投稿

2月, 2012の投稿を表示しています

■重森三玲展-北斗七星の庭-

■ワタリウム美術館,2011.12.4-12.3.25 ■東福寺方丈庭園の原寸大?模型が二点あったがとても窮屈な展示だ。 この狭い館では諦めるしかない。 インタビュや約20の庭園紹介を7,8台のビデオで上映している。 三玲は職人のような顔つき、体格である。 ミケランジェロのようだ。 石を扱うとこのような身体になるのか? 「石を自然から切り離せ」、「古典を再現してはいけない」、「力強くなければ面白くない」と彼は言っている。 作品はこれらの困難をクリアしているからさすがである。 襖や天袋・地袋、掛軸なども作っているが石のノリである。 こちらは好みが分かれるだろう。 庭園ビデオを観ているとズッシリと疲れる。 これも石のせいだ。 イサム・ノグチも登場していたが、彼くらいのデカイ体格でないと並の観客は石の重さに耐え切れないだろう。 *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1111shigemori/index2.html

■ジャクソン・ポロック展

■東京国立近代美術館 ■酒の飲み過ぎで面倒くさくなった。 これでポーリング技法を始めたようにみえるわ。 ドリッピングもスパタリングもその延長ね。 頭を使うオールオーヴァだけはなんとか維持していた。 これが機能していたから作品として成り立っていたのよ。 しかしブラック・ポーリングに向かった時に何故かオールオーヴァを捨ててしまった。 だから後は転げ落ちるだけね。 1945年にクラスナーと結婚してイースト・ハンプトンに農家を買った頃が彼の一番幸せな時だわ。 そして飲酒運転での44歳の事故死は既に決められていたような悲劇だった。 彼は一瞬の間、時代と共に走った。 自身ではどうすることが出来無くても時代が引っ張ってくれる時ってあるのよね。 *館サイト、 http://www.momat.go.jp/Honkan/jackson_pollock_2012/index.html

■都の遊び・王朝の美

■そごう美術館,2012.2.4-3.20 ■パート2が5月から開催されるようです。 これで?会場の大きさから比して作品はスカスカでした。 細見美術館を初めて知りました。 有名画家も多いのですが作品は小物です。 源順、本阿弥光悦、俵屋宗達、鈴木其一、酒井抱一、伊藤若冲など々。 京都の文化・風俗絵が多くていいですね。 京都に根付いた美術館にみえましたが(?)。 京都住民なら散歩がてらにちょっと立ち寄って、しかも何回も通って、観るのに適した作品群です。 風俗屏風があるので人物を見るには単眼鏡が必要です。 次回のパート2と合わせて一つの展示会にしようと考えているようです。 パート2の方が素晴らしい作品が多いのでは?という期待を持たせる構成になっています。 物理的に可能ならば一回で終わらせても良いはずですが、多々理由もあるのでしょう。 *京都細見美術館所蔵Part1 *美術館、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/12/0204_hosomipart1/

■北京故宮博物院200選

■東京国立博物館・平成館 ■「清明上河図」を諦めても混んでる。 音声ガイドを利用した24作品はしっかりと観てきた。 これ以外も盛りだくさんのため13時に入場したが結局は閉館時刻まで居てしまった。 第一部の「故宮博物院の至宝」は文句の付けようがないが、第二部の「清朝宮廷文化の精粋」も面白かった。 出品されていた辞典を見て満州語の翻訳に数集類の言語が載っているのをみるとあらためて多民族国家だと再確認できる。 音声ガイドやキャプションではチベット仏教を含め「多文化の共生」「周辺国との交流」など友好の言葉で溢れていた。 現代政治と絡めたくない中国政府からの要請も強くあったのだろう。 これを除いても故宮博作品の広さと深さには満足である。 *展示会サイト、 http://www.kokyu200.jp/

■イ・ブル展

■森美術館,2012.2.4-5.27 ■描画の線はとても力強くて確信に満ちてるの。 手塚治虫の線ね。 だからグローバル化にも対応できるのかもしれない。 でもこれは沢山の試行錯誤の結果から出てきていることがマーケットプロセスでわかったの。 「嘔吐する犬」の試行版が十数体も置いてあるのをみると犬と嘔吐の関係の凄さが伝わってくるし、白い山と黒い天池の「百頭山」は南北分断の歴史が疼いてくるの。 彼女は努力家で、天才肌ではない。 だから試行錯誤の重みが作品からみえる。 でも綺麗すぎるのが欠点ね。 嘔吐として捨てられたものをいかに作品に戻すかでイ・ブルの未来が見えてくるわ。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/leebul/index.html

■今和次郎採集講義展-時代のスケッチ、人のコレクション-

■汐留ミュージアム,2012.1.14-3.25 ■「自身を見つめ直し豊かな生活をつくりだす為の真の創造をおこなうことが芸術である」。 住居・衣服を中心テーマにして総合的な生活学を構築した今和次郎は言っています。 関東大震災で倒壊後のバラックを対象に「バラック装飾社」を創設したり、「考現学」と称しての風俗調査はアッと驚き!です。 「井の頭公園自殺者地図」、「学生食堂の茶碗の割れ具合」、「オシメの文様採集」・・など々。 また19世紀末のロンドン、ニューヨークで登場したセツルメント運動であるソーシャルワークにも建築を通して接近していて活動の広さも桁違いです。 40年間をジャンパーで通したそうですが金正日の姿を思い出してしまいました。 今は 石子順造 の大先輩にみえます。 今は生活の表側、石子は生活の裏側を歩いた違いがありそうです。 両者が合わさって日常生活に真の深みとコクの芸術性が出るのではないかとおもいます。  *美術館、 https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/12/120114/index.html

■石子順造的世界-美術発・漫画経由・キッチュ行-

■府中市立美術館,2011.12.10-12.2.26 ■彼の仲間というか同志の作品が展示されています。 赤瀬川原平が展示会タイトルを書いていますから顔ぶれが想像できます。 池田龍雄、中村宏、横尾忠則、中西夏之、高松次郎・・。 白土三平、水木しげる、林静一・・。  つげ義春の「ねじ式」全原画が展示されていたので久しぶりにジックリと再読しました。 昔のマッチ箱を並べて見ると日常生活の美が表現されていて納得します。 銭湯の富士山のペンキ絵も生活の中の壮大な風景ですね。  「毒にも薬にもならないものが価値や意味を持つわけがない」。 「絵をみるという約束事から解放したい」。 過激な言葉が次々登場しますが、美術→漫画→キッチュへと感心が移動したのは美術も漫画も体制に組み込まれていってしまったからでしょうか?  評論家の展示会でしたが現代との繋がりがよく見えませんでした。 既に50年経つのですから総括の章があってもよかったはずです。 どちらにしろ絵を前にしての約束事から解放しようとするパワーは沢山貰って来ました。  *館サイト、 https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/ishiko.html

■DOMANI・明日展

■国立新美術館,2012.1.14-2.12 ■未来を担う美術家たち8人の作品展である。 塩谷亮の写実絵画の何枚かが気に入る。 「朝の情景」は位置関係から来るのか観ていて目眩がする作品である。 津田睦美は19世紀末からのニューカレドニアへのニッケル採掘の日系移民をテーマにしているが初めて知った。 スライドショー「ニューカレドニアの日本人」(9分)が上映されていたが、写真の持っている情報量の質と量に納得。 当時の風景が蘇ってくる。 阿部護の工事現場から持ってきたような鉄のドラム缶やコイル巻は置いてあるだけだが計算され尽くしているように見える作品である。 児嶋サコのネズミは人間と同じ哺乳類を意識した絵だ。 ・・・。 感動するような作品は無かったが、未来を担ってくれるとは心強い。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2011/domani2011/