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6月, 2015の投稿を表示しています

■ボルドー展-美と陶酔の都へ-

■国立西洋美術館,2015.6.23-9.23 ■展示名を聞いた時は、そんな画家がいただろうか? チラシをみた時はワインの展示会か! 行ってみたらボルドー地方の歴史展のような内容だった。 2万5千年前から始まるから驚く。 ラスコー洞窟壁画やクロマニョン人の発見されたヴェゼール渓谷がボルドー地方だということを忘れていた。 古代はローマ領になり、中世では英国領そして百年戦争へと続く。 近世はモンテーニュくらいか。 ボルドーが繁栄を極めたのは18世紀、最後にナポレオンとフランス革命を経て19世紀になる。 ボルドーと言ってもヨーロッパの歴史を広げているようだ。 しかし何といっても植民地との中継港として繁栄した月の港ボルドーだろう。 家具や食器類も素晴らしい。 画家ではボルドーに亡命したゴヤ、どういうわけかドラクロア、ボルドー生まれのルドン、ルドンの版画師匠R・ブレダンの作品が記憶に残る。 ボルドーに貢献した人々の肖像画も多い。 終章では有名ワインのエチケットが陳列されていたが、5大シャトーの味を確かめないでボルドー展に行ってきたとは言い難いところもある。 *主催者サイト、 http://www.tbs.co.jp/bordeaux2015/tokyo/

■ヘレン・シャルフベック、魂のまなざし

■東京芸術大学大学美術館,2015.6.2-7.2 ■ヘレン・シャルフベックの伝記を読んだような観後感がある。 ページを捲るように作品を観てしまった。 子供時代の事故や中年での失恋、生涯独身のような人生経験は特別とは言えないが、現代人が持っている心身の生きる不安を先取りしている。 その諦念を持ちながら生きる喜びもみえる。 これらを率直に作品に表現していて清々しさがある。 年老いてからの自画像は圧巻である。 なぜこのように彼女は歩めたのか? 彼女の喜怒哀楽には宗教性が感じられないからだ。 多分一つ一つの人生経験を手作業で噛みしめることができる良き時代を生きたからである。 *館サイト、 http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2015/helen/helen_ja.htm

■レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展-日本初公開「ダヴォラ・ドーリア」の謎-

■東京富士美術館,2015.5.26-8.9 ■「ダヴォラ・ドーリア」は一つの出発点です。 そこから「アンギアーリの戦い」の周辺作品や資料へと広がり充実した展示になっています。 「タヴォラ・ドーリア」の立体復元彫刻は不可解だった構造を納得させてくれました。 4頭の馬の動きや尻尾に渦巻き構造が見られるのも驚きです。 迫真の源が理解できました。 でもシニョリーア宮殿に飾られる「アンギアーリの戦い」の全体像が語られていなかったのは残念です(見過ごした?)。 レオナルドの数枚の素描を張り合わせたものがあるだけでした。 ミケランジェロの「カッシナの戦い」も同じです。 アリストーティレ・ダ・サンガッロの模写絵がそのまま全体図だったのでしょうか? 「アンギアーリの戦い」での実際の戦死者は落馬した一人だけだったようです。 しかしレオナルドは経験したすべての戦い場面の総決算として描こうとしたのですね。 彼の謎を十分堪能した展示会でした。 * 「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」(東京都美術館,2013年) *館サイト、 http://www.fujibi.or.jp/anghiari.html

■戦後日本住宅伝説-挑発する家・内省する家-

■八王子市夢美術館,2015.6.14-7.20 ■ http://www.yumebi.com/acv66.html ■建築家16人の個人住宅16作品を展示しています。 どれも建築分野では影響力があったものです。 これなら生活できるだろうと思える家は「私の家」(清家清)、「コアのあるH氏の住まい」(増沢洵)、「水無瀬の町家」(坂本一成)、「松川ボックス」(宮脇檀)の4点です。 他12作品はIF住んだとしたら生活が狂うと直観しました。 住めば都ですから実際住んでみないとわからないのですが・・。 「食う・寝る・排便することができればそれでよい」から「新しい思想を取りこむ」まで建築家たちも多様です。 観客から見ても好みが分かれると思います。 会場は写真・資料・図面・模型・ビデオで作品の全体像を組み立てています。 1作品10分の合計2時間半で1950年から70年の個人住宅史の概要を知ることができました。

■小林裕児-1967~2015変化する様式、変わらない人間へのまなざし-

■多摩美術大学美術館,2015.5.30-6.21 ■どこかで見ている作品だが小林裕児の名前は思い出せない。 1982年からテンペラを取り入れている。 先日観た川口起美雄の混合技法とは違うようだ。 素材質量の追及は無く乾いた感じである。 物語の断片として登場する人物も精神構造だけの描き方をしている。 会場は4室あるが別の作者のように画風が変わっていく。 副題の通りである。 変化できたのは良い意味での戦後から続くダラリとした時代の賜物であろう。 90年後半から演劇に興味を持ち始めたと書いてあった。 作品に欠けていた<身体>を発見したのかもしれない。 このためかスケルトンのような肉体は変わらないが、近作の人物像は生気が感じられる。 装丁も陳列されていたが肉付けをしない彼の作風は本の表紙に似合う。 *館サイト、 http://www.tamabi.ac.jp/museum/exhibition/150530.htm

■マスク展-フランス国立ケ・ブランリ美術館所蔵-

■東京都庭園美術館,2015.4.25-6.30 ■仮面とじっくり向かい合うことができました。 この館の狭い部屋は仮面の展示に合います。 なぜアジアの仮面は対話することができるのか? たぶん日常生活での微かな繋がりが見えるからでしょう。 しかしアフリカの仮面は直ぐにはできない。 抽象化も進んでいるからです。 神話と歴史、宗教や人類学などを動員する必要がある。 素直に見て楽しめる作品もありますがマスク展というのは難易度が高いと感じました。 ケ・ブランリ美術館は一度行ったことがあります。 衝撃的な館内は鮮やかに記憶しています。 実はこの雰囲気も一緒に持ってきているのでは? ワクワクしながら目黒に行ったのですが・・。 残念!、朝香宮邸の雰囲気からは逃げられない。 *館サイト、 http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/150425-0630_mask.html

■川口起美雄-絵画の錬金術師- ■美人画の100年-京都市美術館名品展-

■川口起美雄-絵画の錬金術師- ■平塚市美術館,2015.4.18-6.14 ■透明ある光沢がそのまま存在に繋がっている。 この何とも言えないマチエールがテンペラと油彩の混合技法なのか? 静寂なようで騒めいている。 人や動物を描いている作品はどうも落ち着かない。 何かが不足しているような感じも受ける。 紹介ビデオを見てこの理由がわかった。 塗りながら像が浮かんでくるのを待っているのだ。 「はじめに緑があった・・」。 模様から徐々に形にしていく。 「故郷を喪失したものたち」は模様である。 均一のためか感動も分散されてしまうようだ。 では動物や建物を描いた作品はどうか? 模様が成長した感じである。 縞馬や犀はそこに居るのだが、深い意味が立現れて来ない。 感動したいが、させてくれない。 *館サイト、 http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/20152001.htm ■美人画の100年-京都市美術館名品展- ■京都らしさがでていたのは4章「装いと表現のモダニズム」かな。 1930年代初め頃の作品だが女性たちが溌剌としている。 来るべき戦争を楽観していた時期にも重なる。 約50名の画家のうち土田麦僊、上村松園、前田青邨、橋本明治ぐらいしか名前を知らない。 ということで音声ガイドがとても役に立った。 塾も多く広がりと深さが有り、さすが京都だと感心した。 *館サイト、 http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/20152002.htm

■フリーダ

■監督:J・テイモア,出演:S・ハエック,Aモリーナ(2002年作品) ■2003年の文化村展示会「 フリーダ・カーロとその時代、メキシコの女性シュルレアリストたち 」で上映した作品らしい。 役者たちは美女美男、髪型や衣装も最高、家の壁紙や家具のグッとくる色や形、そして料理の盛付にいたるまで素晴らしい映像です。 それにしても肉体が壊れていく恐ろしさが見えない。 フリーダは鉄のコルセット姿で生と死の境界を行き来できる強さを持っています。 彼女らしい「メキシコ万歳」ですね。 でも眉毛の寄りはイモトアヤコを思い出してしまいました。 この連想は頂けません。 トロツキーを青い家に招いたこと、両性愛者だったことも初めて知りました。 精神も鋼鉄ですね。 *映画COMサイト、 http://eiga.com/movie/1064/

■シンプルなかたち展-美はどこからくるのか-  ■ふたつのアジア地図、小沢剛+下道基行  ■1960年代のアートとアジテーション、日本・韓国・台湾  ■ビル・ヴィオラ初期映像短編集

■シンプルなかたち展-美はどこからくるのか- ■森美術館,2015.4.25-7.5 ■ http://www.mori.art.museum/contents/simple_forms/index.html ■アニッシュ・カプーア「私が妊娠している時」(1992年作)が一番良かったかな。 球体の一部が壁から飛び出ているだけだが、異次元からやってきたようだ。 見ていると眩暈もしてくる。 次がマルク・クチュリエの「半月」(1990年作)。 円弧を利用した棚に光と影のコントラスが素晴らしい。 作家としてはジャン・アルプの自然のようで人工のような中途半端な彫刻群が気に入る。 以上がベスト3。 他にも良いのがあったが見たことのある作品は外した。 会場は空間が余っているせいかガランとしている。 作品もみすぼらしく感じてしまう。 リニューアルしたらしいが会場外の変更が多い。 52階にロッカーが増えたのは助かる。 ■ふたつのアジア地図,小沢剛+下道基行 ■ http://www.mori.art.museum/contents/mamproject/mamcollection/index.html ■アジアに散らばっている鳥居は太平洋戦争の遺物だが石でできているから残ったのかもしれない。 今になれば現代彫刻をみているような感じである。 しかし歴史を紐解けばズルズルとイロイロと出てくるのは確かである。 ■1960年代のアートとアジテーション,日本・韓国・台湾 ■ http://www.mori.art.museum/contents/mamproject/mamresearch/index.html ■これは面白い。 小野洋子(オノ・ヨーコ)の「カットピース」は初めてみる。 台湾の「劇場」「解放」も初めて知る。 多くの美術館は「ハイレッドセンター」くらいまでは展示するが「ゼロ次元」は外してしまう。 さすが森美術館。 日本・韓国・台湾を時間軸で並べ政治を芸術に取り込む陳列である。 これが時代を意識させ作品を躍動感あるものにしている。 ■ビル・ヴィオラ初期映像短編集 ■ http://www.mori.art.museum/contents/mamproject/mamscreen/index.html ■ビル・ビィオラを上映していたとは知らなかった

■だれも知らない建築のはなし-建築家に未来はあるか?-

■監督:石山友美,出演:磯崎新,安藤忠雄,伊藤豊雄,P・アイゼマン,C・ジェンクス,R・コールハース,中村敏男,二川由夫 ■イメージフォーラム,2015.5.23-(2015年作品) ■丹下健三が退場し磯崎新が活躍しだした70年代後半に始まり、ポストモダンとコミッショナープロジェクトを中心に論じ、バブルが弾けた90年代から現在迄をカバーしている建築家批評のドキュメンタリー作品よ。 「建築家に未来はあるか?」を中庸に考えているのは伊藤豊雄かな? 磯崎新は歳だし、安藤忠雄は現実と理想に差を感じるの。 それは新国立競技場問題をみてもわかる。 外国建築家はハッキリしてるわ。 「磯崎はリーダーだったが安藤や伊藤はそうとは言えない」(アイゼマン)。 「日本人建築家はコミュニケーション、ヴィジョンを持っていない」(ジェンクス、コールハース)。 磯崎はコミッショナーとしての評価が高かったようね。 中堅家たちは小住宅から始めて公共建築の下積みが無かったのでこう言われるのかしら? 「その建物は注意を引かない主張しない、ただ正しい時間に正しい光が差し込む美しさがある」(コールハース)。 でもこれこそリーダ不在、つまりアーキテクト不在の建築風景よ。 コンピュータの影響も大きいはず。 「建築家は将来テクノクラート、エンジニア、アーティストのどれかになるしかない」(磯崎)。 P・グリーナウェイ「建築家の腹」(1987年作)を思い出したの。 登場する建築家が署名の下に「アーキテクト」と書くんだけど、監督はこの文字を殊更強調するの。 当時は法定資格名を越えて「アーキテクト」という言葉には大きな力が宿っていたのね。 *作品サイト、 http://ia-document.com/