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■2016年美術展ベスト10

□ フォスター+パートナーズ展   森美術館 □ 小泉淳作と小林敬生   世田谷美術館 □ MIYAKE ISSEY 展   国立新美術館 □ はなのなかへ   東京オペラシティアートギャラリー □ 竹中工務店400年の夢   世田谷美術館 □ キセイノセイキ   東京都現代美術館 □ 国吉康雄展   そごう美術館 □ 木々との対話   東京都美術館 □ ナムジュン・パイク展   ワタリウム美術館 □ ピエール・アレシンスキ展     Bunkamura・ザミュージアム *並びは開催日順。 選出範囲は当ブログに書かれた作品。 映画は除く。 * 「2015年美術展ベスト10」

■フランコフォニア、ルーヴルの記憶

■監督:A・ソクーロフ ■ジャック&ベティ,2016.12.24-30 ■ソクーロフを観るのは2012年の「ファウスト」以来だ。 彼の作品は独特のリズムというか呼吸を持っている。 しかし今回その呼吸は速い。 北海の荒海を突き進む貨物船やヨーロッパ戦線の実写、美術館の歴史、マリアンヌやナポレオン一世の亡霊など多くのシーンが目まぐるしく積み重なっていくからだと思う。 そこにルーヴル美術館館長ジョジャールとナチス占領美術担当メッテルニヒ伯爵の存在が徐々に現れてくる。 二人とも現代の俳優が演ずるが1940年当時のセピア色にしているためドキュメンタリー中の人物のようだ。 ルーヴル美術館やパリを俯瞰するシーンも同じである。 ソクーロフ好みの記憶の色彩で満たされている。 そして彼の短い言葉が美術品一つ一つを静かに浮かび上がらせる。 ヒトラーが「ルーヴルはどこだ?」と探し回り、「これは私だ!」とダ・ヴィンチの前でナポレオンは答え、「自由・平等・博愛・・」をマリアンヌは何度も口にする。 国家権力と美術館を論じるが速い呼吸の中で漂うだけである。 ナポレオンは叫ぶ、「美術品の為に戦った!」と。 これこそがヨーロッパ、いやフランコフォニアであるかのように。 そして館長と伯爵の戦後経緯が語られて映画は終わる。 *作品サイト、 http://francofonia.jp/ *2017.1.8追記、「ミケランジェロ・プロジェクト」(監督:G・クルーニ,出演:M・ディモン)を正月休みにDVDで観る。 ヒトラーの「ルーヴルはどこだ?」の続きである。 ナチスに奪われた美術品を取り戻す米国軍隊の活動話である。 実話を基にした物語なので最後までみたが酷い出来の映画だ。 古き良きアメリカを描きたかったのだろう。 *作品サイト、 http://miche-project.com/

■画と機、山本耀司・朝倉優佳  ■人間この未知なるもの  ■村上早

■東京オペラシティアートギャラリ,2016.12.10-17.3.12 ■画と機 ■舞台衣装・美術の展示と勘違いした。 名前をしっかり見ないで行ったからである。 それにしても朝倉優佳の作品はどこかで見た気がする。 なかなかである。 しかし会場の広さと比較して作品数が少なく気が抜けてしまった。 全企画展にカネとヒトを対等に投入できない為だろう。 これで作者が好きなようにレイアウトした感じだ。 肩が凝らない。 タイトルも面白いが関係性はよく分からなかった。 特に山本耀司はインスピレーションの思うままに作り上げたようにみえた。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh193/ ■人間この未知なるもの、寺田コレクション収蔵品展57 ■これは楽しい。 作家50人も揃うと半分は知らない作品になる。 またまた至福の時間を過ごせた。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh194.php ■村上早 ■銅版画とは気づかなかった。 じっと見ていると味が出てくる。 犬の好きなことがわかる。 このコーナーに出る作家は犬好きが多い。 このため結構気が合う。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh195.php

■ミラノ・スカラ座、魅惑の神殿

■感想は、「 ミラノ・スカラ座、魅惑の神殿 」

■マリメッコ展、デザイン・ファブリック・ライフスタイル

■Bunkamura・ザミュージアム,2016.12.17-17.2.12 ■カーテンの布地でしょう、これは。 それでも柄がデカすぎる。 着る勇気がいる。 でも戦争が終わり20世紀中頃の時代に合っていたのかもしれません。 「シンプルなカット、ゆったりとしたシルエット」のドレスも女性に受けたはずです。 「ファッションではなくてデザイン」重視もしっかりしている。 自然を模倣した抽象で大胆でカラフルな絵柄なら食器や鞄や靴、飛行機にも広がるのは必然です。 冬の長いフィンランドならではのデザインですね。 でも日本の自然を描く時の大胆さとは質が違うようにみえる。 日本でなら異空間を演出できそうです。 この展示会はマリメッコのデザイナーたちを単位にしています。 時代が流れても彼らの考え方はぶれていないようです。 ところで映画「ファブリックの女王」は見逃してしまった。 ビデオで観るしかありません。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/16_marimekko/

■アピチャッポン・ウィーラセタクン、亡霊たち ■東京・TOKYO ■日本の新進作家vol.13

■東京都写真美術館,-2017.1.29 ■東京・TOKYO ■コレクション展のため過去にみている作品が多い。 楢橋朝子は、・・近美でみたのを微かに記憶している。 「KISARAZU」「MAKUHARI」「ODAIBA」「HAKKEIJIMA」は海すれすれからみた湾沿いの風景で巧い。 北京やソウルの人と仕事をしたことがあるけど、彼らは東京が湾港都市だと強く意識しているの。 東京人はこれを忘れてしまう。 彼女の4点をみて忘れていたことを思い出した。 それは海面から見た東京だから。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2570.html ■東京・TOKYO,新進作家vol.13 ■新進作家6人の作品展。 キャノンギャラリ品川で知った佐藤信太郎だけで、あとの5人は初めてかも。 田代一倫は仕事中の人にカメラを向けて作品にするけど業種が限定されてしまうから方法は面白いけど広がりが無い。 野村恵子は女性の心と体に迫っていて心臓の鼓動と血液の生暖かさが伝わってくる。 対して小島康敬は東京の無機質な風景が異様にも感じる。 中藤毅彦と元田敬三は白黒の荒粒子の東京裏通りを描いて、しかも後者は文章も面白い。 でも昔から続いているテーマで古臭いのはしょうがない。 6人集まってやっと一つの東京が見えてくるわね。 やっぱ東京はメガシティだとおもう。   *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2568.html ■アピチャッポン・ウィーラセタクン,亡霊たち ■多くが映像作品だけど一目見てこれはイケルと感じたの。 映像の中に沢山の大事なものが現れていたから。 例えば南アジアが持っている時間感覚や、青春の断片や、人は生き物の一つでしかないと感じることなどをね。 実は彼の作品は観たことがない。 「ブンミおじさんの森」など多くが映画祭で評価されたのは聞いていたけど、映画はいつでもみれるのでついつい後回しになってしまう。 でもこの展示をみてこれは外せないとおもった。 美術館に行く理由の一つは、このように再発見に繋がることがあるからよ。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-

■拝啓ルノワール先生、梅原龍三郎に息づく師の教え

■三菱一号館美術館,2016.10.19-17.1.9 ■窮屈な会場だが逆に二人の親密さを漂わせている。 渡欧した頃の自画像をみると開かれた若者という性格がみえる。 壁には梅原の言葉が貼られているが読むと彼の生活の豊かさがみえる。 ルノワールも心を開いたのだろう。 そして梅原やルノワールの言葉を読んで作品をみるといつもと違った見方をしてしまう。 展示会の狙いかもしれない。 初期作品はピカソの影響が大きい。 中期はルノアールの通奏低音も響いているがボナールを含め多くの影響がみられる。 関係性から絵をみてしまうのだ。 当時の画家たちの年表が掲げてあった。 梅原・ピカソ・マティス・ルオーの生まれた1880年頃とルノワール・ドガ・セザンヌ・モネの1840年は約50年の差がある。 今や寿命は伸びているが同時代人として走れる歳差は20年くらいに縮んでいる。 情報量の多さと情報寿命の短さからくる出会いや選択の困難性からである。 現代では考えられない50年という長さを持つ緩やかな関係を楽しむことができた。 * 「ルノワール展」(2016年) *展サイト、 http://mimt.jp/renoirumehara/

■沙翁復興、逍遙からNINAGAWAまで

■早稲田大学演劇博物館,2016.10.14-17.1.29 ■この館のシェイクスピア企画展は常設展とあまり変わらない。 いつも館内至る所にシェイクスピアの気配があるからよ。 沙翁来朝室では坪内逍遥の最終講義映像を3Dで見ることができるの。 ムムッ。 和服の逍遙よりロボットが学生服を着たような聴講学生の整然とした姿が圧巻だわ。 沙翁出帆室では演出家6人を取り上げ解説・写真・ポスタ・映像が展示されている。 野村萬斎「まちがいの狂言」(2001年)、野田秀樹「オペラマクベス」(2004年)、P・グリーナウェイ「プロスペローの本」(1991年)、蜷川幸雄「蜷川マクベス」(1985年)、三浦基「 コリオレイナス 」(地点、2012年)、宮城總「マクベス」「オセロ」(ク・ナウカ、2003、2005年)。 グリーナウェイも悪くないけどここは日本の若手演出家を選んでほしかった。 「シェイクスピア没後400年記念」イベントの一つということでこの展示会を見ただけではツマラナイ。 いくつもの講演や演劇公演があるからそれらも観てくれと言うことね。 *館サイト、 http://www.waseda.jp/enpaku/ex/4653/

■デザインの解剖展、身近なものから世界を見る方法

■ディレクタ:佐藤卓 ■2121デザインサイト,2016.10.14-17.1.22 ■身近な商品は企画・設計・製造・物流・販売を通して消費者の手に届きます。 この製品を分解・解析し過程を遡上しながら設計の本質を明らかにする展示会らしい。 今世紀初めに広まったリバースエンジニアリングをまずは思い出す。 デザインとは工学用語での「設計」でしたが美術にも広がったと聞いています。 デザインが本来の意味に戻ったと言えるでしょう。 展示商品は明治乳業の「きのこの山」「ブルガリアヨーグルト」「ミルクチョコレート」「エッセルスーパーカップ」「おいしい牛乳」の5点です。 「きのこ・・」と「エッセル・・」は食べた記憶がありません。 まさしく商品の分解です。 ここでは解剖と言っている。 この違いがデザインを広義に捉えようとしている。 やはりパッケージや本体の形や色に力点が置かれている。 でも目に留まったのは工場での製造過程を撮った3分の映像です。 キノコの柄と傘をどのように作っていくのか等々一発でわかりますから。 企画や設計の成果物と比較しても格段の情報量を持っている。 説明が詳細で学部生用の講義内容のようですね。  この美術館の方向性がみえます。 5商品はどれも乳製品なので飽きが来る。 気に入った一点をじっくり見るとか、5製品の同一部分の比較も面白いかもしれない。 細かすぎて目的がなんであったのか忘れてしまいそうでした。 ところで明治乳業の製品は味がさっぱりしています。 牛乳・チーズ・バター・ココアはよく口にしますが、森永や雪印と比較して遊び心が少ない味だと感じる。 ただしブルガリアヨーグルトは酸味が強くて特徴がある。 他企業より効率化標準化が進んでいるのでしょう。 この展示で明治を選んだ理由もここにあるのかもしれません。 *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/design_anatomy/

■トラフ展、インサイド・アウト

■ギャラリー間,2016.10.15-12.11 ■百円ショップで買ったモノをばら撒いたような場内ですね。 最初は目の焦点が合いませんでした。 スモール&カラフルな為でしょう。 そこにチープさも入ります。 「視点を変えると見えてくる」とキャッチフレーズにありましたが、一つ一つ見つめると見えてきた。 「プロダクト(小物製品)はどこで誰に使われているかも分からない」。 このカタカナ3語を持ったモノの特長ですね。 陳列物の間を模型電車が走っています。 これにカメラを取り付けた録画を2階で上映していたが、この手の映像は見ていても飽きない。 電車に乗っている気分になるからです。 「都市>建築>インテリア>家具>モノのヒエラルキーを壊したい」と言っている一つの具体例が映像に現れています。 不等号を逆転させた何かが現れるような楽しさがあります。 プロダクトの合間をぬって走るとき製品説明も入る。 この映像を充実させたら一つの作品として成り立つでしょう。 ひさしぶりに目が喜びました。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex161015/index.htm