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■12Rooms12Artists、UBSアート・コレクションより

■東京ステーションギャラリ,2016.7.2-9.4 ■UBS日本設立50周年記念展である。 企業コレクションだがカリスマ経営者が熱血を注いで収集したものにはみえない。 組織として活動をしているのだろう。 この為か社会的意味の付着した作品が多い。 それらは率直な感動がやって来ない。 見ながら考えてしまう作品ばかりだ。 荒木経惟の「切実」は写真を二つにビリッと破ってある。 破った意味を追ってしまう。 「センチメンタルな旅」のような作品自身から湧き出る面白さが無い。 小沢剛の「ベジタブル・ウェポン」も政治漫画の真似である。 陳界仁「ファクトリー」は映像だけに歴史を語り易い。 廃墟になった台湾の縫製工場の跡地に当時働いていた女性たちが年齢を重ねて現代によみがえる。 彼女たちが遠くを見つめると当時の映像が流れるという作品である。 台湾史を描いているのだが20世紀アジアに共通する光景にみえる。 初めて見るルシアン・フロイドも悪くはないが疲れが先に出てしまう。 楽しい作品はアンソニー・カロの「オダリスク」。 ダラッとしてるがどこか生気が宿っている肉体が心地よい。 スイス金融企業らしい所蔵作品群であった。 商品で言えば分散且つ長期運用型投資と言える。 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201607_12rooms.html

■ポール・スミス展

■上野の森美術館,2016.7.27-8.23 ■鞄はポール・スミスを使っている。 シンプルで軽くて使い易いし値段も手頃だからである。 衣装はこれに洗練された遊び感覚があることを付け加えたい。 配色は天性だろう。 形は好みが分かれる。 少し硬い感じもする。 このため日本の顧客層は二十歳前後から30代にみえる。 会場はとても賑やかだ。 色彩ある物で一杯である。 そこからアイデアが生まれるらしい。 アートウォールと同じで混沌を上手くまとめている。 彼を見ているといつも遊び心を絶やさずリラックスを心掛けている。 自分の感性を商品として形作ってきた自信の裏付けからだろう。 店舗やデパートを散策しているとポール・スミスのエリアにはこの雰囲気が漂っている。 総合デザイナーとして作品すべてに「好きこそ物の上手なれ」が感じられる。 *館サイト、 http://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=165 ■デザイナーのレシピ ■出演:ポール・スミス,松田翔太 ■「ポール・スミス展」日本開催記念として作られた1時間の映像作品である。 合わせて観ると展示会がより面白くなる。 8月23日迄配信中。

■ポンピドゥー・センター傑作展

■展示デザイン:田根剛 ■東京都美術館,2016.6.11-9.22 ■1906年から1977年までの72年の期間を、1年1作家1作品にして71作品が展示されています。 1945年は抜けている・・。 20世紀のパリの喧騒が感じ取れます。 また戦争とそれに抗う姿がはっきりと見えます。 71作品で知っている画家は30名しかいない。 40名は初めての出会いでしょう。 ポンビドゥー・センタからみて20世紀を表現できるのはこの作家であるという決意も現れている。 新鮮ですが鈍った頭をガツンとされた感じもしました。 72年間がどういう時代だったのかを、知っている30人だけではなく未知の40人を加えて改めて教えてくれたからです。 会場構成は面白い。 階段を横に倒して1枚ずつ展示してあるかのようです。 このギザギザ構成が通路を挟んで対象に設置されている。 前後の作品が見えないので1枚に集中できます。 方向性がはっきりしているので移動も楽でした。 *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/h28_pompidou.html

■木々との対話、再生をめぐる5つの風景

■東京都美術館,2016.7.26-10.2 ■「ポンピドゥー・センター展」出口横のギャラリに寄り道したのですが拾い物でした。 作家5人の木彫展です。 船越桂に出会えたのは嬉しい。 作品人物像は身長が180cm位のため見上げるようになる。 「アバター」に登場する宇宙人にもみえます。 見つめていると対話をしたくなってくる。 宇宙人との対話ですね。 非言語的ですが話をした記憶は残ります。 土屋仁応の動物たちは心が和みます。 「木とは繊維の束で方向性がある。 年輪と言う形で時間も内在している」と彼は言っています。 植物が持っている生命を動物たちに感じるのでしょう。 田窪恭治の作品は題名がいい。 古木に金箔をはり物語を強調しています。 劇的さを感じさせてくれます。 國安孝昌の建物のような作品はスタジオジブリの漫画背景に出てきそうですね。 子供時代に枯れ木などで隠れ家などを建てて遊んだでしょ。 いろいろな記憶が結びついて巨大になった作品にみえます。 木というのは観る人の過去を貯めています。 須田悦弘の「バラ」は木彫とは見えません。 紙細工のようです。 彼の作品はさりげない場所にさりげなく置いておくらしい。 それが木だとわかった時の驚きは良質です。 *展示会サイト、 http://90th.tobikan.jp/exhibition.html

■古代ギリシャ、時空を超えた旅

■東京国立博物館・平成館,2016.6.21-9.19 ■ギリシャ6千年の歴史を2時間で観てきたの。 ほぼ全ての時代の作品を並べられるのが古代文明の証ということね。 生き生きとしたミノス文明迄と戦いの匂いがするミュケナイ文明の違いは舞台が島から大陸に移動した為かしら? 戦争が文明にまで及ぼすには陸地が必要なのかもしれない。 逆に「漁夫のフレスコ画」のように裸が芸術にまで昇華できるのは海からの力だわ。 次の暗黒時代は気にかかるけど説明が省いてある。 幾何学様式時代も謎深いわね。 そして再びギリシャらしい時代になる。 「クーロス像」と「コレー像」は展示の中では一番かな。 でも結局は大陸のマケドニアに征服されてしまう。 ギリシャ文明は海に向かう時代が一番躍動感があったというのが理解できたわ。 会場のいたるところにその時代の海の香りが残っているからよ。 *館サイト、 https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1787

■LOUVRE NO.9-漫画、9番目の芸術-

■森アーツセンターギャラリ,2016.7.22-9.25 ■ルーヴル美術館はどうしても漫画を第9芸術にしたいらしい。 この実現のため「漫画プロジェクト」を立ち上げ「ルーヴルをテーマにした作品」を16人の漫画家に依頼した。 その過程をまとめた展示会である。 日本人漫画家6名が含まれている。 作品は一部分しか展示していないが大凡は分かる。 それにしても外国の漫画は取っ付き難い。 日本の漫画とは大違いだ。 外国漫画は小説のように<読んでいく>作品が多い。 絵も同じである。 両者の比較が掲示されていた。 ・外国漫画は・・ コマ単位を重視、作成時間は長い(1年単位)、色はカラー、ハードカバーで紙質は良い、販売は大書店、値段は20$、読まれる場所は書斎。 ・日本漫画は・・ 流れを重視、作成時間は短い(20ページ/週)、色は白黒、ソフトカバーで紙質は悪い、販売は売店、値段は3$、読まれる場所は不特定。 この違いを荒木飛呂彦が言い切っている。 「日本の漫画はエンターテインメントである」と。 なるほど。 なぜルーヴルが第9芸術にしたいのかが分かる。 それは文学や絵画の延長や同類とみているからである。 漫画は第8芸術のメディアに入れておけば良いと思うが? 上記のような違いを比較してもこれからは意味が無い。 ポケモンGOをしながら六本木まで行ったがゲームも将来は第XX芸術になりそうだ。 *展示会サイト、 http://manga-9art.com/

■土木展、つなぐ・ながす・ほる・ためる

■2121デザインサイト,2016.6.24-9.25 ■大学の工学部には建築工学科か土木工学科のどちらかがあった。 しかしいつの間にか土木工学科が無くなってしまった。 名前が都市工学科などに変わってしまったのだ。 土木はキツイ・汚い・危険の3Kイメージがあるので学生が集まらないらしい。 建築展は頻繁に開催されているが土木展など聞いたことが無い。 ある辞書では「建物が建築、それ以外は土木」とあった。 ダムや橋はどちらだ? 会場には新宿駅や渋谷駅の構造図や模型もあったが建築と土木の境界線はあやふやにみえる。 土木と言うくらいだからたとえ建築でも土と木をいじくりまわす比率が多ければ土木になるのかもしれない。 土木とは直接関係ないが気に入った作品は「墨田川リバースケープ」(ヤマガメユキヒロ)。 隅田川を描いたモノクロ素描に映像を重ね一日の移り変わりを表現していて幻想的である。 同じ「六甲山からの眺望」は太陽や雲や夜景だけの変化で物足りない。 土木関係の作品ではスイスのゴッタルドベーストンネルで使った「トンネル掘削機」の構造映像。 この機械は知っていたが、削った岩石をどのように後方へ運ぶのか?前進方法は?カーブでの動きは?などの疑問点が稼動映像をみて解決した。 また削った後処理も知る。 トンネル表面に網を架けコンクリートを吹き付けるところまで行っている。 想像以上の機械で感心した。 それと土木雑誌「BLUE’S MAGAZINE」を初めて手に取ったが面白い。 全体としては企業側の論理に沿った内容であり、レベルとしては学生向け夏休み用展示会と言える。  *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/civil_engineering/

■ジュリア・マーガレット・キャメロン展、写真に生命を吹き込んだ女性

■三菱一号館美術館,2016.7.2-9.19 ■写真家キャメロンは聞いたような名前だけど初めてかもね。 写真美術館でも個展はなかったはずよ。 ヴィクトリア&アルバート博物館の巡回展らしい。 肖像画が素晴らしい。 数人構成の少女たちの作品は特に素敵ね。 でもボケてない? ソフトフォーカスとしての思想性は無い。 中途半端な感じがする。 「キャメロンの同時代人」をみても鮮明な作品が多いということはわざとしているのね。 でもピクトリアリスムを狙っていたのなら筋がいいわね。 作品を縮小して見るとより芸術性が増すと思わない? 彼女が撮りはじめたのは1863年。 日本の写真史も60年頃から始まるから、当時これだけの作品を撮っていたのは凄いことだわ。 コロディオン法と鶏卵紙を使い30cm四方もの重たいカメラで撮影し作品を完成させるのは大変だと思う。 彼女は歴史性もあるから残ったのね。 *館サイト、 http://mimt.jp/cameron/

■ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち

■国立新美術館,2016.7.13-10.10 ■では巨匠たちの名前は?と問われると直ぐに答えられない。 イタリアは都市間が近すぎ移動が容易のため混乱します。 ベッリーニやティツィアーノくらいですか。 ジョヴァンニ・ベッリーニの父も兄も有名な画家なので混乱しそうです。 ベッリーニは1枚、テッツィアーノは晩年期の2枚しか出品されていない。 それでも満足できる展示内容ですから他画家の質・量に厚みの有ることが分かります。 150もの貴族がいた裕福な都市の力にも依ります。 目玉であるティツィアーノの「受胎告知」を見つめているとギュスターヴ・モロを思い出してしまいました。 より現実的な象徴主義としてです。 ルネサンスの為か風景画は少ない。 でも会場にはジョルジョーネの色彩と抒情的風景が感じられます。 それはヴェネチィアの喧騒の中の静寂としてです。 紹介映像「アカデミア美術館」に「嵐」が映っていましたが、この静寂にも謎が混じり込んでいます。 ところで「受胎告知」のタイトル作品が何故多いのか理由がわかりました。 それはヴェネツィア建国記念日421年の3月25日が受胎告知祭日と同じだからです。 心がジワッと充実していくような展示会でした。 アカデミア美術館蔵、日伊国交樹立150周年記念展。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2016/venice2016/

■ウフィツィ美術館、フィレンツェ・メディチ家の至宝

■監督:ルカ・ヴィオット ■シネスイッチ銀座,2016.7.9- ■3Dメガネをかけて観るのだが、やはり建物や彫刻はリアルに感じる。 最初は脳味噌がクゥーと唸る感じだ。 絵画も立体にみえるが違和感がある。 大ロレンツォが現代に生き返り進行役を務め有名作品を1点1点みていく流れのようだ。 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が写し出された時はこのまま一時間くらい見ていたかった。 建物表面をじっくり見る機会がないからだ。 シニョリーア広場に置いてある「ネプチューンの噴水」など彫刻群も気に入る。 さすが3D。 絵画ではボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」の金髪の重量感に生命の躍動が感じられたのは嬉しい。 ミケランジェロ「聖家族」の背景説明は面白かった。 しかし多くはありきたりな解説でつまらない。 上空からの街の映像も単純な繰り返しである。 下手な冗長性が随所に見える。 それでもフィレンツェへ行ってみたい!と言う気が起きる。 ウフィツィ美術館の広告としてみれば良いだろう。 2015年作品。 *作品サイト、 http://uffizi4k3d.com/

■東急プラザ銀座

■建築主:東急不動産,設計:日建設計,施工:清水建設 ■今年3月に開館した東急プラザ銀座に立ち寄る。 以前は阪急があった場所だ。 有楽町駅ガード下から続く<古っ臭い、安っぽい、湿っ暗い>の最前線として煌びやかな銀座四丁目と対峙していた阪急ビルがついに解体されてしまった。 有楽町に出かけた折にはこの阪急の古臭いレストラン街でよく食事をした。 それが江戸切子風の建物に変わっている。 さっそく全階を隅々まで歩く。 入居している150の店舗は良質ある<並み>といってよい。 20代から30代の客が対象のようだ。 6階に吹き抜けの「キリコラウンジ」があり一服できる。 8階と9階は免税店になっていて外国人で賑わっている。 10階、11階のレストランも他階に合わせて多くはカジュアル風にみえる。 ギリシャレストランは初めてかもしれない。 屋上は「キリコテラス」で自由に歩き回れる。 ここからの風景は初めてだが見通しは悪い。 遠くに湾岸ビルの先端が見えるだけだ。 皇居もチラッとだけである。 泰明小学校の後ろに線路を挟んで帝国ホテルが構えている。 日比谷再開発の建築中ビルも目立ってきた。 高級感は薄いが東急プラザの中ではスッキリした雰囲気がある。 細長い敷地だが店の境界がはっきりしないので広く感じる。 三菱電機のMEToAショールームやパブリック空間も多くて落ち着ける。 プラザを出ると数寄屋橋公園も新しくなっていた。 渋谷へ出かけた際にはプラザ渋谷の紀伊国屋書店に寄っていたがここも閉館になってしまった。 古臭い・安っぽい・湿気暗い東京がなくなっていくのは寂しい気もする。 *写真、 http://lnews.jp/images/2016/02/20160208sbslogi.jpg

■園子温展、ひそひそ星

■ワタリウム美術館,2016.4.3-7.10 ■館2階が「今際の際」、3階「土台」、4階「ひそひそ星の絵コンテ」の3作品で構成されているの。 映画「ひそひそ星」(*1)の延長のような内容ね。 この「今際の際(いまわのきわ)」をみて言いたいことが分かった! 忠犬ハチ公の「土台」と結びついているのは歴然ね。 「人生とは待つことである」「待つことが終われば人生も終わる」。 主人公鈴木洋子は郵便配達人でなんとロボット。 宇宙に散らばった人類、それも絶滅種になってしまい数えるほどしかいない人々に荷物を届けるのが彼女の役目。 人々は配達人を荷物を荷物に籠められた何かを待っている・・。 彼の映画はとても文学的なの。 初期作品から言葉に強く拘っていた。 きっと詩人の血が騒ぐのね。 「ひそひそ星」はそれを隠している。 配達人が荷物を持って津波跡の海岸を歩いていく唯一のカラー場面は言葉を越えている。 誰もいない街中を自転車で配達する場面も素晴らしい。 彼は映像で描き切れなかったものをこの展示会で表現したかったらしい。 どうしても言葉で表現しないと不安なのね。 でも言語を越えなきゃ! 映画に文学は不要よ。 *1、「ひそひそ星」サイト、 http://hisohisoboshi.jp/ *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1603sono/index.html

■国吉康雄展、少女よお前の命のために走れ

■そごう美術館,2016.6.3-7.10 ■国吉康雄は時々目にするが個展は十数年ぶりかもしれない*1。 スミソニアン・アメリカン・アートミュージアムでの2015年展示会と「国吉康雄プロジェクト」*2の協力を受けた展示会のようだ。 20世紀前半の彼が活動した時代を取り込んでの全体像が語られている。 米国で転々と生活しながらリーグ美術学校に行着き良き師や友人に出会えたのは彼の天性だろう。 ニューヨーク・デビュー前後の作品はセザンヌなどの影響の為か特徴ある存在感が漂っている。 以降デフォルメ化されていく。 彼はユニオン・スクエアが見えるアパートに住んでいたらしい。 パスキンとの交流は初めて知る。 彼とパリにも行っている。 そういえば人物表情の中にパスキンらしさもどこか感じられる。 そして戦時中の明るいが冷たい作品群はそのままの彼の心象だろう。 この展示会副題の詩のようなタイトルは彼の多文化主義の一つの解かもしれない。 1948年全米画家トップ10にベン・シャーンやジョージ・グロスと伴に彼が名を連ねているルックの誌面は象徴的だ。 会場での映像作品、「岡山大学の子供美術鑑賞」「国吉作品の修復作業」「スミソニアン美術館担当員の話」「リーグ美術学校時代の学生の話」はどれも楽しめた。 *1、「国吉康雄展」(2004年)、 http://archive.momat.go.jp/Honkan/Kuniyoshi/index.html *2、「国吉康雄プロジェクト」、 http://www.yasuo-kuniyoshi-pj.com/ *館サイト、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/16/kuniyoshi/index.html