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9月, 2015の投稿を表示しています

■オスカー・ニーマイヤー展-ブラジルの世界遺産をつくった男-

■東京都現代美術館,2015.7.18-10.12 ■「ニテロイ現代美術館」が円盤になり空を飛んでいるのを見て人形劇サンダーバードを思い出してしまいました。 「ブラジリア大聖堂」はロケット発射台、「アシス教会」はロケット格納庫、そしてトレーシー一家が住んでいそうな「カノアス邸宅」、ブラジリアは近未来都市の舞台セットにぴったりです。 ニーマイヤーの建築物は20世紀の青春がそのままレトロ化されて現前しているようです。  ル・コルヴュジエが見え隠れするが気にならない。 カラっとしたダイナミックの中に人間の懐かしい匂いがあります。 行ったことのない大陸ラテンアメリカを意識します。 ■20世紀最後の巨匠オスカー・ニーマイヤー ■監督:M=A・ウォンバーグ ■展示室で上映していたドキュメンタリーです。 ついつい引き込まれて1時間すべてを見てしまいました。 彼の建築を忘れていた理由が分かった。 20年の軍事政権が続いた為、それと乾燥の奥地ブラジリアの地球距離の遠さです。 1967年の皇太子訪問ニュースを見て、50年前まで十数万人の日本人がブラジルへ移住していたことが信じられない。 日伯外交樹立120周年記念にニーマイヤー展を特集したのは正解でしょう。 但し副題に「世界遺産」の言葉を入れたのは官僚的場違いです。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/oscar-niemeyer.html

■アンリ・カルティエ=ブレッソン-瞬間の記憶-

■監督:H・ビューラ,出演:H・C=ブレッソン,I・ユベール,A・ミラー ■(スイス・フランス合作,2003年作) ■ブレッソン本人が写真を手に取って言葉を付け足していくドキュメンタリーである。 「瞬間の芸術である」「配列と構図が重要である」「方針も規則も無い」。 作品の核心を突く言葉が続く。 そして彼は絵画にも接近する。 「写真は短刀の一刺し、絵画は瞑想である」。 彼を知る写真家たちが時々コメントする。 イザベル・ユベールも顔を出すが写真を見る感性は素晴らしい。 「シャッターを本能的に押している。 そして見事な構図である」「言葉を語り終えた瞬間である」。 女優らしさが出ている。 アーサー・ミラーがマリリン・モンローの表情を深読みするシーンは面白い。 又ブレッソンが撮った華やかさの裏側にあるアメリカの暗さが、レーガン時代では直視できなくなるほど悲惨になってしまったことを語る場面は作家の面目を保っている。 最後にブレッソンは言う。 「写真は死なない」。 *映画com、 https://eiga.com/movie/52991/

■この世の名残り夜も名残り-杉本博司が挑む「曾根崎心中」オリジナル-

■感想は、 http://twsgny.blogspot.jp/2015/09/blog-post_28.html

■あえかなる部屋-内藤礼と、光たち-

■監督:中村佑子(*1),出演:内藤礼 ■イメージフォーラム,2015.9.19- ■内藤礼の作品の中に入り、生まれ繋がり死んでいくことを語りあう映画なの。 作品は豊島美術館「母型」。 写真では見ていたけど水が湧き水滴になって池に注いでいるとは知らなかった。 緊張と弛緩があり作者の緻密な美学がみえる。 内藤礼は画面に登場しない。 監督との遣り取りは文字だけなの。 量子力学における観測問題と同じで彼が登場すると作品に影響を与えてしまうからよ。 ほんとうは恥ずかしがり屋なのかもしれない。 ということで監督は困ってしまい(?)市井の女性たちを登場させる。 彼女たちは他者を感じること、寄り添うこと、離れていくことを語り始める。 湧き水が池に向かっていく水滴のような人たちだった。 どこか宗教をも感じさせる。 出来上がったこの映画の感想を内藤礼に聞くと、「大事なものが無くなってしまうから10年後に語ろう・・」。 2015年作品。 *1、「 はじまりの記憶」(2012年) *作品サイト、 http://aekanaru-movie.com/

■フランク・ロイド・ライト

■監督:K・バーンズ,出演:フランク・ロイド・ライト ■(アメリカ,1997年作品) ■ライトの建築物は空と土があれば砂漠でもジャングルでも似合うと思います。 横に伸びる力強さが水平線を受け入れ、重さのある素材が垂直線を受け止めて自然と一体化できるからです。 論じられる作品は「タリアセン」「ミッドウエ・ガーデン」「帝国ホテル」「カウフマン邸落水荘」「ジョンソン・ワックス社」「グッケンハイム美術館」。 個人住宅は住んでみないと何とも言えませんね。 強さで潰されてしまいそうな感じもします。 会社や美術館は個人住宅とは違った独創性が溢れている。 そこで活動する人々にインスピレーションを与えてくれそうです。 「ジョンソン・ワックス社事務棟」は気に入りました。 不倫事件や放火事件で低迷が続いていたが70歳で返り咲くとは凄い。 インタビュでP・ジョンソンが彼を「造形芸術の最高峰である」「天才である。 いつも嫉妬していた・・」などなど称賛していましたが、近代建築家では公私とも異色にみえます。 *Filmarksサイト、 https://filmarks.com/movies/30926

■サルバドール・ダリ、世界が愛した芸術家ダリの超現実的な人生  ■ダリ、科学を追い求めた生涯

■サルバドール・ダリ,世界が愛した芸術家ダリの超現実的な人生 ■監督:A・ロウ ■美術学校でのG・ロルカとL・ブニュエルの出会いがダリにとっては最初のインパクトだったでしょう。 パリでのシュールレアリスム活動中にA・ブルトンと仲違いするが、この時のレーニン批判などたいしたことではない。 これは時代の趨勢ですかね。 そしてダリにとって決定的パートナーでありミューズとなるガラとの出会い。 この二つが彼の人生の分岐点です。 ダリは王政主義かつ無政府主義者で神の存在は認めるが信仰心はない。 カトリック教徒だがミサには行かない、でも死の恐怖は人一倍ある・・。 人生後半は成金趣味のような行動を取りますが彼自身は極めて真面目です。 彼の真摯な思想解釈が物質的で深淵のある、そして郷愁を漂わせる風景として作品群に現れています。 1987年作品。 ■ダリ,科学を追い求めた生涯 ■監督:S・マイケル ■ダリは科学と芸術の融合を考えていたらしい。 初めて知りました。 物理系のアインシュタインやシュレディンガから精神系のフロイトに移ったのも偏執狂的批判的方法を展開させる為でしょう。 数学者R・トム、生物学者J・ワトソンへの接近も始原と形態の興味から来たものです。 疑似科学と言えばそれまでですが、これを乗り越える超現実的才能を彼は持っていた。 2004年作品。

■風景画の誕生-ウィーン美術史美術館所蔵-

■Bnkamura・ザミュージアム,2015.9.9-12.7 ■温泉に入った気分と同じね。 「ああーいい湯だ!」の湯が風景に変わるだけ。 これが「風景画」なの。 頭を空っぽにしてね。 意味を求めない。 聖書・神話・月歴画は風景というより背景だわ。 山々の雪や木々の実、牛や羊の姿形、人々の表情や服装を次々と分節化してしまう。 カトリックからプロテスタントに替わった時に風景画が新たな段階に入ったと書いてあったけど、キリスト教徒は17世紀オランダ画家が描いた「風景画」をどのように見ているのかしら? ところでL・バッサーノの月歴画「1月」と「11月」に描かれている猫は同じ猫よね。 うふふ。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_wien/index.html ■万華鏡展-無限に変幻する光の夢想空間- ■そこのあなた! くるくる回していると切りがないわよ。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/150917mangekyo.html ■秋山秀馬展-漂流- ■なぜかインディアンを思い出してしまった。 このような印を見たことがある。 でもどこか違う感じもする。 一言多いのね。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/box_150917akiyama.html

■鈴木理策写真展-意識の流れ-

■オペラシティアートギャラリ,2015.7.18-9.23 ■「海と山のあいだ」。 波を見ているとあの潮光と潮風と共に太古へ遡ることができます。 「カメラは身体の外に知覚を成立させる驚くべき装置」が納得できました。 「水鏡」。 床ヴィデオはまるで小さな池を覗き込んでいるようです。 知覚を成立させることから熟成させる装置に進化しているようにみえました。 「White」。 焦点が移動していくヴィデオ作品をみて「白い印画紙、白の雪のイメージ、その境界線は私たちの側にある」ことに再び頷いてしまいました。 ところで雪の色を出すのは難しいのですか? 「SAKURA」。 桜はいつも焦点が揺れ動きます。 花びらが小さくて沢山あるからでしょう。 「人は写されたイメージに意味を見出そうとする。 だが意味は生まれる以前の状態で見ることを示したい」。 意味を見出すのは作者の存在を意識した時が多いですね。 *チラシ、 https://www.operacity.jp/ag/exh178/ ■水につながる-寺田コレクション水彩画- *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh179.php ■西村有 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh180.php

■最後の印象派1900-20’sParis、もうひとつの輝き

■損保ジャパン日本興亜美術館,2015.9.5-11.8 ■ソシエテ・ヌーヴェルのメンバー約20名の、名前は聞いたことが有るようで無いような、作品も見たことが有るようで無いようなという展示会である。 野獣・立体・表現・未来・構成・ダダの中でどっこい生きていたという感じかな。 でも20世紀初頭の一般美術愛好家には支持されていたのがわかる。 それは多くの作品が豊かな静けさを持っているからである。 特に第1章「エコール・デ・ボザールの仲間たち」の3人はそれが強い。 副題の「もうひとつの輝き」とはこの豊かさを指しているのだろう。 *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/current/3214.html

■ヘンリー・ゲルツァーラ、ポップ・アートに愛された男

■監督:P・ローゼン(アメリカ,2006年作品) ■50年代の抽象表現主義から60年代ポップ・アートの時代変化にヘンリーは上手に乗れましたね。 多くの画家と深い付き合いをしていたからでしょう。 現代美術が認知されない時期ですから彼は辛抱強い努力家と言えます。 しかも自分の世界に閉じこもりがちのアーティストが相手ですから尚更ですね。 ニューヨークでのオープニングはほとんど出席していたようです。 ヘンリーはポップ・アート系の鋭い目を持っていました。 その作品は心に響くかどうか? ウォホールがキーマンだと見抜いたのもこの目の良さでしょう。 メトロポリタン美術館で開催した「ヘンリーの展覧会」は独自の平等主義が貫かれています。 彼はキュレータという職業ですが博物館からの解放を行動力によって成し遂げた人に見えました。 ところでマーク・ロスコが登場するシス・カンパニー「レッド」のチケットが満席で取れなかったのは残念です。 *Filmarksサイト、 https://filmarks.com/movies/57431

■イン&アウト・オブ・ファッション

■監督:W・クライン ■(フランス,1993年作) ■ウィリアム・クラインは「ベトナムから遠く離れて」しか見ていません。 今回の作品はクラインの自伝映画と言えるものです。 前作の「ポリー・マグーお前は誰だ」「ミスターフリーダム」「モデルカップル」「モード・イン・フランス」や写真集,CMフィルムの一部を取り込んで構成されています。 内容は1960年から80年代の巴里フッション界を政治や社会動向に絡め描いている。 1993年の作品ですが、コラージュ技法や派手な色彩で70年代のゴダールをソフトにしたような出来栄えになっています。 *Filmarksサイト、 https://filmarks.com/movies/32622

■ノーマン・ロックウェル-アメリカの肖像-

■監督:M・セトロウ ■ロックウェルは作品の素材や人物を集めて構成・演出しそれをキャンバスに描きとめる。 1937年頃からは写真も使ったそうです。 画家というよりイラストレーターでしょう。 1894年生まれの彼は「金ぴか時代」を引きずった人にみえます。 米国人が言う「幼少期を思い出させてくれる画家」の一人ですね。 1987年作品。 * 2010年「ノーマン・ロックウェル展」

■明治有田、超絶の美-万国博覧会の時代-

■そごう美術館,2015.9.15-10.4 ■明治時代に有田焼が息を吹きかえした一因は万国博覧会があったからよ。 ウィーン(1873年)、フィラデルフィア(76年)、パリ(78年)、バルセロナ(88年)、パリ(89年)、シカゴ(93年)、パリ(1900年)、セントルイス(04年)と30年で8回も万博が開催されているの。 大きいけれど精緻な作品が多い。 万博の好評と輸出の好調で「・・陶工たちの興奮状態から生まれた」と書いてある。 やはりハイな状態で作るとどこか異様な感じもするわね。 絵柄や意匠も多彩だし万国博客の混乱の中に喜んだ顔が見えるようだわ。 花瓶などの装飾品から食器など日常品への変化や、陶磁会社の経営失敗から20世紀初頭は既に下り坂。 藩や皇室への提供も含め普通に戻った感じがする。 200点もの作品と「香蘭社」「青磁会社」「深川青磁」の人と組織を絡めての世紀末日本陶磁史を鮮やかに切り取った展示だった。 *館サイト、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/15/arita/index.html

■エドヴァルド・ムンク-生命のダンス-

■監督:セルヴィ・A・リンドセット(ノルウェー,1997年作品) ■好き嫌いや上手い下手で見たことがない。 それがムンクの絵です。 女性週刊誌の記事を昇華させ絵にしたように思えるからです。 絵を見るというより覗くようにです。 人間を覗くのです。 ムンクの履歴書を映像にした作品です。 両親・兄弟・親戚・恋人・友人らが写真で登場しますが同時に彼の日記が読まれ関連する絵が解説されます。 この三つを重ね合わせるとムンクが生き返える・・。  彼は3人目の恋人を前に「絵か結婚か」で悩んでいます。 選択の人生を苦痛に感じた人だったのですね。 晩年はこれから逃げてしまった。 両親との距離の取り方に失敗したこともあるのでしょう。 死後に寄贈した絵画が1、100点、版画18、000点も結構な数です。 *YouTubeサイト、 https://www.youtube.com/watch?v=i5lrnTmXe3w

■フィールドオフィス・アーキテクツ展

■ギャラリー間,2015.7.10-9.12 ■題名は黄聲遠(ホァン・シェン・ユェン)らが中心となっているアトリエ名なの。 作品は宜蘭(イーラン)という直径15kmの台湾地方都市に点在している。 というよりその地域全体を作品として考えているようね。 地域とその生活の中に建築を見出していく。 「建築は完成して終わるものではない、使用されはじめた後も設計行為は続く・・」。 20年も続いている理由だわ。 彼は作品主義に疑問をもっているのよ。 会場の小さなビデオテレビを見ると子供たちの活き活きしている映像が多い。 遊び場が多い。 そして泳げる場所が多いことは水との関係が上手くいっているのね。 「公共スペースは多様さ・複雑さをそのまま包みこむ・・」。 雨の多い台湾だから天蓋(キャノピー)も考えて作られている。 「公共建築は人を見下すようなものではいけない。 環境に対し余計な負担をかけない・・」。 このように素人にも分かりやすい思想で展開しているのは珍しい。 ゆっくりと時間がすすむ場所は余裕が生まれるからよ。 そしてこの集団の覚え書きの始めの言葉は、「ユーモアを忘れない」。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex150710/index.htm

■モディリアーニ-真実の愛-

■監督:M.デイヴィス,出演:A.ガルシア,E.ジルベルスタイン ■20世紀初頭のアメリカ映画をみているようだ。 派手な銃撃戦もある。 ピカソがアル・カポネでモディリアーニがFBIエリオット・ネスと言ったところか。 パリの匂いがしない。 副題はモディリアーニの恋人ジャンヌ・エビュテルヌの科白に出てくる。 彼女はモディリアーニ35歳の死の二日後に自殺している。 ジャンヌとの同棲は貧困と彼の結核・飲酒・麻薬で乱れている。 彼は他人に対してピエロであり自身に対してニヒリストにみえる。 しかし当時の画家が勢揃いするのは気持ちが良い。 ルノワール、ピカソ、キスリング、スーチン、ドラン、ユトリロそしてJ・コクト、M・ジャコブ・・。 そして彼らの着物パーティやモディリアーニが幻想としてみるパレードの場面は美しい。 2005年作品。 *作品サイト、 http://www.albatros-film.com/movie/modi-movie/

■画鬼暁斎-幕末明治のスター絵師と弟子コンドル-

■三菱一号館美術館,2015.6.27-9.6 ■暁斎の凄さがズズズッと押し寄せてくる展示構成になっている。 一日に200枚も描いていたようだ。 墨のキザキザの動きはもはや文字とみてよい。 小説家になった気分で、文章を書く気分で彼は描いていたのではないだろうか? 小説家が一日200枚書くようなものである。 10点近くのメトロポリタン美術館蔵の作品も楽しむことができた。 それにしてもこんなに太った鯉は見たことがない。 コンドルもそれを真似ているから笑ってしまう。  暁斎は近代に生まれた現代日本マンガ界の先駆者だというのが観終わっての印象である。 *館資料、 http://mimt.jp/exhibition/pdf/outline_kyosai.pdf

■東京オリンピック「エンブレム」と「新国立競技場」

■エンブレム採用中止ニュース(9月1日付)を聞いてホッとしました。 というのはこの作品はいただけません。 五輪背後にいる国家に雁字搦めにされてしまった貧弱なデザインです。 これを撥ねつける芸術的パワーもみえません。 「 ザハ・ハディド 」案の新国立競技場と似ているところがあります。 両者とも生き物としての人間の匂いが想像できない。 オリンピックなのに心身に躍動感がやって来ません。 競技場原案は未来に進むスピード感が救いでしたが修正案は酷すぎる。 お祭りですから特にエンブレムはウキウキするようなデザインにして欲しいですね。 *エンブレムイメージ、 http://www.art-annual.jp/wp/wp-content/uploads/2015/07/110.jpg