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7月, 2019の投稿を表示しています

■ジュリアン・オピー  ■池田良二の仕事  ■末松由華利

■東京オペラシティアートギャラリー,2019.7.10-9.23 □ジュリアン.オピー ■展示室が広い。 これは建築壁画だと思った。 作品が広くしている。 太く力強い輪郭線は建築物と対等に渡り合える。 街中を歩く人々の姿は現代の風景をリアルに写し取っている。 しかもシンプルで飽きがこない。 2次元と3次元の違いはあるがイサム・ノグチの建築彫刻と同じだ。 「Walking in・・」はあのビルのエントランスに似合うだろう、「Carp」はあのビルの通路に設置するのがよい、「Telephone」は彫刻としてあの広場に置きたい、などなど考えながら見てしまった。 アルミニウムに自動車用塗料の風景画も面白い。 色を出すため凹凸を重ねていくのだが出来栄えが工業工芸品にみえてしまった。 都市に合う美術作品はめったに無い。 その一人、ジュリアン・オピーに出会えて嬉しい。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh223/ □池田良二の仕事 ■池田良二は名前も作品も記憶にない。 読めない文字が並んだセピア色の作品を前にすると難解な哲学書を開いた時のような感覚がやってくる。 それも教会の暗い部屋で・・。 目を凝らすとその文字が浮き出てくる。 後半、仏像らしき姿が現れる。 ヒンドゥー教に近い仏教に感じられる。 それも時間の闇に沈んでいく。 「新潮45」表紙肖像画は展示の前半部を解説しなおしているかのようだ。 ジュリアン・オピーをみた直後だから心身の転換が難しい。 準備時間が必要だったがもう遅い。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh224.php □末松由華利 ■絵具の滲みや暈しが自然の柔らかさを思い出させてくれる。 「架空の値打ち」は初夏の山々が連なっているようだ。 それにしてもタイトルの意味は何だろう? 作者はまったく違うことを考えているようだ。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh225.php

■みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ、線の魔術

■Bunkamura.ザミュージアム,2019.7.13-9.29 ■2017年「 スラブ叙事詩 」展ではミュシャに行き着いた達成感を持つことができた。 そして今、再び新しい1章から始まるのですね。 ミュシャは時代を超えて生き続けている。 それを確認する展示会です。 ミュシャが欧米で甦った瞬間は1963年のV&A回顧展だったようです。 ボヘミアン革命としてアートとロックに飛び火した。 その様子をジャケット・デザインにまとめている。 ・・ジェファーソン・エアプレインやジミヘン、ドアーズやピンク・フロイド。 精神を包み込むような「Q型方式」は咀嚼されながら当時の若者の生き方まで変えたはずです。 日本では「みだれ髪」「明星」の藤島武二の装丁から始めている。 実は少女漫画への影響は知らなかった。 時代と走りながら読んでいなかったからです。 水野英子や山岸涼子から「ロードス島戦記」の出渕裕までを眺めると少女漫画の略全てがミュシャに繋がっていると言っても良い。 「・・共鳴し(過ぎ)て一瞬立ちすくんだ」(水野英子)。 影響が一番あった分野がここ、副題の通りです。 これを知っただけでも楽しい展示でした。 *館サイト、 https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_mucha/

■ロイス・ワインバーガー展、見える自然/見えない自然

■ワタリウム美術館,2019.7.13-10.20 ■「見える自然」は人間の手を加えていない自然、「見えない自然」とは自然の力を指しているようです。 「手を加えた自然が多くなり自然の力がみえなくなっている」。 ロイス・ワインバーガーは言っています。 この展示会は「自然の力」を取り戻すものです。 彼の文章集が受付で配られる。 作品途中にも彼の言葉が掲げられている。 文章は作品の一部のようです。 これが読み難い。 日本語訳が原因かもしれない。 「読みにくい自然」ですね。 ロイスは除草剤を撒かず街路や線路に雑草を蘇らせる作品などを発表している。 外来種は取り除くのが当たり前としている考えにも一石を投じています。 トリビアル過ぎるのかもしれない。 よくある宗教感がみえないためです。 雑誌を読み終えて、彼の言いたいことが分かるようで分からない。 やはり「見えにくい」展示会でした。 *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1907lois/index.html

■太田喜二郎と藤井厚二、日本の光を追い求めた画家と建築家

■目黒区美術館,2019.7.13-9.8 ■画家と建築家は、同じ大学の職員だったことと趣味が同じ茶事だったことで知り合ったらしい。 この平凡な出会いからみても二人の名前を知らなかった理由がわかる。 しかし結構面白くみることができた。 太田のベルギー留学時代の光濃い印象派風作品は若々しい重さが感じられる。 彼は自邸を藤井に設計を任せている。 二人の日常がジワッと会場に感じる。 藤井の建築が住宅に特化している為もある。 藤井の作品は少し毛並みの良いどこにでもある日本建築のようだ。 外観は大したことはない。 中身は和洋折衷で凝っているがサッパリもしている。 平面図をじっくり眺めながら想像で部屋を歩き回る。 そして写真や模型をみてイメージを完成させる。 着物を日常としている空間感覚が今とはズレている。 間取りも今とは違い当時の生活がみえてくる。 「旧藤井厚二自邸」「石崎庚作邸」「喜多源逸邸」「小川邸」の4点の展示だがどれも似ている。 「大阪朝日新聞社」等も設計しているが、「その国の建築を代表するのは住宅である」。 彼の住宅への拘りがみえる。 建築からみた太田のアトリエは平凡だ。 彼は帰国後点描画を捨てたらしい。 後期作品では「鶏」(1935年)が気に入ったがインパクトは留学時代より薄くなっている。 アトリエの印象と同じだ。 絵画と住宅を一緒にするとやはり後者の印象が強い。 住宅は身体を総動員する為だろう。 *館サイト、 https://mmat.jp/exhibition/archive/2019/20190713-64.html

■日日是アート ニューヨーク、依田家の50年展

■三鷹市美術ギャラリー,2019.6.29-9.8 ■依田洋一朗の「 記憶のドラマ 」が面白かったことを思い出して三鷹へ出かけてみたの。 なんと洋一朗の両親も画家とは! 家族で美術展とは驚きね。 ビデオ、写真以外に家財道具や物置小屋もある。 自宅の断片を繋ぎ合わせてNYを体験できるようになっているのが嬉しい。 テーマを絞り込んでいない乱雑さが楽しい。 両親はどちらかというと抽象系のようにみえる。 会場初めに展示してある父寿久の「Untitled #70-11」(1970年)群、母順子の小さな蝶ネクタイを張り付けたようなフォトコラージュ作品群は完成度が高い。 二人は似ているけど微妙に棲み分けている。 洋一朗の劇場系は今回は展示されていなかった。 でも彼の描く人物像は都市型エンターテインメントの表裏をそのまま表現している。 彼の絵をみているとウディ・アレンを思い出してしまう。 「日常とアートを分けるものはなんでしょうか?」。 家族全員が画家だと息苦しくならないかしら? なぜならアートを日々の生活に組み込むと日常がより肥大化してしまうから。 別の非日常を探してしまうかもね。 *館サイト、 http://mitaka-sportsandculture.or.jp/gallery/event/20190629/

■メスキータ、エッシャーが命懸けで守った男

■東京ステーションギャラリー,2019.6.29-8.18 ■エッシャーの名前が副題に登場・・? メスキータの美術学校教師時代、生徒にエッシャーがいたのですね。 メスキータがナチスに拘束された時にエッシャーたちが命懸けで彼の作品を保護保管したことで副題にしたようです。 道理で二人の版画作品はタッチが似ている。 「メスキータの肖像」(1922年)は何度か見た覚えがあります。 彼が木版画を始めたのは1896年。 50歳前後(1920年頃)の作品が気に入りました。 木版の丸みのある力強さが出ている。 でも意匠が素人のようにみえる。 日本の工芸と思わず比較してしまいました。 そして彼がどのような考えで版画を制作していたのかもよく分からない。 ドローイング自動筆記も謎にみえる。 雑誌「ウェンディンゲン」にも作品を投稿しているが建築との関係がみえない。 若い時に建築を志したが、やはり合わないのでしょうか? ヨーロッパ近代以降の木版画はあまり記憶がない。 それを深める土壌が彼の周囲になかった。 時代も味方にできなかった。 彼の木版画をみると物理的だけではなく情報量の限界もみえてくる。 「メスキータの肖像」を再び眺めると彼の苦悩を微かに感じます。 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201906_mesquita.html

■マリアノ・フォルチュニ、織りなすデザイン展

■三菱一号館美術館,2019.7.6-10.6 ■面白い展示構成ね。 フォルチュニの服飾デザイナーとしての作品「デルフォス」を室中央に置き、壁には絵画・版画・テキスタイル・写真など平面作品で埋め尽している。 どの室も同構成だから次室へ入ると先ずは「デルフォス」を堪能してから壁作品をみる。 しかも彼のデザインは「世紀を超えて」いるから飽きない。 それは両親からの良き資産を受け継ぎ、ギリシャ美術を上手く翻訳し、異国への興味を失わなかったからよ。 日本への関心も。 天然染料に拘ったのも色彩の良さと深さに通ずる。 初めて知ったことは2点。 それは彼が写真に凝っていたこと、そしてワーグナーに陶酔していたこと。 フォルチュニが持っていた興味と才能の全てがワーグナーが言っている総合芸術へ向かわせたのね。 「演技・衣装・音楽・照明・装置の間に湧き起こる共感覚を実現する為に・・」。 衣装は言うまでもないが、特に装置「クーポラ」を作り遠隔操作にした照明技術は凄い。 舞台上の昼の明るさから夜の暗さまで間接分散光で調整できるようになったからよ。 バイロイト劇場での指環や「パルジファル」「トリスタン」「こうもり」そして「ヴェニスの商人」「オセロ」などの舞台資料をみていると彼はプロデューサー寄りの芸術監督にみえる。 彼はレオナルドやミケランジェロ、アルチンボルドやルーベンスに近い活動家なの。 また一人、興味ある総合芸術家を見つけた! 彼らの展示会ほど面白いものはない。 それは色々な物事が結びつけられて想像力が膨らむから。 場内映像は3本。 1本は館サイトでも見ることができる「フォルチュニ美術館」、それと「リュミエール劇場」「ヴァレンティノ2016年春夏コレ.」。 *館サイト、 https://mimt.jp/fortuny/

■塩田千春展、魂がふるえる

■森美術館,2019.6.20-10.27 ■塩田千春は早々に絵画を捨てパフォーマンスに切り替えたのね。 泥の中でドロドロする彼女は水分多めが好みにみえる。 泥水ドレスやチューブ血管も・・、でも次第に乾きに向かっていった。 毛細血管の赤い糸は霧となって蒸発し、火事現場の黒い糸は記憶を含んだ残煙のよう。 乾いたほうが魂がふるえ易いのかもしれない。 塩田千春を知ったのは舞台美術だった。 新国立劇場の「 タトゥー 」では窓枠を吊るし、「 松風 」では黒糸で舞台前面を網のように覆っていたのを覚えている。 ドイツの舞台も展示されていたのが嬉しい。 キール歌劇場で「トリスタン」「ジークフリード」「神々の黄昏」を手掛けているけど、彼女はドイツ語圏オペラが似合っていると思う。 しかもドイツ在中だとワーグナーは外せない。 演劇では「冬物語」「オイディプス」。 これをみてオペラは糸網、演劇は窓枠で勝負しているのがわかる。 この勝負は正解よ。 やはりパフォーマンスとしての舞台美術では彼女の身体が疼くのね。 帰り、エスカレータを降りる時に白糸で覆われた船が何艘も飛んでいたのが目に付く。 (エスカレータが)動いているから大空の中で出会ったような感覚が持てたわ。 *館サイト、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/shiotachiharu/index.html ■フィイクニュース? ■出展:会田誠,袁廣鳴,周鉄海 ■会田誠が安倍総理の真似をして国連で演説する姿は本物よりカッコイイ。 *館サイト、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamcollection010/index.html ■走泥社-現代陶芸のはじまりに ■走泥社と言えば八木一夫かしら。 解説文を読む展示で作品は付け足しのようね。 *館サイト、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamresearch007/index.html ■高田冬彦 ■初めて聞く名前だけどビデオ作家らしい。 11作品を上映していたけど都合で1本だけ観る。 *館サイト、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamscreen011/

■クリスチャン・ボルタンスキー

■国立新美術館,2019.6.1-9.2 ■2度目のボルタンスキーだ。 庭園美術館の狭さとは違った感触がする*1。 多くの作品が一気に目に入ってくる。 薄暗い会場の中、電球の古い光に照らされる<遺影>をみていると過去が滲み出てくる。 それは歴史へ人類へと広がる過去だ。 このような感覚が持てるのは現代では実家の仏壇を覗き込む時くらいしかない。 仏壇でもこれだけ広がらない。 「南ヨーロッパの教会」をイメージして会場を作った。 ボルタンスキーがインタビューで答えている。 「教会へ行くと少しだけ<聖なるもの>に出会える。 教会を出ると直ぐに日常に戻る・・」。 彼は六本木に教会を作ったのだ。 ところで会場入口横でビデオが上映されていた。 内容はゲロゲロとナメナメの2本で馴染みのない客なら衝撃を受けるはずだ。 最初にこの作品を持ってくるボルタンスキーは今回の展示会によほど自信があるらしい。 *1、「 アニミタスさざめく亡霊たち 」(庭園美術館,2016) *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2019/boltanski2019/