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■黄金のファラオと大ピラミッド展、国立カイロ博物館所蔵

■森アーツセンターギャラリ,2015.10.16-2016.1.3 ■場内解説が分かり易いので全てを読みながら進みました。 中高生向きですが大人も楽しめます。 何故に古王国時代に短期間で文明を築けたのか? それは国民が死を恐れなかったからです。 ピラミッド建設も国民自身が汗を流した。 これでファラオと共に死の世界で再び生きていくことができると彼らは信じていたからです。 人間にとって「再生できる」ほど心強い言葉はありません。 そして特筆に値しますが当時奴隷はいなかった。 日常生活はパンやビールもありナイル川の恩恵が行き届いていた。 また外では男、ウチでは女が権力を握っている男女平等が徹底されていた。 このようなことが展示品を通して具体的に体感できるのが素晴らしい。 監修者吉村作治のエンターテインメントある上手さが出ているのでしょう。  大晦日午前中に「五百羅漢図」、昼食を取り午後にこの「ファラオとピラミッド」で今年の見納めです。 *主催者サイト、 http://www.tbs.co.jp/pharaoh-egypt/

■村上隆の五百羅漢図展

■森美術館,2015.10.31-2016.3.6 ■村上隆の作品は海外の見慣れた風景を一変させます。 その場所が異化するとでも言うのでしょうか? 場の中心を混沌化させる力がある。 ヴェルサイユ宮殿やグランド・セントラル駅、ルイ・ヴィトンでの展示は素晴らしい。 この会場に外国人客が多いのも頷けます。 しかし日本ではそうはいかない。 周りに同類が多いからです。 物語の希薄さも欠点になりそうです。 手塚治虫、宮崎駿、水木しげるは画と一緒に流れている物語力が強い。 狩野一信も2枚展示されていましたがまだ物語を絞り出せる力がある。 村上五百羅漢図はその力に迫れない。 時間を貯められる漫画的感動と一瞬の絵画的感動は違ってきます。 その為か漫画に近づく連作より1枚ものに見応えがありました。 映像「村上隆の言葉」は作品を補足していますね。 「アートはカネがかかる。 貧=正義=芸術から抜け出せ」、「芸術は世界のルールに従う。 だから唯一の自分を見つけ世界を相対化しろ」、「今の日常は100年たてば非日常化される。 現代美術などは直ぐに無くなる」。 村上の言葉はそのまま現代芸術の悩みに突き当たります。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/tm500/

■2015年美術展ベスト10

・ パスキン展 -生誕130年、エコール・ド・パリの貴公子- ・ ワシントン・ナショナル・ギャラリ展 -私の印象派- ・ 幻想絶佳 -アール・デコと古典主義- ・ 他人の時間 ・ ユトリロとヴァラドン、母と子の物語 -スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年- ・ 戦後日本住宅伝説 -挑発する家・内省する家- ・ 蔡國強展 、帰去来 ・ ディン・Q・レ展 -明日への記憶- ・ 建築家フランク・ゲーリー展  ( フランク・ゲーリー/パリ、フォンダシオン、ルイ・ヴィトン建築展 を含む) ・ ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち展 *並びは開催日順。 選出範囲は当ブログから。 映画は除く。 * 「2014年美術展ベスト10」

■英国の夢、ラファエル前派展  ■Tiles、一枚の奥ゆき幾千の煌めき

■英国の夢,ラファエル前派展 ■Bunkamura・ミュージアム,2015.12.22-2016.3.6 ■百貨店系美術館は年末が空いて正月が混むから買い物ついでに寄り道してきたの。 リバプール美術館とは三つの美術館の総称らしい。 どの館も企業家が作ったようね。 前派結成者の一人であるミレイが最初に並んでいるから直ぐに英国の夢の中に入っていける。 芝居の場面をみているようだわ。 二人目のロッセティは二枚だけど余裕ね。 三人目のハントは記憶にない。 しかも「イタリア人の子ども」1枚だけよ。 他に気に入った画家はタデマかな。 4枚の油彩は緻密で目が止まってしまった。 それとバーン=ジョーンズの「フラジオレットを吹く天使」「レバノンの花嫁」はどちらも水彩画だけど素敵ね。 「自然に忠実」はわかるけど生気の宿っていない植物をみれば象徴主義などに傾いていったのはわかる。 でも前派の物語と色に十二分に浸れたのは今年最後の展示会として最高だったわ。 * 2014年「ラファエル前派展」 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_raffaello/ ■Tiles,一枚の奥ゆき幾千の煌めき ■Bunkamura・ギャラリ,2015.12.26-2016.1.6 ■タイルというとオリエントやナポリを思い出してしまう。 タイルのある家は落ち着くし生活の豊かさがある。 でも近頃は見かけない。 今やタイルは美術品に近いのかもしれない。 この展示はLIXILの企画で実際に古いタイルを再現しているところがいい。 やはりタイルは物質感が大切なの。 触覚でみるものだとおもう。 ジオ・ポンティの紹介は図書を含めて楽しかったわ。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/151226tiles.html

■リナ・ボ・バルディ展-ブラジルが最も愛した建築家-

■ワタリウム美術館,2015.12.4-2016.3.27 ■先日のオスカ・ニーマイヤ*1がブラジルの表の顔ならリナ・ボ・バルディは裏の顔でしょう。 初期の「ガラスの家」は弱々しく見えるが以降の作品はゴッツイですね。 「うまく建てることではなくて、人々がどんな暮らしをしているのかを知る・・」「建築を守ることではなく、この街の人々の魂を守ること・・」。 「サンパウロ美術館」「SESCポンペイア文化センタ」をみてもこの言葉の具現化に努力しているのがわかります。 「サンタ・マリア・ドス・アンジョス教会」を含めブラジルの赤い大地から力が湧き出てくるようです。 家具なども展示されていたがミラノ時代のドローイングは素晴らしい。 でもブラジル時代の家具はやはりゴッツイ。 インタビューで「・・スターリン主義者である」と言っていましたが戦争でイタリアを離れブラジルを愛した経緯をみてもこの言葉の意味を単純に想像できないものがあります。 劇場や舞台設備も多く手掛けていますが一言も述べられていません。 彼女の内側はブラジルのように遠い。 *1. 「オスカー・ニーマイヤー展」(2015年) *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1512_lina/index.html

■FOUJITA

■監督:小栗康平,出演:オダギリジョ-,中谷美紀 ■新宿武蔵野館,2015.11.14- ■藤田嗣治が主役のドラマ映画である。 前半はモンパルナスが舞台だが藤田は既に「乳白色の肌」で名声を博している。 「パリに来て10年」と言っていたから1923年頃か? だが藤田は名を売ることに奔走する以外は何をしたいのかよくわからないシーンが続く。 モディリアーニやスーチンも登場するがパリの街はどこか閑散としている。 1939年からの後半は日本が舞台になる。 ここで藤田は将官である陸軍美術協会理事長として登場する。 表面上は戦争協力をしているが厭戦気分が漂っている。 そして敗戦が近づいて来ると何んとなしに終わってしまった・・。 小栗康平の作品は久しぶりだ。 「埋もれ木」以外は観ているが時が開き過ぎてしまい何と言ってよいのかわからない。 どこかギクシャクしている。 繋ぎが不連続の為かもしれない。 これが独特なリズムを作っている。 日本の風景はパリと同じで夢の中に居るようだ。 君代役の中谷美紀はそこに溶け込んでいて好演であった。 でも狐のアニメはいただけない。 既に漂っていた狐の徴が壊れてしまった。 終幕のクレジットタイトル背景では晩年に描いたフジタ礼拝堂の作品が映しだされていた。 この作品群はあまり好きではなかったのだが今日の映画の最後に観ると藤田の心の在り方が分かる気がした。 *作品サイト、 http://foujita.info/

■TOKYO、見えない都市を見せる  ■オノ・ヨーコ、私の窓から  ■MOTコレクション

■TOKYO,見えない都市を見せる ■東京都現代美術館,2015.11.17-2016.2.14 ■80年代からの東京をキューレーションした前半と、未来へ向けて東京を浮かび上がらせる後半に分かれています。 選ばれたキュレータの個性が強いのかもしれません。 前半と後半の境界が見えなかった。 世紀末か新時代か? 「YMO+宮沢章夫」が境界を消してしまったこと、後半は岡田利規の細部への迫り過ぎや「目(ワームホールとしての東京)」が過去に戻り過ぎていたからです。 東京のディティールは見えましたが全体像が見えない展示でした。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/TAM6-tokyo.html ■オノ・ヨーコ,私の窓から ■クセのある作品が並びます。 フルクサスで活動しJ・レノンと結婚した強さでしょう。 さすがと言うしかありません。 彼女の比較的新しい作品を見ることができたが60年代と少しも変わらないですね。 あの時代の精神を持ち続けていると言うことです。 でも「私の窓から」(2002年作)でレノンの姿が暗くなっていくのは20世紀の姿に重なります。 *館サイト、 h ttp://www.mot-art-museum.jp/exhibition/yoko-ono-from-my-window.html ■MOTコレクション ■第一部「戦後美術クローズアップ」では中西夏之、池田龍雄、桂ゆき、中村宏、菊畑茂久馬、工藤哲己が並んでいます。 菊畑茂久馬は初めて聞きましたが「奴隷系図」は見た記憶があります。 この作品には迫ってくる何かが有るからだと思います。 第二部は「フランシス・アリスと4つの部屋」(*1)です。 「理解を越えて生まれるエモーションを再現する」と言っているC・ボルタンスキの作品にはヨーロッパ大戦の記憶が滲み出ています。 そしてF・アリスのジブラルタル海峡を渡る「川に着く前に橋を渡るな」は素晴らしい映像ですね。 海水浴での喉の塩辛さ、押し寄せてくる波しぶきと水中の圧迫感、青空と太陽の眩しさが甦ります。  *1.「 フランシス・アリス展 」 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/mot-collection-2015.html

■物語をえがく-王朝文学からお伽草子まで-

■根津美術館,2015.11.14-12.23 ■村上華岳を観に行こうと根津美術館へ向かったがチケット売り場で気が付く。 山種美術館と間違えてしまった。 根津、山種、出光の3館は勘違いし易い。 まっ、こういう場合はそのまま入館する。 伊勢物語、源氏物語、曽我物語、西行物語、平家物語、お伽草子では賢覚草紙、蛙草紙、酒吞童氏、玉藻前草紙・・。  気に入ったのは「曽我物語図屏風」。 人物や動物は小さいのだが良く見ていると狩りの楽しさが伝わって来る。 このように猪や鹿や兎を追いまわすことができたら気分爽快だろう。  物語を絵にすると現代では漫画に近づく。 王朝漫画は歌を吹き出しにするとピッタリと似合うではないか? お伽草子はSFやホラー漫画というところか。 昔の漫画に入り浸った感じだ。 *館サイト、 http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/past2015_n07.html

■ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち展

■汐留ミュージアム,2015.10.29-12.20 ■現実と想像・主観と客観・感覚と理論、これらが統合された「総合主義」に焦点をあてています。 会場出口にゴーギャンの辿った世界地図が掲げられていました。 幼少期にペルーで生活していたことがブルターニュの自然に根差した精神性を前向きに受け入れられたのではないか? そして進むべき道が見えたのだと思います。 まさに印象派のゴーギャンから<ゴーギャン>になったその時が語られている展示会です。 気に入った作品は「ブルターニュの眺め」「タヒチの風景」です。 「玉ねぎと日本の版画のある静物」はセザンヌも疑問を呈していますね。 ゴーギャンはモノの存在より精神統合の追及が似合っています。 「二人の子供」はタヒチの先取りのように見えます。 エミール・ベルナールの立ち位置やクロワゾニスム(区分主義)も初めて知りました。 ゴーギャンの謎がまた一つ解けた感じですね。 *美術館、 https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/15/151029/index.html