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■キセイノセイキ

■東京都現代美術館,2016.3.5-5.29 ■「ピクサー展」は混雑してますね。 並ぶのが嫌だったので先ずはこちらにしました。 「規制の世紀」と当て嵌めました。 作品にバラツキがみえます。 たぶん「規制とは何か」を具体にすると対象が見え難くなるからでしょう。 二点紹介します。 アルトゥル・ジミェフスキ「繰り返し」(2005年)は監獄実験をビデオに撮った作品です。 市井の被験者を看守と囚人に分けて監獄を再現しています。 監獄は特に食事・睡眠・排便に多くの規制がある。 些細なことで互いの憎しみを大きくしていくのがわかる。 因みに実験は虐待行為にまで進み中止になったそうです。 報道カメラマン横田徹の「WAR」は紛争地の実写を繋ぎ合わせた作品です。 民衆同士の争いは醜くて見ていられないのですが軍隊が入るとまるで違います。 軍隊が関わる戦争は競技大会のようです。 イラク周辺で一人のタリバン兵士(?)をアメリカ軍兵士が追いかけていく光景は狩猟そのものです。 敵を射撃する動作や表情、兵士同士の会話、負傷兵を治療する場面などは試合中の選手ですね。  人間の奥底に宿っている規制や差別からくる憎しみの積み重ね、それをスポーツのように昇華する戦場、これを助長する権力や軍隊構造。 なぜ戦争が無くならないのか? この理由を感じ取れる作品でした。 他には小泉明郎「オーラル・ヒストリ」、高田冬彦「Many Classical Momennts」、「禁止単行本目録」が記憶に残りました。 午後に館に入ったのですが夕方までかかってしまった。 残念ですが「ピクサー展」は諦めるしかない。 映像のある展示会は事前にスケジュールを組まないとだめですね。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/mot-annual-2016.html

■フランスの風景・樹をめぐる物語、コローからモネ・ピサロ・マティスまで

■損保ジャパン日本興亜美術館,2016.4.16-6.26 ■ほとんどの風景画は樹々が描かれているからどうにでも解釈できる会名ね。 しかもバルビゾンや印象派は郊外で自然や光を追ったから樹で一杯。 でもとても休まるテーマよ。 画家の半分以上は知らない。 多分みているけど忘れたのね。 それだけ有名作品ではないと言うこと。 1・2章の「戸外制作の画家たち」「印象派の画家たち・・」はわかるけど、3章の「ポスト印象主義・・」まで含めるときりが無い。 ナビや象徴になると魔女も登場するし、フォーヴの樹々は風景とは言えない。 ともかくリフレッシュできたから良しとしましょう。 *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/current/3729.html

■メディチ家の至宝、ルネサンスのジュエリーと名画

■東京都庭園美術館 ,2016.4.22-7.5 ■メディチ家を宝石と肖像画から窺う展示会です。 会場では出品リスト裏の「メディチ家系図」が重宝しました。 この系図に作品を肉付けしていけます。 老コジモ→痛風ピエロ→大ロレンツォ→愚者ピエロ→レオ10世→ウルビノ公→クレメンス7世→アレサンドロ→コジモ1世→フランチェスコ1世→フェルデナンド1世→コジモ2世→フェルデナンド2世→コジモ3世→ジャン・ガストネ。 周りに多くの女性も登場する。 これで300年ですから大ロレンツォから始めれば徳川幕府を俯瞰する時間感覚と同じです。 その時代から来る作品感覚も似ている。 ジュエリーは特徴があります。 カメオや真珠の回りに宝石をあられのように並べてあるが精緻さは無い。 でも白色と金や色とりどりの組み合わせが温かい。 ギリシャ神話や動物・昆虫が描かれていて親しみもある。 これに肖像画の衣装を合わせるとメディチ家の宝石の全体像が見えてきます。 この白色はミケランジェロの大理石に通ずるのでしょうか? チラシに「・・スキャンダルに満ちた一族の興亡」とありましたが宝石と公認肖像画だけを眺めていると静かな時の流れに包まれます。 日伊国交樹立150周年記念。 *館サイト、 http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/160422-0705_medici.html

■高島野十郎展、光と闇・魂の軌跡

■目黒区美術館,2016.4.9-6.5 ■初期作品の前では緊張しました。 傷を負う・林檎を持つ自画像、クネクネした木々や花、存在感溢れる静物などをみてです。 蝋燭シリーズは聞いたことがありますが初めての作家です。 岸田劉生の影響が感じられますね。 滞欧期以降の変化にも驚きました。 どこか開放的で赤色に染まった田園や街の景色、そして帰国後の落ち着きは有るが何か抜け殻だけになってしまった風景が広がっている。 緊張感ある初期作品はどこに行ってしまったのでしょうか?  そしてこんなにも赤み係っているのでしょうか? 「すべて等しく=慈悲」のため緊張感も均等に拡散してしまったのではないか? 「魚介類の観察図」(1915年)をみて分かったのですが科学的な目配りが均一の起源かもしれない。 これに宗教の混ざり合った均一性が写実から生気を遠ざけ凡庸な抽象を作品の内に招き寄せてしまった。 没後40年展。 *館サイト、 http://mmat.jp/exhibition/archives/ex160409

■黄金のアフガニスタン、守りぬかれたシルクロードの秘宝

■東京国立博物館・表慶館,2016.4.12-6.19 ■四半世紀の国の混乱を潜り抜けたアフガニスタン国立博物館収蔵品展なの。 展示されている黄金の輝きと共に博物館館員が必死で秘宝を守り通したドラマがあったとは驚きね。  シルクロードに組み込まれているからギリシャ、エジプト、インド、中国に影響された作品が展示されている。 でも黄金を纏った人々のアフガニスタン独自の文化がどういうものなのかが見えない。 日本の文化を知るのに奈良正倉院作品展に行くようなものかもしれないわね。 紀元前2100年頃の遺跡「テペ・フロール」は別として「アイ・ハヌム」「ティリヤ・テペ」「ベグラム」は前3世紀から後3世紀の期間だからアレクサンドロス大王つまりギリシャ文化の影響が一番大きい。 ギリシャと遊牧民、そこにインドや中国がジワッと混ざり合ってきた時代かしら。 先日観たキリストのいない「 ポンペイ壁画展 」と同じでイスラムのいないアフガニスタンも長閑な多様性が感じられる。 さて、これから続きの「バーミヤン大仏天井壁画」を芸美へ見に行くわよ! *館サイト、 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1765

■バーミヤン大仏天井壁画、流出文化財とともに  ■芸大コレクション、春の名品選

■東京芸術大学大学美術館・陳列館,2016.4.12-6.19 ■タリバンに爆破されたバーミヤン東大仏の天崖を飾っていた「天翔る太陽神」の復元公開よ。 それとアフガニスタンに返却する流出文化財87点も展示されている。 やはり仏像が多い。 この仏教世界が今までの知っていたアフガニスタンね。 切り口を少しずらすと「黄金のアフガニスタン」でギリシャを浮かび上がらせたようにシルクロード国家は多くの文化を蘇らせることができる。 アフガニスタンは再び交通のポリフォニーを奏でて欲しい。  *館サイト、 http://www.bamiyan-hekiga.com/ ■芸大コレクション、春の名品選 ■東京芸術大学大学美術館,2016.4.2-5.8 ■ついでに寄ったの。 気に入ったのは細川宗英の「道元」。 プラスチック製義眼嵌入のためか禅僧の異様な面が表現されている。 それと有元利夫「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」全8枚。 卒業作品(?)だけあって若さからくる音楽的激しさがみえる。 古いところでは橋本関雪「玄猿」、西村五雲「日照雨」の生物系が目に留まる。 *館サイト、 http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2016/collection2016sp/collection2016sp_ja.htm

■俺たちの国芳わたしの国貞、江戸時代から❤スカル好き❤メール好き

■Bunkamura・ザミュージアム,2016.3.19-6.5 ■国芳展は聞くが国貞展は記憶にない*1。 国芳はスペクタクルが強いから展示会向きなのだろう。 浮世絵は写真を見るように隅々まで意味を探し回ってしまう。 江戸末期の人々が何を求め何に喜んでいたのかよくわかる。 会名も含め章名が凝っていて面白い。 江戸と現代が一直線に文化で繋がっている。 今なら国芳は週刊誌、国貞はファッション誌を飾る写真かもしれない。 両者が補完し合っているので江戸を広く深く覗ける。 また国芳、国貞が混ざり合って出展されているが額縁などに工夫を凝らしているので見ていても途切れない。 ゴールデンウィークに江戸時代へ遊びに行ってきた感じだ。 *ボストン美術館所蔵 *1、 「歌川国芳展、没後150年」(2011年) *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/16_kuniyoshi/

■世界遺産ポンペイの壁画展、天空に甦るイタリアの軌跡

■森アーツセンターギャラリー,2016.4.29-7.3 ■さっぱりした展示ね。 壁画が会場の壁のように陳列されていて他に何も無いからよ。 しかもポンペイの赤や黄そして青はどれも錆があるけど爽やかさもあるから。 落ち着いた色だけど華麗さも隠れている。 裕福で誠実な生活が垣間見えるようだわ。 教養としてのギリシャ文化は神々に守られているから安定ある精神を宿せる。 ヘレニズム文化も日々を修飾して生活を豊かにしている。 キリスト教時代と違っておおらかさがある。 2千年前のポンペイは室町・桃山の禅宗文化に通ずる美や空間感覚を持っていたと思わない? 会場地図をみると小さな都市なのに大きな浴場が3つもある。 ところでテルマエ・ロマエの2作目はまだ観ていないの。 1作目は面白かったわね。 「プリニウス」も読みたい。 日伊国交樹立150周年記念展。 *館資料、 https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/2016/

■ルノワール展、色彩は「祝祭」のために

■国立新美術館,2016.4.27-8.22 ■ルノワールは見る機会が多いので驚かない。 でも十分に満足できる展示会だった。 彼の全体像に迫れた満足感である。 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」もなかなかだが、ルノワールが印象派の限界を徐々に察知し1880年に入り再びデッサン力を磨いた後半からが素晴らしい。 この成果が6章の「子どもたち」から一気に展開する。 次に「ピアノを弾く少女たち」。 そして圧倒されるのはなんといっても「横たわる裸婦(ガブリエル)」と「大きな裸婦あるいはクッションにもたれる裸婦」の2枚。 これは7~8m離れて2枚同時にみるのが一番である。 リウマチのため筆を手に縛り付けていた映像もあったが、「浴女」は病気が限界に達しているのがみえる。 逆にそれが祝祭を呼び寄せている。 ルノワールの裸婦をみているといつものことだが土偶を思い出してしまう。 彼は縄文人の生まれ変わりかもしれない。 * 「ルノワール-陽だまりの裸婦」(2015年) *展示会サイト、 http://renoir.exhn.jp/