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■2018年美術展ベスト10

□ プラド美術館展-ベラスケスと絵画の栄光-   国立西洋美術館 □ 至上の印象派展、ビュールレ・コレクション   国立新美術館   □ 原点を、永遠に。   東京都写真美術館 □ 建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの   森美術館 □ 内藤正敏、異界出現   東京都写真美術館 □ ルーベンス展ーバロックの誕生ー   国立西洋美術館 □ 民藝Another Kind of Art展   ディレクター:深澤直人,21_21DESIGN SIGHT □ さわひらきー潜像の語り手ー   神奈川芸術劇場 □ シュウ・ジャウェイ(許家維)   森美術館 □ 吉村芳生ー超絶技巧を超えてー   東京ステーションギャラリー *並びは開催日順。 選出範囲は当ブログに書かれた作品。 映画は除く。 *「 2017年美術展ベスト10 」

■ロマンティック・ロシアーまた、お会いできますね。-

■Bunkamura.ザミュージアム,2018.11.23-2019.1.27 ■「また、お会いできましたね。 ・・でもどこの美術展だったかな?」。 彼女に申し訳ないので早速調べる。 ・・2009年4月のこの会場「忘れえぬロシア展」だった! 10年の歳月が流れているのに当時と変わらぬ姿で再び会えるとは?、まさにロマンティック・ロシアだ。 ロシアはモスクワとペテルブルクの夏しか知らない。 例えばイワン・シーシキン「正午、モスクワ郊外」やアレクセイ・ボゴリューボフ「・・スモーリヌイ修道院の眺望」の入道雲はいやに水分が少ない。 日本の夏と比較してしまう。 ワシリー・バクシェーエフ「樹氷」も湿度が低いようにみえる。 これは温度が低すぎるからかな? イワン・アイヴァゾフスキー「海岸、別れ」の色は違う自然感だ。 彼のイタリア留学から地中海の気温湿度を感じたのだとおもう。 イリヤ・レーピンは肖像画2点でどちらも気に入る。  ところでレフ・カーメネフ「サヴィノ・ストロジェフスキー修道院」は気に入った1枚だがタルコフスキー監督「惑星ソラリス」の撮影現場と聞いてナルホド。 ついでにアレクセイ・ステパーノフ「鶴が飛んでいく」の題名からカラトーゾフ監督「鶴は翔んでいく」を思い出してしまった。 飛んでいく鶴を子供たちが見つめるだけのツマラナイ作品だが。 ともかく「祖国ロシアの深い思いと愛」が前面に出ていた展示内容だった。 しかし旅行や映画や小説を総動員してみたが絵が語り掛けてくれない。 師走にみる絵は気が散ってしまうからだろう。 *国立トレチャコフ美術館所蔵 *Bunkamura30周年記念 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/18_russia/

■アジアにめざめたら、アートが変わる世界が変わる1960-1990年代

■東京国立近代美術館,2018.10.10-12.24 ■戦後アジアアートの流れを「体制批判」から始め「消費社会への対応」そして「芸術家の連帯」の3章でまとめている。 戦後アジア美術は西洋美術批判と政治批判で幕を開けたのね。 1章「構造を問う」 1960年代、西洋美術への疑問から日常を見直すことを始めた。 それには芸術と生活の境界を無くす、見慣れた物を素材に使う、メディアを活用する、この3点よ。 それを使って体制権力に立ち向かう。 相手は李承晩、朴正煕、全斗煥、胡耀邦、李鵬、マルコス、スハルト、スカルノ、タノーム・キッティカ、ネルー、インディラ・ガンディー、・・。 次々と代わる権力者の総出演がアジアアートの特徴にみえる。 2章「アーティストと都市」 1970年以降、体制批判から消費社会の歪に芸術は向かわざるを得なくなる。 資本主義批判や美術館批判へ、・・都市の中へ。 芸術家たちは1980年初めにはソビエト社会主義体制の崩壊を予知していたはず。 消費社会の光と闇のチカラを彼らの触覚で感じ取っていたから。 3章「新たな連帯」 1980年以降、芸術家集団の誕生とジェンダーへの展開と連帯が広がる。 例えばシンガポール木版画運動、タイ統一美術家戦線、フィリピン連帯カイサハン、韓国光州自由美術人協議会、台湾グリーン・チーム、印度サヘマット、中国85ニューウェーブ、東村、フィリピン女性芸術家集団カシブラン、・・。 そして活動と連帯を消費社会から次の情報社会に対応しなおすことが直近の課題かな。 アジアの芸術家っていつも忙しい。 *館サイト、 http://www.momat.go.jp/am/exhibition/asia/

■吉村芳生ー超絶技巧を超えてー

■東京ステーションギャラリー,2018.11.23-2019.1.20 ■これは!?・・、と作品をジーとみつめ、とキャプションを読んでいくうちに作成過程に費やした作者の身体や時間の重みがズズッと突き刺さって来ました。 ・・! デジタル的アナログ写実と呼んでもよい。 「機械文明が人間から奪ってしまった感覚を再び自らの手に取り戻す!」。 これは人間を超えたロボット、いやロボットを超えた人間になることです。 宗教的修行に似た過程にもみえる。 そして3階から2階会場に入って再びの驚きです。 そこには芥子の赤い花が咲き乱れている。 3階の「ありふれた風景」と同じようにジーと見つめていると「永遠に繰り返す命」の世界が現れてくる。 写実からリアルへジャンプしているからでしょう。 吉村圭芳生のリアルは脳味噌で変換したリアルにも驚くことです。 「百花繚乱」室から「自画像の森」に入ると描いた新聞に自画像を重ねた鉛筆画がズラッと並んでいる。 「新聞と顔は毎日嫌がうえでも目に入る」。 新聞=自画像ですね。 よーくみると新聞記事の内容で自画像が変化していることに気が付く。 新聞を読んでいる吉村芳生をみているようです。 驚嘆と共に「生きることの意味を問いただす」作者が重なりました。 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201811_yoshimura.html

■ムンク展ー共鳴する魂の叫びー

■東京都美術館,2018.10.27-2019.1.20 ■会場の混みようは想定外だ。 中高生らしき団体も来ている。 ムンクが何故人気なのか? 家族・愛・死をあからさまに描くからだろう。 中高生にも直観で分かる。 「私の芸術は自己告白である」。 ムンクは自撮りの元祖らしい。 セルフポートをこんなにも見たのは初めてである。 彼の端正な顔立ちと自信に溢れている2章の「自画像」(1882年)をみれば納得。 しかも後半7章の「赤い背景の自画像」(1906年)が1882年と全く変わっていないのに驚く。 精神は益々盛んだ。 版画を始めたのは生計を助ける為だったらしい。 プレス機も所有している。 彼は愛をとるか絵画をとるか?で揉めたようだがカネ回りは作品に影響を与えているのがみえる。 今回はムンクの新しいことを沢山得ることができた。 写真や映画への接近、版画と生計、そしてニーチェへの共感などなど。 以前のムンク展は精神の病が前面にでていたが今回はそれを感じさせない。 ミュージアムショップをみてもわかる。 湖池屋の「ムーチョの叫び」やムンク美術館の「叫びのジャム」、「ポケモンの叫び」や「叫ぶ空気人形」等々をみると、「叫び」(1910年?)が聞こえたという受け身から社会に向かって叫んでいる姿に代わってしまっている。 自画像と同じように自信に満ちた不安な叫びとして・・。 *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2018_munch.html  

■現代日本演劇のダイナミズム  ■演劇評論家扇田昭彦の仕事

■早稲田大学演劇博物館,2018.9.29-2019.1.20 □現代日本演劇のダイナミズム ■場内は蜘蛛の巣のように細い紐が張り巡らされている。 「・・現代日本演劇の90年代以降を中心に広がりと繋がりを提示する」!。 巣は広がりと繋がりを表しているのですね? 裾野は状況劇場や天井桟敷の60年代から始まっているようです。 展示は簡素ですが全体を11に分類している。 それは「史実」「ノンフィクション/フィクション」「セックス&ジェンダー」「コミュニティアート」「静かな演劇」「「語る力」「音楽成分多め」「「モノローグ/モノローグ」「2.5次元」「演出力」「弱いい派」。 分類ごとに該当する演出家や劇団の紹介と写真そしてビデオが上映されています。 11に演劇を分けたのは重要ですね。 登場する劇団(演出家)を数えると83劇団。 知っている劇団はナゼその分類に入っているのか凡そ分かる。 でも「モノローグ/モノローグ」「弱いい派」は知らない劇団が多い。 全体だと24劇団もある。 因みに知らない劇団や演出家は・・、 いいへんじ(中島梓織)、犬飼勝哉、ウンゲツィーファ(本橋龍)、OiBokkeShi(菅原直樹)、小田尚稔の演劇(小田尚稔)、カゲヤマ気象台、岸井大輔、Q(市原佐都子)、グループ・野原(蜂巣もも)、ゲッコーパレード(黒田瑞仁)、コトリ会議(山本正典)、The end of company ジエン社(山本健介)、the pillow talk(むつみあき)、新聞家(村社祐太朗)、スペースノットブランク(小野彩加、中澤陽)、贅沢貧乏(山田由梨)、青年団リンク キュイ(綾門優季)、関田育子、東葛スポーツ(金山寿甲)、ヌトミック(額田大志)、藤原ちから、村川拓也、モメラス(松村翔子)、ゆうめい(池田亮)です。 新しい世代でしょうか? 多くは「静かな演劇」から派生したらしい。 平田オリザや岡田利規などの影響が強いのでしょう。 でもモノローグが新しいとは考えられない。 弱いというのはまだよく分からない。 「・・この先は未知の演劇に繋がっている」とあったが蜘蛛の巣の絡み合いがよく見えなかった。 未知の道は見つけ難い時代に感じました。  *早稲田大学演劇博物館開館90周年記念・2018年度秋季企画展 *博物館、 https://enpaku.w.waseda.jp/e

■会田誠とChim↑Pomのカラス  ■シュウ・ジャウェイ(許家維)  ■クロニクル京都1990s  ■カタストロフと美術のちから展

■森美術館,-2019.1.20 □会田誠とChim↑Pomのカラス ■Chim↑Pomのカラスは傑作だとおもう。 都会の空を覆う鴉の群舞と鳴声は異様としか言いようがない。 眺めていると動物としての不安が甦るからよ。 会田誠の不気味な鴉を並べると相乗効果は抜群! カタストロフ展では福島原発事故現場を背景に日の丸を描いて掲げるのかと見ていたら、丸に3枚の扇を追加して放射能標識付日の丸にしてしまう。 原発事故の衝撃力を国旗で表現するとはお見事! *館サイト、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamcollection008/index.html □シュウ.ジャウェイ(許家維) ■台湾出身の映像作家シュウ・ジャウェイの作品5本を上映。 最初の「・・故人たちの証言」が面白かったので5本全てを観てしまったわ。 日本統治時代の油脂工場跡地を映し出しながら当時の関係者が証言していく。 そして能「高砂」が高砂国や高砂族に通ずるという。 また日本が台湾に地質学者を派遣し鉱山発掘をおこなった話が「核崩壊タイマー」。 鉱物ジルコンを探すが失敗に終わる。 どれも大戦頃の実話に台湾の自然が融合して興味ある内容になっていた。 他に「回莫村」「諜報局の廃墟」は米ソ冷戦時代のタイ国諜報員の話で驚きが一杯ね。 許家維を知ることができたのが今日の成果よ。 上映時間は10分以内が多いので助かったけど、カタストロフ展は数十分の作品があるから大変。 長編は最初の数分で見る見ないを判断する必要がある。 映像作品の展示方法は検討余地あり。  *館サイト、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamscreen009/index.html □クロニクル京都1990s-ダイアモンズ.アー.フォーエバー,アートスケープ,そして私は誰かと踊る- ■中身が一杯詰まった贈り物のような会場だわ。 2011年の展示会「 ダムタイプS/Nと90年代京都 」をより詳細に落とし込んだ内容にみえる。 京都の美術系大学を中心に美術・音楽・ダンスなど90年代を記録と映像で紹介。 高校文化祭のように文章が細かく映像が多くてつまみ食いするしかない。 「カタストロフと美術のちから展」を皮切りに館内を歩き回って既に

■建築X写真、ここのみに在る光  ■小さいながらもたしかなこと  ■マイケル・ケンナ写真展

■東京都写真美術館,-2019.1.27 □建築X写真 ■特定の場所や建物を撮った作家20名の展示です。 1800年代は歴史を意識するが1900年代は作品内に生きている共通点を探してしまいますね。 2章になるとより絞り込んでいきます。 渡辺義雄は「伊勢神宮」、石元泰博の「桂離宮」、村井修は「丹下健三建築」などなど作家の得意場所を選んでいる。 その中で奈良原一高「軍艦島」、宮本隆司「九龍城砦」は住民がまだ生活しているので見応えがあります。 九龍城内一角にある入歯を作って売っている店ですか? 映画「ブレードランナー」で人工眼を売っている店屋とそっくりで迫力満点です。 建築写真は住んでいる人々を、それは気配だけでも入れるかどうかで違ってきます。  *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3108.html □小さないながらもたしかなこと ■作家:森栄喜,ミヤギフトシ,細倉真弓,石野郁和,河合智子 ■1980年前後に生まれた若手作家5人の作品展です。 現代の生き難さを作家のそれぞれの日常から見つけ出して作品にしている。 まさにタイトルの通りです。 カメラが生活=身体の一部になった最初の世代なのでしょう。 少しばかり余所行き姿ですが通勤通学、買物や食事とそんなに遠いとは感じません。 気に入ったのは写真でできた絵画のような石野郁和の作品群です。 観ていると自身の脳味噌が輝きだすのが分かります。 *日本新進作家vol.15 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3098.html □マイケル.ケンナ写真展,A 45 Year Odyssey 1973-2018 ■マイケル・ケンナは興味が湧きそうで湧かない作家の一人です。 作品の半分はオモシロイようでツマラナイ。 プロにしては打率が低すぎる。 ただし撮影場所は真似ができない。 もちろん作品に費やす時間もです。 凝り過ぎていると言うより考え過ぎている可能性があります。 しかし発見もありました。 それは日本人女性のヌード集「RAFU」です。 彼は日本女性の肌理をしっかり感じていることがわかりました。 流石です。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/con

■リー・キッド「僕らはもっと繊細だった。」

■原美術館,2018.9.16-12.24 ■ここの美術館は窓が多い。 それを利用している。 カーテンで光量光質を調整して部屋の触覚を映像と共に表現しようとしているようだ。 このため壁まで新たに作った箇所もある。 そこに木陰や顔写真、動く足など単純な映像を映し出す。 しかし多くの部屋はせわしない。 せっかく作った空間の雰囲気は雑音として散ってしまっていた。 窓の無い部屋は身体から遠ざかるので集中できるが。 日本の四季は室内に多くの記憶を残してくれる。 しかしリー・キッドが求めた部屋の感触がよく分からない。 彼は台湾で生まれたという。 豊かな自然で子供時代を過ごしたはずだ。 彼の作品は多分、蒸し暑い夏の夕暮れに観るのが似合うのかもしれない。 今は季節がよくない。 空気が軽すぎるからだ。 *館サイト、 http://www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/243/

■アール・デコと異境への眼差しーエキゾティックXモダンー

■東京都庭園美術館,2018.10.16-2019.1.14 ■得意のアール・デコで今年を締め括るつもりのようね。 しかも本命ポール・ポワレを並べるとは御機嫌ね。 でも聞かない名前も多い。 菅原清造とジャン・デュナン、ウジェニー・オキン・・。 資産家ナンシー・キュナードや自動車会社シトロエンの行動も。 これら総括としての1925年パリ万博(通称アール・デコ博)、1931年パリ国際植民地博覧会は当時の植民地政策に沿っている。 強烈な何者かを持っていたアフリカ・アジアに近づくため芸術家はこの政策に乗らざるを得なかったの? A・ブルトンたちは博覧会に反対したようだけど・・。 そして「フランス・アール・デコのイメージ・ソース」にこの異境を「エキゾチシズム」として受け取ったのは大戦に挟まれた束の間の休息が作り出した現実逃避の気分と合致したのかもよ。 ところで「30年代美術館」が多く目に付いたけど行ったことがない。 館名だけを見ると意味深で面白そう。 *館サイト、 https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/181006-190114_exotic.html