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■2016年美術展ベスト10

□ フォスター+パートナーズ展   森美術館 □ 小泉淳作と小林敬生   世田谷美術館 □ MIYAKE ISSEY 展   国立新美術館 □ はなのなかへ   東京オペラシティアートギャラリー □ 竹中工務店400年の夢   世田谷美術館 □ キセイノセイキ   東京都現代美術館 □ 国吉康雄展   そごう美術館 □ 木々との対話   東京都美術館 □ ナムジュン・パイク展   ワタリウム美術館 □ ピエール・アレシンスキ展     Bunkamura・ザミュージアム *並びは開催日順。 選出範囲は当ブログに書かれた作品。 映画は除く。 * 「2015年美術展ベスト10」

■フランコフォニア、ルーヴルの記憶

■監督:A・ソクーロフ ■ジャック&ベティ,2016.12.24-30 ■ソクーロフを観るのは2012年の「ファウスト」以来だ。 彼の作品は独特のリズムというか呼吸を持っている。 しかし今回その呼吸は速い。 北海の荒海を突き進む貨物船やヨーロッパ戦線の実写、美術館の歴史、マリアンヌやナポレオン一世の亡霊など多くのシーンが目まぐるしく積み重なっていくからだと思う。 そこにルーヴル美術館館長ジョジャールとナチス占領美術担当メッテルニヒ伯爵の存在が徐々に現れてくる。 二人とも現代の俳優が演ずるが1940年当時のセピア色にしているためドキュメンタリー中の人物のようだ。 ルーヴル美術館やパリを俯瞰するシーンも同じである。 ソクーロフ好みの記憶の色彩で満たされている。 そして彼の短い言葉が美術品一つ一つを静かに浮かび上がらせる。 ヒトラーが「ルーヴルはどこだ?」と探し回り、「これは私だ!」とダ・ヴィンチの前でナポレオンは答え、「自由・平等・博愛・・」をマリアンヌは何度も口にする。 国家権力と美術館を論じるが速い呼吸の中で漂うだけである。 ナポレオンは叫ぶ、「美術品の為に戦った!」と。 これこそがヨーロッパ、いやフランコフォニアであるかのように。 そして館長と伯爵の戦後経緯が語られて映画は終わる。 *作品サイト、 http://francofonia.jp/ *2017.1.8追記、「ミケランジェロ・プロジェクト」(監督:G・クルーニ,出演:M・ディモン)を正月休みにDVDで観る。 ヒトラーの「ルーヴルはどこだ?」の続きである。 ナチスに奪われた美術品を取り戻す米国軍隊の活動話である。 実話を基にした物語なので最後までみたが酷い出来の映画だ。 古き良きアメリカを描きたかったのだろう。 *作品サイト、 http://miche-project.com/

■画と機、山本耀司・朝倉優佳  ■人間この未知なるもの  ■村上早

■東京オペラシティアートギャラリ,2016.12.10-17.3.12 ■画と機 ■舞台衣装・美術の展示と勘違いした。 名前をしっかり見ないで行ったからである。 それにしても朝倉優佳の作品はどこかで見た気がする。 なかなかである。 しかし会場の広さと比較して作品数が少なく気が抜けてしまった。 全企画展にカネとヒトを対等に投入できない為だろう。 これで作者が好きなようにレイアウトした感じだ。 肩が凝らない。 タイトルも面白いが関係性はよく分からなかった。 特に山本耀司はインスピレーションの思うままに作り上げたようにみえた。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh193/ ■人間この未知なるもの、寺田コレクション収蔵品展57 ■これは楽しい。 作家50人も揃うと半分は知らない作品になる。 またまた至福の時間を過ごせた。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh194.php ■村上早 ■銅版画とは気づかなかった。 じっと見ていると味が出てくる。 犬の好きなことがわかる。 このコーナーに出る作家は犬好きが多い。 このため結構気が合う。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh195.php

■ミラノ・スカラ座、魅惑の神殿

■感想は、「 ミラノ・スカラ座、魅惑の神殿 」

■マリメッコ展、デザイン・ファブリック・ライフスタイル

■Bunkamura・ザミュージアム,2016.12.17-17.2.12 ■カーテンの布地でしょう、これは。 それでも柄がデカすぎる。 着る勇気がいる。 でも戦争が終わり20世紀中頃の時代に合っていたのかもしれません。 「シンプルなカット、ゆったりとしたシルエット」のドレスも女性に受けたはずです。 「ファッションではなくてデザイン」重視もしっかりしている。 自然を模倣した抽象で大胆でカラフルな絵柄なら食器や鞄や靴、飛行機にも広がるのは必然です。 冬の長いフィンランドならではのデザインですね。 でも日本の自然を描く時の大胆さとは質が違うようにみえる。 日本でなら異空間を演出できそうです。 この展示会はマリメッコのデザイナーたちを単位にしています。 時代が流れても彼らの考え方はぶれていないようです。 ところで映画「ファブリックの女王」は見逃してしまった。 ビデオで観るしかありません。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/16_marimekko/

■アピチャッポン・ウィーラセタクン、亡霊たち ■東京・TOKYO ■日本の新進作家vol.13

■東京都写真美術館,-2017.1.29 ■東京・TOKYO ■コレクション展のため過去にみている作品が多い。 楢橋朝子は、・・近美でみたのを微かに記憶している。 「KISARAZU」「MAKUHARI」「ODAIBA」「HAKKEIJIMA」は海すれすれからみた湾沿いの風景で巧い。 北京やソウルの人と仕事をしたことがあるけど、彼らは東京が湾港都市だと強く意識しているの。 東京人はこれを忘れてしまう。 彼女の4点をみて忘れていたことを思い出した。 それは海面から見た東京だから。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2570.html ■東京・TOKYO,新進作家vol.13 ■新進作家6人の作品展。 キャノンギャラリ品川で知った佐藤信太郎だけで、あとの5人は初めてかも。 田代一倫は仕事中の人にカメラを向けて作品にするけど業種が限定されてしまうから方法は面白いけど広がりが無い。 野村恵子は女性の心と体に迫っていて心臓の鼓動と血液の生暖かさが伝わってくる。 対して小島康敬は東京の無機質な風景が異様にも感じる。 中藤毅彦と元田敬三は白黒の荒粒子の東京裏通りを描いて、しかも後者は文章も面白い。 でも昔から続いているテーマで古臭いのはしょうがない。 6人集まってやっと一つの東京が見えてくるわね。 やっぱ東京はメガシティだとおもう。   *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2568.html ■アピチャッポン・ウィーラセタクン,亡霊たち ■多くが映像作品だけど一目見てこれはイケルと感じたの。 映像の中に沢山の大事なものが現れていたから。 例えば南アジアが持っている時間感覚や、青春の断片や、人は生き物の一つでしかないと感じることなどをね。 実は彼の作品は観たことがない。 「ブンミおじさんの森」など多くが映画祭で評価されたのは聞いていたけど、映画はいつでもみれるのでついつい後回しになってしまう。 でもこの展示をみてこれは外せないとおもった。 美術館に行く理由の一つは、このように再発見に繋がることがあるからよ。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-

■拝啓ルノワール先生、梅原龍三郎に息づく師の教え

■三菱一号館美術館,2016.10.19-17.1.9 ■窮屈な会場だが逆に二人の親密さを漂わせている。 渡欧した頃の自画像をみると開かれた若者という性格がみえる。 壁には梅原の言葉が貼られているが読むと彼の生活の豊かさがみえる。 ルノワールも心を開いたのだろう。 そして梅原やルノワールの言葉を読んで作品をみるといつもと違った見方をしてしまう。 展示会の狙いかもしれない。 初期作品はピカソの影響が大きい。 中期はルノアールの通奏低音も響いているがボナールを含め多くの影響がみられる。 関係性から絵をみてしまうのだ。 当時の画家たちの年表が掲げてあった。 梅原・ピカソ・マティス・ルオーの生まれた1880年頃とルノワール・ドガ・セザンヌ・モネの1840年は約50年の差がある。 今や寿命は伸びているが同時代人として走れる歳差は20年くらいに縮んでいる。 情報量の多さと情報寿命の短さからくる出会いや選択の困難性からである。 現代では考えられない50年という長さを持つ緩やかな関係を楽しむことができた。 * 「ルノワール展」(2016年) *展サイト、 http://mimt.jp/renoirumehara/

■沙翁復興、逍遙からNINAGAWAまで

■早稲田大学演劇博物館,2016.10.14-17.1.29 ■この館のシェイクスピア企画展は常設展とあまり変わらない。 いつも館内至る所にシェイクスピアの気配があるからよ。 沙翁来朝室では坪内逍遥の最終講義映像を3Dで見ることができるの。 ムムッ。 和服の逍遙よりロボットが学生服を着たような聴講学生の整然とした姿が圧巻だわ。 沙翁出帆室では演出家6人を取り上げ解説・写真・ポスタ・映像が展示されている。 野村萬斎「まちがいの狂言」(2001年)、野田秀樹「オペラマクベス」(2004年)、P・グリーナウェイ「プロスペローの本」(1991年)、蜷川幸雄「蜷川マクベス」(1985年)、三浦基「 コリオレイナス 」(地点、2012年)、宮城總「マクベス」「オセロ」(ク・ナウカ、2003、2005年)。 グリーナウェイも悪くないけどここは日本の若手演出家を選んでほしかった。 「シェイクスピア没後400年記念」イベントの一つということでこの展示会を見ただけではツマラナイ。 いくつもの講演や演劇公演があるからそれらも観てくれと言うことね。 *館サイト、 http://www.waseda.jp/enpaku/ex/4653/

■デザインの解剖展、身近なものから世界を見る方法

■ディレクタ:佐藤卓 ■2121デザインサイト,2016.10.14-17.1.22 ■身近な商品は企画・設計・製造・物流・販売を通して消費者の手に届きます。 この製品を分解・解析し過程を遡上しながら設計の本質を明らかにする展示会らしい。 今世紀初めに広まったリバースエンジニアリングをまずは思い出す。 デザインとは工学用語での「設計」でしたが美術にも広がったと聞いています。 デザインが本来の意味に戻ったと言えるでしょう。 展示商品は明治乳業の「きのこの山」「ブルガリアヨーグルト」「ミルクチョコレート」「エッセルスーパーカップ」「おいしい牛乳」の5点です。 「きのこ・・」と「エッセル・・」は食べた記憶がありません。 まさしく商品の分解です。 ここでは解剖と言っている。 この違いがデザインを広義に捉えようとしている。 やはりパッケージや本体の形や色に力点が置かれている。 でも目に留まったのは工場での製造過程を撮った3分の映像です。 キノコの柄と傘をどのように作っていくのか等々一発でわかりますから。 企画や設計の成果物と比較しても格段の情報量を持っている。 説明が詳細で学部生用の講義内容のようですね。  この美術館の方向性がみえます。 5商品はどれも乳製品なので飽きが来る。 気に入った一点をじっくり見るとか、5製品の同一部分の比較も面白いかもしれない。 細かすぎて目的がなんであったのか忘れてしまいそうでした。 ところで明治乳業の製品は味がさっぱりしています。 牛乳・チーズ・バター・ココアはよく口にしますが、森永や雪印と比較して遊び心が少ない味だと感じる。 ただしブルガリアヨーグルトは酸味が強くて特徴がある。 他企業より効率化標準化が進んでいるのでしょう。 この展示で明治を選んだ理由もここにあるのかもしれません。 *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/design_anatomy/

■トラフ展、インサイド・アウト

■ギャラリー間,2016.10.15-12.11 ■百円ショップで買ったモノをばら撒いたような場内ですね。 最初は目の焦点が合いませんでした。 スモール&カラフルな為でしょう。 そこにチープさも入ります。 「視点を変えると見えてくる」とキャッチフレーズにありましたが、一つ一つ見つめると見えてきた。 「プロダクト(小物製品)はどこで誰に使われているかも分からない」。 このカタカナ3語を持ったモノの特長ですね。 陳列物の間を模型電車が走っています。 これにカメラを取り付けた録画を2階で上映していたが、この手の映像は見ていても飽きない。 電車に乗っている気分になるからです。 「都市>建築>インテリア>家具>モノのヒエラルキーを壊したい」と言っている一つの具体例が映像に現れています。 不等号を逆転させた何かが現れるような楽しさがあります。 プロダクトの合間をぬって走るとき製品説明も入る。 この映像を充実させたら一つの作品として成り立つでしょう。 ひさしぶりに目が喜びました。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex161015/index.htm

■クリスチャン・ボルタンスキー、アニミタスさざめく亡霊たち

■東京都庭園美術館,2016.9.22-12.25 ■最初は作品がみえなかった。 歩いていると指向性スピーカから声が時々聞こえてくる。 亡霊たちの声か? 禅問答の断片のようにも聞こえる。 「さざめく亡霊たち」(2016年)。 2階に上り数室を覗くと影絵をやっていた。 「影の劇場」(1984年)。 書庫では赤電球が心臓の鼓動に合わせ点滅している。 「心臓音」(2005年)。 建物空間の装飾に埋もれてしまうような作品ばかりだ。 新館に向かう。 眼が描かれているカーテンを掻き分けながら進むと金色に塗られた古着の山に辿り着く。 「眼差し」(2013年)、「帰郷」(2016年)。 最後の部屋はビデオ作品が二つ。 幾つもの風鈴が砂漠の地面に刺さっている。 「アニミタス」(2015年)。 同じように森の木に風鈴がぶら下がっている。 「ささやきの森」(2016年)。 ボルタンスキは名前も作品も初めててある。 しかし観終わってもパッとしない。 最後に「ボルタンスキーインタビュー上映」(20分)をみる。 作者に少し近づけた。 大戦を祖父母や両親の身体を通して体験し大戦後の世界を自身で経験した世代である。 これを大事にしているからカラダを伝わる作品が多いのかもしれない。 声や影、心臓音、目、衣服、風鈴、「戦後の記憶」が微かに感じる。     *館サイト、 http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/160922-1225_boltanski.html

■クラーナハ、500年後の誘惑

■国立西洋美術館,2016.10.1-2017.1.15 ■クラーナハの版画をみるのは初めてです。 デューラーと並んでも見劣りしません。 実業家だったことも知らなかった。 作品の「作成の速さ」と「量の多さ」からも時代の流れを捕らえていたことがわかります。 肖像画は線が細いので今で言えば写真の代わりでしょう。 宗教改革で宗教画の需要が減少したのでエロチズムな神話に活路を見出したのは面白い。 独特な官能美はいつ見ても飽きないですね。 当時のオナニー用だと聞いたことがあります。 宗教画に対するアンビバレンスの極致でしょう。 でも似た者同士かもしれない。 目も体も喜ぶ展示会でした。 *展示会サイト、 http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2016cranach.html

■ピエール・アレシンスキ展、おとろえぬ情熱・走る筆  ■きんしゃい有田、珠玉の器紀行  ■佐藤忠X古門圭一郎、こよなくあいまいな風景

■ピエール・アレシンスキ展,衰えぬ情熱・走る筆 ■Bunkamura・ザミュージアム,2016.10.19-12.8 ■会場出口に近づくほど観る楽しさが累積していく。 副題通りの内容である。 「墨美」に出会えたのも印刷・本・挿絵を専攻していたからだろう。 毛筆なら画も筆もカンバスを床に置くのは当たり前だがアレンスキも床を発見したのが分かる。 しかしジャクソン・ポロックが床にカンバスを置いたのは1943年頃だから彼は10年遅れる。 「書く」から「描く」の移行は彼の母語が象形文字でなかったからだろう。 この橋渡しをしたのが「オレンジの皮」(1962年)のような表現だと思う。 以後皮は彼の作品を覆っている。 途中に17分の映像作品「日本の書」(1955年)を上映していた。 刺激的な内容のため2回も観てしまった。 森田竹草、中野越南、篠田桃紅、大沢雅休?、江口草玄そして森口子龍が登場する。 アクリル絵具を得た後半の作品群は素晴らしい。 「肝心な森」(1984年)前後は絶頂期だろう。 2000年代になってもテーマをずらしながらこれを維持している。 最後の紹介映像を見て彼は左手で描いていることを知った。 鏡像文字を含め幾つかの疑問が解決した。 副題通りの展示会だった。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/16_alechinsky/ ■きんしゃい有田,珠玉の器紀行 ■Bunkamura・ギャラリ,2016.11.2-8 ■陶芸家16人の器をみて所有欲がメラメラと湧いてきてしまった。 目が喜び欲しがっているのがわかる。 日常生活でこのような器に囲まれていたら幸せだろう。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/161102kinsyai.html ■佐藤忠X古門圭一郎,こよなくあいまいな風景 ■Bunkamura・ボックスギャラリ,2016.10.29-11.6 ■二人の作品は陽極と陰極のようなものだ。 素材も見栄えもまるで違うが一緒にしても文句が出ない。 しかし事務的な都合で二人展にしたのかもしれない。 あいまいな風景とはこのことを言うのだろう。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp

■志村ふくみ、母衣への回帰  ■ぜんぶ1986年、世田谷美術館の開館とともに

■志村ふくみ,母衣への回帰 ■世田谷美術館,2016.9.10-11.6 ■なんとか最終日に間に合った。 この美術館は幹線から外れているので即思い立っても足が躊躇するの。 作品100点余りを見た後にどれが印象に残ったかというとやはり最新作かな。 会場入り口広間の12点は素敵ね。 「紅の花」「和歌紫」「刈安」あと「銀鼠」も。 無地だから色がよくみえる。 着心地までがわかるような想像力を与えてくれる。 自然染料の素晴らしさね。 次室では「若菜」「野分」「和歌紫」「勾欄」「道標」、三室では「花群星」が目にとまる。 継ぎ接ぎの「切継」も面白い。 「緑は生あるものの死せる像である」。 ルドルフ・シュタイナーの言葉に出会えてびっくり、でも作品をみれば二人は繋がっているのはわかる気がする。 アルスシムラもきっとシュタイナー教育から来ているのね(*1)。 *1、 「ルドルフ・シュタイナ展,天使の国」(2014年) *館サイト、 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/past.html ■ぜんぶ1986年,世田谷美術館の開館とともに ■世田谷美術館はちょうど30年前に開館したのね。 その1986年頃を振り返ってしまう内容だった。 横尾忠則の作品3点はどれもトゲトゲしさがある。 当時の横尾は尖がっていたのね。 また「路上観察学会」の写真は見た記憶があるけど何度みても面白さが湧き出てくる。 平嶋彰彦の写真は30年の歴史を感じる。 当美術館は内井昭蔵設計だけど建築資料を見ていたら2009年の建築展を思い出してしまった。 これは内井の建築思想が分かる楽しい企画展だった(*2)。 やはりバブル景気が影響していたのは確かね。 景気が良いと芸術家はヒネクレてしまう。 そうすると見応えのある作品が生まれるとういうことよ。 *2、「内井昭蔵の思想と建築,自然の秩序を建築に」(2009年12月)  *館サイト、http:// www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection.html

■BODY/PLAY/POLITICS-カラダが語り出す、世界の隠された物語-

■横浜美術館,2016.10.1-12.14 ■映像作品と聞いていたので余裕を持って行きました。 でも作品数が少なかったので館内滞在は2時間くらいでしたね。 これならそごう美術館も回れる。 作家6人が登場します。 インカ・ショニバレ「さようなら、過ぎ去った日々よ」は椿姫の一場面を歌いますがアフリカとヨーロッパの関係を歌唱・衣装・建築に求めているようです。 植民地時代を想像させますが椿姫との関連がよくわからない。 イー・イラン「曇り空でも私の心は晴れ模様」はマレーシアの伝統幽霊ポンティアナックに扮した女性7人が日常生活を語り社会を批判します。 アピチャッポン・ウィラセタクンは火を使った作品で昔からのタイ国政治変動の激しさを表現しているようです。 ウダム・チャン・グエンはホーチミン市内でバイクを走らせてのパフォーマンス映像ですが一番面白かった。 黒山のようなバイクが走るホーチミン市ならではの作品です。 活気が伝わってきます。 石川竜一のポートレイトもなかなかいいですね。 人々はカメラを意識していますがそれを越えた素直な人生が表れています。 田村友一郎の「裏切りの海」はビリヤードテーブル3台とボディビルを連想する彫刻、安っぽいレストランテーブルや本棚そして旧式ラジオが置いてある室構成です。 1960年頃の薄暗いビリヤードホールの雰囲気がでていてその時代空間に浸ることができます。 「世界の隠された物語」を身体に感じます。 民話や芸能など語り伝えられた言葉が体を包み現在=政治と静かに向かい合っている。 観終わって展示会名が良く出来ていると思いました。 *館サイト、 http://yokohama.art.museum/special/2016/bodyplaypolitics/index.html ■横浜コレクション展、2016年度第2期 ■序でに観ました。 横浜の20世紀が一望できます。 「横浜の秘密はハマにあり」を今年5月NHK「ブラタモリ」で見たのですが港の地形変貌をこの番組で初めて知りました。 以後、横浜の写真や絵画を地理的に理解できるようになった。 さすがブラブラ歩きのタモリですね。  *館サイト、 http://yokohama.art.museum/exhibition/index/20161001-473.html

■西田俊英展、忘るるなゆめ

■そごう美術館,2016.10.18-11.13 ■「華鬘」(1983年)を目にしたとき山種美術館で出会ったことを思い出しました。 この作品は記憶に残っていた。 似た作品も2点ありましたが凝縮されていてどれも見応えがある。 存在より物の色と形のハーモニーを追求しています。 卒業制作の「回転木馬」(1977年)もいいですね。 緊張感があります。  しかし歳を追うごとに平凡さに覆われてきます。 それは人や動物が日常で覚える倦怠感と同じものです。 でも宗教の柔らかさを持っている。 時々生き返る作品もある。 彼も認めています。 それはキャプションに年齢が入っているからです。 彼は年齢に拘っている。 過去に目が向いているのでしょう。 *館サイト、 http://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/16/nishidashunei/index.html

■朝井閑右衛門展、空想の饗宴

■練馬区立美術館,2016.9.18-11.13 ■1901年生まれの朝井は20世紀人間である。 1983年に亡くなっている。 1930年前後の風景画や「東京十二景」(1935年)の頃は描く素直さが出ている。 「丘の上」前後から他者を意識し始める。 「ロリルの踊り」を含め道化をみれば分かる。 次に「画家像」を印象派、「ギタリスト」にピカソを取り込むしかない。 戦中の「蘇州風景」(1941年)は再び素直さが戻る。 このとき野人画家を進もうと決めたのだろう。 戦後、「電線風景」から厚塗りになっていく。 「電線風景」は謎である。 精神的揺らぎがあったのか? 1950年代、周囲にいる文学者の影響が強くなり又子供時代の記憶も甦ってきたようだ。 日本回帰に繋がる。 終章のアトリエは人生の形を整えようとしている風景である。 初期や戦中の素直な作品が気に入った。 *館サイト、 https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=m10327

■カリエール展、セピア色の想い

■損保ジャパン日本興亜美術館,2016.9.10-11.20 ■カリエールは聞いたことがあるようなないような、作品もみたようなみないような・・。 夢の中の人物や風景のようで覚えていないのかもしれない。 フランスでも忘れられた画家と言われたらしい。 2006年の西洋美術館「 ロダンとカリエール展 」は見逃している。 褐色の朧気な作品の前で想像着色しながら見ているとなかなかいい。 文学も強く影響しているのか? 人物画をみているとそう感じるときがある。 サロンへの出展、画塾の創設、美術団体の設立など結構精力的にこなしたようだ。 50代での病死は早すぎる。 *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/current/4196.html

■ダリ展

■国立新美術館,2016.9.14-12.12 ■ふだん見ることのない初期と晩年の作品が会場を厚く熱くさせているわね。 入口近くに並んでいた作品「巻髪の少女」「少女の後ろ姿」はダリの核心が描かれていると直感したの。 あの青い空、女髪の匂い、・・後ろ姿。 男の意識は22歳前後に固定してその後は一生変わらないって言うじゃない。 彼はこの2枚から逃げられない。  「デスティーノ」は初めてだけどディズニー作品の真面目さがでている。 目が飛び出ている自画像はナイフで切られる「アンダルシアの犬」に繋がる。 それにしても晩年はゴチャマゼね。 これは彼が完璧と格闘していた証拠かもしれない。 ダリは海老とチーズが好きだったらしい。 作品によく登場していた目玉焼もきっとそう。 ダリ・エビ・チーズ・メダマヤキ。 うん、シュールな組み合わせだわ。 * 「世界が愛した芸術家ダリの超現実的な人生」「ダリ,科学を追い求めた生涯」(2015年) *展示会サイト、 http://salvador-dali.jp/

■ゴッホとゴーギャン展

■東京都美術館,2016.10.8-12.18 ■ゴーギャンよりゴッホが記憶に残る展示会です。 ゴッホは33歳の1886年にパリに移る。 「人生は30才からだ・・」。 彼に与えたパリの衝撃力が感じ取れる内容です。 それから4年後に亡くなる。 作品に時間の密度を感じます。 急いだ人生だったのですね。 時間の速さも感じます。 ゴーギャンとの共同生活は何故破綻したのでしょうか? ゴッホの精神異常が原因でしょうか? 共同成果はその後の作品にも表れていますが体系的な影響度がよくわからない。 二人をいっしょにするとややこしくなる。 相乗効果が薄いように感じます。 作品をみていろいろ想像してくれというような展示でしたが、初めての作品も多く満足度は十二分に有りました。 *「 ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち展 」(汐留ミュージアム,2015年) *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/h28_goghandgauguin.html

■デトロイト美術館展、大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち

■上野の森美術館,2016.10.7-2017.1.21 ■印象派と20世紀独仏絵画に絞っている。 日本人好みの展示会です。 画家30人が登場しますが知らない名前は5人だけでした。 都美術館で先ほど観てきたゴッホとゴーギャンも見応えのある3枚が展示されています。 20世紀ドイツ絵画は力強いので会場が引き締まりますね。 ところでリコーのインクジェットプリンタで描いたゴッホの「オワーズ川の岸辺」を販売していました。 絵具の盛り上がりまで再現されていて成るほど凄い。 分野が違いますが、これをみたらソニーの仮想現実プレステVRの体験会ヘ行きたくなってしまった。 *館サイト、 http://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=166

■オランダのモダン・デザイン、リートフェルト/ブルーナ/ADO  ■川口起美雄/野又穫、ふたつのアナザー・ワールド  ■児玉麻緒展

*以下の□3展示を観る. ■東京オペラシティアートギャラリ,2016.9.17-11.23 □オランダのモダン・デザイン,リートフェルト/ブルーナ/ADO ■「シュレーダー邸」の写真は見たことがあるが作者を知ったのはこの会場である。 垂直と水平の線・面、原色の青・赤・黄・白塗装の椅子や「シュレーダ邸」はモンドリアンと関係があることは直観できる。 バウハウスの影響もあるようだ。 シンプルだが物不足の時代らしくどこか重量感がある。 ADOの玩具も同じように感じる。 木という素材もあるが、やはり物質感への欲求があったのかもしれない。 「シュレーダ邸」に関して言えば出口近くのダフネ・ローゼンタール監督作品がまとめになる。 「うさこちゃん」は少し違う。 ディック・ブルーナはリートフェルトやフェルズーと違って戦後から活躍したからだろう。 たかがウサギだが線を何十回も描き直しているとは驚きである。 さすが世界のミッフィである。 それにしてもオランダの戦後美術はよくみえない。 作家の名前も顔も浮かばないのだ。 日本での紹介展も少ないからだろう。 *美術館、 https://www.operacity.jp/ag/exh190/   □川口起美雄/野又穫,ふたつのアナザー・ワールド ■これは嬉しい。 ここで二人の作品に出会えるとは。 収蔵品展はいつもサプライズである。 * 「川口起美雄,絵画の錬金術師」(2015年) * 「空想の建築,ピラネージから野又穫へ」(2013年) *美術館、 https://www.operacity.jp/ag/exh191.php □児玉麻緒展 *美術館、 https://www.operacity.jp/ag/exh192.php

■鈴木其一、琳派の真打KIITSU登場

■サントリ美術館,2016.9.10-10.30 ■其一の紹介本には「夏秋渓流図屏風」(後期展示)が必ず載りますが漫画の背景のようにいつも見えてしまう。 主人公が登場する直前の気配が漂っています。 つまり何かが不足している。 しかし「水辺家鴨図屏風」や「三十六歌仙・檜図屏風」は鳥や人が集まった面白さがあります。 生物の基本を捕らえている。 彼の試行錯誤の様子が伝わってきます。 後半の「朝顔図屏風」は悪くないのですが再びの不足感に悩まされます。 展示室終わりの「富士千鳥・・」などは鳥の飛ぶ姿が生き生きしていません。 形の優先でしょうか。 反して人物画は心を通わせることができます。 今回は風景の中でも遠景画と人物画が特に気に入りました。 *館サイト、 http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_4/index.html

■杉本博司、ロスト・ヒューマン

■東京都写真美術館,2016.9.3-11.13 ■古びたトタンバラックに囲まれて作品が置いてある。 戦後の東京下町を歩きながら観ているような錯覚に陥る。 政治家・生物学者・自由主義者・ジャーナリスト・ロボット工学者・宗教者・漁師など30人が登場し、彼らの書いた人類滅亡理由の文章「今日、世界は死んだ・・」とともに関係する物々が展示してある。 日本的廃墟の風景が会場に広がっていて想定外の驚きと言ってよい。 これはしかし「 はじまりの記憶 」と対になる作品かもしれない。 まさに「おわりの記憶」である。 緊張感溢れるエントロピーの極小を目指し、無機物から有機体が発生するその瞬間を捕らえたはじまりの記憶とはまったく逆である。 エントロビは極大化し人類が無機物に帰っていこうとしている。 これだけの物語文章が展示してあること自体が極大局面を表している。 なんと、2階展示室も物語が床にへばり付いているのだ! 作者もエントロピを食べ過ぎて無機物に帰っていこうとしているのか!? ■館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2565.html

■世界報道写真展2016、沈黙が語る瞬間

■東京都写真美術館,2016.9.3-10.23 ■シリアなどから欧州へ逃げていく難民の作品が20%を占めている。 新聞やテレビとは違いこのように難民一人ひとりをじっくり見ると問題が切実に思えてくる。 写真をみて思い出したのがネパール大地震、天津港コンテナ置場爆発事故の二点。 長期取材の部は初めて聞いたが米軍女性への性的暴行の頻発は軍組織の本質を浮彫にしている。 チベット仏教徒が集まるラルンガル街遠景、セネガル相撲、南極大陸科学保全地区は写真をみる楽しさがある。 ところで館の内装が新しくなっていた。 すっきりしてしまい事務的で物足りない。 以前の内装は凝っていて気に入っていたのだが・・。 * 「世界報道写真展2015」 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2580.html

■美術館を手玉にとった男

■監督:S・カルマン,J・グラウスマン,出演:M・ランディス ■贋作画家マーク・ランディスは記憶と空間認識が普通と違うと考えられます。 これが統合失調気質に共鳴して出来の良い作品ができた。 彼の生活は両親特に母の影響に雁字搦めにされていますね。 映画を含め芸術に向かったのは母つまり女性との接触関係が崩れてしまった代替行為でしょう。 ランディスを許さない人々が登場します。 美術館に贋作を寄贈する時に嘘を付く為です。 ランディスも内心では認めている。 それを慈善活動という言葉で逃げようとしている。 偽の神父になり活動するのはその償いでしょう。 贋作画家より贋作神父のほうが驚きです。 芸術から宗教ですから境界線を歩き続けていますね。 贋作は美術でメシを食っている人には問題です。 飯の種は無価値になるし権威の失墜にもなります。 美術館にとっては最悪ですね。 しかし贋作もアートには違いありません。 本物も模倣ですから。 彼の個展風景で幕が閉じますが法の範囲で対応するしかありません。 *映画com、 https://eiga.com/movie/82540/

■ナムジュン・パイク展、2020年笑っているのは誰?

■ワタリウム美術館,2016.7.17-10.10 ■「お金は湯水のように使いなさい!」。 パイクが家を出るときの母の言葉よ。 羨ましいわね。 展示は4階の1956年から78年、3階が1980年から83年、2階は1984年から88年の作品が並ぶの。 階ごとにビデオが5・6本と他展示物だけど長い作品は一部分をみるだけになりそう。 4階は作曲家ジョン・ケージやシャーロット・モーマンなどの演奏家との共演が多い。 音楽からはみ出てしまったのは付き合った芸術集団の影響かもしれない。 ビデオに向かった理由は分からないけど未来への直観が働いたのね。 そのビデオ作品が面白くなるのはサテライトアート時代の1階に来てからよ。 それまではアレン・ギンズバークとアラン・カプローのパフォーマンスやマース・カニングハムのダンスなど狭い芸術や政治から抜け出せなかった。 「グッドモーニング・ミスター・オーウェル」「バイ・バイ・キップリング」「ラップ・アラウンド・ザ・ワールド」の3作品は今見てもどれも楽しい。 三宅一生、山海塾、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ヨーゼフ・ボイス、曙、浅田彰・・、あらゆるジャンルの人が登場するの。 一番は作品が生き生きとしていることね。 人間味がある。 この作品群でネットワークを使い社会や政治や芸術と結び付けて映像の方向性を出せた。 彼のインタビュからもコンセプトは長い時間軸で考えられていたことが分かる。 でも副題の2020年に誰が笑っているのかは調べなかったけど。 *美術館、 http://watarium.co.jp/exhibition/1608paik/index.html

■トーマス・ルフ展

■東京国立近代美術館,2016.8.30-11.13 ■「ポートレート」「ハウス」の順に作品群が続いていくが会場にはドイツの硬さが漂っている。 ある種の規律性が感じられる。 しかも生物への気配は跡しかみえない。 魂の存在感が均一に広がってしまっている。 「ネガティヴ」以降も見応えある作品が続く。 「jpeg」は意識を持ったロボットがエンパイアーステートビルとトレードセンターの現象差異を把握しようとしている場面である。 「フォトグラム」は絵画を意識してしまった。 抽象への面白さを備えている。 それにしても雑音のない作品が多い。 音楽は奏しているのだが無響室にいるようだ。 「2001年宇宙の旅」の写真版と言ってもよい。 *展示会サイト、 http://thomasruff.jp/

■しりあがり寿の現代美術、回・転・展

■練馬区美術館,2016.7.3-9.4 ■しりあがり寿の名前は新聞連載「地球防衛家のヒトビト」を読んでいたから知っているの。 今回初めて本人の写真をみたけど鼻がトーサンに似ている。 あと「真夜中の弥次さん喜多さん」もね。 これ以外の漫画は10コマ程度の断片しか展示していなかったけど面白さが伝わってくる。 ここに新聞連載のできる理由が隠れている。 でも会場は漫画がテーマではないみたい。 ムム、やかんが回転している! 歴史も、達磨も、道場もすべてが回っている。 うーん、わからない。 でも、たのしい。 この展示をみて回転寿司が一番凄いことを再認識したわ。 *展示会サイト、 http://www.saruhage.com/kaiten/

■アルバレス・ブラボ写真展-メキシコ、静かなる光と時-  ■神話の森

■世田谷美術館,2016.7.2-8.28 ■「日々の生活と手持ちの素材をシンプルに活かす」とブラボは言っている。 しかし捨てたピクトリアリスムは最後まで引きずっている。 この二つが噛み合っていない。 彼は政治にも距離を取っているようだ。 「時代の肖像」ではシイケロス、カーロ、タマヨ、エイゼンシュテイン、トロツキ、ブルトンなど錚々たる顔ぶれが登場するがブラボとの関係が読めない。 時代の激動には興味が持てなかった。 結果として「メキシコ、静かなる光と時」に落ち着いてしまったのかもしれない。  ところでスマホを持ってから写真を撮る機会が増えた。 今では写真日記の位置付けである。 クラウドに自動アップロードされるから何もしない。 今日撮った中で不要なものを削除し気に入ったものに評価等を記入しておくだけである。 編集ソフトも良く出来ているし必要なら動画も撮る。 1年間に千枚以上は貯まるだろう。 スマホとPCは意味記憶からエピソード記憶の道具になり、写真に芸術の意味を求めることはもはや少ない。 このプログも写真を言葉化したようなものである。 *館サイト、 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html ■神話の森、美と神々の世界 ■世田谷美術館,2016.7.22-10.23 *館サイト、 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection.html

■スミルハン・ラディック展、BESTIARY寓話集

■ギャラリー・間,2016.7.8-9.10 ■展示最初の模型、黄と赤のテント「パフォーミング・アーツ・ホール」と中世風の建物「チリ・プレコロンビア芸術博物館」をみて、あっこれはイタリアだと直感しました。 後に続く10点近くの作品はレオナルド・ダ・ヴィンチを連想します。 建築と美術が絡み合って混沌としていますがしかっかりとした思想も感じます。 新しい何かが有るようですがよく分からない。 ビデオ「オレンジ・ノイズ」と「寓話集」を同時に観たが美術や演劇の話題も多い。 T・カントール「死の教室」も論じているが翻訳された日本語が理解できない。 困ったものです。 「よく描けた挿絵や模型には・・、対象物の記憶が充満している」。 そのように感じられる作品群でした。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex160708/index.htm

■東京ガーデンテラス紀尾井町

■建築主:西武プロパティーズ,設計:日建設計,施工:紀尾井タワ-は鹿島建設ほか,紀尾井レジデンスは西武建設ほか ■以前はメトロで赤坂に行くときは見附駅で乗り降りするしかなかった。 赤坂駅はまだ無かった。 見附からの赤坂プリンスホテルは見上げるように建っていた。 この赤プリ跡地に複合施設が7月に開業したということで散歩がてらに見学してきた。 新しい紀尾井タワーは外見だけでも使い易い建物にみえる。 赤プリは、都庁もそうだが丹下健三の高層建築は使い勝手が悪いらしい。 デザインに拘るからだろう。 特徴の無い新タワーは赤坂のランドマークにはならない。 正面はオフィス玄関が広く取られている。 5階から28階迄がオフィス、30階から36階がホテルである。 ヤフー本社が引っ越して既に入居しているようだ。 商業エリアであるテラスは弁慶堀に沿って並んでいるが店舗・通路どれも面白みはない。 堀に面する使い方も良くない。 土地が三角形でゆとりが無い為かもしれない。 裏に旧李王家東京邸が移設改修されクラッシク・ハウスとして建っている。 ここは庭を含め広々としている。 近くの議事堂や裁判所の影響が感じられ閑散としている。 この数年に建てられた複合施設(オフィス+ホテル+住居+店舗)に奇抜さは少なくなった。 セキュリティも厳しくなっている。 もはや日常風景に取り込まれてしまったと言ってよい。 ところで道向かいにあるニューオータニのコートからタワー、メインに連なるアーケードを時々歩くが旅館としての祝祭性がまだ残っているので嬉しくなる。 *ガーテンテラスサイト、 http://www.tgt-kioicho.jp/

■宇宙と芸術展

■森美術館,2016.7.30-2017.1.9 ■会場に入るといきなり曼荼羅である。 次第にエントロピーが増大していく。 作家や作品に統一感が無い為だ。 チームラボの「追われるカラス・・」も新鮮味が無い。 竹取物語の時代ならともかく芸術と宇宙が乖離しているのではないか? その宇宙も火星緑化計画や宇宙エレベータ、月面住居や宇宙服など目新しさが無い。 宇宙船内の実験映像をみていても何が目的なのか直ちに理解できない。 美術館と科学博物館の板挟みに悩んでいるようだ。 出口近くに7作品全60分の映像作品があったので上演まで待っていたが、最初の作品「FACING THE UNKNOWN」が始まると数分で9割の観客が席を立ってしまった(夕刻時間で観客は若者が多い)。 ブラックホールの話だが子供向けで面白くないからだろう。 会場入口は曼荼羅を並べているのに出口ではこのような映画から始めている。 上映順序をもっと考えてもよい。 夏休み企画だからしょうがないと言えばそれまでだが、観客の年齢や興味・行動などが考慮されていない展示にみえた。  *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/universe_art/

■レンブラント、リ・クリエイト展-時代を超えてよみがえる光と影-

■そごう美術館,2016.7.30-9.4 ■リ・クリエイトって生物学者福岡伸一が銀座で騒いでいた光の王国のことでしょ?*1 これとレンブラント・リサーチ・ブロジェクト(RRP)が結びついた経緯は知らない。 でも面白い出会いだわ。 200点もの複製画を観るとレンブラントが身体に染み付いてしまうわね。 途中疲れも出て来るし、早く出口に辿り着きたい! でもこの感覚は絵画の見方を変えるのかもしれない。 一人の画家を量で観ると何かが吹っ切れたようになる。 偽物だから近くに寄って嘗め回せるから余計そうなの。 観た後は身体が分かっているから言葉で論じなくなる。 一人の映画監督の作品のほぼ全てを観た時の吹っ切れ感と似ているわね。 *1、 「フェルメール光の王国展」(2012年) *館サイト、 http://www.re-create.gallery/rembrandt2016sogomuseum/

■メアリー・カサット展、印象派を代表する女性画家

■横浜美術館,2016.6.25-9.11 ■名前と数枚の作品は知っていたけど詳しくはない。 日本では35年ぶりの回顧展らしい。 この期間が日本での位置付けを物語るようね。 ドガの「踊りの稽古場」を目にした時カサットが彼に憧れた理由がわかる。 バレリーナの目標を持つ姿が構図と色に感じられるからよ。 1890年代が一番かな。 「夏の日」「果実をとろうとする子供」「家族」「母の愛撫」の頃よ。 この時期のドライポイントもいいわね。 それとアメリカの光と風のある作品に時々出会えるのが楽しい。 精神の強さもある。 「私は自立している、一人で生きていくことができる、仕事を愛しているから」。 1900年代になると優しさもみえてくる。 女性としてここまで活動できたのは自身の努力や家庭の裕福さもあるけど、やはりアメリカの黄金時代を背景に感じるわね。 *館サイト、 http://cassatt2016.jp/index.html

■ミケランジェロ展、ルネサンス建築の至宝

■汐留ミュージアム,2016.6.25-8.28 ■ミケランジェロは建築家だった。 副題の通りです。 この展示会を見る前までは彫刻家だと思っていました。 彼自身も言っています。 「画家ではない」と。 宿敵レオナルド絵画が持っている人間宗教世界を超えた生命宇宙観とは土俵が違うと考えていたのでは? 絵は仕事と割り切っていたのでは? 「システィーナ礼拝堂天井画を描いている自画像」で身体を酷使している文章は釘づけになります。 読み返してしまいました。 そして彫刻は墓を通して建築へと昇華していく。 重厚な中に切れ味のある、飽きのこない形や装飾の門や階段、天井には唸ってしまいます。 そこに彫刻が置かれると一心同体になります。 手紙などの筆跡や言葉でミケランジョロに近づけるのですが作品との関係は非連続です。 やはり素描や図面から感じ取るしかありません。 彼は彫刻を内包した建築家です。 *館サイト、 http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/16/160625/index.html

■12Rooms12Artists、UBSアート・コレクションより

■東京ステーションギャラリ,2016.7.2-9.4 ■UBS日本設立50周年記念展である。 企業コレクションだがカリスマ経営者が熱血を注いで収集したものにはみえない。 組織として活動をしているのだろう。 この為か社会的意味の付着した作品が多い。 それらは率直な感動がやって来ない。 見ながら考えてしまう作品ばかりだ。 荒木経惟の「切実」は写真を二つにビリッと破ってある。 破った意味を追ってしまう。 「センチメンタルな旅」のような作品自身から湧き出る面白さが無い。 小沢剛の「ベジタブル・ウェポン」も政治漫画の真似である。 陳界仁「ファクトリー」は映像だけに歴史を語り易い。 廃墟になった台湾の縫製工場の跡地に当時働いていた女性たちが年齢を重ねて現代によみがえる。 彼女たちが遠くを見つめると当時の映像が流れるという作品である。 台湾史を描いているのだが20世紀アジアに共通する光景にみえる。 初めて見るルシアン・フロイドも悪くはないが疲れが先に出てしまう。 楽しい作品はアンソニー・カロの「オダリスク」。 ダラッとしてるがどこか生気が宿っている肉体が心地よい。 スイス金融企業らしい所蔵作品群であった。 商品で言えば分散且つ長期運用型投資と言える。 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201607_12rooms.html

■ポール・スミス展

■上野の森美術館,2016.7.27-8.23 ■鞄はポール・スミスを使っている。 シンプルで軽くて使い易いし値段も手頃だからである。 衣装はこれに洗練された遊び感覚があることを付け加えたい。 配色は天性だろう。 形は好みが分かれる。 少し硬い感じもする。 このため日本の顧客層は二十歳前後から30代にみえる。 会場はとても賑やかだ。 色彩ある物で一杯である。 そこからアイデアが生まれるらしい。 アートウォールと同じで混沌を上手くまとめている。 彼を見ているといつも遊び心を絶やさずリラックスを心掛けている。 自分の感性を商品として形作ってきた自信の裏付けからだろう。 店舗やデパートを散策しているとポール・スミスのエリアにはこの雰囲気が漂っている。 総合デザイナーとして作品すべてに「好きこそ物の上手なれ」が感じられる。 *館サイト、 http://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=165 ■デザイナーのレシピ ■出演:ポール・スミス,松田翔太 ■「ポール・スミス展」日本開催記念として作られた1時間の映像作品である。 合わせて観ると展示会がより面白くなる。 8月23日迄配信中。

■ポンピドゥー・センター傑作展

■展示デザイン:田根剛 ■東京都美術館,2016.6.11-9.22 ■1906年から1977年までの72年の期間を、1年1作家1作品にして71作品が展示されています。 1945年は抜けている・・。 20世紀のパリの喧騒が感じ取れます。 また戦争とそれに抗う姿がはっきりと見えます。 71作品で知っている画家は30名しかいない。 40名は初めての出会いでしょう。 ポンビドゥー・センタからみて20世紀を表現できるのはこの作家であるという決意も現れている。 新鮮ですが鈍った頭をガツンとされた感じもしました。 72年間がどういう時代だったのかを、知っている30人だけではなく未知の40人を加えて改めて教えてくれたからです。 会場構成は面白い。 階段を横に倒して1枚ずつ展示してあるかのようです。 このギザギザ構成が通路を挟んで対象に設置されている。 前後の作品が見えないので1枚に集中できます。 方向性がはっきりしているので移動も楽でした。 *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/h28_pompidou.html

■木々との対話、再生をめぐる5つの風景

■東京都美術館,2016.7.26-10.2 ■「ポンピドゥー・センター展」出口横のギャラリに寄り道したのですが拾い物でした。 作家5人の木彫展です。 船越桂に出会えたのは嬉しい。 作品人物像は身長が180cm位のため見上げるようになる。 「アバター」に登場する宇宙人にもみえます。 見つめていると対話をしたくなってくる。 宇宙人との対話ですね。 非言語的ですが話をした記憶は残ります。 土屋仁応の動物たちは心が和みます。 「木とは繊維の束で方向性がある。 年輪と言う形で時間も内在している」と彼は言っています。 植物が持っている生命を動物たちに感じるのでしょう。 田窪恭治の作品は題名がいい。 古木に金箔をはり物語を強調しています。 劇的さを感じさせてくれます。 國安孝昌の建物のような作品はスタジオジブリの漫画背景に出てきそうですね。 子供時代に枯れ木などで隠れ家などを建てて遊んだでしょ。 いろいろな記憶が結びついて巨大になった作品にみえます。 木というのは観る人の過去を貯めています。 須田悦弘の「バラ」は木彫とは見えません。 紙細工のようです。 彼の作品はさりげない場所にさりげなく置いておくらしい。 それが木だとわかった時の驚きは良質です。 *展示会サイト、 http://90th.tobikan.jp/exhibition.html

■古代ギリシャ、時空を超えた旅

■東京国立博物館・平成館,2016.6.21-9.19 ■ギリシャ6千年の歴史を2時間で観てきたの。 ほぼ全ての時代の作品を並べられるのが古代文明の証ということね。 生き生きとしたミノス文明迄と戦いの匂いがするミュケナイ文明の違いは舞台が島から大陸に移動した為かしら? 戦争が文明にまで及ぼすには陸地が必要なのかもしれない。 逆に「漁夫のフレスコ画」のように裸が芸術にまで昇華できるのは海からの力だわ。 次の暗黒時代は気にかかるけど説明が省いてある。 幾何学様式時代も謎深いわね。 そして再びギリシャらしい時代になる。 「クーロス像」と「コレー像」は展示の中では一番かな。 でも結局は大陸のマケドニアに征服されてしまう。 ギリシャ文明は海に向かう時代が一番躍動感があったというのが理解できたわ。 会場のいたるところにその時代の海の香りが残っているからよ。 *館サイト、 https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1787

■LOUVRE NO.9-漫画、9番目の芸術-

■森アーツセンターギャラリ,2016.7.22-9.25 ■ルーヴル美術館はどうしても漫画を第9芸術にしたいらしい。 この実現のため「漫画プロジェクト」を立ち上げ「ルーヴルをテーマにした作品」を16人の漫画家に依頼した。 その過程をまとめた展示会である。 日本人漫画家6名が含まれている。 作品は一部分しか展示していないが大凡は分かる。 それにしても外国の漫画は取っ付き難い。 日本の漫画とは大違いだ。 外国漫画は小説のように<読んでいく>作品が多い。 絵も同じである。 両者の比較が掲示されていた。 ・外国漫画は・・ コマ単位を重視、作成時間は長い(1年単位)、色はカラー、ハードカバーで紙質は良い、販売は大書店、値段は20$、読まれる場所は書斎。 ・日本漫画は・・ 流れを重視、作成時間は短い(20ページ/週)、色は白黒、ソフトカバーで紙質は悪い、販売は売店、値段は3$、読まれる場所は不特定。 この違いを荒木飛呂彦が言い切っている。 「日本の漫画はエンターテインメントである」と。 なるほど。 なぜルーヴルが第9芸術にしたいのかが分かる。 それは文学や絵画の延長や同類とみているからである。 漫画は第8芸術のメディアに入れておけば良いと思うが? 上記のような違いを比較してもこれからは意味が無い。 ポケモンGOをしながら六本木まで行ったがゲームも将来は第XX芸術になりそうだ。 *展示会サイト、 http://manga-9art.com/

■土木展、つなぐ・ながす・ほる・ためる

■2121デザインサイト,2016.6.24-9.25 ■大学の工学部には建築工学科か土木工学科のどちらかがあった。 しかしいつの間にか土木工学科が無くなってしまった。 名前が都市工学科などに変わってしまったのだ。 土木はキツイ・汚い・危険の3Kイメージがあるので学生が集まらないらしい。 建築展は頻繁に開催されているが土木展など聞いたことが無い。 ある辞書では「建物が建築、それ以外は土木」とあった。 ダムや橋はどちらだ? 会場には新宿駅や渋谷駅の構造図や模型もあったが建築と土木の境界線はあやふやにみえる。 土木と言うくらいだからたとえ建築でも土と木をいじくりまわす比率が多ければ土木になるのかもしれない。 土木とは直接関係ないが気に入った作品は「墨田川リバースケープ」(ヤマガメユキヒロ)。 隅田川を描いたモノクロ素描に映像を重ね一日の移り変わりを表現していて幻想的である。 同じ「六甲山からの眺望」は太陽や雲や夜景だけの変化で物足りない。 土木関係の作品ではスイスのゴッタルドベーストンネルで使った「トンネル掘削機」の構造映像。 この機械は知っていたが、削った岩石をどのように後方へ運ぶのか?前進方法は?カーブでの動きは?などの疑問点が稼動映像をみて解決した。 また削った後処理も知る。 トンネル表面に網を架けコンクリートを吹き付けるところまで行っている。 想像以上の機械で感心した。 それと土木雑誌「BLUE’S MAGAZINE」を初めて手に取ったが面白い。 全体としては企業側の論理に沿った内容であり、レベルとしては学生向け夏休み用展示会と言える。  *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/civil_engineering/

■ジュリア・マーガレット・キャメロン展、写真に生命を吹き込んだ女性

■三菱一号館美術館,2016.7.2-9.19 ■写真家キャメロンは聞いたような名前だけど初めてかもね。 写真美術館でも個展はなかったはずよ。 ヴィクトリア&アルバート博物館の巡回展らしい。 肖像画が素晴らしい。 数人構成の少女たちの作品は特に素敵ね。 でもボケてない? ソフトフォーカスとしての思想性は無い。 中途半端な感じがする。 「キャメロンの同時代人」をみても鮮明な作品が多いということはわざとしているのね。 でもピクトリアリスムを狙っていたのなら筋がいいわね。 作品を縮小して見るとより芸術性が増すと思わない? 彼女が撮りはじめたのは1863年。 日本の写真史も60年頃から始まるから、当時これだけの作品を撮っていたのは凄いことだわ。 コロディオン法と鶏卵紙を使い30cm四方もの重たいカメラで撮影し作品を完成させるのは大変だと思う。 彼女は歴史性もあるから残ったのね。 *館サイト、 http://mimt.jp/cameron/

■ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち

■国立新美術館,2016.7.13-10.10 ■では巨匠たちの名前は?と問われると直ぐに答えられない。 イタリアは都市間が近すぎ移動が容易のため混乱します。 ベッリーニやティツィアーノくらいですか。 ジョヴァンニ・ベッリーニの父も兄も有名な画家なので混乱しそうです。 ベッリーニは1枚、テッツィアーノは晩年期の2枚しか出品されていない。 それでも満足できる展示内容ですから他画家の質・量に厚みの有ることが分かります。 150もの貴族がいた裕福な都市の力にも依ります。 目玉であるティツィアーノの「受胎告知」を見つめているとギュスターヴ・モロを思い出してしまいました。 より現実的な象徴主義としてです。 ルネサンスの為か風景画は少ない。 でも会場にはジョルジョーネの色彩と抒情的風景が感じられます。 それはヴェネチィアの喧騒の中の静寂としてです。 紹介映像「アカデミア美術館」に「嵐」が映っていましたが、この静寂にも謎が混じり込んでいます。 ところで「受胎告知」のタイトル作品が何故多いのか理由がわかりました。 それはヴェネツィア建国記念日421年の3月25日が受胎告知祭日と同じだからです。 心がジワッと充実していくような展示会でした。 アカデミア美術館蔵、日伊国交樹立150周年記念展。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2016/venice2016/

■ウフィツィ美術館、フィレンツェ・メディチ家の至宝

■監督:ルカ・ヴィオット ■シネスイッチ銀座,2016.7.9- ■3Dメガネをかけて観るのだが、やはり建物や彫刻はリアルに感じる。 最初は脳味噌がクゥーと唸る感じだ。 絵画も立体にみえるが違和感がある。 大ロレンツォが現代に生き返り進行役を務め有名作品を1点1点みていく流れのようだ。 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が写し出された時はこのまま一時間くらい見ていたかった。 建物表面をじっくり見る機会がないからだ。 シニョリーア広場に置いてある「ネプチューンの噴水」など彫刻群も気に入る。 さすが3D。 絵画ではボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」の金髪の重量感に生命の躍動が感じられたのは嬉しい。 ミケランジェロ「聖家族」の背景説明は面白かった。 しかし多くはありきたりな解説でつまらない。 上空からの街の映像も単純な繰り返しである。 下手な冗長性が随所に見える。 それでもフィレンツェへ行ってみたい!と言う気が起きる。 ウフィツィ美術館の広告としてみれば良いだろう。 2015年作品。 *作品サイト、 http://uffizi4k3d.com/

■東急プラザ銀座

■建築主:東急不動産,設計:日建設計,施工:清水建設 ■今年3月に開館した東急プラザ銀座に立ち寄る。 以前は阪急があった場所だ。 有楽町駅ガード下から続く<古っ臭い、安っぽい、湿っ暗い>の最前線として煌びやかな銀座四丁目と対峙していた阪急ビルがついに解体されてしまった。 有楽町に出かけた折にはこの阪急の古臭いレストラン街でよく食事をした。 それが江戸切子風の建物に変わっている。 さっそく全階を隅々まで歩く。 入居している150の店舗は良質ある<並み>といってよい。 20代から30代の客が対象のようだ。 6階に吹き抜けの「キリコラウンジ」があり一服できる。 8階と9階は免税店になっていて外国人で賑わっている。 10階、11階のレストランも他階に合わせて多くはカジュアル風にみえる。 ギリシャレストランは初めてかもしれない。 屋上は「キリコテラス」で自由に歩き回れる。 ここからの風景は初めてだが見通しは悪い。 遠くに湾岸ビルの先端が見えるだけだ。 皇居もチラッとだけである。 泰明小学校の後ろに線路を挟んで帝国ホテルが構えている。 日比谷再開発の建築中ビルも目立ってきた。 高級感は薄いが東急プラザの中ではスッキリした雰囲気がある。 細長い敷地だが店の境界がはっきりしないので広く感じる。 三菱電機のMEToAショールームやパブリック空間も多くて落ち着ける。 プラザを出ると数寄屋橋公園も新しくなっていた。 渋谷へ出かけた際にはプラザ渋谷の紀伊国屋書店に寄っていたがここも閉館になってしまった。 古臭い・安っぽい・湿気暗い東京がなくなっていくのは寂しい気もする。 *写真、 http://lnews.jp/images/2016/02/20160208sbslogi.jpg

■園子温展、ひそひそ星

■ワタリウム美術館,2016.4.3-7.10 ■館2階が「今際の際」、3階「土台」、4階「ひそひそ星の絵コンテ」の3作品で構成されているの。 映画「ひそひそ星」(*1)の延長のような内容ね。 この「今際の際(いまわのきわ)」をみて言いたいことが分かった! 忠犬ハチ公の「土台」と結びついているのは歴然ね。 「人生とは待つことである」「待つことが終われば人生も終わる」。 主人公鈴木洋子は郵便配達人でなんとロボット。 宇宙に散らばった人類、それも絶滅種になってしまい数えるほどしかいない人々に荷物を届けるのが彼女の役目。 人々は配達人を荷物を荷物に籠められた何かを待っている・・。 彼の映画はとても文学的なの。 初期作品から言葉に強く拘っていた。 きっと詩人の血が騒ぐのね。 「ひそひそ星」はそれを隠している。 配達人が荷物を持って津波跡の海岸を歩いていく唯一のカラー場面は言葉を越えている。 誰もいない街中を自転車で配達する場面も素晴らしい。 彼は映像で描き切れなかったものをこの展示会で表現したかったらしい。 どうしても言葉で表現しないと不安なのね。 でも言語を越えなきゃ! 映画に文学は不要よ。 *1、「ひそひそ星」サイト、 http://hisohisoboshi.jp/ *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1603sono/index.html

■国吉康雄展、少女よお前の命のために走れ

■そごう美術館,2016.6.3-7.10 ■国吉康雄は時々目にするが個展は十数年ぶりかもしれない*1。 スミソニアン・アメリカン・アートミュージアムでの2015年展示会と「国吉康雄プロジェクト」*2の協力を受けた展示会のようだ。 20世紀前半の彼が活動した時代を取り込んでの全体像が語られている。 米国で転々と生活しながらリーグ美術学校に行着き良き師や友人に出会えたのは彼の天性だろう。 ニューヨーク・デビュー前後の作品はセザンヌなどの影響の為か特徴ある存在感が漂っている。 以降デフォルメ化されていく。 彼はユニオン・スクエアが見えるアパートに住んでいたらしい。 パスキンとの交流は初めて知る。 彼とパリにも行っている。 そういえば人物表情の中にパスキンらしさもどこか感じられる。 そして戦時中の明るいが冷たい作品群はそのままの彼の心象だろう。 この展示会副題の詩のようなタイトルは彼の多文化主義の一つの解かもしれない。 1948年全米画家トップ10にベン・シャーンやジョージ・グロスと伴に彼が名を連ねているルックの誌面は象徴的だ。 会場での映像作品、「岡山大学の子供美術鑑賞」「国吉作品の修復作業」「スミソニアン美術館担当員の話」「リーグ美術学校時代の学生の話」はどれも楽しめた。 *1、「国吉康雄展」(2004年)、 http://archive.momat.go.jp/Honkan/Kuniyoshi/index.html *2、「国吉康雄プロジェクト」、 http://www.yasuo-kuniyoshi-pj.com/ *館サイト、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/16/kuniyoshi/index.html

■キセイノセイキ

■東京都現代美術館,2016.3.5-5.29 ■「ピクサー展」は混雑してますね。 並ぶのが嫌だったので先ずはこちらにしました。 「規制の世紀」と当て嵌めました。 作品にバラツキがみえます。 たぶん「規制とは何か」を具体にすると対象が見え難くなるからでしょう。 二点紹介します。 アルトゥル・ジミェフスキ「繰り返し」(2005年)は監獄実験をビデオに撮った作品です。 市井の被験者を看守と囚人に分けて監獄を再現しています。 監獄は特に食事・睡眠・排便に多くの規制がある。 些細なことで互いの憎しみを大きくしていくのがわかる。 因みに実験は虐待行為にまで進み中止になったそうです。 報道カメラマン横田徹の「WAR」は紛争地の実写を繋ぎ合わせた作品です。 民衆同士の争いは醜くて見ていられないのですが軍隊が入るとまるで違います。 軍隊が関わる戦争は競技大会のようです。 イラク周辺で一人のタリバン兵士(?)をアメリカ軍兵士が追いかけていく光景は狩猟そのものです。 敵を射撃する動作や表情、兵士同士の会話、負傷兵を治療する場面などは試合中の選手ですね。  人間の奥底に宿っている規制や差別からくる憎しみの積み重ね、それをスポーツのように昇華する戦場、これを助長する権力や軍隊構造。 なぜ戦争が無くならないのか? この理由を感じ取れる作品でした。 他には小泉明郎「オーラル・ヒストリ」、高田冬彦「Many Classical Momennts」、「禁止単行本目録」が記憶に残りました。 午後に館に入ったのですが夕方までかかってしまった。 残念ですが「ピクサー展」は諦めるしかない。 映像のある展示会は事前にスケジュールを組まないとだめですね。 *館サイト、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/mot-annual-2016.html

■フランスの風景・樹をめぐる物語、コローからモネ・ピサロ・マティスまで

■損保ジャパン日本興亜美術館,2016.4.16-6.26 ■ほとんどの風景画は樹々が描かれているからどうにでも解釈できる会名ね。 しかもバルビゾンや印象派は郊外で自然や光を追ったから樹で一杯。 でもとても休まるテーマよ。 画家の半分以上は知らない。 多分みているけど忘れたのね。 それだけ有名作品ではないと言うこと。 1・2章の「戸外制作の画家たち」「印象派の画家たち・・」はわかるけど、3章の「ポスト印象主義・・」まで含めるときりが無い。 ナビや象徴になると魔女も登場するし、フォーヴの樹々は風景とは言えない。 ともかくリフレッシュできたから良しとしましょう。 *館サイト、 http://www.sjnk-museum.org/program/current/3729.html

■メディチ家の至宝、ルネサンスのジュエリーと名画

■東京都庭園美術館 ,2016.4.22-7.5 ■メディチ家を宝石と肖像画から窺う展示会です。 会場では出品リスト裏の「メディチ家系図」が重宝しました。 この系図に作品を肉付けしていけます。 老コジモ→痛風ピエロ→大ロレンツォ→愚者ピエロ→レオ10世→ウルビノ公→クレメンス7世→アレサンドロ→コジモ1世→フランチェスコ1世→フェルデナンド1世→コジモ2世→フェルデナンド2世→コジモ3世→ジャン・ガストネ。 周りに多くの女性も登場する。 これで300年ですから大ロレンツォから始めれば徳川幕府を俯瞰する時間感覚と同じです。 その時代から来る作品感覚も似ている。 ジュエリーは特徴があります。 カメオや真珠の回りに宝石をあられのように並べてあるが精緻さは無い。 でも白色と金や色とりどりの組み合わせが温かい。 ギリシャ神話や動物・昆虫が描かれていて親しみもある。 これに肖像画の衣装を合わせるとメディチ家の宝石の全体像が見えてきます。 この白色はミケランジェロの大理石に通ずるのでしょうか? チラシに「・・スキャンダルに満ちた一族の興亡」とありましたが宝石と公認肖像画だけを眺めていると静かな時の流れに包まれます。 日伊国交樹立150周年記念。 *館サイト、 http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/160422-0705_medici.html

■高島野十郎展、光と闇・魂の軌跡

■目黒区美術館,2016.4.9-6.5 ■初期作品の前では緊張しました。 傷を負う・林檎を持つ自画像、クネクネした木々や花、存在感溢れる静物などをみてです。 蝋燭シリーズは聞いたことがありますが初めての作家です。 岸田劉生の影響が感じられますね。 滞欧期以降の変化にも驚きました。 どこか開放的で赤色に染まった田園や街の景色、そして帰国後の落ち着きは有るが何か抜け殻だけになってしまった風景が広がっている。 緊張感ある初期作品はどこに行ってしまったのでしょうか?  そしてこんなにも赤み係っているのでしょうか? 「すべて等しく=慈悲」のため緊張感も均等に拡散してしまったのではないか? 「魚介類の観察図」(1915年)をみて分かったのですが科学的な目配りが均一の起源かもしれない。 これに宗教の混ざり合った均一性が写実から生気を遠ざけ凡庸な抽象を作品の内に招き寄せてしまった。 没後40年展。 *館サイト、 http://mmat.jp/exhibition/archives/ex160409

■黄金のアフガニスタン、守りぬかれたシルクロードの秘宝

■東京国立博物館・表慶館,2016.4.12-6.19 ■四半世紀の国の混乱を潜り抜けたアフガニスタン国立博物館収蔵品展なの。 展示されている黄金の輝きと共に博物館館員が必死で秘宝を守り通したドラマがあったとは驚きね。  シルクロードに組み込まれているからギリシャ、エジプト、インド、中国に影響された作品が展示されている。 でも黄金を纏った人々のアフガニスタン独自の文化がどういうものなのかが見えない。 日本の文化を知るのに奈良正倉院作品展に行くようなものかもしれないわね。 紀元前2100年頃の遺跡「テペ・フロール」は別として「アイ・ハヌム」「ティリヤ・テペ」「ベグラム」は前3世紀から後3世紀の期間だからアレクサンドロス大王つまりギリシャ文化の影響が一番大きい。 ギリシャと遊牧民、そこにインドや中国がジワッと混ざり合ってきた時代かしら。 先日観たキリストのいない「 ポンペイ壁画展 」と同じでイスラムのいないアフガニスタンも長閑な多様性が感じられる。 さて、これから続きの「バーミヤン大仏天井壁画」を芸美へ見に行くわよ! *館サイト、 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1765

■バーミヤン大仏天井壁画、流出文化財とともに  ■芸大コレクション、春の名品選

■東京芸術大学大学美術館・陳列館,2016.4.12-6.19 ■タリバンに爆破されたバーミヤン東大仏の天崖を飾っていた「天翔る太陽神」の復元公開よ。 それとアフガニスタンに返却する流出文化財87点も展示されている。 やはり仏像が多い。 この仏教世界が今までの知っていたアフガニスタンね。 切り口を少しずらすと「黄金のアフガニスタン」でギリシャを浮かび上がらせたようにシルクロード国家は多くの文化を蘇らせることができる。 アフガニスタンは再び交通のポリフォニーを奏でて欲しい。  *館サイト、 http://www.bamiyan-hekiga.com/ ■芸大コレクション、春の名品選 ■東京芸術大学大学美術館,2016.4.2-5.8 ■ついでに寄ったの。 気に入ったのは細川宗英の「道元」。 プラスチック製義眼嵌入のためか禅僧の異様な面が表現されている。 それと有元利夫「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」全8枚。 卒業作品(?)だけあって若さからくる音楽的激しさがみえる。 古いところでは橋本関雪「玄猿」、西村五雲「日照雨」の生物系が目に留まる。 *館サイト、 http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2016/collection2016sp/collection2016sp_ja.htm

■俺たちの国芳わたしの国貞、江戸時代から❤スカル好き❤メール好き

■Bunkamura・ザミュージアム,2016.3.19-6.5 ■国芳展は聞くが国貞展は記憶にない*1。 国芳はスペクタクルが強いから展示会向きなのだろう。 浮世絵は写真を見るように隅々まで意味を探し回ってしまう。 江戸末期の人々が何を求め何に喜んでいたのかよくわかる。 会名も含め章名が凝っていて面白い。 江戸と現代が一直線に文化で繋がっている。 今なら国芳は週刊誌、国貞はファッション誌を飾る写真かもしれない。 両者が補完し合っているので江戸を広く深く覗ける。 また国芳、国貞が混ざり合って出展されているが額縁などに工夫を凝らしているので見ていても途切れない。 ゴールデンウィークに江戸時代へ遊びに行ってきた感じだ。 *ボストン美術館所蔵 *1、 「歌川国芳展、没後150年」(2011年) *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/16_kuniyoshi/

■世界遺産ポンペイの壁画展、天空に甦るイタリアの軌跡

■森アーツセンターギャラリー,2016.4.29-7.3 ■さっぱりした展示ね。 壁画が会場の壁のように陳列されていて他に何も無いからよ。 しかもポンペイの赤や黄そして青はどれも錆があるけど爽やかさもあるから。 落ち着いた色だけど華麗さも隠れている。 裕福で誠実な生活が垣間見えるようだわ。 教養としてのギリシャ文化は神々に守られているから安定ある精神を宿せる。 ヘレニズム文化も日々を修飾して生活を豊かにしている。 キリスト教時代と違っておおらかさがある。 2千年前のポンペイは室町・桃山の禅宗文化に通ずる美や空間感覚を持っていたと思わない? 会場地図をみると小さな都市なのに大きな浴場が3つもある。 ところでテルマエ・ロマエの2作目はまだ観ていないの。 1作目は面白かったわね。 「プリニウス」も読みたい。 日伊国交樹立150周年記念展。 *館資料、 https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/2016/

■ルノワール展、色彩は「祝祭」のために

■国立新美術館,2016.4.27-8.22 ■ルノワールは見る機会が多いので驚かない。 でも十分に満足できる展示会だった。 彼の全体像に迫れた満足感である。 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」もなかなかだが、ルノワールが印象派の限界を徐々に察知し1880年に入り再びデッサン力を磨いた後半からが素晴らしい。 この成果が6章の「子どもたち」から一気に展開する。 次に「ピアノを弾く少女たち」。 そして圧倒されるのはなんといっても「横たわる裸婦(ガブリエル)」と「大きな裸婦あるいはクッションにもたれる裸婦」の2枚。 これは7~8m離れて2枚同時にみるのが一番である。 リウマチのため筆を手に縛り付けていた映像もあったが、「浴女」は病気が限界に達しているのがみえる。 逆にそれが祝祭を呼び寄せている。 ルノワールの裸婦をみているといつものことだが土偶を思い出してしまう。 彼は縄文人の生まれ変わりかもしれない。 * 「ルノワール-陽だまりの裸婦」(2015年) *展示会サイト、 http://renoir.exhn.jp/

■竹中工務店400年の夢、時をきざむ建築の文化史 ■アーティスト・コロニ・セタガヤ、「白と黒の会」「砧人会」「自由が丘文化人会」

■世田谷美術館,2016.4.23-6.19 ■竹中工務店400年の夢-時をきざむ建築の文化史- ■建築は設計ならともかく施工には関心がないのが普通よ。 しかも建築物をみても施工の特徴はよく見えない。 会場を回ると、あれもこれも竹中工務店が担当していたのね! 工務店も力が入るから充実した展示会になっている。 模型や写真・映像で建物とその社会背景まで切り取っているから半分は広告だけどとても面白い。 建物から当時の時代を想像できる。 初代竹中藤兵衛正高は織田信長の家臣だったらしい。 刀を捨て大工道具に替えたことからも、古い道具には日本刀の魂が宿っているようにみえる。 神社や寺を建築していた時代から展示が始まるのも頷けるわね。 大阪が本拠地だから関西地区に作品が多い。 東京では現代美術館やワタリウム美術館がある。 よく行く新国立劇場や国立劇場、あと代官山サテライト*1もね。 建築は日頃歩いて心身で感じないとわからない。 この展示会で東京の有名建物はすべて覚えたから立ち寄った時には竹中工務店を思い出すわね。 *1、 「槇文彦、時・姿・空間、場所の構築を目指して」(2015年) *館サイト、 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/past.html ■アーティスト・コロニー・セタガヤ-「白と黒の会」「砧人会」「自由が丘文化人会」- ■画家などの芸術家が世田谷で緩やかなコロニー=グループを作って活動していた紹介展示なの。 世田谷は関東大震災で下町から移り住んだ人が多い。 このため副題の3つの会も戦前・戦中あたりから活動し始めたようね。 駅でいうと経堂駅から宮の坂駅、成城学園駅周辺、自由が丘駅周辺よ。 馴染みの作家もいるけど知らない名前も多いからバラエティとしての面白さがある。 池袋モンパルナス*1とは違う。 それは作品をみてもわかる。 前者が東京下町から後者は地方から来た人が多い為じゃないかしら?  *1、 「池袋モンパルナス」(2015年) *館サイト、 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/past_cllct.html

■三分一博志展、風・水・太陽

■ギャラリー間,2016.4.15-6.11 ■会場に入ると雷が遠くで鳴っています。 時々蜩の声も聞こえてくる。 雷蜩晩夏は都会を離れると今でも体験できるのでしょうか? 三分一博志の建築作品は瀬戸内海に多い。 この海にはまだ風景が残っているのでしょう。 「その場所にある動く素材を見ることから始める」とある。 それは空気や水、太陽の動きなどです。 会場では建築に影響する空気流や温度差の実験や分析が展示されています。 必要な設計図までは出すことがありますが、その基礎となる流体力学や熱力学の実験結果などは表にしない。 しかし今回は違います。 建築と風・水・太陽など自然との関係は重要だとわかります。 でも素人からみるとこれらの実験や分析をおこなうのは当たり前だと思っていました。 「その地域ならではの固有の文化を育みたい」と書いています。 例えば正倉院校倉造などはその気候風土に合わせ且つ当時の文化も育てたと聞いたことがあるが、このようなことを目指すということでしょうか? 瀬戸内の風景に浮かぶ作品を見ていたら今年の芸術祭(*1)に行きたくなってしまいました。 *1、「瀬戸内国際芸術祭2016」は、 http://setouchi-artfest.jp/ *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex160415/index.htm

■ヨーロピアン・モード、特集イヴ・サン=ローラン

■文化学園服飾博物館,2016.3.8-5.17 ■18世紀初頭のロココ・スタイルから1970年頃までを13分割して代表的衣装の展示と簡単な解説だけからなるシンプルな構成です。 1階には同じような展示構成でイヴ・サン=ローランを21作品で特集しています。 どちらも常設展の延長で学生の教育用も兼ねているのでしょう。 1800年代は20年単位に1900年代は10年単位の分け方が時代を上手く捉えている。 ファッションは足が速いので時代をどのように分割するのかはとても大事ですね。 そしてサン=ローランのイヴニングドレスはいつ見ても最高です*1。 先日の「ファッション史の愉しみ」*2を要約したような展示でとても分かり易かった。 *1&2、 「PARISオートクチュール」(2016年) *館サイト、 http://museum.bunka.ac.jp/exhibition/

■JR新宿ミライナタワー

■建築主:国土交通省,東日本旅客鉄道,設計:東日本旅客鉄道,JR東日本建築設計事務所,施工:大林組ほか ■3月に竣工したミライナタワーに行く。 新宿を通るときは遠くから眺めていたが中をグルグル見て回るのは初めてである。 このビルはJR新宿駅に張り付いている為オフィスとして最高の建物だとおもう。 5階エントランスも天井が高くて気持ちがよい。 オフィスは8階から32階だが入居企業名が掲示されていなかった。 これからかな? どのような企業が入っているのかは興味の一つである。  タワーと直結している新宿駅4階にはバスターミナルもある。 降車は3階でおこなう。 とても静かなターミナルだ。 バス情報は電光掲示板だけにして放送が無いからだと思う。 屋上庭園にも登る。 低層階はどちらも商業店舗が入っているがゴチャゴチャした雰囲気だ。 店舗当たりの面積が小さい。 階段やエレベータも不規則な位置にあるため出入りも大変である。 店舗数の詰め込み過ぎだろう。 高級店は一つも無い。 安っぽい新宿らしい雰囲気が漂っている。 この新店舗がエキナカまで続いているので駅構内もより使いやすくなった。 しかし新幹線が走っていないのが店屋からみて致命的なことに変わりはない。 これも安っぽい理由の一つである。 *写真、 http://www.eonet.ne.jp/~building-pc/tokyo-kensetu/tokyo-168shinjyuku.htm

■空へ、海へ、彼方へ、旅するルイ・ヴィトン

■紀尾井町・特設会場,2016.4.23-6.19 ■ルイ・ヴィトンがファッション界の中で他とは違う感じがしていた謎が解けたの。 それは家具屋だったから。 会場が木工製造の歴史から始めているのは驚きね。 欧州ファッション史は革が多いでしょ。 鉋などの木工工具をみると鞄というより箪笥職人という感じかしら。 そして移動の20世紀は旅行用トランクや鞄への流れは必然だわ。 振り返ると20世紀は旅行の時代だったのよ。 旅行用鞄を見るとそわそわしだすのは20世紀に生まれた宿命かもね。 会場にはこのソワソワ感が一杯よ。 あとセレブリティやスーパースターのトランクやバッグもなるほどすごい。 それは中身に何を入れるかを先に決める。 大きさや量は無視だから鞄持ちが周りに必要ということなの。 絵画用トランクの顧客はピカビアやマティスだから何も言えない。 有名女優の化粧道具ケースも同じ。 日本文化との繋がりも論じていたけど、モノグラム・キャンバスは日本的ともいえるデザインだとおもう。 ダミエもストライプも同類に感じる。 ルイ・ヴィトンの歴史が見える展示会だったわ。 *館サイト、 http://jp.louisvuitton.com/jpn-jp/heritage-savoir-faire/tokyo-expo#/home

■複製技術と美術家たち、ピカソからウォーホルまで ■横浜コレクション展2016年度第1期

■複製技術と美術家たち-ピカソからウォーホルまで- ■横浜美術館,2016.4.23-6.5 ■富士ゼロックス版画コレクションとのコラボらしい。 ゼロックスは初めての作品が多いので新鮮です。 横浜美術館所蔵品と並んで展示されています。 W・ベンヤミンの言葉が随所にみられる会場です。 展示タイトルも彼の作品に直結している。 彼はアウラの喪失について良くも悪くも両方を論じているようです。 まず写真の登場ですが、そこで「肖像写真は長時間露光のためアウラが発生する」。 次には「ガラスにはアウラが無い」。 頷いてしまう言葉が並んでいます。 アウラは衰退しているが無くなったのではない。 キャプション文は分かり易いが奥がある。 途中M・エルンストが待ち伏せています。 横浜美術館はエルンストが得意のようですね(*1)。 ゼロックスはハードを通した作品もあるので非連続にみえます。 ゼログラフィーの章では岸田良子の作品が目に留まりました。 後半終わりはウォーホルと一緒に荒川修作・吉田克朗など日本の作品まで登場するので疲れました。 途中でベンヤミンを見失ってしまったようです。 ところでベンヤミンで好きな作品は「モスクワの冬」。 *1、 「マックス・エルンスト-フィギアxスケープ-」(2012年) *館サイト、 http://yokohama.art.museum/special/2016/mechanicalreproduction/index.html ■横浜コレクション展2016年度第1期 ■女性画家の作品集のようです。 知らない名前もあるが見た絵が多い。 気に入ったのは常盤とよこの写真集です。  *館サイト、 http://yokohama.art.museum/exhibition/index/20160423-469.html

■バンクシー・ダズ・ニューヨーク

■監督:クリス・モーカーベル ■吉祥寺オデヲン,2016.3.26-4.21 ■ニューヨークで落書きといえば地下鉄グラフィティだ。 これを見た時は唸ってしまった覚えがある。 バンクシーは文章の意味はともかく文字は下手にみえる。 でも無彩色系の絵は鋭い。 ユーモアが都市の汚さと混ざり合って落ち着いた光を放っている。 しかしこんなに騒ぎ立てたり作品が高値で売れているのが不思議だ。 美術系とパフォーマンス系の鬩ぎ合いの為か? 特に日本では街中に広告が溢れているので落書きのインパクトが薄くなっているのかもしれない。 サイトに投稿しそれを探しだすゲームになっているのも騒ぎを大きくしているようだ。 「見物人も作品の一部」と言っていたが観客も多彩だと落書きも活きる。 資本の論理も動いているのは確かだが、それをも巻き込んで街頭演劇にまで繋げる余裕がニューヨークにはまだあるということだろう。 2014年作品。 *作品サイト、 http://www.uplink.co.jp/banksydoesny/

■ライアン・マッギンレー、BODY LOUD! ■はなのなかへ ■タナカヤスオ展

■ライアン・マッギンレー,BODY LOUD! ■東京オペラシティアートギャラリー,2016.4.16-7.10 ■ライアン・マッギンレーは初めて聞きました。 みずみずしい作品ですね。 Cプリントとゼラチンシルバープリントの差が大きい。 前者は新鮮で後者はしっかりしています。 安定感が有ります。 両輪を保ち続けているから「アメリカで最も重要な写真家」と言われるのでしょう。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh187/ ■はなのなかへ ■今が一番の季節ですね。 最初を飾る落田洋子の作品は豊かな五感の世界に入りこんだようです。 続く筧本生、大谷有香、港信夫、川口起美雄・・。 至福の時間が訪れました。 そして近藤弘明の幻想的な春の夜に満喫できます。 再びの満開の桜は最高でした。 沢山の画家を丁度良い枚数でみる喜びはめったにできない。 その意味でもここの収蔵品展は貴重です。    *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh188.php ■タナカヤスオ展 ■メタリックな黒と銀と白が静かで舐めるようなインパクトを与えてくれます。 書に通じているようにもみえました。     *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh189.php

■黒田清輝、日本近代絵画の巨匠

■東京国立博物館・平成館,2016.3.23-5.15 ■これだけの黒田清輝をまとめて観たのは初めてかもね。 師ラファエル・コランに出会ったのは正解よ。 二人の作品をみていると先ほどの「 カラヴァッジョ展 」が重たい夢のなかに居たように思える。 いま日常世界に戻って来たのね。 裸体画では「智・感・情」が一番かな。 タイトルの三文字はいらない。 コランとは一味違うミレーやシャヴァンヌ(*1)に刺激を受けたようだけど消化不良にみえる。 多忙が原因ね。 それよりも柔らかい光に覆われている作品の方が素敵よ。 特に女性が寝っ転がったり遠くをみつめたりボケっとしている絵が最高。 「舞妓」「湖畔」「読書」がとても素敵にみえたけどLEDライトの効果もあるのかしら? そして「昔語り」が神戸須磨別邸(*2)を飾っていたのを初めて知ったの。 人生後半は政治世界に入ってしまい小さな作品ばかりで残念ね。 生誕150年特別展。 *1、 「シャヴァンヌ展-水辺のアルカディア-」(2014年) *2、 「バロン住友の美的生活-邸宅美術館の夢-」(2016年) *展示会サイト、 http://www.seiki150.jp/

■カラヴァッジョ展、ローマを熱狂させたドラマチック

■国立西洋美術館,2016.3.1-6.12 ■「カラヴァジェスキ」でカラヴァッジョの全体像を描きだしている展示会なの。 継承者という意味らしい。 カラヴァッジョが1~2枚とカラヴァジェスキの5~6枚を一つの章にして全8章で構成されている。 このため彼の影響力が対抗宗教改革からバロック美術まで広く及んでいるがよくわかる。 特に1606年に殺人を犯してからの作品は深みがでている。 光と闇の深さとともに死を意識した静寂が漂っているからよ。 「エマオの晩餐」を含め描かれているキリストは劇的な存在感がある。 エル・グレゴのついぞ動きのあった劇的とは逆に静けさからの劇的とでも言うのかしら。 演劇の一場面を観ているようで背筋がゾクゾクするわね。 前半で気に入った絵は「マッフェオ・バルベリーニの肖像」。 彼の肖像画は高値で売れた理由がわかる。 後半では「法悦のマグダラのマリア」。 うーん、最高! マリアの涙にはカラヴァッジョの波乱の一生も溶け込んでいるようだわ。 日伊国交樹立150周年記念。 * 「カラヴァッジョ-天才画家の光と影-」(2015年) *展示会サイト、 http://caravaggio.jp/

■バロン住友の美的生活、邸宅美術館の夢

■泉屋博古館,2016.2.27-5.8 ■バロンと聞くとスタジオジブリのあの猫を思い出してしまう。 バロン住友春翠の略歴をチラッとみただけでも、住友銀行・住友金属・住友電工・住友化学・住友海上火災・日本板硝子・住友商事・住友林業・日本電気・住友信託銀行の設立に関与している。 しかし会場を見回しても経営者の姿が見えない。 「君臨すれども統治せず」なのだろう。 前半は「神戸須磨別邸」が後半は博覧会と文人との交流が描かれている。 須磨別邸は西欧諸国が南米植民地に建築するようなテラスを持っているのが印象深い。 英国コンノート王子の邸来訪映像も面白い。 上演6分だが1918年頃の人々の振る舞いや別荘周辺の様子がわかる。  美術品は当時の情報網をフル活用していることがわかる。 しかし春翠の好みがよく見えない。 彼は複雑な美観を持っているようである。 周時代の青銅器もそうだが客の評判の良し悪しも参考にしている。 やはり重厚長大を優先しているのかもしれない。 いま新聞に連載中の「マダム・ツツミ」を読んでいる為か、バロン住友と時代差以上に違う堤清二を思い出してしまった。 *館サイト、 http://www.sen-oku.or.jp/tokyo/program/index.html

■安田靫彦展

■東京国立近代美術館,2016.3.23-5.15 ■「いざ、竹橋」「待ちかねたぞ」。 頼朝と義経の再会はなかなかです。 「黄瀬川陣」は戦争との関係を弁明していたが、当時は立場上止むを得なかったのでしょう。 展示は靫彦15歳から入りますが、10代もすばらしい。 人物がイキイキしています。 そして53歳から56歳頃が絶好調にみえる。 構図に無駄がなく単純な線と澄んだ色で感情の奥底まで描けているのはこの時期でしょう。 「花づと」「良寛和尚図」「観自在菩薩」「曽呂利」「菊慈童」「上宮太子御像」等々です。 そして着物の柄や身に付ける小物意匠は素晴らしい。 また複数人より一人のほうが良い。 複数人だと人と人との関係が粗くみえます。 「黄瀬川陣」は一双として分かれているので緊張感が保たれている。 また歳を取ってからの作品も乱れていません。 さすがです。 彼の作品は多くをみると感動が散ってしまいます。 2,3枚を他画家と一緒にしたほうが映える。 車で例えるなら安田はスポーツカーです。 他画家のゴッツイ車が隣にいるとスピードが上がります。 *美術館 、 https://www.momat.go.jp/archives//am/exhibition/yasudayukihiko/index.htm

■放浪の画家ピロスマニ

■監 督:ギオルギ・シャンゲラヤ ■川崎市アートセンタ ,2016.3.26-4.1 ■ジョージアって缶コーヒにもあるわね。 アメリカの州と勘違いもする。 反露感情で呼称を変えたらしいけどグルジアのほうが素敵ね。 やっと観ることができた作品よ。 人や家具の配置や風景がそのまま絵になっているの。  椅子やテーブルクロスや壁紙、酒瓶やグラス、そしてチーズに蜂蜜やパン・・。  そこにピロスマニの絵が飾ってある。 前半は物や風景が持っている豊かさに溢れているわ。 ピロスマニの描いた動物たちはこの世界に解き放たれて気持ち良さそうにみえる。 食べ物は自然の野性味ある匂いまでわかる。 でも後半は彼の作品が新聞などで叩かれてしまうの。 酒場などから絵が撤収されたあとは殺風景そのものね。 前半のあの豊かさが何処にも無い。 ピロスマニの落ち着かない心情がストーリーを湿らかせている。 彼は人間関係が厄介なのよ、でも繋がりたい心もある。 20世紀初頭が舞台だけど50年近く前のグルジアをみることができる。 形式ある演劇的な演出と映像で表面的古さはあるけど心に染み入る作品だったわ。  ところでこの文章のフォントはジョージアよ。 1969年作品。 *館サイト、 http://www.uplink.co.jp/movie/2015/42112

■僕の身体、あなたの声、六本木クロッシング2016展  ■インドネシア現代美術のアプローチ

■僕の身体、あなたの声-六本木クロッシング2016展- ■森美術館,2016.3.26-7.10 ■作品と作家の関係が直接結びついている為、まずは作家がどういう人なのか考えてしまいます。 しかも初めての作家ばかりです。 このため作品に入っていく過程が複雑で長い。 彼らはどこにでもいる人々にみえます。 でも扉を開けないと会えない。 直球で投げてくる片山真理の部屋を見ていると心身の揺れも直球で響きますね。 松川朋奈「朝4時までは待っていて」は身体を複雑に感じ取ることができます。  佐々瞬「旗の行方」は好みの布や形で国旗を作りこれを振ったり掲揚します。 これだけでも国家の見方が大きく変化するのがわかる。 藤井光「帝国の教育制度」は戦時中の日本の教育映像を見ながら韓国の若者が議論する作品です。 記録映像を見て教育と身体が強く結びついていくのは衝撃的でした。 20組のアーティストが展示されていたが映像が多いため時間がかかります。 映像は直観で取捨選択しましたが当日なら端末から映像が見られるといいですネ。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2016/ ■インドネシア現代美術のアプローチ-1970年代ニュー・アート・ムーブメント以降- ■ニュー・アート・ムーブメント(GSRBI)の紹介です。 インドネシア現代美術は初めてです。 インドネシアの生活や美術史など基準となるものがわからないので浮いてしまいますね。 しかも数十年前の作品を見ても実感が湧きません。 条件無視でスパッと観るしかありません。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/mamproject/mamresearch/index.html

■もしも建築が話せたら、世界の名監督6人が描く6つのストーリ

■監督:W・ヴェンダース,R・レッドフォード,M・マドセン,M・グラウガ,M・オリン,K・アイノズ ■UPLINK,2016.2.20- ■6人の監督が思い入れのある建物を語るオムニバス・ドキュメンタリー映画である。 なんと言ってもW・ヴェンダースの「ベルリン・フィルハーモニー」のまとめ方が巧い。 建築と人々の関係が過剰にも過小にもならず観る者へ伝わってくる。 オーケストラ舞台を室の中心に置き客席が囲む構造もここから世界に広まったようだ。 次に気に入ったのが、切れ味はイマイチだがM・グラウガの「ロシア国立図書館」。 <ソビエト>がそのまま残っている感じだ。 職員の多くが女性ということもある。 しかも<ソビエト>を突き抜けて図書館の古層まで見えてくる映像である。 K・アイノイズ「ポンピドゥー・センター」は唯一行ったことのある建物である。 その為か月並みで驚きの無い映像だ。 この建物はやはりパリには似合わない。 期待していた「ソーク研究所」は最悪である。 R・レッドフォードは何を考えているのか!? 中央空間と両端建物のコントラストは素晴らしいが、ただそれだけである。 まるでゴーストタウンだ。 M・マドセン「ハルデン刑務所」も悪くはないが建物より刑務所の機能を説明し過ぎている。 M・フーコーの「監獄の誕生」を引用していたがこれに縛られてしまった。 ところで受刑者が家族と一日過ごせる家が務所内にあるとは驚きだ。 M・オリン「オスロ・オペラハウス」は建築家スノヘッタの平等思想を言っているようだがよく分からなかった。 ベルリンやポンピドゥと機能が重なるので違った建物を選んで欲しい。 しかも建物内で上演する舞台や美術展の扱い方はヴェンダースを除いて皆失敗していた。 監督たちは相当な自由度が与えられていたようだが、面白さとツマラナさが入り交じっている作品であった。 *作品サイト、 http://www.uplink.co.jp/tatemono/

■MIYAKE ISSEY展、三宅一生の仕事

■国立新美術館,2016.3.16-6.13 ■三宅一生の作品は戦後の化学工業や機械工業の成果を取り入れて日本の繁栄を形にしたようなデザインにみえる。 素材と形への拘りがそのまま20世紀後半の科学技術に繋がっている。 日本の伝統も引き継いでいるのがみえる。 意匠が強いから舞台芸術に使用したら特に映えるだろう。 彼の衣装を使ったシェイクスピアならいくらでも場面が想像できる。 会場は3つのセクションで構成されている。 作品史を<起承転結>に当てはめると、セクションAは起、BとCのPLEATSとTWISTは承、CのA-POCと132.5が転。 ・・しかし先が見えない。 1969年の彼の帰国理由が語られていた。 これを具現化しようと考えると何故かユニクロを思い出してしまった。 転では科学技術とファッションの質的統合がまとまりつつある。 でも彼の作品は量を強く連想させる。 世界経済を取り込んだ量的体系を確立して初めて結を結べる気がする。 三宅一生といえば21_21デザインサイト*1,*2だが、ここから離れると今回のように作品の歴史がよく見える。 *1、 「アーヴィング・ペンと三宅一生」(2011年) *2、 「REALITY LAB-再生・再創造」(2010年) *作品サイト、 http://2016.miyakeissey.org/

■PARISオートクチュール、世界に一つだけの服

■三菱一号館美術館,2016.3.4-5.22 ■先日の「 ファッション史の愉しみ 」の続きです。 今回はオートクチュールに絞り込んでいる。 19世紀後半のF・ウォルトから2014・5年のR・シモンズ、K・ラガーフェルド迄を扱っています。 この美術館は小部屋が多い。 ですから部屋ごとでどの服が一番の好みか?を問いかけながら観てきました。 20世紀前半ではバイアス・カットのシンプルなM・ヴィオネかな。 展示では「すべてを一人でこなすただ一人のクチュリエ」C・バレンシアガを高く評価していたが好きにはなれません。 20世紀中期ではなんといってもC・ディオール、そして次期のY・サンローランです。 ディオールは別格ですが、やはり好きなタイプの女性に似合うかどうかで見てしまうのかもせれません。 10年単位で8章の構成は密度のあるオートクチュール史を作り出していた。 さすがパリ市立モード美術館監修です。 そしてプレタポルテが広まっても生き延び盛り返しているのはパリが持っている歴史とパワーの賜物でしょう。 * 「ディオールと私」(2014年)、「イヴ・サンローラン」(2010,2014年) * 「ディオールの世界」(2014年) *展示会サイト、 http://mimt.jp/paris-hc/

■ヴィヴィアン・マイヤーを探して、「発見された」天才写真家

■監督:ジョン・マルーフ,チャーリ・シスケル ■見逃した1本だったけど早くも近所のレンタル屋で借りられたわ。 ヴィヴィアン自身にも興味が持てる映画だった。 15万枚以上の写真を撮りながら生前に1枚も発表しなかったのは謎ね。 オークションの購入者がブログにアップしたら大きな反響があったのも理解できる。 一度でも他者を被写体として撮ったことがあれば彼女の作品は巧いとわかるからよ。 写真家ジョエル・マイロウィッツのコメントが核心を突いているわね。 「自分と被写体を共鳴する距離でシャッターを押している」「外交的であり内向的でもある」「ストリート・フォトがわかっている」「世界を完璧に切り取っている」「遊びごごろもある」「乳母を仕事にしていた理由がわかる」・・。 二眼レフカメラのローライフレックスで撮ると被写体に威厳がでるの。 下から覗くように見えるから、しかもカメラマンと目が合ってもレンズに遠いからよ。 彼女は本名や生まれも明かさなかった。 部屋は新聞で一杯。 年老いてゴミ箱を漁っていたらしい。 変わった人生を歩んだようね。 まさに「発見された」奇跡のドキュメンタリーと言える。 2013年作品。 *作品サイト、 http://vivianmaier-movie.com/

■雑貨展

■2121デザインサイト,2016.2.26-6.5 ■雑貨とは何か? 辞書を調べると「こまごまとした日用品」とある。 入口近くに展示してある「雑マンダラ」「雑貨と生活史年表」「終わらない自問自答」「雑貨店の雑貨」などの企画説明作品をみて混乱してしまった。 すんなり入れるのは「雑貨のルーツ」と「 今和次郎 」くらいである。 対象がコマゴマしているのでまとめ難いのだろう。  それにしても「松屋行商」は傑作である。 数十年前の銀座で売られていた雑貨類を集めた「銀座8丁目と雑貨」で足が止まる。 ある過去の特定の場所の雑貨をまとめてみるのは面白い。 その時代その地区の日常生活を想像できる。 チョコレートなどのパッケージも展示されていたが知っている菓子類も懐かしい。 菓子は雑貨に入らないが、特に駄菓子は雑貨と同じ生活パワーを持っていた。 100円ショップが楽しいのは雑貨が生き物だからである。 日常で生かせるか殺してしまうか!   死んだ雑貨が増えると脳味噌にカビが生えるから注意がいる。 黴が生えるとオタクに変身できる楽しさもあるが・・。 *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/zakka/

■ファッション史の愉しみ、石山彰ブック・コレクションより  ■小泉淳作と小林敬生  ■北大路魯山人-器に描く-

■ファッション史の愉しみ-石山彰ブック・コレクションより- ■世田谷美術館,2016.1.13-4.10 ■手ぶらで行ったので戸惑いました。 石山彰の名前も初めて聞きます。 17世紀頃から20世紀初頭迄の石山書籍コレクションと神戸ファッション美術館所蔵の衣装が並べられています。 服飾専門の初学年生なら最高の内容かもしれない。 「衣食住は三者合一で生活が豊かになる」と石山彰が言っている通りですが、素人には大過去の衣装は入り難い。 ファッション・プレートとは服飾版画のことらしい。 絵画ではだめだというのはわかる。 線が大事だからです。 これが近代になると写真に継続される。 この服飾版画本が副題になっています。 その服装がどの時代どこの国かがわかれば楽しいのでしょう。 17世紀の英吉利と仏蘭西の衣装が展示されていました。 この違いは見えるが言葉で説明できない。 ファッション史は脳味噌に蓄積されていない空白の分野だったと認識しました。 愉しい発見です。 展示会用プログラム「ファッション史の愉しみ読本」を買って来たので今読んでいるところです。 *館サイト、 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/past.html ■小泉淳作と小林敬生 「ファッション史」のオマケけでしたが劣らず見応えがあった。 やはり初めての二人です。 小泉淳作の木々や山々の鉛筆・コンテ画は力強い。 剥き出しの自然が迫ってきます。 そして小林敬生の小口木版は驚きです。 最初は銅版画と勘違いしてしまった。 特に1980年中期の「静止した刻」には圧倒されました。 生き物が呼吸しています。 *館サイト、 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/past_cllct.html ■北大路魯山人-器に描く- 塩田コレクション時々常設展です。

■はじまり、美の饗宴展、すばらしき大原美術館コレクション

■国立新美術館,2016.1.20-4.4 ■画家一人に文句のない一品が並んでいる会場光景は素晴らしい。 一枚みるごとにボルテージが上がっていくようだ。 大原美術館はこの5年間ご無沙汰している。 期限切れになっていたのでちょうど充電ができて嬉しい。 しかもこの内容なら毎日乃木坂に来てもよい。 ピサロ「りんご採り」、藤田嗣治「舞踏会の前」は初めてかとおもう。 この二枚は気に入る。 セザンヌがちょっと弱い。 ガツンとくる1枚が欲しい。 そして近代日本の勢揃した画家達には圧倒される。 バーナド・リーチは濱田庄司の近くに置くと落差を感じてしまう。 現代美術の力の入れ様も伝わって来くるようだ。 至福の時を過ごせた。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2016/hajimari/

■池袋モンパルナス

■感想は、「 池袋モンパルナス 」

■岸和郎、京都に還る

■ギャラリー間,2016.1.28-3.20 ■材料の薄さや梁の露出などからプレハブ住宅を思い出してしまう作品が多いですね。 でもこのような建物は日本に、もちろん京都にも似合うとおもいます。 軽さのある感じが良いのです。 壁や戸や窓の素材・部品・構造が進歩したので薄さのある家は合理的にもみえる。 コルビュジエから豪華性が取り除かれている。 たとえば大学建物3作品が並べられていますが、1982年の京都造形より2010年の京都工繊、それより2014年の京都大学のほうがパフォーマンスの良さと未来が表れている。 映像を見てもこの差異がわかります。 一般住宅はこの構造丸出プレハブは好きになれない人もいるかもしれない。 でも薄さ細さ軽さの追求は日本の自然や環境と調和するはずです。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex160128/index.htm

■ジョルジョ・モランディ、終わりなき変奏

■東京ステーションギャラリ,2016.2.20-4.10 ■モランディは何枚か見たことがあるけど真面目に対面するのは初めてかもね。 ナゼ瓶やカップはこんなにも整然と置いてあるのかしら? このためか数十枚をみてからやっとリズムが合ってきた感じがする。 すぐには寄せ付けてくれないのは作者が作品に費やした思考経過を観る側が肯定しなければいけないからだとおもう。 1枚づつ見るより会場の中央にいて同時に数枚単位で見ていくのが面白いのはこの過程を俯瞰できるからね。 「変奏曲」と言われているのがわかる。 量感はあるけど質感のセザンヌと違ってモノ本質への感動が湧かない。 かと言って抽象の感動もやって来ない。 瓶がモノからモノでなくなる過程を描いているようにも見える。 長く見ているとこの浮遊感の面白さが出てくるの。 ショップに寄って作品を写真でみると質感が増している。 筆の跡がなくなり滑らかな表面になったからかしら? こっちの方もいいわね。 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201602_morandi.html

■レオルド・ダ・ヴィンチ、天才の挑戦

■江戸東京博物館,2016.1.16-4.10 ■「糸巻きの聖母」を目当てに行きました。 しかし凡才にとっては混乱の会場です。 対象範囲が広すぎる。 これが「天才の挑戦」と言うのかもしれませんが。 「自然と人間」で身体や動植物の素描から入り、「鳥の飛翔に関する手稿」では飛行機や機械工学が展開します。 やっと「糸巻きの聖母」の章ですがその前後は他画家の絵や資料で一杯です。 おまけに土木や建築工学の「都市計画」が付いています。 展示80点のうちレオナルド作品は8点しかない。 絵画以外はファクシミリ版でも本物でもどちらでも構わないのですが、この比率では周辺が五月蠅すぎます。 でも副題としてのレオナルドを観たい人はこれでよいのかもしれない。 「糸巻きの聖母」はスフマートがとても効いています。 ボヤッとした感じでハッキリみようとしてもハグラカされてしまう感じです。 絵の深淵に辿りつけない思いが残ります。 この絵はレオナルドの中ではあまり聞いたことがない。 その理由が少し分かったような気がしました。 日伊国交樹立150周年記念展。 * 「レオナルド・ダ・ヴィンチとアンギアーリの戦い」(東京富士美術館,2015年) *館サイト、 https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/past/

■宮川香山、欧米を感嘆させた明治陶芸の名手

■サントリー美術館,2016.1.24-4.17 ■場内で最初に目にする「蟹花瓶」(1916年)はやはり唸ってしまう。 そして前半は高浮彫のオン・パレードである。 植物や昆虫・両生類・鳥類などを総動員させ表面にへばり付かせている。 猫や鶉など身近な生物は呼吸しているのがわかる。 香山は鶉を自宅で飼い観察していたらしい。 鬼や普段見られない生き物は漫画のようで落差がある。 輸出港横浜の工房は輸送で破損し易い高浮彫を優位にしたはずである。 後半は磁器が並ぶ。 一息つけた。 高浮彫は料理に例えれば肉料理である。 香山本人も胃がもたれたのではないだろうか? 陶器から磁器に切り替えた理由の一つだとおもう。 胃でなく目だが・・。 釉薬や釉下彩の研究にも興味があったのだろう。 完成に何年もかかる高浮彫は採算も合わない。 アールヌーボーを意識した「青華蟹図平花瓶」の蟹は一皮剥けている。 陶器と磁器どちらが欠けても宮川香山とは言えない。 香山の作品は海外流出が多く見る機会が少ない。 今回の出品150点の多くは田邊哲人コレクションからである。 没後100年展。 *館サイト、 http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2016_1/?fromid=topmv

■ボッティチェリ展  ■新鋭美術家2016、都美セレクション

■東京都美術館,2016.1.16-4.3 ■うーん、なかなかの展示ね。 師匠のフィリッポ・リッピと弟子でライバルになるフィリッピーノ・リッピにサンドイッチされているボッティチェリの展示順序は上手く考えられている。 ボッティチェリが立体的に浮かび上がってくるの。 今回の作品では1480年前半(30歳後半)が一番かな。 それは「美しきシモネッタ」「書物の聖母」「胸に手をあてた若い男」の頃よ。 「シモネッタ」をみていると両目のシモネッタも見たくなるわね。 もう1枚描いて欲しかったわ。  そしてこれだけのフィリッポ親子の絵をみるのは初めてかも。 ボッティチェリの後にフィリッピーノをみるとホッとする感じね。 それはボッティチェリが理性的すぎるからだとおもう。 「聖母子と洗礼者ヨハネと天使」などをみてもライバルと言われていたのが納得できる。 サヴォナローラの影響に染まり「虚飾の焼却」でルネサンスが萎んでしまったのは残念ね。 今年は展示会にあまり行ってないけど近頃では一番の出来だった。 日伊国交樹立150周年記念展。 *展示会サイト、 http://botticelli.jp/ ■新鋭美術家2016-都美セレクション- ■ボッティチェリ展のついで寄ってみたの。 気に入ったのは武田司の作品かな。 錆漆は初めてかもしれない。 これに螺鈿、蒔絵を組み合わせた日本画は面白い。 戸田麻子と森美樹は女の両極端を描いていて心に残る。 西村大喜の大理石は植物の形を真似ているせいか生物的な親近感が現れているわね。 *館サイト、 http://www.tobikan.jp/exhibition/h27_newwave.html

■絵画のゆくえ2016、FACE受賞作品展

■損保ジャパン日本興亜美術館,2016.1.9-2.14 ■FACE2013から三年間に受賞した作家12名の近・新作80点の展示会です。 年齢・所属を問わないのがいいですね。 でも年齢の違いは大きい。 若い画家たちは内向的な作品が多い。 不安で一杯なのが分かります。 キャプションに画家の言葉が掲示されていて作家・作品が身近に感じられます。 これを読んでFACE展のような公募コンクールの必要性を考えてしまいました。 公募展への感謝の言葉が多かったからです。 やはり内向きにみえます。 この場では将来の計画や夢を多く語るべきでしょう。 観客も展示会の社会的位置付けなどに目を向けないといけませんが・・。 *館サイト、 https://www.sompo-museum.org/exhibitions/past/2016/

■創造と神秘のサグラダ・ファミリア

■監督:S・ハウプト ■恵比寿ガーデンシネマ,2015.12.12- ■建築家アントニオ・ガウディが構想し今も建築中の教会サグラダ・ファミリアの映像と関係者インタビューでまとめた作品である。 建設途中のため何とも言えないが、内部は明るく滑らかにみえる。 あらゆる驚きを拭き取ってしまった感じだ。 コンクリートが原因らしい。  建築家・彫刻家・現場監督そして教会関係者のインタビューは面白い。 特にガウディがモンセラート修道院の風景から着想を得た話しには納得。 あの岩山の形は教会に似ている。 工事中の建物内部に既に使用している教会が出来ているのも初めて知る。 そして土地問題や地下 鉄工事などの難題も持ち上がっているらしい。 しかし過去と現在は語るが未来がまったく見えない。 「神は完成を急いでおられない」の言葉通りである。 対象が未完のドキュメンタリー作品では未来が語られないと何か物足りなくなる。 教会完成像やスケジュールに関しては一昨年開催の「 ガウディX井上雄彦展 」にも展示されていた。 このあたりを議論していたら深みのある映画になっていただろう。 *映画com、 https://eiga.com/movie/81607/

■サイモン・フジワラ、ホワイトデー  ■寺田コレクションの陶  ■金子拓展

■オペラシティアートギャラリ,2016.1.16-3.27 ■初めて聞くアーティストだわ。 紙袋に毛皮が入っている「ホワイト・ギフト」の次に梅の木が床に置いてある。 次々と目に入る作品がそれぞれ結び付かない。 作者の過去や周辺にいる人々の微かな匂いはある。 配られた解説からもそれが窺える。 これに肉付けして作品にしているようね。 一つ一つの作品が作者を形作る断片のようなものなの。 だからとてもプライベートな展示にみえる。 他者には解説的になるしかない。 HPをみたら工場生産ラインに見立てて作品を作り込むらしい。 レベッカの石膏像は同じ型で当に工場製品のようだわ。 ウォーホルの缶詰とは似て非なるものだけど真意が見えない。 「真実を知る為の嘘」はまだ発展過程のようにみえた。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh184/ ■寺田コレクションの陶 ■現代陶芸って楽しいわね。 目が喜んでいるのがわかる。 こんなこともできるんだ!という驚きがあるからよ。 荒木高子の「聖書」が例えばそれ。 作品60点強のうち鈴木治(*1)が20点もある。 寺田コレクションで彼が陶の中核的位置を占めているようね。 音が聞こえてきそうな形と赤の化粧土の作品が集まると音楽を奏でているように見える。 会話をしているようにも聞こえる。 実用的陶器が少ない為か遊びの世界に浸れるわね。 *1、 「泥象鈴木治の世界」(2014年) *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh185.php ■金子拓展 ■いまチラシを読んだら「まるで悪い夢をみているようだ・・」と書いてあるの。 まったくその通り! というかこの世の裏の不思議さ不気味さをみているとも言える。 悪い夢が忘れることができないようにこのような絵も忘れられない。 絵から飛び出でて観客にこびり付くようだわ。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh186.php

■フォスター+パートナーズ展、都市と建築のイノベーション

■森美術館,2016.1.1-2.14 ■「 フォスター卿の建築術 」で語られなかったことがこの展示で語られていました。 それはフレキシブルとサステナブル、これを提唱したバックミンスター・フラーの存在です。 ノーマン・フォスターはこの思想を引き継ぎ伝統や環境に適用し発展させた。 「フレキシブルは建築が持続する為の核心である・・」。 サステナブルに繋がるのも理解できます。  しかし都市に拡張した場合の持続可能性がアヤフヤにみえる。 未来都市計画「マスダールシティ」や「香港九龍」等の車道分離、公園・美術館・オペラハウスなどが既存の枠を破っていない。 エネルギーをなるたけ自前にして建物を作れば事足りるようにみえます。 「アップル新社屋」も緑地が増えるのは良いのですがそれ以上の説明がない。 日本での住宅も二点ありましたが日本の気候風土の接し方に論理的硬さが有り緊張感が漂っています。 二つのキーワードが持っている抽象的な特徴なのかもしれません。  月面住宅もありましたが、これこそがバッキー+フォスターの未来にみえてしまった。 宇宙船地球号が傾き始めないと彼らの良さが見えてこないのかもしれない。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/foster_partners/index.html

■フェルメールとレンブラント、17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち

■森アーツセンターギャラリ,2016.1.14-3.31 ■内容からみて副題のほうが似合っています。 チラシをみてもどちらが展示会名なのかわからない。 主催者も悩んだのでしょう。 オランダ黄金時代の「幕開け」から「風景画」「建築画」「海洋画」「静物画」「肖像画」「風俗画」を経て「レンブラント派」と「終焉」の章に分かれています。 画の種類が増えたのはプロテスタントが定番の「歴史画」を嫌がった為のようです。 しかも裕福な市民がいろいろな絵を日常に取り入れた。 作品にゆったりと流れる時間と落ち着いた空間を感じるのは市民の余裕から来ているのでしょう。 「牛と羊飼いの少年・・」の牛がカバのように丸々太っているのを見ても豊かさが分かる。 全60作品なので章がコンパクトに出来ています。 「水差しを持つ女」は風俗画の章ですね。 黄金時代の一端を覗き見たような観後感でした。 *主催者サイト、 http://www.tbs.co.jp/vermeer2016/