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3月, 2011の投稿を表示しています

■20世紀のポスター、タイポグラフィ

■東京都庭園美術館、2011.2.26-5.8 ■ http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/typograph/index.html ■20世紀前半はドイツ語、都市はチューリヒのポスターが多く出品されていたがここが中心だったのかな? 変化したのはコンピュータを利用した80年代だが、だからといってポスターの素晴らしさが向上したとは思えない。 複雑に無機質になっただけにみえる。 街中に貼ってあるポスターを足を止めて見るのが一番だ。 その時代ばかりか、身の回りの事までを強烈に関係づけてくれるから。 だから美術館で観る場合は貼ってある風景を想像する力が必要だ。 しかしUSSRの文字を前にしても、今や想像さえできない。ポスターは写真に近い。 でも今回は文字がテーマだ。 文字の美しさや技術を適用することは重要だが、文字は見る者を理性的にする。 それは作品を前にして考えてしまう。 文字だらけのポスターは考えるから想うに行けるかどうかで良し悪しが決まると思う。

■世界の深さのはかり方

■東京都現代美術館、2011.2.26-5.8 ■ http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/123 ■六人の作家展ですが、神経質か逆に無頓着かの両極端な作品ばかりです。 鉛筆やボールペンで細かな線を描く絵が多くありましたが情緒不安定で過敏にみえます。 細い糸で蜘蛛の巣のように形を作ってぶら下げているのもそうです。 折り紙を丸めてホッチキスで留めたものや壁一面に画鋲を止めた作品は単なる思いつきにしかみえません。 水の入ったグラスを置いただけの作品などは安易過ぎます。 なぜこのようになったか? それは作者たちの作品への「考え過ぎ」の結果だと思います。 世界の深さを「考えて」はかろうなどとするから委縮してしまい両極端に走ってしまったのです。 

■包む、日本の伝統パッケージ展

■目黒区美術館、2011.2.10-4.3 ■ http://mmat.jp/exhibition/media/tsutsumu_flyer_web20110201.pdf ■「勹」は人が身体を曲げている、「己」は腹の中に胎児をみごもりかかえているようす。 この二つが合わさって「包」になる。 自然を敵としなかった→語りあうことができた→作り人と作られ物が近い→木、竹、笹、土、藁、紙→包む→日本人の美意識とこころ ・・で誘導している。 しかし作品は商品の強さが前面に出ているためか人気の無い地方物産展会場にいる気分である。 対象のパッケージは四季あるモンスーン気候から生まれたのがわかる。 とくに笹や藁の利用は近頃みられないのでとても新鮮だ。 このコレクションは世界を巡回したらしい。 その時の各国の反応などが展示してあれば、この美意識やこころが日本人特有かどうかも判断できたろう。 そして物産展会場に潤いがもたらされるようにもう少し企画を練る必要があったのでは。

■ベッティナ・ランス写真展

■東京都写真美術館,2011.3.26-5.15 ■赤の口紅やマニュキアそして絨毯、青のカーテン・・、会場に入ったらリンチのブルーベルベットだわ。 でもすぐに別の世界へ、それはフェリーニやアントニオーニの女優の目ね。 寺島しのぶの表情も女優そのものよ。 カメラの前で彼女らは俳優としての職業を無意識に出しているせいか、観る者はここに結び付けてしまうの。 でも少しずつランスがみえてくるわ。 それは女性同士からくる心を許した感情が微かだけど作品に表れてくるところよ。 ここがランスの一番の価値ね。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-1306.html

■田窪恭治展

■東京都現代美術館,2011.2.26-5.8 ■「琴平山再生計画」と「林檎の礼拝堂再生プロジェクト」が主展示です。 「琴平山」は一杯の敷石が敷かれていて建物の一部も展示され、有田焼の椿絵磁器が飾られています。 地階に書院の椿の襖絵が描かれています。 しかし全体像が見えてきません。 階で分離してしまい締まりの無い展示になっています。 せっかくの建物や敷石も活かされていない感じです。 椿絵の襖は上部の空白をどう処理するかで好みが分かれるのではないでしょうか? 完成を期待したいですね。 「礼拝堂」はフランスの廃墟になっていた建物の再構築の話しです。 ビデオや多くの模型で全体を把握できました。 壁絵は何層も塗った後に削り取る手法を取っていて、白を背景に大柄の林檎絵は爽やかさがあります。 でも礼拝堂に合うのか心配です。 田窪は建築家ではなく画家のようです。 どちらでもよいのですが、「琴平山」は建築としての展示が成功しているとは言えません。  原因はプロジェクトの規模が大き過ぎるのではないでしょうか? 「礼拝堂」はプロジェクトとしてゴールが出来た展示にみえました。 *美術館、 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/122/

■岡本太郎展

■東京国立近代美術館、2011.3.8-5.8 ■ http://taroten100.com/index.html ■キーワードは対決。 しかも場内説明文も攻撃的だから作品がいつもより一層切実に迫ってくる。 現代ではこのようなメリハリのある対決が表面化しないので余計にそう感じる。 「太郎美術館」「太郎記念館」、渋谷へ行けば「明日への神話」、そしてこの展示会。 ・・太郎だらけだ。 これだけ人気があり逆に対決しても太郎がブレていないのは思想の根幹に若いときのパリ遊学が、特にマルセル・モースに師事したことが効いてるとおもう。 このことは彼の感性の良さが前提だが、ピカソや縄文土器の発見もこの延長だし、べ平連から太陽の塔への時代変化にベースを替えずに乗り越えられる強さもこれだ。 緊張感があるためか観終った後はコンパクトに圧縮された展示会に感じた。

■グザヴィエ・ヴェイヤン展

■エスパス ルイ・ヴィトン東京,2011.1.15-5.8 ■1月に開館した表参道ルイ・ヴィトン7階アートギャラリのオープニング展ヴェイヤンに行ってきたわ。 銀座のメゾン・エルメス8階フォーラムに対抗したのかしら? 三方ガラス張りだから作品を選り好みするスペースのようね。 でも填まったら最高ね。 数点の展示だけど、「TOKYO STATUE、2011」はいいわ。 木?の素材を緑色に塗ってあるの。 下はビル、その上に人が立っている作品だけど、人物像がダイヤモンドのように切り取られた多面体でスカッとした新鮮さがあるの。 外の景色とピッタリよ。 会場にあったカタログを見たら類似の人物や動物などもあるようね。 まとめて観たくなったわ。 風速計を大きくしたような「REGULATOR」や他の作品はだめ。 でも余程のアート展でない限り買物をしないでわざわざ行く所ではないわ。 もちろんエルメスもね。 *館サイト、 http://www.espacelouisvuittontokyo.com/ja/past/freefall

■フェルメール「地理学者」とオランダ・フランドル絵画展

■Bunkamura.ザミュージアム,2011.3.3-5.22 ■シュテーデル美術館は「・・改築工事のため今回は最初で最後の貸し出しである」と言っています。 この自信はわかります。 なぜなら今回の「歴史画」「肖像画」「風俗・室内画」「静物画」「風景画」のどれを取っても素晴らしい内容ですから。 勤勉な人物、質素だが精神的豊かさが見える室内、精密でこだわりのある静物、整えられている森や林、建物。 17世紀ベネルクスの政治・経済・社会が見える展示会です。 それにしても大航海時代後期のオランダは強いですね。 どの絵にも強さがあります。 でも全体に暗いので静かさもあります。 フェルメールの「地理学者」のように静かな力強さです。 宗教改革の影響もあるのでしょう。花や果物の静物画は特に気に入りました。 熟したメロンや苺をみると涎が止まりません。 レモンの甘酸っぱさが広がります。 BUNKAMURAとしてはいつもより展示が一部屋分多いような気がしました。 最後の部屋は二流ものも多かったのですが、全体としてはとても充実している内容でした。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/old/museum/lineup/11_vermeer/index.html

■平山郁夫と文化財保護

■東京国立博物館・平成館,2011.1.18-3.6 ■絵だけの展示だと思って行ったら仏像が一杯でびっくり仰天。 平山郁夫の文化財保護活動は思っていた以上に広範囲で再び仰天。 仏像と絵を交互に観るのはリズミカルがあり気持ちがいい。 「楼蘭の遺跡」の前では井上靖の小説と重なり動けなくなった。 仏像はアフガンからインド・西安あたりまで、時代も千年もの間があり変化に富んでいて目が離せない。 最後に「大唐西域壁画」。 絵の前に立つとあの大陸の乾ききった風が全身を吹き抜けていく。 成層圏ブルーを背景にした「須弥山」が身体に迫って来る。ひさしぶりに日本の狭苦しさを忘れることができた展示会であった。 館を出た後、シルクロードに行ってきた気分を残しながら帰りの根津駅ヘ向かった。 *館サイト、 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=709

■シュルレアリスム展

■国立新美術館、2011.2.9-5.9 ■ http://www.sur2011.jp/ ■五つの時代に分けて、その中を小テーマでまとめた構成になっています。 テーマ名は「供犠」「偏執狂的=批判的」「アンフォルメルタシスム」?・・などなどです。 説明の多くはA・ブルトンの著作から抜き出した文章ですがとても難解です。 テーマを理解するには予習が必要でした。 主要な作家は出そろっている感じです。 アンドレ・マッソンの多さが目につきましたが、彼の絵はけっこう気に入りました。 生きる気合いがこもっていました。 ところで先日、夢中夢中夢の映画「インセプション」を見ましたが、この流れは今も続いるようです。 でも進歩が無いですね。 「アンダルシアの犬」「黄金時代」も上映していましたが、現代の映画以上にブニュエルには味と深みがあることを再確認しました。 しかし、テーマの一つルイ・アラゴンの「侮辱された絵画」で絵の将来は資料のようになる?と語っていましたがまさにその通りの展示会です。 1980年迄に観れば衝撃的だと思いますが、作品の多くは歴史資料をみる静かな感動が湧くのみです。 帰宅後、再度テーマを知りたくてHPを覗いたら「リサとガスパールのしゅるれありすむ入門」しか載っていません。 会場の説明文との落差が有り過ぎます。 テーマ名と説明文書くらいはHPに掲載して欲しい。 でもカタログが売れなくなるからしないでしょうね。

■ヴィジェ・ルブラン展

■三菱一号館美術館、2011.3.1-5.8 ■ http://mimt.jp/vigee/ ■前半は同世代の女性画家、後半からルブランが主の展示。 でも肖像画はその時代の描き方の基準があるようだからどれも似たり寄ったりね。 ガブリエル・カペの絵はレンピッカを思い出すわ。 静物画も数点あったけどだめね。 ルブランの1790年前後の作品は肌がつやつやしていてとても健康的な絵が多いわ。 目の回りの青い血管まで透き通って見えるのよ。 特に1791年と94年の自画像は素敵だわ。 マリー・アントワネットとの親しさ、サロン感覚、遠い権力・・。 バロックの中からロココがはっきりと浮き出てくるのが見える感じね。 時代に流されていく弱さも含めて、ロココのひとつをテーマにした今回の展示はとてもよかったわ。