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■放浪の画家ピロスマニ

■監 督:ギオルギ・シャンゲラヤ ■川崎市アートセンタ ,2016.3.26-4.1 ■ジョージアって缶コーヒにもあるわね。 アメリカの州と勘違いもする。 反露感情で呼称を変えたらしいけどグルジアのほうが素敵ね。 やっと観ることができた作品よ。 人や家具の配置や風景がそのまま絵になっているの。  椅子やテーブルクロスや壁紙、酒瓶やグラス、そしてチーズに蜂蜜やパン・・。  そこにピロスマニの絵が飾ってある。 前半は物や風景が持っている豊かさに溢れているわ。 ピロスマニの描いた動物たちはこの世界に解き放たれて気持ち良さそうにみえる。 食べ物は自然の野性味ある匂いまでわかる。 でも後半は彼の作品が新聞などで叩かれてしまうの。 酒場などから絵が撤収されたあとは殺風景そのものね。 前半のあの豊かさが何処にも無い。 ピロスマニの落ち着かない心情がストーリーを湿らかせている。 彼は人間関係が厄介なのよ、でも繋がりたい心もある。 20世紀初頭が舞台だけど50年近く前のグルジアをみることができる。 形式ある演劇的な演出と映像で表面的古さはあるけど心に染み入る作品だったわ。  ところでこの文章のフォントはジョージアよ。 1969年作品。 *館サイト、 http://www.uplink.co.jp/movie/2015/42112

■僕の身体、あなたの声、六本木クロッシング2016展  ■インドネシア現代美術のアプローチ

■僕の身体、あなたの声-六本木クロッシング2016展- ■森美術館,2016.3.26-7.10 ■作品と作家の関係が直接結びついている為、まずは作家がどういう人なのか考えてしまいます。 しかも初めての作家ばかりです。 このため作品に入っていく過程が複雑で長い。 彼らはどこにでもいる人々にみえます。 でも扉を開けないと会えない。 直球で投げてくる片山真理の部屋を見ていると心身の揺れも直球で響きますね。 松川朋奈「朝4時までは待っていて」は身体を複雑に感じ取ることができます。  佐々瞬「旗の行方」は好みの布や形で国旗を作りこれを振ったり掲揚します。 これだけでも国家の見方が大きく変化するのがわかる。 藤井光「帝国の教育制度」は戦時中の日本の教育映像を見ながら韓国の若者が議論する作品です。 記録映像を見て教育と身体が強く結びついていくのは衝撃的でした。 20組のアーティストが展示されていたが映像が多いため時間がかかります。 映像は直観で取捨選択しましたが当日なら端末から映像が見られるといいですネ。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2016/ ■インドネシア現代美術のアプローチ-1970年代ニュー・アート・ムーブメント以降- ■ニュー・アート・ムーブメント(GSRBI)の紹介です。 インドネシア現代美術は初めてです。 インドネシアの生活や美術史など基準となるものがわからないので浮いてしまいますね。 しかも数十年前の作品を見ても実感が湧きません。 条件無視でスパッと観るしかありません。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/mamproject/mamresearch/index.html

■もしも建築が話せたら、世界の名監督6人が描く6つのストーリ

■監督:W・ヴェンダース,R・レッドフォード,M・マドセン,M・グラウガ,M・オリン,K・アイノズ ■UPLINK,2016.2.20- ■6人の監督が思い入れのある建物を語るオムニバス・ドキュメンタリー映画である。 なんと言ってもW・ヴェンダースの「ベルリン・フィルハーモニー」のまとめ方が巧い。 建築と人々の関係が過剰にも過小にもならず観る者へ伝わってくる。 オーケストラ舞台を室の中心に置き客席が囲む構造もここから世界に広まったようだ。 次に気に入ったのが、切れ味はイマイチだがM・グラウガの「ロシア国立図書館」。 <ソビエト>がそのまま残っている感じだ。 職員の多くが女性ということもある。 しかも<ソビエト>を突き抜けて図書館の古層まで見えてくる映像である。 K・アイノイズ「ポンピドゥー・センター」は唯一行ったことのある建物である。 その為か月並みで驚きの無い映像だ。 この建物はやはりパリには似合わない。 期待していた「ソーク研究所」は最悪である。 R・レッドフォードは何を考えているのか!? 中央空間と両端建物のコントラストは素晴らしいが、ただそれだけである。 まるでゴーストタウンだ。 M・マドセン「ハルデン刑務所」も悪くはないが建物より刑務所の機能を説明し過ぎている。 M・フーコーの「監獄の誕生」を引用していたがこれに縛られてしまった。 ところで受刑者が家族と一日過ごせる家が務所内にあるとは驚きだ。 M・オリン「オスロ・オペラハウス」は建築家スノヘッタの平等思想を言っているようだがよく分からなかった。 ベルリンやポンピドゥと機能が重なるので違った建物を選んで欲しい。 しかも建物内で上演する舞台や美術展の扱い方はヴェンダースを除いて皆失敗していた。 監督たちは相当な自由度が与えられていたようだが、面白さとツマラナさが入り交じっている作品であった。 *作品サイト、 http://www.uplink.co.jp/tatemono/

■MIYAKE ISSEY展、三宅一生の仕事

■国立新美術館,2016.3.16-6.13 ■三宅一生の作品は戦後の化学工業や機械工業の成果を取り入れて日本の繁栄を形にしたようなデザインにみえる。 素材と形への拘りがそのまま20世紀後半の科学技術に繋がっている。 日本の伝統も引き継いでいるのがみえる。 意匠が強いから舞台芸術に使用したら特に映えるだろう。 彼の衣装を使ったシェイクスピアならいくらでも場面が想像できる。 会場は3つのセクションで構成されている。 作品史を<起承転結>に当てはめると、セクションAは起、BとCのPLEATSとTWISTは承、CのA-POCと132.5が転。 ・・しかし先が見えない。 1969年の彼の帰国理由が語られていた。 これを具現化しようと考えると何故かユニクロを思い出してしまった。 転では科学技術とファッションの質的統合がまとまりつつある。 でも彼の作品は量を強く連想させる。 世界経済を取り込んだ量的体系を確立して初めて結を結べる気がする。 三宅一生といえば21_21デザインサイト*1,*2だが、ここから離れると今回のように作品の歴史がよく見える。 *1、 「アーヴィング・ペンと三宅一生」(2011年) *2、 「REALITY LAB-再生・再創造」(2010年) *作品サイト、 http://2016.miyakeissey.org/

■PARISオートクチュール、世界に一つだけの服

■三菱一号館美術館,2016.3.4-5.22 ■先日の「 ファッション史の愉しみ 」の続きです。 今回はオートクチュールに絞り込んでいる。 19世紀後半のF・ウォルトから2014・5年のR・シモンズ、K・ラガーフェルド迄を扱っています。 この美術館は小部屋が多い。 ですから部屋ごとでどの服が一番の好みか?を問いかけながら観てきました。 20世紀前半ではバイアス・カットのシンプルなM・ヴィオネかな。 展示では「すべてを一人でこなすただ一人のクチュリエ」C・バレンシアガを高く評価していたが好きにはなれません。 20世紀中期ではなんといってもC・ディオール、そして次期のY・サンローランです。 ディオールは別格ですが、やはり好きなタイプの女性に似合うかどうかで見てしまうのかもせれません。 10年単位で8章の構成は密度のあるオートクチュール史を作り出していた。 さすがパリ市立モード美術館監修です。 そしてプレタポルテが広まっても生き延び盛り返しているのはパリが持っている歴史とパワーの賜物でしょう。 * 「ディオールと私」(2014年)、「イヴ・サンローラン」(2010,2014年) * 「ディオールの世界」(2014年) *展示会サイト、 http://mimt.jp/paris-hc/

■ヴィヴィアン・マイヤーを探して、「発見された」天才写真家

■監督:ジョン・マルーフ,チャーリ・シスケル ■見逃した1本だったけど早くも近所のレンタル屋で借りられたわ。 ヴィヴィアン自身にも興味が持てる映画だった。 15万枚以上の写真を撮りながら生前に1枚も発表しなかったのは謎ね。 オークションの購入者がブログにアップしたら大きな反響があったのも理解できる。 一度でも他者を被写体として撮ったことがあれば彼女の作品は巧いとわかるからよ。 写真家ジョエル・マイロウィッツのコメントが核心を突いているわね。 「自分と被写体を共鳴する距離でシャッターを押している」「外交的であり内向的でもある」「ストリート・フォトがわかっている」「世界を完璧に切り取っている」「遊びごごろもある」「乳母を仕事にしていた理由がわかる」・・。 二眼レフカメラのローライフレックスで撮ると被写体に威厳がでるの。 下から覗くように見えるから、しかもカメラマンと目が合ってもレンズに遠いからよ。 彼女は本名や生まれも明かさなかった。 部屋は新聞で一杯。 年老いてゴミ箱を漁っていたらしい。 変わった人生を歩んだようね。 まさに「発見された」奇跡のドキュメンタリーと言える。 2013年作品。 *作品サイト、 http://vivianmaier-movie.com/

■雑貨展

■2121デザインサイト,2016.2.26-6.5 ■雑貨とは何か? 辞書を調べると「こまごまとした日用品」とある。 入口近くに展示してある「雑マンダラ」「雑貨と生活史年表」「終わらない自問自答」「雑貨店の雑貨」などの企画説明作品をみて混乱してしまった。 すんなり入れるのは「雑貨のルーツ」と「 今和次郎 」くらいである。 対象がコマゴマしているのでまとめ難いのだろう。  それにしても「松屋行商」は傑作である。 数十年前の銀座で売られていた雑貨類を集めた「銀座8丁目と雑貨」で足が止まる。 ある過去の特定の場所の雑貨をまとめてみるのは面白い。 その時代その地区の日常生活を想像できる。 チョコレートなどのパッケージも展示されていたが知っている菓子類も懐かしい。 菓子は雑貨に入らないが、特に駄菓子は雑貨と同じ生活パワーを持っていた。 100円ショップが楽しいのは雑貨が生き物だからである。 日常で生かせるか殺してしまうか!   死んだ雑貨が増えると脳味噌にカビが生えるから注意がいる。 黴が生えるとオタクに変身できる楽しさもあるが・・。 *美術館、 http://www.2121designsight.jp/program/zakka/

■ファッション史の愉しみ、石山彰ブック・コレクションより  ■小泉淳作と小林敬生  ■北大路魯山人-器に描く-

■ファッション史の愉しみ-石山彰ブック・コレクションより- ■世田谷美術館,2016.1.13-4.10 ■手ぶらで行ったので戸惑いました。 石山彰の名前も初めて聞きます。 17世紀頃から20世紀初頭迄の石山書籍コレクションと神戸ファッション美術館所蔵の衣装が並べられています。 服飾専門の初学年生なら最高の内容かもしれない。 「衣食住は三者合一で生活が豊かになる」と石山彰が言っている通りですが、素人には大過去の衣装は入り難い。 ファッション・プレートとは服飾版画のことらしい。 絵画ではだめだというのはわかる。 線が大事だからです。 これが近代になると写真に継続される。 この服飾版画本が副題になっています。 その服装がどの時代どこの国かがわかれば楽しいのでしょう。 17世紀の英吉利と仏蘭西の衣装が展示されていました。 この違いは見えるが言葉で説明できない。 ファッション史は脳味噌に蓄積されていない空白の分野だったと認識しました。 愉しい発見です。 展示会用プログラム「ファッション史の愉しみ読本」を買って来たので今読んでいるところです。 *館サイト、 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/past.html ■小泉淳作と小林敬生 「ファッション史」のオマケけでしたが劣らず見応えがあった。 やはり初めての二人です。 小泉淳作の木々や山々の鉛筆・コンテ画は力強い。 剥き出しの自然が迫ってきます。 そして小林敬生の小口木版は驚きです。 最初は銅版画と勘違いしてしまった。 特に1980年中期の「静止した刻」には圧倒されました。 生き物が呼吸しています。 *館サイト、 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/past_cllct.html ■北大路魯山人-器に描く- 塩田コレクション時々常設展です。

■はじまり、美の饗宴展、すばらしき大原美術館コレクション

■国立新美術館,2016.1.20-4.4 ■画家一人に文句のない一品が並んでいる会場光景は素晴らしい。 一枚みるごとにボルテージが上がっていくようだ。 大原美術館はこの5年間ご無沙汰している。 期限切れになっていたのでちょうど充電ができて嬉しい。 しかもこの内容なら毎日乃木坂に来てもよい。 ピサロ「りんご採り」、藤田嗣治「舞踏会の前」は初めてかとおもう。 この二枚は気に入る。 セザンヌがちょっと弱い。 ガツンとくる1枚が欲しい。 そして近代日本の勢揃した画家達には圧倒される。 バーナド・リーチは濱田庄司の近くに置くと落差を感じてしまう。 現代美術の力の入れ様も伝わって来くるようだ。 至福の時を過ごせた。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2016/hajimari/

■池袋モンパルナス

■感想は、「 池袋モンパルナス 」

■岸和郎、京都に還る

■ギャラリー間,2016.1.28-3.20 ■材料の薄さや梁の露出などからプレハブ住宅を思い出してしまう作品が多いですね。 でもこのような建物は日本に、もちろん京都にも似合うとおもいます。 軽さのある感じが良いのです。 壁や戸や窓の素材・部品・構造が進歩したので薄さのある家は合理的にもみえる。 コルビュジエから豪華性が取り除かれている。 たとえば大学建物3作品が並べられていますが、1982年の京都造形より2010年の京都工繊、それより2014年の京都大学のほうがパフォーマンスの良さと未来が表れている。 映像を見てもこの差異がわかります。 一般住宅はこの構造丸出プレハブは好きになれない人もいるかもしれない。 でも薄さ細さ軽さの追求は日本の自然や環境と調和するはずです。 *館サイト、 http://www.toto.co.jp/gallerma/ex160128/index.htm

■ジョルジョ・モランディ、終わりなき変奏

■東京ステーションギャラリ,2016.2.20-4.10 ■モランディは何枚か見たことがあるけど真面目に対面するのは初めてかもね。 ナゼ瓶やカップはこんなにも整然と置いてあるのかしら? このためか数十枚をみてからやっとリズムが合ってきた感じがする。 すぐには寄せ付けてくれないのは作者が作品に費やした思考経過を観る側が肯定しなければいけないからだとおもう。 1枚づつ見るより会場の中央にいて同時に数枚単位で見ていくのが面白いのはこの過程を俯瞰できるからね。 「変奏曲」と言われているのがわかる。 量感はあるけど質感のセザンヌと違ってモノ本質への感動が湧かない。 かと言って抽象の感動もやって来ない。 瓶がモノからモノでなくなる過程を描いているようにも見える。 長く見ているとこの浮遊感の面白さが出てくるの。 ショップに寄って作品を写真でみると質感が増している。 筆の跡がなくなり滑らかな表面になったからかしら? こっちの方もいいわね。 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201602_morandi.html

■レオルド・ダ・ヴィンチ、天才の挑戦

■江戸東京博物館,2016.1.16-4.10 ■「糸巻きの聖母」を目当てに行きました。 しかし凡才にとっては混乱の会場です。 対象範囲が広すぎる。 これが「天才の挑戦」と言うのかもしれませんが。 「自然と人間」で身体や動植物の素描から入り、「鳥の飛翔に関する手稿」では飛行機や機械工学が展開します。 やっと「糸巻きの聖母」の章ですがその前後は他画家の絵や資料で一杯です。 おまけに土木や建築工学の「都市計画」が付いています。 展示80点のうちレオナルド作品は8点しかない。 絵画以外はファクシミリ版でも本物でもどちらでも構わないのですが、この比率では周辺が五月蠅すぎます。 でも副題としてのレオナルドを観たい人はこれでよいのかもしれない。 「糸巻きの聖母」はスフマートがとても効いています。 ボヤッとした感じでハッキリみようとしてもハグラカされてしまう感じです。 絵の深淵に辿りつけない思いが残ります。 この絵はレオナルドの中ではあまり聞いたことがない。 その理由が少し分かったような気がしました。 日伊国交樹立150周年記念展。 * 「レオナルド・ダ・ヴィンチとアンギアーリの戦い」(東京富士美術館,2015年) *館サイト、 https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/past/