■フランシス・ベーコン展

東京国立近代美術館,2013.3.8-5.26
金縁の額と反射するガラス張りを通して観るのがベーコンへの礼儀だと初めて知った。 額縁の写っていない画集でみるのとは俄然違う。 真剣に額縁やガラスも感じてしまうからである。 そして金縁とガラスの中にどうしようもない肉体が蠢いている。
「意識が飛び立つ瞬間へ!」「チャンスの到来を待つ!」。 彼の言葉が当てはまるのは60年代迄である。 例えば「教皇」たち。 しかし後半は変わる。 ひねくれた人物象の目が肉体から離れて関係性を饒舌に語るようになる。 でもその身体は沈黙する。
影響された舞踊家の舞台はベーコンとは似て非なるものにみえる。 「疱瘡譚」の土方巽もW・フォーサイスもベーコンから離れてしまっている。 生身とは時間の連続性が違うのかもしれない。 映画監督D・リンチはいい線をいっているが・・。
80年代後半になると静かでツマラナイ絵になってしまう。 同性愛の緊張も、もはや見えない。 ところでマリリン・モンローの写真を見て「素晴らしい姿勢だ!」と彼が語っていたが同感。