと思っている間に5年が経ってしまった。 やっと登ってきたの。 でも350メートル展望デッキからの眺めはノッペラボウで刺激が無い。 450メートル展望回廊はそれ以上だわ。 建物が小さ過ぎてゴミにしかみえない。 それでも荒川と隅田川に挟まれた墨田区江東区の広さを実感できる。 それと関東平野の端々が見える(らしい)。 今日は快晴だったけど湿度があって山々がみえないのよ。 エレベータの出発到着階は考えられている。 乗降客がぶつからないようになっているのもいいわね。 でも狭い展望内はフォトサービス、売店やレストランがあって息苦しい。 これは詰め込み過ぎ。 しかも「進撃の巨人展」いや「進撃の巨塔展」の展示物が弥が上にも目に入る。 これだけ投入している理由は外の景色に直ぐに飽きてしまうから、特に子供は。 来場者が減少しているのも分かる気がする。 東京タワー大展望台(150メートル)に上った時の緊張感は忘れない。 それは東京タワーが周囲の高層ビルと拮抗しているからよ。 特別展望台(250メートル)はそれほどでもない。 今の東京風景は200メートルより少し低いところから見るのが一番冴えるのかもしれない。 *東京スカイツリーサイト、 http://www.tokyo-skytree.jp/

■ファッションとアート、麗しき東西交流展

■横浜美術館,2017.4.15-6.25 ■先ずは絹織物商を営んだ椎野正兵衛商店と高浮彫・横浜彫の宮川香山を持ってきたのは港が見える美術館に似合う。 貿易からファッションを考えるとはさすがね。 ということで2章は服飾の輸入。 和服から洋服へ急いだのは国力誇示が理由よ。 どうしても西洋に並びたい! 断髪令、廃刀令、洋式軍服そして1872年に男性礼服が洋装へ、1886年に女性礼服にも及ぶ。 当時の人物画から洋服を着る喜びを窺うことができる。 でも庶民が洋服へ移行したのは関東大震災後らしい。 やはり日常を変えるのは大変なのよ。 そうなると3章は輸出。 西欧でのジャポニスム流行が輸出拡大を可能にしたみたい。 小袖を室内着にしたとは驚き。 理由はコルセットからの解放なの。 そしてデイ・ドレス、イヴニング・ドレス、イヴニング・コートが並ぶ。 これは1890年代から1920年代の30年間を50着前後で陳列されている。 和服の原型が残っているから和洋折衷だけど多くは見事な出来栄え、特にコートは最高ね。 後半はジャンヌ・ランバン、ポール・ポワレ、マドレーヌ・ヴィオネなど有名デザイナーも登場させて豪華な展示になっている。 他美術館でのファッション企画とは趣が違う。 それは展示会名に要約されているとおもう。 交流の面白さがあったわ。 主催者に京都服飾文化研究財団(KCI)が入ったのも充実した理由のようね。  *展示会サイト、 http://yokohama.art.museum/special/2017/fashionandart/

■エルミタージュ美術館、美を守る宮殿

■監督:マージ・キンモンス ■ヒューマントラストシネマ有楽町,2017.4.29-(2016年作品) ■美術館館長ミハイル・ピオトロスキを主役にした回想ドキュメンタリーです。 父も館長だったらしい。 エカテリーナ二世から始まるのがここの館史ですが面白さが際立つのはロシア革命からでしょう。 そして大戦末期のドイツ包囲網、戦後のスターリンから冷戦・崩壊へと激動の時代が続きます。 所蔵品を汽車に積んでの避難、盗難の悩み、館職員への強制労働や粛清、資金調達のための米国への作品売却等々が語られていく。 上映時間80分という短さから記憶している20世紀史を総動員しながら観ました。 それにしても現エルミタージュ美術館は課題が一杯のようです。 館長の机上も資料で一杯! 新ロシア誕生から四半世紀になるが館長の頭の中はまだソビエトのようですね。 まずは机の上をかたずけないと真面な決裁もできないでしょう。 「 大エルミタージュ美術館展 」が開催中ですが事前にこの映画を観て行けば感動が現代に繋がるはずです。 *作品サイト、 http://www.finefilms.co.jp/hermitage/

■パリが愛した写真家、ロベール・ドアノー

■監督:クレモンティール・ドルディル ■ユーロスペース,2017.4.22-(2016年作品) ■写真美術館通路の「パリ市庁舎前のキス」は大きすぎて視野から飛び出てしまう。 縦横が数メートルもあるが場所が暗く見る角度も狭いので壁柄として眺める他ない。 この作品は考えていた以上に演出が入っていることを今回知った。 彼は仕事人としての緻密さを持っている。 この延長に演出が入るのは必然かもしれない。  後期のカラー写真になると得意としている人の姿が見えなくなる。 彼の実直な記録性やストレート性と合わなくなったのか? カメラを持つ古き良き特権で彼は時代と共に走るこができた一面もある。 観終わって監督を調べたらドアノーの孫娘だった。 ドアノーの表裏を引き出し親密に撮っているのは家族関係だけでもない。 流石にカメラマンDNAも引き継いでいる。 *映画com 、 https://eiga.com/movie/86309/

■Don’t Blink、ロバート・フランクの写した時代

■監督:ローラ・イスラエル,出演:ロバート・フランクほか ■Bunkamura・ルシネマ,2017.4.29-(2015年作品) ■「ロバートと聞いて写真家なら誰を思い浮かべるか?」。 幕開きでの質問は面白い。 「・・、キャパだよ」。 これが普通だろう。 芸術かぶれならメイプルソープを挙げるかもしれない。 日本でフランクと答える人はもっと少ないはず。 昨年の「フランク&シュタイデル展」はみていない。 作品に時代性が強いため被写体の中に作者フランクが埋もれてしまうからである。 アレン・ギンズバーグやウィリアム・S・バロウズなどビート・ジェネレーション一派が相手だと特にそうなる。 ローリング・ストーンズは偶然出会ったようにみえたが。 ウォーカー・エバンスから影響を受けたと彼はインタビューで言っていた。 対象へストレートに向かったのはこの為かもしれない。 映画はとてもよく出来ていた。 監督ローラ・イスラエルも初めて知る。 インタビューも面白かったし編集も良かった。 20世紀中頃、特にニューヨークの雰囲気に久しぶりに浸れることができた。 *作品サイト、 http://robertfrank-movie.jp/

■19世紀パリ時間旅行、失われた街を求めて

■練馬区立美術館,2017.4.16-6.4 ■ローマ時代から20世紀までパリ風景の石版画や銅版画で会場の壁は一杯! 詰め込み過ぎの感がある。 作品が小さくてキャプション文字数が多い為かしら? WEB掲載の鹿島茂と学芸員の話は面白い。 失われた街角への関心は時間旅行に、残っている街角との比較は空間旅行になるようね。 この企画は「 アルフレッド・シスレー展 」(2015年)の延長線上にあるらしい。 旅行好きでパリを遊歩した人なら空間旅行ができて楽しいかも。 1章「パリ、時代時代」の建物風景石版画群は時間の許す限り眺めていてもいい。 でもポテモンのパリ大改造のエッチングは入り難いわね。 生活場面は3章のオノレ・ドーミエのリトグラフが最高。 うーん、パリへまた行きたくなってきた! *館サイト、 https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201702111486797027

■板倉鼎・須美子展、よみがえる画家

■目黒区美術館,2017.4.8-6.4 ■目黒川沿いの木々が輝いています。 この季節に未知の画家を観に行くのはウキウキしますね。 鼎はかなえと読むらしい。 根津美術館2階中国古代青銅室で見る字です。 鼎の作品はパリ留学の1926年前後で大きく変化する。 それまでは細かい線を重ねるようなルノワール風タッチで身近なテーマが多い。 どことなく主張が見えない。 でもパリ以降は違います。 静物画・人物画が多くなる。 影を付け立体感が増している。 彼の師匠ロジェ・ビシエールはジョルジュ・ブラックと親交があったらしい。 鼎にも間接的影響が見られる。 そして顔半分を右手で隠すような須美子らしき人物画は印象的です。 静物画に空虚感が漂っているのは周辺空間が余っているからでしょう。 金魚鉢の背景はそれが青空と白雲になっている。 須美子は日曜画家アンリ・ルソーを稚拙にしたような作品です。 彼女の人生でハワイの占める大きさがわかります。 鼎は28歳、須美子は25歳で亡くなっています。 当時の平均寿命が42歳です。 今の寿命を倍の84歳として換算すると鼎は56歳、須美子は50歳になります。 現代からみても若すぎる死が悔やまれます。 *館サイト、 http://mmat.jp/exhibition/archives/ex170408

■アドルフ・ヴェルフリ、二萬五千頁の王国

■東京ステーションギャラリ,2017.4.29-6.18 ■1章「初期作品」の鉛筆画6枚は充実度が窺える。 1905年頃のヴェルフリは描くことに純真な時期だったのでは? 1本の鉛筆を1日で使い切ったらしい。 しかし驚きは持続しない。 5年後の色鉛筆を取り込んだ時に緊張の質が違ってしまったようだ。 現実世界の雑音も同時に取り込んでしまい追われる身になってしまったのでは? 音符と文字の連続は彷徨える精神を持続させる為のリズムであり、利子計算は世界との関係を保とうとした結果だろう。 5章の「埋葬行進曲の朗読」映像があったが、それを聞いていると彼は子供時代・青春時代の悪夢から最後まで逃げられなかったとおもう。 このような作品をみると芸術云々と言うより人間精神の奥深くある奇怪さを考えてしまう。 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201704_adolfwolfli.html

■ランス美術館展、古典派ロマン派印象派そしてレオナール・フジタ

■損保ジャパン日本興亜美術館,2017.4.22-6.25 ■展名のランスをフランスと見誤ってしまっていた。 でも知らない美術館は何が登場するか分からないから楽しみだわ。 はたして有名画家の無名作品が多い。 ダヴィット、ドラクロワ、シャセリオ、コロ、ミレ、クールベ、シスレ、ピサロ、ヴュイヤール、ドニ・・。 ここには藤田嗣治もいるから嬉しい限りね。 一番はチラシにも載っていた「バラと彫像」(1880年)かしら。 黄桃がかる机上には彫像やガラス瓶そして花々・・。 多分みるのは初めてかも。 パーフェクトと言ってもよい。 藤田では「十字架降下」(1927年)。 でもこれは広島美術館所蔵らしい。 あとイゾレルを使って黒人を描いた2作品が目に留まる。 帰りのミュージアムショップで「中村江里子とシャンパーニュで乾杯!」を購入。 ランスといえばシャンパーニュよ。 うん、ランスへ行った気分になれそう。 *館サイト、 https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2017/musees-reims/

■写真家ソール・ライター展、ニューヨークが生んだ伝説

■Bunkamura・ザミュージアム,2017.4.29-6.25 ■被写体に入る雑多な物々に存在感を持たせ、さりげなく遠近にばら撒いて作品を完成している。 それは傘やカーテンであり木の葉や曇りガラス、雨や雪などです。 人々も都市の一部になり物語は表層を流れていきます。 色は画中に置いていく感じですね。 ナビ派ゴーギャンの言葉通りです。 作者は街の中で色を探し回る。 雪の白、黄色いタクシ、緑の傘、信号の赤、床屋のサインポール・・。 そしてヌードモデルもファッションモデルと同じように関係性は拡散し薄い叙情感を漂わせている。 ライタが再登場したのは作品に嫌味が無いので疲れている現代と合うからでしょう。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_saulleiter/