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11月, 2013の投稿を表示しています

■五線譜に描いた夢-日本近代音楽の150年-

■ 東京オペラシティアートギャラリ、2013.10.11 -12.23 ■ http://www.operacity.jp/ag/exh157/index.html ■ 副題の150年をわかり易く展示しています。 章ごとの映像コーナーを全て見ると新書を一冊読んだ気分になります。 米国軍楽隊のヤンキードゥードルをそして讃美歌を聞いた時の幕末時代の驚きが目に浮かびます。 日本人が初めて出会った西洋音楽は軍楽と讃美歌とのこと。 「むすんでひらいて」「オタマジャクシはかえるのこ」が讃美歌とは知りませんでした。 「幕末から明治」の西洋音楽の取り込み方や「大正モダニズム」「戦争と音楽」の時代との関係が面白いですね。 「戦後から21世紀」は同時代のためかまとまっていません。 絵画を観るのとは違って資料等を見聞きするので最低でも二時間は必要です。 でも費やした時間に比例して充実感が増していく展示会です。

■植田正治のつくりかた

■ 東京ステーションギャラリ、2013.10.12-2014.1.5 ■ http://www.ejrcf.or.jp/gallery/ ■ 「当時はみんなアマチュアだった・・」と解説にありましたが、彼の作品はいつまで経ってもアマチュアの匂いがあります。 芸術写真から新興写真を受け入れ、そして演出写真への方向性は時代の流れに一致していたはずです。 でも単色の面白い初期作品をカラーにすると芸術性が飛散してしまったり、「砂丘モード」の商品写真も演出に進歩がありません 。 そして写真俳句や90年以降のカラー作品「花を視る」「不公平の法則」で画題に凝るところなどはアマチュアそのものです。 今でも砂丘でウロウロしているのが目にみえます。 古き良きアマチュアの時代が漂っていた展示会です。

■カイユボット展

■ブリジストン美術館、2013.10.10-12.29 ■ http://www.bridgestone-museum.gr.jp/ ■ カイユボットの絵は趣味を越えなかった。 ここの館所蔵の印象派作品と比較しても差は見え見えね。 写真を利用したと書いてあったけど彼はそんなに意識していなかったはずよ。 もちろん浮世絵も同じね。 描かれている家族の風景は内向的裕福層そのものにみえる。 展示会は遠のいたけどドガとの意見の相違も人生に変化はない。 後期に明るい風景画を描いているのが証拠よ。 ボートや菜園と同じ位置づけなの。  弟の写真を中心に展示したほうが面白かったんじゃないのかしら? 

■日本のデザインミュージアム実現にむけて

■ 日本のデザインミュージアム 実現にむけて ■2121デザインサイト,2013.10.25-14.2.9 ■ 日本にデザイン・ミュージアムを造ろう! しかし過去の展示会の要約だけでした。 もっと突っ込んで造る為の具体的方法等が展示されているのかと思っていました。 デザインとは何か? 工学・技術の「設計」に裏打ちされた全体像だと認識しています。 しかも芸術性を追求していることも条件です。  三宅一生の畳める服やデザインサイトの建物です。  写真で展示してあったトヨタ博物館もこの方向でしょう。 設計をデザインと言い換えると範囲も変わるのでしょうか?  広義のデザインをどのようにまとめるかも知りたいところです。 デザイン・ミュージアム、できれば素晴らしいですね。 *美術館、 https://www.2121designsight.jp/documents/2013/10/DMJ-open.html

■凪の片、須田一政  ■コスモス-写された自然の形象  ■写真新世紀

■東京都写真美術館、2013.9.28-12.1 ■ http://syabi.com/upload/3/1933/suda_issei.pdf ■ 「現実の裂け目から異空間を覗き見するような・・」とある。 その前に彼の作品からは驚きの現実を見つめることができる。 そこから異空間を覗くとなると、驚きの現実が作為的にみえてしまう。 ■ コスモス-写された自然の形象、2013.9.21-11.17 ■ http://syabi.com/upload/3/1931/cosmos.pdf ■ 29,000点の作品から抽出し、木・火・土・金・水の章に分解・結合している展示構成のようだ。 しかし各章は分節化の意味を成していない。 多くの写真家多くの作品が並ぶ会場はコスモスよりカオスである。 自然は強い。 ■ 写真新世紀、2013.10.26-11.17 ■ http://syabi.com/upload/3/2019/1026.pdf ■ 新人写真家の発掘育成支援を目的とした展示会である。 キャノンもニコンも株が下がっている。 カメラが売れないからである。 カメラ技術にも無関心になってしまった。 もはやプロもアマもいない時代が来たのである。