■山口小夜子-未来を着る人-  ■ガブリエル・オロスコ展  ■他人の時間

■山口小夜子-未来を着る人-
■東京都現代美術館,2015.4.11-6.28
■山口小夜子が亡くなったことを忘れていました。 今もどこかで活躍しているのでは・・! モデルやダンスや朗読の映像、衣装を見るとどれも素晴らしい。 でも彼女が何をしたかったのかよく見えない。 ノラのように時代を飛び出し時代を超えた<人形>を彼女は目指していたのではないでしょうか? 彼女は人形をとことん追及していた。 寺山修司や勅使川原三郎、結城座に接近したのも人形の動きや存在感を探求したかったのだと思います。
*館サイト、http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/sayokoyamaguchi.html
■ガブリエル・オロスコ展-内なる複数のサイクル-
■写真は面白い。 作者の目が対象を優しく包んでいるようなウッフフ感があります。 「寝ている犬」「犬の輪」「コモンドリーム」・・。 そして芸術家としてはここに立ち止っていてはマズイと考えたのでしょう。 車やスポーツを再構築しだした。 中にはマグレの作品もあります。 例えば「変型シトロエン」。 でもメキシコの面白さを棄ててしまったようにみえます。
*館サイト、http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/gabrielorozco.html
■他人の時間-TIME OF OTHERS-
■他人の時間は経験できない。 見た途端に自分の時間に入り込んでしまうからです。 この関係が宙づりになった面白い作品を見つけました。 キリ・ダレナ「消されたスローガン」です。 もう一つヴォ・アン・カンのベトコン・ゲリラ写真です。 本物のベトナム戦争ですが芝居を見ているようです。 演劇的写真も宙づり状態になります。 どちらも他人の時間でもなければ自分の時間でもない。
映像は写真作品と何かが違うように感じます。 でも違いを上手く言えません。  MAMORU「協奏のためのポリフォニー」、ミヤギ・フトシ「オーシャン・ビュ・リゾート」、ホ・ツーニェン「名のない人」、ヴァンディ・ラッタナ「独白」(?)の4本の映像作品を見ました。
「協奏のためのポリフォニ」は夕張炭田を発見したB・S・ライマンとその足跡を追う作者の紀行を文字と音だけで再現する作品です。 ライマンと作者の時間を強く意識してしまいます。 文学に近い形で二人の経験を感じ取れるのです。
今回は上から二つの展示会を見るために行ったのですが、期待していなかった「他人の時間」が一番刺激的でした。
*館サイト、http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/timeofothers.html