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■超絶技巧!明治工芸の粋

■三井記念美術館、2014.4.19-7.13 ■ http://www.mitsui-museum.jp/pdf/pressrelease140419.pdf ■全ジャンルが飾られている展示室1をみてからジャンルごとの室を回るようになっているの。 室4の七宝と金工には唸るわね。  単眼鏡を持っていったけど小さい意匠がよく見えない。 手に取ってみなければ良さがわからない。 これだけの作品を観ていると凄いけれど諄い感じだわ。 「木をみて森をみず」のような観後感もある。 大きな作品はだめ。 並河靖之も凝縮させるために小さいものしか作っていない。 「木の中に森をみる」ことができるか? 最後の室7の漆工と薩摩。 薩摩には再びマイッタ。 手元において五感すべてでみないとだめね。 村田製作所は聞いていたけど清水三年坂美術館は初めてよ。 この二つが精密や技巧という言葉で技術と芸術が繋がっているのも面白 い。

■佐藤時啓-光・呼吸、そこにいる・そこにいない-  ■スピリチュアル・ワールド  ■JPS日本写真家協会展

■東京都写真美術館、2014.5.13-7.13 ■ http://syabi.com/upload/3/2238/satotokihiro.pdf ■「発光するペンライトや反射鏡の軌跡をフィルムに定着する・・」作品が最初に並べてあります。 ペンライト軌跡は真面目すぎますかね。 反射鏡は源氏と平家を合わせた大きな蛍のようです。 面白いのですがもう一つ感動が高まりません。 それよりもピンホールやカメラ・オブスクラを応用した作品のほうが引きこまれます。 街の風景がひび割れている「CLEANING LIGHTS」や「WANDERING CAMERA」の風景が落ち葉と重なっているような作品群です。 地味ですが気に入りました。 カメラをハンドメイドの道具として使っていて、技術と技能が上手く融合されています。 しかし 心をトキメカスような何かがが欠けています。 自然に対して受動的なこと、そして人が登場しないのが理由でしょう。 ■ スピリチュアル・ワールド-2014年度コレクション展-、2014.5.13-7・13 ■ http://syabi.com/upload/3/2240/spiritual_world.pdf ■この館にある3万点の中から日本の宗教や民間信仰など精神性に富んだ作品を選んだ展示です。 先の「佐藤時啓」の作品とは逆を行っています。 こちらは心を直撃します。 石川直樹「MT FUJI」、土門拳「古寺巡礼」、土田ヒロミ「俗神」、内藤正敏「婆バクハツ!」、奈良原一高「王国・沈黙の園」「ジャパネスク・禅」、藤原新也「全東洋写真・インド」。 過去に見た作品も多いのですが何度見ても呻ります。 ■ JPS日本写真家協会展-公募展第39回-、2014.5.17-6.1 ■ http://syabi.com/upload/3/2246/jps2014.pdf ■入賞作品が約300点。 文部科学大臣賞も東京都知事賞も金賞・銀賞・・も、どれをとっても差がありません。 入賞だけあってレベルは高いです。 差がでないところが現代写真の姿だとおもいます。 理由はカメラがコンピュータの一部に組み込まれてしまっているからです。 「佐藤時啓」の応用はなんとかそこから逃れたいように見えました。

■ジャック・カロ-リアリズムと奇想の劇場-  ■非日常からの呼び声-平野啓一郎が選ぶ西洋美術の名品-  ■公募団体ベストセレクション美術2014

■ 国立西洋美術館、2014.4.8-6.15 ■ http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2013callot.html ■ カロはいつも数点しか見たことがない。 副題にもあるように<奇想>を持った人と認識していた。 しかし奇想は彼ではなく周囲の人々だとこの展示をみてわかった。 もちろん彼の感性は鋭い。 あの腿や脹脛、上腕の躍動感溢れる筋肉の刀使いは素晴らしい。 まさに役者を描いているのだ。 彼は現代で言う演出家だろう。 奇想を持った役者を舞台に上らせて真のリアリズム演劇を版画という劇場で上演しているのだ。 ■ 非日常からの呼び声-平野啓一郎が選ぶ西洋美術の名品-、20164.4.8-6.15 ■ http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2014hirano.html ■ 平野啓一郎の作品は残念ながら読んでいない。 小説家らしい。 このためか会場にある解説文は面白い。 たとえば死とエロティズムの違いは「エロティズムは反復性だが死は一回性である」。 妄想が幻視と違うのは「時間を重ねて膨らんでいくもの・・」。 死は「他者の死をみて納得していくしかない」、そして「近い他者の死と、見知らぬ他者の死は違う」。 タイトルにもなっているが芸術作品とは「日常から連れだしてくれる呼び声である」。 解説に合わせて平易な作品を選んでいる。 というより解説が上手なので作品もわかり易いと騙されているのかもしれない。 グリコ(=カロ)のオマケのような展示会である。 ■ 公募団体ベストセレクション美術2014 ■東京都美術館、2014.5.4-27 ■ http://www.tobikan.jp/exhibition/h26_bestselection2014.html ■ ・・時間が余ったので都美に寄り道した。 27美術団体のイチオシ163点が展示されている。 しかし疲れる。 前回の光風会(*1) の1000点より楽だが。 作品の質も良い。 イチオシだからだろう。 絵画より彫刻が気に入った。 なぜなら地下ギャラリーの彫刻室に入ると疲れが吹っ飛んだからである。 版画もあったが絵画より新鮮な感じだ。 ということで今日はここまで。 *1、 http://ngswty.blo

■法隆寺-祈りとかたち-  ■バルテュス展

■東京芸術大学大学美術館,2014.4.26-6.22 ■ 東日本大震災復興祈念の開催よ。 聖徳太子をとても意識する展示になっているの。 太子像は10点くらいあったかしら? 中でも「二歳像」が一番可愛かったわ。 「金堂壁画模写」も10枚くらい展示されていたけどどれも素晴らしかった。 こんなに近くから見たのは初めてだもん。 圧倒されたわ。 国宝は「毘沙門天立像」と「吉祥天立像」の二点。 夫婦だったのね。 それでどこか日常的な表情を持っているのね。 会場は2階に分かれていて厄介だけど、立像間に距離があるからいろいろな角度からみることができるの。 この美術館は立像の見せ方が上手い! 「 興福寺仏頭展 」 の立像群も良かったのを覚えているわ。 ・・さて次は待望のキトラ古墳壁画よ。 *館サイト、 http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2014/horyuji/horyuji_ja.htm ■バルテュス 展 ■東京都美術館,2014.4.19-6.22 ■ なんとキトラは2時間待ち。 30分くらいなら並んでもいいと思っていたけど諦めるしかない。 残念ね。 玄武や白虎に会いたかったのに。 急遽変更して近くのバルテュス展へ! 少女画もいいけど風景画も最高ね。 ザラザラした表面の、光を閉じ込めたような質感は素晴らしいわ。 スキャンダラスな絵を描いた始まりは貧乏から抜け出したい為だったのね。 今回は節子夫人の協力があったからこれだけの作品を集められたのね。 アトリエや和服姿のバルテュスも見ることができて楽しかったわ。 帰りに絵葉書を1枚買ったの。 何だとおもう? 「おやつの時間」よ。 絵のなかの少女は食卓の中央を見つめているけど、そこには何も無いの。 でも何か置いてあったような跡があるから、少女はそれを思い出しているのよ。 *館サイト、 http://www.tobikan.jp/exhibition/h26_balthus.html

■映画をめぐる美術-マルセル・ブロータースから始める-

■東京近代美術館,2014.4.22-6.22 ■ 映画を観るのではなく、読む、聞くがキーワードのようです。 携帯でYOUTUBEやMP3の解説を聞きながら作品を見て回る仕組みです。 会場に入るとM・ブロータースの作品が数本上映されています。 そして黒幕で囲われた6本の通路がありその奥に作者ごとに展示されています。 かなりひねりの効いた作品もあります。 十数本あるので総て観ると1日かかるでしょう。 ですから作品の断片をみて満足した時点で次に移ります。 短い作品は違いますが。 印象深かったのは実験映画というよりドキュメンタリー風の、E・ボードレール「重信房子メイ足立正生」、A・サラ「インテルヴィスタ」の2本です。 映画は時間的リズムがあるのでそれにシンクロナイズしないと映画的感動が起きません。 しかもベンチは小さいしユックリできない。 そのように観たいなら映画館へ行けということです。 キーワードの見方に興味を持っていれば面白いのかもしれませ ん。 *館サイト、 http://www.momat.go.jp/Honkan/readingcinema/index.html

■ルドルフ・シュタイナ展-天使の国-

■ワタリウム美術館,2014.4.23-6.13 ■ 天使館のオイリュトミー舞台は時々観ていたけど、忘れていた名前シュタイナー。 これは彼の講義録つまり黒板ドローイングと建築・家具・ジュエリーなどデザインの二分野の展示なの。 ドローイングはキャプションを読んでも意味深だわ。 ビデオはすべて建築関係よ。 第一ゲーテアヌムの歴史、ドルナッハの丘の建物群、そして第二ゲーテアウム見学の3本。 この3本を観て建築の全体像が見えてきた。 煙突は木のようだし、植物的生物的な匂いのする建築が多い。 芸術表現はそのままイデアであるという考え。 そしてモノもココロもひとつの現実世界よ。 家具をみてもゲーテアヌム建築の形が宿っているようにみえる。 宇宙に繋がる統一感に満たされている感じね。 カンディンスキーやル・コルビュジエも彼の影響を受けたとあったけど、二人の作品をみてもこの統一感を持っていることから納得できる。 ゲーテは読むしM・エンデは大好きそして笠井叡のファンだということで、シュタイナーは昔からいつもそばにいたの よ。 *美術館、 http://watarium.co.jp/exhibition/1403steiner/index2.html

■桑原甲子雄の写真-トーキョー・スケッチ60年-  ■陶芸家・吉田喜彦展  ■鼻煙壺の魅力-沖正一郎鼻煙壺コレクション-

■ 世田谷美術館,2014.4.19-6.8 ■ 桑原は都市を歩きまわるのが好きなのだ。 そして都市の中にある人・物・事のどれも差別しない。 だから30年代の作品は面白い。 看板やバス停に書かれた文字、本屋の雑誌の記事名や著者、新聞の見出しや広告文章に釘付けになる。 プロマイド屋の写真を一枚一枚見ていく楽しさは劇中劇と同じ写真中写真である。 浅草では劇場の上演時間表を見ているだけで役者たちの生活が想像できる。 この時代の桑原はベンヤミンのごとく遊民になれたので都市の真髄を撮れたのだ。 しかし戦後はその生き生きした写真が消えていくようにみえる。 たとえばパリ。 「人間都市パリ」はパリの人間を撮ってしまった。 そこに都市を歩きまわる喜びは無い。 撮るための使命感や都市が分解してしまった興味が漂っているだけだ。 *館サイト、 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/past.html ■ 陶芸家・吉田喜彦展 ■ これは素晴らしい。 チラシに「・・もの静かで、温かみのある、自然で、品格のある形」とあったが、まさにその通り。 会場を入ってすぐに80年代の作品が並んでいたが、作品の安定感というものに惚れ惚れしてしまった。 また指描文大皿の柔らかさのある感触もふっくらとした美味しいパンのようだ。 このような感覚を持てる陶磁器はめったにない。 ■ 鼻煙壺の魅力-沖正一郎鼻煙壺コレクション- ■ これも面白い。 嗅ぎたばこを入れる容器を鼻煙壷と言う。 調味料の容器だと勘違いしていまった。 煙草を入れるので大人が楽しめるデザインになっている。 と言っても大人のオモチャではなく芸術作品として作られているのがいい。 陶磁器やガラス工芸をみているようである。 今日は連休だったが混んでいなかった。 砧公園の新緑も素晴らしかった。