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1月, 2014の投稿を表示しています

■ザ・ビューティフル-英国の唯美主義-

■ 三菱一号館美術館,2014.1.30-5.6 ■ 展示内容の章(段落)が細 かくなっていて珍しいわね。 「序」から始まって「美術職人集団」「新たな美の探求」、・・最後の「輝かしい落日」までの16章に分かれているの。 段落名と作品との関係を意識しながら観る必要があるということね。 ところで「主題は持たない」「物語は嫌いだ」と言っているけど、なぜ芸術家とデザイナーが結ばれたのか理由がよくわかなかった。 たまたま新聞に「・・工場で作られた大量の調度品は醜いものばかり」を理由にしているけどホントかしら? 「芸術のための芸術」を信奉している芸術家はデザイナーなんて不要だと考えるのがあたりまえよ。 家や家具の設計、そして食器やブローチも展示されていたけど、「絵画とデザインを一体に考えたこの運動」の真実が見えないの。 でも真面目さと充実した内容の19世紀後半の唯美美術の開催は感謝しきれないわ。 「 フォスター 」 、「 さわひらき 」 、「 英国美術の現在 」 、そして森ギャラリーの「 ラファエル前派 」、・・当分ロンドンが続くわね。 *館サイト、 h ttp://mimt.jp/beautiful/

■フォスター卿の建築術

■渋谷アップリンク,2014.1.3-2.7 ■ ノーマン・フォスターの人と作品がコンパクトにまとめられていて面白さは100点満点です。 彼は工場のような産業用建築から入っていますが、カネとコネがなかった為だと今回知りました。 チャンスを賭けたのはやはり香港上海銀行のようです。 以降の鉄骨フレームとガラス張りの作品群は重い質感を持っています。 このためかガラス張りなのに諄い感じもします。 ジャン・ヌーヴェルの逆ですね。 ロンドンのガーキンとバルセロナのアグバールの違いでしょう。 似たような建物が新宿西口のコクーンタワーですがこれは酷くて比較になりません。 しかし高さの無い建物には諄さがありません。 例えば香港国際空港や北京首都国際空港のターミナルなどです。 諄さと古さの引き換えに、フォスターのガラスは力強さと安心感があります。 これからみると黒川紀章の国立新美術館のフレームとガラスは弱々しく感じます。 素人でも多くの建築家や建物と比較できるのがフォスターの良さですね。 *作品サイト、 http://www.uplink.co.jp/foster/

■UNDER THE BOX、BEYOND THE BOUNDS  ■絵の中の動物たち  ■大田黒衣美展

■UNDER THE BOX,BEYOND THE BOUNDS ■東京オペラシティアートギャラリ,2014.1.18-3.30 ■ 台所で模型飛行機が飛び回っている映像をみて思い出した。 既にさわひらきとは出会っていたのだ。 静寂の中を滑るように飛び回る飛行機は玩具の究極表現である。 今回は最新版の映像を観ることができた。 しかし作品は技巧的で洗練されているが、どうもツマラナイ。 なんというか、中身があるように感じられない。 「DWELLING」の心地良さが無いのだ。 「心地よい領域」は「個人の記憶」から来るものなのか? 飛行機は自身の記憶にも大きな影響を持っているので納得はできるが。 しかしツマラナイ原因は別にある。 それは古くからの実体二元論が比喩的に強調され過ぎているから、かもしれない。 *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh160/ ■ 絵の中の動物たち ■ いつもながらの寺田コレクションを観るのは楽しい。 多くの画家に出会えるからである。 企画展の付録のようなものだがギャラリーに足を運びたくなる一因になっている。 *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh161.php ■ 大田黒衣美展 ■ そして犬のシッポのような、またまた楽しい付録もついてくる。 *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh162.php

■ミヒャエル ボレマンス:アドバンテージ

■原美術館,2014.1.11-3.30 ■ 作品一覧に「・・誰であるか、何をしているかに特別な意味はありません・・」「・・時間を超えた状況、いわば時間が無効になる・・」とあるけど、ウーンその通りね。 人物の多くは俯いていて肝心の目がよく見えない作品が多い。 これは写真からの影響が続いているのではないのかしら? 被写体そのままを切り取る写真は情報量を増やすためカラダ全体を撮りたいのよ。 人物のアップは一部を強調できるけど捨てるモノも多過ぎる。 これで彼の絵には身体全体からみえる生き物としての人の儚さが漂っているのではないのかしら? 今日の日曜美術館で写真を捨て絵画に転向した彼のインタビューを放映していたけど、絵画が生み出す物語の威力を強調していたのも分かる気がする。 やはり写真が生み出すのとは質が違うということね。 *館サイト、 https://www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/317/

■プライベート・ユートピア、ここだけの場所

■東京ステーションギャラリ,2014.1.18-3.9 ■ 英国の雰囲気に満ち溢れていた。 時間も空間もユックリと動いている。 E・プライスの「ウールワースのクワイア」、J・デラの「アシッド・ブラス」「あなたを傷つける洋々な方法」など多くの作品に古さが漂っている。 これが英国流成熟なのか? 奢らず出しゃばらず、そしてユーモアがある。 映像の何本かはテレビ番組のようだった。 世界を知るには各国のテレビ番組を数日間見続けるのが良い。 ニュースなどは日本とは切り込み方が違うし、その国の生活を手っ取り早く知ることができる。 ブリティッシュ・カウンシル、日仏会館や仏文化センタも時々覗かないと面白いイベントを逃してしまう。 東京に住んでいる利点の一つかもしれない。 ギャラリーを出た時ロンドンに行ってきた感じがした。 *主催者サイト、 http://www.britishcouncil.jp/private-utopia

■遠藤彰子展

■上野の森美術館,2014.1.15-28 ■会場に入って迎えてくれたのは馴染みの80年代の作品。 途中から2000年代になったけどこれは凄い! まさに宗教画ね。 巨大な蛸や蜘蛛そして圧倒的な浮遊感。 「最後の審判」のようだわ。 彼女の80年代は茶の時代。 戦後の思い出と青春が一杯詰まっているの。 90年代は青の時代。 豊かになり食事の場面も多く犬や猫も元気で飛び回っている。 でも人の顔はどこか憂いが滲みでている感じ。 そして2000年代の最後の審判!? でも一番好きなのは80年代の作品よ。 広場で子供たちが遊んでいる絵が最高。 みていると目眩がするの。 髪の毛も後ろに靡いて未来へ進んでいる感じがするから。 まさに遊びの原点ね。 60年代の若い作品群「楽園」があったけど2000年代を予言しているようだわ。 そして最新作を観ることができて彼女の大きな物語に出会った感じね。 身体が蘇った展示会だった。 *館サイト、 http://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=33

■クリーブランド美術館展-名画でたどる日本の美-  ■人間国宝展

■東京国立博物館・平成館,2014.1.15-2.23 ■ 鎌倉・室町の神仏から入っていますが独特な雰囲気があります。 この雰囲気こそがシャーマン・リーのものだとおもいます。 中国から離れた日本の微妙で深いところを押さえているからでしょう。 作者も広範囲で初めて聞く名前も結構います。 古さだけ!?と思われる作品もあります。 母語が日本語でない優秀な専門家が収集した作品群にみえます。 粗さと深さのある輝きがあります。 *館サイト、 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1624 ■ 人間国宝展-生みだされた美,伝えゆくわざ- ■ 古い国宝・重文の作品と人間国宝の作品を並べてあるので面白い比較ができます。 しかしクリーブランドからの緊張の為か疲れました。 当時の歴史や文化を意識しますし、陶芸・金工・染織・木竹工・日本刀・人形等々広範囲のためです。 こうなると目が流れてしまいますね。 脳味噌まで届きません。 というか脳味噌オーバーフローです。 プチッ・・ *館サイト、 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1625

■日常オフレコ  ■下村観山展

■神奈川劇術劇場・中スタジオ,2014.1.11-30 ■ 作家5人の作品展である。 30年前に戻ったような刺激の無い作品が並ぶ。 作品よりも、むしろ中スタジオの裏側を見られたのがよかった。 例えば役者用更衣室やシャワー室などなど。 岡田利規lとキュレータのトークセッションがあるようだ。 これを見ないと展示会の本意がわからないのかもしれない。 KAATや演出家が絡んでいるから何かありそうだ。 つむぎねパフォーマンスもあったようだ。 しかし両方とも出席できなかった。 ということで中途半端な状態から抜け出せない。 ・・横浜美術館へ向かうことにした。 *作品サイト、 http://www.offreco.info/ ■ 下村観山展 ■横浜美術館,2013.12.7-14.2.11 ■ 観山の絵は小説の挿絵に適している。 「日野資朝」などはジュニア系小説向きである。 素直な感情が表れているからだ。 逆に心の深層表現は弱い。 「観音図」や「観音」、「弱法師」などはもはや漫画である。 この表層の戯れが良さかもしれない。 「鵜鴎図」は水しぶきには見えない。 「春秋鹿図」の鹿はまるで剥製だ。 しかし「竹林七賢」は逆をついていて面白い。 酒が入らないと観山らしくない。 「三猿」や「馬郎婦観音像」もこの系列でなかなかである。 やっと観山の面白さを見つけた感じだ。 *作品サイト、 http://yokohama.art.museum/special/2013/kanzan/

■いまだ知られざる寺山修司-わが時、その始まり-

■ 早稲田大学演劇博物館,2013.11.26-14.1.25 ■ 寺山修司の家に訪問したような錯覚におちいります。 書簡や日記帳、蔵書やレコードなど身近な物で構成されているからです。 彼の手書きも多いからでしょう。 中学生時代の母への手紙もあります。 山田太一との葉書の遣り取りも結構な量です。 中高生時代の写真もいいですね。 小学校から高校迄の時代は誰もが同じような人間関係を経験しています。 ですから写真の隅々まで雰囲気がわかるのです。 しかし俳句への接近は普通ではない。 そして短歌への方向転換もです。 50冊前後の蔵書は戯曲や演劇論、日本の芸能関係などですがよく見る書名です。 同時代人としては山口昌男が3冊ありましたね。 彼は教育学部に入学したが1年でネフローゼで入院そして退学しています。 今回はいつもと違い大隈記念タワーの10階での開催です。 ここからは彼を迎えた大隈講堂を含め早稲田の森が眼下にみえます。 *大学サイト、 https://www.waseda.jp/top/news/6528

■シャヴァンヌ展-水辺のアルカディア-

■Bunkamura・ザミュージアム,2014.1.2-3.9 ■ 壁画はどう描けばよいのか?の質問に即答えられないわ。 でもこの展示会で答えが少しだけど見えたのに満足。 人体は陰影が少なく単純な仕種のみ、そして目鼻口が明確でない非感情的な顔立ち。 何故これがある種の感動を呼び起こすのか? そして理念を表現できるのか? ツヤの無い油絵で描いた彫刻のような人物像は人間の存在や歴史のエッセンスだけが残り抽象性のある感動に結びついたということかしら? ところで習作の前に立ったとき青の時代のピカソを感じたの。 彼も若い時に出会っていたようね。 新年に相応しい展示会だったわ。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_chavannes/index.html