投稿

6月, 2022の投稿を表示しています

■朝倉摂展

■練馬区立美術館,2022.6.26-8.14 ■朝倉摂の名前は芝居のチラシでよく見ていた。 会場に入ると1960年代のポスターが10枚ほど貼ってあり、2階に上がり「舞台美術の世界」の章でその仕事がまとめてある。 50ほどの舞台が紹介されていたが彼女の名前の記憶ほどには観ていない。 数えると「近松心中物語」「下谷万年町物語」「タンゴ冬の終わりに」の3本だけだ。 展示以外を含めても20本はないと思う。 前半の青芸や青俳時代は知らないし、後半は芝居の好みが違った為だろう。 演出家としての唐十郎はよく観ていたが蜷川幸雄は殆どない。 展示1階の「画家としての出発」、2階の「日本画と前衛」そして「挿絵の仕事」では朝倉摂の多彩な仕事ぶりがみえる。 上村松園初期の頃を力強くしたような作品が多い。 線に切れ味があるのは彫刻家の父朝倉文夫の影響か? 前衛時代に入ると松本俊介に社会派を取り込んだような画風に一変する。 ベン・シャーンも重なる。 その傾向はそのまま舞台美術に繋がっていく。 久しぶりに昔の舞台を思い出させてくれた。 「下谷万年町物語」が「唐版滝の白糸」を再構築した(?)のも初めて知った。 *朝倉摂生誕100年展 *美術館、 https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=202204071649324799

■ゲルハルト・リヒター展

■東京国立近代美術館,2022.6.7-10.2 ■ピンボケ骸骨などの「フォト・ペインティング」の何枚かは見た記憶があります。 映画監督だと長いあいだ勘違いしていた。 ドイツの画家は馴染みが薄い。 たぶん冷戦分断の影響が長かった為でしょう。 「カラー・チャート」「グレイ・ペインティング」そして「アブストラクト・ペインティング」をまとめてみたのは初めてです。 「ビルケナウ」は強制収容所の写真で背景がわかる。 作者の不安や苦しみは感じられるが、解説が無ければここまで深読みはできない。 抽象画の前に立ったときは意味不要の絵画的感動がやってくるか否かが問題です。 彼の作品を前にすると背景(=意味)があるのではないか?と考えてしまう。 絵をみる喜びが湧き起こらない。 気に入ったのは、やはり「フォト・ペインティング」です。 しかも写真と絵画の関係の不思議さを考えさせられる。 そして「ガラスと鏡」も。 周囲の歩く・止まる人や照明がガラス空間の中で無機化されたリズムとして感じとれる素直な作品です。 竹橋を歩くと梅雨明け特有の痛くなるような暑さが襲ってきました・・。 コンクリートの竹橋はアツイ! *リヒター生誕90年画業60年展 *美術館、 https://www.momat.go.jp/am/exhibition/gerhardrichter/

■ボストン市庁舎

■監督:フレデリック・ワイズマン ■DMM・配信(アメリカ,2020年作) ■ワイズマンの作品はどんどん長くなっていきますね。 今回は4.5時間で40シーケンスから構成されている。 つまりボストン市役所の40の日々の出来事を覗き見ることができる。 会議や公聴会、職員の仕事風景などなどをです。 ボストンには150カ国の人々が住んでいる。 いつもですが彼の作品には人種差別を無くそうとする強い意志が読み取れます。 ボストン市もそれに沿っているのがわかる。 マーティ・ウォルシュ市長の思想や行動も影響している。 市民の立場で観ることができます。 記憶に残る場面が3つあります。 一つは「退役軍人会」会場で市民たちの経験談を語り合う場面です。 両大戦は勿論ですが、朝鮮戦争・ベトナム戦争・アフガン紛争、イラク戦争からの帰還兵が沢山いる。 やはりインパクトがあります。 二つめは「コミュニティカレッジ」のラテン系女性が人種と女性、2重差別の中での仕事処世術を語る。 交渉能力が強くないと世間を渡れない。 厳しい時代と社会がみえます。 そして三つめは「コミュニケーションセンター」での大麻店開設計画の公聴会です。 市職員・企業担当・住民の意見が熱を帯びる。 これは驚きです。 麻薬の店が自宅の近くに建てられる状況は考えられない。 (日本とは)スケールが違います。 市役所の機能・組織の詳細は知らない。 でも職員と住民のコミュニケーションは対面が多く健全にみえました。 ワイズマン行政3部作の一つと言ってよいでしょう。 他の2つは「 ニューヨーク公共図書館 」「ジャクソンハイツ」を選びました。 *映画com、 https://eiga.com/movie/94410/

■ボテロ展、ふくよかな魔法 ■バーニー・フュークス展 ■渋谷・小町通りー百美人画展

■Bunkamura・ザミュージアム他,2022.4.29-7.3 ■「ボテロ展」はボッテリしているところがいいわね。 日本にはアンパンマンがいるけど、作品に漫画精神を取り入れているようにもみえる。 でもこの比較は画家に怒られそう。 <ふくよか>に描くと角が取れる。 これも魔法ね。 「枢機卿」「大統領」そして「キリスト」などを批判しても何とか納まる。 日本の神々にはこの体形が多いが、一神教のトップは見栄えが必要かもね。 楽しかったわよ。 *美術館、 https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/22_botero/ ギャラリーで「バーニー・フュークス」に出会う。 彼の作品を眺めているとアンドリュー・ワイエスの緑を思い出すわね。 ワイエスに逆光や暈しを入れたようなところがある。 空気の程良い温もりや湿り気が気持ち良い。 散歩系画風と言える。 「渋谷・小町通り」は若手女流作家?の美人画展。   *美術館、 https://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/220525berniefuchs.html *美術館、 https://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/box_220529hyakubizin.html

■写真と絵画、柴田敏雄と鈴木理策 ■越境から生まれるアート ■石橋財団コレクション選、ピカソとミロの版画

■アーティゾン美術館,2022.4.29-7.10 ■「柴田敏雄と鈴木理策」は楽しく観ることができました。 鈴木理策は絵画への接近が特に強いようですね。 でも写真と絵画を並べられると気が散ってしまう。 この二つは観るときの意識の流れが違うのかもしれない。 写真はこの世がギッシリ詰まっているので現実に揺れる一瞬がある。 絵画はそこから自由です。 写真と絵画を交互にみる時にはこの違いがリズムを狂わせてしまう。 柴田敏雄の風景にはシャッターを押すまでの被写体との息詰まる遣り取りが感じられる。 その過程が静かに結晶化され昇華した風景となり現前する。 鈴木理策の「サンサシオン」ではセザンヌを語っています。 でも気配が誰であっても豊かな感触は失わない。 写真をみる喜びが湧いて来る。 面白い作品は「ミラーポートレイト」(2016年)の十数枚。 これはハーフミラーを使って裏から人物を撮影している。 目の焦点が鏡面のため人物の<鏡の主観>が<レンズの客観>に入り混じって顔写真ができあがる。 ポートレイトの核心に一歩近づいたようにみえます。 *美術館、 https://www.artizon.museum/exhibition/detail/539 ■他の2展示を観て回る。 この館の量とその質にはいつも満足です。 *美術館、 https://www.artizon.museum/exhibition/detail/540 *美術館、 https://www.artizon.museum/exhibition/detail/541