投稿

1月, 2012の投稿を表示しています

■野田裕示展ー絵画のかたち/絵画の姿ー

■国立新美術館,2012.1.18-4.2 ■色・形・塗などが物質的・触覚的それが有機的にまとまっていて調和ある詩のようだ。 灰・紫・赤そして鶯、どれも落ち着いた色で静かな感動が押し寄せてくる。 作成中のビデオを見ると塗りとグラインダーで削る繰り返しでこの色を出しているのがわかった。 評論家の解説もところどころに掲示してある。 この道で飯を食っている人たちはカンバスの凹凸がとても気にかかるようだ。 この展の為に作成した「WORK1766 」について綿布の厚さを意識しての遠近表現を作者も話していた。 しかし並みの観客にはこの程度のカンバスの凹凸を論じるのはつまらない。 そしてこのような些細なところでループをしてしまい作品に停滞感も出てきている。 次への一歩を進める時だ。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2011/noda/index.html

■長谷川豪展ースタディとリアルー

■TOTOギャラリー間,2012.1.14-3.24 ■会場屋上に石巻市幼稚園に寄贈する建築作品が展示されているの。 大部分の展示物は終わったら壊してしまう。 これはもったいない。 だから出展作=本物だと作者も観客も本気が出るということね。 でも幼児はこの建物で遊ぶかしら? 自分の幼児時代を一生懸命思い出したけど疑問符がつきそう。 階段のある垂直より穴蔵のような水平のものが良くない? ともかく園児の行動が楽しみだわ。 個々の住宅は壁・窓・階段どれもすっきりズレていて気持ちがいいわ。 このような建物に住んでみたいものね。 想定外の体感が得られるとおもうの。 楽しそうだけど住む家族の関係を言葉で解決しようとしているようにもみえてしまう。 肉体が持っているドロドロしたところを発散できない建物のようだけど・・。 考えぬかれていてしかもシンプルだけど見れば見るほど難しい建物だわ。 ともかく一度住んでみないと分からないのが今回の結論ね。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex120114/index.htm

■三代山田常山ー人間国宝、その陶芸と心ー

■出光美術館,2012.1.17-2.19 ■急須はどの家にもあるから親しみが湧く。 展示の急須はしかしどれも小さい。 材料が紫泥でできているのはミルクチョコレート、烏泥はブラックチョコレートで出来ているようにみえる。 だから茶を入れた後、急須も茶碗も食べてしまいたいようだ。 朱泥の急須は竹の取っ手が似合う。 蓋と本体が別材料の蓋黒は現代的だ。 注ぎ口・把手の付け根が指で押した後の急須は面白い。 南瓜型はずんぐりしていて暖かみがある。 常滑自然釉の鎌倉形は武士のようだ。 ところで初代、二代の作品はひとつも出品されていない。 三代と比較をしたかった。 急須で人間国宝になれるとは茶の文化もたいしたものだ。 *館サイト、  http://idemitsu-museum.or.jp/exhibition/past/

■ルドンとその周辺-夢見る世紀末ー

■三菱一号館美術館,2012.1.17-3.4 ■岐阜県美術館はルドンをこんなにも所蔵していたんですね。 「ルドンの黒」の多くはどこかで観た記憶がありますが、1860年代の作品は初めてです。 この頃の木々や馬・人物の肩が広く角ばった線は青年時代の頼もしさを持っていますね。 「色彩のルドン」の最初の頃はさっぱりした孤独感がありますね。 「騎馬兵の戦い」など何枚かの明るい茶と水色もそうです。 次にはルドンと影響し合った画家が展示されています。 モローはわかりますがゴーギャンも関係しているとは知りませんでした。 この中でマックス・リンガーの「手袋」は面白かったです。 ローラースケートをしている絵は特にです。 目玉の「グラン・ブーケ」ですが大きくてビックリです。 しかしこの展示でルドンの多くを知ってしまい神秘性がなくなったのは悲しいですね。 *館資料、 http://mimt.jp/exhibition/pdf/outline_redon2012.pdf

■日本赤十字社所蔵アート展ー東日本大震災チャリティー企画ー

■損保ジャパン東郷青児美術館,2012.1.7-2.19 ■展示は赤十字の歴史、戦前の所蔵品、寄贈された所蔵品で構成されている。 今回は全所蔵100点のうち50点が対象である はじめに赤十字社の歴史と関連作品が簡素にまとめられている。 ソルフェリーノのアンリー・デュナンが日本では西南戦争の博愛社に該当していることが述べられている。 戰前の所蔵品では藤田嗣治の「佛印メコンの廣野」がいい。 所蔵の大部分は寄贈によるものらしい。 有名画家も多い。 多くが小粒の作品であるがどれも落ち着きがある。 気に入ったのは鈴木信太郎「椅子にのる人形」、荻須高徳「僧院の回廊」、結城天童「爛漫」、常磐大空「長安の女」などなど。 初めての絵なので楽しく観られた。  *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/past/345.html

■ジャン=ミシェル・オトニエル:マイウェイ

■原美術館,2012.1.7-3.11 ■オトニエルのガラス玉って、日常風景に黒光りする「黒は美しい」さえも、違和感なく親しみを持って溶けこむのね。 勾玉や濃いオレンジや緑色の作品は少しドギツイけど温かみのある硬さを持っている。 まるで赤道直下の植物ね。  でも硫黄や樹脂・鉛を素材とした作品はガラスとは違う。 「ルアー」の黄色い手も手に持つ物も苦悩がみえる異様さだわ。 90年前半の硫黄や蜜蝋のオドロオドロしい作品から、90年後半からのガラスの澄み切った世界への作者の変身は興味を持ってしまう。 それは硫黄もガラスも素材に込められた作者の人生への思いが伝わってくるようだから。 パリ・ポンピドーの回顧展が盛況だったのも肯けるわね。  *館サイト、 http://www.art-it.asia/u/HaraMuseum/D8nwcuiqgZWMBTAmsvEx/

■後藤純男展

■そごう美術館,2012.1.2-1.25 ■雪は水分を含んでいてとても重たい。 桜や紅葉も、明るい色はみな重たさがある。 気持ちも重たくなる感じだ。 脂が乗ってくる直前1970年代の黒緑に金色の「万鐘宝生」や「残照」は締まりのあるいい絵である。 これが一皮剥けて金色がより映える「旭光禁止城」や「鹿苑寺庭園」の鮮やかな緑に変化する頃までは作者の脳味噌も冴えわたっている感じだ。 遡るが60年代の北海道の岩山や滝、木々はしっかりと組み立てた抽象画をみているようである。 雪を描いたデレッとした締まりのない後半の絵からみると想像できない。 晩年の夕日が充満している中国農村の建物は楽しく描いているのがわかる。 起伏のある画家にみえるが画業60年だと揺れはあたりまえかもしれない。 * 後藤純男美術館開館15周年記念 *館サイト、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/12/0102_goto/index.html

■松井冬子展ー世界中の子と友達になれるー

■横浜美術館,2011.12.17-3.18 ■キャプションの説明は凝り過ぎていて作品より作者の補足のようである。 作者は精神疾患の世界に深入りしているのか? 「世界中の子と友達になれる」を信じたことにより現実世界へ進めなかったのがこの世界だ。 「体の捨て場所」から後半は肉体が善悪の根源だと遠回しに言っているようにみえる。 しかも子宮を持つ者の強さを絡めているのでより複雑だ。 「九相図」は鎌倉時代から、そして「無傷の標本」は1億年前から続いている生き物の定めである。 気に入った作品は上記の3点だが、「世界中の子と友達になれる」は会場入口にあった2004年版のほうが衝撃があった。 しかし作品に漂う言葉や意味を探らなければならない観方を強いるのは疲れる。 さらに解説が輪を掛けていたから余計だ。 *展示会サイト、 https://yokohama.art.museum/special/2011/matsuifuyuko/outline.html