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■日本の家-1945年以降の建築と暮らし-

■東京国立近代美術館,2017.7.19-10.29 ■独自の体系で解説も面白い。 知っている作品も思想的背景が理解出来て深みの増す展示会でした。 2章で1945年以降を戦後復興期、高度成長期(1960年ー)、バブル崩壊以降(1991年ー)の3つに分けます。 しかし建築も「系譜を辿ると拡散してしまう」とミシェル・フーコの言葉で釘を刺します。 これに沿って3章からは共時的視点でテーマが展開していきます。 作品をみていくと欲しい家が分かってきますね。 10章の「さまざまな軽さ」から柱や壁や屋根を薄く細く軽くして少しでも広い部屋に住みたい。 うさぎ小屋の狭さから逃げたい。 そして日本は塀をキッチリと作り雁字搦めに陥っています。 5章「閉鎖から開放へ」、13章「すきまの再構築」も取り込みたい。  家財道具を減らすことも必要です。 有名建築家の作品ほど家財道具を置けない構造になっている。 モノを持たない生活は心身が解放されるということですか? 溢れかえる本やCDが一杯なのは他人の仕事や趣味まで建築家は踏み込まないからでしょう。 一番気に入ったのはポニーを庭に放し飼いする家です。 これは楽しい。 犬はわかりますが、しかし馬は想像するしかない。 8章「家族を批評する」はパートナーから他者までを拡張して家の構造を考えています。 珍しいテーマなので興味を惹きました。 それはともかく日本ではシンプルで安くて広い家が多くの柵から解放してくれるとおもいます。 住宅後進国は終わっていません。 *館サイト、 http://www.momat.go.jp/am/exhibition/the-japanese-house/

■田原桂一、 光合成with田中泯

■原美術館,2017.9.9-12.24 ■「1978年秋、パリで邂逅した二人は光と身体の関係性の探求を始める・・」。 二人とは田原桂一27才と田中泯33才。 1980年までの3年間に撮った作品50枚が展示されている。 全てがギラギラザラザラしている。 田中泯の肉体に砂か汗が付いてそれが光っているようにも見える。 いや、皮膚そのものだ。 粒子の荒さだけではない。 日本の光と影でもない。 確か室伏鴻に似たような写真があったのを思い出す。 ここまでギラザラしていなかったが。 近況の田中泯の乾いたダンスからも掛け離れている。 微妙な違和感から当時の舞踏を考えてしまった。 舞踏が世界に広まった時期でもある。 田中泯もこの時が海外初デビューだったはずだ。 土方巽も大野一雄への演出を前年におこなっている。 時代もギラギラ感がまだ残っていたのだろう。 もち二人もギラザラ真っ只中だったと分かる。 館内ショップに立ち寄る。 田原桂一の著書は10冊程あったが天使像を撮ったカラー作品が目に留まる。 色の微妙な艶がとてもいい。 特に赤系統の色に地中海の空気を感じる。 日本とは違う黄系や緑系にはいつも感心するのだが赤は初めてである。 彼は今年6月に亡くなっている・・。 *田原桂一、 http://www.keiichi-tahara.com/html/cn18/pg317.html

■DARK STAR、 H・R・ギーガーの世界

■監督:ベリンダ・サリン,出演:H・R・ギーガー ■東京都写真美術館・ホール,2017.9.9-(2014年作品) ■「エイリアン」の影響が強すぎてギーガーはよく知らない。 顔をジックリ拝んだのもこれが初めてよ。 彼の作品には生物の誕生・生殖・死が見え隠れしている。 彼の絵をみることは永遠の彼方にある生命の根源を探す旅に出るということね。 誕生・生殖・死そして永遠・・、この繰り返しを感じながら生命と向きあうことになる。 「エイリアン」はそれを娯楽的に見せてくれる。 主人公の女はエイリアンを身籠り産み落とす。 人類の恐怖だわ。 でも生物6億年の歴史はそのようなものだったとギーガーは言いたいのかもしれない。  庭に作った幽霊列車は最高よ。 これをみてギーガーを一層好きになっちゃった。 *作品サイト、 http://gigerdarkstar.com/ *2017.9.13追記。 帰ってから「プロメテウス」を借りてきて再度観る。 今日の作品に数場面が映っていたからよ。 ところでアンドロイドのデイヴィッドには死が無い。 デイヴィットは言う、「あなたたちが私の創造主だ・・」と。 これはエイリアン・シリーズの欠点かもね。 でもこれを乗り越えて「エイリアン」が面白いのはH・R・ギーガーの闇に漂う生と死の風景とリドリー・スコットの職人的な腕の良さがあるからだと思う。 *2018.1.20追記。 「エイリアン・コヴェナント」を観たけどこれは酷い。 リドリー・スコットも老いてしまったのね。 エイリアンの描き方も悪かったけどアンドロイドが失敗の原因よ。 バイロン、ワーグナー、キリスト、ミケランジェロ・・。 デヴィッドは新型アンドロイドであるウォルターとは違う。 その違いで彼は西欧2000年の歴史に雁字搦めにさせられてしまった。 「プロメテウス」を乗り越えられなかった。 もはや「ブレードランナー」まで戻らなければ・・。 ところで「ブレードランナー2049」はまだ見ていないの。 先日、監督ドゥニ・ヴィルヌーヴの「メッセージ」をみたけど最悪なのよ。 だからとても心配だわ。

■オラファー・エリアソン、 視覚と知覚

■監督:ヘンリク・ルンデ,ヤコブ・イェルゲンセン ■アップリンク,2017.8.5-(2009年作品) ■映画の中の「ニューヨークの滝」を見て唸ってしまった。 エリアソンの目の付け所の良さにである。 本物をニューヨークの風景の中でみることができたら色々感じ取ることができただろう。 彼はアイスランドに住んでいたらしい。 むき出しの自然との関係が彼の身体の奥深くまで染み込んだのが分かる。 「カラダを自然に差し出す」こともしている。 作品をみる時それが体感を通して微かに届くからである。 彼が言う「何かの正体」だとおもう。 クリストの梱包芸術とは対照的だ。 「ニューヨークの滝」はとても分かり易い。 彼の思考の柔軟性にも驚く。 アイスランド世界を通過した結果だろう。 ディレクタが「・・記者会見の席ではシンプルという言葉は使うな」と彼に忠告していたのが面白い。 これは17億円もかかるカネのことで言ったのだが。 彼の作品は作成過程で多くの協力者が必要である。 緩やかな組織体制にみえたが多分強力に支える何かが有るのだろう。 この何かは映画では語られなかった。 ところで開催中の横浜トリエンナーレにも出品している*1。  *1、 「ヨコハマトリエンナーレ2017(オラファー・エリアソン)」 *作品サイト、 http://www.ficka.jp/olafur/