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■ゼロ年代のベルリン

■東京都現代美術館,2011.9.23-12.1.9 ■10本の映像作品が主である。 その中で二つの物語を交互に組み合わせ、いつのまにか融合したように見せる「キャスティング」は粗さが目立ったが面白い。 この二話はアメリカ兵がドイツでデートをする話と、アフガンでイスラム教徒を誤殺する話である。ミン・ウォンの「明日、発ちます」は「テオレマ」を5画面に分割し再構成している作品である。 スキャンダラスだがヨーロッパの硬さを持つパゾリーニを換骨奪胎しアジア的な軽さに塗り替えている。 そして芸術の嫌らしさを付け加えているのも忘れていない。 その他は思いつきで作っている感じだ。 これに意味づけや社会批判を後から付与している。 その場限りの作品ばかりである。 そして物語が無いと映像はこんなにも弱くなるのか! たぶん20世紀後半のベルリンの歴史をまだ引き摺っているからである。 「バウフヘーレ・バウヘン」は工藤哲巳らしき物を持って漫画的行動をしながら東京を放浪するのだがいただけない。 古すぎてベルリンの傷がまた痛みだしているようだ。 展示会名は「ドイツ零年」をなぞり「ベルリン零年」にするのがいい。 会場の一部は暗すぎて歩けない、映像作品を観る場所が無い、ヘッドホンが3台しか置いてない、・・、など観客不在の構成になっている。 木場へ行くのは閑人かオタクばかりだから文句を言わないが、それにしても現代美術館らしい嬉しい応対である。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/128/

■ヴェネツィア展

■江戸東京博物館,2011.9.23-12.11 ■カナル・グランデの映像風景から始まります。 ちょっとガッカリです。 毎度の紹介レベルでは盛り上がりません。 以降も作品はノッペリした陳列でテーマもはっきりしません。  裕福な貴族の生活や仮装、博打の作品も多いのですからもっと対象を吟味・絞込みをすれば面白くなるはずです。 終章の絵画は少ない数でしたが満足しました。 「二人の貴婦人」が「ラグーナでの狩猟」の下半分だったとは驚きです。 ベリッーニの「聖母子」は清潔感があるし、官能的なヴィーナスやキューピットなどは楽しめました。 ともかく学校授業の延長のようで江戸東京博物館の性格がモロにでていた展示会でした。 *館サイト、 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/past/2011/

■川上音二郎・貞奴展

■茅ヶ崎美術館,2011.9.10-11.27 ■自由民権運動での逮捕歴が180回! そして音二郎の体当たりパフォーマンスを観て一目惚れした貞奴。 しかも二人は手漕きボートで4ヶ月をかけて東京から神戸まで出かけるなんて驚きだわ。 途中アシカの群れに襲われるとは想像を絶する光景ね。 でも欧州への上演前に事前視察をしていたんだから緻密な性格も持ち合わせている。 パリ万博を含め数回の海外日程が展示されていたけど有名な都市は全て回っている。 行動力の凄さには感激よ。 会場は歌川国貞や豊原国周の錦絵が舞台に彩りを添えてるし、伊藤博文や市川團十郎との付き合いや晩年の生き方など全体像が浮き出てくる展示でとても面白かったわ。 明治という時代のパワーを最大限に吸収して出し切った二人だった。 *館サイト、 http://www.chigasaki-museum.jp/exhi/2011-0910-2.html

■インヴィジブル・メモリーズ

■原美術館,2011.9.10-12.11 ■4人の作品が展示されているが小泉明郎のヴィデオアートの2作品が印象に残った。 「若き侍の肖像」は主人公が特攻隊員として出撃する話。 感情移入させようと監督が役者にイチャモンを付けるのだが次第に役者もその気になっていく・・  「ビジョンの崩壊」は沖縄の特攻隊員とその妻の会話である。 表裏別々の映像が流れている。 表画面では夫婦が食事中で顔のアップしか映らない。 「戦争が終わったら二人で温泉にでも行こう・・」・・ 裏の画面では卓袱台まで映される。 箸や茶碗の動作がぎこちないし、お酌もこぼしてしまう。 なんと夫婦は二人とも盲目であった! そして全速力で敵艦に向かう戦闘機内の夫の場面へと続いていく・・ どちらも10分程度の作品だが、国家観や天皇制の議論が抜けている。 だから醒めた感動があるのかもしれない。 もしこれを入れたら美術館で展示されたのか怪しい。 ヴィデオアートは底なしである。 *館サイト、 https://www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/336/

■帝のまなざし

■富士フィルムフォトサロン、2011.9.9-21 ■ http://fujifilmsquare.jp/detail/11090901.html ■京都御所の内部を撮影した展示会です。 たまたま寄ったら撮影者三好和義氏のギャラリートークの日でした。 今流行りのデジタルカメラで撮ったそうです。 交換レンズの種類は多種多様でさすがプロですね。 作品では襖の花鳥風月絵が鮮やかで目が釘付けになります。 デジタルカメラに合うプリント紙を使っているとのことです。 会場に、近々に発売される当写真集が置いてありましたがこの展示作品の方が素晴らしく比べものになりません。 天皇の行事の解説や、しかもライトを使用できない、カメラを近づけることができないなど撮影条件が厳しかった話もあり、一つ一つの対象物がより現実的に見えてきます。 写真展はよく行きますが、当撮影者の解説があるとこんなにも作品が違って見えるとは驚きでした。 やはり写真は機器やフィルム、現場の状況がわからないと面白さが半減しますね。

■モーリス・ドニ、いのちの輝き 子供のいる風景

■東郷青児美術館,2011.9.10-11.13 ■モーリスと聞いてユトリロのほうを思い出してしまいました。 去年ここで開催した「モーリス・ユトリロ展」のことです。 ユトリロがアル中と奴隷のような生活だと知った後は絵も違ったようにみえてしまったことです。 今回も作品だけを見せてはくれませんね。 弥が上にもドニの生活に入っていきます。 多くは二人の妻と9人の子供たちの絵です。 これにカトリック世界を背景に描くのですからいのちが輝きます。 光あたるところは乳白色ですから母親の肌の中に包み込まれる感じです。 感動するというよりは何かホットする気持ちになります。 これだけの数のドニを観ることが出来て幸せです。 それにしてもユトリロとは対照的ですね。 *館サイト、 https://www.sompo-museum.org/exhibitions/past/2011/

■皇帝の愛したガラス  ■あこがれのヴェネチアングラス

■東京都庭園美術館アム、2011.7.14-9.25 ■ http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/glass/index.html ■あこがれのヴェネチアングラス ■サントリー美術館、2011.8.10-10.10 ■ http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol04/index.html ■先に庭園美術館へ行ったのは間違えでした。 ヴェネチアングラス展をまずは観るべきです。 「クリスタッロ」誕生からエナメル彩・ダイヤモンド彫・レース・アイスの技術を知り、これが世界へ広がっていくのを確認するとグラスの全体像が見えて来ますから。しかし面白さは「皇帝・・」の方ですね。 会場では次に何が出てくるのかが楽しみでした。 この感じはソビエトの世界ですね。 ロシアになってもこれを引き継いでいます。 観客でいるかぎり面白い国です、ロシアは。 来週から「ヴェネツィア展」が開催されます。 この準備ということでサントリー美術館へ足を運んだのですが、予想以上の情報が得られて正解でした。 今から楽しみですね、ヴェネツィア展。

■メタボリズムの未来都市展

■森美術館,2011.9.17-12.1.15 ■丹下健三一家が総動員ね。 会場はメタボで一杯。 でも今の時期に50年を振り返ることはいいことね。 まず戦後の匂いがする1960年代メタボリズムに驚かなくちゃ。 次に「気がついたら、メタボと違ってしまっていた!」現代に驚かなくちゃ。 60年代は代謝に必要なミトコンドリアが多かったからエネルギーが出せてメタボを受け入れられたのよ。 メタボが物の豊かさを追求していることに異論はないけど、物が有っても無くても人の豊かさには無関係にするのがポストメタボかもしれない。 じっくりみると丸一日かかるわ。 若かりし頃の建築家たちのビデオは面白い。 当時は血管や細胞レベルの代謝を指したようね。 だから道路と公団住宅のような個室ばかりが目立つのよ。 宮殿のような大階段は誰が歩くのかしら? 「 家の外の都市の中の家 」の予想はアタリね。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/metabolism/index.html

■アーヴィング・ペンと三宅一生

■2121デザインサイト,2011.9.16-12.4.8 ■三宅一生は見たことがある作品ばかり。 だから焦点はアーヴィング・ペン。 でも会場は一生から見たペンね。 一生と出会う前の写真は数枚の展示しか無いし・・。 スケッチを描いてから写真に取るペンのある種の堅さが、一生がペンに近づいた理由かしら。 18分間ものプロジェクターで写真を追っていると、一生のデザインって「来ないであろう近未来」を描いているようにみえる。 それはアフリカとパリを漫画で融合していて現代からズレっぱなしの服だから。 でもいつの時代のSF映画にも合うようね。 見終わったあと物足りない感じがした。 ・・一生抜きのアーヴィング・ペンをもっとみたい! 写真美術館でアーヴィング・ペン展を開催して欲しい。 *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/visual_dialogue/

■日産自動車グローバル本社

■建築賞を受賞したので見に行ってきたの。 横浜駅から7分、2階から入るとそのまま新高島駅へ抜けることができて清々しいわ。 環境の配慮をうたっているけど外観を見てもそれがわかる。 隣の富士ゼロックスR&Dビルより真面目さが出ているわ。 1階はギャラリー。 ところで日産には商品全体の思想体系が無いのかしら? 勝手にバラバラ作っているようね。  インフィニティブランドもやっとグローバル思想を取り込んだようだけど、レクサスに20年は遅れているわ。 リーフを前面に押し出すのもいいけど全体での位置づけがイマイチね。 マーチも孤独に見える。 そう、ニッサンはみんな孤独なのよ。 ・・みなとみらい地区も日産が来てやっと一息ついたようね。 でもマンションアパートが多すぎる。 企業は周りに張り付いているだけだし・・。 今の日本の停滞をそのまま表している感じね。 ・・ギャラリーカフェのベランダに居ると汐の香りが素敵。 横浜ね。  *会社サイト、 http://www.nissan-global.com/JP/COMPANY/HQ/

■アラヴェナ展

■TOTOギャラリー間,2011.7.27-10.1 ■限られた予算で作成した集合住宅はとても広々としていて好感が持てるわ。 そして過密を避けて住居の価値を上げ財産にするという考えのアラヴェナはチリのような発展途上国では今必要な現実主義者ね。 でも学校や美術館は使い難い感じがするわ。 「何がプロジェクトのフォルムを決めるのか?」の答えが出揃っていないようね。 日常生活には強いが公共生活には馴染んでいない感じがする。 才能あるデッサン力だけで突っ走ってしまうのかもしれない。 でもチリや南アメリカの政治経済下でのアーキテクトって凄い! +行動主義者だからできることね。 ところで会場で売っていた椅子の機能を持つ1本の紐で出来ている「チェアレス」は面白い発想だわ。 地べたに座る習慣がある国では似合うかもね。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex110727/index.htm

■家の外の都市の中の家

■東京オペラシティアートギャラリ,2011.7.16-10.2 ■東京という都市をデータで見えるようにしてくれて安心するわ。 戸建住宅平均寿命はロンドン100年、東京26年。 レストラン件数パリ1万、東京10万。 この二つの値を知っただけでも東京のイメージが湧いてくるの。 東京は土地所有者数がなんと128万人。 少子化と相続税で、第一世代の80坪平屋が第二世代では40坪2階建、第三世代は25坪3階建の移行には驚きね。 主要道路の両側には中高層ビルが林立しているけどその内側はこのような兎小屋が一杯よ。 第四世代の住宅案としては家族以外のメンバーを取り込む、家の外で暮らす、隙間の再定義などを模索しているようだけど想像し難いわ。 ところで17日からはじまる森美術館の「メタボリズム」のチラシを今みているけど、今回の展示会で提出された細かい問題には答えないで再び大きな物語で解決したい企画のようね。 *館サイト、 http://www.operacity.jp/ag/exh132/

■青木繁展

■ブリジストン美術館、2011.7.9-9.4 ■ http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibitions/ ■「海の幸」は大画面だとおもってたの。 小さくて少しがっかり。 でも画中に福田たねの顔を描いた途端、絵画として神話として完成したのね。 久留米藩士の出だけあって弱いところは人に見せないのかしら。 最後の自画像を除いてこの性格が出ているわ。 父の事業の失敗で姉と弟を養うことや、友人にカネを借りることも蛋白にみえてしまうほどよ。 パレットと三脚をみると当時の生活が分かる気がする。 「それから」の代助にも気に入られるなんて、繁と代助は似たもの同士だと漱石も見ていたのね。 黒田清輝への反発と尊敬も面白かった。 「海の幸」しか知らなかった初心者を明治の画家の一人としてしっかりと印象付けた展示会だった。 チケット売り場が混んでいて並んだなんてこの館では初めてだったけど、これが物語っているわ。

■江成常夫写真展

■東京都写真美術館、2011.7.23-9.25 ■ http://syabi.com/upload/3/1382/2011_005_b_2.pdf ■撮影時期はもちろん色彩力も解像力も時代の今として展示されている。 1945年からいかに遠くに行けるか。 そして再び戻ったときに生じる時間のズレが目眩として観る者にそっと押し寄せてくる作品群だ。 澄み切った海に沈んでいるゼロ戦、静寂なジャングルの中の陸軍重爆撃機呑龍、日米白兵戦で血に染まったススペビーチの光り輝く海と紺碧の空。 古代の遺跡をみているような美しい光景だがしかし、あの目眩が微かにやってくる。 後半の「ヒロシマ」、「ナガサキ」はポートレイトが多い。 とても穏やかな顔顔だ。 65年の時間を別のなにかに変えてしまったようにおもえる。 だから観ていても目眩はおきない。 しかし別のなにかはよくわからないが、それを感じる。 風景の中には65年前の時間が凍り付いているが人物像では時間が溶け出してしまっていた。 生物が持っている定めである。