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8月, 2017の投稿を表示しています

■写狂老人A  ■静かなひとびと  ■森洋史

■東京オペラシティアートギャラリー,2017.7.8-9.3 ■写狂老人A ■荒木経惟の現在を展示しています。 写真美術館と重ならないのが嬉しい(当たり前?)。 古い作品は再編成ですね。 最初の「大光画」「空百景」「花百景」の3群が作者の今を感じさせます。 「遊園の女」は作者の遊び心が衰えていない。 でも丼物や皿に盛られた食べ物のほうが生々しさがでています。 性から食に関心が移ってしまったのでしょうか? *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh199/ ■静かなひとびと ■長谷川潔の版画が最初にあったので期待の予感が高まりました。 はたして後に続く油絵群はいいですね。 河原朝生や小杉小二郎などです。 静物画や人物画は満たされた静かさがあります。 でも風景画はどこか不足からくる静けさにみえます。 野坂徹夫は初めですがJ・M・フォロンを思い出しました。 もう一度来てもいい展示会です。 *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh200.php ■森洋史 ■西欧イコン画を現代漫画に描き直したようにみえる。 人物が浅いため宗教性は無くなっています。 金色を多用しているので豪華にみえるが展示場所を探すのに困るような作品ですね。 *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh201.php

■コミュニケーションと孤独  ■荒木経惟センチメンタルな旅1971-2017-

■東京都写真美術館,2017.7.15-9.18,2017.7.25-9.24 ■コミュニケーションと孤独 ■「平成をスクロールする」第二弾夏期です。 第一弾春期「いま、ここにいる」より面白い。 「コミュニケーションと孤独」は作者からみて取っ付き易いテーマだからでしょう。 初めての作家は高橋ジュンコ、屋台敏博、郡山総一郎ですがあやふやな記憶です。 屋台の「回転回LIVE!」は激しくブレていて人に見えないのが逆に痛いですね。 中村ハルコの「光の音」が気に入りました。 濃い緑色は地球を思い出させてくれました。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2774.html ■荒木経惟センチメンタルな旅1971-2017- ■このタイトルで過去何度か観ています。 でも今回は充実してた。 すべてを出し尽くした感がある。 葬儀場面の何枚かは初めてみました。 「陽子によって写真家になった」。 この言葉に集約していく展示会でした。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2795.html

■バリー・マッギー+クレア・ロハス展、 Big Sky Little Moon

■ワタリウム美術館,2017.6.24-10.15 ■会場造りがこれから始まるかのような閑散とした雰囲気が漂っている。 作品は壁にかけたり無造作のごとく置いてある。 あっと言う間に場内を歩き終ってしまった。 4階に置いてあった資料集を読む。 「この10年で東京は静かになった・・」とバリー・マッギーは書いている。 そう言えばそうだ。 この10年で東京は本当に静かになってしまった。 人口減少の影響だろうか? それと高齢化だろう。 今回の展示もこれらにあわせたのかな? マッギーも静かな東京をみて調子が狂ったのかもしれない。 しょうがないから地下の本屋で時間を潰す。 そこでは2007年の賑やかな展示会映像が流れていた・・。 *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/

■ボストン美術館の至宝展

■東京都美術館,2017.7.20-10.9 ■時代と地域が散らばっていて万華鏡をみている感じがする。 作品数が少ないから章ごとに気分を切り替えて楽しくみることができたわ。 中国は南宋、日本は江戸に焦点をあてしかも厳選してるから目が喜び通しね。 そしてコレクターたちの顔写真と紹介が作品に親しみを与えていた。 フランス絵画がミレーで始まるのもボストンらしい。 「郵便配達人ジョゼフ・ルーラン」の両手周辺にはゴッホも驚く空間が出現している。 「卓上の果物と水差し」はコレクターであるJ・T・スポルティングが気に入って仕事場に飾っていたと書いてあったけどその気持ちが分かる。 立体感あるテーブルクロスの柄、土器の鈍い輝きそしていつもの果物・・。 静物をみる喜びが押し寄せて来る。 アメリカ絵画が何故アメリカだとわかるのか? 風景があればわかるけど、衣装かしら? 微妙な仕草かもしれない。 1章の石像はまだ助走だからよかったけど6章の写真と版画でリズムが狂ってしまった。 これを省いて現代美術を加えたほうが会場の緊張感が保たれたはずよ。 それでも満足度120%だったわ。 *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2017_boston.html

■ヨコハマトリエンナーレ2017、 島と星座とガラパゴス

■ディレクターズ:三木あき子,逢坂恵理子,柏木智雄 ■横浜美術館+横浜赤レンガ倉庫1号館+横浜市開港記念会館,2017.8.4-11.5 ■子供たちで一杯ですね。 中学生の一団が「これなら俺たちにも作れるな・・」。 頼もしい。 「島と星座とガラパゴス」に沿った作品はあるが3つの単語が繋がらない。 50頁のガイドブックには「接続性と孤立から世界のいまをどう考えるか?」とある。 こちらがテーマのようです。 でもよけい分からなくなる。 孤立は外、孤独は内への引力が強い。 芸術表現は孤独に流れ易いようです。 これを撥ね返して孤立を表現できれば面白さが出て来る。 一つ一つの作品は面白いのですが見ていく先から忘れてしまう感じです。 その中で畠山直哉の写真は対象表面の感触が独特ですね。 これもリアルと言うのでしょう。 午後からは無料バスで赤レンガ倉庫に向かいました。 狭さと暗さと縁日のような人混みの雰囲気がいい。 さすが歴史ある倉庫です。 この為か作品も生き生きしてきた! 最初の瀬尾夏美の言葉も窓からの港を眺めながら読んで行くのは趣があります。 小沢剛のインドでの岡倉天心の足跡も孤独と孤立が対峙していて面白い。 照沼敦朗のプロジェクターマッピンは身体的情念を感じます。 ドン・ユアンは中国が凝縮されていてアジア的祝祭の懐かしさがある。 ラグナル・キャルタンソン「ザ・ビジターズ」は素朴な方法でインスタレーションを精神性あるものにしています。 石造りで逃げ場の無い横浜美術館より隠れる場所のある赤レンガ倉庫がテーマに合いました。 浜市開港記念会館は時間切れです。 またの機会にします。 *館サイト、 http://www.yokohamatriennale.jp/2017/ *「このブログを検索」キーワード、 ヨコハマトリエンナーレ

■サンシャワー、 東南アジアの現代美術展

■国立新美術館+森美術館,2017.7.5-10.23 ■100人近い作家が集まると何かが蠢いているという感じね。 森美術館からみたけど最初はシックリこなかった。 昼食をとってから新美術館に入ったら段々とボルテージがあがってきたの。 この展示会は作品が積み重なっていき、ある時点で東南アジアの全体像とでもいえる何かが現れて来る。 美術展と言うより文化祭のようだわ。 面白かったのは「2匹または3匹のトラ」(ホー・ツーニェン)と「ソーラー:メルトダウン」(ホー・ルイ・アン)。 どちらも映像だけど植民地批判や欧米映画批判を語るの。 人種や宗教問題より政治問題とくに独立戦争の比重がどの国も高い。 他にも面白い映像作品が多かった。 機器が手軽になり作家の思いを巧く伝えられるのかもしれない。 絵画の時代が少なかったとも言える。 最初は身近なモノを使ってのブリコラージュが広がりその延長に映像が続いていくのね。 東南アジアに興味を持つのは旅行の対象になった時だとおもう。 ASEAN10カ国のいくつかは行ったけどその時の旅行体験が展示会を近づける。 ひさしぶりに東南アジアを楽しんで考えてしまった。 「サンシャワー」もいいタイトルネ。 作家たちは雨粒かしら? *館サイト、 http://sunshower2017.jp/

■そこまでやるかー壮大なプロジェクト展ー

■ディレクター:青野尚子 ■2121デザインサイト,2017.6.23-10.1 ■作家8人の作品展です。 知っている作家はクリスト+ジャン=クロードしかいません。 映像でしたがクリストも頑張ってますね。 多くの作品は巨大なため模型や写真・図面などで構成されている。 気に入ったのは中国山東省の渓谷で進行中の「Church of the Valley」(池上純也)。 幅1m強で高さ45mの壁を曲げて深い襞にしたような壁の教会です。 この中へ歩いていくのを想像しただけでもゾクゾクしてきます。 ところで隣の同形の建物が第二会場になっていました。 前はレストランだった。 デザインサイトへ来る客とはミスマッチだったのでしょう。 文化村ではチラシに載るタイアップメニューに釣られてドゥマゴに入ってしまう。 ここもデザインサイトとコラボでもやればもっと客が入ったかもしれません。 ・・そこまでやるか! *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/grand_projects/

■ベルギー奇想の系譜、 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで

■Bunkamura・ザミュージアム,2017.7.15-9.24 ■第1章は15-17世紀のフランドル美術。 ボスとブリューゲルの版画をみた後のルーベンスはフランドル出身でも少しホットしますね。 見慣れたヨーロッパの匂いがするからです。 やはり前二人の作品には北国の厳しさが表れています。 北方ルネサンスとバロックの違いでしょうか? 第2章は19世紀末から20世紀初頭のベルギー象徴派、表現主義。 みる機会が少ないフェリシアン・ロッブス、フェルナン・クノップフの二人がまとまって登場したのはサブライズでしょう。 ロップスのあからさまな性と死の描写は迫力がある。 クノップフの彩色写真も味が出ていますね。 もう一人のジェームス・アンソールは時々出会っています。 「レテ河の水を飲むダンテ」(ジァン・デルヴィル)は物語を知って一層感動しました。 第3章は20世紀のシュルレアリスムから現代まで。 ボール・デルヴォー、ルネ・マグリット以外にも数は少ないけど多くの作家を観ることができて楽しい。 知っている画家の所蔵先は日本の美術館が多い。 その間を埋めている知らない画家たちが輝いていてフランドルそしてベルギーを俯瞰できる展示会になっていました。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_belgium/

■沖ノ島

■撮影:藤原新也 ■日本橋高島屋・8階ホール,2017.7.19-8.1 ■藤原新也の沖ノ島写真展である。 最終日のためか混んでいる。 会場が狭いことにもよる。 沖ノ島の木々は緑より青に近く地面も落ち着いた黄土で覆われている。 日本の常用広葉樹林の延長にみえる。 海岸から急な斜面を登り森に入っていく。 森の中央が盆地になっているようだ。 入口にある三の鳥居を過ぎると空気が一変する。 そこは波が消え風が止み静寂が漂う場所になる。 しかし島全体が管理されている気配を感じる。 風景に無駄がないからである。 地面に落ちている土器の破片一つとってもその管理下にあるようだ。 明治神宮や皇居をよく歩くがこれと同じだ。 藤原は沖ノ島の空気感を撮りたいと言っていっていたが作品はこの管理感から逃げることができない。 * 「宗像大社国宝展」(出光美術館,2014年 )