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8月, 2018の投稿を表示しています

■ちのかたち、藤村龍至展 ー建築的思考のプロトタイプとその応用-

■TOTOギャラリー・間,2018.7.31-9.30 ■会場に入ると机一杯に並べられた同じような建築物の紙模型を目にします。 「・・知識を素早く形にして、形から言葉を作り出し、それを知識にして、・・これを繰り返していく」。 このプロトタイプ技法はコンピュータ世界では以前から活用されていたが、これをモノの世界に適用すると人間五感に直接響くので特に建築には効果があるのかもしれない。 2階会場は紙模型を実現化した建物十数作品が映像で紹介されています。 チラシにもある「すばる保育園」(2018年)と「OM TERRAACE」(20717年)が気に入りました。 保育園は子供の身体に、テラスは大人の身体に、素早く適応、しかもユックリと馴染んでいく感じがします。 建築家藤村龍至は「個々の知識と形態の関係がブラックボックスのままである」と言っている。 建築を具現化するその直前のアヤフヤさをプロトタイプ技法で最小にしたいらしい。 この反復はとても人間的です。 言い換えるとヒトとモノを納得いくまで使うことになる。 これをどのように解決するかも課題でしょう。 会場一角に「深層学習による椅子のかたちを生成する試み」があったがパラドックスを抱えているようにもみえました。 *館サイト、 https://jp.toto.com/gallerma/ex180731/index.htm

■アナ・スイの世界 THE WORLD OF ANNA SUI

■テレビ朝日けやき坂スペース,2018.7.14-8.26 ■アナ・スイの全コレクションを十数テーマに分けて展示されているの。 「ノマド」から始まる作品はアジアの匂いがするけどそれを飛び越えてユーラシアの雰囲気も出ている。 色彩とデザインに独特な落ち着きがあるからよ。 漫画の主人公たちが着る衣装にみえるのもいいわね。 たぶん民族衣装の要素が含まれているからだとおもう。 大陸や民族という抽象を具体にする力を彼女は持っているのね。 この力は島国日本では持ち難い。 *本展はアナ・スイコスメテックス20周年を祝してロンドンの「Fashion and Textile Museum」で2017年5月から10月に開催された「THE WORLD OF ANNA SUI」の世界巡回展。 *アナ・スイサイト、 https://jp.annasui.com/

■杉浦邦恵 ーうつくしい実験ー

■東京都写真美術館,2018.7.24-9.24 ■「孤」は写真技法を駆使していますが1960年代作者の立ち位置が分かる作品群です。 魚眼レンズの効果がいいですね。 しかし写真から離れて絵画に向かう。 再び写真に戻り「フォトカンヴァス」で写真と絵画を結び付けている。 被写体はニューヨークの橋や高架など現実的です。 次第に絵画を離れ「フォトグラム」を基本にした偶然を取り込みより洗練された写真世界を作っていく。 写真か絵画か迷っているようにもみえました。 技術的には高度かもしれないが、でも写真をみる面白さがありません。 芸術に接する喜びがやって来ない。 「うつくしい実験」とあるように作品を作る過程が大事なのでしょう。 ホールの映像作品をみて実験工学なら映像が似合うと直観しました。 将来は映像作家になること間違いなしです。 うつくしい実験=過程を時間軸に反映できます。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3054.html

■藤田嗣治展

■東京都美術館,2018.7.31-10.8 ■「画業の全貌を展覧する」とチラシに書いてあった。 その通りの内容である。 1章「原風景」の作品から藤田嗣治と父や黒田清輝との関係を初めて知った。 2章「はじまりのパリ」のキュビスムの真似事やユトリロ以上のパリ風景もそうだ。 しかし「空や道の地の比率の大きさが乳白色へ進んだ・・」とは考えられない。 でも「子供は特定のモデルだった・・」には納得。 レオナール・フジタの時代でも子供は1910年代の特徴が感じられる。 3章「1920年代」の「座る女」を筆頭にした数枚は乳白色デビュー直前の絶好調の作品にみえる。 それは上昇志向の強さとでも言ってよい。 一番面白かったのは5章「1930年代・旅する画家」で色々な肌色が比較できたことだろう。 4章「乳白色の裸婦」作品群と「リオの人々」「ラマと四人の人物」の中南米の褐色、「ちんどんや」「魚河岸」などの日本肌、「客人(糸満)」「孫」の沖縄の肌。 どれもが素晴らしい。 1950年になると黄昏が近づく。 7章「戦後の20年」の「ホテル・エドガー・キネ」「姉妹」「室内」・・。 寂しさが漂っている。 これを振り払うかのようにしてカトリックの道へ進む。 彼の画業はここまでだとおもう。 8章「カトリックへの道行き」はもはや宗教活動である。 彼の行く先々には戦争が待ち構えていたという波乱の人生が直に伝わって来る展示会であった。 *藤田嗣治没後50年展 *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2018_foujita.html *「このブログを検索」語句は、 藤田嗣治

■ゴーギャン ータヒチ、楽園への旅ー

■監督:エドゥアルド・デルック,出演:ヴァンサン・カッセル ■(フランス,2017年作品) ■1891年、ゴーギャンはタヒチへ向かう。 タヒチに着いてからはサバイバルそのものです。 食うための生活が続く。 途中妻になるテフラに出会います。 しかしサバイバルは後半も続く。 漁師、荷役、観光品販売などの労働で食いつないでいく。 ゴーギャンの経済力の無さが惨めです。 しかもタヒチの街はパリと同じになってしまった。 皆が教会へ行きキャバレーもある。  この映画はゴーギャンが出稼ぎ労働でタヒチに行ったときの苦労話のようにみえる。 画家ゴーギャンはいません。 しかし彼は旅慣れているから心の内では楽園だと思っていたのかもしれない。 でないとタヒチでの傑作が説明できない。 ゴーギャンにとって人生は旅であり楽園なのでしょう。 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/88041/ *「このブログを検索」語句は、 ゴーギャン

■ミケランジェロと理想の身体

■国立西洋美術館,2018.6.19-9.24 ■「ダヴィデ=アポロ」は通路から7時の方向に入るからそのまま時計回りでズルッ、ズルッとみていくの。 1時頃に横顔がみえてくる。 ん、とてもいい。 その時の左腰と太腿もね。 そして6時正面へ。 ギリシャでもローマでもない。 ルネサンスを越えて現代に通じている。 「若き洗礼者ヨハネ」は通路から5時方向に入るから反時計回りでズルッ、ズルッ、ズルッ。 うーん、衣服が邪魔だわ。 縄文人が着る毛皮みたい。 やっぱミケランジェロはスッピンピンでないとだめね。 でも子供を脱皮した瞬間を捉えている。 それは人生の空白=純真な時間だとおもう。 未来もみえる。 再び「ダヴィデ=アポロ」を時計回りでズルッ、ズルッ・・。 なぜか反時計回りは感動が弱まる。 一周したら又「ヨハネ」を反時計回りでズルッ、ズルッとユックリ歩きながら・・。 これを5回ほど反復する。 ・・。 ミケランジェロォォォォォオ!! *館サイト、 http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2018michelangelo.html *「このブログを検索」語句は、 ミケランジェロ