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■2017年美術展ベスト10

□ デヴィッド・ボウイ・イズ   天王洲・寺田倉庫 □ ティツィアーノとヴェネツィア派展   東京都美術館 □ サンシャワー、東南アジアの現代美術展   国立新美術館+森美術館 □ 荒木経惟センチメンタルな旅1971-2017-   東京都写真美術館 □ 静かなひとびと   東京オペラシティアートギャラリー □ 日本の家-1945年以降の建築と暮らし-   東京国立近代美術館 □ 狩野元信-天下を治めた絵師-   サントリー美術館 □ 運慶   東京国立博物館・平成館 □ オットー・ネーベル展、知られざるスイスの画家   Bunkamura・ザミュージアム □ ユージン・スミス写真展   東京都写真美術館 *並びは開催日順。 選出範囲は当ブログに書かれた作品。 映画は除く。 * 「2016年美術展ベスト10 」

■謎の天才画家ヒエロニムス・ボス

■監督:ホセ・ルイス・ロペス=リナレス ■イメージフォーラム,2018.12.16-(スペイン・フランス,2016年作品) ■2017年はボスで締めくくります。 ボスと言えば缶コーヒーではなく、今年なら「 バベルの塔 」になりますか? この映画は三連祭壇画「快楽の園」のみに集中させている。 そして祭壇画を前にして20名前後の有名人が勝手に喋りまくる。 有名人といっても知っている人は蔡國強とルネ・フレミングだけでした。 経歴を読めば思い出してもう少しいるかもしれない。 「快楽の園」の本物はみたことがありません。 絵の前に立てばかぶりつきになるでしょう。 何度もみたくなる理由の一つに、登場人物の多くが素っ裸で肌の色が白く滑らかな為だと思います。 有名人の一人が「エロチックだが温度が低い」と語っていましたが飽きが来ない所以でしょう。 他の一人は内容が「キリスト教教義に則っている」とも言っている。 キリスト教批判を絵中に入れているにもかかわらず長く親しまれている理由かもしれない。 さすが悪魔のクリエーターでありキリスト教友愛団「聖母マリア兄弟会」所属名士だけあります。 *作品サイト、 http://bosch-movie.com/

■フランス宮廷の磁器セーヴル、創造の300年

■サントリー美術館,2017.11.22-2018.1.28 ■セーヴルの名前は聞いてはいたが中身は知らない。 1740年ルイ15世のもとで磁器製作所として誕生したようだ。 「東洋へのあこがれ」から芸術そして日常へと浸透していく流れは西欧どこも同じである。 18世紀は国王の画家たとえばロココのプーシェや生活色のある英国庭園の絵柄などを採用した親しみやすい作品が多い。 しかし19世紀になると趣味の世界から脱して本格的に変化したのを感じる。 これは製作所所長ブロンニャールの力らしい。 有名画家も採用し続けているので質が保たれている。 20世紀も芸術部長サンディエなどが頑張っているようだが世界動向に巻き込まれてしまった。 ダンサーのロイ・フラーの利用やアール・デコの採用はその現れだろう。 しかし沼田一雅など外部からの受け入れが衰えていないところは大したものだ。 現代になると製作所の考えは全く見えなくなってしまう。 世界作家とのコラボだけが前面に出ている。 国王から所長そして芸術部長で遣り繰りしてきたが今や作家だけがが残ってしまった。 硬くて重いモノとしての陶磁器は時代変化に弱いから母屋の維持は大変なのだろう。 セーヴルを例にした陶磁器盛衰史の展示会にもみえた。 *六本木開館10周年記念展 *館サイト、 https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2017_6/index.html

■デンマーク・デザイン

■損保ジャパン日本興亜美術館,2017.11.23-12.27 ■デンマークの最高地は173メートルしかない。 この値には驚きです。 北欧諸国の一つなら千メートル以上はあると考えてしまう。 作品をみても自然にどっぷり浸かって木や革を使うのとは違う。 福祉国家いわゆるノルデックシステムから来ているようです。 具体的には人間生活の基本としての快適な住まいからです。 そこで使われる家具や食器、玩具も同列に扱われている。  しかし会場は政治・経済との関係を深くは論じていない。 デザイナーの紹介を読んでも福祉国家との繋がりは分からない。 影響は複雑なようです。 さり気なく無駄を排除している作品は九州ほどの国土や人口570万人から来ているデザインにみえます。 少し誤ればニトリやシマムラと同じになってしまうところもある。 会場にあった座れる椅子は全てを試したがなかなか良い。 座った時に感じたのは<余裕>というようなものでした。 これこそが福祉国家と小さな国土・自然と歴史・文化が融合したデザイン結果かもしれない(?)。 日本のモノやコトからは<余裕>を感じたことがないことを思い出させてくれました。 ・・日本の余裕の無さは一体どこから来るのか? *日本・デンマーク国交樹立150周年記念 *館サイト、 https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2017/danmark-design/

■アジェのインスピレーション  ■無垢と経験の写真  ■ユージン・スミス写真展

■東京都写真美術館,2017.11.25-2018.1.28 ■アジェのインスピレーション-ひきつがれる精神- ■アジェが撮ったパリの街並みをみていると、そのまま止まっている当時の時間を感じることができる。 壁や窓やドアからできている一つの建物はアジェ独特な存在感を持っている。 それは幾何学的な美しさがあるの。 人は疎らで小さく撮られているから気配だけが建物に溶け込んでいく。 無機質が優位でもそこに暖かさが感じられる。 アメリカ、特にMOMAを中心とした展示のようね。 副題を広げアジェに影響を受けた日本作家の作品も並んでいる。 「アジェは別格!」。 清野賀子の言うとおりだわ。 荒木経惟は「手本はアジェ、その後継者はウォーカー・エヴァンズ・・」。 被写体の対象は違うけど後継者は分かる気がする。 アジェの作品に触れると精神が清められる。 *館サイト、 http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2878.html ■無垢と経験の写真-日本の新進作家vol.14- ■5人の新進作家の展示会よ。 好みが分かれるわね。 片山真理は周りにある玩具や衣装、寝具と一体になり独特な世界が現れている。 彼女の心の在り様も分かるから恐ろしい。 鈴木のぞみの木枠やサッシの窓に風景を印画した作品は異様な雰囲気がある。 手鏡ではリングの貞子を思い出してしまった。 金山貴宏は張り詰めた目や顔の家族や親類の記録。 そして武田慎平は放射線感光のフォトグラム作品でよく分からない。 緊張感ある会場だった。 吉野英理香の湿り気と濃さを持った木々草花や物々を背景にした作品が唯一現実に戻る道筋を持っていたわね。 *館サイト、 http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2876.html ■生誕100年ユージン・スミス写真展 ■12章の構成だけど「太平洋戦争」「スペインの村」「水俣」は何回もみた記憶がある。 他はまとめて観たことがないので貴重な展示会よ。 彼がライフ編集部と対立したのは大ニュースより人々の日常生活の限界に目を移していたからだとおもう。 「カントリー・ドクター」や「助産婦」「アルベルト・シュバァイツァー」の医者と患者の姿。 「化学の君臨」「日立」や「季節農業労働者」「ピッツバー

■ゴッホ、最後の手紙

■監督:ドロタ・コビエラ,出演:ダグラス・ブース,ジェローム・フリン,ロベルト・グラチーク ■新宿シネマカリテ,2017.12-(イギリス+ポーランド,2017年作品) ■アニメだと聞いていたが100%アニメだった。 実写は一場面も無い。 しかもゴッホの描いた絵が動いているのだ! ゴッホ史を開いた時に画家になる迄の職業遍歴に驚いた記憶がある。 この映画はタンギー爺、郵便夫ローラン、ラブー旅館の女将、ガシュの娘マグリットなどにゴッホの姿を簡素に語らせている。 主要関係者を知っていた方がすっきり入れる作品だ。 手紙付の郵便配夫(の息子アルマン)を主人公にしたのが成功した理由だとおもう。 でないと関係者の口を開かせることができない。 当時の郵便配達人は人間関係を繋ぎ合わせてくれる。 それにしても途中まで何が言いたいのか分からない映画だった。 絵については殆ど触れられない。 ゴッホは自殺か他殺か? 自殺ならその原因は何なのか、他殺なら犯人は誰なのか? そして彼は本当に鬱病だったのか、性病との関係は? ・・。 「絵画によって彼自身を語らせる」とチラシにあったがこの映像の努力は認める。 100名以上の絵師を投じて作成した6万枚の下絵の面白さを前面に押し出している作品である。 しかしゴッホを本当に知っているのだろうか? ゴッホとは絵の前に立った時にしか出会えない。 そして今となってはそれで十分かもしれない。 *作品サイト、 http://www.gogh-movie.jp/

■単色のリズム、韓国の抽象  ■懐顧・難波田龍起  ■三瓶玲奈

■東京オペラシティギャラリー,2017.10.14-12.24 ■単色のリズム,韓国の抽象 ■韓国単色画は目立たないので今まで素通りしていました。 ところで初めてのアジア旅行は韓国でした。 上空から眺めた真冬の半島を目にした時これが大陸の色と形か!と感心したのを覚えています。 その時の記憶が甦りました。 乾燥したような動きの少ない形と色はまさに大陸的にみえます。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh202/ ■懐顧・難波田龍起 ■そのまま2階の会場へ入ったのですが大陸から日本海を渡った後の色と形だと直観しました。 湿度が違います。 水彩画が多いせいかもしれない。 ミニマルやアンフォルメルとは生まれが違う為もあるのでしょう。 題名は具体的ですが作品の中にもその跡を見て取れるところが面白い。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh203.php ■三瓶玲奈 ■続けて観たのですが東京へ戻った色と形ですね。 冬の東京の鈍い輝きを持っています。 今回は韓国・日本・東京の日照の違いや湿度・温度の流れを感じさせる3展示会でした。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh204.php

■残像

■監督:アンジェイ・ワイダ,出演:ボグスワフ・リンダ,ゾフィア・ヴィフワチ ■(ポーランド,2016年作品) ■長くて発音し難い名前ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキを初めて知った。 画家でありポーランドのウッチ造形美術大学で教える彼の1948年から52年までの4年間を描いた物語である。 師や友人がマレーヴィッチ、シャガール、ロトチェンコと聞けば彼の立ち位置は大凡検討がつく。 そして大学構内の装飾はモンドリアンを思い出させる。 映像内の建物や道路、そこに行きかう人々の衣服は清潔でスキが無い。 部屋はゴミ一つなく塗装の質感も落ち着いた軽やかさがある。 1950年頃のポーランドには見えないが完璧なカメラワークがそれらに有無を言わせない。 つまり監督ワイダは国家と芸術家の関係を描きたかったようだ。 彼の視覚理論やゴッホ批評は断片的に語られるだけである。 ストゥシェミンスキの芸術理論は社会主義リアリズムに合わない。 スターリン主義に傾いていく国家権力は「どちらを選ぶのか?」と彼に迫る。 従わない彼は生活がひっ迫していく。 全体主義者の問答はただ一つ「敵か味方か」「こちら側かあちら側か」しかない。 友人である詩人ユリアンは言う、「我々はあいまいだから」と。 国家は曖昧な人間を嫌がる。 芸術家はあいまいを貫き通せ!と監督は言っているようにみえた。 曖昧の自由は表現の自由を導く。 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/85818/

■レアンドロ・エルリッヒ展-見ることのリアル-

■森美術館,2017.11.18-18.4.1 ■力強いモノで出来た作品群です。 それは真面目さに繋がる。 20世紀が未だ続いているような感じですね。 これこそ肉体を使って「体験することで世界が違ってみえてくる」基盤かもしれない。 あの金沢21世紀美術館の「スイミング・プール」もエルリッヒの作品だと今知りました。 それにしても仕掛けが古い。 鏡を使った「試着室」(2008年)や「建物」(2009年)、窓からみる「失われた庭」(2009年)、他人の家を覗き込む「眺め」(1997年)。 まるで映画監督A・ヒッチコックの撮影現場のようです。 会場を歩いていると50年の落差が感じられる。 この時間差から来る何かこそがエルリッヒがリアルと言っているものかもしれない。 リアルは空間的な言葉だと思っていましたがそこに時間を意識したことは初めてです。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/LeandroErlich2017/index.html

■野生展、飼いならされない感覚と思考

■ディレクター:中沢新一 ■2121デザインサイト,2017.10.20-18.2.4 ■「野生の領域に触れることができなければ、どんな分野でも新しい発見や創造は不可能だ」とディレクター中沢新一が野性の狼のように吠えている。 でも会場は野性的とは裏腹に細かすぎるわね。 南方熊楠の小さい文字が充満しているせいかしら? よくみる土器や人形は集中力や想像力がないと野性の発見が難しい。 キティやケロコロの「かわいい」をその一つに入れたのは初めてかも。 抽象的可愛らしさは「自然と文化の中間つまりどのカテゴリーにも属さない魅力がある」のは確かだけど広げ過ぎにもみえる。 中沢新一の感度が良すぎるんじゃない? 巫女のようにならないと展示されているモノが踊り出さない。 唯一「丸石」を見たとき想像力が働きだしたことは確か。 球体のパワーだわ。 1階ショップに関係図書があったけど、この中で「カイエ・ソバージュ」(全5冊)の面白かった記憶が今でも強く残っている。  この記憶が展示会に伝わっていかない。 *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/wild/ ■ロエベ「インターナショナルクラフトプライズ」 ■ギャラリー3,2017.11.17-30 *ロエベサイト、 http://www.loewe.com/jap/ja/home

■八木一夫と清水九兵衛、陶芸と彫刻のあいだで

■菊池寛実記念智美術館,2017.9.16-12.3 ■館周辺は坂が多い。 坂が多いと木々も目に入り易い。 ホテルオークラの工事が終われば再び緑豊かになるのかな? ホテルは建て替えるほど無機質になるから心配である。 先ずは八木一夫「ザムザ氏の散歩」から入る。 題名も作品も面白い。 彼は時代をまともに受け止めてその思想動向を形にしたいと四苦八苦している。 十数点をみてそのように思えた。 「教養としての古典を基盤に、↑したい」と彼は言う。 ザムザや走泥社の名前はその表れにみえる。 思想を咀嚼した成果を積み重ねていくような作品群である。 後半は清水九兵衛だ。 最初の作品を見てホッとしてしまった。 八木とはあたりの雰囲気から違う。 解説文に清潔、端正、新鮮、フォルムという語彙を見つけたがそれが漂う。 彼は鋳金から入ったらしい。 途中陶芸もしたが再び彫刻に戻っている。 陶食器が展示してあったが微妙に薄いのは金属感から来るのだろう。 食器作品は自身がそれを手にとり唇にあてた触感を想像をしながら眺める。 そこから微妙に薄いと感じ取ったのだが。 1990年以降のアルミやガラス、紙の作品は魂を1960、70年に置いてきてしまったようだ。 二人はやはり20世紀真っ只中の人である。 *館サイト、 http://www.musee-tomo.or.jp/exhibition.html

■ゴッホ展、巡りゆく日本の夢

■東京都美術館,2017.10.24-2018.1.8 ■西洋美術館「北斎」から都美術館「ゴッホ」へ行く。 会場構成がどちらも似ていますね。 ゴッホの日本びいきは並みでないことが分かる。 浮世絵がズラリと並んでいますがサラッと流してゴッホをジックリと観て回りました。 初めて見る作品も何枚かあり充実しています。 そして5章の「日本人のファン・ゴッホ巡礼」は面白い。 副題の意味もここへ来て理解できました。 書簡や書籍、映像でまとめてあり当時の日本人のゴッホ墓参の様子が分かる。 この章はサブライズだと思います。 北斎から続く一方的な日本礼賛を一先ず脇に置いて「交差」させたからです。 交流の楽しさが伝わってきます。 副題の通り、両者の巡り合う接点を作ることが企画を面白くする方法のようです。 *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2017_goghandjapan.html

■北斎とジャポニスム-HOKUSAIが西洋に与えた衝撃-

■国立西洋美術館,2017.10.21-18.1.28 ■雑誌ライフの「この1000年で重要な功績を残した世界100人」に選ばれている北斎ですが、もし雑誌記者が日本人なら彼を選んだでしょうか? この展示会を見ればライフが北斎を選んだ理由を見つけられるかもしれない。 19世紀後半のヨーロッパ美術界に浸透した北斎漫画や北斎浮世絵はやはり勢いがありますね。 描かれた自然や生物が生き生きしている。 ゴーギャン、ボナール、ピサロ、ルドン、ドガ、・・。  影響を受けた作家と北斎の作品が並べられています。 ガレ、ドーム兄弟、・・。 陶器・ガラスはより直接的な影響が窺える。 それは作成工程初期で想像力が固定してしまうからでしょう。 そして富士山とセザンヌのサント・ヴィクトワール山の比較で会場が終わっています。 でも比較しながらの鑑賞は論理思考が働いてしまいみる喜びが湧き起こらない。 両者の違いに関心がいってしまうからです。 ところで衝撃を与えた背景には自然・動物・植物そして人体の見方が西洋と違うからだと場内解説は言っています。 北斎はその違いを巧く表現できていた。 当時の日本は科学・技術を西欧から無条件で取り入れています。 科学技術は日本に同じ土俵が無かったので比較できなかったからだと思います。 でも美術界は土俵を持っていた。 この比較できる土俵を持っていたことが雑誌ライフにも選ばれた理由でしょう。 *館サイト 、 http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2017hokusai.html

■オットー・ネーベル展、知られざるスイスの画家

■Bunkamura・ザミュージアム,2017.10.7-12.17 ■これほど中身の濃い描き方とは知らなかった。 会場は11章から成り立っているが、どの章も見応えがある。 彼は建築を志していたらしい。 シャガールやクレーの影響を受けながらも、家々の重なり合う風景やレンガを積み上げた1930年迄の初期作品には彼独自の緻密な感性が形や色に表れている。 それは職人的な気質かもしれない。 転機はゲーテを思い出させる30年代の素晴らしきイタリア旅行だろう。 そこで出会った色彩を音楽や文字へ丁寧に適用してより職人的な作品を作り上げていく。 章が進むほど日本の伝統工芸を見ているような重厚でしかも軽やかな気分を味わう。 途中の章「抽象/非対象」でカンディンスキーとの比較があった。 ネーベルの作品は細胞内を顕微鏡でみている感じだ。 核やリボソーム、ゴルジ体やミトコンドリアがうようよしている。 カンディンスキーの活き活きとした躍動感とは質が違う。 職人芸と芸術芸の強弱差が出ている。 どこまでも彼は建築を意識しているようにみえる。 観終わった充実感も重層的である。 ところでネーベルは舞台俳優やアナウンサーの経験もあるらしい。 舞台写真や映像は残念ながら展示されていなかった。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_nebel/

■フランス人間国宝展

■東京国立博物館・表慶館,2017.9.12-11.26 ■「運慶」の帰りに寄りました。 日本の「人間国宝」にならって作られたフランス版のようです。 メートル・ダールと呼ぶらしい。 技と伝統ならフランスではファッションや革製品しか思い浮かびません。 ワインは無形文化財から外れますか? 会場にジャン・ジレルの天目茶碗が一面に置いてあるのには驚きです。 フランス映画をみていると御飯茶碗でコーヒーを飲む場面が時々あります。 フランス人は天目茶碗でコーヒーを飲むのでしょうか? クリスティアン・ボネの鼈甲眼鏡フレームはイヴ・サンローランを思い出します。 ル・コルビュジエやオナシスもボネの顧客のようですね。 マリア・カラスもその一人らしいがオナシス経由でしょう。 そしてセルジュ・アモルソの革バックと続きます。 フランスとエジプトの融合がカッコイイ。 ・・。 今回はミッシェル・ウルトーの傘が一番気に入りました。 これをみて日本には傘の展示会がナゼ少ないのか考えてしまいました。 雨が多いから日常化してしまっている? それでは茶碗が説明できない。 作品の多くは日傘にもみえる。 背景には気候風土の違いがあるようです。 フランスのモノへの愛着や感性の歴史が少し見えた感じです。 日本の人間国宝との対象の違いが面白い。 入口にある4画面の映像は作成過程が分かるので必見です。 *館サイト、 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1866

■運慶

■東京国立博物館・平成館,2017.9.26-11.26 ■三次元の仏像をみるときは視点が全方向へ延びるので混雑度はあまり気になりません。 作品をひと回りできる配置も気に入りました。 背中からみるのも乙なものです。 日本史教科書に載っている慶派仏像の大部分が揃っていて壮観ですね。 無いのは金剛力士像(東大寺、興福寺)くらいですか? 初章が運慶の父「康慶から・・」で始まるのも面白い。 比較することで運慶が見えて来るからです。 デビュー作「大日如来坐像」(円成寺)から既に写実の中にリアルな発現をみることができる。 それは終章の「運慶の息子・・」で再び運慶との違いが何かを考えさせられる展示になっている。 運慶は写実からあるものを変換しようとしている。 それは具体を豊穣な抽象にまで高める力だと思います。 特に脂がのっている時期の「八大童子立像」(金剛峯寺)にはそれが表れている。 芸術をみる喜びがやって来ます。 当時の依頼者も運慶と慶派の微妙な違いを仏教を超えた芸術として無意識的に感じていたのではないでしょうか。 *興福寺中金堂再建記念特別展 *館サイト、 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1861 *「このブログを検索」キーワード、 運慶

■安藤忠雄展-挑戦-  ■安藤忠雄21_21の現場悪戦苦闘

■安藤忠雄展-挑戦- ■国立新美術館,2017.9.27-12.18 ■リングのグレート安藤のように力の入った展示会だわ。 実際のリングは勿論見てないけど。 1960年代前半の世界放浪とスケッチブックは安藤忠雄の原点が詰まっている。 彼はシベリア鉄道でヨーロッパへ、マルセイユから船旅でアフリカ経由、ボンベイから鉄道でインド横断そして日本への帰還は旅行好きならグウの音も出ない最高の行程かもよ。 その時のスケッチブックがまた素晴らしい。 話は飛ぶけど愛犬の名前ル・コルビュジエは長すぎる。 普通はコルとかコルビーでしょ。 でも尊敬のコルビュジエだからね。 安藤は自ら建築した住宅を「使いにくい」「住みにくい」とクライアントに言っているの。 あのコンクリートの塊は日本の風土には合わないし住みたいとも思わない。 住人も苦労しているようね。 でも小さな公共施設、例えば内はドラマチックに外は質素な教会などは彼の特長を十分に活かしている。 特に宗教は合うのかもしれない。 地下へ降りていく作品が多いからよ。 真言宗本福寺水御堂や真駒内滝野霊園頭大仏、また水を使った森の教会も印象に残る。 公共物でも美術館はイマイチね。 水とガラスで展示作品が鑑賞しづらいんじゃないかしら? 終章の「育てる」で安藤が多くの木々を植えているのはコンクリートの功罪から逃げたいのかもしれない。 *国立新美術館開館10周年展 *展示会サイト、 http://www.tadao-ando.com/exhibition2017/ ■安藤忠雄21_21の現場悪戦苦闘 ■21_21デザインサイト,2017.10.7-28 ■この美術館での展示会は三宅一生とのコラボの面白さがある。 そして企画展ごとにディレクターの顔が見えるのも楽しい。 建物は安藤忠雄作だと一目でわかる。 コンクリートと地下の組み合わせ、そして居心地の悪さでね。 あの狭い階段を下りていく時の息苦しさ、地下ホールの無機質さ、場内の動線の無さ、帰りに通るコンクリートトンネルの暗さ、・・。 何に悪戦苦闘をしているの? 二つの展示会を観ても分かったようで分からない。 *館サイト、 http://www.2121designsight.jp/program/ando2017/ *「このブログを検索」キーワード、 安藤忠雄

■狩野元信、天下を治めた絵師

■サントリー美術館,2017.9.16-11.5 ■狩野元信の絵はどこか暖かさがある。 人々の顔は穏やかであり雪の風景でも柔らかい青葉が目に入るからだろう。 霞みがかった空気にも心が和む。 彼は工房主宰者として能力を発揮したようだが組織の動かし方・広げ方が現代的だ。 それは南宋画家の筆様を再構成し真体・行体・草体の画体を創り出しこの型を工房の柱にしたことである。 しかも漢から和に広げ寺院や幕府だけでなく新興商人などの要望に応えている。 組織人として内に外に見事と言うしかない。 副題に納得! 元信押印の作品は工房作だと思うがどれも素晴らしい。 これも組織活動としての成功例である。 ボストン美術館蔵「白衣観音像」が出品されていたが狩野芳崖の観音像や手塚治虫の仏教漫画を思い出してしまった。 どちらも元信の影響があったのだろう。 この後に続く永徳・探幽の作品を前にする時でも元信を知っていることでより深みのある観方ができるとおもう。 *六本木開館10周年記念展 *館サイト、 http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2017_5/index.html

■日本の家-1945年以降の建築と暮らし-

■東京国立近代美術館,2017.7.19-10.29 ■独自の体系で解説も面白い。 知っている作品も思想的背景が理解出来て深みの増す展示会でした。 2章で1945年以降を戦後復興期、高度成長期(1960年ー)、バブル崩壊以降(1991年ー)の3つに分けます。 しかし建築も「系譜を辿ると拡散してしまう」とミシェル・フーコの言葉で釘を刺します。 これに沿って3章からは共時的視点でテーマが展開していきます。 作品をみていくと欲しい家が分かってきますね。 10章の「さまざまな軽さ」から柱や壁や屋根を薄く細く軽くして少しでも広い部屋に住みたい。 うさぎ小屋の狭さから逃げたい。 そして日本は塀をキッチリと作り雁字搦めに陥っています。 5章「閉鎖から開放へ」、13章「すきまの再構築」も取り込みたい。  家財道具を減らすことも必要です。 有名建築家の作品ほど家財道具を置けない構造になっている。 モノを持たない生活は心身が解放されるということですか? 溢れかえる本やCDが一杯なのは他人の仕事や趣味まで建築家は踏み込まないからでしょう。 一番気に入ったのはポニーを庭に放し飼いする家です。 これは楽しい。 犬はわかりますが、しかし馬は想像するしかない。 8章「家族を批評する」はパートナーから他者までを拡張して家の構造を考えています。 珍しいテーマなので興味を惹きました。 それはともかく日本ではシンプルで安くて広い家が多くの柵から解放してくれるとおもいます。 住宅後進国は終わっていません。 *館サイト、 http://www.momat.go.jp/am/exhibition/the-japanese-house/

■田原桂一、 光合成with田中泯

■原美術館,2017.9.9-12.24 ■「1978年秋、パリで邂逅した二人は光と身体の関係性の探求を始める・・」。 二人とは田原桂一27才と田中泯33才。 1980年までの3年間に撮った作品50枚が展示されている。 全てがギラギラザラザラしている。 田中泯の肉体に砂か汗が付いてそれが光っているようにも見える。 いや、皮膚そのものだ。 粒子の荒さだけではない。 日本の光と影でもない。 確か室伏鴻に似たような写真があったのを思い出す。 ここまでギラザラしていなかったが。 近況の田中泯の乾いたダンスからも掛け離れている。 微妙な違和感から当時の舞踏を考えてしまった。 舞踏が世界に広まった時期でもある。 田中泯もこの時が海外初デビューだったはずだ。 土方巽も大野一雄への演出を前年におこなっている。 時代もギラギラ感がまだ残っていたのだろう。 もち二人もギラザラ真っ只中だったと分かる。 館内ショップに立ち寄る。 田原桂一の著書は10冊程あったが天使像を撮ったカラー作品が目に留まる。 色の微妙な艶がとてもいい。 特に赤系統の色に地中海の空気を感じる。 日本とは違う黄系や緑系にはいつも感心するのだが赤は初めてである。 彼は今年6月に亡くなっている・・。 *田原桂一、 http://www.keiichi-tahara.com/html/cn18/pg317.html

■DARK STAR、 H・R・ギーガーの世界

■監督:ベリンダ・サリン,出演:H・R・ギーガー ■東京都写真美術館・ホール,2017.9.9-(2014年作品) ■「エイリアン」の影響が強すぎてギーガーはよく知らない。 顔をジックリ拝んだのもこれが初めてよ。 彼の作品には生物の誕生・生殖・死が見え隠れしている。 彼の絵をみることは永遠の彼方にある生命の根源を探す旅に出るということね。 誕生・生殖・死そして永遠・・、この繰り返しを感じながら生命と向きあうことになる。 「エイリアン」はそれを娯楽的に見せてくれる。 主人公の女はエイリアンを身籠り産み落とす。 人類の恐怖だわ。 でも生物6億年の歴史はそのようなものだったとギーガーは言いたいのかもしれない。  庭に作った幽霊列車は最高よ。 これをみてギーガーを一層好きになっちゃった。 *作品サイト、 http://gigerdarkstar.com/ *2017.9.13追記。 帰ってから「プロメテウス」を借りてきて再度観る。 今日の作品に数場面が映っていたからよ。 ところでアンドロイドのデイヴィッドには死が無い。 デイヴィットは言う、「あなたたちが私の創造主だ・・」と。 これはエイリアン・シリーズの欠点かもね。 でもこれを乗り越えて「エイリアン」が面白いのはH・R・ギーガーの闇に漂う生と死の風景とリドリー・スコットの職人的な腕の良さがあるからだと思う。 *2018.1.20追記。 「エイリアン・コヴェナント」を観たけどこれは酷い。 リドリー・スコットも老いてしまったのね。 エイリアンの描き方も悪かったけどアンドロイドが失敗の原因よ。 バイロン、ワーグナー、キリスト、ミケランジェロ・・。 デヴィッドは新型アンドロイドであるウォルターとは違う。 その違いで彼は西欧2000年の歴史に雁字搦めにさせられてしまった。 「プロメテウス」を乗り越えられなかった。 もはや「ブレードランナー」まで戻らなければ・・。 ところで「ブレードランナー2049」はまだ見ていないの。 先日、監督ドゥニ・ヴィルヌーヴの「メッセージ」をみたけど最悪なのよ。 だからとても心配だわ。

■オラファー・エリアソン、 視覚と知覚

■監督:ヘンリク・ルンデ,ヤコブ・イェルゲンセン ■アップリンク,2017.8.5-(2009年作品) ■映画の中の「ニューヨークの滝」を見て唸ってしまった。 エリアソンの目の付け所の良さにである。 本物をニューヨークの風景の中でみることができたら色々感じ取ることができただろう。 彼はアイスランドに住んでいたらしい。 むき出しの自然との関係が彼の身体の奥深くまで染み込んだのが分かる。 「カラダを自然に差し出す」こともしている。 作品をみる時それが体感を通して微かに届くからである。 彼が言う「何かの正体」だとおもう。 クリストの梱包芸術とは対照的だ。 「ニューヨークの滝」はとても分かり易い。 彼の思考の柔軟性にも驚く。 アイスランド世界を通過した結果だろう。 ディレクタが「・・記者会見の席ではシンプルという言葉は使うな」と彼に忠告していたのが面白い。 これは17億円もかかるカネのことで言ったのだが。 彼の作品は作成過程で多くの協力者が必要である。 緩やかな組織体制にみえたが多分強力に支える何かが有るのだろう。 この何かは映画では語られなかった。 ところで開催中の横浜トリエンナーレにも出品している*1。  *1、 「ヨコハマトリエンナーレ2017(オラファー・エリアソン)」 *作品サイト、 http://www.ficka.jp/olafur/

■写狂老人A  ■静かなひとびと  ■森洋史

■東京オペラシティアートギャラリー,2017.7.8-9.3 ■写狂老人A ■荒木経惟の現在を展示しています。 写真美術館と重ならないのが嬉しい(当たり前?)。 古い作品は再編成ですね。 最初の「大光画」「空百景」「花百景」の3群が作者の今を感じさせます。 「遊園の女」は作者の遊び心が衰えていない。 でも丼物や皿に盛られた食べ物のほうが生々しさがでています。 性から食に関心が移ってしまったのでしょうか? *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh199/ ■静かなひとびと ■長谷川潔の版画が最初にあったので期待の予感が高まりました。 はたして後に続く油絵群はいいですね。 河原朝生や小杉小二郎などです。 静物画や人物画は満たされた静かさがあります。 でも風景画はどこか不足からくる静けさにみえます。 野坂徹夫は初めですがJ・M・フォロンを思い出しました。 もう一度来てもいい展示会です。 *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh200.php ■森洋史 ■西欧イコン画を現代漫画に描き直したようにみえる。 人物が浅いため宗教性は無くなっています。 金色を多用しているので豪華にみえるが展示場所を探すのに困るような作品ですね。 *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh201.php

■コミュニケーションと孤独  ■荒木経惟センチメンタルな旅1971-2017-

■東京都写真美術館,2017.7.15-9.18,2017.7.25-9.24 ■コミュニケーションと孤独 ■「平成をスクロールする」第二弾夏期です。 第一弾春期「いま、ここにいる」より面白い。 「コミュニケーションと孤独」は作者からみて取っ付き易いテーマだからでしょう。 初めての作家は高橋ジュンコ、屋台敏博、郡山総一郎ですがあやふやな記憶です。 屋台の「回転回LIVE!」は激しくブレていて人に見えないのが逆に痛いですね。 中村ハルコの「光の音」が気に入りました。 濃い緑色は地球を思い出させてくれました。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2774.html ■荒木経惟センチメンタルな旅1971-2017- ■このタイトルで過去何度か観ています。 でも今回は充実してた。 すべてを出し尽くした感がある。 葬儀場面の何枚かは初めてみました。 「陽子によって写真家になった」。 この言葉に集約していく展示会でした。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2795.html

■バリー・マッギー+クレア・ロハス展、 Big Sky Little Moon

■ワタリウム美術館,2017.6.24-10.15 ■会場造りがこれから始まるかのような閑散とした雰囲気が漂っている。 作品は壁にかけたり無造作のごとく置いてある。 あっと言う間に場内を歩き終ってしまった。 4階に置いてあった資料集を読む。 「この10年で東京は静かになった・・」とバリー・マッギーは書いている。 そう言えばそうだ。 この10年で東京は本当に静かになってしまった。 人口減少の影響だろうか? それと高齢化だろう。 今回の展示もこれらにあわせたのかな? マッギーも静かな東京をみて調子が狂ったのかもしれない。 しょうがないから地下の本屋で時間を潰す。 そこでは2007年の賑やかな展示会映像が流れていた・・。 *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/

■ボストン美術館の至宝展

■東京都美術館,2017.7.20-10.9 ■時代と地域が散らばっていて万華鏡をみている感じがする。 作品数が少ないから章ごとに気分を切り替えて楽しくみることができたわ。 中国は南宋、日本は江戸に焦点をあてしかも厳選してるから目が喜び通しね。 そしてコレクターたちの顔写真と紹介が作品に親しみを与えていた。 フランス絵画がミレーで始まるのもボストンらしい。 「郵便配達人ジョゼフ・ルーラン」の両手周辺にはゴッホも驚く空間が出現している。 「卓上の果物と水差し」はコレクターであるJ・T・スポルティングが気に入って仕事場に飾っていたと書いてあったけどその気持ちが分かる。 立体感あるテーブルクロスの柄、土器の鈍い輝きそしていつもの果物・・。 静物をみる喜びが押し寄せて来る。 アメリカ絵画が何故アメリカだとわかるのか? 風景があればわかるけど、衣装かしら? 微妙な仕草かもしれない。 1章の石像はまだ助走だからよかったけど6章の写真と版画でリズムが狂ってしまった。 これを省いて現代美術を加えたほうが会場の緊張感が保たれたはずよ。 それでも満足度120%だったわ。 *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2017_boston.html

■ヨコハマトリエンナーレ2017、 島と星座とガラパゴス

■ディレクターズ:三木あき子,逢坂恵理子,柏木智雄 ■横浜美術館+横浜赤レンガ倉庫1号館+横浜市開港記念会館,2017.8.4-11.5 ■子供たちで一杯ですね。 中学生の一団が「これなら俺たちにも作れるな・・」。 頼もしい。 「島と星座とガラパゴス」に沿った作品はあるが3つの単語が繋がらない。 50頁のガイドブックには「接続性と孤立から世界のいまをどう考えるか?」とある。 こちらがテーマのようです。 でもよけい分からなくなる。 孤立は外、孤独は内への引力が強い。 芸術表現は孤独に流れ易いようです。 これを撥ね返して孤立を表現できれば面白さが出て来る。 一つ一つの作品は面白いのですが見ていく先から忘れてしまう感じです。 その中で畠山直哉の写真は対象表面の感触が独特ですね。 これもリアルと言うのでしょう。 午後からは無料バスで赤レンガ倉庫に向かいました。 狭さと暗さと縁日のような人混みの雰囲気がいい。 さすが歴史ある倉庫です。 この為か作品も生き生きしてきた! 最初の瀬尾夏美の言葉も窓からの港を眺めながら読んで行くのは趣があります。 小沢剛のインドでの岡倉天心の足跡も孤独と孤立が対峙していて面白い。 照沼敦朗のプロジェクターマッピンは身体的情念を感じます。 ドン・ユアンは中国が凝縮されていてアジア的祝祭の懐かしさがある。 ラグナル・キャルタンソン「ザ・ビジターズ」は素朴な方法でインスタレーションを精神性あるものにしています。 石造りで逃げ場の無い横浜美術館より隠れる場所のある赤レンガ倉庫がテーマに合いました。 浜市開港記念会館は時間切れです。 またの機会にします。 *館サイト、 http://www.yokohamatriennale.jp/2017/ *「このブログを検索」キーワード、 ヨコハマトリエンナーレ

■サンシャワー、 東南アジアの現代美術展

■国立新美術館+森美術館,2017.7.5-10.23 ■100人近い作家が集まると何かが蠢いているという感じね。 森美術館からみたけど最初はシックリこなかった。 昼食をとってから新美術館に入ったら段々とボルテージがあがってきたの。 この展示会は作品が積み重なっていき、ある時点で東南アジアの全体像とでもいえる何かが現れて来る。 美術展と言うより文化祭のようだわ。 面白かったのは「2匹または3匹のトラ」(ホー・ツーニェン)と「ソーラー:メルトダウン」(ホー・ルイ・アン)。 どちらも映像だけど植民地批判や欧米映画批判を語るの。 人種や宗教問題より政治問題とくに独立戦争の比重がどの国も高い。 他にも面白い映像作品が多かった。 機器が手軽になり作家の思いを巧く伝えられるのかもしれない。 絵画の時代が少なかったとも言える。 最初は身近なモノを使ってのブリコラージュが広がりその延長に映像が続いていくのね。 東南アジアに興味を持つのは旅行の対象になった時だとおもう。 ASEAN10カ国のいくつかは行ったけどその時の旅行体験が展示会を近づける。 ひさしぶりに東南アジアを楽しんで考えてしまった。 「サンシャワー」もいいタイトルネ。 作家たちは雨粒かしら? *館サイト、 http://sunshower2017.jp/

■そこまでやるかー壮大なプロジェクト展ー

■ディレクター:青野尚子 ■2121デザインサイト,2017.6.23-10.1 ■作家8人の作品展です。 知っている作家はクリスト+ジャン=クロードしかいません。 映像でしたがクリストも頑張ってますね。 多くの作品は巨大なため模型や写真・図面などで構成されている。 気に入ったのは中国山東省の渓谷で進行中の「Church of the Valley」(池上純也)。 幅1m強で高さ45mの壁を曲げて深い襞にしたような壁の教会です。 この中へ歩いていくのを想像しただけでもゾクゾクしてきます。 ところで隣の同形の建物が第二会場になっていました。 前はレストランだった。 デザインサイトへ来る客とはミスマッチだったのでしょう。 文化村ではチラシに載るタイアップメニューに釣られてドゥマゴに入ってしまう。 ここもデザインサイトとコラボでもやればもっと客が入ったかもしれません。 ・・そこまでやるか! *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/grand_projects/

■ベルギー奇想の系譜、 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで

■Bunkamura・ザミュージアム,2017.7.15-9.24 ■第1章は15-17世紀のフランドル美術。 ボスとブリューゲルの版画をみた後のルーベンスはフランドル出身でも少しホットしますね。 見慣れたヨーロッパの匂いがするからです。 やはり前二人の作品には北国の厳しさが表れています。 北方ルネサンスとバロックの違いでしょうか? 第2章は19世紀末から20世紀初頭のベルギー象徴派、表現主義。 みる機会が少ないフェリシアン・ロッブス、フェルナン・クノップフの二人がまとまって登場したのはサブライズでしょう。 ロップスのあからさまな性と死の描写は迫力がある。 クノップフの彩色写真も味が出ていますね。 もう一人のジェームス・アンソールは時々出会っています。 「レテ河の水を飲むダンテ」(ジァン・デルヴィル)は物語を知って一層感動しました。 第3章は20世紀のシュルレアリスムから現代まで。 ボール・デルヴォー、ルネ・マグリット以外にも数は少ないけど多くの作家を観ることができて楽しい。 知っている画家の所蔵先は日本の美術館が多い。 その間を埋めている知らない画家たちが輝いていてフランドルそしてベルギーを俯瞰できる展示会になっていました。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_belgium/

■沖ノ島

■撮影:藤原新也 ■日本橋高島屋・8階ホール,2017.7.19-8.1 ■藤原新也の沖ノ島写真展である。 最終日のためか混んでいる。 会場が狭いことにもよる。 沖ノ島の木々は緑より青に近く地面も落ち着いた黄土で覆われている。 日本の常用広葉樹林の延長にみえる。 海岸から急な斜面を登り森に入っていく。 森の中央が盆地になっているようだ。 入口にある三の鳥居を過ぎると空気が一変する。 そこは波が消え風が止み静寂が漂う場所になる。 しかし島全体が管理されている気配を感じる。 風景に無駄がないからである。 地面に落ちている土器の破片一つとってもその管理下にあるようだ。 明治神宮や皇居をよく歩くがこれと同じだ。 藤原は沖ノ島の空気感を撮りたいと言っていっていたが作品はこの管理感から逃げることができない。 * 「宗像大社国宝展」(出光美術館,2014年 )

■AMBIENTー深沢直人がデザインする生活の周囲展-

■汐留ミユージアム,2017.7.8-10.1 ■深沢直人がデザインした家具や電気製品、食器はその周りに「いい雰囲気を醸し出す」力がある。 だから奇を衒わないデザインが多い。 これが「究極の普通」つまり「スーパー・ノーマル」ということになるのね。 彼は落ち込んだ時に高浜虚子「俳句への道」からヒントを得たらしい。 そこにある「客観写生」は身体も思考も自然としての対象に含めてしまう見方かしら? 彼が火鉢のような模型にあたる姿は絵になっていた。 絵になることは道具と人の関係が良好と言える。 お互いが自然体で接しているということ。 天井から下がっている丸い電灯も同じよ。 月が浮かんでいるようだわ。 これこそスーパー・ノーマルね。 そして壁掛式CDプレーヤーの紐を引っ張るのも楽しいわね。 これがボタンスイッチだと絵にならない。 「生活の周囲」は絵になるかどうかで決まりね。 でも個室のような会場には周囲が無かった。 生活の周囲は想像してくれと言うことね。   *館サイト、 https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/17/170708/index.html

■不染鉄-没後40年幻の画家-

■東京ステーションギャラリー,2017.7.1-8.27 ■変わった名前不染鉄は一度聞けば忘れない。 でも作品は見た記憶がない。 チラシの富士山を眺めていたらギャラリーへ行きたくなってしまった。 そんな訳でいそいそとでかける・・。 展示は1章「郷愁の家」で始まる。 青春時代から思い出に浸っていたような作品が並んでいる。 しかも大正時代のセピア色である。 次の2章「憧憬の山水」では墨画を取り込んでいる。 山河でやっと開眼したようにみえる。 白黒をはっきり描き出している「冬」「雪景山水」(1935年頃)は気に入った。 そして3章「聖なる塔・富士」)で再度対象が移動する。 ここでチラシの富士山に出会う。 <俯瞰と接近>を同時に描いていて面白いが感動は少ない。 4章「孤高の海」は展示一番の出来である。 海の波がいい。 「南海之図」(1955年頃)は波と岩石の抽象化した繰り返し模様がリズムを奏でていて心地よい。 そして5章「回想の風景」は再び青春時代の思い出に戻っていく。 「芸術はすべて心である。 芸術修行とは心をみがく事である」と彼は言っている。 それにしても心寂しい情景が多い。 家々から漏れる光には人々の生活がみえない。 不染鉄の回顧展は21年前に一度あっただけらしい。 彼は心を磨けたのだろうか? 作品を見た限りでは磨き過ぎのようだ。 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201707_fusentetsu.html

■吉田博展-山と水の風景-

■損保ジャパン日本興亜美術館,2017.7.8-8.27 ■吉田博の版画は見たことがある。 でもこの展示会で初めて全体像を知ることができた。 米国旅行で成功したのは小山正太郎に弟子入りして切磋琢磨した結果だとおもうの。 それに湿度ある日本風景は東洋の神秘的な雰囲気を持っているから受けたんじゃないかしら? ここで「三四郎」が登場するとは驚き! 「ヴェニスの運河」を美禰子や三四郎といっしょに観た気分がしたわ。 そして日本アルプスの山々はG・セガンティーニを連想してしまう。 作品に漂う空気の希薄さが同じだからよ。 関東大震災前後から木版画に入っていくけど米国での評判も加味しているのはさすが。 でも版画にのめり込むほど油絵は雑になってきているようね。 水彩画や油絵の自身の持ち味を全て版画に注ぎ込んだ為かもよ。 摺数も極端に多くなっていることで分かる。 ケンジントン宮殿執務室のダイアナ妃の写真も楽しい。 W・ターナーとは違った大気や光だから気分転換に効き目がありそうね。 それにしても米国や欧州、印度や中国での作品をみると旅の楽しさが出ている。 最初の旅行で自信が持てたのね。 太平洋画会の設立を含め彼の行動力に脱帽! *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/4778.html

■川端龍子-超ド級の日本画-

■山種美術館,2017.6.24-8.20 ■代表作と木版、俳句などで川端龍子の全体像が簡素にまとめられています。 彼は1907年(22歳)洋画家の道へ、1913年(28歳)日本画に転向、1928年(43歳)画壇から離れ「青龍社」を設立し独自の道を歩みます。 「・・多くの人々に展覧会の場で身近に鑑賞できるようにする」と言う彼の「会場芸術」は時代の先取りをしていますね。 初期には質量感ある光や空気、燃えるような草花を描いています。 しかし筆致は時代とともに変わっていく。 1930年前半の作品群が気に入りました。 微妙な色合いの淀んだ水と淡水魚としての存在感が出ている「鯉」(1930年)。 トビウオの目が面白い「黒潮」(1932年)。 東南アジアの自然と女性の大らかな空気が伝わってくる「羽衣」(1935年)等々をです。 それにしても30年代の筆のバラエティは素晴らしい。 そのまま戦争に突入しますが妻や子供の死も重なり戦後の作品は見えなくなってしまった。 展示数が少ない為もあります。 彼は1910年代に出版社で子供向けの表紙絵などを描いています。 その巧さは「花鳥双六」(1917年)をみてもヒット商品を予感させます。 戦後の象花子を描いた「百子図」(1949年)にもそれが表れている。 「会場芸術」を考えたのも当時の仕事から社会をみる目を養った結果でしょうか?  没後50年記念特別展。 *館サイト、 http://www.yamatane-museum.jp/exh/2017/kawabata.html

■アルチンボルド展  ■ル・コルビュジエの芸術空間

■国立西洋美術館 ■アルチンボルド展,2017.6.20-9.24 ■監修:シルヴィア・フェリーノ=パグデン ■アルチンボルドは奇想な絵を描く単なる画家だと思っていたが実は驚きの人であった。 ハプスブルク家三代の皇帝に仕えクンストカンマー(驚異の部屋)を利用して広範囲に活動していたのだ。 彼は世界から収集した珍品を寄せ絵にして政治や科学を意味付けしアーカイブのように提示する。 これが面白さ以上に社会的な深みのある絵として表現されているから観る者を飽きさせない。 「四季」と「四大元素」をじっくり観たのは初めてである。 特に「春」の服の緑、襟の白、顔の桃と頭の花々の調和が素晴らしい。 それと魚やアザラシ、蛸や亀、海老や貝そして珊瑚で覆われた「水」が気に入る。 作品に描かれた珍しい動植物が多くの博物学者の原本になったことも初めて聞く。 ハブスブルク帝国の世界への広がりを感じさせる。 これが静物画の歴史に繋がっていくことにも納得。 宮廷行事のディレクターで活躍する彼はレオナルドやミケランジェロの後継者にもみえる。 画家とその時代の関係が想像できる嬉しい展示内容であった。 *館サイト、 http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2017arcimboldo.html ■ル・コルビュジエの芸術空間-国立西洋美術館の図面からたどる思考の軌跡-,2017.6.9-9.24 ■ついでに寄る。 この美術館の建築時の設計プロセスが展示されていた。 初めて知ることばかりである。 「美術館」と広場としての「展示館」「演劇館」の3館を当初は考えていたらしい。 しかも増築できる美術館にするため螺旋型→卍型→ファサード消去→自然採光と設計変更していく。 実はこの美術館は館内を歩いていてもよく分からない構造だといつも思っていた。 今日これを知ってナルホドと分かったような気になってしまった。 *館サイト、 http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2017funwithcollection.html

■いま、ここにいる  ■ダヤニータ・シン  ■世界報道写真展2017

■東京都写真美術館 ■いま、ここにいる,2017.5.13-7.9 ■「平成をスクロールする」とありますが元号を使うのに違和感があります。 他年代との距離間が定まらないし世界から切り離されてしまうからです。 東日本大震災も2011年であり平成23年では世界や歴史と繋がらない。 「いま、ここにいる」は写真にピッタリの題名すね。 身近な風景では作者は多分こんな心情で撮ったのだろうと想像しながらみるのも楽しい。 対象の重さは夫々ですが時間をかけずに観ました。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2772.html ■ダヤニータ・シン,インドの大きな家に美術館-,2017.5.20-7.17 ■インドの裏側を表用にして撮っているのでとても見易い。 絞りを深めにしたモノクロのなかで登場人物は動作や感情が統一され一つの世界感が現れている。 作者はプロだと一目で分かります。 展示方法もなかなかです。 作品間を1cm位の木のフレームで囲っている。 この距離は絶妙です。 作品と作品の関係を観客が無理なく繋ぎ合わせることのできる距離です。 付かず離れずとでも言うのでしょうか。 作者はこれをミュージアムと呼んでいるようですが面白い発想です。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2778.html ■世界報道写真展2017-変えられた運命-,2017.6.10-8.6 ■大賞「ロシア大使暗殺」は映画の一場面のようで現実感が無い。 現場が美術館で且つ写真展の開催中だからでしょうか? それに比較して「パキスタン自爆テロ」で倒れている弁護士達は映画をも越えています。 全員が黒スーツとワイシャツ姿でドグドグと血が溢れ出ている姿には凍りつきます。 アフリカ難民がギリシャへ渡る途中に息絶えて赤い救命具を付けながら地中海を一人漂っていく姿をみて何故か「パピヨン」を思い出してしまった。 そしてメキシコへ移住した大韓帝国の子孫が着物姿で傘をさし港を眺めている後ろ姿をみて複雑な時代を思い起こしました。 移住した1905年は日露戦争終結、日韓条約締結の年です。 スポーツではゲイに寛容なラクビーチーム、生まれながらにして手足を持たない重量挙げ選

■レオナルド・ダ・ヴィンチXミケランジェロ展

■三菱一号館美術館,2017.6.17-9.24 ■「なんだ素描だけか・・」。 会場内で聞こえてきたが展名だけでは内容は分からない。 しかも大袈裟な展示名だ。 芸術でメシを食っていない人からみれば素描は未完成品と考えてしまう。 先の客の声もわからないことではない。 作品が小さいので最初は整列しながら観ていく。 しかし十枚もみれば多くの人は飽きてくるからモソモソ割り込んでも皆気にしなくなる。 後半はファクシミリ版も混ざっているようだ。 素描は一人でじっくり版でも開くのが適している。 壁に貼ってある二人の言葉は面白い。 「優れた素描作品を模写しなさい・・」「素描しなさい、素描しなさい・・」。 些細な差だが二人の違いが現れている。 「平らなものを立体にみせる絵画は彫刻を凌駕する」「大袈裟な議論は止めにしたい」。 二人の位置付けがわかる。 文字の比較も面白い。 ミケランジェロの文字をみて笑ってしまった。 いっけん真面目そうな女子高校生が書いたような文字である。 どうみても彫刻的だろう。 レオナルドの鏡文字はまさに思想をまとめようとする息遣いが伝わってくる。 文字を手段として使用しているのが見える。 「絵画と彫刻は素描から生まれた」。 この言葉は二人の共通認識かもしれない。 *館サイト、 http://mimt.jp/lemi/

■ジャコメッティ展

■国立新美術館,2017.6.14-9.4 ■会場に入ると「大きな像、女レオーニ」(1947年)が立ってる。 作品を見上げるので上手く対話ができない。 白い台に作品を乗せたのが余計です。 人物像は作者が作成していた時と同じ目線になるよう展示するのが良いでしょう。 たとえば佐藤忠良や船越桂の人物像の前ではなぜ作品と対話ができるのか? 多くが作成時の高さで展示しているからです。 美術館はこの楽しみを敢えて無視しているし、ジャコメッティは別の意味でこれを追求しない。 「私とモデルの間にある距離は絶えず増大する・・」。 「近づけば近づくほどものは遠ざかる・・」。 統合失調症感覚で満たされています。 しかも彼はフランス思想界に雁字搦めにされていた。 超現実主義や実存主義にです。 途中シュルレアリスムから離れたが実存主義者に評価されながら亡くなる。 「眼差しをどのように捉えるか?」を追求した為もある。 彼は鼻から目にかけて何度も描き直しています。 しかし下絵から彫刻に移すと目を見開いているだけになってしまう。 それは他者から逃れる目ではなく死から逃れる目です。 フランシス・ベーコンと同じ問題を抱えてしまった。 モデルを釘付けにする理由もセザンヌとは違いますね。 気に入った作品は「マーグ画廊のためのポスター」(1954年)。 爽やかで力強い筆さばきです。 それと「犬」(1951年)。 犬は死の眼差しを持たないが信頼の視線を向けてくれる。 目は描かれていないし痩せ細った野良犬ですがそれを感じさせてくれます。 (犬好きはいつもこれです) *展示会サイト、 http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/ *2017.7.20追記。 犬の信頼の視線には極端な社交性を持つ「ウィリアムズ症候群」に関連のする二つの遺伝子を彼らが持っている為らしい。 犬の優しい眼差しをもつ科学的理由が分かってくるのは楽しいですね。 AFP通信記事サイト、 http://www.afpbb.com/articles/-/3136396

■東京スカイツリー

■建築主:東武タワースカイツリー,設計:日建設計,施工:大林組,照明:戸恒浩人 ■行こう行こうと思っている間に5年が経ってしまった。 やっと登ってきたの。 でも350メートル展望デッキからの眺めはノッペラボウで刺激が無い。 450メートル展望回廊はそれ以上だわ。 建物が小さ過ぎてゴミにしかみえない。 それでも荒川と隅田川に挟まれた墨田区江東区の広さを実感できる。 それと関東平野の端々が見える(らしい)。 今日は快晴だったけど湿度があって山々がみえないのよ。 エレベータの出発到着階は考えられている。 乗降客がぶつからないようになっているのもいいわね。 でも狭い展望内はフォトサービス、売店やレストランがあって息苦しい。 これは詰め込み過ぎ。 しかも「進撃の巨人展」いや「進撃の巨塔展」の展示物が弥が上にも目に入る。 これだけ投入している理由は外の景色に直ぐに飽きてしまうから、特に子供は。 来場者が減少しているのも分かる気がする。 東京タワー大展望台(150メートル)に上った時の緊張感は忘れない。 それは東京タワーが周囲の高層ビルと拮抗しているからよ。 特別展望台(250メートル)はそれほどでもない。 今の東京風景は200メートルより少し低いところから見るのが一番冴えるのかもしれない。 *東京スカイツリーサイト、 http://www.tokyo-skytree.jp/

■ファッションとアート、麗しき東西交流展

■横浜美術館,2017.4.15-6.25 ■先ずは絹織物商を営んだ椎野正兵衛商店と高浮彫・横浜彫の宮川香山を持ってきたのは港が見える美術館に似合う。 貿易からファッションを考えるとはさすがね。 ということで2章は服飾の輸入。 和服から洋服へ急いだのは国力誇示が理由よ。 どうしても西洋に並びたい! 断髪令、廃刀令、洋式軍服そして1872年に男性礼服が洋装へ、1886年に女性礼服にも及ぶ。 当時の人物画から洋服を着る喜びを窺うことができる。 でも庶民が洋服へ移行したのは関東大震災後らしい。 やはり日常を変えるのは大変なのよ。 そうなると3章は輸出。 西欧でのジャポニスム流行が輸出拡大を可能にしたみたい。 小袖を室内着にしたとは驚き。 理由はコルセットからの解放なの。 そしてデイ・ドレス、イヴニング・ドレス、イヴニング・コートが並ぶ。 これは1890年代から1920年代の30年間を50着前後で陳列されている。 和服の原型が残っているから和洋折衷だけど多くは見事な出来栄え、特にコートは最高ね。 後半はジャンヌ・ランバン、ポール・ポワレ、マドレーヌ・ヴィオネなど有名デザイナーも登場させて豪華な展示になっている。 他美術館でのファッション企画とは趣が違う。 それは展示会名に要約されているとおもう。 交流の面白さがあったわ。 主催者に京都服飾文化研究財団(KCI)が入ったのも充実した理由のようね。  *展示会サイト、 http://yokohama.art.museum/special/2017/fashionandart/

■エルミタージュ美術館、美を守る宮殿

■監督:マージ・キンモンス ■ヒューマントラストシネマ有楽町,2017.4.29-(2016年作品) ■美術館館長ミハイル・ピオトロスキを主役にした回想ドキュメンタリーです。 父も館長だったらしい。 エカテリーナ二世から始まるのがここの館史ですが面白さが際立つのはロシア革命からでしょう。 そして大戦末期のドイツ包囲網、戦後のスターリンから冷戦・崩壊へと激動の時代が続きます。 所蔵品を汽車に積んでの避難、盗難の悩み、館職員への強制労働や粛清、資金調達のための米国への作品売却等々が語られていく。 上映時間80分という短さから記憶している20世紀史を総動員しながら観ました。 それにしても現エルミタージュ美術館は課題が一杯のようです。 館長の机上も資料で一杯! 新ロシア誕生から四半世紀になるが館長の頭の中はまだソビエトのようですね。 まずは机の上をかたずけないと真面な決裁もできないでしょう。 「 大エルミタージュ美術館展 」が開催中ですが事前にこの映画を観て行けば感動が現代に繋がるはずです。 *作品サイト、 http://www.finefilms.co.jp/hermitage/

■パリが愛した写真家、ロベール・ドアノー

■監督:クレモンティール・ドルディル ■ユーロスペース,2017.4.22-(2016年作品) ■写真美術館通路の「パリ市庁舎前のキス」は大きすぎて視野から飛び出てしまう。 縦横が数メートルもあるが場所が暗く見る角度も狭いので壁柄として眺める他ない。 この作品は考えていた以上に演出が入っていることを今回知った。 彼は仕事人としての緻密さを持っている。 この延長に演出が入るのは必然かもしれない。  後期のカラー写真になると得意としている人の姿が見えなくなる。 彼の実直な記録性やストレート性と合わなくなったのか? カメラを持つ古き良き特権で彼は時代と共に走るこができた一面もある。 観終わって監督を調べたらドアノーの孫娘だった。 ドアノーの表裏を引き出し親密に撮っているのは家族関係だけでもない。 流石にカメラマンDNAも引き継いでいる。 *映画com 、 https://eiga.com/movie/86309/

■Don’t Blink、ロバート・フランクの写した時代

■監督:ローラ・イスラエル,出演:ロバート・フランクほか ■Bunkamura・ルシネマ,2017.4.29-(2015年作品) ■「ロバートと聞いて写真家なら誰を思い浮かべるか?」。 幕開きでの質問は面白い。 「・・、キャパだよ」。 これが普通だろう。 芸術かぶれならメイプルソープを挙げるかもしれない。 日本でフランクと答える人はもっと少ないはず。 昨年の「フランク&シュタイデル展」はみていない。 作品に時代性が強いため被写体の中に作者フランクが埋もれてしまうからである。 アレン・ギンズバーグやウィリアム・S・バロウズなどビート・ジェネレーション一派が相手だと特にそうなる。 ローリング・ストーンズは偶然出会ったようにみえたが。 ウォーカー・エバンスから影響を受けたと彼はインタビューで言っていた。 対象へストレートに向かったのはこの為かもしれない。 映画はとてもよく出来ていた。 監督ローラ・イスラエルも初めて知る。 インタビューも面白かったし編集も良かった。 20世紀中頃、特にニューヨークの雰囲気に久しぶりに浸れることができた。 *作品サイト、 http://robertfrank-movie.jp/

■19世紀パリ時間旅行、失われた街を求めて

■練馬区立美術館,2017.4.16-6.4 ■ローマ時代から20世紀までパリ風景の石版画や銅版画で会場の壁は一杯! 詰め込み過ぎの感がある。 作品が小さくてキャプション文字数が多い為かしら? WEB掲載の鹿島茂と学芸員の話は面白い。 失われた街角への関心は時間旅行に、残っている街角との比較は空間旅行になるようね。 この企画は「 アルフレッド・シスレー展 」(2015年)の延長線上にあるらしい。 旅行好きでパリを遊歩した人なら空間旅行ができて楽しいかも。 1章「パリ、時代時代」の建物風景石版画群は時間の許す限り眺めていてもいい。 でもポテモンのパリ大改造のエッチングは入り難いわね。 生活場面は3章のオノレ・ドーミエのリトグラフが最高。 うーん、パリへまた行きたくなってきた! *館サイト、 https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201702111486797027

■板倉鼎・須美子展、よみがえる画家

■目黒区美術館,2017.4.8-6.4 ■目黒川沿いの木々が輝いています。 この季節に未知の画家を観に行くのはウキウキしますね。 鼎はかなえと読むらしい。 根津美術館2階中国古代青銅室で見る字です。 鼎の作品はパリ留学の1926年前後で大きく変化する。 それまでは細かい線を重ねるようなルノワール風タッチで身近なテーマが多い。 どことなく主張が見えない。 でもパリ以降は違います。 静物画・人物画が多くなる。 影を付け立体感が増している。 彼の師匠ロジェ・ビシエールはジョルジュ・ブラックと親交があったらしい。 鼎にも間接的影響が見られる。 そして顔半分を右手で隠すような須美子らしき人物画は印象的です。 静物画に空虚感が漂っているのは周辺空間が余っているからでしょう。 金魚鉢の背景はそれが青空と白雲になっている。 須美子は日曜画家アンリ・ルソーを稚拙にしたような作品です。 彼女の人生でハワイの占める大きさがわかります。 鼎は28歳、須美子は25歳で亡くなっています。 当時の平均寿命が42歳です。 今の寿命を倍の84歳として換算すると鼎は56歳、須美子は50歳になります。 現代からみても若すぎる死が悔やまれます。 *館サイト、 http://mmat.jp/exhibition/archives/ex170408

■アドルフ・ヴェルフリ、二萬五千頁の王国

■東京ステーションギャラリ,2017.4.29-6.18 ■1章「初期作品」の鉛筆画6枚は充実度が窺える。 1905年頃のヴェルフリは描くことに純真な時期だったのでは? 1本の鉛筆を1日で使い切ったらしい。 しかし驚きは持続しない。 5年後の色鉛筆を取り込んだ時に緊張の質が違ってしまったようだ。 現実世界の雑音も同時に取り込んでしまい追われる身になってしまったのでは? 音符と文字の連続は彷徨える精神を持続させる為のリズムであり、利子計算は世界との関係を保とうとした結果だろう。 5章の「埋葬行進曲の朗読」映像があったが、それを聞いていると彼は子供時代・青春時代の悪夢から最後まで逃げられなかったとおもう。 このような作品をみると芸術云々と言うより人間精神の奥深くある奇怪さを考えてしまう。 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201704_adolfwolfli.html

■ランス美術館展、古典派ロマン派印象派そしてレオナール・フジタ

■損保ジャパン日本興亜美術館,2017.4.22-6.25 ■展名のランスをフランスと見誤ってしまっていた。 でも知らない美術館は何が登場するか分からないから楽しみだわ。 はたして有名画家の無名作品が多い。 ダヴィット、ドラクロワ、シャセリオ、コロ、ミレ、クールベ、シスレ、ピサロ、ヴュイヤール、ドニ・・。 ここには藤田嗣治もいるから嬉しい限りね。 一番はチラシにも載っていた「バラと彫像」(1880年)かしら。 黄桃がかる机上には彫像やガラス瓶そして花々・・。 多分みるのは初めてかも。 パーフェクトと言ってもよい。 藤田では「十字架降下」(1927年)。 でもこれは広島美術館所蔵らしい。 あとイゾレルを使って黒人を描いた2作品が目に留まる。 帰りのミュージアムショップで「中村江里子とシャンパーニュで乾杯!」を購入。 ランスといえばシャンパーニュよ。 うん、ランスへ行った気分になれそう。 *館サイト、 https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2017/musees-reims/

■写真家ソール・ライター展、ニューヨークが生んだ伝説

■Bunkamura・ザミュージアム,2017.4.29-6.25 ■被写体に入る雑多な物々に存在感を持たせ、さりげなく遠近にばら撒いて作品を完成している。 それは傘やカーテンであり木の葉や曇りガラス、雨や雪などです。 人々も都市の一部になり物語は表層を流れていきます。 色は画中に置いていく感じですね。 ナビ派ゴーギャンの言葉通りです。 作者は街の中で色を探し回る。 雪の白、黄色いタクシ、緑の傘、信号の赤、床屋のサインポール・・。 そしてヌードモデルもファッションモデルと同じように関係性は拡散し薄い叙情感を漂わせている。 ライタが再登場したのは作品に嫌味が無いので疲れている現代と合うからでしょう。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_saulleiter/

■GINZA SIX、ギンザシックス

■建築主:銀座6丁目組合,設計:谷口吉生,施工:鹿島建設 ■今月20日に開業したギンザシックスへ行ってきたの。 四丁目交差点から歩きながら見るボリウム感たっぷりの直方体ビルは地味に感じる。 装飾もあまり目立たない。 建築家谷口吉生によるファサードデザインで「ひさし」と「のれん」がモチーフらしい。 なぜSIXなのか? それは中央通りに面したラグジュアリ・ブランドが6店だからよ、多分ね。  店内も重量級ね。 3階から5階は吹き抜けで圧迫感は減るけど旗艦店が多いから豪華さの中にも緊張感がある。 開業を盛り立てるウォールアートはどれも銀座を意識している。 その中で草間彌生の風船は軽さがあってホットするわね。 オープン直後で混んでいるからざっと見るしかない。 6階蔦屋書店に芸術書が一杯置いてあることは覚えておくわね。 レストランも重い。 胃にもたれそう。 7階から12階はオフィスよ。 でもエントランスを探したけどわからなかった。 13階はレストランで屋上はガーデン。 ガーデンは一周できるのがいいわね。 屋上からの景色はダメ。 有楽町や銀座周辺からみる遠景は鈍いのよ。 帰り際に地下のビューティとフーズを回る。 店数は程々だけど質はそろっている。 地下3階の観世能楽堂は寄らなかったけど渋谷のほうが落ち着けそう。 寄り道できる場所が一つふえたのは嬉しい。 買い物は本命の一つに加えてもいいかもね。 *ギンザシックスサイト、 https://ginza6.tokyo/

■ブリューゲル「バベルの塔」展、ボイマンス美術館所蔵

■東京都美術館,2017.4.18-7.2 ■じっくり見てきました。 単眼鏡は必須です。 特に右下の多くの船が並ぶ港風景は素晴らしい。 海の水も生き生きしています。 水質さえも感じ取れる。 小さな人や動物がとても立体的に描かれている。 このため俯瞰度が増します。 それと工事現場の建設機械の仕組みを知ったのも初めてです。 今回は芸大が制作した拡大複製画が役にたちました。 この複製画で確認して本物を改めてみる。  ボイマンス美術館は行ったことがない。 初期ネーデルランド美術が専門と書いてあったが日本で言えば室町から安土桃山時代ですか。 当時のイタリア美術の違いも意識しながら全体をみてきました。 そしてヒエロニムス・ボスの模倣の多さから彼の影響度が窺えます。 2枚は嬉しいおまけですね。  *展示会サイト、 http://babel2017.jp/

■坂茂、プロジェクツ・イン・プログレス

■ギャラリー間,2017.4.19-7.16 ■この春、パリ郊外セーヌ川の中州セガン島にオープンした「ラ・セーヌ・ミュジカル」の建築展である。 川に浮かんだ建物の写真や映像を見ると大きなレーダ格納庫を持った南極観測船を思い出してしまった。 レーダの球形には音楽ホールが入っている。 その続きは横浜大桟橋のような芝生で覆われたなだらかな丘になっているが、その下もホールになっている。 なかなか壮観である。   坂茂(ばんしげる)は木材や紙を使った建築で有名だがこのミュジカルも一部に使われている。 建築物は重量がある。 木材も軽くはない。 ここで紙を使い一気に軽量にする発想は面白い。 例えばハニカム構造紙の回りを板で囲み木材として使用する。 施工作業が容易になるメリットは大きい。 現在進行中の他建築物も展示されているが木と紙を使った作品が多い。 すべてが木と紙ならわかるがしかし、鉄筋も混ぜた建物は鉄筋が勝ってしまい木や紙は装飾の役割しか持たないのでは? 寿命も違うので管理も大変だとおもう。 会場を回りながらいくつか疑問を持ったが今も未決である。 それでも木や紙は違和感が無い。 やはり昔からの日本建築の主材料だからだろう。   *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex170419/index.htm

■日本、家の列島-フランス人建築家が驚くニッポンの住宅デザイン-

■汐留ミュージアム,2017.4.8-6.25 ■フランスの建築家・写真家4人が日本で見つけた個人住宅の欧州巡回帰国展です。 1章「昨日の家」は有名建築家作品14点を写真と平面図と解説でまとめています。 建築家は知っているが14点中8作品、A・レーモンド、前川國男、清家清、吉田五十八、篠原一男、坂本一成、伊藤豊雄、山本理顕は初めて知る建物です。 やはり個人住宅はみる機会が少ない。 この中で気に入ったのが山本理顕「山川山荘」(1977年)。 一つ一つの部屋を独立させ屋根だけを上から被せている。 部屋から部屋に行くには外に出なければいけない。 実生活を想像しながらみると色々考えさせられます。  2章「今の家」は現存する個人住宅20作品の模型と映像、住人の感想で構成されています。 映像は約2分で実際に生活しているところを撮っている。 気に入った家はありませんでした。 ナゼなのか?企画者のインタビュ映像を見て分かりました。 「境界が曖昧」「身体と自然が密接」など日本文化の特徴ありきで選んだ家だからです。 真冬に住人が震えている吹き抜けの有る部屋、布団を干すのに屋上まで登る家、会話もできないような狭くて長い居間、梯子を上り下りする家・・。 住み心地の悪い家ばかりです。 多くが冷暖房の電気代で目玉が飛び出ることでしょう。 3章「東京の家」は写真だけが36枚並んでいる。 これはチラッと見ただけです。 フランスでは建築家が個人住宅をつくることはないそうです。 副題にもあるように4人が驚いたのは変わった家ばかりを選んだ為だと思います。 普通の家を選んでも別の意味で驚くのが日本の個人住宅の「凄さ」かもしれません。 *館サイト、 https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/17/170408/index.html

■メットガラ、ドレスをまとった美術館

■監督:A・ロッシ,出演:A・ウィンタ,A・ボルトン,W・カウァイ,J・ガリアーノ,J=P・ゴルチェ,K・ラガーフェルド ■新宿シネマカリテ,2017.4.15-(2016年作品) ■2015年METGALAの企画から開催までの8か月間を追うドキュメンタリー映画よ。 メトロポリタン美術館とファッション関係者が協力してパーティと美術展を開催し寄付などを募るイベントなの。 この年のテーマは「鏡の中の中国」、因みに2016年は「手仕事と機械」、2017年「コムデギャルソン」の川久保玲と続く。 主人公は美術館服飾部門キュレータのアンドリュ・ボルトン。 それとヴォーグの組織力を使ってパーティを成功に導くアナ・ウィンタ。 パーティは1席2.5万$で600席が即満席! ウーン、さすがアナ。 彼女が席順で悩む場面は見どころね。 でもコーヒーは飲み過ぎよ。 かつテーマが中国だから政治的緊張感も出ている。 テーマについてはもっと聞きたかったけど、キュレータの忙しさがそれを許さない。 ドキュメンタリーとして深みに欠けたのは主人公が二人になってしまったからだとおもう。 監督はアンドリュよりアンに比重をかけたい。 展示よりパーティね。 レッドカーペットを歩くパーティ出席者たちの華麗な姿は誰もが満足するからよ。 美術展は実際に行って観るしかない。 お疲れさま、アンドリュ! *作品サイト、 http://metgala-movie.com/

■片山正通的百科全書  ■ブラック&ホワイト|色いろいろ  ■田中彰

■東京オペラシティアートギャラリ,2017.4.8-6.25 ■片山正通的百科全書 ■会場に入ると株式会社ワンダーウォール建屋模型が映像と共に置いてあります。 次の書籍とCDが一杯の棚そのままの展示をみて、会社=仕事より彼の趣味で集めたコレクション展だと分かります。 作品はどれも一筋縄ではいかない。 先へ進むと絵画彫刻写真から家具そしてシロクマくんまでいる。 チラシにもあるようにヴンダーカンマを意識してる。 万華鏡のような光景が楽しいですね。 しかし展示品は社内の多くの部屋を飾っているものだと知りました。 美術館隣の書店には彼のインテリアデザイナーとしての成果物が置いてあります。 たとえばユニクロ、ユナイテッドアローズ、トヨタレクサス・・などなど。 どれも整然さを持っていますね。 とても機能的にみえる。 彼のブランディンング・スペース・コンセプトが世界で支持されている理由が分かる気がします。 でも展示作品と仕事との繋がりはやはり見えない。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh196/ ■ブラック&ホワイト|色いろいろ ■多くは初めての作品なので楽しめました。 いつも40人近い作家が登場するので飽きが来ない。 加納光於「まなざし」シリーズの絵具の引き延ばし方法は瀧口修造もインクで実験していたのですね。 田中清光も同じような手法を採っています。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh197.php ■田中彰 ■木版画のようですが縄文人が土器を造った時のおまけのような作品にみえました。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh198.php

■これぞ暁斎!ゴールドマン・コレクション

■Bunkamura・ザミュージアム,2017.2.23-4.16 ■これだけの暁斎をまとめて観るのは初めてかもしれない。 やはり彼の作品は漫画に近い。 今なら週刊誌や新聞の連載や挿絵、子供から大人まで、宗教からエロまで一手に引き受けているはず。 手塚治虫が生涯描いた原稿枚数は10万枚と聞いている。 暁斎も結構な枚数だろう。 時代が違ってもデキル漫画家の資質は変わらない。 イスラエル・ゴールドマンとはどういう人なのだろう? イスラエルの富豪家? 序章「出会い」をみると動物や魚、両生類などを描いた作品が並ぶ。 彼は生き物をどのようにみていたのだろうか?  彼が言う「半身達磨」の質の高さとは何か? 副題にある「画力」という言葉は暁斎に似合う。 前回は「画鬼」だった*1。 彼も鬼力を持つ画に圧倒されたのかもしれない。 *1、 「画鬼暁斎,幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」(三菱一号館,2015年) *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/ *追記、美術館7階の本屋に立ち寄る。 ここで「美術とおカネ全解剖、アートの裏側全部見せます」(週刊ダイヤモンド)を買う。 美術系読み物が満載である。 3月末にみたNHK仕事の流儀「オークションスペシャリスト山口桂」の藤田美術館300億円落札の話は数行しか載っていない。 ある古美術商は「第一印象を大事にしている」と言っていたがその通り。 脳味噌がピクピクして喜べば先ずは良い作品である。 美術作品の良し悪しは自身のカラダで判断するしかない。

■坂本龍一、設置音楽展

■ワタリウム美術館,2017.4.4-5.28 ■新作「async」の音楽展である。 2階は作品の再生、3階はNYで作成中の映像、4階はアピチャッポン・ウィラセタクンが新作から2曲を映像に取り込んでの上映。 まずは2階へ。 枯草を踏む、鐘の音も、風景に向かい合う、英語や仏語の喋り、コル・レーニョ・・。 新作はまるで<映画>を聴いているようだ。 制作にインスピレーションを与えた資料が展示されていた。 中谷宇吉郎全集、A・タルコフスキ「鏡」「惑星ソラリス」・・、L・サスキンド「宇宙のランドスケープ」、L・ワトソン「水の惑星」、P・ボウルズ「シェルタリング・スカイ」、中谷芙二子「霧」、P・K・ディック「ユービック」などなど。 なるほど。 「シェルタリング・スカイ」はもちろん映画を意識しているはず。 次に3階へ。 制作のNYスタジオや作者の住まい?の映像が簡単に紹介されている。 制作場所を意識しているせいかこじんまりしている。 でも坂本龍一の全仕事に興味を持っている者なら満足だろう。 そして4階へ。 映像になんとKAATで上演した「 フィーバー・ルーム 」の場内が映し出されていた。 次にウィラセタクンの好きな眠りの映像が続く。 犬も猫も眠る。 しかし何とも言えない東南アジアの怠さが曲と合わない。 坂本龍一の投げた変化球をウィラセタクンは見逃し三振、対して2階の高谷史郎*1は制作過程を紹介しながらも邪魔しないように作られていたからバントヒット成功と言ったところか。  このニューアルバムは「あまりに好きすぎて、 誰にも聴かせたくない」と作者自身言っている。 映画好きならこの曲から<映画>への想像が幾らでも湧き起こる。 *1、 「明るい部屋」(写真美術館,2013年) *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1704sakamoto/index.html *2017.4.19追記、NHKクローズアップ現代「坂本龍一、分断された世界」を見る。 作者が新作「asyns」の思いを語る番組。 この作品には彼が病のため死と対峙したことが含まれているのを知る。 *NHKサイト、 http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3963/ *2017.4.24追記、書店雑誌棚を流したら「美術手帳」と

■田沼武能肖像写真展、時代を刻んだ貌  ■お蔵出し!コレクション展

*下記□2展を観る. ■練馬区立美術館,2017.2.23-4.9 □田沼武能(たぬまたけよし)肖像写真展 ■あの絵の作者はこんな顔をしてたの!? 初めての顔が何枚かあったわよ。 画家を含め作家や音楽家、落語家などの被写体は5000人にものぼるらしい。 田沼の肖像写真は緊張感がみえない。 雑音があるからだとおもう。 棟方志功など何人かは別だけど。 「すべての人間は他人の中に鏡を持っている」(ショーペンハウエル)。 レンズの向こうに自分自身をみると色々考えてしまうから雑音が発生する、そして雑音があると被写体が<普通>に近づく。 この並がいいのよ。 展示会が2館で同時開催だと会場で知ったけど石神井公園分室まで行くのは残念だけど諦めたわ。 *美術館、 https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=m10339 □お蔵出し!コレクション展 ■区立美術館でも6700点もの作品を持っているのね。 今回公開の90点のほとんどは初めてかも。 気に入った作品は靉光「花と蝶」、奥田元宋「妙義赤峰」、中西夏之「ℓ字型ー左右の停止ー」、松岡映丘「さつきまつ浜村」など10点はあったかしら。 館長お薦めは池大雅「比叡山真景図」。 チラシにも載った映丘の上記作品は湿度が高そうな初夏だけど遠くまハッキリとみえる港や浜辺、松林や田圃、山々の緑が最高。 季節を一歩先取りしているのがいいわね。 *美術館、 https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=m10340

■N・S・ハルシャ展、チャーミングな旅

■森美術館,2017.2.4-6.11 ■インドといえば仏教やヒンズー教美術、戦後では日本人画家がインドを題材にした作品しか思い浮かばない。 ハルシャは初めて聞く画家です。 作品をみると政治や経済に翻弄されつつも20世紀の素朴さが漂っている。  グローバル化の波や国家を論じている作品と南インドの生活を前面に出している展示は具体的です。 一人ひとりの表情や衣装が違う反復作品も時代を追って洗練されてきている。 しかし人口13億人はやはり大きい。 試行錯誤で事を進めるしかない。 ハルシャの旅は続く。 現代インドの強さと弱さが出ていますね。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/n_s_harsha/index.html

■大エルミタージュ美術館展、オールドマスター西洋絵画の巨匠たち

■森アーツセンターギャラリ,2017.3.18-6.18 ■ルネサンス、バロク、ロココのオールドマスターを中心に展示されています。 近代以降が無いと落ち着いて観ることができますね。 オールドマスターを展示名に入れるのも初めてでしょう。 80数点のうちエカテリーナ2世の関与した作品が半数もあるそうです。 挨拶文に「彼女の好みが分かるだろう」とあったが残念ながらそこまでは分かりませんでした。 先ずはティツィアーノとは都美術館「 ティツィアーノとヴェネツィア派展 」を意識しているのが面白い。 国別に章を組み立てていたのも分かり易い。 知っている画家は各国で数人だけです。 イタリアはティツィアーノ、オランダのレンブラント、フランドルでルーベンス、スペインは聞いた名前はあるが作品と結びつかない。 フランスはプッサン、ヴァト、シャルダン、ブーシェ、クロード・ロラン、ユベール・ロベールと多い。 そしてドイツはクラーナハ。 全数が少ない割には裾野が広がっている感じがします。 2012年国立新美開催「 大エルミタージュ美術館展 」の続編と考えられる。 今回は19世紀以降を省いてオールドマスターとその周辺に焦点を当てたのでしょう。 本物は裏切りませんでした。 *展示会サイト、 http://hermitage2017.jp/

■山崎博、計画と偶然  ■長倉洋海の眼、地を這い未来へ駆ける  ■日本写真開拓使、総集編

■東京都写真美術館 ■山崎博,2017.3.7-5.10 ■「いい被写体を探して撮る」から「被写体を選ばずに撮る」は偶然から必然への移行とも言える。 20世紀が持っていた写真の謎を形あるものへと探求した形跡が感じられる。 計画から必然は過程だがそこに偶然が発生する。 この偶然を別の言葉では芸術と言うのかもしれない。 偶然から発生した偶然は芸術とは言えない。 より遡って作者の天井桟敷や黒テント、天使館や大駱駝艦の身近な存在は写真を忘れることができた時代だ。 写真を忘れない計画の時代と対になっていて面白い。   *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2574.html ■長倉洋海の眼,2017.3.25-5.14 ■実在の人物に焦点を当て続けるところに引き込む力の源泉がある。 最初の一枚から最後の一枚まで物語の頁をめくっていくようだ。 指導者スマードの和平交渉失敗など手に汗を握る場面も多い。 エルサルバドル、アフガニスタン、南アフリカ、コソボ、アマゾン・・。 作者と主人公の二つの視線が重なり離れたりすることで作品の広さと深さを出している。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2614.html ■夜明けまえ知られざる日本写真開拓使,2017.3.7-5.7 ■内田九一の「新橋駅」は初めて見た。 今も実物大の駅舎が残っているので比較ができる。 1872年当時の駅舎周辺は何もない。 今の電通ビル方向から撮っているが新橋駅方向に日本家屋が少しみえるだけだ。 今回は総集編である。 いつも来たついでに立ち寄っていたが写真技術などの知識は増えた感じだ。 しかし写真史は素人には分かり難い。 映画と違って初期は作者が不在だからだろう。 * 「日本写真開拓史・北海道東北編」(2013年) *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2576.html

■ミュシャ展、超大作<スラブ叙事詩>全20作

■新国立美術館,2017.3.8-6.5 ■圧倒されます。 美術館の広さをフルに活用している。 混んでいても気になりません。 「スラブ叙事詩」の前に「スラブとは何か」の問が立ちはだかります。 スラブが人種なのか言語なのか国家群なのか身体的に伝わってこない。 プラハは歴史も地理も西欧の東つまり東欧という認識でした。 そして今まで知っていたのはパリ時代アールヌーボーのミュシャだったことです。 叙事詩のキャプションは全て読みましたが混乱します。 周辺国との人種や宗教の軋轢や知らなかった戦争が語られるからです。 でもミュシャが叙事詩でスラブを平和にまとめ上げようとした強い意志は伝わってきます。 そして「スラブ叙事詩」を観たことでなにか大きな力を貰えたように感じます。 *「 ミュシャ展,パリの夢モラヴィアの祈り 」(森アーツセンターギャラリ,2013年) *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2016/alfons-mucha/

■エゴン・シーレ、死と乙女

■監督:D・ベルナ,出演:N・サーベトラ,M・リーグナ,F・ベヒナ ■Bunkamura・ルシネマ,2017.1.28-3.10(2016年作品) ■垢ぬけた作品にみえる。 人々の生活や街や世間の風景が洗練されていたからよ。 そして異国のモア、妹ゲルティ、運命の女ヴァリ、妻エーディットの輪郭がシンプルだけどクッキリと描かれていた。 この女たちの輪郭がそのままエゴン・シーレを形作っていた。 ここが面白かったところね。 だからシーレの心は直接には読めないの。 彼は作品について一言も話さない。 クリムトが登場する場面でもムニャムニャするだけ。 シーレの人間関係と社会との繋がりを描いているけどシーレと絵を繋げてはいない。 今シーレの絵を前にするとこの映画のシーレとは別世界にみえる。 垢抜けたシーレだったけど、でも素敵だったわよ。 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/85783/

■レオナルド・ダ・ヴィンチ、美と知の迷宮

■監督:L・ルチーニ,N・マラスピーナ ■川崎アートセンタ,2017.3.11-24(2015年作品) ■美術史家や建築家が登場して解説をするがその時のカメラワークが酷い。 解説者を細かいカットや煩雑なクローズアップでこれでもかと撮影する。 解説者こそが主人公だと言っているようにみえます。 そして俳優がダヴィンチやラファエロ、サライに扮して登場するがこれも大袈裟な演技ですね。 ドキュメンタリとドラマの境界を混乱させています。 しかも日本語吹き替えだとは知らなかった。 レオナルドの声を聞いてイメージが崩れてしまった。 そして焦点が飛び放題でレオナルドを摘み食いしているような構成です。 「永遠の謎が明らかになる」どころか何が謎なのかまとめきれていません。 でも面白い作品解説もあったのでなんとか観ることができました。 * 「レオナルド・ダ・ヴィンチ,天才の挑戦」(江戸東京博物館,2016年) *作品サイト、 http://davinci-in-labyrinth.com/

■シャセリオー展、19世紀フランス・ロマン主義の異才

■国立西洋美術館,2017.2.28-5.28 ■シャセリオの絵は見たことはあるがよく知らない。 新古典主義と違いロマン主義は主観重視のため画家で好みが分かれる。 フランス代表はドラクロア一人にまとめてしまうのも名前が広まらない理由だろう。 シャセリオの性格は知らないが作品には優しさがみえる。 ソフトな感性は師匠アングルから受け継いだのかもしれない。 そして洗練さと生の弱さから都会生活が似合っていたようだ。 自画像や早死をみてそう思う。 オペラ「オテロ」を基にした連作「オセロ」、マクベスの「三人の魔女」から舞台好きにもみえる。 加えて生まれ故郷ドミニカやアルジェリア・イタリア旅行の記憶と混ざり合いなんともいえないロマン主義者になった。 ギュスターヴ・モロには物語と人物表情、シャヴァンヌ*1には人物存在感と壁画意味を影響として与えたのだろう。 *1、 「シャヴァンヌ展,水辺のアルカディア」(2014年) *展示会サイト、 http://www.tbs.co.jp/chasseriau-ten/

■アスリート展、ATHLETE

■ディレクタ:為末大,緒方嘉人,菅俊一 ■21_21DESIGN SIGHT,2017.2.17-6.4 ■想像し難い内容ですね。 でもディレクターズ・メッセージを読んで分かりました。 「少しだけ細かなことに気付く」ことがアスリートの条件らしい。 それは身体と環境の感じ方や捉え方や適用の仕方を考えることです。 観客は気付きの測定に参加できるようになっている。 たとえば巻尺を引っ張り出して指定された長さを瞬時に出せるか? 身体重心を長く不動にしていられるか? スプーンで卓球ボールを時間内で決められた場所に置けるか? ・・。 測定をしながら自身の身体を考え直すことができます。 アスリートについて想像力を働かせるようにもなる。 アスリートの言葉も面白い。 「縫いぐるみを抱くようにしてジャンプする」(フィギュアスケート)。 「頭から引っ張られているように泳ぐ」(水泳)。 「身体を棒にする」(陸上、ラグビー)。 「熱いフライバンの上にいると思って走る」(陸上短距離)。 「左手は目の前の窓を開ける・・」(陸上)。 アスリートが何を感じ取っているのか少し分かりました。 *館サイト、 http://www.2121designsight.jp/program/athlete/

■草間彌生、わが永遠の魂

■新国立美術館,2017.2.22-5.22 ■「わが永遠の魂」130点が展示してある大部屋は賑わっていて縁日での露店を見て回る楽しさがあるわね。 次の部屋からは年代順だけど初期も充実している。 「玉葱」(1948年)は玉葱で重力波が曲がっているようで面白い。 ニューヨーク時代(1960年代)は「集積」の到達点である赤と黒のネット・ペインティングの密度が素晴らしい。 それに続く家具を突起物が覆っている作品はモノとの異常関係を昇華して芸術域までに達している。 精神を病んでいた彼女にとって絵画は箱庭療法だとおもう。 前代のソフト・スカルプチュアや東京時代(1970年代)のブリコラージュはそれを特に感じる。 そして精神的安定に向かわせたのがコラボやタイアップで社会と関係したことかしら。 このころの作品はまさにプロを感じさせるわね。 途中に21世紀の章があったけど渾身の作にみえる。 そして会場順序が再び永遠の魂に戻るのは彼女の精神輪廻の流れそのものかもしれない。 *展示会サイト、 http://kusama2017.jp/

■オルセーのナビ派展、美の預言者たち

■三菱一号館美術館,2017.2.4-5.21 ■ゴーギャンから影響を受けたナビ派たち、ボナール、ヴュイヤール、ドニ、セリュジエ、ヴァロットンたちの展示です。 彼らは象徴や神秘を対象にしていても日常から出発しているので見慣れた風景が並びます。 そしてナビらしい展示構成ですね。 2章から「庭の女性たち」「親密さの詩情」「心のうちの言葉」「子ども時代」「裏側の世界」。 でも同じような作品が繰り返し現れるので会場が均一になりぬるま湯に浸かった感になります。 少し飽きてしまいました。 ナビ派の画家は一人ずつの展示形式がインパクトを出せます。 たとえばヴァロットン、ドニの個展*1は強く記憶に残っている。 総合主義やアンティミストを謳いますが、彼らは都市生活者として近代末期を生きたのでナビだけでは捉え切れない心の複雑さを持っているからだと思います。 *1、 「ヴァロットン展,冷たい炎の画家」(2014年) , 「モーリス・ドニ,いのちの輝き 子供のいる風景」(2011年) , 「ゴーギャン,ポン=タヴァンの画家」(2015年) *館サイト、 https://mimt.jp/exhibition/#les-nabis

■ティツィアーノとヴェネツィア派展

■東京都美術館,2017.1.21-4.2 ■会場に入ると古いヴェネツィアの地図が出迎えてくれて嬉しい。 一っ飛びで15世紀の水の都ね。 ベッリーニの「聖母子」を含む工房作品を20枚くらい観た後に「フローラ」が現れる。 うーん、劇的な出現だわ! 肌に吸い込まれていくように感じる。 この1枚で上野に来た甲斐があるということね。 ティツィアーノは5枚展示されていたけど満足度100%よ。 彼の作品には師匠ベッリーニやジョルジョーネも感じられる。 油彩とカンヴァスの力を借りられたのも大きい。 時の政治家との出会い、そしてミケランジェロへの対抗心を含め切磋琢磨できる人々が周囲にいたから豊かな変化球が投げられたのね。 日伊国交樹立150周年記念展。 * 「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」(国立新美術館,2016年) *展示会サイト、 http://titian2017.jp/

■増田彰久写真展、アジアの近代建築遺産

■横浜ユーラシア文化館,2017.1.28-4.9 ■「フィーバー・ルーム」を観た帰り日本大通駅前の文化館に寄る。 展示は藤森照信、増田彰久などの30年にわたる建築調査・撮影の成果物である。 1840年アヘン戦争以降の租界に造られた中国南岸沿いの建築を主に展観できる。 イギリス等の上海租界、青島のドイツ租界、天津のフランス租界、そして満州国首都長春や瀋陽、ロシアから日本に租界譲渡された大連、鎮江のイギリス、ハルピンや旅順の帝政ロシア建築などである。 侵略国の建築家たちは威信を賭けて作り上げたことが分かる。 どれも西洋文明の歴史が凝縮されている。 ギリシャ、ルネサンス、バロック、アールヌーボ、天津のアールデコ、青島のユーゲンシュテール、コロニアル・・、日本なら天守閣・・。 当時の日本人建築家の留学先が米国というのも面白い。 そして現代中国は歴史を直視し残っている建物保存に力を入れているらしい。 実際に見た建物は少ない。 上海の和平飯店くらいだ。 このホテルは昔のことだが何回か泊まった記憶がある。 1階ホールで毎晩ジャズの生演奏をしていた。 建築写真40枚だけの展示だが背後にある近現代史の一端がハッキリと写し出されている。 *館サイト、 http://www.eurasia.city.yokohama.jp/exhibition/index.html

■フィーバー・ルーム

■演出:アピチャッポン・ウィーラセタクン ■神奈川芸術劇場・ホール,2017.2.11-15 ■映像パフォーマンスと言ってよい。 複数スクリーンを使った映像で始まるが途中でスモークと指向性照明を使った舞台が現れる。 終幕再び映像に戻る。 映像には日常のタイ風景が映し出される。 病院や患者、犬、川、船、生活している人々、海、最後は洞窟へ・・。 そして舞台上のスモークと照明の効果で宇宙船か飛行機に乗って雲の中を飛んでいるような感覚に陥っていく。 幻想的だが前後の映像との結びつきが弱い。 作者は夢について語っているようだが覚醒と睡眠の中間である夢は上手に表現されていない。 「歳を取ると夢を忘れる」と画中の役者に語らせているがそのまま作品にも表れている。 全体を通してみると彼の映画作品と同じリズムを持っている。 初めての実験作だが舞台と映像を切り離し別作品にしても面白いと思う。 *TPAMディレクション公演参加作品 *TPAMサイト、 https://www.tpam.or.jp/2017/?program=fever-room

■デヴィッド・ボウイ・イズ

■天王洲・寺田倉庫G1ビル,2017.1.8-4.9 ■日時指定チケットの為か会場は空いていてゆっくり回ることができた。 デヴィッド・ボウイの全体像を略2時間で観終わるようになっているの。 キャプションの文字数を含め計算された展示量だわ。 実はボウイの全体像が今まで見えていなかった。 現れては消えまた現れる・・。 カメレオンマンと言われるだけに追うのがしんどい。 彼の土台は舞踊家リンゼイ・ケンプと映画監督スタンリ・キューブリックの影響が大きいのかな? グラム・ロック表現の化粧・表情・動作はケンプから、グラム精神や宇宙志向はキューブリックからよ。 でもキューブリックの暴力的異常性はケンプが融和してしまった。 そして自身がシャーマンになり宇宙へ向かう。 性が有耶無耶になる宇宙では男でも女でもないボウイに変身していく。 1997年に下りベルリンで一皮むけたようね。 地球に戻ってきた感じかしら。 それでもボウイは宇宙人にみえる。 先日ドキュメンタリー映画「デヴィッド・ボウイ・イズ」(下記)を観たんだけど、彼のファンがこの展示会を観て「懐かしい、当時の思いでが連なる・・」と言っているの。 ボウイはローカル(母語内でしか見えない物事)な英国精神を多く持っているのかしら? これが宇宙志向と結びついているから遠い日本では分かり難い。 会場で山本寛斎や坂本龍一、北野武のインタビューを映していたけど彼らもボウイを捉えていないようにみえた。 「・・実に容易く自分を見失い、そして自分を発見できる」性格を持っていることにもある。 ボウイが影響を受けた芸術家周期表が貼ってあったけど多彩な顔ぶれで楽しい。 その隣にマイケル・クラークのダンス映像があるし、場内にはアンディ・ウォホールの「チェルシー・ガールズ」の資料もあったのが嬉しい。 そして丸みを帯びた自筆の詩と衣装の展示は言うことなし。 ボウイは最後まで宇宙人を演じ切ったと思うの。 これが最高よ! *FASHION PRESSサイト、 https://www.fashion-press.net/news/21016 ■デヴィッド・ボウイ・イズ ■監督:H・ハミルトン,出演:D・ボウイ,山本寛斎 ■恵比寿ガーデンシネマ,2017.1.21- ■本展覧会キューレータがヴィクトリア&アルバート博物館で行った宣

■日本画の教科書、京都編-栖鳳、松園から竹喬、平八郎へ-

■山種美術館,2016.12.10-17.2.5 ■1880年京都府画学校開校、1909年京都市立絵画専門学校創設が京都編一番の事件でしょう。 流派ごとの師弟制度から学校教育による変革です。 1911年第一回卒業写真が展示されていました。 数えたら22名。 学生服姿が4人いましたが名前をみても誰が先生で誰が生徒か見分けがつかない。 今からみると有名画家ばかりですから。 見慣れた作品群を前にすると季節や体調などで好みの絵が毎回違ってきます。 会場に入ると先ずは「班猫」、この猫は滑りのような肌触りが伝わってきて可愛くない。 このあとにミミズクやアヒル、シロクマなど登場しますが逆に愛嬌がありますね。 山口華陽の牛をみてもホッとする。 京都編の動物は微妙に擬人化されている。 逆に上村松篁の鳥は、ここが気に入っているのですがロボットにみえます。 母松園を引き継がなかったのもなかなかです。 そして小野竹喬の「冬樹」が外の風景に同期していて今日は特に気に入りました。 *館サイト、 http://www.yamatane-museum.jp/exh/2016/nihonga.html

■吉岡徳仁スペクトル  ■太陽の宮殿ヴィルサイユの光と影、カール・ラガーフェルド写真展

■吉岡徳仁スペクトル ■資生堂ギャラリ,2017.1.13-3.26 ■銀座へ行ったついでに寄ってきた。 会場はスモッグがかかりプリズムで分光された光が朝もやから射しているみたい。 北国での朝を迎えた感じね。 今日も寒い。 この作品はいろいろな場所で応用ができるとおもう。 でも舞台背景が必要だわ。 今回はスモッグを併用していたから作品としてみることができた。 プリズムの自然な色は安らぐわね。 *館サイト、 http://www.shiseidogroup.jp/gallery/exhibition/index.html ■太陽の宮殿ヴェルサイユの光と影,カール・ラガーフェルド写真展 ■シャネル・ネクサス・ホール,2017.1.18-2.26 ■「 マリーアントワネット展 」に合わせて開催したのね。 ラガーフェルドはシャネルの人だしタイミングがいい。 モノクロの為か建物に歴史が堆積している。 でもマリーアントワネットが生活していたようには見えない。 ドイツとフランスのすれ違いかもね。 材料や展示方法に工夫があって彼の写真への接し方がわかる。 *館サイト、 http://www.chanel-ginza.com/nexushall/2017/versailles/

■堀部安嗣展、建築の居場所

■ギャラリー間,2017.1.20-3.19 ■経済学者松原隆一郎の書庫を雑誌でみたことがあるが堀部安嗣の設計だと今知った。 堀部の建築からは「立ち去りがたい思いが湧きでる」とあったがその通り。 会場の写真や映像をみてもそれが窺える。 自然と人の間に建つモノとしての連続性が感じられるからだと思う。 堀部はそれを鼓動として捉え住む者の記憶に共振するのだ。 家具などを置いていくと調和が乱れることが多いが彼の建物では逆に豊かになっていく。 天井が高ければ良いと言うことでもない。 堀部は依頼人を深く尋ねて鼓動を作り出す。 これが共振して住む者の心身に平静をもたらす。 会場2階の「堀部安嗣、建築の鼓動」(映像30分)は1階展示物のまとめになる。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex170120/index.htm

■endless山田正亮の絵画  ■瑛九1935-1937、闇の中で「レアル」をさがす

■東京国立近代美術館,2016.12.6-17.2.12 ■endless山田正亮の絵画 ■5千点を50年で計算したら4日に1点作成していることになる。 あのピカソには敵わないが凄い数です。 一つ一つの高質も想像できる。 「描き続けることが絵画との契約である」からでしょう。 最初の静物画で目が釘付けになります。 セザンヌをブラック風に描いたようで、しかも力強い。 そして画中の対象物が徐々に増えていき最後は分解していく。 「解体は始まったばかりだ」。 でも長方形に飛躍するのは謎です。 次のストライプも同じです。 「完成させないことだ、というより完成は過程なのだ」。 ストライプはエンドレスにみえます。 そしてグリッドの時代へ。 最後にグリッドも破裂解体していく。 WORK-Fをみて生物の進化を考えてしまった。 静物画が分解し方形細胞になりそれがストライプDNAになり、DNAから新しいグリッド細胞が発生し、再び破裂し別の何者かかになる・・。 WORK-Fの作品は全て気に入りました。 *館サイト、 http://www.momat.go.jp/am/exhibition/yamadamasaaki/ ■瑛九1935-1937,闇の中で「レアル」をさがす ■デビュー作「眠りの理由」は作品の前で立ち止まらせるだけの力が有ります。 しかし一枚一枚をみていると物語が漂い出す。 「レアル」を探したいのですがこの物語が邪魔をする。 彼の作品はレアルの周囲を揺れ動いている。 大戦前の不穏な空気が充満しているからでしょうか? *館サイト、 http://www.momat.go.jp/am/exhibition/ei-q/

■クインテットⅢ、五つ星の作家たち

■損保ジャパン日本興亜美術館,2017.1.14-2.19 ■テーマは「自然」で画家5人の60作品が展示されている。 画風が皆違うから飽きない。 堀田樹子の混ざり合った色彩は日本の自然の複雑さを感じさせる。 気に入った作品は「森の午後」と「深呼吸」。 逆に橋本トモコは油彩浮世絵のような感じで抽象美を楽しめる。 その中で「ツバキ赤く」が一番である。 木村佳代子は自然を宇宙にまで広げている。 画中に幾何学的な模様があるのでどこかカルト的だ。 自然の神秘を描きたいのかもしれない。 好みの作品が二点あったが題名を忘れてしまった。 白モクレン二花と桃色蓮だったとおもう。 川城夏未は蜜蝋の使用を強調している。 シットリとした赤で統一しているが素人が見ても蜜蝋の効果が分からない。 横溝美由紀は細い線でグリッドを描いている。 糸などを利用しているらしい。 でも自然との関係がよく見えない。 とりあえず5人の自然の切り口の違いを素直に楽しめれば良しとしよう。 *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/current

■DOMANI・明日展

■国立新美術館,2016.12.10-17.2.5 ■海外研修に参加した若手芸術家13名の作品展です。 分野が散らばっているので何が出るか次の室に入る時はドキドキしますね。 この中で池内晶子や松井えり菜の作品は観たことがある。 映像系が記憶に残りました。 南隆雄「Medi」、平川祐樹「fallen Candles」、折笠良のアニメ「水準原点」「ペンタゴン」などをです。 「Medi」や「fallen Candles」は動きが遅いので絵画の延長にみえる。 折笠良は言語を取り込んだ作品が多い。 他ジャンルへ越境していくような作品は強いのかもしれない。 同時に内向きの作品も多いようにも見受けられた。 1980年前後に生まれた作家が多いので今やパワー全開の時期です。 でも研修先の広がりや多種多様な材料の使用で個人差が大きく出ていますね。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2016/19thdomani/

■グレート・ミュージアム、ハプスブルク家からの招待状  ■黄金のアデーレ、名画の帰還

■グレート・ミュージアム,ハプスブルク家からの招待状  ■監督:J・ホルツハウゼン ■川崎市アートセンタ,2017.1.4-20 ■ウィーン美術史美術館の改修工事を撮ったドキュメンタリーです。 美術館の記録映画はどこも似てきますね。 館長と財務や企画などの事務職員、学芸員や修復家など専門職員たちの仕事に集約していく。 台詞まで他美術館と同じです。 そこに目玉の作品群が写し出される。 ここでは「バベルの塔」のブリューゲルでしょう。 でもハプスブルク家収集美術館の為、この家との関係を描き出すのに苦労しているのが分かります。 例えば名前に「帝国」の文字を付加するとかです。 チラシに「ルーヴルやメトロポリタンはデパートだがここは専門店・・」とあったが馬車や武器の館長も登場するので頷けます。 美術館をどう変えていくのか? 専門店としての長短が鍵になりそうですね。 *「 風景画の誕生,ウィーン美術史美術館所蔵 」(Bunkamura,2015年) *館サイト、 http://thegreatmuseum.jp/ ■黄金のアデーレ,名画の帰還 ■監督:S・カーティス,出演:H・ミレン ■DVDで観ました。 G・クリムト「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」をオーストリアから米国に移り住んだ相続人に所有権を移す裁判物語です。 「グレート・ミュージアム」が表ならこれはオーストリア美術界の裏の話になります。 *作品サイト、 http://golden.gaga.ne.jp/

■小田野直武と秋田蘭画、世界に挑んだ7年

■サントリー美術館,2016.11.16-17.1.9 ■秋田出身である義理の伯父の酒の肴はいつもハタハタ(鰰)だったことを覚えている。 当時は美味いとは思わなかったが酒を吞むようになってその旨さが分かった。 今はいない秋田弁の伯父と鰰の味を思い出しながら会場を歩いた。 美術系教科書には必ず小田野直武の1枚が載っている。 「不忍池図」である。 別物のような花と風景が不思議な一体感を成しているので一度みると忘れられない。 南蘋派や蘭学・博物学の影響と混ざり合った秋田蘭画の絵師たちを初めて知ることが出来て嬉しい。 秋田藩佐竹署山だけではなく熊本藩細川重賢、高松藩松平頼恭のなどの博物大名ネットワーク図も想像力を掻き立てる。 その後の司馬江漢から平福百穂の紹介など秋田蘭画全体を一望できる展示であった。 今年の初観としては申し分ない。 *館サイト、 http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_5/index.html

■マリー・アントワネット、美術品が語るフランス王妃の真実

■森アーツセンターギャラリ,2016.10.25-17.2.26 ■ヴェルサイユ宮殿所蔵のコレクションはお見事。 それにしても若い女性で場内は大変な熱気ね。 前半は肖像画のオンパレード。 当時は兄弟が多いから名前を覚えるのも大変ね。 15番目の子アントワネットは極めて普通な女の子だった。 そして14才でフランス王太子に嫁ぐ。 勉強嫌いでパリのファッションに目覚めるのは当たり前かも。 乗馬も得意だったみたい。 故郷に居る母はハラハラね。 次には家具や食器類。 宮殿内の浴室、図書室、居間の再現は素晴らしい。 彼女の審美眼は確かだわ。 でもどういう食事をしていたかは分からない。 息抜きができる離宮トリアノンの存在は初めて知ったの。 後半は動乱の革命へ、そして牢獄から死刑台へ。 ここも歴史や政治は抜きで彼女の動向を中心に展開している。 最後までアントワネットに寄り添っていた内容だった。 遺品を通して彼女の真実が見えてくる展示会だったわ。 *展示会サイト、 http://www.ntv.co.jp/marie/