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9月, 2016の投稿を表示しています

■オランダのモダン・デザイン、リートフェルト/ブルーナ/ADO  ■川口起美雄/野又穫、ふたつのアナザー・ワールド  ■児玉麻緒展

*以下の□3展示を観る. ■東京オペラシティアートギャラリ,2016.9.17-11.23 □オランダのモダン・デザイン,リートフェルト/ブルーナ/ADO ■「シュレーダー邸」の写真は見たことがあるが作者を知ったのはこの会場である。 垂直と水平の線・面、原色の青・赤・黄・白塗装の椅子や「シュレーダ邸」はモンドリアンと関係があることは直観できる。 バウハウスの影響もあるようだ。 シンプルだが物不足の時代らしくどこか重量感がある。 ADOの玩具も同じように感じる。 木という素材もあるが、やはり物質感への欲求があったのかもしれない。 「シュレーダ邸」に関して言えば出口近くのダフネ・ローゼンタール監督作品がまとめになる。 「うさこちゃん」は少し違う。 ディック・ブルーナはリートフェルトやフェルズーと違って戦後から活躍したからだろう。 たかがウサギだが線を何十回も描き直しているとは驚きである。 さすが世界のミッフィである。 それにしてもオランダの戦後美術はよくみえない。 作家の名前も顔も浮かばないのだ。 日本での紹介展も少ないからだろう。 *美術館、 https://www.operacity.jp/ag/exh190/   □川口起美雄/野又穫,ふたつのアナザー・ワールド ■これは嬉しい。 ここで二人の作品に出会えるとは。 収蔵品展はいつもサプライズである。 * 「川口起美雄,絵画の錬金術師」(2015年) * 「空想の建築,ピラネージから野又穫へ」(2013年) *美術館、 https://www.operacity.jp/ag/exh191.php □児玉麻緒展 *美術館、 https://www.operacity.jp/ag/exh192.php

■鈴木其一、琳派の真打KIITSU登場

■サントリ美術館,2016.9.10-10.30 ■其一の紹介本には「夏秋渓流図屏風」(後期展示)が必ず載りますが漫画の背景のようにいつも見えてしまう。 主人公が登場する直前の気配が漂っています。 つまり何かが不足している。 しかし「水辺家鴨図屏風」や「三十六歌仙・檜図屏風」は鳥や人が集まった面白さがあります。 生物の基本を捕らえている。 彼の試行錯誤の様子が伝わってきます。 後半の「朝顔図屏風」は悪くないのですが再びの不足感に悩まされます。 展示室終わりの「富士千鳥・・」などは鳥の飛ぶ姿が生き生きしていません。 形の優先でしょうか。 反して人物画は心を通わせることができます。 今回は風景の中でも遠景画と人物画が特に気に入りました。 *館サイト、 http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_4/index.html

■杉本博司、ロスト・ヒューマン

■東京都写真美術館,2016.9.3-11.13 ■古びたトタンバラックに囲まれて作品が置いてある。 戦後の東京下町を歩きながら観ているような錯覚に陥る。 政治家・生物学者・自由主義者・ジャーナリスト・ロボット工学者・宗教者・漁師など30人が登場し、彼らの書いた人類滅亡理由の文章「今日、世界は死んだ・・」とともに関係する物々が展示してある。 日本的廃墟の風景が会場に広がっていて想定外の驚きと言ってよい。 これはしかし「 はじまりの記憶 」と対になる作品かもしれない。 まさに「おわりの記憶」である。 緊張感溢れるエントロピーの極小を目指し、無機物から有機体が発生するその瞬間を捕らえたはじまりの記憶とはまったく逆である。 エントロビは極大化し人類が無機物に帰っていこうとしている。 これだけの物語文章が展示してあること自体が極大局面を表している。 なんと、2階展示室も物語が床にへばり付いているのだ! 作者もエントロピを食べ過ぎて無機物に帰っていこうとしているのか!? ■館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2565.html

■世界報道写真展2016、沈黙が語る瞬間

■東京都写真美術館,2016.9.3-10.23 ■シリアなどから欧州へ逃げていく難民の作品が20%を占めている。 新聞やテレビとは違いこのように難民一人ひとりをじっくり見ると問題が切実に思えてくる。 写真をみて思い出したのがネパール大地震、天津港コンテナ置場爆発事故の二点。 長期取材の部は初めて聞いたが米軍女性への性的暴行の頻発は軍組織の本質を浮彫にしている。 チベット仏教徒が集まるラルンガル街遠景、セネガル相撲、南極大陸科学保全地区は写真をみる楽しさがある。 ところで館の内装が新しくなっていた。 すっきりしてしまい事務的で物足りない。 以前の内装は凝っていて気に入っていたのだが・・。 * 「世界報道写真展2015」 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2580.html

■美術館を手玉にとった男

■監督:S・カルマン,J・グラウスマン,出演:M・ランディス ■贋作画家マーク・ランディスは記憶と空間認識が普通と違うと考えられます。 これが統合失調気質に共鳴して出来の良い作品ができた。 彼の生活は両親特に母の影響に雁字搦めにされていますね。 映画を含め芸術に向かったのは母つまり女性との接触関係が崩れてしまった代替行為でしょう。 ランディスを許さない人々が登場します。 美術館に贋作を寄贈する時に嘘を付く為です。 ランディスも内心では認めている。 それを慈善活動という言葉で逃げようとしている。 偽の神父になり活動するのはその償いでしょう。 贋作画家より贋作神父のほうが驚きです。 芸術から宗教ですから境界線を歩き続けていますね。 贋作は美術でメシを食っている人には問題です。 飯の種は無価値になるし権威の失墜にもなります。 美術館にとっては最悪ですね。 しかし贋作もアートには違いありません。 本物も模倣ですから。 彼の個展風景で幕が閉じますが法の範囲で対応するしかありません。 *映画com、 https://eiga.com/movie/82540/

■ナムジュン・パイク展、2020年笑っているのは誰?

■ワタリウム美術館,2016.7.17-10.10 ■「お金は湯水のように使いなさい!」。 パイクが家を出るときの母の言葉よ。 羨ましいわね。 展示は4階の1956年から78年、3階が1980年から83年、2階は1984年から88年の作品が並ぶの。 階ごとにビデオが5・6本と他展示物だけど長い作品は一部分をみるだけになりそう。 4階は作曲家ジョン・ケージやシャーロット・モーマンなどの演奏家との共演が多い。 音楽からはみ出てしまったのは付き合った芸術集団の影響かもしれない。 ビデオに向かった理由は分からないけど未来への直観が働いたのね。 そのビデオ作品が面白くなるのはサテライトアート時代の1階に来てからよ。 それまではアレン・ギンズバークとアラン・カプローのパフォーマンスやマース・カニングハムのダンスなど狭い芸術や政治から抜け出せなかった。 「グッドモーニング・ミスター・オーウェル」「バイ・バイ・キップリング」「ラップ・アラウンド・ザ・ワールド」の3作品は今見てもどれも楽しい。 三宅一生、山海塾、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ヨーゼフ・ボイス、曙、浅田彰・・、あらゆるジャンルの人が登場するの。 一番は作品が生き生きとしていることね。 人間味がある。 この作品群でネットワークを使い社会や政治や芸術と結び付けて映像の方向性を出せた。 彼のインタビュからもコンセプトは長い時間軸で考えられていたことが分かる。 でも副題の2020年に誰が笑っているのかは調べなかったけど。 *美術館、 http://watarium.co.jp/exhibition/1608paik/index.html

■トーマス・ルフ展

■東京国立近代美術館,2016.8.30-11.13 ■「ポートレート」「ハウス」の順に作品群が続いていくが会場にはドイツの硬さが漂っている。 ある種の規律性が感じられる。 しかも生物への気配は跡しかみえない。 魂の存在感が均一に広がってしまっている。 「ネガティヴ」以降も見応えある作品が続く。 「jpeg」は意識を持ったロボットがエンパイアーステートビルとトレードセンターの現象差異を把握しようとしている場面である。 「フォトグラム」は絵画を意識してしまった。 抽象への面白さを備えている。 それにしても雑音のない作品が多い。 音楽は奏しているのだが無響室にいるようだ。 「2001年宇宙の旅」の写真版と言ってもよい。 *展示会サイト、 http://thomasruff.jp/