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■2019年美術展ベスト10

□ ブルーノ・ムナーリ,役に立たない機械をつくった男   世田谷美術館 □ ザ・ローリング・ストーンズ展   TOC五反田メッセ □ ラファエロ前派の軌跡展   三菱一号館美術館 □ ギュスターヴ・モロー展,サロメと宿命の女たち   パナソニック汐留美術館 □ キスリング展,エコール・ド・パリの夢   東京都庭園美術館 □ マリアノ・フォルチュニ,織りなすデザイン展   三菱一号館美術館 □ コートルド美術館展,魅惑の印象派   東京都美術館 □ 岸田劉生展,この世の宝なるものを目指し   東京ステーションギャラリー □ ミナペルホネン/皆川明つづく   東京都現代美術館 □ 渋谷フクラス   渋谷フクラス *並びは開催日順。 選出範囲は当ブログに書かれた作品。 映画は除く。 *「 2018年美術展ベスト10 」

■クリムト、エゴン・シーレとウィーン黄金時代

■監督:ミシェル.マリー,スタフ&キャスト:ロレンツィオ.リケルミー,リリー.コール,日本語ナレーション:柄本佑 ■(イタリア,2018年作品) ■副題の「エゴン・シーレとウィーン黄金時代」に焦点を当てた作品にみえます。 グスタフ・クリムトは背景として居るのですが、そこにはもう一人の人物ジークムント・フロイトも見え隠れしている。 インタビューに精神科医も登場します。 つまり精神医学界からクリムトやシーレ、ウィーン芸術を眺めるようなドキュメンタリー映画になっている。 そしてもう一つ、女性解放からみた当時のウィーンを語っているのも特長です。 これは監督の意向かもしれない。 クリムトもシーレも枠に収まらない女性観を持って行動していたからでしょう。 批評家ジェーン・カリアのシーレの革命的意味を語っている場面が面白い。 これにハプスブルク帝国の崩壊を絡めウィーン黄金時代<エロスとタナトス>を感じさせる作品に仕立て上げている。 今年春に開催された二つの美術展に併せて観ていたら深みが増したはずです。 それでも面白く観ることができました。 美術展広告「ウィーン世紀末の全貌をまだ、あなたは知らない」はこの映画の文章にしても似合いそうです。 *「クリムト展」特別タイアップ企画作品 *クリムト,シーレ没後100年記念作品 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/91084

■渋谷フクラス SHIBUYA FUKURAS

■設計:手塚建築研究所,日建建設ほか,施工:清水建設 ■鉄とガラスのコンビネーションが21世紀初頭の中層建築を表している。 同系列の「 東急プラザ銀座 」と外面装飾は違うが基本は似ていると思う。 一階エントランスや2階が狭いのはバス停や銀行が入った為だろう。 3階からは通路が円形になっていて歩きやすい。 死角がなく前方が見渡せるからだ。 同形の「 東京ミッドタウン日比谷 」は吹き抜けだがこれと同じ歩行感覚が持てる。 17階屋上テラスから二つの新高層ビルが性格の違う親子のように眺めることができる。 フクラスはエレベーター周りが小忙しいが全体としては良くできた建物にみえた。 ところで紀伊國屋書店が無くなっていた。 本はWEB経由で買うことが多くなったが一度手に取ってパラパラさせてからにしている。 読まない本が溜まってしまうのを防ぐ為だ。 渋谷ではこの東急プラザで購入の選択をしていたのだが・・。 東急本店丸善は駅から遠すぎる。 新宿駅も小田急の三省堂が無くなってしまった。 新宿紀伊國屋も駅から遠すぎる。 ターミナル駅の大規模書店は行動の要なのだが。 そして昔の古ぼけて閑散としたレストラン階や雑多な地下生鮮食品売場が懐かしい。 ロゴスキーも今はない。 当時の東急がセゾン文化に抗したのは(文化村ではなく)渋谷など数か所のプラザだと思う。 「いつもの生活」対「おいしい生活」。 渋谷が20世紀中頃の匂いを持つ<いつもの生活>からやっと別れる時が来た。 序でに「 渋谷スクランブルスクエア 」へ行く。 スクエア感を一つ追加したい。 商業店舗階の多くに窓カーテンが掛かっていたのが気にかかる。 フロアーを<日常>に近づけてしまった。 特別な場所を除いて窓(外)を、しかもカーテンを客に見せてはいけない。 窓があると外を見たくなる。 *渋谷フクラスサイト、 https://shibuya-fukuras.jp/

■ブタペスト、ヨーロッパとハンガリーの美術400年

■国立新美術館,2019.12.4-2020.3.16 ■ハンガリー主要美術館の来日は25年ぶりらしい。 つまり四半世紀に一度で十分ということかな? コスパを考えれば実際そう思う。 「ハンガリー文化センター」の開業を知ったが東欧のニュースは近頃はまず聞かない。 ソビエト崩壊の1991年に行った時は活気があったが今はどうなのだろう? 以降ハンガリーの興味は薄れてしまった。 ドイツやイタリアなど他国作品を最初に持ってくるのは止むを得ない。 場内をみてもハンガリー美術はこれらの国の後追いにみえる。 でも19世紀以降のハンガリー作家は結構楽しめた。 マルコ・カーロイ「漁師たち」が気に入る。 ヴァサリ・ヤーノシュ「黄金時代」をみて何故かハンガリー的だと思ってしまった。 「赤ワインを飲む父と伯父」の二人の表情が今のハンガリーの姿かもしれない。 もう一度東欧へ行く気を起こさせてくれ! *ブタペスト国立西洋美術館&ハンガリー・ナショナル・ギャラリー所蔵 *日本・ハンガリー外交関係開設150周年記念 *館サイト、 https://www.nact.jp/exhibition_special/2019/budapest2019/

■渋谷スクランブルスクエア

■設計:日建設計,東急設計コンサルタント他,デザイン:隈研吾建築都市設計事務所,SANAA事務所他 ■2019.11.1開業 ■早速SKYへ。 出入口周辺はとても暗い。 案内係がいても歩き難いわね。 47階スカイステージに立つ。 あっけらかんと眺めるとはこういうことかしら? 対抗するビル群がないから野原にいるよう。 渋谷から始まる住宅が西へ広がるのが副都心からのいつもの眺めね。 やはり東京は150メートル前後からの風景が一番活気があって面白いと思う。  地下のスーパーマーケットKINOKUNIYAから上階の東急ハンズで囲まれた商業施設16フロアーは東急東横店を整理整頓した雰囲気を持つ。 東急本店の落ち着きや先日開業の渋谷パルコの騒がしさを取り払った感じかしら?*1 オフィス階は多くのIT企業が入ると聞いている。 渋谷ストリームに移転するグーグルを含めIT村が出来つつある*2。 文化とITの一大エリアになりそうだわ。 そして低層階の波のような建築デザインは外からは面白いが内側から見ると無理した設計にみえる。 アーバンコアの活用は地下鉄工事などが終わらないと何とも言えない。 西棟と中央棟の完成は2028年だから周辺の工事はあと10年も続くのね。 *1、「 渋谷パルコ 」(2019.11.29開業) *2、「 渋谷ストリーム 」(2018.9.13開業) *渋谷スクランブルスクエアサイト、 https://shibuya-scramble-square.com/

■山沢栄子|私の現代  ■至近距離の宇宙  ■東京、中野正貴写真展

■東京写真美術館,2019.11.12-2020.1.26 □山沢栄子|私の現代 ■初めて聞く名前です。 山沢栄子は美術学校日本画科を出てカルフォルニアに渡り油絵を学ぶ。 写真はたまたまアルバイト先で知ったらしい。 抽象絵画のような写真も多く展示されている。 師カネガや米国の流行が背景にあるのかもしれない。 当時はどう見られたのか知りませんが、でも巧いとは言えない。 そして1929年に帰国しています。 戦争中は諏訪に疎開していたようです。 諏訪の人々を撮った写真が生き生きしている。 気に入りました。 新劇女優山本安英もいいですね。 サントリー角などの商業写真も多くある。 「仕事に愛情を持つこと、健康な身体、強気精神力、この三つはとても重要であうる。 この要素なしに仕事を続けることは難しい」。 こう彼女は言っています。 戦争を挟んで写真家としての職業を持っていられたのはこの三つ以外にも必要だったはず。 その苦労は分かりませんが、天晴です。 *美術館、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3445.html □至近距離の宇宙,日本の新進作家vol.16 ■タイトルがいいですね。 面白かったのは、井上佐由紀の生まれたての赤ちゃんの目を撮った作品です。 新生児の目は両生類だと感じました。 山椒魚やヤモリなどに近い。 一人ではなく沢山の新生児の目を見て分かることです。 赤ん坊は人類の歴史を背負って生まれてくるのですね。  *美術館、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition /index-3447.html □東京,中野正貴写真展 ■誰もいない東京をまじまじと見つめてしまった。 例えば新宿駅南口、銀座通り等々をです。 誰もいない時刻に撮ると聞きました。 ちょと信じられない。 「誰も知らない都市」があるのですね。 *美術館、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3612.html

■窓展、窓をめぐるアートと建築の旅  ■鏑木清方 幻の<築地明石町>特別公開

■東京国立近代美術館,2019.11.1-2020.2.2 □窓展,窓をめぐるアートと建築の旅  ■バスター・キートンが初めに登場するので驚く。 いつもの風変わりな緊張感が楽しい。 郷津雅夫のNY下町アパートの窓から顔を出す住民の連作が気に入る。 そして岸田劉生の「麗子肖像」の解説を読んで初めてこの作品の構造が分かった。 奈良原一高の「王国」より「沈黙の園」は知っていたが「壁の中」は初めてみる。 女子刑務所の風景を撮った連作である。 林田嶺一の作品群は戦争の表裏が触覚的に迫ってくる。 窓といえばマイクロソフトのウィンドウだろう。 当ブログもこの窓を通して書いている。 全14章から成り立っているのでこれも窓なのか?と驚くような作品も後半は登場する。 変わったところでは7章の「世界の窓西京人」だろう。 西京に入国するには観客も審査に通らなければならない。 つまり一芸をしないと入れないのだ。 9章のタデウシュ・カントル「死の教室」で思い出した。 ポーランド映画祭が写真美術館で開催されたのだが、アンジェイ・ワイダ監督の記録映画「死の教室」もプログラムに入っていた。 都合で行けなかったが、これは必見だった。 最期の藤本壮介の住宅「HouseN」は窓を外から、そして内から見る入れ子構造になっていて面白い。 ガラクタのような作品もあったが結構楽しい展示会だった。 *館サイト、 https://www.momat.go.jp/am/exhibition/windows/ □鏑木清方,幻の<築地明石町>特別公開 ■「築地明石町」が行方不明だったことは知らなかった。 記念切手が家にあるので作品は知っていたのだが、しかし本物はなかなかだ。 短い解説も新鮮。 「新富町」「浜町河岸」に並んで三部作として展示されていたが明石町に目が行ってしまう。 関東大震災で明治の風景は失われた。 それを「明治風俗十二ヶ月」で蘇らせている。 配られた資料に「南紺屋町」付近から南下して「佃島」あたりまでの当時の地図が載っている。 作品と地図を照らし合わせ、現在の風景を思い浮かべながら比較すると楽しい。 「清方の作品をさらに味わうコツは、描かれた細部をすみずみまで徹底的に読み込むこと」と書いてあった。 ディープな明治時代にワープできるのが鏑木清方だ。 *館サイト、 https://www.moma...

■㊙展、めったに見られないデザイナー達の原画

■ディレクター:田川欣也,作家:深澤直人,原研哉,平野敬子,伊藤隆道,柏木博,川上元美ほか ■21_21DESIGN SIGHT,2019.11.22-2020.3.8 ■作成過程の途中を見せる展示です。 それはスケッチや図面、模型ですが。 映像もあります。 デザイナーの卵なら有益かもしれない。 しかし素人では見る箇所がどこだか分からない。 使っている鉛筆はどこのメーカーを使っているとか、消しゴムはあの商品だとかに目が行ってしまいます。 たぶん本人も試行錯誤でしょうから一場面だけをみてもどうしょうもない。 どう変わっていったか、つまり微分して大きく変化したところを繋ぎ合わせてみれば少しは分かるかもしれない。 登場するデザイナーは有名人が多い。 日本デザインコミッティーに所属しているらしい。 でも26名の内5名くらいしか作品を思い出せない。 食器や家具はユニークでないと記憶に残らないからでしょう。 その一人隈研吾は知っています。 彼の展示は高輪ゲートウエイ駅です。 駅屋根の折紙がいくつも並んでいる。 やはり途中より完成品は納得できます。 それはシンプルで無駄が無いからです。 デザインとは付け加えるより削ぎ落していくものらしい。 特に工業製品はそういうものらしい。 そして追加要件ほど嫌なものはない。 クライアントもしっかりしていれば良い作品が生まれるはずです。 デザイナーの作成過程は絵画や彫刻より組織や人間関係が複雑で忙しそうですね。 *館サイト、 http://www.2121designsight.jp/program/inspiration/

■渋谷パルコ SHIBUYA PARCO

■建築主:渋谷パルコ,ヒューリック,設計・施工:竹中工務店他 ■2019.11.29開業 ■公演通りを歩いていくとちょっと厳めしいビルが見える。 これが新生パルコね。 近づくと建物1階にトンネルが通っている!? 早速地下一階から見て回る。 結構な混雑だわ。 変わっているのはフロアーガイドの店名が間接アドレス方式なの。 フロアー地図などは見ないで体感しろと言うことね。 エレベーター内の階名は全て英語!? よくみるとローマ字風だわ・・。 乗ってもフロアーガイトなどを当てにするな!ネ。 天井は剥き出し階もあり統一感がない。 鉄柱もみえる場所があり突貫工事だったのかしら? 外へ出ると建物周囲を階段等で歩くことができるみたい。 10階の屋上はまあまあだけどちょっと寂しい感じがする。 低層階だから20世紀末の風景が広がる。 6階迄は結構な数の店舗が入っている。 狭いから商品を絞り込む必要がある。 地下レストランを含め、任天堂などゲーム系店舗も充実していて渋谷センター街の延長として作られているように見える。 来場者も90%以上が20歳前後で1%が興味丸出しの爺婆だわ。 渋谷パルコは時々足を運ぶけど、それは劇場があるからよ。 杮落しは来年のため場内は見ることができなかった。 新客席数は600以上になるらしい。 今までの450席は中劇場では絶妙な数だったとおもう。 他劇場では得られない質の良い舞台との一体感を持っていたから。 周囲の赤絨毯の通路も親密だった。 でもエレベーターが混雑したし劇場エントランスも狭かった。 新しい劇場がどうなるか楽しみね。 今の渋谷は大人の街に変貌させたいらしい。 だから東急本店や文化村はセンター街の若者を直接には招き入れなかった。 でもパルコは今まで通りにみえる。 そしてセゾンの匂いが少しだけど残っていた。 それは8階に「ほぼ日曜日」が開店していたし、隣では草間彌生を上映していたからよ。 そこにはパルコ劇場もある。 さて、そろそろ、「スクランブルスクウエア」へ行ってみようかな。 *渋谷パルコサイト、 https://shibuya.parco.jp/

■未来と芸術展ーAI,ロボット、都市、生命ー

■森美術館,2019.11.19-2020.3.29 □未来と芸術展 ■衣食住の未来が半分以上を占めている。 この三つは身近なので作品に入りやすい。 しかもこの館が得意としているメタボリズムを全5章のうち2章も割いている。 マスターシティ、スマート・シティ、オーシャニクス・シティ、山水都市、ポロ・シティ・・。 環境問題はシビアになっているが、どれも1960年代メタボの延長にみえてしまう。 人口増加・食料不足への培養肉や昆虫などの食もそうだが、人間身体は衣食住に対して直ぐには変われない。  しかし後半の2章はその身体変容に迫る。 義肢精密化や皮膚形成手術などは現在科学の延長として理解できるがDNAやホルモン操作による「欲望の機械」、「器官なき身体」にまで広がると混乱する。 「気分の建築」も同じ感じかな? 倫理問題も付いて回る。 テーマが入乱れて芸術との関係がみえない。 3Dプリンターやドローンの利用は具体的で説得力がある。 特に3Dプリンターの活躍の場は広い。 AIの展示は扱い難いのは確かだ。 NASAの火星移住が詳細に語られていたのが面白かった。 末期医療ロボットが患者の腕を撫でながら家族の代わりをする作品は現実に戻されたがこれもアリだろう。 未来を描く有名漫画も紹介されていてテンコ盛りだ。 美術展というより博物展に近い。 未来は手探り状態のようだ。 しかし未来は近い! 未来が迫っていると感じた。 *館サイト、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/future_art/index.html □横溝静+松川朋奈-私たちが生きる,それぞれの時間 ■音楽はショパン「ワルツ10番」、それと数枚の写真で構成されている。 「未来と芸術展」で混乱した心身を整えてくれた。 *MAMコレクション011作品 *館サイト、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamcollection011/index.html □タラ・マダニ ■イラン出身タラ・マダニの風刺画や風刺アニメの作品展。 ザッとみる。 *MAMプロジェクト027作品 *館サイト、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamproject027/i...

■ダムタイプ|アクション+リフレクション  ■ミナ ペルホネン/皆川明 つづく  ■仮の声、新しい影

*以下の□3展を観る. ■東京現代美術館,2019.11.16-2020.2.16 □ダムタイプ|アクション+リフレクション ■アーカイブ展に近いが再編集した新作も展示されている。 たとえば25台のレコード盤を再作した「Playback」(2018年)が先ずは目に入る。 この1989年公演時の記録ビデオも上演している。 次の「MEMORANDUM OR VOYAGE」(2014年)は「OR」(1997年)「MEMORANDUM」(1999年)「VOYAGE」(2002年)を基にした作品なの。 大画面は迫力が違うわね。 今回上映の記録ビデオは約10本(80分)。 この中で「S/N」(1994年)が一番完成度が高いかな? その前の「pH」(1990年)でふっ切れた感じが出ている。 それまではダンスとマルチメディアがすれ違っているからよ。 パフォーマーたちに日常が見えてしまっている。 でも「pH」で肉体を解放したと思う。 「S/N」ではその肉体をマルチメディアに同期させることができた。 肉体のデジタル化ね。 ここに作者たちの言う「愛」「性」「死」「カネ」・・が舞台上に現れてくる。  ダムタイプのパフォーマンスは二つに分類されると思う。 一つはダンス、装置や道具で舞台が狭いとマイムや演劇に近づいていく。 「pH」と「S/N」は両者を融合できたことも面白い理由かもしれない。 ところで映像作品の展示方法を検討する時期だとおもう。 チケットを購入したら期日限定でスマホで観られたら便利よね。 展示会場内だけでもこのようにできたら嬉しいわ。 *美術館、 https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/dumb-type-actions-reflections/ □ミナ ペルホネン/皆川明 つづく ■皆川明の全貌がみえる。 8章で構成された会場はどれも個性が出ている。 「特別な日常服」をコンセプトにしている衣装ブランド「ミナ ペルホネン」。 「100年つづくブランドを」の思いでファッション活動を始めたらしい。 女性用が多いから彼のブランド名を知っている人は偏っているはず。 現在は家具や食器の制作、映像や舞台などで活躍を広げている。 なんと建築作品「シェルハウス」の実物まで展示されているの。 また「 書を捨てよ街へでよう 」(藤...

■カミーユ・アンロ、蛇を踏む  ■李禹煥、版との対話  ■山田七菜子

■東京オペラシティアートギャラリー,2019.10-16-12.15 □カミーユアンロ蛇を踏む ■「いけばな」が並べられている会場にびっくり。 でも華道とは少しちがう。 俄仕込みのような感じかしら? タイトルを読んで驚く。 文学作品名とその一部が展示されているの。 たとえば「しあわせな日々」(ベケット)、「道徳の系譜」(ニーチェ)等々全39作品。 これで花と文章の断片の関係を追ってしまう。 その中に「蛇を踏む」(川上弘美)もある・・。  水彩でサラッと描いた絵画が次に並ぶ。 ストライプ模様が平面と立体そしてアイデンティティ・クライスまで進む作品群だと後から知って感心する。 そして「青い狐」の部屋へ。 壁一面に塗られた青色が細胞に活を入れてくれる。 そこに本や写真、絵画や彫刻などが無造作に置かれている。 ところが解説を読むとライプニッツから引用した構造で配置されているらしい。 次の「偉大なる疲労」(ヴィデオ13分)も観る。 これは「青い狐」を時間軸に伸ばしたようで彼女の思想が強く表れている。 構造から世界を把握したい! 個々のモノは彼女の好みが出ている。 自然環境への関心もある? 博物学的世界を描こうとしているが好みが雑音になり形にまとめ切れていない。 突っ込み過ぎると統合失調的作品になってしまうわね。 分解しそうな構造を美的優位性で支えている面白さが全ての作品にみえる。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh226/   □李禹煥,版との対話 ■「東洋的抽象」をテーマにした寺田コレクションの李禹煥版画作品を展示。 ミニマルな現代書道のようだわ。 *寺田コレクションより *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh227.php □山田七菜子 ■現代の野獣派!? *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh228.php

■フィリップ・パレーノ展、オブジェが語りはじめると

■ワタリウム美術館,2019.11.2-2020.3.22 ■どれも古臭いですね。 電気仕掛けのオブジェ作品がぽつぽつ並んでます。 例えば電気スタンド、スピーカーを内蔵した石、溶けて形が見えなくなった雪だるま・・。 1994年以降の作品とありますが、20世紀後半開催のテクノロジーを利用したオブジェ系美術展にみえる。 「・・オブジェたちは互いに会話をはじめる。 ・・周囲の細かな出来事や温湿光などに反応している。 ・・」。 どうやら技術的には高度らしいが見た目は分からない。 電気配線が剥き出しで材料も安っぽくみえるからです。 一つ一つの作品を分けず全体の雰囲気を観るのでしょうか? 「展示会(場)を一貫したメディアと捉える・・、出来事が展開する空間であり・・、個々の作品の意味ではなく・・、(場は)オープンスペースになり・・、時に応じて変化する・・、(場を)訪れることが時空の境界や感覚的経験を体験する・・」。 何んとなしに分かりますが・・、何んとなしに感じますが・・、何と言ったらよいのか・・。 *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1910pareno/index.html

■ゴッホ展、人生を変えたふたつの出会い

■上野の森美術館,2019.10.11-2020.1.13 ■前半はハーグ派、後半は印象派からゴッホを眺める展示らしい。 副題にある「ふたつ」とは両派を指す。 これにバルビゾン派を繋げるとゴッホがみえてくる。 ハーグ派はよく知らない。 当ブログでも一つしかヒットしない*1。 前半はゴッホを考えながらハーグ派の作品をジワジワ観ることになる。 会場はけっこう混んでいる。 ゴッホの絵の生まれ故郷を初めて訪れた感じだ。 モンティセリの影響も知る。 1886年、ゴッホがパリへ出てからが後半になる。 ゴッホの動向も既知が多い。 先ずは印象派の画家たちの作品が並ぶ。 キャプションもゴッホとの関係を選んでいる。 「クロード・モネが風景を描くように人物を描かねば・・」。 壁に書かれたゴッホの言葉だ。 それにしてもゴッホはハーグを何故簡単に捨てただろうか? 表面的にそうみえる。 しかし展示前半を観た後では、両派が混ざり合っていくのがゴッホではないかと考えてしまった。 それは当たり前!と言われそうだが、実物のハーグ派を前にして初めてそのように推察できる。 今回の目玉「糸杉」をみてもそれを感じる。 画家としての濃密で短い10年を時間軸では区切れない。 *1、「 オランダ・ハーグ派展,近代自然主義絵画の成立 」(損保ジャパン興亜美術館,2014年) *館サイト、 http://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=913189

■イメージの洞窟、意識の源を探る  ■写真新世紀

■東京都写真美術館,2019.10.19-11.24 □イメージの洞窟,意識の源を探る ■作家:志賀理江子,オサム.ジェームス.中川,北野謙,ジョン.ハーシェル,フィオナ.タン,ゲルハルト.リヒター ■赤ん坊を印画紙の上に乗せて撮影した北野謙「未来の他者より」が網膜に貼り付きました。 フィオナ・タンの10分間の映像「近い将来からのたより」は船を多く映している。 たぶん波の動きには人類祖先が海中で生活していた頃の記憶が残っているのでしょう。 海の波は<意識の源>に近づくための確実な風景です。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3441.html □写真新世紀,第42回公募受賞作品展 ■作家:江口那津子,遠藤祐輔,幸田大地,小林寿,田島顕,中村智道,吉田多麻希ほか ■写真が生活に溶け込んでいる実感が持てる。 どれも衣食住レベルの人間関係を写しているからです。 母の認知症や自身の闘病生活、スマホやSNS、ゴミなどに焦点をあてた作品が並ぶ。 今年は約2000名(組)の応募があり優秀賞7名と佳作賞14名の作品が展示されています。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3497.html

■ハプスブルク展、600年にわたる帝国コレクションの歴史

■国立西洋美術館,2019.10.19-2020.1.26 ■ハプスブルク一座の顔見世と言ってよい。 マクシミリアンからエリザベトまで主要な役者が総出演ですから。 8人の役者絵は何度みても飽きない。 おたふく風邪に罹っているようなルドルフ2世やヨーゼフ一世が一目惚れしたエリザベトの美貌は一度みたら忘れられません。 安定感漂うマリア・テレジアと明るいアントワネットもです。 顔長フェリペ4世に娘マルガリータ・テレサは似てませんね。 母親似ですか? 中世最後の騎士マクシミリアンは彼の甲冑が展示してある。 カッコイイですね。 彼がウィーン少年合唱団の生みの親とは驚きです。 この展示は誰がコレクターだったのかを教えてくれます。 フェルディナント・カールやレオポルト・ヴィルヘルムなどの名前もあがる。 クラーナハ、デューラー、ブリューゲルなど高北緯の画家が目に付きますがベラスケスも頑張っています。 レンブラントやティツィアーノの前に来ると周りの空気が緊張しているのがわかる。 作品が散けていて飽きのこない会場でした。 600年の総論と言ってよいでしょう。 *日本オーストリア友好150周年記念展 *館サイト、 https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019haus_habsburg.html *「このブログを検索」に入れる語句は、 ハプスブルク

■辰野金吾と美術のはなし  ■辰野金吾と日本銀行

■東京ステーションギャラリー,2019.11.2-24 □辰野金吾と美術のはなし ■明治時代の首席卒業生って中身が一杯詰まっている感じがするの。 そう思わない? 「建築家なら日本銀行と東京駅と国会議事堂を建てたい・・!」。 やっぱ詰まってるウゥ。 でも1919年のスペイン風邪で辰野金吾の国会議事堂を見られなくなったのは残念。 洋行時のスーツケースが展示してあったけどゴッツイ! 彼が設計したのかと勘違いしてしまった。 ともかく彼の建築はゴツいところがいい。 これが明治時代にピタリと合うの。 フランツ・バツラーの日本風東京駅案は江戸に逆戻りね。 彼の美術界への接近は洋画家松岡壽の存在があったことを知るが建築への影響はハッキリ見えない。 厳めしい公共建築を中和するような装飾性にそれが現れているのかしら? 例えば煉瓦の色や屋根の丸みや窓枠など様式の複合的な組み合わせに出ている。 彼の作品を飽きさせない理由が<美術からの力>と考えてよいのかなぁ? 帰りは展示内容を思い出しながら東京駅をじっくり眺め返してしまった。 *辰野金吾没後100年特別小企画展 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201911_tatsuno.html □辰野金吾と日本銀行 ■貨幣博物館,2019.9.21-12.8 ■買物途中に寄ってみた。 この館は十数年ぶりかも。 ステーションギャラリーと補足し合っている内容だわ。 もちろん日本銀行が中心だけど各支店の写真も並べると壮観ね。 英国留学「洋行日記」では情景を漢詩で表現していたり、相撲が好きだったことなど辰野金吾の知られざる一面が展示されている。 国技館はロイヤル・アルバート・ホールを参考にしたらしい。 序でに常設展も観る。 そして帰りには目の前の日本銀行を繁々と眺めてきたわよ。 *辰野金吾没後100年特別展 *館サイト、 https://www.imes.boj.or.jp/cm/exhibition/current/

■印象派からその先へ、世界に誇る吉野石膏コレクション展

■三菱一号館美術館,2019.10.30-2020.1.20 ■第一章「印象派誕生」第一室は数人の画家で始まるが、二室はピサロ、三室はシスレー、四室はルノアールそして再び画家たちへと散っていく。 思っていた以上に充実している。 でも薄い感じがする。 その理由が分かった。 見所でパステル画が登場するからだろう。 石膏とパステルの関係を強調したかった? いや、冗談! 第二章「フォーヴから抽象」はコンパクトに仕上がっているがとても濃い。 章間の濃薄が効いている。 ジックリ楽しめた。 第三章「エコール・ド・パリ」はシャガールで一杯だ。 タイガーボードも壁だけじゃない。 吉野石膏コレクションは2001年文化村での記録があったが中身は全く覚えていない*1。 自前の美術館は持っていないようだ。 替わりに山形美術館へ寄託しているらしい。 財団も資産運用と活用で両得なのだろう。 ところでタイトルが「・・その先へ」とある。 前衛と伝統のはざまの「エコール・ド・パリ」は革新性を失いその先は分解してしまった。 しかし沢山のシャガールでまとめているとは嬉しい<その先>だ。 *1、「 コーポレート・アート展 」(Bunkamura,2001年) *館サイト、 https://mimt.jp/ygc/

■リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展

■Bunkamura.ザミュージアム,2019.10.12-12.23 ■リヒテンシュタイン侯爵家の肖像画と貴族生活を1章で紹介した後は、侯爵収集の宗教画、神話・歴史画、磁器、風景画、静物画と続いていくの。 2章を割いて磁器を強調しているけど、コンパクトでバランスの良い展示会になっている。 各章の作品数もちょうどよい。 リヒテンシュタインという国そのものを表している感じだわ。 中でも磁器と花の静物画の関係を楽しく観ることができた。 カール一世の収集は(やはり!)ルドルフ二世の収集癖の影響で始まったのね。 「ハプスブルク展」と関係が出てきそう、まだ西洋美術館には行っていないけど。 今回は2012年以来の大規模展らしい*1。 *1、「 リヒテンシュタイン・華麗なる侯爵家の秘宝 」(国立新美術館,2012年) *館サイト、 https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_liechtenstein/ ■西美公二展2019 *館サイト、 https://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/191011nishimi.html ■ロバート.ハインデル展2019 ■久しぶりのハインデル。 舞踊作品をみると「現代のドガ」は生き続けている。 *館サイト、 https://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/box_191019heindel.html

■ラウル・デュフィ展、絵画とテキスタイル・デザイン

■パナソニック汐留美術館,2019.10.5-12.15 ■デュフィという人は途中で消えてしまったようにみえる。 それはテキスタイルデザイナーとして後半は活躍したからでしょう。 ファッションデザイナーの裏方として隠れてしまうからです。 それを知っているポール・ポワレはデュフィを持ち上げていたのがこの展示でも分かる。 デュフィの絵はマチスからやって来たようです。 1905年にマチスを見て感銘したらしい。 マチスと勘違いする人もいるはず。 シャガールも連想してしまいますね。 次々と楽しさが押し寄せてくる絵画です。 木版画「動物詩集」は力強い。 絵画とは違います。 「オルフェス行列」はピカソの肉体、「仔象」はベクトルを感じます。 最初はポール・ポワレの依頼でこのような作風になったのかと思いました。 後日知ったのですが彼には生活が懸かっていたのですね。 稼ぐ力と言ってよい。 強さはそのままポワレの作品に表れている。 イブニングドレスとして作られていても、大柄で地が白だと日本の浴衣にみえる。 ローマ時代の銭湯で着ればより似合うでしょう。 これも楽しい。 楽しさの根源はリズムから来ているようです。 彼の作品には音楽の三要素が感じられる。 *「 デュフィ展 」(Bunkamura,2014年) *館サイト、 https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/19/191005/index.html

■カルティエ、時の結晶

■会場構成:杉本博司,榊田倫之 ■国立新美術館,2019.10.2-12.16 ■170年のカルティエ史で培ってきた設計思想や作成技法などを織り交ぜた体系的な展示になっている。 実はカルティエはよく知らない。 パンテールとトゥッティフルッティならそれだと分かる。 「色と素材の変容」「フォルムとデザイン」「世界への好奇心」の3章で概要が把握できる。 メゾンのキーマンはルイ・カルティエだったらしい。 好奇心とあるが彼の行動を指している。 また彼のヴンダーカンマーである「好奇心の部屋」で別章を割いている。  しかし黒で統一している会場は暗い。 段差もあり危ない。 通路も迷ってしまった。 ケースの中の作品は一方向からしか見ることができない。 近づいてしまうので混雑時は大変だろう。 スマートフォン型音声案内が配布されていたので借りてみた。 章ごとに解説があるので煩く感じる。 慣れないと鑑賞の妨げにもなる。 帰宅してカルティエのHPに初めてアクセスした。 紹介映像「オディセ・ドゥ・カルティエ」はルイとジャックのカルティエ兄弟、パンテールのジャンヌ・トゥーサンなどが登場し今日の展示会を埋める内容だ。 カルティエとイギリスやロシア、イスラムの関係も入っている。 さて、これからはブティックへ行った時、これはカルティエだ!と直ぐに分かるだろうか? ・・分かるかな?? ・・ゥゥ! *館サイト、 https://www.nact.jp/exhibition_special/2019/cartier2019/ *「 カルティエ・クリエイション-めぐり逢う美の記憶 」(東京国立博物館.表慶館,2009年)

■ルノワールとパリに恋した12人の画家たち

■横浜美術館,2019.9.21-2020.1.13 □ルノワールとパリに恋した12人の画家たち ■画商ポール・ギョームが収集したコレクション展よ。 オランジュリー美術館の地下常設展示室を初めてみた時の感動は忘れられない。 でも2006年改修工事以降は行っていない。 日本では1998年文化村での展示会が最後かしら? ギョーム自身にも焦点をあてているの。 彼の肖像画ではモディリアーニが一番ね。 彼の邸宅の食堂や書斎模型から絵の好みがみえてくる。 アフリカ彫刻から入ったからキュビズムには親近感を覚えたはず。 引っ越した住所が地図に書き込まれてあった。 パリの地図は見ていて楽しい。 いろいろな関係性が浮かぶからよ。 今回はアンドレ・ドランが多い。 ギョームの講演会写真をみると壇上周りはドランの作品で一杯だわ。 でも彼がドランの絵をどう思っていたのかはよく分からない。 それと最後を飾るスーティンも満足できる数かな。 ギョームとバーンズの出会いも面白そうね。 今日はギョームと妻ドメニカが案内してくれて楽しかったわよ。 ところで場内の画家達の履歴は工夫が足りない。 *横浜美術館開館30周年記念・オランジュリー美術館コレクション展 *館サイト、 https://yokohama.art.museum/exhibition/index/20190921-540.html ■東西交流160年の諸相 *横浜美術館コレクション展 *横浜美術館開館30周年・横浜開港160周年記念 *館サイト、 https://yokohama.art.museum/exhibition/index/20190921-543.html ■絵でたどるペリー来航 *横浜美術館開館30周年・横浜開港160周年記念 *館サイト、 https://yokohama.art.museum/exhibition/index/20190921-544.html

■バスキア展

■キュレーター:ディーター.ブッフハート,アソシエイト.キュレーター:アナ.カリーナ.ホフバウワー,小野田裕子,監修:宮下規久朗 ■森アーツセンターギャラリー,2019.9.21-11.17 ■やっと、バスキアをまとめて観ることができましたね。 でも生涯が短かったせいか作品に巾がない。 途中で終了したような会場構成でした。 彼がブラック・ピカソと言われた理由が分かります。 ピカソに接線を引くように近づいて遠ざかって(死んで)行った。 バスキアはピカソを微分した!? 彼の日本旅行を強調している作品が目に付く。 副題「MAID IN JAPAN」に沿っている。 旅行は彼に影響を与えたようです。 全てをYENでまとめている。 当時の日本はカネを通して見るしかなかったのでしょう。 パゴダは日本の寺院として描いたのかな? 入場時に持物検査がありました。 「写真の起源、英国」(写真美術館)以来です。 「音声ガイドが全員無料!」とあったが期待外れでした。 この美術館は濃密なガイドが多いのですが今回は淡泊です。 作品以外の事をもっと知りたいところですが、今年初めに彼の映画を3本まとめて観ておいたので入り易かった*1。 「・・社員たちもバスキアに魅了され虜になっていた」。 ZOZOの前澤友作が言っています。 彼が123億円で購入した作品はバスキアの心境が詰まっている。 「バスキアの叫び」ですか。 ブックショップでバスキア言葉集を買い忘れてしまった。 W・バロウズの影響はあったのでしょうか? *1、 「バスキア」「バスキアのすべて」「バスキア10代最後のとき」   *館サイト、 https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/basquiat/index.html

■藤本能道、生命を描いた陶芸家

■菊池寛実記念智美術館,2019.8.3-12.1 ■藤本能道は大学で工芸図案を専攻したがどうしても「自分の手で作りたい!」。 それで陶芸へ進んだらしい。 初期作品には富本憲吉の影響がみえる。 戦後は富本の紹介で京都に住み走泥社にも参加している。 1970年代から草花や鳥など白磁に描くようになる。 それは自然豊かな青梅市に居を構えたことにもよる。 水彩画のようなサッパリした質感で極めて写実的だ。 後半になると暈しのような複雑な色合いを出してくる。 釉描加彩と言う。 彼はこれで抽象画へ進めると喜んだらしい。 抽象と言ってもそれは幻想的な作品だ。 絵画でいう抽象は陶器にとっては違う意味を持つ。 どこか近藤弘明の幻想画を思い出させてくれる。 80年代以降は梅白釉(梅灰)、雪白釉、霜白釉(バリウム?)など淡くより微妙になる。 1976年の「幻の食器」が展示されていた。 この時の食器はまだ草木が主だからよいが昆虫などが描かれていると料理の味が違ってしまうと思う。 話がそれるが両生類の写実絵皿を以前に見たことがあるがこれは頂けない。 写実陶器は使い難い。 やはり絵画と同じ位置づけで観たいところだ。 *藤本能道生誕100年 *館サイト、 https://www.musee-tomo.or.jp/exhibition/past_exhibition.html

■アーキテクテン・デ・ヴィルダー・ヴィンク・タユー展

■建築家:ヤン.デ.ビルヴィルダー,インゲ.ヴィンク,ヨー.タユー ■TOTOギャラリー間,2019.9.13-11.24 ■ベルギーを拠点にした建築家3人のユニット展。 彼らの頭文字を取ってADVVTと呼んでいる。 先ずは映像を片っ端から見る。 小規模建築の改修工事が多いらしい。 レンガ材に合う鉄・アルミ・ガラスを組み合わせて質素にまとめ、特に鉄階段はチープで野暮ですが、飽きの来ないデザインにしています。 そこに木目の見える木材柱を天井に這わせてシンプルでも豊かさのある内装に仕立て上げている。 映像だけでは彼らの設計思想はよく分かりません。 ヴァリエテ・アーキテクチャー・ディザイアとあるように建築の多様性や振る舞いを考えているようです。 今回は日本の学生に、ADVVTの建築物の模型を作らせスタディをして、日本の建築物に置き換え両者の違いを探求した結果が展示されている。 会場は互いの模型や設計図・資料が並んでいます。 学生たちの力が伸びますね。 ベルギーと日本の歴史や文化・日常生活の違い等々あらゆる差異を探し出し意味を探り、違いの納得を積み重ねて作品を完成させるのですから。 コンピュータに頼り過ぎず工学的かつ身体的な建築教育でしょう。 *館サイト、 https://jp.toto.com/gallerma/ex190913/index.htm

■蘇生するものたち、今道子  ■ニューボーンフォト「母になる記憶」「#胎内記憶」

■富士フイルムスクエア,2019.9- □蘇生するものたち,今道子 ■フジフイルムスクエアは時々寄るのだが今回は面白い展示をやっていた。 一つは今道子の「蘇生するものたち」。 生の魚?を編んで衣装や帽子、靴等に組み合わせて作品にしている。 生魚を着るのだ! 気持ち悪さは頂けない。 鮨に使う「こはだ」で編んだブラジャー・・! 光っている! 蛸の足や鰯の頭を使った作品もある。 いや、これは鮨文化を生んだ国だけに出来る。 しかも鮨なみの芸術性がある。 <蘇生>とはこの生の光を指しているのだろう。 赤ジャケットは表面がアメリカザリガニで一杯だ。 しかし今日は魚を食べる気がしなくなった。 *館サイト、 http://fujifilmsquare.jp/detail/19090104.html □ニューボーンフォト「母になる記憶」(藤田努.麻希)「#胎内記憶」(飯田聡子) ■これも面白い展示だった。 「ニューボーンフォト」、初めて聞く写真だ。 生まれたての赤ん坊を撮ることを言う。 赤ん坊は母親胎内の環境を覚えている。 そして38億年前からの生物の記憶も覚えている(と思う)。 些細な動作、姿勢、表情等々に生物の時空の広がりがみえる。 母親からみたら毎度のことかもしれないが。 *館サイト、 http://fujifilmsquare.jp/photosalon/tokyo/minigallery/19091303.html 以下の展示会も序でにみる。 ■河本禎写真展「愛し「大台ケ原」」 *館サイト、 http://fujifilmsquare.jp/photosalon/tokyo/s1/19091301.html ■井上冬彦写真展「MAISHA-サバンナ光と闇の物語-」 *館サイト、 http://fujifilmsquare.jp/photosalon/tokyo/s2/19091302.html

■話しているのは誰? 現代美術に潜む文学

■作者:北島敬三,小林エリカ,ミヤギフトシ,田村友一郎,豊嶋康子,山城知佳子 ■国立新美術館,2019.8.8-11.11 ■6人の作品展です。 □田村友一郎「Sky Eyes」 ハンバーガー店の模型、液晶モニターの空箱やナンバープレートが別室に置いてある。 映像ディスプレイ周辺には船を漕ぐ櫂が並べられ、壁にコーヒーカップの写真が2枚。 これらモノ同士の形や発音からくる類似性・関係性を映像の声は強調します。 でも作品全体を上手くまとめられません。 最初から迷路ですね。 □ミヤギフトシ「物語るには明るい部屋が必要です」 沖縄で撮った?写真と映像が30枚弱、でも映像は動かないので写真に近い。 スピーカから声が聞こえる。 セクシュアリティを話題にしているようだが長く集中しないと話が繋がらない。 館内放送のような音源では目と耳の志向が別々になってしまうのでしょう。 □小林エリカ「ドル」「私のトーチ」「私の手の中のプロメテウスの火」「彼女たち」 彫刻・写真・映像・素描の4作品を繋げて、ウランの発見からベルリンオリンピック、中止した東京オリンピック、広島長崎原爆投下までを物語ります。 薄暗い会場と作品が効果的です。 □豊嶋康子「パネル」「棚」「グラフ」 キャンバスの裏に角材を張り付けたような作品です。 他も似たような作品が並ぶ。 深読が必要かもしれない。   □山城知佳子「チンビン・ウエスタン<家族の象徴>」 基地施設で働くと同時に自然が失われていく沖縄の現状を、二つの家族を通して描いている。 家族の日常風景、マカロニではなくウドンのオペラ、風変わりな女流画家の登場、劇中劇「天船」もあり賑やかです。 楽しい映画でした。  □北島敬三「EASTERN EUROPE 1983-1984」「USSR1991」「UNTITLED RECORDS」 3作品70枚程のポートレイト写真で構成されています。 ベルリンやソビエト連邦の体制崩壊前後の写真は饒舌ですね。 人々の表情、服装や胸の勲章、履いている靴、背景のモノや風景、隅々までその時代を物語っています。 あらゆる表現方法を取り込んだインスタレーションは物語るのに便利です。 作品の中に入っていける面白さがありました。 気に入ったのは小林エリカの作品群です。 でも言葉での解説が多いため文学...

■松方コレクション展  ■モダン・ウーマン、フィンランド美術を彩った女性芸術家たち

■国立西洋美術館,2019.6.11-9.23 ■コートールドの帰りに松方幸次郎のコレクションも観ることにしたの。 国内外に散逸した作品も出品されているから。 二人は1876年と66年生まれで同時代を生きている。 でも収集の意図が違う。 松方は「日本国民が等しく美術作品を楽しめるように・・」と。 このためか会場に入った途端カオス状態よ。 作品が壁一杯に展示されているから。 しかも購入過程順に並んでいるの? これもカオスを呼び寄せる。 コートールドより混雑しているのも驚きね。 当時の画廊を回って購入しているので印象派とその周辺が強い。 モネを中心に再び観ることができ今日は最高ね。 ゴーガンも「扇のある静物」で今夜はグッスリ。 「モダン・ウーマン」は常設会場を使っての展示。 松方コレクション展で場所が空いた為ね。 「・・ロシアからの独立運動、そして1917年に誕生した新しい国家」フィンランドで「最初の美術学校は男女平等の教育を奨励・・」から生まれた7人の画家を紹介。 最初のマリア・ヴィークが気に入る。 質感が素晴らしい。 次のヘレン・シャルフベックもいいわね。 あとエルガ・セーセマン。 ・・素描・版画の部屋に続く。 しかしフィンランドは遠い。 知っているのはムーミンのトーベ・ヤンソンくらいかな。 建築ではアルヴァ・アールト、映画のアキ・カウリスマキ。 カウリスマキはジム・ジャームシュや小津安二郎の影響を受けている。 この監督3人の作品はとても好きなの。 ・・話が寄り道に、御免ネ。 再び常設展へ。 ロダンの彫刻は企画展へ出張中でガラガラね。 常設会場の残った絵画をみると戦後の購入作品が分かって面白い。 *国立西洋美術館開館60周年記念 *館サイト、 https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019matsukata.html *日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念 *館サイト、 https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019modernwoman.html

■コートールド美術館展、魅惑の印象派

■東京都美術館,2019.9.10-12.15 ■「コートールド」が付いた美術展は絶対外せない。 早々に行って来たわよ。 3章ある「収集家の眼」はコートールドの筋の良さを証明している。 「その瞬間、私は魔術を感じ・・。 多くの作品を購入した」。 セザンヌを先頭に持ってくるのは彼しかできない。 「キューピッド石膏像」に出会えたのは嬉しい。 この絵は眩暈を連れてくるの。 床の傾斜と捩じれているキューピッドを上方から見るからだと思う。 静物画はもう1枚欲しい。 でも普段は見ることのできない風景画が多かったので万歳セザンヌ!かな。 今回の目玉、マネの「フォリー=ベルジェールのバー」の隣に19世紀末ベルジェールの建物写真とポスター数枚が展示されている。 ポスター内容も作品を理解するのに最適だわ。 舞台品目から建物の内部が想像できる。 ところで画面左上に空中ブランコをしている芸人の足が写っているとは知らなかった。 ルノワール「桟敷席」も同時に観ることができて幸せね。 会場終わりはロダンの彫刻だけどその前にはゴーガン。 ここで「ネヴァーモア」に再会。 彼の暗みのある作品では一番だとおもう。 でも、ゴーガンは欲張ってもう二枚ほしいところかな。 あと数枚プラスするだけで今夜はグッスリ眠れるのに。 この展示会は魅惑の印象派たちをセザンヌとゴーガンで挟んだサンドイッチ構造になっている。 印象派の一つの展示形かもね。 光が飛び散らないように・・。 *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_courtauld.html

■原三渓の美術、伝説の大コレクション

■横浜美術館,2019.7.13-9.1 ■生糸貿易で財を成した実業家原富太郎、号は三渓。 全コレクションは大が付く5000点。 松方コレクションと聞けば何点も思い浮かべるが、原三渓は実は1点もない。 展示会は彼を「コレクター」「茶人」「アーティスト」「パトロン」に分けて200点弱の作品で紹介している。 その中心は茶人のようだ。 若い頃からのコレクションはベースとしてあるが社会的には茶人として活動を広げたらしい。 「アーティスト」としての彼の作品も茶の香りがする。 碗に注いだ湯の状態を描いているような色合いだ。 そして「パトロン」と繋がる茶会は極めて重要だったはず。 キャプションは日本史日本美術の教科書の断片を読んでいる感じだ。 日本美術に徹している。 江戸時代の作品は面白いが全体が爺臭い。 5章「パトロン三渓」は彼と同世代の画家たちのため親しみ易くなっている。 三渓園は行ったことが無い。 展示作品をより身体化できる場所に違いない。 涼しくなったら行ってみよう。  *生誕150年・没後80年記念展 *横浜美術館開館30周年記念展 *館サイト、 https://yokohama.art.museum/exhibition/archive/2019/20190713-538.html

■伊庭靖子展、まなざしのあわい

■東京都美術館.ギャラリー,2019.7.20-10.9 ■作品名に作成年が付いているから作家の思考過程が分かります。 例えば、「Untitled2004-01」から始まる。 クッションの柄を見ていると、何とも言えない心地よさを感じます。 対象が平面に近いほどそれを感じる。 ベッドのような立体部分にはそれが現れない。 つまり平面が膨らんでいく過程が心地よいのです。 青い陶磁器に移ると心地よさは見えなくなる。 陳列順序を器シリーズから始めたほうが入り易かった? 途中、花瓶を描いた作品があったようですが気に入りました。 そして物の光や影を投射しているような風景画に移っていく。 解説チラシを読むと透明なアクリルボックスを利用しているらしい。 「Untitled2016-03」からです。 変な言い方ですが、風景空間が活き活きしています。 次の点描風景画は物足りない感じがします。 何か仕掛けでもあるのかもしれない? ・・目の距離調整を試したが何もなかった。  戻りますが、アクリルボックスの「Untitled2018-xx」に入るとカーテンを取り込んで空間を複雑にしている。 これも物足りない。 活き活きしていた風景がなくなってしまった。 作者はフォトリアリズムを否定していますが、それを意識してリアリズムの面白さを避けてしまったのではないでしょうか? *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_yasukoiba.html

■岸田劉生展、この世の宝なるものを目指し

■東京ステーションギャラリー,2019.8.31-10.20 ■岸田劉生の大規模展は「 岸田吟香・劉生・麗子 」(2014年)以来である。 ・・思っていた以上の作品数が嬉しい。 この為か、作品間の距離が狭いので独特のリズムでみていくことになる。 しかも時系列に沿っているから素直に入って行ける。 キリスト教入信時代の絵は初めてかな? やはり白樺派の影響は絶大だ。 首狩り劉生が前面に出ていて痛快! 「色で画くから画けない、捨てれば画ける」風景画はイマイチかな。 1920年前後は言うことなし。 しかし東洋美の何に目覚めたのか? 終章「新しい余の道へ」は観たことのない作品が並ぶ。 「冬瓜図」(1926年)は魂が抜け、風景画も印象派風に戻ってしまった。 絵画への探求心が弱っているようだ。 「この世の宝なるものを目指し」たが、やはり遊び過ぎだろう? 父吟香から遊びの程度を習う時期がなかった。 劉生の人生は横に置いても、150点以上の作品を観ることができて満足。 *没後90年記念 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201908_kishida.html

■写真の時間  ■嶋田忠、野生の瞬間  ■しなやかな闘い、ポーランド女性作家と映像

■東京都写真美術館,2019.7.23-11.4 □写真の時間-TOPコレクション,イメージを読む- ■今年のテーマは「イメージを読む」。 とは言っても収蔵作品展よ。 「制作の時間」「イメージの時間」「鑑賞の時間」の3章から成り立っているの。 7割は観たことのある作品だわ。 でも記憶に無いのが奈良原一行「消滅した時間」からの十数枚。 アメリカ中西部の風景画だけど、トム・ジョード一家やワイアットとビリーが通った跡が微かに残っている。 2章の「イメージの時間」とは作者と観客の思い込みがぶつかる時間ということね。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3439.html □嶋田忠,野生の瞬間-華麗なる鳥の世界- ■鳥の名前を覚えるのには最適ね。 モズがこんなに明るい色をしていたとは! もっとくすんだ色をしていたんじゃない? 火の鳥アカショウビンは初めて見る。 5章熱帯雨林ニューギニアは鳥のような仮想をした現地人が面白かった。 現地人と鳥との関係で1章を割いてもいいわね。 作家が聞いたら落胆しそう。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3412.html □しなやかな闘い,ポーランド女性作家と映像-1970年代から現在へ- ■ポーランド女性作家20人強の映像作品を紹介しているの。 社会主義解体前と後、2010年代、そして現代の4章仕立て。 21世紀を二つに分けるのは納得できる。 それだけ時代の進み方が速い。 作品全てを観るには3時間は必要。 女性から発信する映像は興味も出る。 粗いけど社会問題をテーマにしている作品が多い。 それはしなやかな闘い! 遠い国ポーランドがずっと近くなる、と同時に世界もね。 *日本・ポーランド国交樹立100周年記念 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3443.html

■円山応挙から近代京都画壇へ

■東京芸術大学大学美術館,2019.8.3-9.29 ■「写生図鑑」をみていると草花への親しみが感じられます。 精緻ではないが素朴な自然の匂いがする。 「形を写し、気を写すべし」が聞こえてきます。 「鵜飼図」の暗闇にかがり火で照らし出される空間は一昔前のものですね。 明かりも写生に徹していたことが分かります。 川合玉堂の「鵜飼」と比較できる。 光の写生例ですが。 ところで子犬は遊びたいだけです。 その時の応挙もです。 大作になると写実と写意が自然のごとく溶解していく。 「松に孔雀図」「保津川図」は写生が昇華されて見えない。 竹内栖鳳「保津川図」は自然の匂いが微かにします。 「遊君図」と上村松園「楚蓮香之図」の違いも面白い。 松園の美は現代に近づいている。 弟子たちと比較、近代画壇と比較、・・タイトルの如く円山応挙を堪能し比較しながら繋がりを観ていく展示会でした。 *館サイト、 https://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2019/maruyama-shijo/maruyama-shijo_ja.htm

■マルジェラと私たち  ■ヴィヴィアン・ウエストウッド、最強のエレガンス

□マルジェラと私たち ■監督:メンナ.ラウラ.メイール,出演:ジェニー.メイレンス(声),ディアナ.フェレッティ.ヴェローニ他 ■DVD,2019.8.22(オランダ,2017年作) *映画com、 https://eiga.com/movie/89975/ □ヴィヴィアン・ウエストウッド ■監督:ローナ.タッカー,出演:ヴィヴィアン.ウエストウッド,アンドレアス.クロンターラー他 ■DVD,2019.8.23(イギリス,2018年作) *映画com、 https://eiga.com/movie/86617/ ■二人のファッションデザイナー、マルタン・マルジェラとヴィヴィアン・ウエストウッドのドキュメンタリーを観る。 マルジェラはベルギー系シュルレアリスムを引き継いでいるような謎を持っている。 彼の従業員を白衣で統一させることも。 デルヴォー風だわ。 社員の記念写真を見ると席が一つ空いているの。 マルジェラの席よ。 地下足袋のような履物も面白い。 マグリットへの接近ね。 でも彼の作品はレディ・メイドも取り込むコンセプチュアル・アートが混じっている。 その中でストリート系無彩色が日本人の心を掴んだの。 彼は「私たちは」と言っているけど、それは組織が苦手なのかな? 会社が大きくなり対応できないことでもわかる。 ヴィヴィアン・ウエストウッドはパンク・スタイルを生涯持ち続けている人だわ。 彼女は好奇心の塊だとおもう。 環境問題も世界を知りたいからよ。 彼女を見たときサッチャー元首相やエリザベス女王を思い出してしまった。 ファッションは自己流でメッセージ性が強い。 マルジェラと同じく会社運営も下手ね。 でも彼女は世界を動かすことができる。 マルタンとヴィヴィアン、対照的な二人だった。

■虫展、デザインのお手本

■ディレクター:佐藤卓,企画監修:養老孟司 ■21_21DESIGN SIGHT,2019.7.19-11.4 ■先ずは会場入口の「虫の標本群」をみて、思わずォォオオーと声をあげてしまった。 まとめて昆虫を見るのは久しぶりだから。 剥製でも本物には圧倒される。 虫は胸から足がでているのも初めて知った。 腹が何であるのか?間接的に分かったような気がした。 監修が養老孟司らしい。 彼のゾウムシの収集は知っていたが、あらためてゾウムシもじっくりみた。 彼がのめり込む理由が直感的に分かる。 種類が豊富で子供の象のような形が素晴らしい。 そして会場の「養老語録」や「虫マメチ」がとても意味深だ。 「ミツバチが一生かかって集める蜜はスプーンで一杯」とは驚きだ。 毎朝スプーン2・3杯はヨーグルトに入れて食べているが蜂に感謝の言葉を送りたい。 明朝から集中力を持って蜂蜜を味わおう。 実はトビケラの全体像を初めて知ったのも嬉しい。 子供時代に川でみていたのは幼虫が作った巣だったのだ。 アメンボドームを見て、アメンボに石を投げて気絶させていたことも思い出してしまった。 ゴメン!アメンボ。 「昆虫学をつくったのは、アリストテレス」。 哲学的な匂いのする昆虫展にみえる。 探りを入れると深さがある。 「・・(4億年のあいだ、)問題に直面しながら生き延びてきた。 目の前にあるのはその答だけである・・」。 問題だらけの世界で、答えだけの昆虫は凄い。 *館サイト、 http://www.2121designsight.jp/program/insects/index.html *2019.8.25追記、・・庭を眺めていたらカナヘビの子供2匹が石の上で日光浴をしていた。 今年はカナヘビを見る日がいつもより多い。 庭を歩くとスルスルと逃げまくる。 雑草を抜かず薬も散布しないので彼らの棲み処になっているようだ。

■鴨居玲という画家がいた

■感想は、「 鴨居玲という画家がいた 」 *話題になるのは、「鴨居玲」「坂崎乙郎」。

■ジュリアン・オピー  ■池田良二の仕事  ■末松由華利

■東京オペラシティアートギャラリー,2019.7.10-9.23 □ジュリアン.オピー ■展示室が広い。 これは建築壁画だと思った。 作品が広くしている。 太く力強い輪郭線は建築物と対等に渡り合える。 街中を歩く人々の姿は現代の風景をリアルに写し取っている。 しかもシンプルで飽きがこない。 2次元と3次元の違いはあるがイサム・ノグチの建築彫刻と同じだ。 「Walking in・・」はあのビルのエントランスに似合うだろう、「Carp」はあのビルの通路に設置するのがよい、「Telephone」は彫刻としてあの広場に置きたい、などなど考えながら見てしまった。 アルミニウムに自動車用塗料の風景画も面白い。 色を出すため凹凸を重ねていくのだが出来栄えが工業工芸品にみえてしまった。 都市に合う美術作品はめったに無い。 その一人、ジュリアン・オピーに出会えて嬉しい。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh223/ □池田良二の仕事 ■池田良二は名前も作品も記憶にない。 読めない文字が並んだセピア色の作品を前にすると難解な哲学書を開いた時のような感覚がやってくる。 それも教会の暗い部屋で・・。 目を凝らすとその文字が浮き出てくる。 後半、仏像らしき姿が現れる。 ヒンドゥー教に近い仏教に感じられる。 それも時間の闇に沈んでいく。 「新潮45」表紙肖像画は展示の前半部を解説しなおしているかのようだ。 ジュリアン・オピーをみた直後だから心身の転換が難しい。 準備時間が必要だったがもう遅い。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh224.php □末松由華利 ■絵具の滲みや暈しが自然の柔らかさを思い出させてくれる。 「架空の値打ち」は初夏の山々が連なっているようだ。 それにしてもタイトルの意味は何だろう? 作者はまったく違うことを考えているようだ。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh225.php

■みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ、線の魔術

■Bunkamura.ザミュージアム,2019.7.13-9.29 ■2017年「 スラブ叙事詩 」展ではミュシャに行き着いた達成感を持つことができた。 そして今、再び新しい1章から始まるのですね。 ミュシャは時代を超えて生き続けている。 それを確認する展示会です。 ミュシャが欧米で甦った瞬間は1963年のV&A回顧展だったようです。 ボヘミアン革命としてアートとロックに飛び火した。 その様子をジャケット・デザインにまとめている。 ・・ジェファーソン・エアプレインやジミヘン、ドアーズやピンク・フロイド。 精神を包み込むような「Q型方式」は咀嚼されながら当時の若者の生き方まで変えたはずです。 日本では「みだれ髪」「明星」の藤島武二の装丁から始めている。 実は少女漫画への影響は知らなかった。 時代と走りながら読んでいなかったからです。 水野英子や山岸涼子から「ロードス島戦記」の出渕裕までを眺めると少女漫画の略全てがミュシャに繋がっていると言っても良い。 「・・共鳴し(過ぎ)て一瞬立ちすくんだ」(水野英子)。 影響が一番あった分野がここ、副題の通りです。 これを知っただけでも楽しい展示でした。 *館サイト、 https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_mucha/

■ロイス・ワインバーガー展、見える自然/見えない自然

■ワタリウム美術館,2019.7.13-10.20 ■「見える自然」は人間の手を加えていない自然、「見えない自然」とは自然の力を指しているようです。 「手を加えた自然が多くなり自然の力がみえなくなっている」。 ロイス・ワインバーガーは言っています。 この展示会は「自然の力」を取り戻すものです。 彼の文章集が受付で配られる。 作品途中にも彼の言葉が掲げられている。 文章は作品の一部のようです。 これが読み難い。 日本語訳が原因かもしれない。 「読みにくい自然」ですね。 ロイスは除草剤を撒かず街路や線路に雑草を蘇らせる作品などを発表している。 外来種は取り除くのが当たり前としている考えにも一石を投じています。 トリビアル過ぎるのかもしれない。 よくある宗教感がみえないためです。 雑誌を読み終えて、彼の言いたいことが分かるようで分からない。 やはり「見えにくい」展示会でした。 *館サイト、 http://www.watarium.co.jp/exhibition/1907lois/index.html

■太田喜二郎と藤井厚二、日本の光を追い求めた画家と建築家

■目黒区美術館,2019.7.13-9.8 ■画家と建築家は、同じ大学の職員だったことと趣味が同じ茶事だったことで知り合ったらしい。 この平凡な出会いからみても二人の名前を知らなかった理由がわかる。 しかし結構面白くみることができた。 太田のベルギー留学時代の光濃い印象派風作品は若々しい重さが感じられる。 彼は自邸を藤井に設計を任せている。 二人の日常がジワッと会場に感じる。 藤井の建築が住宅に特化している為もある。 藤井の作品は少し毛並みの良いどこにでもある日本建築のようだ。 外観は大したことはない。 中身は和洋折衷で凝っているがサッパリもしている。 平面図をじっくり眺めながら想像で部屋を歩き回る。 そして写真や模型をみてイメージを完成させる。 着物を日常としている空間感覚が今とはズレている。 間取りも今とは違い当時の生活がみえてくる。 「旧藤井厚二自邸」「石崎庚作邸」「喜多源逸邸」「小川邸」の4点の展示だがどれも似ている。 「大阪朝日新聞社」等も設計しているが、「その国の建築を代表するのは住宅である」。 彼の住宅への拘りがみえる。 建築からみた太田のアトリエは平凡だ。 彼は帰国後点描画を捨てたらしい。 後期作品では「鶏」(1935年)が気に入ったがインパクトは留学時代より薄くなっている。 アトリエの印象と同じだ。 絵画と住宅を一緒にするとやはり後者の印象が強い。 住宅は身体を総動員する為だろう。 *館サイト、 https://mmat.jp/exhibition/archive/2019/20190713-64.html

■日日是アート ニューヨーク、依田家の50年展

■三鷹市美術ギャラリー,2019.6.29-9.8 ■依田洋一朗の「 記憶のドラマ 」が面白かったことを思い出して三鷹へ出かけてみたの。 なんと洋一朗の両親も画家とは! 家族で美術展とは驚きね。 ビデオ、写真以外に家財道具や物置小屋もある。 自宅の断片を繋ぎ合わせてNYを体験できるようになっているのが嬉しい。 テーマを絞り込んでいない乱雑さが楽しい。 両親はどちらかというと抽象系のようにみえる。 会場初めに展示してある父寿久の「Untitled #70-11」(1970年)群、母順子の小さな蝶ネクタイを張り付けたようなフォトコラージュ作品群は完成度が高い。 二人は似ているけど微妙に棲み分けている。 洋一朗の劇場系は今回は展示されていなかった。 でも彼の描く人物像は都市型エンターテインメントの表裏をそのまま表現している。 彼の絵をみているとウディ・アレンを思い出してしまう。 「日常とアートを分けるものはなんでしょうか?」。 家族全員が画家だと息苦しくならないかしら? なぜならアートを日々の生活に組み込むと日常がより肥大化してしまうから。 別の非日常を探してしまうかもね。 *館サイト、 http://mitaka-sportsandculture.or.jp/gallery/event/20190629/

■メスキータ、エッシャーが命懸けで守った男

■東京ステーションギャラリー,2019.6.29-8.18 ■エッシャーの名前が副題に登場・・? メスキータの美術学校教師時代、生徒にエッシャーがいたのですね。 メスキータがナチスに拘束された時にエッシャーたちが命懸けで彼の作品を保護保管したことで副題にしたようです。 道理で二人の版画作品はタッチが似ている。 「メスキータの肖像」(1922年)は何度か見た覚えがあります。 彼が木版画を始めたのは1896年。 50歳前後(1920年頃)の作品が気に入りました。 木版の丸みのある力強さが出ている。 でも意匠が素人のようにみえる。 日本の工芸と思わず比較してしまいました。 そして彼がどのような考えで版画を制作していたのかもよく分からない。 ドローイング自動筆記も謎にみえる。 雑誌「ウェンディンゲン」にも作品を投稿しているが建築との関係がみえない。 若い時に建築を志したが、やはり合わないのでしょうか? ヨーロッパ近代以降の木版画はあまり記憶がない。 それを深める土壌が彼の周囲になかった。 時代も味方にできなかった。 彼の木版画をみると物理的だけではなく情報量の限界もみえてくる。 「メスキータの肖像」を再び眺めると彼の苦悩を微かに感じます。 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201906_mesquita.html

■マリアノ・フォルチュニ、織りなすデザイン展

■三菱一号館美術館,2019.7.6-10.6 ■面白い展示構成ね。 フォルチュニの服飾デザイナーとしての作品「デルフォス」を室中央に置き、壁には絵画・版画・テキスタイル・写真など平面作品で埋め尽している。 どの室も同構成だから次室へ入ると先ずは「デルフォス」を堪能してから壁作品をみる。 しかも彼のデザインは「世紀を超えて」いるから飽きない。 それは両親からの良き資産を受け継ぎ、ギリシャ美術を上手く翻訳し、異国への興味を失わなかったからよ。 日本への関心も。 天然染料に拘ったのも色彩の良さと深さに通ずる。 初めて知ったことは2点。 それは彼が写真に凝っていたこと、そしてワーグナーに陶酔していたこと。 フォルチュニが持っていた興味と才能の全てがワーグナーが言っている総合芸術へ向かわせたのね。 「演技・衣装・音楽・照明・装置の間に湧き起こる共感覚を実現する為に・・」。 衣装は言うまでもないが、特に装置「クーポラ」を作り遠隔操作にした照明技術は凄い。 舞台上の昼の明るさから夜の暗さまで間接分散光で調整できるようになったからよ。 バイロイト劇場での指環や「パルジファル」「トリスタン」「こうもり」そして「ヴェニスの商人」「オセロ」などの舞台資料をみていると彼はプロデューサー寄りの芸術監督にみえる。 彼はレオナルドやミケランジェロ、アルチンボルドやルーベンスに近い活動家なの。 また一人、興味ある総合芸術家を見つけた! 彼らの展示会ほど面白いものはない。 それは色々な物事が結びつけられて想像力が膨らむから。 場内映像は3本。 1本は館サイトでも見ることができる「フォルチュニ美術館」、それと「リュミエール劇場」「ヴァレンティノ2016年春夏コレ.」。 *館サイト、 https://mimt.jp/fortuny/

■塩田千春展、魂がふるえる

■森美術館,2019.6.20-10.27 ■塩田千春は早々に絵画を捨てパフォーマンスに切り替えたのね。 泥の中でドロドロする彼女は水分多めが好みにみえる。 泥水ドレスやチューブ血管も・・、でも次第に乾きに向かっていった。 毛細血管の赤い糸は霧となって蒸発し、火事現場の黒い糸は記憶を含んだ残煙のよう。 乾いたほうが魂がふるえ易いのかもしれない。 塩田千春を知ったのは舞台美術だった。 新国立劇場の「 タトゥー 」では窓枠を吊るし、「 松風 」では黒糸で舞台前面を網のように覆っていたのを覚えている。 ドイツの舞台も展示されていたのが嬉しい。 キール歌劇場で「トリスタン」「ジークフリード」「神々の黄昏」を手掛けているけど、彼女はドイツ語圏オペラが似合っていると思う。 しかもドイツ在中だとワーグナーは外せない。 演劇では「冬物語」「オイディプス」。 これをみてオペラは糸網、演劇は窓枠で勝負しているのがわかる。 この勝負は正解よ。 やはりパフォーマンスとしての舞台美術では彼女の身体が疼くのね。 帰り、エスカレータを降りる時に白糸で覆われた船が何艘も飛んでいたのが目に付く。 (エスカレータが)動いているから大空の中で出会ったような感覚が持てたわ。 *館サイト、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/shiotachiharu/index.html ■フィイクニュース? ■出展:会田誠,袁廣鳴,周鉄海 ■会田誠が安倍総理の真似をして国連で演説する姿は本物よりカッコイイ。 *館サイト、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamcollection010/index.html ■走泥社-現代陶芸のはじまりに ■走泥社と言えば八木一夫かしら。 解説文を読む展示で作品は付け足しのようね。 *館サイト、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamresearch007/index.html ■高田冬彦 ■初めて聞く名前だけどビデオ作家らしい。 11作品を上映していたけど都合で1本だけ観る。 *館サイト、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamscreen011/...

■クリスチャン・ボルタンスキー

■国立新美術館,2019.6.1-9.2 ■2度目のボルタンスキーだ。 庭園美術館の狭さとは違った感触がする*1。 多くの作品が一気に目に入ってくる。 薄暗い会場の中、電球の古い光に照らされる<遺影>をみていると過去が滲み出てくる。 それは歴史へ人類へと広がる過去だ。 このような感覚が持てるのは現代では実家の仏壇を覗き込む時くらいしかない。 仏壇でもこれだけ広がらない。 「南ヨーロッパの教会」をイメージして会場を作った。 ボルタンスキーがインタビューで答えている。 「教会へ行くと少しだけ<聖なるもの>に出会える。 教会を出ると直ぐに日常に戻る・・」。 彼は六本木に教会を作ったのだ。 ところで会場入口横でビデオが上映されていた。 内容はゲロゲロとナメナメの2本で馴染みのない客なら衝撃を受けるはずだ。 最初にこの作品を持ってくるボルタンスキーは今回の展示会によほど自信があるらしい。 *1、「 アニミタスさざめく亡霊たち 」(庭園美術館,2016) *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2019/boltanski2019/

■世界報道写真展2019

■東京都写真美術館,2019.6.8-8.4 ■交通違反で母親が調べられているのかと勘違いしてしまうような大賞作品だ。 作品の背景まで想像しなくてはならない。 新設の「ストーリー大賞」もこれに沿っている。 作品の裏にある物語まで辿り着く必要がある。  コーヒーは生豆を自宅で焙煎して飲んでいるが、その生産国の写真があると足が止まってしまう。 会場を見回しても4割近い国(作品)が該当する。 メキシコ、エルサルバトル、グアテマラ、コロンビア、ベネズエラ、イエメン、ペルー、フィリピン、・・。 味を思い出しながら作品をじっくり見る。 これも物語を取り込んだ見方に違いない。 難民問題を解決して旨いコーヒーを作ってもらいたいところだ。 飲食に関連させると環境問題も避けられない。 遺伝子組換大豆用の農薬グリホサートはメキシコの養蜂汚染だけではない。 北米産小麦粉にも多く残留していると聞いている。 パン好き麺好きには気にかかるところだ。 ところでアジアの作品はフィリピンの2点しか選ばれていないことに気が付く。 今アジアは安定しているのだろうか? 変わったところではナイジェリアには双子が多いそうだが、これは初耳。 受賞作二点はどちらも難民を対象にしている。 難民問題と環境破壊は今年も続きそうだ。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3437.html

■機械と音楽

■感想は、「 機械と音楽 」 *話題になるのは、「ロシア構成主義」「イワン.レオニドフ」「レフ」「ウラジミール.マヤコフスキー」。

■中山英之、and then

■TOTOギャラリー.間,2019.5.23-8.4 ■会場4階は建築作品を上映、3階はその映像に登場した建築資料が展示されています。 先ずは映像をみることですね。 映像の力は強い。 瞬間的に全体を把握できます。 そして細かいところを資料で補う。 先に資料だと映像後に再び資料をみてしまうからです。 中山英之の名前は知らなかった。 でも「O邸」は他展示会で数回見ている。 いま名前と作品が結びつきました。 今回は「建築家の知らない間に時間を過ごしてきた建築のそれからand then」を上映する展示会です。 つまり住人の生活が一緒に映し出されているので建築の素顔が分かる。 それにしても「O邸」は住みずらい様子ですね。 これは分かっていたのですが。 「家と道」は面白い。 2件の建物の間に道を作った作品です。 道を塞いで庭にもなる。 どちらも住人は忙しそうですね。 余裕も感じられません。 これは「2004」にも言えます。 ・・理由が分かりました。 たぶん作者は<住と職>を一つにする建築を意識無意識に考えている。 「mitosaya薬草園蒸留所」「弦と弧」では仕事場がある。 後者は美術デザイナーの住居兼仕事場のようです。 忙しさが仕事に吸収され家が活き活きしている。 「家と道」も仕事場らしきものがあったが中途半端でした。 明治時代まで家には働く延長としての場があった。 情報化を向かえて再び住職統合建築を考える時代に入ったのかもしれません。 *館サイト、 https://jp.toto.com/gallerma/ex190523/index.htm

■ウィリアム・モリスと英国の壁紙展ー美しい生活をもとめてー

■そごう美術館,2019.4.20-6.2 ■百数十点の壁紙がずらりと並んでいると目移りがしてしまう。 生物を抽象化しても、そこに生命が宿っているかどうかが決め手だと思う。 抽象の中に生き生きとした感触が持てれば最高の壁紙かな。 「自然をありのままに再現する」(ラスキン)を一度解体したモリスの作品では特にネ。  モリス以前、モリス時代、モリス以後の3章で構成されているからモリスと他デザイナーとの違いが分かって面白い展示になっている。 もちろんモリス作品の中でも優劣をつけてしまうわね。 モリス以前の英国壁紙は質・量ともに劣っていたらしい。 産業革命の急成長も悪質の一因よ。 そのため多くはフランスからの輸入に頼っていたの。 そこでモリスが登場し盛り上げた。 でもモリス以降の作品もパッとしない。 娘メイ・モリスも親の七光りかな? 19世紀末はモリスが残した思想や運動が優先した時代のようね。 映像は二本あったが特にクリサンセソム(きく)とアカンサス(あざみ)の作成過程ビデオは<壁紙を見る力>を付けさせてくれた。 また「金唐革紙」もじっくり見て質感を海馬に記憶したわよ。 *サンダーソン社(英国壁紙会社)所蔵作品展 *館サイト、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/19/william_morris/

■自然国家 THE NATURE RULES

■発案・構成:崔在銀 ■原美術館,2019.4.13-7.28 ■「自然国家」とは自然が治める国なの。 朝鮮半島DMZ(非武装地帯)の巾4km全長250kmのエリアは60年経った今、自然国家が成立しつつある。 そこには100の絶滅危惧種を含む5000種の生物が暮らしているの。 でも300万個の地雷が敷設されていて、人間の対立によって生まれた豊かな生態系を持つ<国家>と言わざるを得ない。 この生態系をいかにして後世に手渡していくのか? このエリアに対して崔在銀と賛同者が2014年に「大地の夢プロジェクト」を立ち上げていくつかの提案をしている。 これを可視化したのが今回の展示会よ。 空中庭園や種子貯蔵案もいいけど両国が和解した以降にも「自然国家」が継続できないとだめ。 巾が4kmと狭いから技術的には可能かな。 アフリカ等と違って全250kmの管理も容易だわ。 今回は「自然国家」を多くの人に知ってもらうためには必要。 そして平和が訪れた後の「自然国家」持続可能な作案に直ぐに取り掛かるべきね。 *館サイト、 http://www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/433/

■クリムト展、ウィーンと日本1900

■東京都美術館,2019.4.23-7.10 ■この美術館の企画展はいつも混み合う。 たとえば昼休みや閉館まじかを狙うなど時間をずらせて行くことが多い。 副題にウィーンが入っているが、先日観た「 ウィーン・モダン 」を絞り込んだ構成でクリムトと親近者で埋め尽くされている。 絞り込みが成功している。 各章の配分も浅からず深からずちょうど良い。 後半の「風景画」と「肖像画」が印象に残る。 金箔時代は「女の三世代」、金箔以後では「オイゲニア・プリマフェージの肖像」が気に入る。 クリムトのほぼ全てを観た満足感がある。 前半は弟エルンスト、友人フランツ・マッチュとカンパニーを設立して劇場からの請負を始めた話が面白い。 副題は「日本」を入れるより「Compagnie」を前面に出したほうが現代と繋がるだろう。 ショップで「KLIMT RE LOADED」をパラパラ眺めてから買う。 今もパラパラさせているが、これからパラパラつまみ読みをしようかと思う。 *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_klimt.html

■ルート・ブリュック、蝶の軌跡

■東京ステーションギャラリー,2019.4.27-6.16 ■入場して最初の作品「心のモザイク」を見ても分からなかったのですが、次の繊細に描いた花々をみてルート・ブリュックが女性だと知りました。 1章「夢と記憶」のズグラフィート(掻き落とし技法)の陶板絵は水彩画のようにみずみずしい。 2章「色彩の魔術」のスリップキャスティング(鋳込成形技法)になると実生活や思い出から離れていく。 それは具体から抽象になるが新鮮さは失われません。 3章「空間へ」は蝶学者の父の影響を受けてタイルに蝶を描いていく。 蝶の壁や床の中を歩き回ってみたくなるような素晴らしタイルです。 4章「偉業をなすのも小さな一歩から」。 タイルがより小さくなりその組み合わせに苦心している章名です。 小さなタイル作品は都市を俯瞰しているようにもみえます。 若い時に志した建築の夢が描かれているのでしょうか? それにしても作風が変化していく流れは見事です。 芸術を取り巻く社会的人間としての成長がみえます。 「ルート・ブリュックは美術と工芸の区別を取り払った・・」と挨拶文にもありましたが、これはアラビア製陶所での職業人としての立ち位置もあるはずです。 また日本の工芸や民芸とは違ったあやふやな分類で美術世界を分節化している。 これが作品の持っている自由を活き活きさせているのだと思います。 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201904_rutbryk.html

■トム・サックス、ティーセレモニー  ■コレクター頌、寺田小太郎氏を偲んで  ■衣真一郎

■東京オペラシティアートギャラリー,2019.4.20-6.23 □トム.サックス,ティーセレモニー ■これは楽しい。 日本文化を干した感じがする。 煮干しになった鰯、スルメになった烏賊、天日干しの鯵・・。 これらを目の前にした時と同じだわ。 違和感は無い。 音楽用スピーカを刀掛けにした日本刀はこんなにもシックリ納まっている(?) 茶の湯に親しんでいるか?と言われても本や写真から情報を得たものだけ。 逆に茶の湯の本質がみえてくる。 彼の茶室を覗いて分かったの。 茶の湯は形のある時間と空間だけだということが。 時空の表面に現れる物や人間関係もね。 形がちゃんと整っていればそれでいい。 個々がどう受け止めるかが違うだけ。 映像で座敷箒を庭帚でも使っていたのにはどういう訳か笑っちゃった。 それは日常を意識してしまったからだと思う。 それとトイレに旅客機用をそのまま使っているのにも笑えるわね。 海外旅行をしている気分よ。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh220/ □コレクター頌寺田小太郎氏を偲んで ■企画展のオマケとしての寺田コレクションはいつも心を和ませてくれる。 入口で配られた資料をみて寺田小太郎がどういう人か初めて知ったの。 難波田龍起との出会いが「東洋的抽象」をテーマに選ばせた。 そこから日本の「幻想絵画」へ向かう。 抽象と幻想が表裏の関係にあるらしい。 周辺に「具象」と「日本画」が位置している。 このような体系かな。 コレクションの中では「幻想絵画」が一番印象深い。 日本的幻想は地球の自然が宇宙に広がったように感じられ心身が休まるからよ。 ここで出会った作家たちは忘れることができない。 今日も堪能したわよ。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh221.php □衣真一郎展 ■タイトルに「風景」の文字が入る作品に良いのがある。 子供が描いたように見えるけどそれはカモフラージュ(風景に溶け込み欺くこと)だと分かる。 衣真一郎の風景はこれからどう進むのか楽しみネ。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh222.php

■野蛮と洗練、加守田章二の陶芸

■菊池寛実記念.智美術館,2019.4.13-7.21 ■加守田が関西を出て栃木で作陶に入ったのは何故か? 就職先が日立の関連会社だったからである。 次の遠野へ陶房を移した理由はよく分からない。 遠野の土は粗いと彼は言っている。 ザラザラツブツブ感がある。 野蛮とは土の感触を言っているのだろう。 ザラザラ野蛮と言ってよい。 会場最後の室に曲線彫文の壺や皿が並べてある。 それは手びねりで成形し竹べらで文様を彫っていく。 洗練とは言い難い線だが土と比較するとジワジワと納得してくる。 ジワジワ洗練と名付けたい。 彼の言葉「外見は陶器の形をしているが中身は別のもの・・」が最初理解できなかった。 あるキャプションに「口先が鋭いため壺の役目をしていない・・」とあったのでガッテン。 しかし紙のように薄くなっていく口先は縄文土器の模様より始末が悪い。 また採色された作品はどれも凡庸にみえ野蛮も洗練も無い。 「造形、文様、質感の関係性を追求」した成果のすべては曲線彫文壺に現れている。 ザラザラ野蛮ジワジワ洗練曲線彫文は宇宙人の鎧のようだ。 神経質なプレデターが喜びそうな造形だ。 *館サイト、 http://www.musee-tomo.or.jp/exhibition.html

■トルコ至宝展、チューリップの宮殿トプカプの美

■国立新美術館,2019.3.20-5.20 ■どうしてチューリップなのか分かった! トルコ語ラーレの文字を入れ替えるとイスラム教のアッラーや帝国の象徴である三日月に意味が似ているから。 ほんとかしら? この説明が幾度も登場するから確かなようね。 植物なら偶像崇拝にならないし・・。 全体を眺めると日本の文化と同じ特徴を持っているのが分かる。 イスラーム書法の書体の拘りが日本の書道に似ていると思わない? それに書画もある。 スルス書体、ナスフ書体とチューリップを組み合わせるの。 でも宗教的文章だから心の内はよく分からない。 それと陶磁器もね。 チューリップ用なの。 やはり中国の影響があるわね。 日本に無いものは? それはタイル。 日本にはタイル用粘土がなかった? それより湿気の多さとタイルは合わないとおもう。 気に入ったのは日陰テント。 本物は風格がある。 テントがあればあらゆる儀式ができる。 素晴らしいシステムだわ。 外国人が日本文化に接した時の感覚をトルコ文化で得られたのは貴重だった。  会場は女性客が9割で独特な雰囲気が漂う。 副題をみて来たのかしら? ところでスルタンは一人で食事を取るの。 ハーレム内の嫉妬などを避けるためよ。 帝国が長続きした理由かもネ。 *トルコ文化年2019展示会 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2019/turkey2019/

■場所をめぐる4つの物語  ■宮本隆司、いまだ見えざるところ  ■JPS展

■東京都写真美術館,2019.5.14-8.4 □場所をめぐる4つの物語 ■ユージン・スミス「カントリー・ドクター」(1948年)、奈良原一高「人間の土地緑なき島、軍艦島」(ー1957年)、内藤正敏「出羽三山」(-1982年)、山崎博「Ten Points Heliography」(1982年)の4人が4場所で、その土地ならではの物語を作品に収めている。 前者3人は濃密な内容ですね。 これを薄める為に山崎博を入れたのかもしれない。 どれもこの館で観た覚えがあるが、作品を目の前にすると集中できます。 「軍艦島」が海底1000メートルも掘り下げた海底炭鉱だということを時々忘れてしまう。 真っ黒な姿の抗夫をみて思い出す。 島の表面しか見てないからでしょう。 また島に無い唯一のもの、それが墓地だということも今回初めて知りました。 葬儀の写真は記憶に残ります。  *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3410.html □宮本隆司,いまだ見えざるところ ■作品が素直ですね。 これなら自分でも撮れると思わせてしまう。 特に風景画は、です。 人物画はプロとアマの両方が混じりあっていてそれが交互に現れる。 凄い、たいしたことない、いや凄いと感じながらみました。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3408.html □JPS日本写真家協会写真公募展第44回2019 ■会場に入りまず驚いたのは色がどっしりしていることです。 スマホでパチパチ撮っていますがここまで色が出せない。 一回りしてから場内一角にある「PROFFSSIONAL EYE」に入った途端、これは違うと直感しました。 写真の中のあらゆる部分が公正・公平に撮れているからです。 1枚の隅々まで緊張感が漂っている。 つまり公募作品はムラがあると言うことです。 どこかにムラ・ムダ・ムリが瞬間的にみえてしまうのがアマの写真でしょう。 作品をパッとみた瞬間が勝負です。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3424.html

■ウィーン・モダンークリムト、シーレ世紀末への道ー

■国立新美術館,2019.4.24-8.5 ■都美術館の「クリムト展」は観ていない。 こちら新美術館は世紀末ウィーンの全体像を描きたいらしい。 作品リストをみると面白い構成になっている。 4つの章の下に18の節、特に4章は6節あり、その下が幾つもの項目に分かれている。 このような詳細な構成は珍しい。 章・節・項を意識しながら見ていくと全体像が浮き出てくるという仕組みのようだ。 先ずはマリア・テレジアの息子ヨーゼフ2世が進めた改革を序章としている。 次の2章はビーダーマイアーの時代だ。 二月革命の影響も少しはみえるがシューベルトに絡めた都市生活と食器や家具などを並べて小市民的生活を押し出している。 そして世紀末の3章はリンク通りを俯瞰しながら建築や万国博覧会を語っている。 ここでは建築家オットー・ヴァーグナーが中心だ。 ウィーンへ行った時にリンク通りの路面電車を乗り降りしながら歩き回った記憶が甦った。 後半の4章はウィーン分離派の作品が構造的に展示されている。 そしてエゴン・シーレやオスカー・ココシュカでまとめ幕が下りる。 絵画、音楽、工芸、建築を巧くまとめているが、ウィーンはすっかりご無沙汰しているのでリズムに乗れない。 世紀末の表層をなぞっただけの観後感だ。 ウィーンにどっぷり浸かっている観客には一つ一つの作品が生き生きとみえたことだろう。 このような企画は世紀末都市と観客身体が祝祭的に一つにならなければ面白くない。 *日本・オーストリア外交樹立150周年記念展 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2019/wienmodern2019/

■アートと人と美術館 meet the collection

■横浜美術館,2019.4.13-6.23 ■館所蔵作品から300点を紹介する展示で、4人の作家をゲストに招きコレクションと対話をさせる試みをしています。 この館は企画展の後に常設展が続く部屋構造になっているので常設品を見る機会が多い。 好きな一枚はジョアン・ミロ「花と蝶」です。 今回はゲスト淺井裕介の作品が力強くてミロが沈んでしまっていた。 これも・・、面白い。 「こころをうつす」ゲストの束芋「あいたいせいじょせい」も次の鏑木清方以降とは混じり合っていかない。 むしろ「春宵怨」「遊女」がいつもより輝いている。 ゲストとコレクションの時代落差の面白さでしょう。 所蔵品とシンクロしていたのは今津景ですか。 「イメージをつなぐ」でシッカリと繋がれていました。 そして「モノからはじめる」菅木志雄の作品はモノというより材木そのままですね。 気に入った章は「あのとき、ここで」です。 元号切替時期に合わせた章にみえる。 有名写真家の有名作品がズラッと並んでいて20世紀を一望できる。 100年を一息に体験したような感覚が襲ってきます。 横浜焼きの宮川香山の特集では息抜きができました。 *横浜美術館開館30周年記念 *館サイト、 https://yokohama.art.museum/exhibition/index/20190413-531.html

■裸の劇場、小金沢健人

■神奈川芸術劇場.中スタジオ,2019.4.14-5.6 ■この劇場で昨年開催した「 さわひらき、潜像の語り手 」が面白かったので今回も期待したのですが・・。 ほとんどが暗い会場は音響・照明・スモッグで満たされています。 真ん中にピアノが置いてある。 楽屋も解放してビデオ作品「半分シャーマン」(2019年)を上映している。 ・・。 仕事が終わりスタッフやキャストが帰ってしまった跡の劇場を描いているようにみえる。 彼らが作り出した光や音が残照や残響として今ここで漂っている感じでしょうか? でも裸の劇場と言われてもピンと来ません。 「裸」は劇場と役者の関係を論じる言葉だからでしょう。 タイトルからピーター・ブルックの「何もない空間」を考えてしまいました。 でも今回の作品は意味ある雑音が漂っていてブルックの真逆をいっている。 また太田省吾「裸形の劇場」を思い出していたのですが大きく違う。 ・・分かりました。 身体へ繋がる道筋が作品の中で見えない。 たぶん観客が少なすぎるからでしょう。 私を入れて3人でした。 劇場身体が活性化されない。 「裸の劇場」がつまらなかった理由です。 観客数が多ければ違ったかもしれない。 でもそれが理由なのか? 他にもあるように感じられます。 ピアノ演奏を期待したのですがパフォーマンス日時が決まっているようです。 この時間帯はありませんでした。 残念! *KAAT EXHIBITION 2019 Naked Theatre *館サイト、 https://www.kaat.jp/d/nakedtheatre

■ドービニー展、バルビゾン派から印象派への架け橋

■損保ジャパン日本興亜美術館,2019.4.20-6.30 ■ドービニー・・、聞いたことのない画家です。 バルビゾン一派らしい風景画が並びます。 印象派画家たちに影響を与えたと云われている。 若手登竜門のローマ賞に落選し続けたツワモノらしい。 ・・。 ドービニーの作品は近くでみると何かが不足している。 つまりデテールに魂が宿っていない。 3メートル以上離れて観るとそれが満たされてくる。 賞に落ち続けた理由はこのあたりでしよう。 歴史風景画「風景」「聖ヒエロニムス」は逆に見え見えです。 それよりも彼は版画を含め多くの作品を残している。 作品量の多さは食う為だったはずです。 その量がそのまま質に転化できた画家ですね。 この量が次世代画家の指針になり得た。 そして版画集「船の旅」などを見るとボタン号でセーヌ川やオワーズ川、セーヌ湾まで行って写生をしている。 版画を見ただけで彼の楽しい人生が感じられる。 船で小旅行をしながら絵を描く。 最高の日常でしょう! これではモネにも愛されるはずです。 *館サイト、 https://www.sjnk-museum.org/program/5750.html

■印象派への旅、海運王の夢ーバレル・コレクションー

■Bunkamura.ザミュージアム,2019.4.27-6.30 ■バレル・コレクションをいま観ることができるのは、2014年遺産条約改定で「国外に持ち出さない」条件が緩んだこと、かつコレクション館の改装時期に当たったことが背景にある。 「イギリス海運王ウィリアム・バレルが夢を託した選りすぐりの名画」とあるが・・、彼の絵画の好みや見方は並みだと思う。 スコットランド周辺画家の初期の収集で分かる。 それらは海運業務の合間にホット一息できる身近な絵だろう。 しかし地元から離れていくと彼の心は掴めなくなる。 「19世紀フランス、オランダの落ち着いた作品」を好むのに変わりないが、そこに画商アレクサンダー・リードの存在が被さるからである。 バレルが「リードは良質な絵画とそれを愛でる心を持つ・・」と誉めるようにリードは良心的な画商にみえる。 しかし画商としては彼も並みである。 <並み>というのは<生活を払拭できない>ことである。 ダンカン・フィリップス、ペギー・グッケンハイム、ゲオルク・ビユールレ、パワーズ夫妻、クラーク夫妻等々には芸術へ向かうベクトルが収集品に見える。 バレル・コレクションは並みと並みがぶつかってしまい方向性が見えない。 並みの良さは出ているが・・。 彼らの海への拘り方もその一つだ。 バレルもリードも生活の匂いが感じられる古き良き美術愛好家と言える。 *館サイト、 https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_burrell/

■キスリング展、エコール・ド・パリの夢

■東京都庭園美術館,2019.4.20-7.7 ■こんなに沢山のキスリングに出会えるなんて夢のようです。 人物画は目が大きいから近くから見てウハ! 遠くからみてウホ! 喜びが倍増ですね。 独特な存在感がある。 漫画のような顔ですが漫画の二歩手前で止まっている。 それは視点の定まらない虚ろな目の奥にある感情が昇華して純粋な何者かが現れるリアルとでも言うのでしょうか? 同じように静物画は対象の形相を描いているようで、彼が若い時に惚れこんだセザンヌの形と色を微分したような感触を持っています。 でも点描画のようなミモザの花は微分できなくて彼の良さが出ていない。 キスリング展は2007年に府中美術館*1とそごう美術館*2で開催されたが二展とも素晴らしい内容だった。 ・・実はうろ覚えですが当時の日記をひっくり返すと最高評価になっている。 それから12年も経っているので感慨もひとしおですね。 *1、「 キスリング-モンパルナスの華- 」(府中美術館,2007年) *2、「 キスリング展-モンパルナスその青春と哀愁- 」(そごう美術館,2007年) *館サイト、 https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/190420-0707_kisling.html

■ギュスターヴ・モロー展、サロメと宿命の女たち

■パナソニック汐留美術館,2019.4.6-6.23 ■モローの母や恋人はマジメ人生を送っていたので、彼はファム・ファタルの世界を自由に飛び回れたのかもね。 映像紹介で彼が描く<宿命の女>を「男を破滅させる女」セイレーン、「欲望を追い求める女」メッサリーナやエウロペ、「無垢な女」一角獣の三つに分けている。 でも作品をじっくり見ていると母や恋人まで取り込んでいるようにもみえる。 現実も夢にして、さすが「夢を集める職人モロー」だわ。 気に入った作品は「メッサリーナ」(113番)、「メデイアとイアソン」(116番)、「一角獣」(1885年)、「妖精とグリフォン」(159番)の4点。 どれも怪しい美しさがある。 「出現」(1876年)の線描は晩年にモローが加えたのを初めて知ったの。 この線描で作品が構造的に安定し有名になったのだと思う。 館内「ルオー・ギャラリー」にはエコール・デ・ボザールの写真が飾ってあった。 もちろんルオーは恩師モローと一緒にね。 しかもルオーがモロー美術館の初代館長とは知らなかった! モロー美術館は一度行ったことがある。 確かサン・ラザール駅から歩いて直ぐのはずよ。 独特な雰囲気を持つ美術館だった。 この展示でも写真が一杯飾ってあるから館内の隅々までを思い出してしまった。 パリの街並みまで回想できて楽しかったわよ。 *館サイト、 https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/19/190406/

■ユーモアてん。/SENSE OF HUMOR

■ディレクター:浅葉克己 ■2121デザインサイト,2019.3.15-6.30 ■ディレクター浅葉克彦はユーモアを探しに世界各国へ出向いたらしい。 それは意外と難しかったと挨拶文に書いている。 たぶん見過ごしてしまうからでしょう。 周りに広がる文脈をもすくい上げる必要があるからです。 しかもそれは多義にわたっている。 同じように会場でも、この面白さはユーモアと言っていいのかな?などなど考えながら見てしまいました。 1.ユーモアは精神を落ち着かせる。 2.ユーモアは永遠の魂をかき回す。 ディレクターはこの二つに留意してくれと言っている。 そう思います。 ユーモアはニヤリ笑いが合っている。 高笑いは精神が高揚し過ぎてしまう。 そしてユーモアはコミュニケーションの中心からズレたところで出現する。 このズレが魂をかき回し、かき回される面白さが人同士を繋ぎ合わせるのです。 *美術館、 http://www.2121designsight.jp/en/program/humor/

■田沼武能写真展、東京わが残像1948-1964

■世田谷美術館,2019.2.9-4.14 ■戦後東京が1964年東京オリンピックへ一直線に向かっていたことを強く感じてしまった。 副題も1964迄だからそのように企画したのかもしれない。 そして戦後3年経った1948年から始まっているので弥が上にも子供は避けて通れない。 子供だらけである。 当時の貧富の差は限られているが作品をじっくり見ているとその差が微かに顔をみせる。 これが田沼の作品を面白くしている。 前半は浅草、後半は銀座を中心に撮っている理由も分かる。 渋谷ハチ公を俯瞰した作品はいつも足を止め嘗め回してしまう。 ハチ公や井の頭線駅、周辺の商店街や看板などに・・。 この作品は人気があるようだ。 商品の値段がわかる写真など、例えば「下町の惣菜屋」(1956年)のコロッケ4円メンチカツ・・をみると当時の生活風景が膨らむ。 玩具や雑誌、オリンピック関連の品々もあり興味が尽きない。 3章「忘れえぬ顔」の文化人ポートレートが展示に厚みを増していた。 世田谷に関係する人を選んだようだが多彩な顔が並んでいる。  写真を見ながら2020年は目的も位置づけも64年とはまったく違うオリンピックになるはずだと改めて考えてしまった。 *美術館、 https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00192

■写真の起源、英国  ■志賀理江子、ヒューマン・スプリング  ■戦禍の記憶、大石芳野写真展

■東京都写真美術館,2019.3.5-5.12 □写真の起源 ■会場入口の持ち物検査に驚きました。 たぶん初めてでしょう。 一部の写真は布カーテンが掛かっていてそれを持ち上げて観ます。 温度湿度調整もいつもより厳しい。 しかも薄暗い。 この緊張感から貴重な展示品だと分かります。 多くは1850年前後の英国風景です。 大きな書籍もある。 大英博物館にワープした気分です。 実用ではフランスが先行したがイギリスもW・H・タルボットのカロタイプなどで成果を上げていました。 そして1851年英国万国博覧会で大きく前進する。 ビクトリア朝黄金期が支えたのですね。 以後写真は世界へ広がる。 そして当美術館では馴染みのフェリーチェ・ベアトらと供に日本に辿り着くという流れです。 イギリス初期写真史を初めて齧った手応えはあります。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3110.html *「このブログを検索」に入れる語句は、 タルボット □志賀理江子 ■2001年宇宙の旅に登場するモノリスの6面に作品を張り付けてドカーンと20個ほどランダムに置いてあります。 その長辺は3m位ですが。 全ての面は「人間の春・何々」という作品名になっている。 2011年東日本大震災の記憶が甦ります。 それにしてもモノリスに圧倒されます。 力強い春です。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3100.html □戦禍の記憶 ■大石芳野が40年にわたり戦禍の渦に巻き込まれた人々を撮った展示です。 1章メコンの嘆き、2章民族宗派宗教の対立、3章アジア太平洋戦争残像ですが20世紀後半の歴史というより記憶として思い出させてくれます。 ベトナム戦争の枯葉剤、カンボジアのポルポト大量虐殺跡、ラオスの不発弾処理、ソ連撤退後のアフガン紛争、コソボ宗教対立、スーダン民族間紛争、そして日中戦争の傷跡が今でも残る中国、韓国、台湾、沖縄、長崎、広島へ続きます。 この半世紀に起こった戦争紛争に、巻き込まれた住民を加えて再度記憶に詰め直しました。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3114.ht...

■百年の編み手たちー流動する日本の近現代美術ー  ■ただいま/はじめまして

■東京都現代美術館,2019.3.29-6.16 □百年の編み手たち ■リニューアル記念展なの。 でもどこが一新されたのかわからない。 この美術館は3階から1階、地下1階に分かれていて使い難い。 上野の都美術館も同じような構造にみえる。 これはリニューアルで直せない。 百年網羅のため最初は近代美術館の記念展にみえてしまった。 先ず足が止まったのは2章「震災前後」の中原實と牧野虎雄。 この二人は3章「リアルのゆくえ」4章「戦中戦後」にも登場するから前半の中心人物のようね。 それにしても2階の狭い部屋まで展示に使うとは・・。 靉光、松本俊介、梅原龍三郎、国吉康雄、岡本太郎など知名画家も時々顔を出すの。 1章「1914年」はもち岸田劉生よ。 5章「アンフォルメル」までは通時で6章あたりから共時で分散するようね? 以降は環境や資源、媒体、言葉、都市や国際などで章分けしていくからコンガラカル。 山口勝弘、横尾忠則、岡崎乾二郎・・。 ウォーホルが登場するとは!? 森村泰昌、大竹伸朗、村上隆・・。 これだけあると映像は最後まで見る気がしない。 ・・。 14章「流動する現代」は松江泰治の無機質な東京風景で終わる。 でもこういう写真って好きなのよ。 100年の編みものをみるのは体力勝負ね。 *東京都現代美術館リニューアル・オープン記念 *館サイト、 https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/2019/weavers-of-worlds/ □ただいま/はじめまして ■これは面白い。 約30人の作家が登場する新収蔵作品展なの。 小粒だけど気に入った作品が多い。 「百年の編み手」で疲れてしまった脳味噌を回復できたわよ。  *館サイト、 https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/2019/pleased-to-meet-you/ *追記・・夕刊に当館記念展の記事が載っていたけど、リニューアルの一つとして子供図書室を新設したらしい。 そういえば子供連れ客が多かったことを思い出した。 あと木場公園との連携も強化されたのは嬉しいわね。 見晴らしが良くなった。 レストランも一新。 展名の「編む」は「編集」にかけていたことも分かった。 なるほど。

■福沢一郎展、このどうしようもない世界を笑いとばせ  ■イメージコレクター・杉浦非水展

■東京国立近代美術館,2019.3.12-5.26 □福沢一郎展 ■福沢一郎は美術協会周辺の画家と一緒に展示することが多い。 今回は本人の作品だけで全体像を浮かび上がらせています。 それだけに作品の量と質が充実している。 彼の履歴書を観たという満腹感があります。 さすがM・エルンストに触発されただけある。 初期作品からはキリコやマグリットなどが感じられます。 また彫刻を最初に手掛けたことを知りました。 作品が持つ立体の故郷を探り当てましたね。 副題に「・・世界を笑いとばせ」とあったがそれは1941年の治安維持法で逮捕される迄でしょう。 以降「笑い」から「怒り」に変わる。 世の中の不合理への怒りは強い。 人間の「業」と考えていくようにもみえる。 戦争が終わり戦後のヨーロッパ、アメリカ旅行でもそれが続きます。 ニューヨークでは、例えば「プラカードを持つ女」などはB・シャーンの影響も伺える。 自由に動き回る為に次々と取り込み消化し続けていますね。 後半の表現はダンテに仏教や社会動向を混ぜ合わせた独特なものです。 シュルレアリスムの風刺性が時代と共に少なくなったのは残念。 それでも福沢一郎の厚さと熱さを感じた展示会でした。 *館サイト、 https://www.momat.go.jp/am/exhibition/fukuzawa/ *「このブログを検索」に入れる語句は、 福沢一郎 □杉浦非水展 ■杉浦非水は初めて聞きました。 グラフィックデザイナーのようです。 実は彼の作品はみたことがある。 レトロな感覚を持つ東京メトロの広告にです。 他に古い三越デパートも。 会場を回ると見覚えのある作品が次々と現れます。 戦前グラフィックデザインの質の高さが感じられる。 彼は映像にも興味を持っていたようです。 しかし会場の映像はどれもつまらない。 これは趣味の範囲でしょう。 福沢一郎より20年早く生まれていますがが同時代の違った分野同士の面白い組み合わせでした。 *館サイト、 https://www.momat.go.jp/am/exhibition/imagecollector2019/

■ラファエル前派の軌跡展

■監修:クリストファー.ニューオル ■三菱一号館美術館,2019.3.14-6.9 ■中身の濃い展示会だった。 それは1章「ターナとラスキン」2章「ラファエロ前派」で彼らに堪能し、次の3章「ラファエロ前派周辺」で咀嚼し直し、4章「バーン=ジョーンズ」で前へ進みながらも振り返る。 行ったり来たりするから濃くなったのね。 まずはターナーに心から挨拶した後にラスキンの作品をまとめてみる流れなの。 彼の「緻密な観察」「主題への誠実さ」を実験しているのが分かる。 そしてミレイ、ロセッティ、ハント、ヒューズへ。 味わい深い色彩は英国の寂に通ずる色合いだと思う。 ロセッティ「クリスマス・キャロル」は気に入ったわよ。 ホルマン・ハントの2枚もね。 小品の「・・ランスロット卿」「・・ガラハッド卿」等々はアーサー王からシェイクスピアを連想させてくれる。 ヒューズの「音楽会」「マドレーヌ」「ジェイムズ・リサート家」は微笑ましい。 時を忘れて眺めていたい。 ところでハントが3人もいて混乱してしまった。 精密画を描くヘンリー・ハントは前派では珍しい。 でもラスキンの原則に従っている。 ワッツ「オルペウスとエウリュディケー」はウーン・・、劇的だわ。 冥界に引き込まれていくエウリュデケーをこんなにも強く掴んで離さないオルペウスをみたのは初めてよ。 そしてバーン=ジョーンズで英国風のコクの在る寂で完成ね。 5章の「ウイリアム・モリスと装飾芸術」は悪くないけど前派の味わいを壊している一面もある。 ラファエル前派は観るほどに好きになっていくわね。 これは中毒かしら? *ラスキン生誕200年記念 *館サイト、 https://mimt.jp/ppr/ *「このブログを検索」に入れる語句は、 ラファエル前派

■ザ・ローリング・ストーンズ展

■TOC五反田メッセ,2019.3.15-5.6 ■ビートルズを初めて聴いた時、メンバーが演奏と歌唱を同時に受け持つこと、かつ詞と曲の多くが自作ということに驚いたのを覚えている。 ストーンズはまだ知らなかった。 情報源のラジオはビートルズが席巻していたからである。 ・・それはクラスメイトに薦められた「テル・ミー」が最初だった。 シンプルでワイルドなこの曲が気に入りローリング・ストーンズの名をこのときに知った。 しかし当時はストーンズが不良に見えたのは言うまでもない。  1960年代ツアーの映像はとても懐かしい。 すべてが手作りで良き不良だ。 これが70年に入ると変わっていった。 「・・数千数万の観客の前でボロは着れない」(ミック)と。 ストーンズがより強くなれたのはバンドが持っている「結束力」だろう。 会場の至る所でこの力に出会える。 使用したギターがギラリと並んでいる光景は壮観だ。 それは衣装にも言える。 「レコーディングは実験だ!」(キース)。 創作の楽しさが伝わってくる。 自筆の日記や作詞をみると想像が膨らむ。 会場を出て振り返ると4人が笑っていた。 ちなみに好きな曲ベスト3は「ハート・オブ・ストーン」「ダンデライオン」「アンジー」。 *FASHION PRESSサイト、 https://www.fashion-press.net/news/46794

■FACE展2019

■損保ジャパン日本興亜美術館,2019.2.23-3.30 ■「年齢・所属を問わず、真に力がある作品」を公募した入選71点の展示会です。 初めての作家が多い。 でも観たことのある筆感の作家もチラホラみえる。 最初の部屋に受賞作9点がズラーッと並んでいます。 次の部屋から入選60展あまりが続くのですが受賞作と入選作の違いが分かりました。 入選作は個人的な絵にみえる。 作家自身の身の上話から抜け出ていない。 受賞作は作家の身上を他者まで広げるチカラを持っている。 一言でまとめるとそんな感じですかね。 会期中、観覧者投票による「オーディエンス賞」の選出を行うそうです。 早速投票してきました。 もちろん入選作からです。 誰に投票したか? ・・出品リストを眺めているのですが忘れてしまいました。 *損保ジャパン日本興亜美術賞展 *「 絵画のゆくえ2019,FACE受賞作家展 」(2019年1月) *館サイト、 https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2019/face2019/

■千住博ー日本の美を極め、世界の美を拓くー

■そごう美術館,2019.3.2-4.14 ■金剛峰寺開創1200年を記念して「茶の間」「囲炉裏の間」に千住博の瀧図と断崖図が奉納される。 会場にはその一部が展示されている。 ・・千住博の作品は生き物の匂いがしない。 まるで鉱物のようだ。 ある人は霊魂がみえるというが・・、人によって微妙なところかな。 千住自身が言っている。 「瀧が落ちる水と水の間の暗闇の奥に空海がいる!」と。 金剛峰寺襖の模型が置いてある。 会場でみるより畳の緑と壁の白さが絵に合いそうだ。 彼の作品は明るさを求めるのかもしれない。 軽井沢千住博美術館のビデオが上映されていた。 建築家西沢立衛の設計である。 窓を広く取り室内は白一色である。 西沢も明るい中で千住の絵をみるのが最良と感じたのだろう。 瀧図ではヴェネツィア・ビエンナーレ展の「瀧神Ⅰ・Ⅱ」(2015年)が目立った。 蛍光塗料を塗ってあるので青白く光る。 これなら文句なしに神秘的だ。 初期の作品も展示してある。 多くはどこかギコチナイ。 この中で「終着駅」(1985年)は昔みたことを思い出した。 当時はもちろん千住博は知らない。 ビルシリーズは彼の青春が詰まっているのではないだろうか? 今回も初期の中では一番である。 *高野山金剛峰寺襖絵完成記念 *館サイト、 https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/19/senju_hiroshi/

■アルヴァ・アアルトーもうひとつの自然ー

■東京ステーションギャラリー,2019.2.16-4.14 ■アルヴァ・アアルトは知りません。 作品も記憶がない。 フィンランドでは有名らしい。 住宅マイレア邸、ルイ・カレ邸の平面図と遠景写真をみても想像できない。 それだけ印象が薄い。 建物上半身の体積のある壁面くらいですか。 それは「多感覚的空間」と呼ぶものかもしれない。 つまり多くの感覚が調和して印象が薄いということです。 それは「融通性のある規格化と再構築」「照明ー合理性と人間性」そして「総合的建築」へと向かったことでもわかります。  家具も同じように印象は薄い。 それは「よりよいものを毎日の生活に」に現れています。 たとえば「三本足のスツール」は我が家にもあります。 激安家具店で購入したのですが・・。 彼の生きた時代と国が見えないこともある。 でもニューヨーク万博フィンランド館でアアルト夫妻が上映したドキュメンタリー映像(22分、1939年)で少し見えてきました。 これは20世紀初頭のフィンランドの農業、林業、鉱工業に従事する労働者を映したものです。 都市の街並み、市民の日常風景も素晴らしい。 両大戦の混乱はありましたがやはり自然の豊かさが彼の建築を支えているようです。 ところで万博フィンランド館のアアルトが設計したオーロラの壁は圧巻です。 彼は壁面の建築家だと思います。 *ヴィトラ・デザイン・ミュージアム+アルヴァ・アアルト美術館国際巡回展 *館サイト、 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201902_aalto.html

■奇想の系譜展-江戸絵画ミラクルワールドー

■東京都美術館,2019.2.9-4.7 ■美術史家辻惟雄著「奇想の系譜」に沿った展示会である。 会場は結構混んでいる。 でも作品が大きいから流れが良い。 先ずは伊藤若冲。 傑作が並んでいるので興奮する。 紫陽花の花弁も見事だ。 若冲の動植物はDNAまで躍動しているのが分かる。 次に曽我蕭白。 「群山図屏風」は後期出展で見ることができない。 展示品は前期と後期がほぼ入れ替わる。 損と得をした気分だ。 そして長澤芦雪。 やはり猿が一番。 岩佐又兵衛は重要文化財級が並ぶ。 だが絵巻物を含め小さい作品は飛ばす。 今日は観る時のリズムを大事にしたい。 やはり狩野派が登場すると満足度が上がる。 金碧障屏画の折れ折れの梅花を前にするとリッチな気分に浸れる。 白隠慧鶴は作品情報量が少ないので時間をかけずに鑑賞する。 そして琳派鈴木基一。 「夏秋渓流図屏風」はなぜ日本美術の教科書に載るのか?が本物を目の前にすると分かる。 歌川国芳はざっと流す。 混んではいたが最後までリズムを崩さす観ることができた。 *館サイト、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2018_kisounokeifu.html

■ル・コルビュジエー絵画から建築へ、ピュリスムの時代ー

■国立西洋美術館,2019.2.19-5.19 ■この美術館はコルビュジエの絵画と建築をどうしても繋げたいのね。 今回やっとそれを叶えた感じかな。 でもピュリスムを介すると誰でも繋がってしまう(ようにみえる)。 コルビュジエの肝心要の繋がり方はやはり分からない。 その中で「レアの主題による習作」「レア」(1931頃)は彼の生命への拘りがみえて面白い。 彼の建築表面には生物の匂いがない。 その拘りが背後に隠れているから味があるのかも。 でも彼の生命観が現代生物学の延長線上に有るから余計にわかり難い。 彼らピュリストに近いのはフエルナン・レジェだとおもう。 でもレジェの構造の力は弱い。 パブロ・ピカソとフアン・グリスの作品が並べられていたがピカソにもその限界が感じ取れる。 コルビュジエはキュビズムとは一線を画している。 彼はキュビズムを評価したけど内心はどうかしら? 今回はピュリスムの切り口で沢山の絵を観ることができたのは最高ね。 *館サイト、 http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019lecorbusier.html *「このブログを検索」語句は、 コルビュジエ

■RCRアーキテクツ展、夢のジオグラフィー

■TOTOギャラリー.間,2019.1.24-3.24 ■タイトルはカタルーニャの建築家集団名。 RCRはラファエル・アランダ、カルマ・ビジュェム、ラモン・ヴィラルタの3人の頭文字らしい。 2017年にプリッカー賞を受賞しているの。 会場は6作品の紹介ビデオと「ラ・ヴィラの森」の映像作品が占めている。 どの作品も風景に溶け込んでいる。 色彩も考えているわね。 現代建築の素材色であるグレーは使っていないところに親しみ易さや安心感が漂うのかもしれない。 陸上競技場のフィールドに森をそのまま残しているのも素敵よ。 「記憶に住まう土地=ジオグラフィー」はある変換を通して身体に写像している。 作品をみていると身体が喜ぶというより安らぐ感じがする。 この安らぎはどこから来るのかしら? 隠れた変換式があるのかも。 この式がブリツカー賞に繋がったのね。 *館サイト、 https://jp.toto.com/gallerma/ex190124/index.htm

■石川直樹、この星の光の地図を写す  ■木版画の魅力  ■大和美緒

■東京オペラシティアートギャラリー,2019.1.12-3.24 □石川直樹,この星の光の地図を写す ■会場に入った途端、目もくらむ太陽の輝き、真っ青な空?、凍薄の空気?、新雪の冷たさ・・、アラスカのデナリ、南極・南米最高峰の山々が忽然と迫ってきた。 ギャラリーの床・壁・天井白一色の雪景色が素晴らしい。 グリーンランド、イルリサットの雪に埋もれた墓地や街並みをみて石川直樹をやっと思い出してきた。 触覚的な「Mt.Fuji」も記憶にあった。 しかし初めて見る作品も多い。 それはポリネシアとミクロネシアそして日本の海だ。 日本では奄美、沖縄、台湾へ、そして北海道、サハリンへ。 「まれびと」から時間をも遡る。 ギャラリーは再び目も眩む白の世界「K2」で終わる。 付録「石川直樹の部屋」は楽しい。 彼の愛読書、遠征で使用した装備品などが置いてある。 石川直樹の全体像を初めて知ることができた。 それより世界の最高峰に登ってきたような気分を持てたのが最高である。  *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh217/ □木版画の魅力 ■これだけの木版画をみるのは久しぶりである。 磯見輝夫の力強い作品群に先ずは圧倒される。 河内成幸のNYでパリで鶏がバタバタしている3枚は口元が緩む。 川瀬巴水「東京二十景」と黒崎彰「近江八景の内」の比較ができたのが今日一番の拾い物。 女性作家では坂本恭子と佐竹邦子の作品が気に入る。 *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh218.php □大和美緒 ■地図を描いているのか?と一瞬近づいてしまった。 現代点描画である。 デジタル時代の落とし子登場! *館サイト、 https://www.operacity.jp/ag/exh219.php

■岡上淑子、沈黙の奇蹟

■東京都庭園美術館,2019.1.26-4.7 ■フォトコラージュは楽しい。 でも、まとめて観ると飽きてくる。 幾らでも意味を追うことができるからです。 作者も次々と作品に意味を貼り付けていくことができる。 作る側も観る側も食べ過ぎてしまう。 M・エルンストは飽きないようにコラージュ・ロマンにして解決したのでしょう。 岡上淑子は服装学院出身だけありファション系の作品に見応えがあります。 「コラージュは他人の作品を拝借して鋏と少しばかりの糊で・・」。 彼女はコラージュに後ろめたさを感じていたようです。 途中で写真や日本画へ向かったのもその理由かもしれない。 ところで自分で撮影した写真をコラージュに使うのは自慰のようでつまらない。 他人の作品を切り刻む必要があるということですね。 他者と混ざり合ってデペイズマンの効果が現れる。 *館サイト、 https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/190126-0407_okanoue.html

■DOMANI・明日展

■作家:加藤翼,川久保ジョイ,木村悟之,志村信裕,白木麻子,蓮沼昌宏,松原慈,村山悟郎,和田的 ■国立新美術館,2019.1.23-3.3 ■先ず迎えてくれたのは数学的な線と面を持っているが、どこか親しみのある和田的の白磁たち。 海外研修が2007年と古いこともあり安定感がある。 次の蓮沼昌宏のパラパラ漫画は楽しいわね。 全部をパラパラしてしまった。 村山悟郎の作品と解説は難解で生物現象をコンピュータに取り込み出力を加工して形にしている(?) 自己とは何か?が問題ね。 次の松原滋は村山悟郎の作品に引っ張られてしまった。 木村悟郎之のビデオはサラッと流して志村信裕の40分作品を観る。 それは羊を巡る話なの。 バスク地方の羊飼い、羊毛の衰退、成田三里塚の羊牧場の資料等を織り交ぜて語られる。 「人間と動物の関係」「土地の記憶」を主題にしているらしく仄々感と共に歴史の厳しさがみえる。 川久保ジョイは放射能量を可視化した作品。 放射能は人間界では管理不能の物質かもしれない。 次の白木麻子は机や椅子、布や花瓶を微妙な位置において緊張感を高めている。 このような作品が作品になる不思議さがある。 最後の加藤翼は車を使ったパフォーマンスの痕跡を展示。 作成ビデオをみると通行人らと共同して痕跡を残す作業自体が重要だということかな。 今回は自由度の高い作品が多かった。 それだけ時代が安定していると言えるわね。 その逆かもしれない。 *館サイト、 https://domani-ten.com/

■絵画のゆくえ2019、FACE受賞作家展

■損保ジャパン日本興亜美術館,2019.1.12-2.17 ■過去のFACE展で受賞した作家たちの近作・新作を紹介する展示会です。 展示会は何回か観ています。 「年齢・所属を問わない新進作家の登竜門」らしく肩を張らないでみることができますね。 今年のFACE展は2月に当会場で開催するようです。 11名の作家が登場しますが昨年2018年グランプリの仙谷裕美の作品群が気に入りました。 昨年からの勢いが続いているのでしょうか? それと阿部操、井上ゆかりの二人を加えます。 どれも作品から受ける印象は違いますが、現実対象を画面に落とし込む時の思考過程が私には及びつかないからです。 世界をこのように描く方法もあるのか?という驚きを持つからです。 新鮮とでもいうのでしょう。 この展示会の楽しさですね。 *美術館、 https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2019/face_award-winning-artist/

■イケムラレイコ、土と星

■国立新美術館,2019.1.18-4.1 ■イケムラレイコの名前は聞いていたがまとめてみるのは初めてだ。 自然や生命の輪廻に東洋観が滲み出ている。 ドローイングをみると彼女は彫刻家が本業だとわかる。 線が物質を引き寄せようとしている。 その答えが「有機と無機」に集められている。 振り返るとこの章が一番楽しかった。 以降も彼女の物語が展開する。 「少女」「アマゾン」「戦い」「うさぎ観音」と。 しかし後半はもう一歩踏み込んで抽象になっていく。 「山」「庭」「木」「炎」「地平線」と。 西洋でも東洋でも無い不安定さがある。 不安定さが静まった最新作「うねりの春」は宇宙的幽玄を感じる。 東洋的カンディンスキーである。 このような絵画が何枚かあったが辿り着いた現在到達点にみえる。 粘土彫刻は彼女の物語だが絵画は彼女の宇宙観を表現しようとしている。 この土と星は繋がっているが推考を重ねるほど彫刻から絵画へ向かうのだろう。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2018/Ikemura2019/

■ブルーノ・ムナーリ、役に立たない機械をつくった男

■世田谷美術館,2018.11.17-2019.1.27 ■「プロローグ」始めに展示されている1930年代前半の油彩と水彩画を見てビビッときました。 脳味噌に届く鋭い何かを持っています。 次のシルクスクリーン作品群「陰と陽」も裏切らない。 タイトル名の「絵はあらゆる箇所が生きている」通りです。 「子どもはすべての感覚で世界を認識している」章の多くの作品は視覚と触覚の統合がなされている。 そして絵の「あらゆる箇所」と子供の「すべての感覚」が繋がっている。 しかもどれも明晰簡明です。 「作品は無限の変化の一つとして出現する」で木の葉や枝のスタンプをペタペタ押して絵を作るのは子供も喜ぶはずです。 「どれほど多くの人が月を見て人間の顔を連想するか」で人間の核心である顔を論じて終章になる。 嬉しい作品ばかりでした。 できることならブルーノ・ムナーリに一度会ってみたいですね。 *館サイト、 https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00191 ■アフリカ現代美術コレクションのすべて ■「床屋の看板」は面白い。 一人ひとりの髪型がいいですね。 それと「私の世界、あなたの世界」の鉄に色を塗った人物立像3点組がアフリカの強さと明るさを表現していました。 *館サイト、 https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection/detail.php?id=col00102 ■追悼-保田春彦 ■力強い裸婦デッサンが気に入りました。 *館サイト、 https://www.setagayaartmuseum.or.jp/document/YASUDAlist.pdf

■バスキア  ■バスキアのすべて  ■バスキア、10代最後のとき

□バスキア ■監督:ジュリアン.シナベール,出演:ジェフリー.ライト,デヴィット.ボーイ,デニス.ホッパー,ゲイリー.オールドマン他 ■(アメリカ,1996年作) ■バスキアを直にまとめて観た記憶がありません。 しかし写真でも一度みたら忘れられない。 線と色と文字が電子軌跡のように共振している。 その振動は現実世界の裏側まで貫く。 キャンバスに広がる散文的緊張がモロに伝わってきて身が引き締まりますね。 新作「バスキア、10代最後のとき」を観に行く前に古い映画を2本取り寄せました。 彼を知りたい。 これがその1本でなんと劇映画です。 デヴィット・ボーイ、デニス・ホッパーやゲイリー・オールドマンが脇役を固めているのに仰天! しかしバスキアは何をしたいのかよく分からない。 目が何も語っていないからです。 後半アンディ・ウォーホルが登場してから少し面白くなる。 でもウォーホルも何を考えているのかよく分からない。 生温い映画でした。 とういことで2本目の「バスキアのすべて」に期待しました。 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/47910/ □バスキアのすべて ■監督:タムラ.デイビス,ジァン=ミシェル.バスキア,ジュリアン.シナベール,ディエゴ.コルテス他 ■(アメリカ,2010年作) □ドキュメンタリーでバスキア自身と彼を知る人たちのインタビューでまとめている。 彼の作品が多く映されていて嬉しいですね。 やっとバスキアがみえてきた。 彼は有名画家を目指し、それを達成した。 作品と時代がシンクロナイズした為でしょう。  しかし保守的評論家からは最後まで煙たがられていたらしい。 絵画を壊す力をバスキアは持っている。 美術で食っている人たちには不安が過るのでしょう。 絵画の外へ行ってしまう不安です。 結局彼はヘロインに溺れ追い詰められていく。 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/55761/ □バスキア、10代最後のとき ■監督:サラ.ドライバー,出演:ジァン=ミシェル.バスキア,ファブ.5.フレディ,ジム.ジャームッシュ他 ■恵比寿ガーデンシネマ,2018.12.22-(アメリカ,2017年作) ■さっそく恵比寿へ観に行く。 ドキ...