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■デザインの先生 Learning from Design Maestros

■作家:ブルーノ・ムナーリ,マックス・ビル,オトル・アイヒャー,ディーター・ラムス,アッキレ・カスティリオーニ,エンツォ・マーリ ■2121デザインサイト,2025.11.21-26.3.8 ■今日は開催最終日のため混雑を覚悟していたが思ったほどではなかった。 上野の美術館とは客層の異なることが影響しているのかもしれない。 本展は6人のデザイナーに焦点を当てた構成になっている。 (上記作家欄の)前半の4人がドイツ系、後の2人はイタリア系に分かれており、このブログの過去に触れていたブルーノ・ムナーリとマックス・ビル以外は私にとって馴染みがない。 ムナーリとビルはデザインにとどまらず美術全般に活動を広げているため、出会う機会が多いのだろう。 イタリア系の二人は、よりプロダクト寄りのデザイナーと言える。 対象が具体的であるためか、二人の言葉はどこか饒舌に響く。 「興味がないなら忘れなさい」(  アッキレ・ カスティリオーニ)、「量産現場での繰り返し作業は職人も思考停止に陥る」(エンツォ・マーリ)。 マーリは無印良品との関係もあるらしく、過剰な資本主義から距離を置くというMUJI思想にも通じるものを感じた。  同じくプロダクトデザイナーであるドイツ系のディーター・ラムスは言葉の選び方にも秩序がある。 ブラウン社で数多くの機能主義的製品生み出した彼の「良いデザイン10箇条」は印象に残った。 良いデザインは・・、「革新的である」「実用的である」「美しい」「分かりやすい」「主張しない」「誠実である」「長持ちする」「細部まで完璧」「環境に優しい」「簡素」である。 商品の基本原則としても十分通用する内容だ。 会場を後にすると、早くも6人の違いが曖昧になっていることに気づいた。 絵画や彫刻のように作家の個性が強く出る分野とは異なり、デザインは「使う人のため」という共通目的に向かうので、自ずと似た方向へ収束していくのかもしれない。 *美術館、 https://www.2121designsight.jp/program/design_maestros/

■YBA&BEYOND、世界を変えた90s英国アート

■作家:フランシス・ベーコン,ダミアン・ハースト,デレク・ジャーマン,スティーヴ・マックイーン,サイモン・パターソン他 ■国立新美術館,2026.2.11-5.11 ■1980年代後半から2000年頃までに製作された英国美術に焦点を当てた展示会である。 1988年、作家ダミアン・ハーストが企画した「フリーズ」展に集まった作家たちは、YBA、つまりヤング・ブリティッシュ・アーティストと呼ばれるようになった。 会場に入ると、まずフランシス・ベーコン「トリップテック(三幅対)」(1988年)が目に飛び込み、続いてダミアン・ハースト「後天的な回避不能」(1991年)が現れる。 しかし、独自の表現を追求する作家たちの作品も並び、最初は全体像がつかみにく印象を受けた。 「ハンズワースの歌」(1986年)のドキュメンタリー映像を観た後、これら三作品を通して展示の主題が徐々に見えてきたように感じられた。 英国の身体・社会・歴史が世紀末に向けて溶解し始めていたのだ。 そこには英国特有の植民地主義の影も含まれるだろう。 この溶解は今も続いていて先が見えない。 AIやドローン兵器といった劇的な技術変化を取り込みながら、このまま21世紀は進んでいくのかもしれない。 映像作品では「ハンズワースの歌」のほか、トレイシー・エミン「なぜ私はダンサーにならなかったのか」(1995年)、スティーヴ・マックイーン「熊」(1993年)、スタバ・ビスワス「ミッキー・ベイカーの試練と苦労」(1997年)、マーク・ウォリンジャー「王国への入口」(2000年)などを観ることができた。 エミンは赤裸々な性差別を語り、ビスワスは階級差別を語る。 「ジャマイカでは肌の色の濃淡で階級と教育程度が分かってしまう。 それを私はいつも気にしていた・・」。 ・・。 ウォリンジャーは空港の到着ゲートに注目するが、そこに映るのは日常的に見慣れた会社員ばかりで、狙いは理解できるものの強い印象は残らなかった。 それよりも「ハンズワースの歌」に映る英国の港へ到着する移民船の乗客たち、安っぽい背広にネクタイを締めた人々の姿に衝撃を受けた。 彼らの背伸びをした正装で到着ゲートを通る姿に・・。 これまで「世紀末」といえば19世紀末を指すことが多かったが、ようやく20世紀末を描くことができる時代になってきたと感じられた。 英国以外の国...