■メスキータ、エッシャーが命懸けで守った男

■東京ステーションギャラリー,2019.6.29-8.18
■エッシャーの名前が副題に登場・・? メスキータの美術学校教師時代、生徒にエッシャーがいたのですね。 メスキータがナチスに拘束された時にエッシャーたちが命懸けで彼の作品を保護保管したことで副題にしたようです。 道理で二人の版画作品はタッチが似ている。
「メスキータの肖像」(1922年)は何度か見た覚えがあります。 彼が木版画を始めたのは1896年。 50歳前後(1920年頃)の作品が気に入りました。 木版の丸みのある力強さが出ている。 でも意匠が素人のようにみえる。 日本の工芸と思わず比較してしまいました。 そして彼がどのような考えで版画を制作していたのかもよく分からない。 ドローイング自動筆記も謎にみえる。 雑誌「ウェンディンゲン」にも作品を投稿しているが建築との関係がみえない。 若い時に建築を志したが、やはり合わないのでしょうか?
ヨーロッパ近代以降の木版画はあまり記憶がない。 それを深める土壌が彼の周囲になかった。 時代も味方にできなかった。 彼の木版画をみると物理的だけではなく情報量の限界もみえてくる。 「メスキータの肖像」を再び眺めると彼の苦悩を微かに感じます。
*館サイト、http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201906_mesquita.html