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2月, 2013の投稿を表示しています

■都美セレクション・新鋭美術家

■ 東京都美術館、2013.2.19-3.7 ■ http://www.tobikan.jp/museum/2013/sineibijyutuka.html ■ 新鋭画家6名で約50点の展示会である。 都美リニューアルオープンでの新事業の一つらしい。 今林明子と嶋崎達哉以外はどこかで観ていることに気がつく。 多くは非現実のような現実を描いている。 作家の言葉が掲げてあった、 「10代から感じている日常の不安や虚無感が・・」「中学時代の浮遊感や違和感が・・」「中学時代の教師の影響が・・」。 どれも10代の頃の意識の有り様が原点にあるようだ。 作品ともども内向志向が強い。 世界への関わりをもっと貪欲に取り込んでくれ。

■琳派から日本画へ-和歌のこころ・絵のこころ-

■ 山種美術館 、2013.2.19-3.7 ■ http://www.yamatane-museum.jp/exh/current.html ■ 琳派だけではアウェーになってしまう。 副題の「和歌のこころ」が付いてホーム・アンド・アウェーになるのね。 所蔵品が多いといくらでも企画を拡張できるから楽ね。 でも安易すぎるかも。 和歌が入ると日本美術全体に広がってしまうから。 前半は「石山切」「戊辰切」の8点がいいわね。 宗達、光琳、抱一は軽さの有る作品が多いし、後半もホーム寄りの画家が散らばっているから散歩の途中に寄るには最適ね。 「深江葦舟」が後期展示で見られなかったのは残念だわ。

■飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡-

■東京国立博物館・本館、2013.1.12-4.7 ■ http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1556 ■ 先日の展示会「白隠」(*1) を思い出してしまいました。 彫刻と書画の違いはありますが、円空は白隠と同じ考え方・生き方をしたのでしょう。 両者の膨大な作品数(白隠1万点、円空10万体)をみてもわかります。 まさに庶民信仰の為にです。 いつの時代でも老病死は無くなりませんから。 代表作「両面宿儺坐像」はやはりいいですね。 どっしりとした安定感と切れ味が光っています。 *1、 http://ngswty.blogspot.jp/2014/01/blog-post_17.html

■絶対風景  ■日本の美・伊勢神宮

■富士フィルムスクエア、2013.2.22-3.13 ■ http://fujifilmsquare.jp/detail/1302220123.html ■ 絶対風景の略が絶景ではないようだが、しかし絶景かなである。 日本の森林率は70%で先進国ではノルウェイ、スエーデンに次いで三番目、海岸長は世界6位とあった。 この数値からも絶景が生まれる確率は高いはずだ。 絶景は写真家の心情があまり入らないから素直に見ることができる。 彼らが努力したことは分かるが運良く撮れたような作品が多い。 しかし星野佑佳は少し違う。 美ヶ原、魚沼、川上町、彼女の思いが風景に滲んでいるようだ。 まさに日本の絶景といえる。 ■ 日本の美、伊勢神宮、2012.12.1-2013.2.28 ■ http://fujifilmsquare.jp/detail/12120104.html ■ 渡辺義雄の作品が約10点。 まるで建築資料だ。

■歌舞伎、江戸の芝居小屋

■サントリー美術館、2013.2.6-3.31 ■ http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2013_1/index.html ■歌舞伎座新開場の記念展です。 1章の歴史はとても分かり易い。 女歌舞伎や若衆歌舞伎の舞台風景、江戸・明治の木挽町や猿楽町・新富町の地図など興味がでます。 2章は名優たちです。 初代からの市川團十郎や松本幸四郎などの俳優と演目が並んでいます。 しかし歌舞伎に惚れ込んでいないと面白くないですね。 3章の芝居を支える人々も同じです。 「贔屓と連中」の違いなどわかりましたが・・。 エピローグに歌舞伎座の建物模型が飾ってありました。 最初期の外観は西洋風だとは知りませんでした。 ともかく4月からの新しい歌舞伎座へ行ってみないと話にならないということです。

■奇跡のクラーク・コレクション

■三菱一号館美術館、2013.2.9-5.26 ■ http://mimt.jp/clark/index.html ■ 観たことのない作品が多いからドキドキするわ。 この館は部屋が分かれていて流れが見えないから余計そうね。 気に入った作品が多いのはピサロとシスレかな。 ルノワールや彼らの静物画も見る機会が少ないから嬉しい。 ルノワールの人物画の素敵なところは衣装やアクセサリ、髪型も生き生きしているところ。 たぶん父が仕立屋、母がお針子だったことも理由の一つかも。 そしてこれだけのルノワールに出会えるのはとても幸せね。

■文化庁メディア芸術祭

■ 国立新美術館、2013.2.13-24 ■ http://j-mediaarts.jp/ ■ 新美術館は受賞作品のダイジェスト版だけで作品自体は別会場で展示・上演が殆どです。 ですから年ごとに会場はシンプルになっています。 数年前は一日では複雑な会場を回りきれなかったのですから。 アート部門では大部分がコンピュータと映像の作品です。 これから外れた「SPECIES SERIES」がいいですね。 小さなゴミのようなロボットが人に見つからずに動きまわっています。   エンターテインメント部門では映像作品「地下鉄の動態」、「はじめよう」、「あさっての森」が気に入りました。 漫画部門は「闇の国々」です。 アニメーション部門での気に入った作品は無かったですね。 漫画やアニメは新しさが出し難い部門だとおもいます 。 今回の収穫はゲーム「重力的眩暈上層部への帰還において、彼女の内宇宙に生じた摂動」と漫画「闇の国々」を知ったことです。 この二本は是非体験したいですね。

■ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー二人の写真家

■ 横浜美術館、2013.1.26-3.24 ■ http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2012/capataro/index.html ■ 正方形の写真は安定感抜群。 だから当時の状況下でローライフレックスを持っている人ならば、対角線を意識するのは当たり前の構図なはずよ。 ソビエト社会主義リアリズム英雄的美意識もね。 館では芸術的な意味付けを与えたいようだけど。 むしろ戦争の時代の中の二人の行動力が作品に湧き出てくるところが素敵なの。 そして一番の驚きは二人の名前がフランク・キャプラと岡本太郎の名を借りてきたこと。 これにはいろいろ想像しちゃうわね。 

■ここに、建築は可能か

■ ギャラリー・間、2013.1.18-3.23 ■ http://www.toto.co.jp/gallerma/ex130118/index.htm ■ 壁全体が陸前高田市の写真である。 場内は「みんなの家」を建てるための製作過程資料が一杯に埋め尽くされている。 その「みんなの家」は丸木が天に伸び黒い鉄製ストーブがどかんとおいてあるだけのものである。 過程案の多くも縄文時代の丸木と屋根がある掘っ立て小屋のようなものばかりである。 震災の跡に建てる建築物はまさしくゼロクリアである。 モダンを超えるしかない。 第13回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で日本館は金獅子賞を受賞したようでこれは凱旋帰国展である。 コミッショナー伊東豊雄は、建築家は自然と人間のネゴシエーターになりホスピタリティを提供するものだ、と言っている。 これが評価されたのだ。

■エル・グレコ展、一度見上げたら、忘れられない。

■ 東京都美術館,2013.1.19-4.7 ■ 振付のような動きの手足や身体を瞬間に止め、しかし目はじっと見つめている、とても演劇的な絵が並んでいます。 しかも劇的です。 雲さえも。 「羊飼いの礼拝」(1610年)は牛や馬までがそこに居る人々と同じ思いを持っているのがわかります。 黒雲に覆われた「十字架のキリスト」(1610年)は喜びに満ち溢れています。 「聖アンナのいる聖家族」(1595年)は劇的だけど静かさが、世界の秩序と深淵を現前させています。 至福の一時でした。 *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/h25_elgreco.html

■アノニマス・ライフ

■NTT インターコミュニケーション・センタ 、2012.11.17-2013.3.3 ■ http://www.ntticc.or.jp/Archive/2012/AnonymousLife/index_j.html ■ 自身の整形手術をパフォーマンスにしている作家は凄い! 見ているだけで自分の肉体が疼いてしまう。 女性型アンドロイド「リプリーQ2」はイマイチであるが・・。 しかし人間の代用も近い! 花の種を靴に仕込んで歩くと種が地中に蒔かれるビデオは面白い! 見終わった途端シラケる。 男性作家が女性の生理を経験したいという実験ビデオを観たがここまでやるのか!? またまた疼いてしまった。 ニューヨークの街角で自分の服を他人の服と交換しながら目的地へ向かうビデオには笑った! 衣服は身体の延長だから。

■会田誠展・天才でごめんなさい

■ 森美術館、2012.11.17-2013.3.31 ■ http://www.mori.art.museum/contents/aidamakoto_main/index.html ■ 外国語ができないことを作品に取り入れて、しかもとても気にしているところがいかにも凡才にみえる。 「判断力批判」や「存在と無」も同じだ。 このノリで政治や歴史も作品にしてしまった。 これは天才と勘違いしている並の人間と同じにみえるが・・。 質は二の次である。 「灰色の山」や「ジューサミキサー」が展示されている部屋の作品群は普通の画家に戻って描いている。 この部屋が無かったら個展としては成立しないだろう。