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■牧歌礼讃/楽園憧憬、アンドレ・ボーシャン+藤田龍児

■東京ステーションギャラリー,2022.4.16-7.10 ■アンドレ・ボーシャンと藤田龍児の二人は40代後半に絵画を人生の伴侶にしたようです。 どちらも画風はアンリ・ルソーを思い出させます。 木々や花々を対象にした素朴派の仲間でしょうか? 藤田龍児に近づくとスクラッチで細かい線が描かれている。 例えば木々の葉脈や建物の煉瓦などに。 離れると線が面にグラデーションとして溶けていく。 ここに微妙な自然が現れます。 ポーシャンは園芸家だけあって花には自信がありそうですね。 抽象に画いても生命が宿っています。 二人の決定的な違いは人物描写でしょう。 藤田の描く人は孤独です。 画面には寂しさが隠れています。 時々それがヒョッと現れる。 彼のそばにはいつも犬が寄り添っている。 犬好きの私にはホッとします。 ボーシャンにはそのような孤独は感じない。 安心してみていられます。 感情が薄いのでツマラナイとも言える。 でも二人の絵は会場の煉瓦の壁と微妙に共振し活き活と震えていました。 *美術館、 https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition.html#section01

■スコットランド国立美術館、美の巨匠たち

■東京都美術館,2022.4.22-7.3 ■ルネサンス期以降の幅広い作品が集められているわね。 でも有名作家の作品はロンドンに劣るのは免れない。 寄贈寄付で収集を広げてきたから多種多用になるのは致し方ない。 1章・2章のルネサンス・バロックでは「卵を料理する老婆」(1618年)が<目玉>よ。 ヴェロッキオ、グレコ、ルーベンスはまあまあかな。 3章グランドツアーと4章19世紀開拓者はフランス画家が目立つ。 ここでは英国の画家に出会えたのが一番。 ゲインズバラ、レノルズ、ラムジ・・。 ターナーとミレイは1枚だけ。 この2枚は光っていた。 さすがね。 知らない英国画家も入り混じりエディンバラの地で常設展を観ているような内容だった。 *美術館、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2022_scotland.html

■吉阪隆正展 ■井上泰幸展 ■TCAA受賞展、藤井光と山城千佳子 ■光みつる庭/途切れないささやき

*以下の□4展示を観る。 ■東京現代美術館,2022.3.19-6.19 □吉坂隆正展,ひげから地球へパノラみる ■ヒゲ顔は写真で知っていたが吉阪隆正の展示会は初めてだ。 作品に個人住宅が多いことと都市計画の為だろう。 どちらも美術展に似合わない。 会場は文章や表が多い。 彼の全体像を描こうとしているのがわかる。 というのも建築以外の活動が派手だからである。 彼は 今和次郎 とル・コルビュジエに師事していた。 この組み合わせは新鮮だ。 彼の作品はシルエットがコルビュジエ的だが、そこに民俗学的要素が散りばめられている。 特に内装は後者に偏っていく。 <乾燥ナメクジ><歩きテクト>と言われていたようだが、ナメクジのように地をごそごそ這いまわり、辺境を歩きまわり肌で感じる。 住むとは何かを身体と生活を通して考える・・。 そしてもう一つ、彼は登山家としての実績も凄い。 むしろ登山家が職業ともいえる。 建築と登山を二つの焦点として「地球規模の活動」を目指したと言えよう。 *美術館、 https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/takamasa-yosizaka/ □生誕100年特撮美術監督井上泰幸展 ■円谷英二のスタッフの一人として井上泰幸の名前があったのだが現役当時は誰も気が付かなかったろう。 ラドンやモスラ、そしてゴジラ・・、すべての怪獣に彼の手が入っていたことを知ったのはずっと後だ。 当時の怪獣たちはリアルそのものだった。 今みると安っぽさはあるがリアルとは違う存在感が迫ってくる。 モノとしての模型はホンモノとは違うオーラが出ている。 終章に「岩田屋ミニチュアセット」が展示されていたが映像に撮られた以上に圧倒感が押し寄せてくる。 *美術館、 https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/yasuyuki-inoue/ □TokyoContemporaryArtAward2020-2022受賞記念展,藤井光&山城千佳子 ■どういう賞だか知らない。 藤井光の作品はそれ自体は面白くないが背景を知ると興味深い。 「・・戦後、日本人絵画をめぐる議論をアメリカ占領軍が残した公文書から考察する」作品である。 特に占領軍の音声が状況を教えてくれる。 ただし本物の絵画は展示していない。 絵画を梱包した

■マルジェラが語る「マルタン・マルジェラ」

■監督:ライナー・ホルツェマー,出演:マルタン・マルジェラ(声),ジャン=ポール・ゴルチエ,カリーヌ・ロワトフェルド他 ■DMM・配信(ベルギー&ドイツ,2019年) ■マルジェラ本人が自身の声?でたっぷりと語ってくれる。 でも一度も姿は現さない、手は見えるけどね。 「人前に出たがらないのは戦略ではなくて本心・・」、「仕事を語るのがきらい」と言っている。 彼の作品が嫌いな人も多かった。 批判に耐えかねて性格がそうさせたかも。   過去資料を持ち出して子供のころから引退までを彼は淡々と話すの。  履歴物語ね。 淡い色と白を基調にしていているがカウンターカルチャーは抜群よ。 シュルレアリスムを取り込んでいることもその理由かしら? 地下足袋を参考にした靴、モデルの顔を布や長髪で隠すのもマルジェラ同郷のルネ・マグリットやポール・デルヴォーに繋がる。 「自由にみて感じてもらいたい」と言っている。 現代美術をみている感覚でファッションを語れるのがマルジェラだと思う。 前回の「 マルジェラと私たち 」と今回の作品でまた一歩マルジェラに近づけたわね。 *映画com、 https://eiga.com/movie/92459/

■篠田桃紅展 ■1960-80年代抽象 ■諏訪未知

■東京オペラシティアートギャラリー,2022.4.16-6.22 □篠田桃紅展 ■篠田桃紅の書→絵はゆらゆらゆらぐ柳の木を描いているかのようです。 しかし棘らしき線にも見える。 柔らかさのなかに厳しさがある。 どっしりとした四角い太い面に先鋭な線はもはや華道ですね。 和紙に花器を描き花を生けている。 空白が気にならないのは書が原点にあるからでしょう。 それにしても円や曲線が無い。 息が抜けない。 「抽象は無秩序か空疎な形状に陥りやすい」から気を緩めなかったのでしょうか? 書から入った彼女は「文字の制約から自由になりたい」一心でニューヨークに渡り抽象絵画に近づいていったようです。 会場内で上映していた「日本の書」(ピエール・アレシンスキー監督、1957年制作)のドキュメンタリーは面白い。 江口草玄が筆を買う場面で以前に観ていたことを思い出しました。 後半に篠田桃紅が滑らかな肢体で柳のような線を描く姿は芸術と言えます。 あらためて日本は書↔絵に囲まれていると認識させられました。 *美術館、 https://www.operacity.jp/ag/exh249/ □1960-80年代の抽象 ■画家30名強の抽象画が並んでいる。 これだけの作者に出会えるとは、2階のコレクション展はいつも裏切らない。 *美術館、 https://www.operacity.jp/ag/exh250.php □諏訪未知 ■ほんわりな色と形そしてリズムは時間と空間を移動して美術館まで来た観客を歓迎しているかのようです。 *美術館、 https://www.operacity.jp/ag/exh251.php

■ピエール・ボナール「プロヴァンス風景」 ■没後50年、鏑木清方展

■国立近代美術館,2022.3.18-5.8 □ピエール・ボナール「プロヴァンス風景」 ■ボナールはこの1枚しかなく、その周りには関連画家の作品十数枚が並んでいる。 初めてみる絵です、たぶん。 色も筆使いもボナールですが抽象が進み過ぎている。 視神経の冒険!? いつもの黄金に輝く生活空間が見えない。 ボナールをみる喜びがやってきません。 ところでマティスとピカソのボナール評は真逆と知りました。 「未来まで偉大な画家・・」に対して「ボナールを語るのは止めてくれ・・」。 ピカソのボナール嫌いの詳細は追いませんでしたが・・。 *美術館、 https://www.momat.go.jp/am/exhibition/pierrebonnard2022/ □没後50年鏑木清方展 ■明治時代に戻った雰囲気が会場に漂っています。 しかも沢山の美人(画)に囲まれて楽しいですね。 衣装や髪型も最高です。 どちらも知識は持っていないが惚れ惚れします。 昭和初期までの湾岸沿いの匂いがする「生活をえがく」章は気に入りました。 しかし「物語をえがく」と同様に演技している顔表情です。 単眼鏡は必要。 画家の言う「小さくえがく」、つまり「卓上芸術」と「床間芸術」の違いも知ることができた。 前者は会場で後者は自宅で鑑賞するものらしい。 清方の小さな絵は自宅でくつろぎながらみるのが良い。 なぜなら物語が多いからです。 ビデオのようなものでしょう。 *美術館、 https://www.momat.go.jp/am/exhibition/kiyokata/