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5月, 2013の投稿を表示しています

■牧野邦夫・写実の精髄

■練馬区立美術館,2013.4.14-6.2 ■ いやー参りました。 自画像ばかりで。 なぜこんなにも自画像を描くのか? しかも武装してまでも。 三人もの姉に囲まれていた影響もあるはずです。 きつい顔をみれば癌で亡くなるのも頷けます。 レンブラントへの憧れはよくわかりません。 でも岸田劉生の匂いはします。 褐色肌は昭和前半のリアルな色です。 裸婦は日本人独特のセクシーさがあります。 人物以上に静物も同様です。 たとえば食卓の食器や果物も枯れた美を持っています。 後半は風景のあらゆる箇所に亡霊のような顔が描かれています。 服の柄や雲の形にもです。 これが逆に衝撃力を失わせています。 もっと写実に徹することで戦略としての面白さが出たはずです。 *美術館、 https://neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=m10233

■空想の建築、ピラネージから野又穫へ

■町田市国際版画美術館,2013.4.13-6.16 ■ 展示構成はうろ覚えだが。 ・・エジプト誌、ピラネージの古代ローマからロゾイック等の摩天楼まで、コイズミアヤの建物模型、阿部浩のリトグラフだったと思う。 古代遺跡や劇場跡・摩天楼は過去なのか未来なのかわからない。 時間が建物に溶け込んでいるからである。 コイズミアヤの作品は突っ込み不足である。 版画と違って模型は時間を戻したり進めたりすることができない。 阿部浩の石版画には鋭さがある。 これは題材として選択したピラミッドのお陰である。 でも抽象すぎて他章から外れてしまっている。 <空想の建築>は混沌としている時間を内包できる現実の建築が必要らしい。 抽象建築物だけでは混沌を受け止められない。 ■ELEMENTS・野又穫 ドローイング展 ■ 上記企画展の続きにみえるが・・。 「交差点で待つ間に」(2013年)は忠犬ハチ公付近の風景だが、ピラネージの「古代ローマのアッピア街道とアルデアティーナ街道の交差点」のオマージュのようである。 ・・漫画に近いが。 それにしても彼の作品にはピラネージにあるような時間の凝縮度が無い。 それは陰影や暗闇が少ないからである。 光や影は時間の存在を意識させてくれる。 渋谷を描いた「波の光」(2013年)はもはや別物である。 *美術館、 http://hanga-museum.jp/exhibition/index/2013-181

■フランシス・アリス展ーメキシコ編-  ■桂ゆき、ある寓話

■フランシス・アリス展-メキシコ編- ■東京都現代美術館,2013.4.6-6.9 ■ どの作品も嫌味が無くてサラッとした感じね。 とてもいいわ。 質の良いロードムービのスケルトンをみているようね。 だからメキシコシティを遊歩している感じがあるの。 記憶に残った作品は「実践のパラドクス1」「再演」「愛国者たちの物語」。 「貧困地域での芸術活動は必ず搾取になる・・」。 厳しい言葉ね。 「野良犬のようだ」と評論家が言っていたけど、厳しい言葉の実践かもね。 第二期「ジブラルタル海峡」も待ち遠しいわ。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/141.html ■ 桂ゆき, ある寓話 ■ 枯れ草色は子供時代の近所の風景の色かな? 100年前は都心でも落葉樹林にかこまれていたからね。 戦争を挟んでも彼女はとても自由にみえる。 描いた新聞紙が多いけどなぜ本物を使わなかったのかしら? コルクや布は使ったのに。 もし使っていたら社会との距離が違ったはずよ。 自由なようで日本社会の慣習から飛び出るあと一歩のところで留まっていたのかしら? *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/143.html

■レオナルド・ダ・ヴィンチ展

■東京都美術館,2013.4.23-6.30 ■ 「アトランティコ手稿」は小さいのでゆっくりみることができない。 「もしダヴィンチが微分積分学を知っていたら・・」。 どこかの本で読んだ記憶がある。 手稿をみるとなるほどそうかもしれない。 しかしレオナルドは建築や機械、幾何学は決定的ではないと言っているようにみえる。 ミケランジェロをみて急に騎馬像をつくろうとした、と場内の解説にもある。 絵画以外は子供の熱中時代をそのまま大人まで引きずっている感じだ。 というか全てが絵画に集約していくようにみえる。 手稿をみてレオナルドはやはり画家だと納得した。 * 「レオナルド・ダ・ヴィンチ,美の理想」(Bunkamura,2012年) *展示会サイト、 http://www.tbs.co.jp/leonardo2013/

■マリオ・ジャコメッリ写真展  ■写真のエステ  ■日本写真の1968

■東京都写真美術館、2013.3.23-5.12 ■ http://syabi.com/upload/3/1807/giacomelli.pdf ■ ふつうは原色が想像できるけど、彼の写真はそれを許さない。 黒と白にすべてが凝縮しているからよ。 この集中が自ずと構成に対しても敏感になっている。 だから神学生たちは演技かもしれない。 それにしても老人たちの肉体と表情には唸ってしまう。 「善き大地」でやっと色が想像できるようになったわ。 後期作品は衰えがみえる。 というか黒白が強烈すぎて前に進めないのよ。 ■ 写真のエステ、2013.5.11-7.7 ■ http://syabi.com/upload/3/1868/Aesthetica.pdf ■ 去年のコレクション展はテーマと内容がはっきりしていた。 今年のエステはわかりにくいわね。 エステの意味は美学より感性が合っているんじゃない? それは絵画ではなく写真だから。 光・反映・表層・喪失感・参照。 言葉から出発しているからどうにでもなる内容かもね。 引用も多いし。 でも作品を別の角度から論じるので新しい発見もあるとおもうの。 期待したいわ。 ■ 日本写真の1968、2013.5.11-7.15 ■ http://syabi.com/upload/3/1870/1968.pdf ■ 会場は混乱しているんじゃない? 館にある68年前後の写真をすべてを展示しているような感じね。 いままでの企画展の断片があちこちにみえる。 企画展のコラージュだわ。 もっと作品を絞ってちょうだい!

■貴婦人と一角獣展

■国立新美術館、2013.4.24-7.15 ■ http://www.lady-unicorn.jp/ ■ 入場した途端マチスの「赤い部屋」を思い出してしまった。 千花文様を眺めているとどの時代、地域のものでも植物への興味に違いが無いのがわかる。 しかし犬や兔・狐の描き方はどうしようもない。 真面目な六コマ漫画をみているようだ。 タピスリーだからしょうがないのかな? 衣装や髪形はなかなかいけるが。 会場内に高精細デジタルシアター、出口前に映像コーナーがあった。 この2本でやっと全体像がわかった。 金曜日は20時迄開館していたが、ゆっくりしすぎ途中で時間切れになってしまった。 再度行く気はもちろん無い。