投稿

10月, 2010の投稿を表示しています

■ドミニク・ペロー展

■東京オペラシティアートギャラリー、2010.10.23-12.26 ■ http://www.operacity.jp/ag/exh123/index.html ■傾いたり、太くなっていく建物は微妙な目眩を感じますがそれは心地良さを伴っています。 地面を削って側面を建物にした梨花女子大学は印象的です。 ランドスケープという言葉の具体が表現されているとおもいます。 しかし地震や湿度の高い日本での自然の見方とは少し違う気がします。 そして自然や景観のマクロを意識するあまりマリンスキー劇場や十日町能舞台は演劇の精神性が削がれているのではないでしょうか。 チラシに「・・ミニマルな力強さのポストモダンに幕を引き新しい風を起こした・・」と書いてありますがこの意味がわかりません。 ミニマルとは「モダン」または「ポストモダン以降」の用語ではないでしょうか? ペロー作品フランス国立図書館はミニマルにみえますが? ・・二つの?が残りました。

■アンドリュー・ワイエス展

■埼玉県立近代美術館、2010.09.25-12.12 ■ http://www.momas.jp/3.htm   ■250点の多くは素描・習作水彩画で少しガッカリ、その分ジックリとみてきました。 バケツや風になびくカーテンさえもリアルに感じられ、これほどまでに引き付けられるのかが不思議です。 牛を見てると納屋内の空気さえも見えるようです。 その空気は日差しのある温度と乾いた湿度が感じられます。 近づくと大胆な筆使いのようですが離れると牛の生き生きさが現れます。 掲示されていたワイエスの古新聞の切り抜きを読むと朝8時から夕方5時まで土日も休まず毎日体力の限界迄描き続けたそうです。 膨大な時間量が作品に凝縮されているのですね。 どこに時間をかけているのか知りたいところです。 ベルイマン監督の映画、特に「野いちご」が好きなことも書いてありました。 オルソン・ハウスの物語を知って「野いちご」の先生と人生観に通ずる所が有ると想像できます。

■ラヴズ・ボディ展

■東京都写真美術館、2010.10.02-12.05 ■ http://syabi.com/contents/exhibition/index-340.html ■チラシのバッファローの岩から転げ落ちる写真をみて行ってみたら、思いも寄らないエイズ関連の企画展でした。 日本のエイズ罹患者が増加しているのにメディアは静かです。 それはエイズが普通の疾病なった、つまり同性者間感染比率が低くなったからでしょう。 今回の展示は90年以降のエイズに向き合った写真家の作品を集めています。 写真を前にするとエイズ感染者への偏見との格闘が少なからず発生します。 このような時は思考が狭まってしまい居心地が悪くなります。 やはり常日頃この問題を意識していくことが格闘から逃れる方法のようです。 作品より写真家がどういう問題背景で撮ったのか考えてしまう展示会でした。 同時開催の「二十世紀肖像」展にも入りましたが今年度の企画展に出した写真を再度寄せ集めただけで最悪でした。

■北原照久の「超驚愕現代アート展」

■森アーツセンターギャラリー ■ http://www.roppongihills.com/art/macg/events/2010/10/macg_kitaharateruhisa.html ■テレビの「なんでも鑑定団」でウスウス気付いていたがヤッパただ者ではなかった。 会場を入ると木下雅雄の「BUNNY」。 そして山下信一の数十体の「雲母きらら」。 アッと言う間に別世界にはいれる。 さらなる驚きは横尾忠則を収集していることだ。 主にポスターだが本人から譲り受けた「ナタリーの海」が展示されていた。 荒木博志の「アトム」など、多くは玩具だがすべてに懐かしさがある。 会場出口近くには武藤政彦「ムットーニ」が30作品ほど並べてある。 彼の初期の作品を見るのは初めてだ。 やはり機械的SFから出発していたことが分かる。 残念ながら一つも電気が入っていない。 これで動いていれば最高だったろう。 北原照久ような人がいると知っただけでも生きるパワーが湧いてくる。

■ゴッホ展、こうして私はゴッホになった

■国立新美術館,2010.10.1-12.20 ■ゴッホの農民へのおもい、素描の訓練、パースペクティヴフレームや色彩理論書の展示から彼の研究意欲が伝わってきます。 「アイリス」の色落ち問題なども解説されていたので色を補ってこの作品を鑑賞しました。 比較の為でしょうか?他画家の作品が交互に並んでします。 副題「こうして私はゴッホになった」に沿う展示です。 ゴッホへの知識は増えますが、これは左脳で観る展示会です。 そして「アルルの寝室」の部屋まで再現してあります。 これはいくらなんでもやりすぎでしょう。 もはや絵画を無心で右脳で観る環境ではありません。 学芸員の善かれとした事が、度が過ぎて自己満足に陥ってしまったような展示会でした。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2010/gogh/index.html

■掘文子展と礒江毅展

■平塚市美術館 ■二人の作品を同時に観れるのはうれしい。 掘文子は20歳代、礒江毅は40歳代の絵が冴えている。 掘は画風がコロコロ変わり過ぎている画家だ。 若いときの作品は生物を純心に捉えている。 以降は地球に似た天体の植物や生物を描いているようだ。 今は海中の微小生物に心が移っているようだがこれも似た天体の延長だ。 90歳を過ぎても絵に衰えが見えないのはすごい。 礒江の1996年頃からの数年の静物画は存在感が増している。 対象物に時間を凝縮したなにものかが籠められているようだ。 53歳で急逝したのはほんとうに惜しい。 ここの美術館は日本人画家をひとりひとり紹介する展示が多いがこれからも続けてほしい。 *館サイト、 http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/index.htm

■「バルビゾンからの贈りもの」展

■府中市美術館,2010.9.17-11.23 ■作品の回りに解説や画家の履歴がベタベタ貼ってあるので落ち着かないし、夕景は寂しさが漂っているし、本多錦吉郎の「府中欅並木」を見てこの100年で武蔵野の姿は消滅してしまったし・・、風景画をゆっくりみて至福の時をすごそうかと行ったがそれに浸れない気分だ。 いつも常設展「牛島憲之」を覘いて帰ることにしている。 本日は好きな作品「残夏」が展示されていた。 例え企画展に満足できなくても牛島憲之で生き返ることができる美術館だ。 *館サイト、 https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/index.html

■「リチャード・ゴーマンⅡ」展

■三鷹市美術ギャラリ,2010.9.11-10.24 ■日本人には受けが良い画家らしい。 見てナルホドとおもった。 抽象画だが色使いは浮世絵の延長にあるようだし、形はおむすびで親しみがある。 数枚ケバケバ色があったが、これはダメ美大生が描くような感じだ。 これと他作品を比較すると色と形が微妙な均衡の上に成り立っていることが分かる。 でしゃばらない絵だ。 解説を読むと12年前の展示会と比較をしている。 前回作品の写真くらい掲示してくれればよいのにそれも無い。 観客にとってこのような解説は無意味だ。 *館サイト、 http://mitaka.jpn.org/ticket/100911g/

■「第三エロチカの時代」解散記念展

■早稲田大学演劇博物館,2010.9.13-11.2.5 ■第三エロチカが見えなくなって久しい。 何故にいなくなったのか展示会を見てわかりました。 90年代以降、川村毅は右往左往していたのです。 あの過激で過剰な芝居から離れていたのです。 会場は写真のベタと1台のビデオが寂しく動いているだけです。 酷い展示会です。 まさしく第三エロチカの葬儀場と言ってよいでしょう。 10月から「新宿八犬伝-第5巻犬街の夜-」が上演されます。 最後はよりラジカルにそしてよりアナーキーな舞台にして欲しい。 それだけです。 *館サイト、 http://www.waseda.jp/enpaku/ex/1427/